空の国

No,014

波田野 裕基

著者No,014 波田野裕基

作品紹介

著者No,014 波田野裕基

空の国

波田野 裕基

母の遺骨とともにチベットの大秘境カイラス山へ!
「死」と向き合い「生」を謳歌する
人生の意味を問う巡礼の旅
母の遺骨を弔いに、夫と妻は標高6656mの霊峰「カイラス山」へ! 母が生前繰り返した「死んだら自然に還りたい」という言葉を叶えるため チベットの聖地である秘境「カイラス山」を目指す息子。 妻とともに、負傷・洪水・高山病と困難に苛まれながらも 様々な出会いを胸に刻みながら二人は支え合い、歩き続ける。 膨大な写真に彩られた、壮大な旅の記録。

プロフィール

著者No,014 波田野裕基

波田野 裕基

母親の死を契機に、生涯で1度は訪れる事を決めていたヒマラヤの聖地「カイラス山」に散骨に行く。 時代を超えて継承される本物の聖地巡礼を通じて、時代が変わっても変わる事のない人の生き方を問う。 現在、ネットショップMARGA RINA(マルガリーナ)にてアクセサリー(お守り)を販売中)

座右の銘

生々流転

諸行無常といえば、説明不要だと思います。 あらゆる物事は常に移り変わっていくという事実をひしひしと感じます。 ただそれは状態を説明した言葉であり、どこか受け身な感じがします。 生きている以上、未来に行くように「生きたい」。私はこの「行く」という感覚がとても好きです。 諸行無常にこの「行く」という感覚を合わせたこの「生々流転」を座右の銘にしています。

インタビュー

『空の国』が刊行されて、いまのお気持ちはいかがですか。

波田野:
1年4か月という制作期間を経て、「やれることはすべてやりきった」と感じています。ぼくは「生々流転」を座右の銘としています。これは、本書のテーマの一つでもあり、二十歳くらいから、自分の中に根づいてきた考えです。あらゆる物事は「生々流転」であり、「諸行無常」である。それは変わらない真理です。
けれど、これはなんだか受動的な印象を受ける言葉だと思いませんか? ぼくは、「いま」を生きる以上、水のように「いきたい」と常づね考えていました。水は変幻自在に姿を変えながら、狭い場所では狭く、広い場所では広くスペースをとりながら、止まることなく、どんどん海へと流れていきます。ぼくは、この「いく」という概念がとても好きです。未来に向かって、流れるように、「行きたい」し、「生きたい」。
こうした信念からか、カイラス山を目指すことにも、躊躇はしませんでした。「やらなければならない」という強い思いがあった。それは、「覚悟」といってもいいかもしれません。

リナ:
「義母の散骨をするために、カイラス山に行く」と、主人から初めて聞いたとき、止めようとは思いませんでした。このひとは、きっとカイラスに行くだろうことを、知っていたから。言ったことは、必ず実行するひとです。私がどんなに反対しても、自分の意思で決めたことは、最後まで貫き通すひとだと、わかっていたから。

奥さまも波田野さまとともにカイラス山に行くことを決意された、その経緯をお聞かせください。

リナ:
カイラスという場所は、簡単に行けるところではありません。主人が未知の世界を目指すにあたって、たくさん情報を調べたりしました。あくまで「サポートする側」だったのですが、結局は、一緒に行くことに決めたのです。主人のことが、すごく心配でした。散骨のために行って、それで死んだら元も子もない。とにかく、生きて帰ってきてほしかった。一人で行くよりは、二人で目指したほうが、なんとかなると考えたんです。

波田野:
一人で行くつもりでした。それが妻にある日、「帰ってこなかったら、ごめんね」と口を滑らせてしまったんです。実際、そのくらいの覚悟でした。それでも行こうと心に決めていたのですが。
男には、「勝負のとき」があるんです。挑戦したところで、失敗に終わるかもしれないけど、「やらなきゃいけないとき」がある。チャレンジしなければ、その先には決して進めない。もちろん、家族も大切です。しかしぼくは、家族だからこそ、信頼しているからこそ、相手の意思を尊重しなければならないと思う。

リナ:
私は、「MARGA RINA」という天然石のアクセサリーショップを経営しています。会社員だったころ、友人のためにビーズのアクセサリーをつくったことがきっかけで、アクセサリーづくりに目覚めました。それから天然石の魅力に気づき、脱サラして、天然石を扱うアクセサリーショップをネットでオープンしたのです。振りかえれば、ツテもビジョンもない、勢いありきの行動でしたが、そのときも、主人はなにも言いませんでしたね。「会社を辞める」と伝えたときのほうが、驚いていたかもしれない。それでも主人は、絶対に私を止めませんでした。

波田野:
自分以外の他人の人生に口を出さないこと。それは、ぼくの信念です。絶対に邪魔はしませんが、自分の蒔いた種は、自分で刈り取ること。それは、相手への信頼がなければできないことです。相手の「自由」を尊重し、その「自由」を相手に与えることが大切だと考えています。

おふたりの二人三脚で、「空の国」への道が拓き、お母さまの散骨が実現したのですね。

波田野:
母と言えば、不思議なエピソードがあるんですよ。母との最後の会話で、ターコイズを渡したんです。ターコイズは、アメリカ・インディアンの装飾品として有名ですね。インディアンたちはこの石を呪いや呪術に使いますが、旅のおまもりであり、「勇気の石」と言われています。
ぼくは、「死」という未知の領域に向かっていたであろう母に、勇気を持って臨んでほしかった。「死の恐怖に飲み込まれることなく、新たな領域に、胸を張って進んでいけますように」という願いを込めて。そして、「離れてしまっても、同じ空の下にいます」というメッセージも込めました。ターコイズは、「空の石」とも呼ばれているんですよ。最後に直接手渡しすることができて、後悔はありません。
母の死後、病院で遺品の整理をしたのですが、このターコイズがどうしても見つかりませんでした。病院に持ち込んだものは、ごくわずかだったのに。母が死後の世界に旅だつときに、一緒に持っていったんじゃないかな?

ターコイズの石は、お母さまの「旅出」のおまもりとなったのでしょうか。

波田野:
妻は、天然石それぞれの「良さ」や「個性」を掴みとり、それぞれの石の「組み合わせ」を考え、アクセサリーという形にする仕事をしています。それに対してぼくは、昔から、天然石の美しさそのものに惹かれていました。「美しさ」というよりも、石の「普遍性」というか、「永遠性」に惹かれていたと言っていいかもしれません。
たとえば、日本では、古くから水晶が崇められていますね。先のターコイズにせよ水晶にせよ、天然石は、何千年、何万年という長い時間をかけて、ゆっくりゆっくりできあがるものです。そう簡単には壊れない。きっと天然石って、世界で一番長もちするものなんじゃないかな。そしてそれは「おまもり」となり、親から子、子から孫へと、代々継承していく。

ぼくは、石を形成した大自然の営みと、それを受け継いでゆく人間の営みの両方に、「永遠」を強く感じるんです。石は、「一族のおまもり」として、「一家の家宝」として、次の世代に継承してゆける。
妻の経営を間近で見ていて感じるのですが、最近は、「宝飾」といえば、「高価」「きらびやか」「手が届かない」といったイメージが先行している。しかし、「身を飾る」ということの原点は、「おまもり」なんです。それを忘れてはいけません。どんな天然石でも、その価値は単純に「綺麗だから」、「希少価値があるから」というだけで測れるものではない。それは、「受け継がれる」ところに価値があるんです。そうして、人間の長い歴史のなかで、さまざまな石がずっと崇めれてきたのは、受け継がれる側の「思い」と、受け継ぐ側の「思い」が詰まっていて、過去から現在、未来へと、人と人とをつないでくれるものだからだと思う。
実は、本書の執筆を決意したのは、この「継承」という願いがあってのことなんです。母は戦中・戦後の壮絶な時代を生きました。その母が死んで、一つの世代がなくなったことを感じました。そして、このように日々「世代交代」が為されていくことに、すこしだけ危機感を覚えたんです。

波田野さまの信念である「諸行無常」「生々流転」と、近いものがありますね。

波田野:
新しい時代に向かうのは、とても良いことです。しかしその一方で、何百年、何千年と続いてきたものが、だんだんと消えてゆくことを感じています。古きものが去り、新しいものが残るというのは、もしかすると自然なことなのかもしれない。けれど、「古きもの」が「良くないもの」というわけではないでしょう。一見古く感じるものでも、捨て去るのは簡単ですが、形骸化して意味を失った「古きもの」に、新しい命を吹き込むことで、より良い未来が拓けるかもしれない。
ぼくは、今年で46歳になりました。寿命の半分を過ぎたわけですが、「いまを生きる世代」であり、連綿と続いてきた世代交代の末の「次世代」でもある。「古きもの」に新しい「命」を吹き込むことこそ、「次世代」である自分の使命なのではないか。いよいよ自分が、世界に対してなにかを提案しなくてはならないのではないか。そう考えた末の一つの答えが、「出版」だったんです。

「いまを担う世代」として「次世代」に送る、 新たな物語を 、ということですか?

波田野:
「物語」は、道に迷ったときや悩んだときなど、生きていくうえでのヒントとなるものです。古代から人間は、その集団ごとの「長」にあたる人が、「たとえ話」や「教訓」として、物語を話して聞かせる習慣がありました。「物語」には、代々受け継がれてきた「智慧」や「願い」、「思想」が込められています。
最近では、その「物語」が、テレビドラマやゲームのストーリーに取って代わられているようにも思えます。もちろん、テレビドラマやゲームは一つの立派な文化かもしれませんが、代々伝わってきた「智慧」が込められた物語に叶うはずがない。長く継承される物語を、もっと大切にしてほしい。ぼくは、執筆活動に入るまでは、どこにでもいるようなただのサラリーマンでした。毎日売り上げを気にしていて、休みはあまりなくて、特別に大儲けしているわけでもなかった。けれど、自分も次世代に継承すべき「物語」を紡ぎたかったのです。
時代が進み、日進月歩の速さでテクノロジーが進化するなかで、物語を読む時間がない、テレビを見るひまがない、ゲームをする余裕もない……といった人が増えています。あらゆる人が「時間不足」で、なにかに追われる生活を送っています。過去の神話の力が、無効化される時代になった。
そのような状況のなかで、自分が遺す「物語」として、カイラス山についてのノンフィクションを書くことを決めました。

執筆・制作にあたっての「こだわり」をお聞かせください。

波田野:
「いま」という時に合うように、極限までシンプルにすることを心がけました。さらっと読んでもらうために、原稿量が少なくなるようにしました。そして、チベットの町並みやカイラス山の情景が、美しい写真のみで読者の脳裏に想起されるような構成にしました。
人は、普遍的なものをつまらなく感じるものです。いつもそこにあるものや、当たり前のこと。けれど、この本は、「いろいろな気づき」をもたらす「普遍性」に、読者に触れてもらうことを目指しました。読者のみなさんが、時間に追われる生活を送っていたとしても、この本を読むことで、すこしでも落ちついた時間を過ごしてほしい。そして、書籍に秘められた「なにか」に気づいて、カイラス山の美しいイメージを膨らませていただければ、著者として幸せです。そして、幸運なことにエベレストやカイラス山に行く機会や条件があるのなら、ぜひとも行動を起こしてほしいなと、切に思います。人間みんな、やらなきゃいけないときは、やらなきゃならないんですからね。

座右の一冊

グッドラック 戦闘妖精・雪風(ハヤカワ文庫)

著:神林長平

生きていく上で本当に大切なのは「それ」の方であり、「 」と共にある事がとても大切な気がする

ここが魅力

SF小説。1984年に第15回星雲賞受賞。その後16回、31回の星雲賞も受賞。 OVA(オリジナルビデオアニメーション)にもなった。 一見異星人と戦闘機で戦うSF軍事もののようでいて、実は言葉でも映像でも表現不能な未知のものに対して自分の全存在をかけてまわりの人・コンピュータ機械(戦闘機)と共にいかに対峙していくかという、ストーリーにも映像にも表現しづらい内容。 OVAでは、あまりの表現の難しさに、1度は1年もかけて制作して完成したのに、内容が伴っていないという事で、すべて初めから作り直したというもの。結果、アニメの結末は原作とまったく違うものになった。 全ての物事は結局シンプルなものだったという事がよくありますが、それでも言葉や形になった段階で「それ」はそのものではなくなるという事がよく表現されていた。 自分たちの周りの世界も一見シンプルに、当たり前のようにそうなっているけれど、そうなっている神秘みたいなものが常に存在していて、生きていく上で本当に大切なのは「それ」の方であり、「 」と共にある事がとても大切な気がする。

ヒストリー

HISTORY 01 体を鍛えるためにつれて行かれた 湘南の江の島

4歳

体を鍛えるためにつれて行かれた湘南の江の島

4歳の頃私は体が弱く、毎週末に湘南の江の島に体を鍛えるために連れていかれた。海に着くと、いつも放っておかれて勝手に一人で遊んでいた。 ある時、この海を先に進むと一体なにがあるんだろうと冒険心が湧き、一人でどんどん沖に行ってしまった。当然、途中で急に深くなり溺れてしまった。 アップアップしながら海水も少し飲みながら左目は海中に、右目は海面の上の景色だった。 深くなって足が届かなくなった瞬間、驚いて思わず、その時持っていた新幹線のおもちゃを海底に落としてしまった。 とてもお気に入りのおもちゃだったので必死に手を伸ばすも、深いため海底に手が届かず波がよせるたびに、より沖に持っていかれる新幹線のおもちゃ。 ふと右目に遠くから必死に駆け寄ってくる母親の姿がー。 水しぶきが母親の身長より高くあがっている。 何をそんなに必死になっているんだろうと遠くで思っていたのを覚えています。 写真のこのまさにこの場所で溺れ死にそうになりました。 もし、あと数分母親の気付くのが遅かったら・・・。私の故郷の海です。

HISTORY 02 初めての富士登山

初めての富士登山

12年ぐらい前、初めて日本の富士山の頂上に登った時の写真。 初めてにも関わらず、運よく晴れてご来光を見ることができた。 当時は会社が忙しく(月300時間働いていた)、連休すらなかなか取れなかった時に、 たまたま取れた連休に滑り込むようにして、なんの準備もせずいきなり登った。 ここが日本で一番高い所の風景かーと感動したが、あまりの寒さに耐えきれず1時間ぐらいしか居られず下山した。 この時の経験が活きて、今回の旅ではありえないぐらいの贅沢な装備で行くことができた。これがなかったら、カイラス山の最大難所のドルマラで、妻が1時間も頂上で待っている事はできなかっただろう。 チベットに比べて、日本の山々は雲海が広がって別の意味で壮大。チベットは万年雲海の中にいるようなもの。ラサと富士山が同じぐらいの標高。

HISTORY 03 オートバイに乗り続けて20年

20歳頃~

オートバイに乗り続けて20年

20歳頃からずっとオートバイに乗り続けています。20年ぐらい経ちました。 一番上の写真は20代の頃の写真。写真に写っているバイクにまたがっている女の子ふたりは、当時、まだ免許取り立てでいきなり、このツーリングに行きました。 当時は、「キリン」という漫画に影響されていました。 現代は何かとすぐ新しいことや物に置き換わっていきます。しかも、ものすごいスピードで……。 そんな中だからこそ、何か1つだけでも変わらずやり続けるというのは大切なことのように感じています。

人生を変えた出会い

ミルトン・エリクソン

今、心理学というとアメリカが最先端です。心理学が「心理学」というひとつの独立した分野として成立した根っこには催眠療法があります。有名なユング、フロイトは誰でも名前ぐらいは知っていると思います。その催眠療法を現代になって現代に適した形で劇的に進化させたとされる人に“ミルトン・エリクソン”という人がいます。この人は17歳(1919年)のとき、ポリオに見舞われて、完全な麻痺をきたし、話すことと目を動かすこと以外はできなくなりました。誰もが助かる見込みがないと思っている中で意志の力で、完全麻痺から数センチ動けるようにし、歩けるようにし、最後には普通に生活できるようになりました。人生で何度もポリオの発作に見舞われながらも、その度に奇跡的な回復をして、1980年78歳で亡くなりました。結婚もしお子さんもいるという普通の人生です。
一般的にいえば、単なる身体障害者ということになるのでしょうが、著書を読んでも活動をみても、それを微塵も感じさせません。そして、語る内容はどれも考えさせられるものです。とくに、この方は身体障害者という側面を語られることはあまりないのに、そのテクニックやそのやり方、語るテーマのすごさを語られることが多いのですが、私は、実はこの人としての部分こそが本当にすごいと思います。
一般的にテレビのドラマ、小説やマンガ(アニメーション)では主人公がピンチに陥って、そこから奇跡的に乗り越えるというのは、よくある話です。しかしこの現実に実在した人は実際に現実のピンチを何度も乗り越えたからこそ、その語る言葉は実際に役に立つ。この先自分がいかに偉業を達成しようと(達成もしてないし、見込みもない?ですが)傲慢になることはできないと思います。
あの人は天才で別格だからと、割り切るという方法もあるのかもしれませんが、そんな大変な思いをしながらも最後まで普通の人と変わらず生き切った人がいたと思うと、簡単に割り切るというのはその人の生(せい)に対して、とても失礼な気がして自分にはできません。また逆に、どんなピンチに陥ったとしても、最後まであきらめてはダメだと教えられている気がします。

未来へのメッセージ

カイラス山に行く前から、カイラス山のことを本に書くことは決めていました。
カイラス山は、もし行くことができれば輪廻転生を終わらせることができると信じられて、チベットやネパールでは一生のうちで命をかけてでも行くべきだと信じている人が多いと聞いていました。また、仏教修行でも個人としては密教がもっとも効力があるとされ、その中でもチベット密教が世界中でもっとも釈迦の生きていた原始仏教の体系を純粋に継承していると主張する人が多いです。
仏教ではすべての人には仏性が宿っているという考えがとても重んじられています。日本では全ての人やものには霊が宿っているという考え方が古くからありました。はじめて五体投地を見た時は衝撃を受けました。チベットでは頭を下げるどころか、まるで土下座のような五体投地を普通にやります。
ある社員食堂での会話で、先輩社員がご飯を食べる時、手を合わせて「いただきます」と言っている姿に対して、ある若い後輩社員が「お金はもう払っているのにいただきますって変じゃないですか。」と笑い者にしたそうです。それに対してその年をとった先輩社員は「君が食おうとしているのは金だ。俺が食おうとしているのは命だ。この意味は分かるか?」と言ったそうです。
お金はないと生きていけません。企業は利益がないと潰れます。お金を稼ごうとすることは悪いこととは思いません。しかし、お金はそれ自体はただの紙屑にすぎません。醒めた目で今の世界を見ている人には、この世界はまるでお金を基準にした宗教に見えるかもしれません。
テクノロジーがすすみ、世界は同じ環境、同じルール、同じセンスに統一されつつあります。今や、チベットの僧ですら携帯電話を持っています。莫大な数の人の力が合わされないと、すごい力は発揮することはできません。そういう意味では同じルールは大切だし、「しくみ」は偉大なものだと思います。しかし、最近はその「しくみ」を偏重しすぎている気がします。そのしくみの奥には多くの「命」がある事を見失うと、「祈り」は「呪い」に変わってしまうと思います。
普段は生きていくために、お金や「しくみ」に埋もれている人には、一定期間ごとに「みそぎ」やお祓いが必要だと思います。