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第九回 鬼鬼恋恋 〜 無邪気な猿は太陽を創る(その9)

竜崎エル

出身地:山と田んぼの町

My favorite
小説:アルジャーノンに花束を
漫画:金色のガッシュ!!
映画:ローマの休日
音楽:Don’t stop me now

どうか駄文を読んでみて下さい。

第九回 鬼鬼恋恋 〜 無邪気な猿は太陽を創る(その9)

 人を喰らう鬼と鬼を斃す人は、どちらが食物連鎖の頂点に君臨するかで争っていた。両者に和解などなく、どちらかが滅びるまで戦いは続く。言葉が通じないとはなんと虚しいことなのだろうか。今日も町には鐘の音が響き渡り、騎士団が鬼討伐のため奔走する。

「鬼が出たぞ!」

「逃げろ!」

町の東外れは混乱状態になっていた。目の前で簡単に人が殺され、喰われる光景は圧倒的な恐怖を体に植え付ける。そして、自分以外のものはどうなってもいいと思えてしまうほど、思考が極端に鈍るのだ。逃げ惑う人々は誰一人として、子どもが取り残され、今にも鬼に喰われようとしているのに気づいていない。鬼の手が子どもを捕らえた。次の瞬間。

「ビュ――――ン!」

空気を切り裂く一本の矢が鬼の右目を貫いた。鬼は怒号を発し、子どもから手を離す。そして、右目の死角から近づいた騎士が鬼の喉笛を掻っ切った。

 騎士団の到着により被害は最小限に止まった。

「団長、奴らはいませんね。」

「ああ。」

「作戦通り一匹の鬼を逃がしています。」

「良し!気を引き締めていくぞ!」

「はい!」

鬼を斃した騎士団一行は町を離れ、奥の樹海へと馬を走らせた。直に嵐がくる。

 人の血に塗れ、仲間の血に塗れ、自分の血に塗れ死んでいく。これが血生臭い鬼の一生であることを二匹の鬼は理解していた。鬼の名はゼノとオルグ。二匹は鬼の頭に呼び出されていた。

「ゼノ!オルグ!お前たちは腕が立つが、自由過ぎる。お前たちのせいで下の連中が勝手な行動を繰り返しているのだぞ!何とかしろ!最悪、角と牙を抜き、共喰いをしても構わん!」

「わかりましたよ。ぶん殴って大人しくさせておきます。」

ゼノがそう答えた後、二匹は頭のもとをすぐに離れた。

「おいゼノ!あんなこと言ってよかったのか?」

「別にやりゃしねーよ。頭は分かってねーんだよな。」

「ああ。俺たち鬼は、群れ合うようには出来ちゃいねーんだ。自分の欲望を我慢できねーどうしようもない連中さ。何言おうが、痛めつけようが、関係ない。後先の事なんて考えられねー。」

「わかってるよ。今こうしてんのも、人間を狩りにくくなったから仕方なくだ。だが、俺たちは人間とは出来が違う。いくら組織を真似しよーが、機能はしねー。」

「俺たちは滅ぼされる側だ…どう足掻こうと…」

「一つも自由なんかじゃねぇ…」

二匹が溜まり場に戻る。

「ゼノ、オルグ!なんか言われたのか?」

「何も言われてねーよ。」

「そうか。そう言えば、若い連中がまた人を食べに行ったぞ。」

「知らねーよ。好きにやれ。」

溜まり場の鬼たちは呑気に騒いでいたが、ゼノの赤い眼とオルグの青い眼だけは、何かが近づいてくるのを捉えた。

「すいません。他の連中は殺されました。」

命からがら戻ってきた一匹の鬼が腰を落とした瞬間、溜まり場に矢の雨が降り注ぐ。敵の殺気にいち早く気付いたゼノとオルグは木の上に登り、無傷だったが、他の鬼たちは大いに傷を負った。

「斬りかかれ!」

間髪入れず団長の合図で一斉に騎士たちが襲いかかる。いつもは後手に回る騎士団が、この戦いを終わらすべく先手を打ってきた。ただでさえ統率力のない鬼たちは、初めての奇襲に狼狽し、成す術がなかった。

 そんな中でも力を見せたのがゼノとオルグだった。満身創痍で戦う二匹は圧倒的な力で騎士たちを屠った。しかし、時が経つにつれて数と組織力の差で追い詰められ、最後の二匹となる。空は邪悪な雲に覆われ、弱い雨が降り始めた。大地には大量の血と命の上に十数人の騎士と二匹の鬼が立っている。これで全てが終わると思ったその時、空と大地を繋ぐ稲妻が両者の間に走った。白い光が一瞬にして弾け、気が付くと、目の前は火の海と化していた。大量の血を焼き尽くす炎は真っ赤に燃え上がった。

「うああああああ!」

団長は天に向かって叫んだ後、救助と撤退の命を出した。幸いにも雨が強まり、すぐに火事は収まった。

 いつもと違う森の匂いがする。恐る恐る目を開けてみると、自分が死に損なったのが分かった。知らない森の中でぶっ倒れ、指一本動かせない。良くこれで生きているものだと思った時、頭に違和感を覚えた。どうやらどっかの馬鹿が頭を撫でているらしい。どんな気色の悪い奴かを確認しようと首を動かしてみると、そこには金髪で青い目をした小さな女の子がいた。

 女の子は鬼に睨まれても不思議そうに赤い眼を見つめ返しているだけだった。ゼノはこの子を食べようが、食べまいが、今日中には自分の存在が知られると思い、何もせず瞼を閉じた。ところが、女の子はゼノの瞼を上に引っ張った。女の子を見てみるとニヤニヤしながら何かを言っている。しかし、鬼に人の言葉は分からない。すると今度は、女の子が指を差した。何やらその方向を自分に見てもらいたいらしい。ゼノは終わりを覚悟した。そして、体を軋ませ見てみると、近くに同じようにオルグが倒れていた。思わずゼノは笑い、女の子も笑った。

 その夜、オルグも目を覚ました。

「お前がここまで運んだんだな。」

「ああ。」

「あそこで死ぬのは嫌だったのか?」

「知らねーよ。体に聞いてくれ。」 「なんだそれ…でも、明日には死ぬかもしれねーぞ。昼間、ここに人の子が一人いた。ずっ

と俺たちが起きるのを待ってたんだよ…悪いが、喰わなかった。」

「そうか。」

「喰えば良かったと思うか?」

「わかんねー。ただ、こうやって月と星を眺めてから死ぬのは悪くねー。」

「あの夜に比べたら大分マシだな。」

 翌朝、地面に耳をつけた二匹は遠くの足音に気付いた。しかし、走って来たのは昨日の女の子一人だけだった。どうやら、この子は鬼の事を誰にも言っていないらしい。

 昨日と違い、女の子は小さなバックに食べ物を入れて持ってきた。そして、それをゼノとオルグに与えた。ゼノもオルグも人以外食べたことが無かったので手を付けずにいると、何やら女の子の顔が歪み始めた。これを危惧した二匹は、すぐに口の中へ食べ物を放り込んでみせた。それを見た女の子は大満足し、今度は森で草や木の実を取ってきて、二匹に食べさせた。こんな生活がかれこれ四日続いた。

「あー!クソ不味い!こんな事のために生き残ったのかよ。」

オルグは文句を垂れていたが、ゼノは笑っていた。

 今日も女の子は同じように鬼のもとへ向かった。しかし、そこに鬼の姿はなかった。代わりに数本の花が置かれていた。女の子はあまりの寂しさに泣いてしまった。

「ゼノ、これで良いのか?」

「ああ。これ以上深く関わっちゃいけねえ。」

二人は、森の奥深くから女の子を見ていた。女の子は涙を堪え、花を握りしめながら家へと戻っていく。

 女の子の家は森のすぐ近くで牧場を営んでおり、他の家とは離れていた。まだ幼い女の子にとって、鬼たちは友達のような存在であったことは言うまでもない。

「それじゃあ、どこへ行く?」

「俺はここに残るよ。」

「は?」

オルグは驚いた。

「俺はあの女の子を見守りたい。」

「何言ってんだよ?何のために?そもそも飯はどうすんだよ?」

「俺はもう人を食べない。どんなに不味かろうが、長く生きれなかろうが違うものを喰っていく。」

「…。」

「俺はこの数日、鬼の宿命を忘れられた。これを幸せとは言わないんだろーが、スゲー心地よかったんだ。あの子のおかげだ。俺はもうあの生活には戻らない。」

「わかってるのか?お前は鬼だぞ!絶対に人と交わることなんてできやしない!俺たちは人の血に塗れた生き物なんだよ!」

「わかってるよ。でも、鬼の生き方ってやつに逆らいたいんだ。」

「そうかよ!好きにしろ!」

オルグはゼノと別れた。

 来る日も来る日も女の子はあの場所に足を運んでいた。そして、毎日残念そうな顔で戻っていく。その姿を見守っていたゼノは、胸が張り裂けそうだった。自分たちの事を忘れて欲しくはないが、忘れて欲しいとさえ思うようになった。そうなれば、女の子はこれ以上傷つかずに済むから。

 日が昇りきった昼頃、今日も女の子がやって来た。ゼノはあの寂しそうな顔を見まいと目を閉じた。しばらくして、女の子が帰るであろう時に、ゼノは目を開けた。すると、女の子の姿がどこにも見当たらない。女の子は森の奥深くへと足を踏み入れていた。

 ゼノは迷った。あの子にとって森はまだまだ危険な場所だが、自分が助けに行ってもいいものかと。悩んだ挙句、ゼノは女の子に見つからない場所で彼女を見守ることにした。しかし、これは悪手だった。

「キャーーーー!」

女の子の前に熊。

「やってしまった…」

ゼノは自分の失敗を頭の中で悔やんだ。この距離ではすぐに助けられない。それでもゼノは、必死に森を駆け抜けた。彼の体が枝木を折る。

 ゼノが女の子のもとへ着いた時、熊はまさに両手を振り下ろし、女の子を襲う瞬間だった。ゼノは熊の背に向かって届かぬ手を必死に差し出したが、何の意味もない。

「大馬鹿野郎!さっさと来い!」

聞き覚えのある声が熊背の向こう側から聞こえる。赤い眼に滲んだ涙を拭うとオルグが熊の両手を受け止めていた。

「女の子を森から出せ!任せたぞ!」

「ありがとう!」

ゼノは泣きじゃくる女の子を抱え、あの場所まで戻った。

 ゼノは女の子を離したが、女の子は抱き着こうとしてくる。心が通じ合えないのはなんと切ない事なのかと思いながら、ゼノは女の子を払いのけた。それでも、女の子は近づいてくるので、大きく口を開け、牙をむき出しにし、唸って見せた。女の子は生まれて初めて味わう拒絶を理解し、ゆっくり泣きながら家へと歩き出した。そして、ゼノは森の中へ消えた。

 翌日から女の子は家のそばだけで遊ぶようになり、森に来ることは無くなった。

「これで良いのか?」

「ああ。」

「そうか。」

「ところで、何であの時お前がいたんだよ?」

「あれからお前がどうすんのか、ずっと見てたんだよ。一匹は暇だからな。」

「そっか。ここで生きていくのはしんどいぞ。」

「暇じゃないだけマシさ…」

オルグは自分を偽り、ゼノに答えてみせた。

 あれから十年、二匹は人を喰う事無く、あの森からずっと女の子を見守り続けた。この十年で女の子には弟ができ、よく二人で遊んでいた。その光景を見た時、ゼノの心は少し救われた。遠くから聞こえてくる声から人の言葉を学ぼうとしたこともあったが、全くダメだっ

た。年に数回ではあるが、女の子は森の方をジッと見つめる時があった。何を思っているのかは分からなかったが、何故だかゼノは少し嬉しかった。まだまだ幸せな時間が続くと思っていたが、突如として終わりはやってきた。

 ある日を境に、二匹は女の子を見かけなくなった。何が起きたのか、どうしても我慢できなくなった二匹は真夜中、女の子の家へと近づき、二階の窓を覗き込んだ。言葉や気持ちを知ることが出来ないのに、ある情報だけが知れてしまう鬼の体をゼノは憎んだ。

「あの子は死ぬな…」

「…」

「病かな…」

「…」

「人間は脆いな…」

「…」

何かを話さなければやっていられないオルグの気持ちは理解できるが、ゼノは何も言い返すことが出来なかった。二匹はただ森の中から夜空を眺め続けた。あの日と同じように。月が回り、星が霞み、太陽が昇り、そして、沈む。そうして、やっとゼノの口が開いた。

「俺の牙と角を抜いてくれ!」

「本気か?」

「俺はもう死んでもいい!ただ、もう一度だけあの子に会いたいんだ!」

「…」

何としてでも最後の一匹に生き残るため、鬼は醜くできている。鬼の共喰いは、鬼をそのまま喰らうのではなく、鬼を人に戻してから喰らうのである。鬼は牙と角を抜かれると人の肉体に一時間だけ変化する。本来はその間に共喰いを行うのだが、もし一時間を超えた場合は体が塵となり死んでいく。

 美しい満月の夜、二人は再開した。ゼノは体が散る寸前まで女の子のそばにいた。きっと思いを伝えたのだろう。戻ってきたゼノの表情を見て、オルグは察した。しかし、もう彼らの間に言葉は無い。それでも心に伝わるものはある。彼らは最後に抱き合った。ゼノはオルグの腕の中で消えていった。

 翌日、ゼノを追うようにして女の子は去った。オルグは女の子の墓にそっとゼノの牙と角を埋めた。

「今度は、人間に生まれたいな…」

 あの日、オルグは嘘を吐いた。本当はオルグも女の子に惹かれていたが、勇気が出なかっただけだった。女の子を助けられたのも本当はずっと見ていたからだ。しかし、また勇気が出ず、置いて行かれてしまった…オルグは孤独に森の中で眠った。