兄との思い出
兄が小学校高学年になった時に、一五段変成で二六インチのドロップ自転車を父に買ってもらったことがある。当時最高の自転車でハンドルが曲がっており乗りにくそうだが、その形は見とれてしまうほど素晴らしいものであった。兄は日曜日になるとサイクリングといって出かけていたようだ。時間があるといつもピカピカに磨いていた。この自転車は兄の宝で私にはあまり触らせてくれなかった。
父は「お前にはまだ小さいからむりだ」と私にいって、普通の自転車を買ってくれた。うれしくなって兄に「○○まで競争しよう」と勝負を申し入れ無理やり誘ったことがある。兄は渋々付き合ってくれたが、そのスピードや坂道走行など全く歯が立たなかった。こちらは普通自転車であり、相手は一五段ギア(歯車が前三枚後ろ五枚もついていた)である。坂道もスイスイと軽やかに昇っていく。
私は自転車の構造をあまり理解していなかったので、走って初めてその性能の差がわかった。「同じ自転車なのにこんなに違うのか」と。それ以来兄に勝負を挑むことはなかったが、兄の自転車への思いと憧れがより強くなったのである。
長屋の前には十三間堀川という川が流れていた。長屋は川より低いところにある。土手までの階段を六段ほど上がると川の堤防で、川伝いの道路に時折車両も通った。
決して綺麗とはいえない川であったが、よくトンボや昆虫、亀などを捕った。トンボといえばシオカラ、イトトンボ、そして大きなオニヤンマである。竹網を持って網を左右に揺らしトンボを誘うのであるが、なかなか捕れない。竿にとりもちををぬってトンボが止まったところを捕えようとするが、俊敏さが人間とは違う。しかし兄はうまかった。いつも虫かごにはトンボが入っている。トンボは前にしか進まず不退転の精神の「勝ち虫」といわれ、昔は武士に好まれ武具(の文様?)にも用いられたという。
土手の堤防ではよく兄や父とキャッチボールをした。この川は汚い川で、周辺の住民は生活ゴミや生ゴミなど何の躊躇もなく捨てていた。当時、エコなんていう認識は庶民には全くなかったのだ。現在でも言葉だけが独り歩きしているように見えるが……。
食の「安全・安心」という言葉も同じである。とことんこれを追求してしまうと空気もろくに吸えなくなってしまうことになる。一般消費者はいとも簡単に「安全・安心」は当たり前のことであり、この言葉をオウム返しに口に出すが、「安全・安心」の維持にはそれ相応のコストがかかる。究極のところ、このコストをだれが負担するかといえば消費者も応分の負担をする必要があることは当然認識すべき事である。
日本の食文化の原点といえば米と魚である。日本の食糧自給率は減少傾向にあり、国産だけでは国民を養っていくことは無理である。だからこそ食料の安全保障を如何に構築していくかが課題となる。
世界の人口が増加する中で食料の争奪戦も始まっている。日本としては、円滑な国際関係は勿論、自国における第一次産業である農林水産業の成長を真剣に図っていかなければならない。補助し守るだけでは成長はあり得ない。競争原理も導入し生産者の意識も変えていく必要がある。その為には農協改革や漁協改革が絶対に必要ということになる。
日本では自給率で減少した分を輸入に頼っているのが実情である。足りない分を汗を流し自国で生産するのならよいが、その努力もせず足りない分は平気で他国に依存しているにもかかわらず、食の「安全・安心」だけは声高に消費者の権利とやらで主張するという何とも情けないことになっている。
漁業の就業者は全国で一六万七〇〇〇人(平成二七年一一月)で二四歳以下は六二〇〇人しかいない。それも六五歳以上が三五%も占めている。一億二〇〇〇万人の魚供給をたったの一六万で支えている。この実態を私たち国民こそが憂慮し、二〇〇海里内の資源管理とともに漁業者の育成をも考えていかなければならない。
日本人の魚離れについても誤解があるように思われる。水産物消費の動向には、消費者のライフスタイルの多様化、特に食の外部化、個食化、簡便化などが影響すると指摘されてきた。食を取巻く環境は女性の社会進出や核家族化、また社会構造の変化に加え、将来は少子高齢化や人口減少問題という視点も無視することはできない。
更に中食(持ち返り弁当や惣菜など)のマーケットは拡大傾向にあり、惣菜市場(一〇兆円規模)は活況を呈している。今や、内食(家庭で調理し食事をする)を支えつつあるのが中食といっても過言ではない。首都圏や近畿県を対象としたある調査では、今後購入したい惣菜はとの問いに対し、「家庭で作りづらい惣菜」との回答が第一位となっているそうだ。魚の惣菜も上位にランクされている。このように中食へのニーズは即効性のひと品から本格的な家庭料理そのものへのニーズにへと変化しているという。
調理ができない女性が増加し家庭に包丁が全くないということもあるが、一~二人の家庭や、核家族化の増大で家族が減り沢山作れば無駄も出る。つまり「調理ができないのではなく食べて喜んでもらえる家族も減り腕を振るう機会がなくなっている」ということが主婦の実態とも言えそうだ。
最近家庭における「魚離れ」が話題となっている。魚を一尾まるごと買って家庭で調理する人は減少しているが、外食や中食の動向をみると魚嫌いの人はそんなに減少しているとはいえない。中食や外食で消費された魚は消費動向指数(家庭調査年報)としてカウントされないため、統計上は「魚離れ」が起きているように見えているだけである。これは統計では読み取れない隠れた数字のマジックなのである。
このように魚食を取り巻く環境は多様化しているが、日本の食文化を維持伝承していくためには、「資源の確保」はもとより、「魚の旬」「栄養特性」「美味しい食べ方」「簡単料理法」「安全性」「顔の見える流通」「地域に即した活動」などが重要なポイントとなるだろう。
特に、教育現場である学校(特に小学校)との連携による食育の推進は不可欠であり、魚を食べるというだけではなく、調理法も含め積極的に展開していく必要がある。
子供には家庭や学校で食文化に触れる機会を増やすことが必要であり、この地道な活動から、連綿と続く民族としての魚食文化の継承が行われていくのである。
また、一方では一年間の食べ残し(食品ロスといわれるもので外食やホテルでの食べ残しや生活ゴミなど)は五〇〇~九〇〇万トンにも上るといわれている。食料自給率が三八%という我が国において、その食料の大半を輸入に依存しながら、一方でこんなに食品ロスを出しているのが現状である。捨てられる生ゴミの中には買ってきたままの状態でそのままゴミに出された食品も多く、賞味期限が切れていない食品の廃棄も目立っているという。
消費者という不可解な生き物は、いつでもどこでも好きなだけ食べ物が手に入るという便利な食生活に慣れてしまい、余ったものを捨てることに鈍感になっているといってもよい。それこそ無駄な生産や消費を容認してきた価値観を抜本的に変えていく意識啓発が必要であるものと思われる。
では少年時代に話を戻そう。
長屋前の堀川上流には食肉加工工場があり、時折川が赤く染まったり、牛や豚の内臓も流れてきたりしていた。
堀川の土手の道路には時折、牛や豚を積んだトラックが走った。時には人に牽かれながら牛や馬もこの土手を通った。牛や馬などは事前に殺されることがわかっているのか、長屋前に指しかかると、突然に、人が引っ張っても立ち止まって動こうとしない。子供たちも一緒に引っ張って協力するが後ろ足を踏ん張って涎を出しながら抵抗し動かない。引っ張ろうとすると悲痛な声を出して抵抗する。時には力んで糞便しつつ抵抗し、表情を見ると牛や馬の目から涙が流れているように見えた。
子供の頃は牽かれていく牛や馬が食肉になるとは思ってもみなかったが、年齢を重ねるうちに理解するようになった。本当に可哀想で、その光景がいつまでも残像として残り、子供の私にも大きなショックとなり、夢にまで見るようになった。現実を受け入れたくないという気持ちと、これが現実だという二律背反する気持ちがわが身を引き裂いた。生きる為とは理解しつつも、本当に人間というものは残酷だ、と拙い子供心で生死について葛藤する自分を感じていた。
私の良き時代・昭和! 【全31回】 | 公開日 |
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(その2)人生の始まり──~不死身の幼児期~大阪の襤褸(ぼろ)長屋へ | 2019年7月17日 |
(その3)死への恐怖 | 2019年8月2日 |
(その4)長屋の生活 | 2019年9月6日 |
(その5)私の両親 | 2019年10月4日 |
(その6)昭和三〇年代・幼稚園時代 | 2019年11月1日 |
(その7)小学校時代 | 2019年12月6日 |
(その8)兄との思い出 | 2020年1月10日 |
(その9)小学校高学年 | 2020年2月7日 |
(その10)東京オリンピックと高校野球 | 2020年3月6日 |
(その11)苦慮した夏休みの課題 | 2020年4月3日 |
(その12)六年生への憧れと児童会 | 2020年5月1日 |
(その13)親戚との新年会と従兄弟の死 | 2020年5月29日 |
(その14)少年時代の淡い憧れ | 2020年6月30日 |
(その15)父が父兄参観に出席 | 2020年7月31日 |
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(その23)流行った「ばび語会話」 | 2021年3月31日 |
(その24)万国博覧会 | 2021年4月30日 |
(その25)新校舎での生活 | 2021年5月28日 |
(その26)日本列島改造論と高校進学 | 2021年6月30日 |
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(その28)社会見学や文化祭など | 2021年8月31日 |
(その29)昭和四〇年代の世相 | 2021年9月30日 |
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(その31)おわりに | 2021年11月30日 |