すっかり年間行事となった1月の「JR四国誕生日切符」を使った四国行きも今年で4年目、今回は香川の全県制覇と高知県山間部の塗りつぶしを主な目的とした。
高松行きANA531便は座席数が400強のB777-200、90%くらいの搭乗率だったと思う。北部九州方面に向かう便と同じように名古屋、京都の上空を飛び、姫路上空で大きく南に曲がりそのまま高松空港に進入した。高度が下げるとともに姫路市内や小豆島が良く見えた。高松空港から市内に行くリムジンバスも2台の続行だった。
先行きが心配になる小豆島へのフェリー
1万円で3日間JR四国内グリーン車乗り放題という誕生日切符は明日から使うことにして、1日目は小豆島に行って戻り、高松で学生時代の友人K君と会食し、高松に泊まることにした。 高松港から小豆島へはフェリーや高速船が頻発している。小豆島には土庄、池田、内海の3町があったが、2006年3月に池田と内海が合併し小豆島町となり2町になった。旧3町とも中心市街地は四国寄りの方にあり役場もそこにある。そして3町それぞれの港に向けて高松からの便がある。時間帯からまず中間にある池田に行き、島内バスで東側の内海に行き、またバスで西側の土庄に行くT字型の経路をとることにした。
船は両備グループに属する国際フェリーという会社の運行するもので昨年(2007年)7月に新造なったばかりの700トン弱のもの、室内は全体的にロビー風の豪華な感じのするもので、トイレも洗浄水つきのものだった。売店は本日火曜日はサービスデーですべての商品が1割引だったので、弁当や飲物を買いソファーで昼食とした。しかし定員500名に対し、50人も乗っていただろうか、1年中で最も閑散な時期かもしれないが、こんな豪華な船を就航させてこれから大丈夫なのかと少々心配になって来た。
池田港で降り10分ほど歩いて旧池田の町役場に寄った後、映画「二十四の瞳」の撮影場所の跡なのか、映画村というところへ行くバスに20分くらい乗り、途中の安田という市街地で下車、旧内海の役場に行った。合併後は池田が本庁で内海の方が分庁舎となっていた。近くの草壁港からは高松へフェリーと高速船がそれぞれ1日に5便ずつ、内海フェリーという別の会社によって運行されている。再度バスに乗り、池田を通過し土庄に行った。小豆島の中では最も市街地の規模が大きく、町の人口も2町が合併した小豆島町とほぼ同じ17千人弱である。岡山や宇野に最も近いこともあり、本州方面からの入口でもある。
初めての公文書受領 土庄町
土庄町役場の目の前にはギネスブックにも認定されている、海峡では世界一狭いという土渕海峡(最狭幅9.9m)がある。ここに架かる橋を渡ると「世界一狭い海峡横断証明書」というものを町役場でもらえるということをテレビで見たことがあり、役場の観光課で町長印のある証明書をもらった。名前を書き100円払ったがこれは役場の通常業務らしく、役場めぐり2406番目にして、行った先の役場で受けた初の正規の行政サービスだった。
ところで海峡という以上、ふたつの島があるはずなのだが、いろいろな地図やガイドブックの類を見てもそのあたりがはっきりしない。小さい方の島は前島というそうだが、役場や商店街、さらに土庄港もこちらにある。ところがその前島についての情報が島に関する本などを探しても見つからない。どうやら日本では両方の島を一緒にして小豆島と言っているようで、国土地理院による面積153.3K㎡というのも両島を合わせたもののようだ。もしもそうだとすると、ここは本当に海峡と言えるのだろうかと考えてしまう。貰った証明書にケチをつけるつもりはないのだが、観光キャンペーンに使うならばもう少し地理的な説明を加えてほしいものだ。
中心市街地再開発モデル地区と謳われているものの
当初の計画は高速船でいったん高松に戻りさらに直島まで往復するというものだったが、もう少し土庄でゆっくりしたかったことと、久しぶりに会うK君をあまり待たせても悪いと思い、早々に香川全県踏破を諦めることにした。高松には17時前に着いたので、琴電で高松築港から瓦町まで乗った後、ホテルにチェックインし、その後でK君に会った。
中心市街地再開発のモデル地区として全国的にも注目された高松丸亀町壱番街で食事をした。東西南北のアーケードが交差する部分には三越や高級ブランド店、百十四銀行発祥店などがあり、円形の高いドーム屋根で覆うなどかなり金をかけ賑わいを呼ぼうとしたようだが、通行人は少ない。週末には混雑するのかも知れないが、夕方から夜にかけて、人の流れが続かずすぐに絶えてしまい閑散としていた。3日後に行った松山の方がずっと人通りが多かった。人口規模はともかく官公庁や企業の進出度合などは高松の方が上だと思うが観光客数の違いなのだろうか、或いは高松が京阪神に近すぎることによるストロー現象の表れなのだろうか。
公共交通利用促進への県交通政策課の姿勢に感動
香川県には1995年の年末、往復夜行で中1泊、正味2日間で25市町まわったことがある。また2002年には徳島から東かがわ市となった3町にも行っている。残りは15なので今回の全県踏破は十分可能だったが、前述の経緯から直島1町を残すことになった。今回は県中部の比較的集中した地域を回れば良い。JR、琴電、路線バスの時刻を事前に調べて計画を立てたのだが、実際はそれよりも早く回ることができた。
JR高松駅で入手した「香川の乗り物ナビ」という冊子は実に良くできている。A4版128ページもあるもので、県内のすべての公共交通機関の時刻と料金がわかり易い路線図とともに載っている。自治体のコミュニティバスも含め、これ一冊ですべてがわかるし、53か所にも及ぶパーク&ライド用駐車場の案内図や料金、連絡先やレンタサイクルに関する情報も載っている。公共交通利用を促進させようという行政の意気込みのようなものが感じられた。
これを作る手間は大変だったと思うが、一冊で全県を網羅したということは香川県の規模だからできたのかも知れない。他の県とは言わず、地域単位でも良いからこれを参考にしてもらいたい。尤も冊子となると更新タイミングが問題となり、2007年2月現在のものだったが、一部インターネットで調べた最新のものと違っていたのは仕方ないだろう。発行元は香川県交通政策課、HPでも検索できるようになっていた。
早朝からJR沿線の町村をまわり、途中讃岐国分寺にも寄った。いつか全国の国分寺めぐりもしてみたいとも思っている。端岡と国分駅の間にある旧国分寺町役場(現在は高松市の支所)に行くために両駅間国道11号線を歩いたが、まさに「ファスト風土」そのもの、量販店や外食店などのロードサイド店の並ぶ、日本中の郊外のどことも違わない光景だった。(洋泉社MOOK 「地方を殺すな! ファスト風土化から“まち”を守れ!」)
予讃線と本四備讃線(瀬戸大橋線)が分岐する宇多津に行ってから坂出駅前よりバスで讃岐富士を右手に見ながら丸亀市の一部となった旧飯山町へ行った。ここの庁舎から次の旧綾歌庁舎までの約5キロは歩くつもりでいたのだが、「乗り物ナビ」によりその間を結ぶバスがすぐに来るがわかり、歩けば1時間ほどのところがわずか12分で行けた。
コミュニティバスのお手本 綾川町営バス
綾歌庁舎は琴電の栗熊駅のすぐ近くにあり、ここから琴電を高松方面に2駅、陶(すえ)まで乗った。陶駅前から出ている綾川町営バスは10人乗り程度のワゴンタイプのものだったが、5分程度ほどで綾上支所前に着き、さらにそこでは町内の別地域に行く同じような小型バスが待っていて、それに乗り継ぐ客もいた。このバスは1時間毎等時刻に運行しており、料金は乗継を含めて1乗車100円。往復とも数人の乗客がおり若い女性もいた。
私は以前から、自家用車に対して競争力のある公共交通というのは、最低でも1時間に1本の頻度と、途中乗継があっても運賃は通しで均一にすることが必要と考えている。それができないようなところは、タクシー利用に自治体が補助金を出すような方法で対応した方が中途半端なバスを走らせるよりも住民サービスの面ならも、経済面からも良いと考えているが、このバスはそれを証明してくれているようで嬉しかった。
さらに琴電を乗り降りし、沿線の旧綾上町、綾南町(いずれも綾川町)とまわり琴平に行った。琴電も単線ながら完全に30分毎の等時刻ダイヤで利用し易かった。いずれも元京浜急行の電車だったが、なかには昭和34年川崎重工とある銘盤をつけたものもあった。
それにしてもこのあたり、実にため池が多い。ちょっとした傾斜地の一部に堤防を築いた小規模のものがいたるところにある。昔から余程水には苦労していたのだろう。今それらがどの程度使われているのかはわからないが、雨の少ない瀬戸内海周辺の、そのなかでも大きな河川のないこの地方の独特な風景として、他とは違う、やはり讃岐に来たのだという気持ちにさせてくれるものがある。
少ない列車を上手く使って
琴平には計画していたよりも1時間半も早着したので訪問予定順序を入れ替え、列車本数が極端に少なく行くのがむずかしい琴平南部の町に先に行った。JR土讃線は多度津から琴平までは電化されており各停電車もかなり頻繁に走っているが、琴平から先、阿波池田方面へは特急はほぼ1時間毎にあるものの、各停列車となると2~3時間に1本と大幅に減ってしまう。しかしたまたま琴平発13時11分の次は14時04分と珍しく間隔が詰まっていた。
左右に小さなため池をいくつも見ながら、旧式のディーゼルカーは重い足取りで讃岐と阿波の国境の峠に向かってゆっくりと登って行く。次の塩入駅で次の列車が来る1時間弱の間に旧仲南町(現まんのう町)に行った。更に2駅先の讃岐財田駅で20分待って三豊市財田町バスというコミュニティバスに乗った。三豊市とは2006年1月に三豊郡の9町のうち高瀬、山本、三野、豊中、詫間、仁尾、財田の7町が合併してできた市だ。残り2町、大野原町、豊浜町はその2か月前に観音寺市と合併しているので、三豊郡というものはなくなっている。
バスは財田、山本の支所前、旧高瀬町役場だった新市役所前を通り観音寺駅に行くもので白ナンバーだった。自治体が所有する自家用バスを,公共の福祉のためにやむを得ない場合には国土交通大臣の許可のもとで自治体が有償で運行できるとする道路運送法第80条第1項を適用した「80条バス」と言われているものだ。料金は1乗車100円だった。讃岐財田駅に戻るバスまでは1時間10分待たねばならなかったが、庁舎内のロビーで寒さをしのぐことができた。しかしその後の、讃岐財田駅での20分待ちは寒くて辛かった。讃岐財田から乗ったディーゼルカーは高松行きだったのでそのまま善通寺まで乗り、ほとんど駅前と言った近場にある市役所に行き琴平に戻った。
琴平のホテルは素泊まり3500円、安かったがワンルーム・マンションをホテルとしたもので、フロントも夕方6時以降は無人となり、予め伝えられていたキー番号を使って自分でチェックインをし、料金は所定の袋に入れボックスに投げ込むというものだった。徹底的な省人化でコスト削減を目指すのは良いが、緊急時や異常時の対応はどうするのか、少々行きすぎのように思わないではなかった。
香川県の残りは直島の他は旧香南町のみとなった。翌朝は駅前からバスでその旧香南町まで往復、昨日行った旧仲南町、旧満濃町とともに2006年3月に合併し「まんのう町」となっている。町役場本庁は旧満濃町役場が新しい町の本庁舎となっており、その前を通ったが、ここは95年に訪問済みだ。日本最大のため池である満濃池は8世紀初頭に作られ、今でも灌漑用に使われているという。
四国の山中でルールを手直し
これで香川を終わり次は高知の山奥へ、路線バスを乗り継ぎ吉野川上流部のいくつかの町村に行き、さらに峠を越えて仁淀川水系に出て高知に行く方法をインターネットで調べていたら実に良い行路が見つかった。
琴平からL特急「南風3号」に乗り、県境の上り坂を軽快な足取りで走り、徳島県に入り大歩危小歩危の絶景を車窓から見て高知県の大杉で下車した。駅近くの大豊町役場に行き、高知からやって来た高知県交通バスで本山町役場前に行き、そこを始発とする10分後の嶺北観光バスで土佐町の役場へ行った。そして15分ほど待ち1日に2本しかない大川村へ行くマイクロバスに乗った。この先はダム湖畔の村役場のある大川局で5分、さらにダム湖が果てるところの日の浦という集落に行き、そこで23分待って旧本川村役場のある長沢まで乗り継げるはずだった。
ところがやってきたバスには長沢行きの表示があり、聞くとこの車両も運転手も長沢まで行くと言う。時刻表の表記上は別系統のように見えたのが、実際は1本のバスだった。これは重大な問題だ。自分で作った公共交通利用のルールのひとつ「同一列車等の停車時間中の訪問は認められない」に抵触してしまうからだ。停車時間の長さに関係なく、これを認めると駅直近の庁舎の写真をホームから写せるし、さらにバスの窓から写せるところなどいくらでもある。そしてこのルールを作ったがために行程作成の苦労が強いられるのだが、面白さも増すのである。
終点だと思っていた大川局だが、ここでは長沢から来て黒丸という支流の谷に行くバスとの接続があり、そのために5分停車し、さらに先に向かうのだった。停まったのは役場の目の前である。しかしここでルールを厳格に適用すると、この先に行くには今日はここに泊まるか、または今来た道を戻るしかない。いろいろ迷ったがここは「但し1日に2本以下の場合で、かつ相応の停車時間があり、その間に下車した場合はこの限りにあらず」という但し書きを急遽追加することにした。誰の了解も得る必要がないから、こういうときは助かる。なおバスの終点に役場がありすぐに折り返すようなときは、それは同一運行ではないのでその間に行くことはOKであり、今までにこのようなケースは何度かあった。
大川村役場はダム湖畔にあり、もう少し貯水量が減れば湖底に沈んだ昔の庁舎が姿を現すと運転手が言っていた。香川県の水飢饉の話で良く出てくる早明浦(さめうら)ダムだが、恥ずかしいことに私は吉野川のこんな上流の、しかも高知県内にあるということを今日ここにきて初めて知った。運転手の話しによるとこのダムは四国のみならず西日本最大だそうで、ウィキペディアによると利水配分率は徳島県48%、香川県29%、愛媛県19%、高知県4%、特に大きな河川のない香川県は水道使用量の50%をこのダムに頼っているとのことだった。
大川村はこのダム建設のために多くの家屋や田畑が水没し、人口はわずか502人(2007年3月31日住民基本台帳)の超過疎村、それでも今回どことも合併しなかった。このような村が今後どう進んで行くのか、道路に面した庁舎1階の人物写真の額がたくさん飾られた村長室に、村長と思しき人物がじっと考え込んでいる姿がガラス窓越に見えたが、さぞや悩み多きことだろう。なおこの村はかつて金銀銅の鉱山で賑わったことがあるそうで、山ひとつ越えた北側は別子であることが地図でわかり納得した。
吉野川水系から仁淀川水系へ
さらに上流に20キロくらい走ると,やっと湖が終わり川になり本川村となり、日の浦という集落に着いた。バスはここで23分休む。ここには最終バスの運転手が泊まるために民家を借りており、食料品が十分手に入るような店もないので、泊りのときは食料を持ち込むそうだ。嶺北観光には運転手が13人いるが、全員が泊り要員というわけではなく、この運転手は週に1回以上は泊まると言っていた。
本川村はその南の吾北村、伊野町とともに2004年に合併し「いの町」の一部となったが、合併前単独では人口700人台とここも過疎の村だった。小中学校を役場のある長沢地区に集約したので、このバスはこの日の浦地区からのスクールバスの機能を兼ねている。すなわち日の浦から長沢には朝と昼の2本、逆は昼と夕方の2本のみだ。今乗っているこのバスは夕方の下校生を迎えに行く回送車のようなものだというのが運転手の弁だったが、他には客はなく、それに乗せてもらったことになる。ここには大橋ダムという吉野川で最初に出来た本格的な発電ダムがあり、そのダム湖に沿ってさらに上流に進むと長沢、ここで長時間の付き合いだった運転手と別れた。ここを始発とする高知行きのバスが20分後にあり、それも1日2本のうちの1本だから実に効率が良い。しかしなぜか火曜日だけはさらに1本増発になる。
この長沢地区を含む本川村は、吉野川流域にあるが県都高知に行くには伊野を経由した方が早い。しかし1日2本のバスというのはあまりにも少なく、全く公共交通からは見放されたところと言っていいだろう。しかし高知からの国道194号線は良く整備されており、また反対側の愛媛県との県境には10年ほど前に長さ5.5キロの寒風山トンネルが開通、西条まで車で30分とのこと、付近の住民は車で西条に行くことが多くなったという。高知と松山を結ぶ高速バスが、今は大回りをして高い高速料金と燃料費を払っているが、この国道を走った方が安上がりだし、時間もそう変わらないのではないか、それに長沢など途中の集落でも客扱いができる。多分検討はされていることと思うが。
長沢からはさらに支流を上流に向かったが、1キロほどのトンネルを越えると旧吾北村となり、仁淀川水系の上八川流域に出た。吾北総合支所前で下車。次のバスは3時間半後だが、この先5.5キロほどの高岩というところまで歩けば、1時間後に別方向から来て高知に行くバスに乗れる。猛烈な勢いで歩いたら50分で高岩に着いてしまい、十分そのバスに間に合った。そして上八川から仁淀川の本流に沿って走ること40分、伊野駅前で下車、十分明るいうちにいの町役場となった旧伊野町役場に着いた。一部ルールの見直しがあったものの、合併前の4町3村ひと筆書きを終わらせた。大杉駅前から伊野駅前まで所要5時間11分、山間の超過疎地にしてはすばらしい効率だった。
自動車に勝る路面電車
町役場前が土佐電鉄の伊野電停だ。バースデー切符があるのでJRならば高知まで無料だが、せっかくなので土電に乗った。やってきたのは全面に菱形の「いの」と大書されたサボをつけたかなり旧式の電車だった。扉が前後の車端にあるもので、車内には私の履歴書として書かれ1952年山口の日立製作所製、当時全国で流行っていた都電6000型をモデルにしたという貼紙があった。全長11.6メートル、定員60人とあった。
道路脇の単線専用軌道を走る。スピードは遅いが、夕方だったからか渋滞している車をどんどん追い越して走るところはなかなか格好良かった。電停数は多く、客の乗降も結構多い。しかし線路の保守状態は悪く、車両も古いせいか良く揺れる。しかもロングレールでないためジョイント音も大きい。こういうところこそ上下分離方式にしてレール等のインフラは自治体が維持保守、その費用は道路特定財源を充てるというのが理想的だと思うが、そのような検討はなされているのだろうか。信号方式はタブレットだった。岐阜の名鉄美濃線も同じように道路脇の専用軌道を走っていたが数年前に廃止された。それに比べると高知ではまだまだ頑張っているように見えたので、ここは行政も含めてさらなるスピード化、快適化を追求してほしいものだ。
鏡川からは市内区間となり、複線で道路中央を走るとともに本数も大幅に増える。ちょうど折返しに新型低床車が来たので、それに乗り換えた。2002年製造の「ハートラム」という愛称をもつ3車体連接のVVVFインバータ制御、低床部分のスペースを広く取るよう良く工夫された電車だった。1編成しかないのに良く巡り会えたものだ。製造費が高価なため増備の予定はないそうだが、私の知る限りだが、日本一車内レイアウトの優れた低床車だと思う。行政の補助などでもっと車両を増やしてほしいと思うのだが。
土佐電鉄は総延長25.3キロ、わが国の路面電車の中では広電に次ぐ規模だそうだ。3年前に後免からはりまや橋まで乗車したときにも、夕方だったがそれなりの利用があった。専用軌道が多いので所要時間が安定しており、運転頻度も比較的高く利用しやすいのだろう。官民一体でこの電車を支えてほしい。
高知市の周辺
高知に泊まった翌日はまず朝7時の岡山行きL特急「しまんと3号」に乗ること11分、土佐山田で下車しJR四国バス大栃線で2006年に合併して香美市となった物部川沿いの土佐山田町、香北町、物部村に行き、また特急で高知に戻った。この時間帯であれば、JRバスの本数も多く、それぞれの役場付近での滞在時間がいずれも20分以内で済み効率が良い。9時47分には高知に戻っていたので朝のほんの一仕事だった。他の時間帯だと、いずれの場所でも1時間前後の待時間となり3ヶ所行くのに4~5時間要してしまう。
今日は夕方松山で友人のT君に会うことになっている。そのためには高知13時発のL特急「南風16号」に乗らなければならない。その間高知周辺の1~2ヶ所行きたかったがバス便の関係で土佐市役所にしか行けなかった。仁淀川下流の右岸にある高岡という市街地が土佐市の中心で市役所もここにあるが、土讃線からは大きく離れバスでしか行けない。高知県高岡郡というのはここから西は窪川、山奥は檮原に至る広域の郡だが、郡名と市街地名が関連しているのかどうかはわからない。バスは今では高松の郊外で見たのとまったく違わない、日本中どこでも目にするファスト風土化したバイパス状の道を走り、また同じ道を通り高知に戻った。そして上記の特急で高知から多度津に行き、予讃線の特急に乗換えた。ずっとグリーン車にふんぞりかえっていた。高知駅の高架化は完成目前だった。
松山の島と町と温泉
1年ぶりに会ったT君と松山のスナックをはしごし痛飲した翌朝、高浜港からフェリーで中島に渡った。忽那諸島(くつなしょとう)という松山沖に展開する30近くの島からなる島嶼群の主島だ。2005年1月に北条市とともに松山市に編入されたが、それ以前の中島町はこの島を含め有人島が7つ、人口は6千人ほどだった。その中の松山から最も遠い津和地島(つわじしま)は2ヶ月前に行った周防大島の東端の目と鼻の先だ。山地全体が海に沈み、高い峰だけが海上に姿を残しているといった風な、瀬戸内海のいくつかある島嶼郡のひとつである。フェリーと高速船とがあったが、私は時間の許す限りはフェリーを使っている。たいてい2倍くらいの料金差があるし、それより何よりゆったりとしておりデッキに出て360度景色を見渡すことができるからだ。
船は高浜港の前面に屏風のように、或いは防波堤のように細長く横たわる興居島(ごごしま)を避けるように北側を回り込むようにして、睦月島(むづきしま)、野忽那島(のぐつなしま)に寄港しながら1時間5分で中島の大浦港に着いた。途中の2島はそれぞれ人口が400人と250人、小学校しかないそうで、野忽那島ではおばあさんが1人下船しただけだった。大浦港のすぐ近く、歩いて2~3分のところの旧町役場は松山市役所中島支所となっていた。伊予銀行の支店もあり大きな病院もあった。温泉に早く入りたかったので15分後の折り返しフェリーで戻った。帰りは途中寄港なく高浜港に直行したので所要は40分だった。
なおこのフェリーは高浜港で乗下船できるのは徒歩客だけで、車の乗降扱いは2~3キロ松山寄りの三津浜港で行っている。だから高浜港では数十人の客を降ろすとすぐに出ていった。道路を挟んで2~30メートル歩くと伊予鉄の高浜駅で、連絡船との乗継には大変便利だ。正面の興居島との間にもフェリーが頻発しており、こちらは高浜港で車の乗降ができる。広島や呉に行く船はここから1キロくらい先の松山観光港に発着しており、そこまでは高浜駅から15分毎に着く電車に接続する連絡バスがあった。
伊予鉄道高浜線の元京王の電車で市内の古町まで戻り、市内電車城北線で上一万へ、さらに道後行に乗換え温泉本館でたっぷりとした湯に浸かり二日酔いを解消した。城北線は文字通り城の北側を走るわずか2.7キロの単線区間だが、住宅街の狭い路地を縫うように走り江ノ電を思い出す雰囲気だ。10分毎の運転だがかなりの利用者があり、座席が空くことはなかった。 それにしても松山の市内線はいつ乗っても混んでいる。道後に行く線などはちょっと電車が遅れたりすると満員の
様相を呈して来る。これだけ多くの客がありながら、新型の低床式電車に高知のような連節型でない単車(もちろんボギー車だが)なので車内の段差も目立ち余計に混雑している。松山こそ広島で走っているような長編成の連節車両が必要だと思うが、松山市駅前電停の構造上導入がむずかしいらしい。しかしなんとか改善はできないものか、城の堀端を走る大きな窓のヨーロッパスタイルのLRTを是非見たいものだ。
土曜日だったこともあるのかも知れないが、市内は観光客で賑わっていた。高松、高知に比べ格段の差だ。松山城と道後温泉の方が栗林公園と屋島や、高知城と桂浜よりも魅力的なのか、漱石、子規、秋山兄弟の人気は竜馬よりも高いのか良くわからない。それよりも有名な温泉が市街地にあるということが決めてなのか、とにかく松山の観光地としての集客力にはいつ行っても感心させられる。それだけにますます連接型LRTを走らせてほしい。
道後からは松山空港まで直行バスに乗り、16時半過ぎの便で東京に戻った。四国山脈上空を飛び、高知市から紀伊半島南部方面に飛んでいるはずだが、あいにく雲に遮られ、ようやく下界が見えた頃はすでにすっかり暗くなった房総半島の上空だった。今回は4泊5日で香川、高知、愛媛3県の3市19町4村の合計26市町村をまわり、累計を2429とした。