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粉々に飛び散った砲丸|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 〜(その20)

由木 輪

1956年、東京都出身
ごく普通の家庭に生まれ育ち、大学を卒業後、東京に本社がある会社に就職しました。自分の意に添わず、幾つかの会社に転職することになりましたが、60歳になり会社員で定年を迎えました。定年しても年金がもらえるわけではなく、生活のために別の会社で働くことになりました。定年後の職場では、時間的にも精神的にも余裕が出来て、以前から書きたかった小説を書き始めました。みなさんに面白いと思っていただけるとうれしいです。

粉々に飛び散った砲丸|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 〜(その20)

初夏のさわやかな季節がやって来ても、体育の授業は、運動音痴の俺にとっては、苦痛以外の何ものでもなかった。足は遅いし、球技だって苦手だ。
しかも体育の授業の担任が、あの剣道四段の先生なのだ。俺は名前を呼ばれただけでも、お尻の穴がきゅっと締まり、身体が固まってしまうので、余計に動きが変になってしまう。
ある授業中のことだが、ガムを噛んでいるやつがいた。それを見つけた剣道四段は、前に呼びつけて、直立させて、いきなりビンタを一発くらわした。ビンタを食らった生徒は、その場に膝から崩れ落ちた。

柔道三段の真元和尚のビンタは、手に重量感があり、三メートルは飛ばされるのだが、剣道四段のビンタは、スピードがあり手(て)刀(がたな)で切られたようだった。
「授業中にガムを噛んでいるとは、何ごとだ。吐き出せ」
「先生に打たれた瞬間に飲み込んじゃいました」
恐るべし高速ビンタだった。この生徒の頬は、三日間赤く腫れたままだった。

高校三年間の体育の授業を振り返ってみると、そのほとんどが記録の測定だったような気がする。短距離走の五〇メートル走から始まって、一〇〇メートル走、中距離走の四百メートル走、一五〇〇メートル走など、走ってばかりだ。俺には、どの種目も向いていない。
雨が降って、グラウンドが使えなくなり、走らないですむと喜んでいると、体育館の中で体力測定なるものを始める始末だ。この体力測定も俺には向いていなかった。
人には向き不向きがあるのだから、向いていない人は、みんなの半分ぐらいの量ですませてくれれば良いのだが、そうはいかなかった。やはり、みんなと同じだけの時間と、同じ回数を要求された。
反復横跳びなど、他の生徒たちは、良く同じ場所で跳んでいられるものだと感心させられた。俺が、反復横跳びをしていると、段々と身体が前に移動していって、終わりの合図が鳴るころには、最初の位置から二メートルは前に行っている。しかも遅いので、みんなの平均より回数が少ない。やっぱり俺には向いていない。

垂直跳びなど、どうやっても高く跳べないし、前屈や背筋力など、身体が痛いだけで、成果など上がるはずがなかった。外でやっても、屋内でやっても、俺には、喜びが感じられるものは何もなかった。
晴れた日に、外で砲丸投げの測定が行われることになった。このさわやかな青空の下で砲丸投げをすることは、何と気持ちが良いことなのだろうと、俺以外の人はそう思っているのだと感じた。
先生が、砲丸投げのやり方や、ルールなどを一通り説明して、砲丸投げを行うフィールドを作り始めた。巻尺を使って、地面に二メートルの円を描き、そこから、角度が四五度より少し狭い感じで広がる線を二本引いた。

本当は、サークルの大きさも、そこから広がる線の角度も、細かく決まっているらしいのだが、「高校の体育の授業なので、これで行く」と剣道四段に言われたら、文句を言う奴など、誰もいなかった。
先生は、高校男子用の重さ六キロの砲丸を持って、砲丸投げの見本を見せてくれた。直径約二メートルのサークル内に入り、砲丸を肩と首の所に挟むようにセットして、肱を張り、一旦後ろ向きになって止まり、息を整えて、「やー」と声を出し、前向きに半回転して、砲丸を投げた。
砲丸は、一〇数メートル飛んで、地面に落ちた。砲丸が落ちた場所には、地面に跡が残るので、巻尺で測定すると、一二メートル程だった。さすがに、砲丸は重たいので、剣道四段でも、一二メートルがやっとだった。

「投げ方がおかしかったり、無理に力を入れすぎたりすると、肩を壊すかもしれないから、十分に練習をしてから、出席番号順に、飛距離を測定する」と言って、作ったフィールドで練習するように生徒たちに指示した。
三年二組の男子は、三四人もいるので、作ったフィールドのサークルの後ろには、順番待ちができて、思うような練習ができなかった。先生も、投げ方の下手な生徒には、ていねいに教えているので、時間が掛かった。

そこで、他の人たちは、グラウンドの空いているところへ行って、何人かで集まって、一つの砲丸を投げて練習していた。
俺は、初めからやる気もなく、みんなが練習しているところを、ただ見ていたのだが、そこへ「級長」武志がやってきた。武志は、「翔太、行くぞ」と言って、一二、三メートル先から、重そうに両手で砲丸を抱えて、俺に投げつけた。

武志が投げつけた砲丸は、俺に向かって真っ直ぐに、しかも結構なスピードで飛んで来た。「危ない」と俺が叫んで、砲丸を両手でキャッチした。なんとキャッチできたのだ。
「ハハハハ、翔太驚いたか。校庭の隅のほうに、黒っぽい湿った土があったから、ドロ玉を作ってみたんだ」
このドロ玉砲丸が、芸術作品だった。形も、大きさも、見た目は砲丸そのもので、色艶までがそっくりだった。表面に艶が出るように、手で磨いてあるのだ。

武志が俺に向かって、砲丸を投げつけた時に、俺の脳みそは瞬時に本物の砲丸だと判断して、重たい物を受ける体勢になり、腰を落として、両手で砲丸をしっかり受け止めようとしたので、キャッチできたのだ。しかし、今、俺の手の中にある砲丸は軽かった。
「武志、やるな。このドロ玉は、どう見ても本物の砲丸に見えるよ」
「そうだろう。翔太、本物の砲丸のような素振りで、俺に向かって投げてみろよ」
と武志が言ってきたので、本当は軽いドロ玉を、本物の砲丸を持っているかのように両手でやっと持っている振りをしながら、身体の下で二、三回振って、「やー」と声を出して、十二・三メートル離れて立っている武志に向かって投げた。

武志は、「おーっと」と言って、投げた砲丸を、両手で受けた瞬間に体を一回転させて、いかにもそのまま前で受け取るのは無理なので、遠心力を使ってキャッチしたという演技をした。素晴らしい演技力だった。
その頃、グラウンドの一角に作った砲丸投げのフィールドでは、出席番号順に、砲丸の投てきが始まっていて、一人ずつ、飛距離が測定されていた。

高校生の砲丸投げの記録は、一五、六メートルぐらいなのだが、初めて砲丸投げをする俺たちには、そんな飛距離は出せるわけもなく、ほぼ全員が、一〇メートルを越えることはなかった。
俺は「緑川」で、武志は「山田」なので、出席番号が遅く、まだ順番が来ないので、二人で、演技力を高めながら、芸術的なドロ玉砲丸を投げ合って楽しんでいた。周りで見ていた他の生徒たちは、ドロ玉を投げているとは知らないので、驚いていた。

そこへ、投てきが終わった倉田がやって来た。倉田の驚きは半端じゃなかった。
「お前ら、何てすごいことをやっているんだ。俺は、今、砲丸を投げ終わったんだが、記録は、八メートル五〇センチだったぞ。何でお前らは、一二メートルも投げ合えるんだ」
倉田は俺たちが、ドロ玉を投げていることにまったく気づかず、ただただ、驚きの表情を見せていた。

そこで武志が、俺たちの周りに集まっていた生徒たちに種明かしをした。事実を聞いた生徒たちは、武志の作った芸術作品に近寄って来て「これは、どう見ても本物の砲丸にしか見えないよ」と口々に言った。倉田が「これを本番で投げてみろよ。先生だって気づかないぞ」と言い出した。
ちょっと待て、俺と武志のどちらかが、このドロ玉を本番で投げるとしたら、俺が「緑川」で武志が「山田」だから、当然、俺のほうが出席番号が早く、俺が投げることになるじゃないか。確かに、本番でこの芸術作品を投げるのは面白いけど、相手が悪すぎる。相手は、剣道四段だ。

集まっていたみんなに「翔太、頼んだぞ。お前の演技力にかかっているんだからな」と言われたが、本番でやってしまったら、剣道四段の「高速手刀ビンタ」が待っている。
いつも注目されたことなどない俺が、今は注目されているので、ここは、みんなに俺の演技力を見せつけて、「高速手刀ビンタ」を食らうか、それとも、調子に乗らず武志に主役の座を譲るか。答えは、二つに一つだったのだが、「よしわかった。みんなに俺の素晴らしい演技力を見せてやる」と調子に乗ってしまった。
そして、いよいよ俺の出番がやって来た。調子に乗っている俺は、武志の作った芸術作品を片手に、サークル内に入り、サークルから一二メートルぐらい離れた位置に立っている先生に向かって言い放った。
「先生、危ないですよ。もう少し下がってください。こう見えても俺は、結構、力があるので、先生の立っているところよりも後ろまで飛びますよ」
「馬鹿を言うな。今まで一〇メートルを越えた奴はいないんだぞ。まして、非力なもやしのお前が、いくら頑張っても、七メートルがやっとだろう」
「先生、本当にその位置にいていいんですね。それじゃあ行きますよ」
と前振りをしてから、投てきの準備をした。

砲丸を肩と首の所に挟むようにセットして、肱を張り、一旦後ろ向きになって止まり、前向きに半回転して投げる格好だけして止めた。一回で投げてしまっては、面白味がないので、二回ほどこの動作を繰り返して、「今度こそ行きますよ」と先生に声をかけた。

先生は、にやにやしながらこっちを見て、「緑川、早く投げろ」と言った。
今度は本当に、武志の作った芸術作品を投げることにした。一旦後ろ向きになって止まり、息を整えて、「やー」と声を出し、前向きに半回転して、砲丸を投げた。見た目には砲丸だが、俺が投げたのは、重さの軽いドロ玉だ。ドロ玉は、高々と上がって、先生の頭の上を軽々と越えて、二〇メートルほど飛んで、地面に落ちた。

地面に落ちた瞬間に、ドロ玉は粉々になって飛び散った。先生は、俺が投げた砲丸が頭の上を通過していったので、その軌道を唖然としながら目で追っていた。事情を知らない他の生徒たちも、同じように唖然としながら、砲丸の行方を目で追っていた。

砲丸が地面に落ちて、粉々になった瞬間も、先生は「信じられない」といった感じで、落ちた場所を見つめていたが、少しの時間を置いて、砲丸が粉々になった場所に近づき、砲丸の玉ではなく、ドロ玉であることを確認した。

これで俺の「高速手刀ビンタ」が確定した、と思ったのだが、次の瞬間、先生が大声で笑いだした。「ハハハハ、緑川、このドロ玉を良く作ったな。まったく気づかなかったよ。授業が終わったら、トンボで地面をならしておけ」

何と、「高速手刀ビンタ」ではなくて、「授業が終わったら、トンボで地面をならしておけ」ですんでしまった。「神様、寛大なご処置をありがとうございます」助かった。あまりにも派手に粉々に飛び散ったのが、先生に受けたらしかった。

この後、高校男子用の六キロの砲丸で、記録に挑戦したのだが、俺の記録は、六メートル二○センチだった。情けない記録だった。
砲丸投げの授業が終わると、先生に指名された他の生徒二人と共に、トンボでフィールドを整地した。武志の作った芸術作品の跡は、綺麗になくなった。やっぱり武志は「級長」にふさわしい男だと改めて思った。

翼がないのにふわふわ浮いて 【全22回】 公開日
(その1)舞い降りた天使|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年8月7日
(その2)タラチネ|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年10月2日
(その3)天使も筆の誤り|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年10月31日
(その4)ミトコンド~リア|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年11月29日
(その5)爆発だ|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年12月26日
(その6)お昼の散策|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年1月31日
(その7)バスの中にぽつんと一人|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年2月28日
(その8)マドンナ|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年3月27日
(その9)水上の天使|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年4月29日
(その10)旅に出る|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年5月29日
(その11)取り上げられた楽しみ|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年6月30日
(その12)マラソン大会|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年7月31日
(その13)修学旅行|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年8月31日
(その14)まさかの運動部|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年9月30日
(その15)厚みのある水彩画|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年10月30日
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(その18)燃え上がる学園祭|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2021年1月29日
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(その20)粉々に飛び散った砲丸|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2021年3月1日
(その21)打ち抜かれた額|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2021年4月30日
(その22)天使の復活|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2021年5月28日