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日本の文化について 〜 私の良き時代・昭和!(その30)

森田 力

昭和31年 福岡県大牟田市生まれで大阪育ち。
平成29年 61歳で水産団体事務長を退職。
平成5年 産経新聞、私の正論(テーマ 皇太子殿下ご成婚に思う)で入選
平成22年 魚食普及功績者賞受賞(大日本水産会)
趣 味  読書、音楽鑑賞、ピアノ演奏、食文化探究、歴史・文化探究

日本の文化について 〜 私の良き時代・昭和!(その30)

 人間は、いや文化は連綿と続く。しかし文化とはいってみればJR環状線や山手線のようなもので、人が存する限り永遠に廻り続ける。そこが日本ならば、日本人の歴史や生き方(文化)をエネルギーとして回り続ける。しかし、時代に応じて乗車する客の意識やスタイルは変化していく。出会いとはその時代にたまたま乗り合わせた偶然というよりも奇跡的な産物であろう。とするならば、私はこの循環電車に乗って半世紀以上になるわけだ。

 この間、色々な人が乗車し、また下車(逝去)して行った。現在の車窓の眺めは乗り合わせた人々の生き方を映した世界である。日本という国が連綿と続く時代を懸命に生きた日本人の心の証(景色)といってもよいだろう。しかし、明治の近代化以降、日本には西洋の文明が堰(せき)を切って押し寄せ、消化不良の状態で今日まできた。いまもその影響を引きずっている。

 特に社会の混乱と倫理観の低下した車窓の風景は個々人が自覚すらできない状況である。この混乱した風景を夫々(それぞれ)が自分なりに直視し見極めることが肝要である。この自覚なしには議論はおろか、前進もできない。明治以降日本に背負わされた怒涛の如く押し寄せてきた西洋文明という近代の宿命に対しどのように向き合うのか未だに結論は見出せてはいない。

 時代は「仁義礼智忠信考悌(じんぎれいちちゅうしんこうてい)」といわれる八徳の道徳観に左右されながら変化していく。そこには各人夫々の生き方や考え方を含めた交流があり、また文化に根ざした、秩序ある成長へ向けてのコミュニティが展開されると信じたいのだが現状はどうだろうか。

 日本では人の心は(すさ)み、堕落し腐敗したただの金満国家となったというに過ぎないのではないか。物事には常に現象論と本質論があるが、最近では全てが現象論となっている。日本人同士で議論はするのだが、どうもかみ合っていないようである。

 母国語といっても、個人の主観的価値観に基づく日本語が入り乱れて縦横無尽に広がり、横行し、混乱しているだけといわざるを得ない。言葉は非常に客観的なものだとみられているが、そうではなく場合によっては個人の主観的な要素が言葉を生み出していると考える方がよい。

 同じ語彙であっても言葉の意味は個人個人で異なっているから悩ましい。つまり個人夫々が自分の生き方の投影のなかで好きなように言葉を操っているということに他ならない。だから同じ言語であっても通じない、そこにこそ混乱の原因があるのではないだろうか。

 神を戴く西洋における究極の哲学に対し、神の領域に及ぶ究極の葛藤を持たない日本は終始現象論の域を超えることは望めないため、平面思考の論理に陥ることとなる。議論は浅い形式の中で中味のないまま、かみ合わないままでぐるぐる廻る、ということになる。

 大事なのは本質論である。現象論とは新聞記事などマスコミが流す情報等である。評論もほとんどが現象論となっており、その呪縛から抜けきることはできない。だからこの国は知的怠惰な国ということになる。

 近代を代表する評論の父である小林秀雄が書くものは、肯定する自分と否定する自分の葛藤から滲み出た文章である。その結晶が短文で明快にそれも美しい日本語で表現されている。

『新訂小林秀雄全集 第八巻』から「文化について」(文庫『考えるヒント』にも収録されている)を紹介しよう。少し長くなるが許して戴きたい。これは講演録、いやエッセイといっていい。昭和二十四年に書かれたものだが、七十年余の時を超えても決して消えることのない宝といっていい。本文の趣旨は変えず、語尾などを少し修正し要約して紹介することにする。

 文化という言葉が大変流行している。その言葉の意味を正確に知っている人が非常に(すくな)い様で残念だと思っている。文化という言葉は勿論翻訳語であるが、文化という言葉は昔から支那にあった。これは政治的な意味があって、武力によらず民を教化するという意味であった。そういう意味の文化という言葉を英語のculture(カルチュア)、独逸語の Kultur(クゥルトゥゥア(ル))という言葉に当てはめた。どっちにしろ意味はまるで違う、誰が訳したか知らないが、こういうふうな訳のために、文化といっても僕らには何が何やらわからなくなってしまった。言葉に語感がないということは恐ろしいことだ。ただ文化文化とウワ言のようにいっているのである。しかし、カルチュアという言葉は西洋人にとっては、母国語としてのはっきりした語感を持っている筈だ。カルチュアとは畑を耕して物を作る栽培という意味だ。カルチュアという言葉にしたって決して単一な意味ではないが、どんな複雑な意味に使われようと、カルチュアと聞けば、西洋人には栽培という意味が含まれていると感ずる。これが語感である。

 ジンメル(筆者注・ゲオルク・ジンメル:一九世紀を代表するドイツの哲学者)は文化を論じてそういう点に及び、こういう意味のことをいっている。例えば林檎の木を育て、立派な林檎を成らす。肥料を工夫したり、いろいろな工夫を施して野生の林檎からデリシャスだとかインドだとかいう立派な実を成らすことに成功したならば、その林檎の木は比喩的な意味にしろカルチュアを持ったということになる。だが、林檎の木を()ってその材木で家を建てたり、下駄を造ったとしても、それは原始的な林檎の木が文化的な林檎の木になったことにはならない。つまり栽培が行われたのではないからである。

 するとこういうことになる。林檎自身にもともと立派な実を成らす素質があった。本来林檎の素質にある、そういう可能性を、人間の知識によって、人間の努力によって実現させた。そういう場合に林檎の木を栽培したという。だが、林檎の木自身に下駄になる素質はない。勝手に人間が下駄を造ってしまった。林檎の木自身ちっとも知らないことだ。そういう意味で西洋人はカルチュアという言葉を使っている。カルチュアという言葉は、日本では教養とも訳されている。例えば、僕がどんなに多くの教養を外部から取り入れても、それがもし僕の素質を育てないならば、僕は強靭、文化人とはいえないということになる。つまり、僕の中に僕の人格を完成させる可能性があるという仮定の下に僕という人間の栽培は可能なわけである。

 僕は僕自身を育てねばならぬ。いくら知識を得てもそれが僕の身につかねば僕は文化人にも教養人にもなれぬ。だからある人間の素質、個性というものの、向上に関する信念が先ずなければ文化を云々しても無意味である。このことは国民の文化国家の文化という場合も同じことである。ところが国際文化というような言葉が平気で使われている。これもおかしな話で、ある国の文化という以上必ず伝統的個性を持つものならば、国際文化というものはありえない筈である。インターナショナルなものは文化というより寧ろ技術と呼ぶべきだろう。そんなところまで出鱈目だから、新しい技術があればすぐ文化と呼びたがる。 もう一つカルチュア、栽培という言葉が自ら語っていることで、西洋人にはわかり切ったことだが、日本人には気が付かないことがある。それは文化とは単なる観念ではないということだ。むしろそれは物である。人間の精神の努力を印した「物」だということ。文化活動というのは、より見事な林檎を栽培することだ。人間の精神が自然に対して、自然でなくても歴史でも良いのだが、ともかく人間の精神がある現実のはっきりした対象に対決した時に、精神がその対象を材料として何か新しい価値ある形を創りだした場合でなければ文化という言葉は意味をなさない。文化とは精神による価値ある実物の生産である。よって私がこうしてお話ししていることなぞは文化活動とは決していえない。何故かというと、私はこうして喋っていて、何も現実的な形を生産してはおらぬからだ。私は文学者であるから、文章によっては文化生産をしている積もりである。しようと努めている。文学者の文章は林檎と同じことだ。いや、いい文章は林檎より遥かに長持ちする現実の形である。しかしお喋りはダメだ。私はこうして自分の精神を消費しているだけだ。私はジャーナリズムに屈服したのである。

 ジャーナリズムの中にあって、精神的生産をするということは、まことに難しい。余程豊富な精神が要る。

思想や美の現実的な形を創り出すには、暇と忍耐と熟慮が要るが、そういうものをジャーナリズムは許してくれない。勢い執筆者は、まるで蔵品でも売り飛ばすように書く。生産が上がらぬどころではない。一致協力して精神を消費している。読者もこれに慣れ、かような精神消費の形式の中に、文化の花が咲いていると思い込むようになっている。

 もう一つ、現代には厄介な傾向がある。それは批評というものが、非常に盛んであるにもかかわらず、批評というものの考えがまことに不徹底であるということだ。勿論、批評のないところに、新しい創造はない筈だ。批評は創造の手段であって、批評のための批評などというものはない。ない筈のものがありすぎるのだ。

 以上である。

 ここで重要なことは、「文化」という言葉を翻訳語として英語のカルチュアに当てはめたが、その英語には栽培という意味合いが含まれていることである。いくら外的教養を勉強したとしても、その人間の素質を十分に育てなければ「栽培」したということにはならないといっている。常時物事と対峙し徹底的に考えることが大事だと。その思想の基準こそ歴史に照らした人の道である常識といわれるものに他ならない。こういう人たちが出てきてこその文化ということになる。

 また外国人がカルチュアといえば「文化」のほかに「教養」という意味も内包している。従って西洋でカルチュアといえばこの二語が前提となるが、不幸にも日本では文化と教養の扱いが二分化されており、文化といっても個人的教養が欠落し、ただ単に、その時代の生活や状態を文化として現しているに過ぎないものとなっている。

 つまり日本で「文化が大事である」と最近特にいわれるものの、この文化には個人の生き方、身に付いた教養が全く反映されていないのである。教育水準は高くなったが教養面では戦前の教育を受けた方より上であるということは一概にいえないように、文化と個人の素養を高めた教養が結びついて初めて文化となることを今一度考えなければならない。

 西洋の文化は「人の上に神を戴く文化」であり、日本は「人の上に人を戴く文化」であると松原(まつばら)(ただし)氏は仰った。だから神を戴く西洋は究極の徹底した合理主義精神の葛藤の上に文明が存在するのである。

 西洋は神というものに対して「実在するのかしないか」その存在の有無を二〇〇〇年以上にわたって議論してきたのである。神の存在に拘り続けたなかで強靭な合理主義が生まれた。

 日本の神話は合理主義精神で書かれてはいない。「人間いかに生きるべきか」という問題意識もない。しかし、西洋のキリスト教社会では、万物は神が創造し創った。神はアダムとイブをつくり、エデンで暮らすようにいった。ここでは何をしてもいいが、「リンゴの実だけは食べてはいけない」と神はいった。しかし、蛇がイブに入れ知恵をする。「リンゴの実は善悪を知る実だ。この実を食べると神と同じ立場になれる。だから食べてみろ」と。イブはリンゴの実を食べアダムにも食べさせるが、(たちま)ちにして裸体でいることが恥ずかしくなりイチジクの葉で腰を覆うようになる。

 神は蛇を腹這いの生物とし、女性には出産の苦痛を課しアダムには額に汗して働かなければ食糧が得られないようにした。二人を死すべき定めを負わせて厳しい環境に置き、二人が生命の実を食べないようにするため楽園から追放してしまうのである。

 神は不完全な人間が善と悪を持つと悪いことをしてしまうことはわかっていたことなのでリンゴの実を食べることを禁止したのである。

それ以降人間は欲望と善悪との葛藤の中で、悪を犯せば後悔し、神に懺悔するという繰り返しで今日まで来たといえる。その繰り返しのなかで偉大な文学が生まれたのである。

 西洋は神の物とカエサルの物(いわゆる政治であるが)この二つを区別して考える。しかし日本では「人の上の人」しかいないからこの二つの区別がない、いやできない。また区別する勉強も遠い昔からしてこなかったこともあり、政治を超える領域のものを持つことができなかったといえる。従って今後とも神の領域を持つことは未来永劫ない。端的に言及すると、「どうでもよいこと」が政治であり、「どうでもよくないこと」が神の領域といえる。

 国民を生き続けさせていくことが政治である。だが、その国家をただ単に存続させて

いくだけではいけない。「構成する人が生きがいを持って生きる」必要がある。その為には全ての人が哲学をしなければならない。

 人間は生きがいを感じながら生きていかなければならないが、政治が人間としての生きがいを与えられるかといえば、難しい、いやできないというしかない。

 政治の領域を超えるものを持てないこと、これは努力しても解決がつかないことである。しかし、できないことがわかっていても、やり続けていくしかない。神の領域をもてないことが「どうでもよくないこと」ということになる。

 人の上に神を戴く文化である西洋と、人の上に人(祖父母や親兄弟はじめ教師など目上の人々)しかいない日本は今後も付き合っていかなければならない。日本は究極、人の上の人である天皇を神であるかのように扱ってきた。しかしその権威も新憲法の規定と開かれた皇室という(はざま)のなかで国民との距離感が無くなってきている。これは由々しきことであるが、日本は「これまで天皇を何のために戴いてきたのか」さえ深く考えない国である。これはまさに知的怠惰に他ならない。それだけ人の上に人を戴くことで成り立ってきた文化というものは、豊かで、贅沢な社会になればなるほど価値観が多様化しあやしくなってくるのである。

 一方で「人はパンのみに生きるにあらず」とする西洋の「人の上に神を戴く文化」は崩れることはない。

 この深刻な問題こそ解決がつかない問題である。絶望せず宿命的な欠陥を自覚するしかない。救いはそこにしかない。森鴎外や夏目漱石、小林秀雄、松原正も西洋文学を学んで発狂寸前まで葛藤したが解決法を見出せなかったのである。

 現在は世代を通して守らなければならない教養としての文化(真・善・美・礼・忠など)が血だらけになっており、誰もそのことには気付いていない。文化の究極に位置するのは家庭でしかないが、その家庭に文化破壊が進んでいるのが現状である。もう少し突き詰めた本質のところを考えていかなければならない。

 日本では核家族化が進み、今や核家族どころか、頼る家族はおらず個人で暮らす単独世帯が都会では三〇%以上を超えており、全国でも二五%を超えているという(厚生労働省『国民生活基礎調査』)。今後二世帯三世帯で暮らせるような環境が必要だろう。田舎でも都会の補完ができるような状況を生み出せるのではないか。

 人を育てるのは大自然でしかない。子供たちにも自然環境の中で作物をつくり自然の恵みがいかに尊いものであるか実体験させることで、人間は自然の中で生かされていることを感じることができる。また、父母や祖父母と同居、いや傍にいることで、人としての教養や家のしきたりや家風や歴史を受け継いでいけるのである。安心して子供も産める。核家族では今を生きるだけが精一杯でそれは望めない。

 日本はこれから高齢化が一段と加速していく。労働者の減少から高齢者にも働いてもらうということではなく、家族の融合を促進するなかで高齢者を活かしてほしいと思う。本来の故郷は高齢者の心のなかにこそ凝縮されている。

 だが団塊の世代は昭和二〇年代生まれであり、日本の戦後復興にも企業戦士として活躍したが、悲しいかな核家族化の最初の犠牲者ともいえる。それは世代を超えて伝えるべき文化が断絶した世代だからである。


■そう考えると昭和二〇年生まれの世代は、世の中に身を置く処世術には長けているが、家の伝統や文化の神髄となるとどれだけの人が胸を張って答えられるのか甚だ疑問である。

 それだけ日本は「パンのみに生きる」という経済発展だけを追い求め、伝承しなければならない文化というものに対して、何の躊躇(ためら)いもなく傷をつけ続け、大きな血の犠牲を払ってきた。この修復は簡単にはできそうにもないが、究極は個人個人が問題意識を持って考え対応していくべきことである。

私の良き時代・昭和! 【全31回】 公開日
(その1)はじめに── 特別連載『私の良き時代・昭和!』 2019年6月28日
(その2)人生の始まり──~不死身の幼児期~大阪の襤褸(ぼろ)長屋へ 2019年7月17日
(その3)死への恐怖 2019年8月2日
(その4)長屋の生活 2019年9月6日
(その5)私の両親 2019年10月4日
(その6)昭和三〇年代・幼稚園時代 2019年11月1日
(その7)小学校時代 2019年12月6日
(その8)兄との思い出 2020年1月10日
(その9)小学校高学年 2020年2月7日
(その10)東京オリンピックと高校野球 2020年3月6日
(その11)苦慮した夏休みの課題 2020年4月3日
(その12)六年生への憧れと児童会 2020年5月1日
(その13)親戚との新年会と従兄弟の死 2020年5月29日
(その14)少年時代の淡い憧れ 2020年6月30日
(その15)父が父兄参観に出席 2020年7月31日
(その16)スポーツ大会と学芸会 2020年8月31日
(その17)現地を訪れ思い出に浸る 2020年9月30日
(その18)父の会社が倒産、広島県福山市へ 2020年10月30日
(その19)父の愛情と兄の友達 2020年11月30日
(その20)名古屋の中学校へ転校 2020年12月28日
(その21)大阪へ引っ越し 2021年1月29日
(その22)新しい中学での学校生活 2021年2月26日
(その23)流行った「ばび語会話」 2021年3月31日
(その24)万国博覧会 2021年4月30日
(その25)新校舎での生活 2021年5月28日
(その26)日本列島改造論と高校進学 2021年6月30日
(その27)高校生活、体育祭、体育の補講等 2021年7月30日
(その28)社会見学や文化祭など 2021年8月31日
(その29)昭和四〇年代の世相 2021年9月30日
(その30)日本の文化について 2021年10月29日
(その31)おわりに 2021年11月30日