目が覚めた。
朝だった。
ベッドに寝ている。
確か、ついさっきまで神様に怒られていたはずだ。
でも、今はベッドに寝ている。母親らしき声が聞こえる。
「早く起きなさい。学校に遅れるわよ」
どうやらここは、下界らしい。今回の神様の怒りは相当なものだ。自分は下界に下ろされた。ちょっといたずらが過ぎたようだ。
「翔太、いつまで寝ているの。早く起きて、顔を洗いなさい」
起きるしかない。
起きて、顔を洗い、食卓につく。ご飯は、どんぶりで出てきた。結構、大食漢らしい。
朝からどんぶり飯を二杯も食べてしまった。やはり大食漢だった。お腹も満たされたので、着替えて学校に向かうことにした。
なぜだかわからないが、自分が緑川翔太であることがわかる。学校の場所もわかる。四月に高校に入学して、一か月ぐらい経ったころだということもわかる。
最寄り駅まで自転車で行き、電車に乗り、二十分で高校のある駅に着く。そこから学校まで歩いて十五分だ。家からは、一時間程の道のりだ。めんどうくさい。自分は、天使なので飛んで行けば早い。家を出て、近くに自転車を止めて飛んで行くことにした。人目につかないところに行き、簡単に翼を出して、飛んで行こう。
垣根のある駐車場を見つけて、自転車を垣根の陰に隠し、翼を出すことにした。
「おや」翼が出ない。神様、そこまでしなくてもいいでしょう。もう一度やってみた。やはり、翼は出ない。自転車で行くしかなかった。
「まあいいか、今日は晴れて気持ちも良いし」
自転車に乗って十五分走り駅に着く。自転車を預ける場所もなぜだかわかる。自転車を預け、電車に乗った。
電車の中には、同じ高校に通う生徒らしき制服姿がちらほらいるが、まだ入学してあまり日が経っていないので、顔見知りは少ない。電車は、まあまあ混雑している。車窓を眺めながら、二十分ほど電車に揺られていると、学校のある駅に着いた。
駅の改札を出たところに、生活指導の先生が立っていた。服装や、持ち物のチェックをしているのだが、自分は、まだ学校に入ったばかりの一年生で、持っている鞄もまじめそのもので、髪形も普通なので、止められることもなく挨拶をして通り過ぎた。
学校に向かって歩き出すと後ろから、声をかけられた。同じクラスの、田中誠と、青山祐二だ。この二人は、中学が違うので、途中の駅から乗ってくるのだが、まあ、馬は合いそうだ。話をしながら学校に向かった。商店や民家のある駅前から、学校に向かって歩いて行くと、途中から民家もまばらになり、道路の周囲は畑と雑木林になる。畑と雑木林の中にぽつんと学校が建っている。
学校の東側は、敷地に沿うように舗装道路があって、道路の東側は畑が広がっている。学校の北側と南側にも、近くに民家などはなく雑木林や畑が広がっているだけだ。
西側には川があり、土手の上は幅が広くなっていて、自然公園になっている。公園は幅一五メートルぐらいで長さは二〇〇メートルぐらい、木々が生い茂り小道が整備されている。この付近には民家もほとんどないので、普段は小道を通る人の姿もなく、ただ木々が風になびいているだけだ。
東側の道路から学校の正門を入ると、まず、正面に鉄筋コンクリート三階建ての建物がある。この建物は、一階に職員室や、保健室などがあり、二階には図書室、三階には理科室や工作室などがある。
コンクリートの建物の西側に、通路を挟んで木造二階建ての二年生の校舎があり、南側には木造二階建ての三年生の校舎がある。この南側の建物には、音楽室や、美術室などもある。西側の二年生の建物の南側に武道場があって、その南側が体育館で、さらに、全体の南側一面が、グラウンドだ。
学校自身が田舎町にあるため、結構広い。グラウンドもかなり広く、東側にはテニスコートが二面、バレーコートが二面あり、その南側に運動部の部室が二棟並んで建っている。
グランドの真ん中には、四〇〇メートルトラックがあり、中は、サッカーグラウンドになっている。学校の敷地の南側にはフェンスがあり、四〇〇メートルトラックの端からフェンスまでは、二〇メートルぐらいあって、フェンスよりに桜の木が点々と植えられている。
そして、この四〇〇メートルトラックから少し離れて、西側に単独の野球場があるといった恵まれた環境だ。
だが、野球も、サッカーも、テニスも、バスケットも、バレーもみんな弱い。インターハイ(高校総体)に出るような運動部はない。
しかし、武道は、結構強かった。柔道と、剣道は、毎年全国大会に出ているみたいだ。
この学校は、公立校なので運動部に専任の監督やコーチを雇えるわけでもなく、学校にいる先生たちが、それぞれの運動部を担当している。担当しているというよりも、学校側から決められて担当させられている。だから、まったくの運動音痴で体が弱い先生が野球部やサッカー部の顧問をさせられても、普段の練習を見にも行かないし、たとえ、練習を見に行ったとしても、指導することもできず、ただ眺めているだけだ。
体が弱いのに夏の炎天下で生徒が練習している姿を眺めていたら、身体を悪くしてしまうし、自分が見に行っても、役に立たないことがわかっているから行かないのだろう。
運動部の顧問がこういう状態なので、野球部やサッカー部、テニス部、バレー部などの運動部は、部員である生徒たちが練習のメニューや時間割りを決めているわけで、上達などは望めない。
ところが、柔道と剣道は体育大学出身などの有段者の先生がいて、ほぼ毎日武道場に行き指導しているので、部員たちは上達し強くなったのだ。
敷地が広く、外のグラウンドでは、野球部やサッカー部、テニス部が練習を行い、体育館の中ではバスケットボール部とバレーボール部、卓球部が練習を行い、武道場では柔道部、剣道部がそれぞれ同時に別の場所で練習ができる。
こんなに恵まれた環境なのに、一年生の校舎は一番北側の一番古い木造一階の建物だ。教室の中は蛍光灯の光が弱いのかなんとなく薄暗い。インターハイにも出られないような運動部にお金をかけるのなら一年生のこのボロ家を何とかしてほしいと思ったが、自分には何の権限もなかった。雨漏りがしないだけましかと納得するしかなかった。
自分が所属している一年五組の教室に行くには、学校の正門を入り、正面のコンクリート三階建ての建物の北側を通り抜け、南北に延びる通路の手前にある入口にたどり着く。そこに下駄箱があるので、上履きに履き替えて、南北に延びている通路を北側に向かって歩き、突き当たりが教室の北側の通路になるので、そこを西に曲がると教室がある。
通路の突き当たりから西側に、教室が三つあり、手前から、四組、五組、六組となっていて、東側には一組、二組、三組の教室がある。自分は五組なので、西側の真ん中の教室だ。教室の南側には、建物から少し離れたところに花壇があって、教室の窓からは花壇の庭が見渡せる。
南北の通路は学校の校舎や、体育館などを結ぶ大動脈で、一番北側の一年生の校舎から南に向かうと通路の西側に花壇と一階建ての共同トイレ棟があり、その少し南の通路東側にコンクリート三階建ての職員室などがある。職員室の建物の西側には木造二階建ての二年生の校舎がある。
そこから南に向かうと、コンクリート三階建ての建物の南側に木造二階建ての三年生の校舎があり、通路を挟んで西側に武道場がある。そして、武道場の南側に体育館がある。この通路は、一番北にある一年生の校舎から一番南にある体育館まで繋がっている。そして、体育館の南側一面にグラウンドが広がっている。
学校の創立はそれほど古くはなく、一年前までは、女子だけの商業科があった。だから、二年生と三年生は、五クラスが普通科で一クラスが女子だけの商業科ということになっているので、女子の人口密度が高い。ちょっとうらやましい。どうせなら二年生のほうが良かったのだが、この辺が神様の気が利かないところだな。とにかく自分は一年生だ。
一年生は、普通科だけで六クラスあり、二年になっても普通科だけなのだが、三年になると、進学への対策として文科系四クラス、理数科系二クラスに分かれる。男女共学で、一年生は、やや男が多い。五組も男が二三人、女が一七人で合計四〇人のクラスだ。
学校は、田舎にあって結構広いという以外はあまり特徴もなく、優秀でもなければ、だめでもない。神様が、言うことを聞かない天使に罰を与えて送り込むには、格好のところかもしれない。
しばらく、この学校生活を送らなければならないらしい。まあ、神様も二週間もすれば許してくれるだろう。大体、この俺がいないと、神様だって困るはずだ。結局、あれこれと小間使いをやっているのは、俺だ。せっかく下界に下ろされたのだから、この学園生活を楽しんでみるか、と自分に言い聞かせるしかなかった。
著者プロフィール
由木 輪
1956年、東京都出身
ごく普通の家庭に生まれ育ち、大学を卒業後、東京に本社がある会社に就職しました。自分の意に添わず、幾つかの会社に転職することになりましたが、60歳になり会社員で定年を迎えました。定年しても年金がもらえるわけではなく、生活のために別の会社で働くことになりました。定年後の職場では、時間的にも精神的にも余裕が出来て、以前から書きたかった小説を書き始めました。みなさんに面白いと思っていただけるとうれしいです。