いつの間にか高校三年生になってしまった。神様に天上の世界に戻してもらえず二年もの月日が経ってしまった。どうなっているんだ。
三年生は、進学の関係で理数科系が2クラスで文科系が4クラスになっている。一組と二組が理数科系で、三組から六組が文科系となっている。理数科系は圧倒的に男子が多く、一組は全員が男子で、二組に六人だけ女子がいる。したがって文科系の四クラスは男子より、女子の人数が多くなっている。
俺はそんな人員配置になるとは知らずに、理数科系を選んでしまった。救われたのは、六人の女子がいる二組になったことだ。一組になっていたら、高校生としての最後の年が台無しになるところだった。
学年が変わり、クラスの編成が決まると、最初に行われるのが、学級委員長の選出だ。ごく稀には、立候補する人もいるのだが、昼休みや放課後に、学年だけの集会があったり、学校全体の委員会があったりと忙しいので、こんな面倒くさい役は、誰もが敬遠する。
従って、立候補者のいないクラスでは、投票を行い学級委員長を選出することになる。高校三年生は進学や就職活動などに忙しい時期なので、こんな役に立候補する奴などほとんどいない。案の定、我がクラスでも、立候補する生徒が誰もいなかった。そこで、学級委員長一人と、副委員長の一人を、投票によって選出することになった。
学級委員長の役を演じるということは、遠くまで鮮やかに聞こえるような発声や、聞いている人たちが、引き込まれるような身振り手振りなどのボディーランゲージが必要となるのだが、当然、俺にはそんな才能はないので、投票が終わるまで、息を殺して、静かに存在自体を消しておかなければならない。
もし、学級委員長などに選ばれてしまったら、俺には絶対できないと思われる役者を演じる稽古をしなければならないし、高校生活の中で、最も大切な時間である昼休みや放課後を委員会などで邪魔され、他のパフォーマンスができなくなる。
俺の「他のパフォーマンス」とは何だろう。思いつかなかった。いつの間にか入っていた陸上部もすぐにやめてしまったし、ほとんど「帰宅部」だし、帰宅する途中でどこかに寄って、何か趣味らしきことをすることもなく、真っ直ぐに家へ帰って、風呂に入って、飯を食い、テレビを見て寝る。ただ「ボッー」と生きているだけだった。もちろん、彼女などいないので、休日も時間を持て余している。
そんな俺が、学級委員長などに向いているわけもなく、クラスの誰もが俺のことなど相手にしていないと思っていたのだが、悪知恵の働くやつがいた。
最初の「学級委員による委員会」が四月の中旬にあるので、一週間ほどで、学級委員を選出しなければいけないのだが、三年生にもなると、クラスのほとんどが顔見知りで、投票日までの間に、誰に投票するか、ひそひそとクラス中がささやき合っていた。
俺の所に、学級委員長は「みんなで山田武志に投票する」という噂が聞こえてきた。山田武志は、クラスの人気者で、休み時間になると、人だかりができて、みんな武志の面白い話に聞き入っていた。
武志は、身長は一メートル五五センチで、高校三年生の男子としてはやや低く、体格は、痩せてもなく、太ってもいない。ふけ顔で髭が濃く、どう見ても三十代半ばにしか見えないのだが、話題が豊富で、語り方が面白い。
本当に三十代半ばであれば、話題が豊富にあっても当たり前なのだが、武志は高校三年生だ。それとも、高校三年生だが、実際の歳は三十代半ばなのかもしれない。みんなには、十七歳だと言い張っているだけなのかもしれない。
とにかく、そんな武志の話が面白い。「そんなことが現実に起こるのか」といった具合に話を作り上げる。話を作っているとしか思えないのだが、本人は「現実に起きたこと」として、みんなに語っているのだ。これだけの語りができるのであれば、「学級委員長」にふさわしいと誰もが思った。
学級机といえば、一人用のスチール製机と椅子なのだが、武志は、どこから持ってきたのか分からないが、一人だけ古い木の机と木の椅子に座っていた。クラスでこんなことを考えるのは他には誰もいない。個性でも他を圧倒している。これを見ても「学級委員長」にふさわしいと誰もが思ったに違いない。
俺も投票の前日まで、この噂を信じていた。この噂を俺の耳元でささやいたのが、倉田一夫だった。投票の前日なので、休み時間に倉田の所へ行って「みんなで山田武志に投票する」ことを確認した。確認に行ったのが良かった。
「今、武志がクラスの中に見当たらないから言うけど、実は、これは武志の策略で、みんなで武志に投票する噂だけを流して、本当は、翔太に投票することになっているんだ」
「何だって、それじゃあ、明日の投票は、蓋を開けてみれば、俺が学級委員長になることになっているのか」
「その通りだ」
「ん~む、そんなことが、許されるわけがないだろう。何か良い手はないかな。倉田、その手を逆手にとって、武志を学級委員長にしたほうが面白くないか」
倉田は、すぐにその話に乗ってきた。どう見ても、個性のない俺よりも、武志を学級委員長にしたほうが面白い。倉田は、すぐに行動に移した。「学級委員長を山田武志に投票するふりをして、緑川翔太に投票する」から、「翔太に投票するのをやめて、武志に投票するほうが面白い」ということを、みんなに説いて回った。
これには、みんな賛成だった。個性のない緑川翔太より、個性豊かな山田武志を学級委員長に選んだのだ。山田武志ならば、どこへ出しても恥ずかしくなかった。少なくとも武志本人を除いて、みんなはそう確信していた。
「武志の策略」を「翔太の策略」に変えることに成功したことなど全く気づいていない武志が、クラスに戻って来た。クラスに戻って来た武志は、にやにやしながら俺に近づいてきて、「翔太、人生は何が起こるかわからないから、気をつけろよ」と耳元でささやいて、自分の席に戻った。
この言葉が俺のハートに火をつけた。「よ~し、さらに翔太の策略を見せつけてやる」と思い、何をすればクラス全体が喜ぶか考えながら、椅子に座っている武志を見た。武志は一人だけ、古い木の椅子に座っているのだが、椅子をいちいち机の中にしまうのが面倒なようで、ちょうど座れる位置に置いたままにしていた。
「これだ」と思いついたのが、「椅子に座った瞬間に、椅子が壊れて、そのまま床に尻もちをついたら面白い」ということだった。
以前、武道場の近くにある倉庫を覗いたことがあった。「何が入っているんだろう」とただの興味本位で覗いたのだが、壊れた古い木の机と椅子が、幾つも積み重なっていた。その時は、「こんな物、早く処分すれば良いのに」と思っただけだったが、今は、「これは使える」と思った。「神様、あの机と椅子を残しておいてくれてありがとう」作戦は、昼休みに決行することにした。
「倉田、武志に、気をつけろと言われたよ。武志にも気をつけさせたいんだけど、協力してくれないか」
「いいよ。何をするんだ」
「武志は古い木の椅子に座っているだろ。座った瞬間に椅子が『ぺしゃんこ』になったら面白くないか」
「それは面白いけど、どうやってやるんだ」
「武道場の横にある倉庫の中に、古い木の机と椅子がたくさんあるから、その中から似たような椅子のパーツを持ってきて、そっと組み立てておくんだよ」
「それは面白いアイデアだな」
ということで、話はすぐにまとまり、昼休みになり教室から武志がいなくなるのを見計らって、倉田と二人で、倉庫に向かった。組み立てられるような壊れた椅子のパーツは、意外とスムーズに見つかり、教室へと持ち帰ることができた。
武志が普段座っている椅子をどかして、倉田と二人で壊れた椅子を組み立ててみると、意外に早く出来上がった。木で組み立てられた椅子は、枘継といって、枘を枘穴に入れて組み立てられている。倉庫から持ってきた椅子のパーツは、この枘の部分が壊れていて、しっかりと枘穴には入らないのだが、木でできているので、枘穴に引っかかって何となく立っているのだ。ちょっと見にはわからなかった。
武志が普段座っている椅子を音楽室に隠して、昼休みが終わり、武志が教室に戻ってくるのを待っていると、人気者の武志は数人のブレーンを引き連れて、上機嫌で談笑しながら戻ってきた。
俺は、武志の机の横で待ち構えていて、武志が自分の机の所まで来たときに、にこにこしながら「武志、世の中は何が起こるかわからないから、気をつけろよ」と声を掛けた。
武志は、自分の椅子に座ろうとした瞬間に、俺に声を掛けられたので、椅子の位置を確認しただけで、俺の顔を見ながら座った。
椅子に座ったはずだったが、椅子には武志の体重を支えるだけの力がなかった。椅子に腰を下ろしたつもりが、何の抵抗もなく、そのまま、床にお尻が落ちて行った。座席の位置から床までは、大した落差もなく、木でできた座席がクッションになったので、それほどの衝撃でもなかった。
痛くはなかったろうが、その格好が滑稽だった。クラス中が爆笑の渦に包まれた。倉田は、武志が、椅子に座る前からにやにやしていたが、武志の後方にいたので、武志には気づかれなかった。
武志も、大して痛くもなかったので、あまり怒ることもなく「翔太、やりやがったな」と言って、にこにこしていた。武志の普段使いの椅子を、音楽室から戻して、壊れた椅子を片付けた。
これで、俺が言った「武志、世の中は何が起こるかわからないから、気をつけろよ」という事件は終わったと、武志は思っていた。「翔太の本当の陰謀」には気づいていなかったので、明日が来るのが楽しみだった。
その晩、寝たかどうかさえ、記憶が定かではないのに、翌日のホームルームの時間がやって来た。いよいよ学級委員長の投票の時間だ。
武志のほうを見ると、にやにやしながら俺のほうを見ている。俺は武志に悟られないように、精いっぱいの演技で、不思議そうな顔をして武志を見返した。ここで、にやにやしたら、企みがばれてしまうかもしれないと思ったからだった。
担任の先生が、生徒を二人指名して、投票用紙の作成と、開票数を黒板に書くように指示して、教壇の机に投票箱を置いて、教壇から離れた。
二人は、先生の指示通りに、投票用紙を作って、みんなに配った。投票用紙に名前を書いた人から、前にある投票箱に用紙を入れていった。全員の投票が終了したのを確認して、開票が行われた。
一人が、投票箱に手を入れて、一枚ずつ用紙を取って、書いてある名前を読み上げる。もう一人は、読み上げられた名前と投票数を黒板に書いていく。
最初の一枚が取り出されて、名前が読み上げられた。「緑川翔太」俺の名前だ。武志は満面の笑みを浮かべながら、俺のほうを見ている。
「ひょっとして、俺の陰謀は、再び、あの満面の笑みを浮かべている武志の陰謀に打ち砕かれたのか」と思ったが、勘違いだった。二枚目から、読み上げられた名前は「山田武志」ばかりだった。
結果は、「山田武志」三九票に対して、「緑川翔太」一票だった。たまたま最初の一枚目に武志が書いた俺の名前の用紙が、取り出されただけだったのだ。
今度は、唖然として、黒板を見ている武志を、満面の笑みを浮かべた俺が見ていた。
「学級委員長当選、おめでとう武志」
「翔太、やりやがったな」今度は、顔が引きつっていた。
副委員長も別の生徒に決まり、無事にホームルームが終了した。
武志の風貌からして「学級委員長」とは呼びづらく、「級長」と呼ぶことにした。時を超えた「級長」の誕生だった。