3259市町村に対しいよいよ残りひとつとなった。会社時代の友人3人との広島・松山旅行の集合場所が広島市内だったので、その前に広島県の山奥の惣領町に行った。平成の合併で庄原市の一部になった旧町だ。実はこの総領町、過去に2度ほど、すぐ近くまで来たのに行き損なっていた。1度目は予定していた列車が運休、2度目は豪雨で断念した。だから今度は慎重に、余裕を持って庄原市に一泊してから行くことにした。途中で携帯電話を紛失するというお粗末なハプニングで予期せぬ時間を費やし、今回も危うくなりそうになったが、この前泊という余裕があったために三度目の正直でやっと行くことができた。
空港の統合化も必要では米子空港
既に行ったことのあるところだが、日吉津村役場の写真を撮るために米子空港から中国入りをした。日吉津村とは、米子市に隣接する平成の合併でも単独で残った人口3千人ほどの小さな村だが、10年前に来た時に夕暮れで不鮮明な写真しか撮れなかったからだ。
米子空港には、ターミナルビルから250メートルほどのところにJR西日本境線の米子空港駅があり、屋根で覆われた通路が続き、途中県道を横断する歩道橋の両端にはエレベータもある。だから飛行機と鉄道を有機的に結べば、鳥取市周辺や松江・出雲市周辺の利用者にとっても最寄りの空港を利用するよりも便利になるかも知れない。さらにこれだけ近いのだから、境線から分岐させてターミナルの前に、ちょうど広島港ターミナルビルに対する広電の駅のような位置まで駅を移動させ、ここから鳥取や松江方面への特急を走らせたらどうか。
米子空港は航空自衛隊美保基地の滑走路を利用しており大型機の発着も可能だ。鳥取空港や出雲空港の定期便をすべて米子に統合し、大型機を早朝から深夜まで、少なくとも1時間に1本程度運行し、それに接続する特急を走らせる。境線の部分複線化や信号所の増設,によるスピードアップをし、米子をスキップして鳥取方面に向かう短絡線を作る。鳥取方面と松江方面の特急は続行運行とするか、あるいは併結とし米子の手前、後藤駅で分割する。鳥取まで80分、出雲市までは65分くらいで行けるだろう。鳥取や出雲の空港を利用していた人も、アクセス時間は増えるかも知れないが、例えば東京便の場合、どちらも1日に5本程度しかないのが毎時利用できるようになり利便性が増すはずだ。
随分大胆な意見と思われそうだが、人口減が進む中、30年50年後に多くの中途半端な規模の空港を維持するための要員確保やコストを考えると決して荒唐無稽な案ではない。また地方過疎化を促すという意見に対しては、果たして1日に数便が来るだけの空港を無理に残すよりも、確実に1時間1本の交通手段が確保されている方が、実は有益なのではないだろうか。代替空港云々というようなコンティンジェンシープランを言う意見に対しては、それこそ鉄道がカバーすれば良いことだ。JR西日本にとっては儲かる話なのだから、先行投資をするべきだ。
路線延長というとすぐに立体化という話になるが、宮崎空港のように高架化する必要はなく地平の方が良い。飛行機から降りターミナルビルから出ると、目の前に特急電車が扉を開けて待っている。これこそ公共交通機関の理想的なシームレスの姿だと思う。県道との交差は、県道を下に下げれば良い。
米子から備後庄原へ
米子空港駅から山陽線宮島口までの切符をあらかじめ買っておいた。伯備線で備中神代、芸備線で庄原・三次・広島を経由するルートでジパングクラブの30%引き、3550円だった。しかし後述する理由で、実際は同額くらいの追加支払いをすることになってしまった。
米子駅前から日吉津村役場へ行くバスの中で携帯電話を紛失していることに気が付いた。羽田では見た覚えがあるものの、その後どこで落としたか見当がつかない。単独行ならばともかく、今回のように途中で友人と合流するようなときは無いわけには行かない。日吉津村役場の前に公衆電話ボックスがあり、誰も使ったこともないような埃だらけの電話帳をめくって空港や駅などに電話をしたが見つからない。とにかくドコモの店に行けば何とかなるかも知れないと思い電話でタクシーを呼んだ。すぐに小銭がなくなるので自販機の缶ジュースを何本も買った。
米子市内のドコモ店で、GPSで探してもらったが見つからない。保険が使える交換電話機を注文し、それを自宅近くのドコモ店に受取りに行くまでの間の代替電話機を借り、とりあえず最低限電話とメールが使えるようにした。なお帰宅後羽田で見つかったという連絡がドコモからあり、後日空港警察に取りに行った。お財布携帯とかクレジット機能などはもともと使っていなかったし、ドコモで使用できないような処理をしてくれていたので、まあ誰かが盗んだとしても何のメリットもないのだろう。
しかしそれらの手続きで思わぬ時間を要してしまった。予定では伯耆大山駅を11時12分に発車する伯備線電車に乗り、備中神代で芸備線に乗り換えることだったが、それは今日中に庄原に着ける最終電車でもあった。もうその時間は過ぎでいて、またも総領に行けないのではという心配が過った。ドコモ店近くに境線後藤駅があり、運良くすぐに米子行きが来た。米子では4分後に出雲市行きの特急が来たのでそれに乗った。松江か出雲に行けば三次へ行くバスもあるからなんとかなるだろうと思った。車掌から借りた時刻表を繰ると、宍道で1分後に出る木次線で木次へ、さらに30分待って備後落合まで行けば今日中に庄原まで行けることが解った。車掌から米子・備後落合間の乗車券と宍道までの自由席特急券を3020円で買った。 最近は特急でも車内販売がなく弁当も買えない。やっと木次で30分の待ち時間があり、駅前で蕎麦にありつけたのは14時30分を過ぎていたが、早朝6時羽田空港でのサンドイッチ以来の空腹を満たすことができた。
木次駅に来たのは5年ぶりだが、駅前の大きなショッピングセンターの店舗部分は閉店しシャッターが下りたままで、市商工会の事務所とレストランがあるだけだった。5年前も同じ店で食事をしたと思うが、客の数もスタッフの数もメニューの種類も減っているように思えた。
伯備線経由にしたかったのは、5年前に三成や横田に寄りながら備後落合まで乗っていたからなのだが、またも期せずして出雲坂根のスイッチバックを体験することになった。出雲横田からは備後落合までの5駅間63分間と、さらに芸備線備後西城までの2駅間20分間は、どちらも乗客は私一人だった。前回はもう一人いたが。それにしても米子から備後庄原まで、特急を使い、途中木次の30分を除いてはいずれも数分以内の乗継だったのに、合計で4時間40分も要した。伯備線経由でも同じくらいかかる。さらに前者は米子を13時台、後者は11台に出発しなければその日中に着けない。直線距離ではわずか70キロ、車ならば1時間と少々で行けそうな距離を、こんなに時間をかけ、本数を減らしているのだからJRは戦線放棄しているとしか言えない。 確かにこの区間の流動など殆どないのかも知れない。しかし震災時などの代替輸送手段として鉄道が生かされた事例もある。陰陽を結ぶ鉄道路線は交通のリダンダンシーとして、国のコンテインジェンシープランにしっかり組み込み絶対に残さなければいけないと思う。とはいえスイッチバックのある木次線は重量貨物が無理だから、三江線と福塩線を軌道強化や交換施設増などするべきだと思う。
惣領町へ 備後でビンゴ
庄原市郊外の「かんぽの宿庄原」に泊まり、翌日は強い雨の中、備後庄原駅前11時発の庄原市営バスに40分ほど乗り、庄原市総領支所となった旧総領町役場へ行った。20分滞在して帰りのバスで備後庄原駅に戻ったが、ここに鉄道駅から日帰りをするにはこの組み合わせしかない。
総領にチャレンジしたのは3度目と前述したが、1度目は3年前の2012年、当時は本数が少ないものの福山と庄原を結ぶ中国バスが走っていて、途中福塩線の上下駅も経由していた。総領はこの上下と庄原のほぼ中間にあり、このときは三次から上手い具合に上下でバスに接続する福塩線列車があったのだが、これが不定期運行で、その日は運休日であることを三次からこれに乗ろうとしたときに知った。運転日は予め月毎に決まっており、事前にちょっと注意すればわかったはずだったが、役場めぐりもすでに95%まで来ていたときのことで油断していたのだ。 その後そのバスは間もなく上下・庄原間が廃止になり、その代わりに市営バスが走り出した。本数は更に減り、鉄道駅から日帰りできるのは1日にわずか一つの組み合わせだけになってしまった。もともとそんな利用客はなく、総領地区の人が庄原や上下に日帰りで買物や病院に行けるようにしているということだそうだ。
昨年3月、やはり友人と岡山県の城めぐりを行うのに先立ち、2回目のチャレンジをした。そのときは新宿からの夜行バスを中国自動車道庄原インターで降り、そこから約10キロ歩き総領に行き、市営バスで上下へ、そして福山から岡山方面に行くことにしていた。しかし当日、早朝5時に庄原インターに着いたときはたたきつけるような豪雨でとても歩けるものではなかった。仕方なく高速バスを三次まで乗り続け、またも行き損なったのである。
だから今回は前日庄原に泊り万全の準備をしたつもりだったが、市営バスに乗った頃から雨脚が強くなり、余程ついていない総領だと思った。役場の最寄りバス停は診療所前というところで、これは庁舎裏口のすぐ近くだったので、職員が少なく余分な照明も消えていた庁舎内を通り抜け、正面に出て雨中の写真を撮った。3258番目、達成率99.97%、いよいよ残り1つ、備後の国で迎えたビンゴである。
庄原市営バス
11時のバスに乗る前に、市営バスについて話を聞きたいと思い、3年前に写真だけ撮った庄原市役所を再訪した。合併を想定して建てたのか大きな庁舎で、1階ロビーは広くグランドピアノまで置いてあった。
市営バスを担当しているという市民生活課の主任主事が対応してくれた。庄原市は2005年3月に1市6町が合併し、このときに旧市町で個別に走っていたコミュニティバスを統合し市営バスとした。しかし大都市の市バスのように、独立採算の公営企業体があるのではなく、一般会計の中で収支を見ている。全部で11路線あり、そのうち6路線が旧惣領町に関連する「庄原市営総領地域生活バス」である。さらにその中の庄原・総領線と上下・総領線の2路線が広域路線で、残り4路線が旧総領町内だけを走る地域内完結路線である。車輛は市が保有しており、運転手は市職員ではなく契約職員である。
このほかに、庄原市街地を循環する小型車によるコミュニティバス風の「ひまわりバス」というのがあるが、これは市営ではなく、車両・運転手を含め備北交通に運行委託をしている。その他通常の路線バスにも運行補助を出しており、市営バスの運行経費を含め、市会計のバス関係支出は年間2.3億円、これを2億円に収めるのが目標と聞いた。なお市HPで見る庄原市の平成27年度一般会計予算は312億円、同4月現在の人口は37893人、65歳以上の高齢化率は40.1%とあった。
総領へのバスが途中で寄り道する「田総の郷」というところがあり、ここは首都圏近郊の旧地主が住むお屋敷のような豪邸が40棟くらい建ち並んでいた。2006年に完成した江の川上流灰塚ダムの生活再建地で水没地域の住民が集団移転してきたところだそうだ。どの家も老人が1人か2人住んでいるだけだと、乗客から聞いた。
庄原駅に戻ったのが12時43分だったが、芸備線の三次方面に行く列車は16時27分まで4時間近くない。広島での待ち合わせ時間にはこの列車でも間に合うのだが、台風6号の影響で大雨注意報が出ており、遅れなどがあるとまずいと思い、三次までほぼ1時間ごとに走っている備北交通のバスに乗った。そのために広島には予定よりも2時間以上早く着いたが、札幌からの友人達が乗っているJAL便が雨で広島空港に着陸できず福岡に行ってしまった。彼らは博多から新幹線で来たので、結局宴会開始は予定よりも3時間遅れとなった。
翌日からは宮島や原爆ドームに行き、さらに松山に渡り、松山市内や内子、大洲を観光し、現地解散した。米子空港から宮島口まで通しで買った切符は、途中別経路にしたりバスで移動したりしたのでその効果を十分発揮できなかった。
残るは東京都小笠原村1つだけである。