花とおじさん 【全3回】 | 公開日 |
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(その1)花とおじさん | 2020年2月28日 |
(その2)花とおじさん | 2020年3月29日 |
(その3)花とおじさん | 2020年5月1日 |
華奈はその場に倒れ込んだ。
苦しくて心臓が止まってしまいそうだ。なんとか携帯電話で119番した後は覚えていない。
華奈は、子供の頃から心臓が弱く、体育はほとんど見学していた。不整脈が激しいのだが、医者から心因性だと診断されていたので手術で直るものではなかった。しかし、地元地方都市で小さな印刷会社を経営する両親の愛に囲まれて、一人娘の華奈は次第に健康を取り戻していった。特に、バブル期に、この会社は不動産会社のチラシ・パンフ・DM等の印刷物の発注で絶頂期を迎えた。普段、忙しくて両親からあまりかまってもらえなかったが、たまにある休日や、誕生日・クリスマス等のイベントには、この両親は華奈に至上の愛を注いだ。その上、病弱なためか透きとおるような肌で美しい少女の華奈は、学校でも人気者だった。この裕福な家庭と将来を約束されたかのような美貌という2つの要素が華奈の心因性の種である不安というものをかき消した。すっかり心臓病は消え失せたかのように思われていた。
華奈は現在、成長して21才の大人の女性になっている。あこがれの東京で就職し、一人暮らしをしている。そこまでは良かったが、この突然の心臓発作の原因が少し前から始まっていた。
すでにバブルは崩壊し、地元の印刷会社は危機に瀕した。絶頂期のクライアントは、ある者は倒産しあるものは広告出稿をひかえた。営業マンによる投げ込みや電話営業に切り替えていた。そして最後の望みであったメガネのチェーン店が倒産した。今まであまり営業を行なわず、広告代理店任せだったのだ。このメガネチェーンだけで年間3億数千万もの売上げを維持してきたのだ。事実上倒産が決まり、債権者会議での代理店は優先順位が低く、この代理店も連鎖倒産した。工場という財産をたてに、両親は金策に奔走した。しかし、銀行の貸渋りにより、結局商工ローンに手を出した。そして、商工ローンの強引な融資と取立てが始まった。人件費が先だという信念で従業員の給料を払うため両親は、車で移動中、心労で居眠り運転による非運な事故死となった。華奈の幸せは音をたててくずれ去った。
華奈は病院で目をさました。今まで影をひそめていた心因性の不整脈が再発したのだった。すでに、実家で葬式をすませていた。借金が一人娘である華奈に集中した。弁護士を立てて、工場・機械・土地等の財産を売ってもまだ見通しが立たない実状だった。とにかく、今の一人暮らしのアパートは撤収して荷作りも終え、体一つで実家へ帰る最中のでき事だった。
医者からの診断の結果、
「これは心因性によるもので手術して完治するものではない。今度、発作が起こったら命の保証はできない」
と言われた。
たった2人の肉親を一度に失って一人ぼっちになった華奈。そしてこの予期せぬ入院のため金もなくなってきた。この一連の不幸から人間不信に陥ったので友達も彼氏も失っていた。実家に帰る気力も薄れ、とぼとぼと街を歩いた。一人だとますます落ち込んでしまう。どこか飲みに行こう。華奈は駅前を目指した。今まで素通りしていた通りの一角でにぎやかな笑い声が聞こえてきた。ここにしよう。なんだか楽しそう。元気になれるかも。そう思って〝焼鳥中ちゃん〟という店ののれんをくぐった。焼鳥屋にしては小ぎれいなこの店はママと良美ちゃんという若い娘がきりもりしていた。そして常連客でにぎやかだ。その楽しい雰囲気に久々に楽しく酔えた。
美人で若くて明るい華奈はたちまち常連客に囲まれ注目の的になった。特に、飲むちゃんという鳶のおやじから、
「好きになってもいい?」
などとダミ声をはり上げられ、高っちゃんというおやじからもじろじろなめるように見つめられた。今までなら、こういうおやじ達に囲まれるのは毛ぎらいしていた。特に汚い作業服の高っちゃんは嫌なはずだったが、なぜだか楽しかった。
常連たちはこの店の忘年会の話で盛り上がっていた。高っちゃんというおじさんからしきりに忘年会に誘われた。華奈は実家に帰るため断わったが、酔っていくうち、このおじさんになぜか惹かれていった。そして気付いた。このおじさんは、私と同じにおいがする。楽しそうに話しているけど何か無理しているみたい。私にはわかる。楽しく話せば話すほど悲しく思えてくる。そう思った。
高っちゃんというおじさんは高津という名前である。43才の独身男で女性とは無縁の人生だったが、隣に松下由樹似のかわい娘ちゃんと話している。内心かなりうれしかった。こんなかわいい娘と仲良くなれたらいいなと思いながら、さらに2人は盛り上がった。高津はさえない中年男だ。隣にいる華奈とは違い、子供の頃から何をやってもダメで、今だに仕事もうまくいかず転職をくり返している。負けぐせの典型だ。その上、仕事がうまくいかない現実から逃避するため競馬にのめりこみ、サラ金の支払いに追われている。そして、最近、勤め始めた土建屋でも、フィニッシャーとダンプの間にはさまれ、ろっ骨を骨折して入院した。復帰はしたもののろくに仕事もできず、毎日、現場でどやされている。唯一この店が自分を明るく発散できる場なのだ。友達もいないのでいつも一人で来て、ママをくどいて歌を2・3曲唄ってひとしきり酔っ払うと帰るのだ。近所のアパートに一人暮らしをしている。
華奈はこのこきたないさえないおじさんに執着した。そして、電話番号を交換した。この悲しいおじさんを暖めてあげよう、そう思った。
高津はこの夢のようなひとときから去りたくなかった。しかし、明日の仕事を考えると帰らないといけないので、
「中ちゃん、おあいそ」
と言って店を出た。
「ああ寒い。それにしても松下由樹かわいかったな。もったいなかったな。まあ、電話かかってくるはずないよな」
と独り言を言いながら帰った。6畳一間のアパートに入って、いつものように座いすにこしかけ一服した。早く寝なければと考えていると、めったにかかってこない電話が鳴った。高津はもしやとは思ったが、こんな時間にもサラ金の取立てかだろうか、ああ嫌だなあと受話器を取ると、
「華奈でーす。今、花月園駅前のファミリーマートの所だけど、おじさんの家どこだかわからないから向かえに来て」
そう言われた。あの店で高津はずっとおじさんと呼ばれていた。願ってもない展開だ。高津は、明日の仕事のことも忘れ、小踊りしながら大急ぎで坂を下った。
華奈は店の時と同じく明るい口調で、
「つけて行ったんだけど見失っちゃった。今晩泊めてね」
高津はもう何が何だかわからない。もう夢見心地だった。部屋の中で華奈は話し始めた。
「私、悲しい人ってわかるの。浮浪雲っていう漫画知ってる?」
高津はよくは知らないが、青年誌でジョージ秋山が連載していて、昔、渡哲也が主演してドラマ化されたことがある位は知っていた。話を合わせたかったので、
「ああ、知ってる」
と話を進めた。華奈は、
「あの漫画『浮浪雲』みたく私、雨宿りしかさせてあげられないけど、おじさんを暖めてあげたい」
高津は実は内容を知らないので、雨宿りの意味がわからなかった。そのうち、華奈は、少しだけ自分の身の上話をした。高津は親身になって話し相手になった。
「そういえば、何て名前だっけ。ああ、花ちゃんだ。そして、俺がおじさん。〝花とおじさん〟だ。アハハ」
結局〝華奈〟じゃなく〝花〟ちゃんという事になった。カナとハナで似ているから、まあ、いいかと華奈は思った。楽しい夜はさらに更けていった。
朝になった。高津は誰かに呼び起こされたような気がして目がさめた。まだ寝ぼけていたがハッと気が付いた。あっ、花ちゃんだ。華奈が朝食を作っていた。
「何もないのねー。ファミリーマートで材料買ってきたの。どうぞ」
43年生きてきて、こんな経験は初めての高津は幸せの図に浸った。そして、夢のような日々が始まった。仕事で怒鳴られ落ち込んで帰宅した。さすがに、もう花ちゃんはいないだろうな。しかし、自分の部屋にはあかりがついていた。
戸を開けるとそこにはエプロン姿の華奈がいた。またまた高津は感激した。夕食の支度がしてあった。楽しい食卓が始まった。高津は華奈のつらい身の上を案じ、相談役になるつもりでいい人を演じ続けた。そして、華奈は、おじさんが心から笑っていると、明るくふるまった。やさしさと思いやりにあふれた一夜だった。
翌日、高津が仕事に出かけた後、華奈はちらかっている部屋を掃除した。
♫おじさんあなたは、やさしい人ね。私をお部屋に連れてって♪
自然に〝花とおじさん〟の歌を口ずさんでいた。
♫私は、あなたの、お部屋の中で、一生懸命咲いて、なぐさめてあげるわ♪歌いながら、部屋はとてもきれいにかたづいた。
そして今夜も仕事を終えて高津が帰って来て、楽しい食卓が始まった。華奈は、
「ねえ、おじさん。明日、日曜日だからどこかえ連れてって。おじさんのバイクに乗っけてね」
と甘えてみせた。
「戦国時代の城跡、いっしょに行きたい。おじさんの歴史の話もっと聞きたいの」
高津は歴史が大好きだった。華奈は興味ないのだがおじさんが喜ぶ顔を見たいので話は盛り上がり、津久井城に登る事になった。華奈は、自分の心臓の事を考えると超危険だ。しかし、おじさんを喜ばす事に命を掛ける決心だ。
日曜日、2人はツーリングで古城を巡った。得意になって説明する高津が、華奈には嬉しかった。2人で、
♫おじさんあなたは、やさしい人ね♪
と歌いながら楽しいツーリングは続いた。高津にとって、人生最良の日だ。今だと後部席の華奈の手を自分の胸に回した。華奈はためらいもなく胸を寄せてきた。なのに、高津は我に返った。さっと腕を離した。何か、いたずら小僧のような気になってしまったのだ。しかし、心の中では、華奈ちゃん好きだよーと叫び続けていた。
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