作品紹介
抽象・具体の往復思考
―安田健介傑作選―
安田 健介
弁護士の数も少なく、弁護士に暇と金があったバブル時代に生まれた京都法曹文芸「奔馬」。その編集長を1988年の創刊号から約20年間務めた著者による随筆・小説集。法廷の待ち時間などに書かれたという約70作品のなかから編集部が10作品を厳選して加筆・修正して収載。法律はもちろんのこと、経済、哲学、言葉、数量、笑いなど、数々のテーマで語られる安田ワールドは難解だが読めば読むほど新しい発見がある。関西のお笑いの会からお呼びがかかったというのもうなずける軽快な語り口調の文体は親しみがあり、昭和へのノスタルジアを感じる。
プロフィール
安田 健介
1938年生まれ。1964年京都大学法学部卒業。出版社勤務を経て、1972年から2013年まで弁護士。京都法曹文芸「奔馬」第1号(1988年)から第33号(2007年)まで編集長を務める。
インタビュー
10月に『抽象・具体の往復思考―安田健介傑作選-』が刊行されました。今のお気持ちはいかがでしょうか?
私は昭和末年(1988年)から平成19年(2007年)まで、京都法曹文芸「奔馬」1号から33号まで、編集長を務めました。そして、約70作品も書きました(平成17年32号まで)。
それから9年経った今(平成28年)、「同人雑誌作者」から「本屋で売る本の作者」に飛躍したことで私の身体(頭を含む)ではドーパミンだかアサヒスーパードライだか月桂冠の酒だか、なんだかしれないものが発せられているらしく、日々、喜びの気分に満ちています。
安田さん独特の喜びの表現ですね。 今回のご著者には、京都法曹文芸誌「奔馬」で創刊号から平成16年の31号までに掲載された作品が収載されています。編集部が安田さんの約70作品のなかから10作品とコラム3作品を厳選し、それに書き下ろしを1作品加えていただきました。今回出版しようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?
出版はずっとしたかったのです。実は、「奔馬」の何号かのとき、某出版社から誘いがありました。詳しくは言いませんが「Aタイプの出版か、Bタイプの出版になりますね」と。試しに作品を送ってみたら「Bタイプでどうですか?」と返事がきました。私はこの話には乗りませんでした。これは「クズフグのパックンチョ」(「数学機械の使用上の注意」の初出時に用いた言葉)だな、ダマシ出版の勧誘だなと思ったんです。
今回はなぜだか、私が突然思い立って信頼できると思った「幻冬舎メディアコンサルティング」に自分から電話をして出版を申し込んだんです。そして、「奔馬」の1号から33号を送ったんです。
私の予想通り、担当編集者はきっちり私の作品すべてを読んで的確な感想を伝えてくれました。よいキャッチボールができて出版に漕ぎ着けました。万歳!
どの作品も世相を感じたり、普遍的な事物を扱っていたりでおもしろく、編集部としても10作品を選ぶのには悩みました。今回、30年ほど前に書かれたご自身の作品などを改めて読み返してみていかがでしたか?
私が「奔馬」に作品を書いていた50歳から70歳は、まさに私にとっての「青春時代」といえます。78歳の今、読み返して、「今じゃとても書けない、若い私もなかなかやるじゃないか」と感嘆のセミシグレです。ですから、これから私が書けるのは「奔馬」で書き残したわずかな補完作品ぐらいになるでしょう。
ただし、「物々交換経済学」シリーズは、作品の数が多いけれど作品は一色で極めて狭い。完成までには残りが余りにも大きいんです。しかし、それを補完しなければ、笠信太郎さん(『“花見酒”の経済』の著者)の遺言(日本人の誰もが経済問題を日常茶飯事のごとく論じることができるような「枠組み」を誰かつくってくれというもの)は守れないんです。それは何とかしたいと思っています。
「物々交換経済学」の新作も期待しています。安田さんは弁護士をなさっていらっしゃいましたが、弁護士を職業として選んだきっかけはなんだったのでしょうか? 当時のエピソードなどもよろしければお聞かせください。
これは単純なことです。双葉社に在籍していた時代に結婚して、女房が私が弁護士になることを希望したのです。私も大学時代に個人雑誌「混沌」には「志望、弁護士」と書いていましたので、女房の協力のもと「渡りに舟」と実現に向かったのです。当時、司法試験は3万人中500人しか合格しないという倍率でしたが、突破なんて当然という自信がありましたし、実現できました。
法曹界において文芸誌「奔馬」を立ち上げた経緯をお聞かせください。編集長を約20年間務められ、法廷の待ち時間などにもものすごいスピードで原稿を書いていたというエピソードを「奔馬」掲載の座談会の記事で読みました。安田さんのその原動力になっていたものはなんでしょうか?
「奔馬」を立ち上げたきっかけは、私がそれ以前に朝日カルチャーセンターの小説講座に通ったことにあります。そこで小説の試作品を作り、八橋一郎先生の書面講評と教室口頭講評で合格点をもらいました。そして、坂元和夫さん(同じ京都弁護士会の弁護士で碁敵でもあります)に「同人雑誌やりたいですなぁ」と持ち掛けたら「やりましょうか?」と応じてもらえたのです。そこに浦井康さんが加わり、呼びかけで20人ほど集まりました。
私は編集長となり、作品を書き始めたらどんどん書くことが森羅万象、無限に出てきて20年間で70作品にもなったわけです。
その原動力は、森羅万象中、未知の部分を既知化していく喜びです。そして、その方法として、振り返れば「抽象・具体の往復思考」をしていたのです。
そうでしたか。興味深いです。「奔馬」では「編集後記」「同人雑記」に力を入れられていたとのことですね。「褒めること」しか書かなかったと伺いましたが、編集長としてどのようなことを大事に編集されていたのでしょうか?
「奔馬」の特色は、おそらく他に見ない「編集後記」と「同人雑記」を思う存分編集長である私が書き、他の方にも書いてもらったことでしょう。
読者の多くは私の書いた「編集後記」をまず読んでから作品自体を読んでいたようです。
このスタイルは、商業雑誌でも採り入れてほしいですが、私のような編集長がいるかどうかわかりませんね。
若い世代に引き継がれることなく、40号(平成28年)で最終号となってしまったそうですね。「準備書面ばっかり書いている不満のエネルギーが文芸作品の執筆に向かわせた」という安田さんのご意見を座談会の記事で読みましたが、若い弁護士は文芸同人誌への関心が薄れたということでしょうか?
はっきり言って「奔馬」を継ぐ可能性のある人は、今、京都弁護士会の弁護士のなかにはただの一人もいないと断定します。意欲も能力もないでしょう。
「奔馬」は空前絶後の作物です。「奔馬」の前身として一時代先輩の方々が「スバル」という作物を生み出しました。
「スバル」も「奔馬」も時代に恵まれました。「スバル」時代は弁護士余裕時代、「奔馬」時代はいわゆるバブル時代です。そこに「天才か狂気か」と周囲に言わしめた私の情熱と、坂元さん、浦井さん、出口さん、村田さん、その他相当数の同調者がいたことが重なったのです。今の弁護士は、私からすると「業務もミジメ、能力もミジメ」すぎます。
奥様には「『奔馬』であなたは身を持ち崩した」と言われたそうですね。そう言われたときはどのように感じられましたか? 「奔馬」編集当時の奥様との思い出をお聞かせください。
女房とは50年連れ添い、いろいろありすぎるので、一言では語れません。私が女房にメイワク、心配をかけたこと、数知れず……。弁護士会から懲戒処分を受けたこと4度(高畑氏の解説の通り)、金の使い込みの弁償など、1億円を超える尻拭いを女房はしてくれました、いや、させてしまいました。
それも「奔馬」に夢中になって仕事をオロソカにしたともいえますから、女房が「あんたは『奔馬』で身を持ち崩した」と言ったのは正解です。これには言い返せません。
実は、女房の名文句はもうひとつあります。
「あんたは、いい嫁さんもらったなぁ」です。
これは、私が女房をほめないので、私になり代わって言った真言です。
女房の真言でいうと、他にもあります。
「悪いことなにひとつしたことのない私が、なんでガンでいためつけられて、悪いことを平気で繰り返すあんたが、なんでそんなに元気か、不公平だ」というものです。いずれもごもっともです。そのよき女房が今年4月に亡くなり、よからぬ私が本まで出版して歓喜しているのですから。私が本を出すことにはじめは反対だった女房が、ようやく本が出るのを楽しみにするまでに変わったところだったので、悔やまれます。だから、「あとがき」に書いたように、出来上がった本を彼女の霊前に供えたのです。
私もご契約時の一度だけですが、奥様が電話で替わられてお話しさせていただいたので、出来上がった本を読んでいただきたかったです。天国で楽しく読んでくださっていると思います。安田さんは、弁護士になる前に双葉社に入社し、「週刊大衆」編集部でグラビア担当をなさっていたという、異例のご経歴をお持ちですね。編集者になろうと思っていたのですか?
大学を卒業したからといって、弁護士になれるわけではありません。当時、司法試験はまだ夢段階でした。そうすると、出版社に就職するしかないなと。
岩波、筑摩にすべり、双葉社が救ってくれたのです。
そうでしたか。弁護士になってから、カルチャーセンターの文章講座を受講して、作品執筆を始めたそうですね。「安田さんの作品は小説ではない」と言われたそうですが、どういうことだったのでしょうか?
八橋先生は、私の試作品すべてに合格点をくださいました。ただし、私の作品は小説に必要な「描写」が全くなく、「作者の一人しゃべり」であることにはじめから気づいておられた。私はごまかしごまかし小説に似た形をとって凌いでいましたが、「文学部唯野教授『文芸批評論』の盗講生」(「奔馬」9号に発表)を書いたとき、教室での講評を拒否されました。そのいきさつは「奔馬」10号「編集後記」に書いています。私宛の書面で理由をいただきましたので、それをそのまま載せています。長いので全部はここでは言えませんが、結論部分だけ再現しましょう。
「作者は既に出来上がった人で、その出来上がり方は小説家的ではなく学者的です。カルチャーセンターの小説教室とはほど遠い位置なので、効果はありません。従って、この作品は教室で取り上げませんし、点数もつけません。点数など拒否した作品です」というものだったのです。
そうでしたか。すでに安田さんの独自性が出来上がっていたということなのかもしれませんね。高校時代は弁論大会で優勝されたことがおありとのことですが、安田さんのなかで弁論と執筆には共通するものがあるのでしょうか?
高校生のとき、弁論で何回か優勝しましたが、いまだ私のなかでそれと「奔馬」に書いた作品とは直結していません。ただし、弁論において自分で考え始めてそれを発表する快感を味わったことは、「奔馬」へつながっているともいえます。高校卒業後、大学時代に個人誌「混沌」(ガリ版刷りのもので合計4冊)をつくり、双葉社時代に小沢さんという方と同名の同人誌「混沌」(合計2冊)をつくり、そして朝日カルチャーセンターの講座での執筆活動、そして「奔馬」と続きました。
安田さんの奥深いところでなにかがつながっているのかもしれませんね。安田さんが幼少のころ、ご実家は京都で書店を経営なさっていたそうですね。その影響は今の安田さんにとって大きいものでしょうか?
ええ。京都で生まれて、家が本屋でした。それで四つぐらいのときから絵本などを、夜中の2時ごろから布団に腹ばいになって読んでいたのか見ていたのか……、ずっとそれが楽しみでした。
振り返って、これが「本読みまくり」のはじまりだったかと思うのです。小・中・高・大でも、ソコソコ本は読みました。「奔馬」時代もそうです。だから、私の作品中には書評も多く、「全部、引用じゃないか」と言われることがあってもしかたないのです。
本を思う存分読める環境にあったことが今の安田さんを形成したといっても過言ではなさそうですね。本が大好きでその影響を受けて物事を考える助けとしているから、自分の随筆でも読んだ本の一部を引用して読者に紹介したくなるということなのかもしれませんね。 今回のご著者の編集中に「やはり自分の原点は『世の中の出来事(具体的なもの)を分析し、抽象化して、その後また具体に戻す』という方式」というようなことをおっしゃっていたかと思います。これはタイトルの『抽象・具体の往復思考』にもつながるものですので、もう少し詳しく教えてください。
女房に「あんたは元気で不公平だ」と言われていましたが、今、私は透析患者です。血液の洗濯を火、木、土とすることで生きています。どういう意味の数値なのか詳しいことは知りませんが、血液中のクレアチニン(老廃物)が8以上になったら、透析患者になるのです。このことで例えるなら「クレアチニンが8」が抽象で、「透析が必要な私という現物」が具体です。「クレアチニンが8」だから、実際に私は透析が必要なのです。
現に透析によって透析前は9ぐらいあったクレアチニンが3(正常値)になるのです。そしてもし透析前に7になったら透析は不要になります。しかし、私においてはまず絶対にそうはならない。
少し難解に聞こえるかもしれませんが、このように抽象・具体の往復思考はすでに多くの場面で行動化されているものなのです。
私のいくつかの作品に即して「抽象・具体の往復思考」を説明します。
①「法律の成分」。これは「抽象のハシゴ」のよい例です。ハシゴの下は完全具体(人の現実生活そのもの)です。ハシゴの1段目(抽象1)は、法律の解釈適用(逮捕、裁判、刑務所の執行)。ハシゴ2段目(抽象2)は法律の根拠としての「自由、平等」。ハシゴ3段目(抽象3)は平等に2種類あり、したがって「正義」(法律の最上位)が「平均的正義」と「配分的正義」に分かれること。これをハシゴの下の「人の現実生活例」を示しながら説明しています。
②「人生原論」。これも「抽象のハシゴ」をよく示しています。ハシゴの下の人間の現実生活から、ハシゴ1段目のヘビとの同一性(動物という抽象をしている)、ハシゴ2段目のクスノキとの同一性(生きものという抽象をしている)、ハシゴ3段目は「水・空気」との同一性(動くものという抽象をしている)と説明していきます。そして、人間の生活を「1生活、2生活、3生活」と分析しています。分析はまさに抽象です。
③「二重秩序」。これは「性」という人間の性盛りから性衰退の曲線という「抽象」と「具体」を結構生々しく、私の経験を多く取り入れて説明しています。
④「象は鼻が長い秘密」。これは、日本語の「ハ」と「ガ」の使用方法(具体)と通じて日本語使用人が画一的な性向(抽象)をもっているのではないか、ということを検討しています。
⑤「徒然つまみ読み草」。これは、吉田兼好の「徒然草」の原文を具体とした、いわゆる「要約」をいう抽象を試みたものです。
先ほど、作品とは無関係に私の透析例を述べましたが、他にも現実の土地(具体)と地図(抽象)はわかりやすい例です。私がよく行く居酒屋での世間話はほとんどが具体話です。
清水幾太郎さんが言う通り、世の中のほとんどは具体話のやりとりで生活しています。亡き女房の、近所の話し相手である奥さん5人ぐらいとの話はまさにこれでした。例えば大学3年生の人たちの何パーセントが、抽象思考に飛躍できるだろうかと、興味深いところです。
なお、「物々交換経済学」については、今後なんとか笠信太郎さんの宿題(誰でもが世間話のなかで「経済の枠組み」(抽象)が話し合え、政府や野党の経済政策を批評できるようになること)を実現したいですね。
安田さんの作品にはいろいろなテーマのものがありますが、「物々交換経済学」はシリーズ化して、何作品も書かれていますね。今回も1作品が収載されています。「物々交換経済学」の要素を簡略にお聞かせください。
「物々交換経済学」は、まず人間の生きていることすべてを「経済行動」と考えます。すると、「自由自在」(空気を吸うこと)、「自給自足」(考えること)、「単純な物々交換」(性交)、「複雑な物々交換」(私が弁護士で稼いだ金で家族が生活に必要なモノを入手する)に分けられます、これが生活のすべてです。また、そのことをグタグタ多くの作品で書いたのです。
安田さんは関西人らしく「笑い」を大事にしますね。「いかにふざけていかに深く書くか」という考えをくわしくお聞かせください。
読んでもらうためには、おもしろくなければ。ツカミが大事です。だからおもしろく書くのは必然です。
だけど、深い内容でなければ書くネウチがありません。これも必然です。
すでに第2弾のご出版も決まり、現在収載作品を選定中ですね。第2弾への意気込みをお聞かせください。(安田さんのお人柄、独特の発想法が読者のかたに伝わったかと思います。はやくも第2弾の編集作業が始まりました。引き続き「青春時代」を謳歌してください。ありがとうございました。)
第2弾では、第1弾で書けなかった「言葉」の深い掘り下げがなんといってもメインです。このことはカナダ在住日系人、S・I ハヤカワ著『思考と行動における言語』(岩波書店)のテーマでもあります。彼はこのテーマを「一般意味論」といい、「言語その他の記号に対する人間の反応の研究であり、記号の刺激をもって、またそれを受けての人間の行為の研究である」と定義づけています。
私は、以前この本を読みましたが、十分理解していません。これからまた、じっくり読むつもりです。
第2弾で発表する作品の3つは、くしくも「一般意味論」の作品になりそうです。「笑い」についても第2弾の準メダマです。『福澤諭吉私小説』は、私の読書を通じた兄貴を語る楽しい作品です。第1弾は多テーマの作品から私の代表的な作品を選びましたが、第2弾はそれとはまた違った趣向の、「おかしくて深い」本になると思います。
座右の一冊
バカの壁(新潮新書)
著:養老孟司
「バカの壁」を乗り越えた先に共感
ここが魅力
全八章中七章までは、人の意識の「盲点」「死角」「見逃し」「脱落」の例示です。これを「バカの壁」とネーミングしたツカミの力は実に大。大ベストセラーの引き金になりました。①男は女の意識を絶対にもてないところがある、②人には人間差があり、変化不能の人、成長可能な人(レベルの違いがあり)がある、③人は世間のいろいろを広く知ることが一番なのに、「個性」を持ち出すのは怪しい、④情報は刻々と変わるが人間個人は不変というのはアベコベ認識で、本当は情報不変、万物流転である、⑤人は「無意識・身体・共同体」を忘れ、「意識・脳・個人」のみ意識しがちである、⑥バカの悩は見てもわからない、⑦教育の怪しいところを示した、というようなことが書かれており、これら7つの「意識脱落」中、⑤での「無意識・身体・共同体」の意識脱落の指摘がとくに重要に思います。
第八章「一元論を超えて」では、バカの壁を越えた「あるべき姿」を指摘しています。バカの壁の原因が「一元意識」にあると分析し、「二元意識」をすすめています。宗教を例にとると、日本における仏教は一元論ではなく神やアニミズムと共存する多原論なのに対し、世界でみてみるとキリスト教(とくにプロテスタント)、イスラム教とも一元論でありよくないと。この論は『鈴木孝夫の曼荼羅的世界』とも同じであり、私も同感です。
また、経済を「実の経済」と「虚の経済」に分析し、実物経済のみであるべし、の論は、私の「物々交換経済学」と同方向です。一次産業の「田舎」こそ基本で、三次産業の「都会」の付加価値はツケタシであることの指摘(表現は違いますが)にも同感です。養老氏の二元論は私の二重認識論と同方向の論で、基本的に賛成します。
思えば私のすべての論は、養老氏の『バカの壁』の第八章を目指したものといえるのです。
思考と行動における言語(原書第四版、岩波書店)
著:S・I ハヤカワ 訳:大久保 忠利
一般意味論の研究書
ここが魅力
これから精読し、第2弾の本で自分なりに要約した解説を発表したいと思っている本です。この本は「一般意味論」の研究書だそうです。一般意味論とは、「言語その他の記号に対する人間の反応の研究であり、記号の刺激をもって、またそれを受けての人間の行為の研究」だそうです。どうやら、私が第2弾で発表する言葉に関する考察と方向が一致しているように思います。
S・I ハヤカワさんは、カナダで生まれ育った日系人で、幼少時、日本語の勉強のため、父母が家庭教師をつけたけれど、さぼり続けて日本語を習得しなかったそうです。「一般意味論が日本で研究されているかは知りませんが、研究者が現れることを期待している」そうです(私が現れましたよ)。
しかし、私だけではないでしょう。鈴木孝夫氏もそうかもしれません。『ことばと文化』(岩波新書)も合わせて読んでみたいと思っています。
人生を変えた出会い
小林為太郎弁護士と女房の母
書物上の出会いは数えきれませんが、実在の方では、小林為太郎弁護士(上岡龍太郎さんのお父様)と、私の女房の母です。
小林先生のことは「奔馬」創刊号の「編集後記」にも書いていますので、そこから抜粋してご紹介します。
「私は小林為太郎弁護士から私的に奨学金を受けていた。どこかの会社からの法律顧問料がそっくり私にまわされたのである。私は自白する。京都弁護士会宛 私は弁護士志望の貧乏学生で、どなたか奨学金を出していただけないかと、手紙を出したのだ。何と突飛で恥知らずの学生だろうと私自身断ずる。弁護士会の掲示板に手紙が貼られたらしい。(中略)小林為太郎弁護士は、その手紙を見て、すぐ私を呼び寄せ、私に奨学金を2年間与えつづけたのである。私はそれを平然を受取り、何一つ報いるところがない。(後略)」
女房のお母さんには、継続的に言いきれない恩を受け続けました。私が金を使い込んだときにも、女房の嘆きのなかで「若いときの苦労は買ってでもせよと言うから」と女房を説き伏せてもらったり……数限りありません。あれやこれや含めて、私はたしかに「ええ嫁さんもらった」と思います。