なぜ冬にマラソン大会があるのか、わからない。寒いのにシャツと短パンとはどういうことだ。風邪をひいたらどうするのだ。言っておくけど、俺は運動音痴で、さらに体が弱いんだぞ。この寒さの中、走りきる自信など微塵もない。
ここは田舎の学校で、周りは畑と雑木林なので、マラソンコースは、学校の外を走ることになっている。しかし、外のコースは、雑木林が太陽の暖かさを、木々でしっかりと隠して、冷たい空気だけが道路を吹き抜けているのだ。風よけとなる民家もなければ、温かい排気ガスを出す車なども、ほとんど走っていない。
教育委員会から決められた「カリキュラム」なるものが学校側に示されて、学校はこの「カリキュラム」にそって忠実に授業を進めているのだろう。
それにしても、一月下旬の真冬にマラソン大会を行うのがわからない。十月とか十一月とかの秋に行えば良いと思うのだが。秋ならば、青空が抜けるように高く、空気はおいしく、外を走っていても気持ちが良い。マラソンコースの折り返し点などに立っている先生方だって、真冬より秋の方が良いはずだ。
一月下旬に行われるマラソン大会は、全学年の生徒が男女別に走り、女子は一二キロで、男子は二○キロを走る。全校生徒数が七二○名なので、男女が約半数だとしたら、それぞれ三六○名が一度にスタートすることになる。
スタート地点は、四〇〇メートルトラックの中にあるサッカーグラウンドの真ん中に、一列目が二○名程度並べるように正門に向かって水平にラインを引いて、合図とともに一斉にスタートする。
女子のコースは、スタート地点から正門を出て、学校の東側にそっている舗装道路を北に向かって走り、少し行くと畑と雑木林の間に東に向かう砂利道があるので、そこを右に曲がって砂利道に入る。しばらく走ると、南北に走る少し大きな砂利道に出る。この砂利道をまた右に曲がって、さらにその先をまた右に曲がると、学校の東側の舗装道路に戻ってくるので、舗装道路を北に向かって走り、正門に戻ってくるというコースだ。
男子のコースは、南北に走る砂利道までは女子のコースと一緒で、途中から左に曲がり、畑の中の草が生えた土の道を八キロほど余分に走り、南北に走る砂利道に戻ってくるというコースになっている。マラソン大会当日は、女子が先にスタートして、二〇分後に男子がスタートすることになっている。
マラソンコースの曲がり角にあるチェックポイントには、それぞれ先生たちが待っていて、手の甲などにマジックで印をする。第一チェックポイントは、学校の東側の舗装道路から畑と雑木林の間の砂利道に曲がる所に設置されている。
第二チェックポイントは、南北に走る砂利道に曲がるところに設置し、第三チェックポイントは、砂利道の途中から左に曲がるところに設置して、第四チェックポイントは、南北に走る砂利道に戻ってきたところに設置することになっている。そして、それぞれのチェックポイントには、給水所が置かれる予定になっている。
もちろん、いきなりマラソン大会ではない。マラソンはいきなりでは走れない。二か月前の十一月下旬の体育の授業から、走る練習が始まる。
学校の外のコースを走るためには、生徒たちの安全を確保するために、たくさんの先生たちがコースの要所にいて、付近を走行している自動車や、走っている生徒たちを誘導しなくてはならないので、体育の授業では、四〇〇メートルトラックを走るのだが、同じところをぐるぐる回るのは疲れる。
クラスの中で、走るのが速いのは、サッカー部や野球部、バスケ部などの運動部に所属している筋肉マンたちなのだが、その中で、陸上部に所属して長田一郎は、あまり筋肉は感じられないのに、無駄のないスムーズな走りで速かった。
俺は運動音痴で、「もやし」いやいや細くてしなやかな身体つきなので、走りにも期待がもてない。ところが、長距離を走ってもあまり疲れないのだ。もちろん筋肉はないので、力強い走りは無理なのだが、陸上部の長田のような走り方ならば真似ができそうだった。
運動音痴で筋肉も、体力もないはずの俺が、なぜ、長距離を走っても疲れないのか不思議に思ったが、ゆっくり走っていると、背中に翼が有るようで、ふわふわと走れるのだ。誰にも見えないし、飛べないが、やはり翼は有るみたいだ。水泳の背泳ぎをしている時と同じような感覚だった。
長田の走り方を見てみると、上半身や腕はあまり動かさず、身体が上下に動くこともなくスムーズに足だけが前に出ている。それに比べて運動部の連中は、足の筋肉を使って跳ぶように走り、肩や腕も大きく振って力強く走っている。
細くてしなやかな身体つきの俺は、長田の走りを真似してみた。最初に走り出した時よりも、さらに走りやすくなった。それでも四〇〇メートルトラックを回っていると運動部の連中に次から次へと抜かれていった。やはり運動部の筋肉マンたちは速かった。速かったのだが、彼らの走りは長続きしなかった。
男子のマラソンコースは二○キロなので、体育の授業で使っている四〇〇メートルトラックならば五○周も回らなければならない。運動部の筋肉マンたちはスピードは速いのだが持久力がなかった。みんな一〇週ぐらいで疲れて、トラックからはずれた場所で、一旦、休憩をしている。草むらの上に座り込み、肩で息をしている。
それに引き替え、陸上部の長田は、同じ運動部でも走り方が違っていた。筋肉にやさしい走り方だ。俺には筋肉というものはほとんどないが、長田と同じように走れば、少しは遠くまで行けそうだった。
俺の走りは遅かったが、ふわふわとしながら走っていると疲れなかった。運動部の猛者たちが休憩している間に、横をすり抜けて前へ出た。すると猛者たちが追いかけてきて、あっという間に追い抜かされた。ところが、猛者たちは四週も回ると、また疲れたのか、ハアハア言いながら、トラックからはずれた場所で休憩しているので、俺は疲れない走り方で、ふわふわとしながら、その横をすり抜けて前に出るといった具合だ。まるでウサギとカメの競走のようだった。本番でどちらが勝つのか楽しみになってきた。
運動音痴の俺が、マラソン大会が楽しみとはどういうことなのか、頭でもどこかに打ったのか。そんな覚えはなかった。
田舎の高校の一月は寒かった。毎日、天気は良く、冬晴れで木枯らしが吹いていた。体育の授業が二時限目になったりすると、グラウンドに出るのが十時前なので、地面には霜柱が立っている。それも一本ではなくて、地中に三本も立っているのだ。グラウンドに出て運動靴で地面を踏みこむと、一番上の霜柱が「ザクッ」と音を立てて崩れる。霜柱の高さは二センチから三センチぐらいで、崩れるさまが面白く、みんなでグラウンドのあちこちに散らばり「ザク、ザク」と楽しんでから、体育の授業に臨んだ。
そして体育の授業が終わって、もう一度、霜柱を踏み込んだところを歩くと、また「ザクッ」といって二本目の霜柱が崩れる。不思議に思い、地面を足でこすってみると、一センチぐらいの霜柱が崩れている。
体育の授業が始まる前に、一本目の霜柱を崩したので、太陽の光が二本目の霜柱に当たり、凍っていた霜柱が融けて柔らかくなっていたので崩れたのだ。そこで、二本目の霜柱の下を掘ってみると、何とその下に、一センチぐらいの凍った三本目の霜柱があった。
三本も霜柱が立っているなんて「世界遺産」に登録したほうが良いのではないか、と思ったのは俺だけだったらしい。他の人たちは、ほとんど霜柱に興味を示さなかった。足元で「ザクッ」と音がしようが、そんなことはいっさい気にせず、足早に教室の暖かいストーブを目指していた。俺も寒さに気が付いて、急いで教室に向かった。
そんな寒い毎日を過ごしていると、とうとうマラソン大会の当日となってしまった。こんなに寒い真冬のマラソン大会を楽しみにした覚えはないのだが、その日がやって来てしまったのだ。
当日のスケジュールは、朝のホームルームが終わると、全校生徒がグラウンドに集合した。校長先生のあいさつの後、体育の先生の号令で一斉にマラソン大会の準備に取りかかることになっていた。
マラソンは、女子が先に朝十時にスタートして、その二十分後に男子がスタートする。二十分の時間差があれば、女子と男子が入り混じることもないと予測したのだ。
十二時三十分にはお昼になるので、それまでにはマラソン大会を終了する予定だ。男子は二○キロの距離があるのだが、お昼までには二時間十分あるので、足が遅い生徒でもゴールできると予測したのだ。マラソンが終了したら、一旦、昼休みとなり、午後はマラソン大会の結果発表と、片付けになる予定だ。
結果発表では、男女それぞれの上位二○名が順番に発表され、一旦、前に並んでから一位から一〇位までが先生たちの手作りの表彰状を、一人ひとり、校長先生から授与されることになっている。
そして、スケジュールどおりに、全校生徒がグラウンドに集合し、校長先生のあいさつが始まった。そういえば、校長先生の顔って久しぶりに見た気がするな。高校では、小学校や中学校と違い、毎朝、朝礼があるわけではないので、校長先生の顔を見るのは、何かのイベントの時とか、事件、事故などがあって、講堂に集められた時ぐらいなので、本当に久しぶりだった。顔を思い出すのに五分かかった。
せっかく校長先生の顔を思い出したのに、校長先生は壇上から降りてしまい、体育の先生が壇上に上がってきた。先生は、前もって決まっていた役割分担を確認するように、スタートラインを設置する生徒たちや、各チェックポイントに机や椅子、水などを運ぶ生徒たちに指示をしていく。
体育の先生に指示された生徒たちが、一斉に準備に取りかかった。まだ朝の九時なので吐く息も白い。先生は、マラソン大会がとどこおりなく終了するように、準備状況を順番に確認していく。まず、スタートラインの位置や長さを決め、スタートラインの両端に赤白のポールを立てて、スタートの合図を送る位置を決め、そこに椅子を一つ置いた。この椅子の上に乗って、スタートラインに並んだ生徒たちを一望しながら合図を行うことにしたのだ。
体育の先生は、スタートラインの準備が完了すると、自動車に乗り正門を出て、車で走りながらマラソンコースの道路の状況や、各チェックポイントの机の位置や、水やスポーツドリンクの数やコップの数など細かいところまで確認していく。
各チェックポイントには、通過したことを証明するために、走ってくる生徒たちの手にマジックで印を付ける先生たちが二名ほどいるのだが、その他にも制服の上にジャンパーなどで防寒した生徒たちが三、四人付いている。何か理由があってマラソン大会で走れない生徒たちのようだ。
「なんだこいつらは、うまくやりやがったな。俺もなんか理由をつけてこいつらに混ざればよかった」と思ったが、いまさら遅かった。俺は走るしかなかった。
体育の先生たちがあらかじめ用意した自動車で、朝九時からマラソンコースを確認し始めた。男子のマラソンコースの二○キロをすべて確認し終わって、スタート地点に戻ってきたのは、九時五十分だった。
女子は予定通り朝十時にスタートした。女子のフルマラソン記録は二時間二十分ぐらいなので、一二キロならば、四十分ぐらいで走り抜けることになる。女子高生が途中休憩しながら、その三倍の時間がかかっても、二時間あればゴールに戻ってこられるはずなのだが、はたしてそううまくいくかはわからない。
女子たちが走っている一番後ろには、ワゴン車が一台ついて、気分が悪くなって走れなくなった生徒たちを車に乗せて、介抱しながらゴールに向かう予定だったらしいのだが、走れなくなった生徒があまりにも多く、コースを逆走して学校に戻ったり、男子用に用意していたワゴン車と入れ替えたり二往復もしていた。結局、気分が悪くなって走れなくなってしまう生徒たちは、ほとんど前半のうちに集中するので、ワゴン車も最初だけ忙しかったが、途中から落ち着いた。
男子のスタート時間は、女子がスタートしてから二十分後の十時二十分の予定だったが、このコースを逆走しているワゴン車と重なってしまったため、十分遅れて十時三十分になった。
スタートラインの最前列には、運動部の三年生たちが陣取って、早くスタートの合図を鳴らせと、先生たちにアピールしていた。一年生の俺は、三〇〇人以上いる生徒たちの一番うしろの方に並んで、スタートの合図を待った。
スタートの合図が鳴ると、最前列の三年生たちが一斉に約二○○メートル先にある正門を目指して、猛ダッシュで走り出した。すごいスピードだった。
「さすがは、運動部の最上級生だな。すごいスピードだ」と思いながら、後ろの方から他の一年生たちとスタートした。陸上部の長田が、俺のすぐ前を走っているのが見えたので、走るスピードを上げて長田に追いつき「一緒に行くよ」と声をかけて並走していくことにした。
もちろん陸上部の長田の方が、運動音痴の俺より走るスピードが速いので、ついて行くのがやっとという状態ではあったが、行けるところまでついて行こうと思ったのだ。長田の上下動の少ない走り方を横で真似しながらついて行った。
正門を通り過ぎて舗装道路を左に曲がると、ダッシュで走って行ったはずの三年生たちが、正門の先の路肩で息を弾ませながら休んでいた。これは伝統行事になっているようで、毎年、運動部の三年生たちは正門まで、猛ダッシュで走り抜ける約束になっているのだ。一年生の俺はすっかりだまされてしまった。
考えてみたら、三年生たちは、後二か月で卒業なので、マラソンどころではなかった。大学に進学する生徒たちは、受験勉強の最終段階に差し掛かっているし、就職をする生徒たちは、面接試験の準備に余念がない時期だった。
長田と一緒に舗装道路を北に向かって走っていると、運動部に属していない三年生や二年生たちがゆっくりと走っていたので、結構な人数を抜いて、最初に右に曲がるところの第一チェックポイントまで来ることができた。
チェックポイントで印をつけてもらい、右に曲がって砂利道に入ると、もう前には、あまりマラソンの選手たちがいなくなった。砂利道の前を見渡すと、一列になって少しずつ間隔をあけながら走っているのが見えたので、長田は「よし、翔太いくぞ」と言ってペースを上げた。
「よし、いくぞ」と言われても、ここまでついてくるのがやっとだった俺には、そんな力など初めからなかった。
どんどんと長田の背中が離れていった。長田に離されていくと、途端にペースダウンしてしまったのだが、「自分は自分のペースで努力すれば良いのだ」と言い聞かせて、疲れないフォームの走り方で、休むこともなくゆっくりとしたペースで走り続けた。
途中、第三チェックポイントでは、さすがに疲れて、道路から外れて、一度止まってゆっくりと給水してから、深呼吸を二回して走り出そうとしたのだが、ほんの少しの休憩でまた走り出すのは無理だった。もう少し休憩タイムを取ることにして、屈伸運動などをして、深呼吸をまた二回してから、走り出した。
ゆっくりとしたペースで走っているのだが、走り続けることがすごかった。「継続は力なり」だった。結構、マラソンの選手たちを抜かしてきたような気がしたのだが、第四チェックポイントが見えてきた。
第四チェックポイントを曲がって、砂利道を学校の東にそって走る舗装道路の方向へと走って行くと、途中で学校が見えてきた。学校が見えた途端に何かやり残したような気がしてきた。どうやら、疲れないで走るフォームを習得したらしい。あまり疲れていない自分に気が付いたのだ。
ここから先は、ペースを上げて学校までの間に何人かの、マラソンの選手たちを抜かして行こうと決めて走りだした。一人、二人と選手たちを抜かして行ったのだが、二人目に抜かした選手は、野球部の二年生の先輩だった。先輩は、一年生の「もやし」みたいな奴に抜かれたので、一気に気合いスイッチが入ったらしい。
先輩に、猛ダッシュで追い抜かされたので、俺も意地になってダッシュしてみた。学校の横を走る舗装道路に入り「負けてたまるか」と気合いを入れてみたのだが、そこまでだった。しょせん、野球部の二年生にかなうはずもなく、一気に離されてしまった。
よれよれになりながら正門に着いた時には、先輩の姿はもうグラウンドにはなかった。ゴールしてしまったようだ。正門からゴールまで二○○メートルもあるのに、それ以上離されたらしい。「さすがは野球部の先輩だ」と思い知らされて、俺のマラソン大会が終わった。
その後マラソン大会は、何人もの脱落者を出し、ワゴン車がフル活動して終わりを迎えた。チェックポイントにあった机や椅子は、全員が通り過ぎたことを確認したらそのつど、片付けてきたらしく、お昼までには、すべて片付けが終わっていたので、昼食後は、表彰式だけとなった。
大食漢の俺が、昼の弁当を一気に食べることができず、水を飲みながら、休み休み食べたのは初めてだった。弁当の飯より水の方が多かったような気がする。
昼の休憩時間が終わり、一時三十分からきっちりと表彰式が行われた。
「昼からは、表彰式しかやらないのなら、三十分ぐらい余分に昼休みをとってもいいじゃないか。こっちは走りきって疲れているのだから少しはゆっくり休ませろ」と思ったが、そんな融通のきくような人たちではなかった。
表彰は、女子の上位二○名が順番に発表されて前に並び、一〇位から一位に向かって順番に台へ上がり校長先生から手作りの表彰状を受け取った。もちろん上位二○名はすべて運動部所属の生徒たちだ。
「こんなの順番に表彰しても、盛り上がらないだろう」と俺は予想したのだが、外れた。相当な盛り上がり方だった。
次は男子の表彰になり、二○位から順番に名前を呼ばれていったのだが、何と最後に並走していた野球部の先輩が一八位だった。長田は、七位入賞だった。一年生で七位入賞はすごいことだ。
野球部の先輩が一八位ならば、いったい俺は何位だったのか気になって、周りの人たちに聞きまわってみたが、誰も俺を相手にしている人はいなかったので、ゴールした姿を覚えている人さえいなかった。
とにかく、俺には走りきった満足感は残った。マラソン大会万歳。