「ねぇ、ずっと、このまま寝ていたいよぅ」
白昼からラブホテルにしけこんでいる。
大好物じゃがりこのサラダ風味と、ハーブ系のサラダチキン、ストロングゼロとハイボールを買って。それぞれ3本ずつ。
テーブルの上には食べかけのサラダチキンの汁がこぼれている。
あたしの隣で耳を甘がみして甘える人はいつでも最後まで全部食べ物を食べられない。
なんでも少しだけ残す。
薄暗い部屋。
ところどころにこぼれる細い光の光線が余計に非日常の空間をつくり出す。
あたしは隣にいる人の頭をゆっくりとなぜながら「そうね」と短くこたえた。
「できるならたーくんとずっといたいわ」
あまりに短い返事だったのでほんとうは普段めったに口にしないせりふを胸の中でひどく恥じた。
「ようこさん、だってさ、とても好きっ」
この人は容赦なく甘えてくる。まるで子猫のように。屈託ない笑顔で。
15歳も年上のあたしに。
たーくん—田城たかき―とは行きつけのイタリアンレストランで知り合った。
たーくんはイタリアンバー・ボレロのホール兼、調理兼、シェーカーを振ったりと、なんだかよくわからないバイトの人だった。
線の細い男の子だなと最初はその程度しか思わなかった。
左耳にあいているピアスは3つ。軟骨に1つあいている。
マルボロライトのタバコを吸っていることだけは唯一わかった情報だった。彼のズボンのポケットからスマホとともに飛び出ていたから。
何歳なのだろうか。彼女はいるのかな。まあいるだろうな。いそうだしな。
あたしはいつの間にかイタリアンを食べに行くという理由ではなく、彼を観察しにボレロに惜しげもなく通っていた。
ある日、レジで精算をしていたらたーくんがあたしに遠慮がちに名刺をくれた。レジもたーくんの役目で他のバイトが打っているところはまるで見たことがない。
「いつもありがとうございまーすぅー」
間延びの返事がくすぐったくて、かわいくて抱きしめたい衝動に駆られる。
「ごちそうさま。名刺、ありがとう」
たーくんは、耳たぶを紅潮させて、「は、はい」と目を伏せた。
私は変なことをいったかしら。
ふと言葉の反芻をしつつ、扉をあけておもてに出た。
たっぷりと時間が過ぎていた。
手を伸ばせば、次の日になりそうな時間。
なんとなく先刻彼からもらった店の名刺に目を落とす。
「えええ!」
人の目も気にせずにあたしはたちまち叫んでいた。
「うそぅ?え!」
ひとりで押し問答を繰り返してその夜はうまく寝られなかったことが思い出される。
「たーくん今日は5時から仕事だよね?」
あたしの首に舌をはわせながら「そう」耳に息を吹きかけながらささやく。
「意地悪」
あたしは頬を風船のように吹くらませ怒ったふりをする。
舌はあたしの首から胸、脇腹、お尻、太ももまで這って来る。また同じ道をたどってあたし唇に戻ってくる。この若さでこの舌の扱いはどこでおぼえてきたのだろう。感じながらも顔も存在も知らない相手に嫉妬すらしてしまう。
キスはいったんほどかれ、あたしをうつぶせにし、髪の毛を引っ張りながら、あたしの口の中に細くて長い食指を突っ込んだ。よだれが遠慮もなしにダーダーと垂れてきて、シーツに水海をつくった。
「これが、好きなんだよねー。ようこさんは」
声が遊んでいる。たーくんはあたしの首に手をかけて絶妙な力加減でゆっくりと絞めていく。
「うう、ああっ」
苦しい、苦しいけれど、もうひとりのあたしが、懇願をする。
もっと、もっと、いじめて。もっと、もっと、このまま……と。
たーくんはニタニタしながら、あたしの顔を羞恥にゆがんだ顔にしていく。目の前が真っ白になりそうになるまえに手が離されあたしはやっと息を吹き返す。
この人は白い蛇のようにあたしの体内に入ってきて、ぐるぐると巻き付き、快楽をくれる。
サディストだったのが幸いで、あたしはベッドにいるときだけはうんとかなり年下になれる。
「あ、やばー」
なにが、『やばー』なのかは、なんとなく察しがついていたので
「痕?」
首をさすってきいてみる。
「う、ん。そう。結構いったよ。赤くうっ血してる。ようこさん、色が白いからとても目立つよ」
あたしは頼りなく首を横に振った。
「気にしないで」
「でも」とたーくんの弱々しい声音が耳に届く。
「本当にいいのよ」
また同じセリフを口にしたが、その先は遮って、あたしは蛇のような真っ白い彼に抱きついた。うっすらと背中に汗をかいている。首からぶら下がっている金属のネックレスを見ると、若さを突きつけられる。
「夫は気が付かないわ」
たーくんは横で少しの寝息を立てている。きっと旦那さんがと口にしたかったのだろう。
23歳という若さはひどく魅力的だが、肌の張りがまるで違う。あたしもたーくんと体を重ねるにあたり、エステに通いだした。エステ代や洋服代飲食代の捻出はすべて夫である。夫はあたしよりも13歳年上の工業関係の取締役だ。お金には困ってはいない。あげくあたしのことはもっぱらほったらかしである。
「最近、何かいいことでもあったのかな。ようこさん」
2日前の夜、夫が唐突に口にした。あたしは、別にひるむこともなく、総じて普通にこうこたえた。
「そうよ。最近とても甘ちゃんのかわいい猫を見つけたの」あたしはふふふっと思い出し笑いをし、夫に律義に満足げに報告をした。
「そうか。よかったな。今度僕にも見せてくれよ」
「はい。わかったわ」
もう、夫とは8年ほど体を重ねてはいない。夫はあたしのことを家政婦あるいは人形くらいしにしか思ってはいない。夫の目からしたら38歳のあたしなど子どもとしか映っていない。それでも一緒に暮らし一緒にご飯を食べ一緒のベッドに寝ている。夫婦っていったいなんなのだろう。時折考えるけれど考えてもこたえが出ないから考えだけが頭の中で石のようにコロコロと転がるだけだ。
「ようこさん」
眠たい目をこすりながら、たーくんがあたしの肩を軽くポンとたたく。
「なあに?」
「俺さ、今年初めてボーナスが出たんだよ。何かほしいものとかあるかなーって」
ていっても、ダイヤや車は買えないよーと語尾を伸ばしつつ付け足す。
至極うれしかった。
けれど、その実、ほしいものなどはなにもない。
ほしいのは絶対に手に入らない『若さ』という目に見えないもの。絶対に手に入らないかけがえのないもの。
「うーん。そうねぇ」
あたしは考えるふりをする。
「あ、じゃあ、ラブレターがほしいわ。かわいいい便せんに手がきで書いてほしい」
たーくんは目を丸くし、ええーと絶叫していた。
「だって、一番最初の名刺の裏に簡易的なラブレターを書いてくれたじゃない?」
「あ、あれ?あのときは咄嗟なことだったし、もうようこさんに会えないような気がしたからさ、つい、ねー」
あの日。名刺の裏に書いてあった文字。殴り書きの文字の羅列はこうだった。
【あなたのことがもっと知りたい。あ、これラブレターです。000-0000-0000】
うそっ!と叫んだのは、「あなたのことがもっと知りたい」の部位だ。なにせあたしも同じことを思っていたのだし、その日でお店に行くことはやめようと誓ったところだったのだから。
「なぜ、あたしはもう店に来ないってわかったのかしら?」
「ようこさん、食べ物を頼んでも絶対に残すじゃないですか? 何万もするコースを頼んで食べないとかそれゃー、料理を作っているものとして気になるのが普通ですよ。味が濃かったのかなぁとか薄かったのかなぁとかね」
確かに料理はほとんどが手つかずだった。ワインで胸を詰まらせ、おなかに物を詰め込むことが困難だったのだ。
「俺、バイトじゃなくて、社員ですから!」
たーくんはバイトではなく、立派な社員だったのだ。あなたの味覚が知りたいと、書いてあってとしても、あたしとたーくんは男と女のアイダガラになる運命だったのかもしれない。
実際、お互いにひどく小食でよく食べ物を残すから。
たーくんは、隣で、うーん、あー、ラブレターかぁ、などと言いよどんで頭を抱えている。う〜ん。
「任せるわ」
「え?」
ベッドからおりて、飲みかけのひどく生温かくなったストロングゼロを手に取って喉に流し込む。口がカラカラだったので、胃に炭酸の抜けたアルコールが流れていきしみわたった。
「俺ものむ」
たーくんがすくっと立ち上がる。
サラダチキンの汁を踏んだらしく、隣で騒いでいる。 あと、1時間で少しだけ歳をとったシンデレラはかぼちゃの馬車じゃなく夫が買った真っ赤なアウディでうちに帰る。魔法はあっというまにとけ現実に戻ってしまう。
Barren love 不毛な恋たち 【全12回】 | 公開日 |
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(その1)あめのなかのたにん | 2020年4月29日 |
(その2)とししたのおとこ | 2020年5月29日 |
(その3)おかだくん | 2020年6月19日 |
(その4)つよいおんな | 2020年7月31日 |
(その5)舌下錠 | 2020年8月31日 |
(その6)サーモン | 2020年9月30日 |
(その7)シャンプー | 2020年10月30日 |
(その8)春の雨 | 2020年11月30日 |
(その10)ワニのマフラー | 2021年1月29日 |
(その11)ヘルスとこい | 2021年2月26日 |
(その12)オトコなんてみんなばか | 2021年3月31日 |