秋は気持ちの良い季節だ。
本当は、冬の寒さから解放され、だんだんと暖かくなってきた「春」が一番好きなのだが、今は秋なので一番気持ちの良い季節は「秋」と言い切らなければならない。
「天高く、馬肥ゆる秋」と言うが、晴れた日には、空気も澄んで空は青く澄みわたっている。秋は、お米や、野菜、果実などの収穫時期でもあり、食べ物もおいしい。大食漢の自分にとっては、この上ない季節だ。やっぱり春より秋だ。
このさわやかな季節に行われる学校行事の一つに「学園祭」がある。学校によっては、「文化祭」というところもあるが、うちの高校では「学園祭」だった。「文化祭」と「学園祭」の違いは、良くわからない。
「文化祭」とは「生徒・学生による日常活動の成果の発表などの目的で行われる学校行事。学園祭、学校祭とも言われる」というから、「文化祭」と「学園祭」では、ただ、呼び方が違うだけということになる。どっちでも良いみたいだ。俺的には「学園祭」の方が好きだ。
学園祭は、十一月三日の「文化の日」前後の土曜日・日曜日の二日間に開催する学校が多いようなのだが、近くに他の高校がある場合は、一般の客が、どちらの高校へも行けるように、教育委員会などによって日程の調整が行われる場合がある。
我が高校は、町に一つしかなく、他の高校からは離れているので、「文化の日」前後の土・日に行われている。ならば「文化祭」が正しいのか。
学園祭が開催される二か月程前に、先生と生徒たちからなる実行委員会が設置されて、この実行委員会で、学園祭の内容が調整されている。講堂兼体育館で行われる催し物の選定や、使用日程や時間割りなど、催し物が競合しないようにしたり、他に使用する教室、準備期間の日程などの調整が行われたりする。
とりあえず、俺は積極的に参加しないように努力をしている。「実行委員」などに選ばれたら最悪だ。「生徒・学生による日常活動の成果の発表」など俺にはない。
「学園祭」の実行委員には、一年生から三年生の各クラス一名ずつ合計一八名が選ばれることになっているのだが、生徒たちだけで実行委員を選出するのは難しいので、担任の先生の主導で選出されることになっている。
担任の先生は、「まずは、学園祭でどんな催し物をやるか決めよう」と言って、クラスの生徒たちに自由に発言させ、黒板に列記することになった。先生自身は、黒板の横に椅子を持って行って座り、学級委員長に、みんなの意見を黒板に書かせた。
先生は、催し物が決まってから、その催し物に責任を持ってやってくれる生徒を実行委員にしようとしているようだった。合理的な考え方だ。
俺とは違って、積極的に「学園祭」に参加しようとしている生徒たちがいた。
「喫茶店をやろう」
「お化け屋敷がいい」
「写真館にして、学校生活の写真を展示しよう」
「学校の西側にある川から、変わった石を拾ってきて展示しよう」
「家から不用品を持ってきて、フリーマーケットをしよう」
など、結構、色々と意見は出るもので、また、やる気のある生徒たちが、結構いることにも驚いた。俺は、一年の時も傍観に徹していたが、今回もまったくやる気が起こらないので、静かに眺めていた。
結局、この日は、催し物の決定までには至らず、次回へと持ち越されることになって、次回は、それぞれが、具体的に説明して、クラスの催し物を決めることになった。
「何で、みんなは、積極的に参加しようとするのかな。他の人たちの催し物を見に行ったほうが楽しいのに。一年の時の学園祭で思ったけど、自分たちでやっていると、他のところを見に行けないのに」と思っていたのは、俺だけなのだろうか。
二回目の、「学園祭の実行委員」選出会議が行われることになった。簡単に言うと、次のホームルームの時間が来たわけだが、やる気のある生徒たちは、熱いバトルを繰り広げて戦っている。選出会議で、自分の催し物がいかに良いか、プレゼンをしているのだ。
初めからクラスの催し物に参加する気のない俺は、意見などあるわけもなく、暇で仕方がない。あまりにも暇なので、周りを見渡してみると、俺と同じようにあくびをしている生徒が半分ぐらいはいることがわかった。
「この会議って、クラス全員で行う必要があるのかな。熱く燃え上がっている奴らだけで会議をやって、後の生徒は、フリーの時間にしてくれればいいのに」と思ったが、そんなことが許されるはずもなく、一時間の時が過ぎるのを待つしかなかった。結局、俺はうちのクラスが、何の催し物をやるのか聞いていなかった。
「学園祭」の催し物は、「熱く燃え上がっている奴ら」のバトルで決まったのだが、提案していたのは二、三人なので、先生が数人を指名して、一〇人ぐらいの人数で放課後に準備を進めることになった。また、「実行委員」も決まったので、俺は安心して、毎日を過ごすことができる。
それから「学園祭」が始まるまでの二か月間は、準備をしているところを回って歩いて、面白そうなところをリサーチすることに専念し、土・日の本番時の時間割りを、自分なりに作成しなければならない。
そう思いながら回り始めたのだが、「バンド」にはまってしまった。同級生の四人組が「バンド」を組んで音楽室が空いている時に練習しているのだが、これが、結構、女子にも人気で、練習しているだけなのに、すでに人だかりができていた。
練習しているのは、「ザ・ビートルズ」の楽曲で、英語で歌っているので、俺には何て言っているのかわからないのだが、なぜか心が躍る。
俺の家では、父も母も音楽には興味がないので、楽器もなければ、ステレオもない。子供のころから音楽には、およそほど遠い家だった。「ザ・ビートルズ」の楽曲は、テレビなどで聞いたことはあったのだが、生で聞くとこれほど感動するのかと思った。
もっとも、歌っているのは、俺の同級生で、プロ的な歌のうまさはないのかもしれないが、女子たちも集まってきているのを見れば、まあまあうまいのだろうと思った。
「バンド」の構成は、ドラムスが一人、ベースギターが一人、リードギターとリズムギターが一人ずつの四人組で、ベースギターを弾いている生徒が、ボーカルとして歌っている。ベースを弾いているせいなのか、声は低いのだが、音程とリズムがしっかりとしているので、自然に身体に入ってくるようだった。
テレビなどで聞いたことがある曲の「フレーズ」などは、周りにいるギャラリーたちもつい口ずさんでいるので、音楽の才能などない俺も、一緒になって口ずさんでしまった。
「ザ・ビートルズ」と言えば、知っている曲も多く、「ラヴ・ミー・ドゥ」や「イエロー・サブマリン」、「ヘイ・ジュード」、「カム・トゥゲザー」など全部、英語で歌っているので何を言っているのかはわからないし、歌っている英語が合っているのかさえわからないが、知っている「フレーズ」の部分だけは、英語も音程もリズムも合っているので、聞いていて楽しいし、つい口ずさんでしまう。
自分のクラスが学園祭でどんな催し物をやるのかさえ知らない俺だが、「学園祭で、このバンドのライブコンサートだけは外せない」と思った。「バンド」のメンバーのリードギター担当が、クラスメイトなので、チケットを一枚もらう約束をした。抜け目はなかった。
この時から「学園祭」の当日までは、各クラスの担当者や、出店するグループなどの準備で、休み時間や放課後は賑わっていた。俺は、その準備風景を楽しみながら、「バンド」の練習の見学だけは、外さないようにしていた。クラスメイトのギタリストに、「楽しみにしている」というアピールをして、チケット確保に全力を尽くしたのだ。
「学園祭」の日が近づいてきて、「バンドのライブコンサート」の会場と日程が実行委員会から発表された。会場は講堂兼体育館で、日程は、学園祭初日の土曜日の午後一時から二時間となった。
素晴らしい日程だ。土曜日は学校へ来る予定でいたけれども、日曜日に学校へ来る予定はなかった。だから、クラスの催し物に積極的にかかわることをしなかった。「学園祭の実行委員」選出会議では、息を殺して、肩をすくめて、首をうなだれ、静かに自分の存在を消していたのだ。
もし、クラスの催し物の担当者などに加わっていたら、学園祭当日までの間、休み時間や放課後は準備で忙しく、他にどんな催し物があるのかもわからないし、学園祭当日の土・日も、朝から夕方まで忙しく働かなくてはならなくなる。そんな下手なことだけはしたくなかった。
「学園祭」は、観客として、自由に楽しむのが正しい学生のあり方だと心得ていた。学園祭初日の土曜日は、午前中に気になったブースを回って歩いて、午後一時には、最大のイベントである「バンドのライブコンサート」を楽しまなければならない。
楽しみにしていると、その日がなかなかやって来ないのはなぜだろう。いやだと思う、例えば「剣道の授業」などは、すぐにやって来てしまうのに、楽しみにしていることは、なかなかやって来ない。これは、たぶん「神様」が時間の過ぎ方を操作しているに違いない。そう思っているのは、俺だけだった。
しかし、必ずその時間はやって来るもので、「学園祭」当日がやってきた。ただの観客である俺は、朝早くから学校へ行かなくても良いし、普段よりゆっくり起きて、午前九時ごろ学校に着いた。
まだ午前九時だというのに、すでに「学園祭」は盛況で、学生だけではなくて、一般の入場者もたくさん来ていた。その賑わいを感じながら、正門を入って、南側のグラウンド方向に歩いて行くと、体育館の東側の広場に出た。
広場には、幾つかの屋台が建っていた。「こんな準備をしていたグループもあったんだな」と横目で見ながら歩いていると、「クレープ」の店があった。「高校生がクレープなんて作れないだろう。たとえ作れても、うまくはないだろう」と思っていたのに、「イチゴクレープ」を頼んでしまった。
「バンドのライブコンサート」会場の様子を先に見ておこうと、体育館へ向かっていたはずなのに、「イチゴクレープ」の誘惑にかなわなかった。大したことはないだろうという期待を裏切って、うまかった。
「なかなか高校生もやるもんだな。これは、売れるぞ。でも、この売上は、どうするのだろう」と心配してみたが、ただの観客である俺には、何の関係もなかった。俺は、学園祭に関して、何の苦労もしていないが、後からの楽しみもなかった。当たり前のことだったが、少しだけ寂しかった。
良い意味で期待を裏切られたクレープをかじりながら、体育館の中を覗くと、午後一時からのコンサートに向けて、準備が進められていた。「十五分前に来れば良いか」と思い、下駄箱に行って、上履きに履き替え、コンサートの始まる時間まで、校舎内の他のブースを見て回ることにした。
一年生の校舎から三年生の校舎まで、見て回るだけでも結構な時間が掛かってしまい、面白そうな「お化け屋敷」などの催し物に入っている時間はなかった。
結局、喫茶店をやっていた教室で、紅茶とケーキのセットを頼んだのみだった。コーヒーはミルクと砂糖をたっぷり入れたお子様コーヒーにしないと、俺には苦くて飲めないので紅茶にしたのだ。色々なブースを楽しむことはできなかったが、いよいよ「バンドのライブコンサート」の時間がやって来た。
ちょっと早かったが、コンサート開始の三十分前に会場の体育館に行き、チケットを出して中に入ると、前の方の席に行けた。「こんな近くで聞けるのか」と思ったら、益々わくわくしてきた。
コンサートは十分遅れで始まった。高校生の「にわかバンド」の奏でる音楽は素晴らしかった。音楽などには縁がなかった俺を、音楽好きに変えてくれるような楽曲が続いて、あっという間にコンサートは終了してしまった。
余韻に浸りながら、体育館を出ようとして立ち上がった瞬間に、事件は起きた。
「火事だ~」と叫ぶ声がしたので、会場にいた観客は、一斉に声の聞こえた後ろ側を振り返った。もちろん俺も振り返った。すると、確かに煙が立ち上っていた。煙が出ているのは、体育館の東側の二階部分からだった。
誰かが、体育館の南側と北側に二か所ずつある扉を開けたので、体育館の中にいた観客全員が、慌てて外へ飛び出した。俺も、一旦、南側のグラウンドに飛び出して、煙の出ていた東側に回って行った。
体育館の東側は数軒の屋台のあった広場なのだが、屋台の担当者たちも、慌てて片付けて、屋台から離れようとしていた。
広場から見上げると、体育館の東側の二階部分から煙がもくもくと上がっていた。誰も消火活動をしていないのか、煙の出方がどんどんと大きくなっていくようだった。
広場には、火事のうわさを聞いた人たちが、ぞくぞくと集まってきた。高校の生徒たちや、学園祭を見に来ていた一般の客たちで、火事のことを聞いて、催し物を見ていた教室から飛び出してきたのだ。
あっという間に人は集まって来たけれども、「火事だ~」の声を聞いてから二十分過ぎても、肝心の消防車がやって来なかった。体育館の二階から出る煙はどんどん増えているのだが、炎は見えなかったので、「すごい火事」でもないように思えた。
「田舎の高校なので、消防車が来るまで時間が掛かるのだな」と思いながら火事を見物していたのだが、「この騒動が学園祭で一番盛り上がっているじゃないか」などと不謹慎な考えに至ってしまった。まさに「燃え上がる学園祭」だった。
そこへ、消防車が二台到着した。ファイヤーマンたちの動きは機敏だった。消火ホースを消防車から取り出す者、集まっている観客を燃え盛る体育館から離れるように指示する者、体育館の中に人が残っていないか確認する者など、素早く手分けして、行動に移していった。
誰も消火活動などしていないと思っていたら、ファイヤーマンの呼びかけに答えるように、中から数人が出てきた。顔や服が、煤で黒っぽく汚れた先生や、生徒たち数人で、「消火活動などしていた人がいたんだ」と感心したが、煤の汚れ方がまるでメイクでもしたかのようだった。
この後にも数台の消防車がやってきて、体育館の消火活動を行った。体育館は、夕方には鎮火して、焼け焦げた壁が良く見えるようになった。これで「燃え上がる学園祭」は終了し、集まっていた観客たちは、徐々に減って行った。
この火事騒動により、翌日の日曜日の「学園祭」は、中止と発表された。残念なお知らせだった。二か月も前から催し物を準備していた生徒たちの心も鎮火してしまった。俺は、初めから日曜日は行かないと決めていたので、被害はなかった。
休み明けの月曜日に朝礼があり、校長先生が火事の原因を説明してくれた。高校では、普段は朝礼など行われていないが、この時だけは、体育館が正面に見えるグラウンドで、朝礼が行われた。
校長先生の説明によると、体育館の二階の、普段は卓球などをしているフロアは、学園祭で、生徒たちが撮った写真や、生徒たちが描いた絵を展示していたらしい。
写真や絵画は、立て掛けたベニヤ板に貼られていたのだが、窓からの明かりが足りないと思ったらしく、豆電球を幾重にもベニヤ板に這わせていた。この豆電球が発熱して紙に火が付いたらしい。観客がいなかったので、催し物のスタッフが、火が付いたことに気づくのが遅くなったらしいのだ。
校長先生は「不可抗力」と言って、誰の責任も問わなかった。俺には、真実は分からないが、とにかく「燃え上がる学園祭」になってしまったことだけは、事実だった。そして、催し物を準備していた生徒たちの心が鎮火してしまったことも、事実だ。
世の中というものは、順調に行くことのほうが少なくて、うまく行かないことのほうが多いのかもしれない。俺としてみれば、「学園祭」最大のイベントである「バンドのライブコンサート」を、最後まで楽しめたので良かった。バンドのメンバーたちは天才だと思った。
しかし、この後、バンドのメンバーからプロの音楽家になった人は誰一人としていなかった。音楽音痴の俺には、人生が変わるほどの出来事だったのだが、メンバーの一人一人は、それほど音楽が上手でもなかったのかもしれない。
著者プロフィール
由木 輪
1956年、東京都出身
ごく普通の家庭に生まれ育ち、大学を卒業後、東京に本社がある会社に就職しました。自分の意に添わず、幾つかの会社に転職することになりましたが、60歳になり会社員で定年を迎えました。定年しても年金がもらえるわけではなく、生活のために別の会社で働くことになりました。定年後の職場では、時間的にも精神的にも余裕が出来て、以前から書きたかった小説を書き始めました。みなさんに面白いと思っていただけるとうれしいです。