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卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第16部 ~火球落ちる~ 〜 卑弥呼 奇想伝(その16)

葦田川風

我が村には、昔から蛇が多い。輪中という地形なので湿地が多く蛇も棲みやすいのだろう。更に稲作地であり野鼠やイタチ、カエルと餌が豊富である。青大将は木登りが上手い。そのまま高木の枝から飛べばまさに青龍だろう。クチナワ(蝮)は強壮剤として売れる。恐い生き物は神様となるのが神話の世界である。一辺倒の正義は怪しい。清濁併せ飲む心構えでいないと「勝った。勝った」の大本営発表に騙される。そんな偏屈爺の紡ぐ今時神話の世界を楽しんでいただければ幸いである。

卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第16部 ~火球落ちる~ 〜 卑弥呼 奇想伝(その16)

 一瞬、水中で黒い鳥が青い衣をまとった。ざぁざぁと風が木々を震わせた。秋が近い。川面には、赤い花の花いかだが流れていく。その群青色の夜の川面を、光の群れとなって蛍の葬列が流れていく。十日の命をどう生きたのだろう。「私は蛍のように死にたい」とタケル(健)は言った。私はどう死のう。ジンム(仁武)が私の乳房をまさぐった。お腹が空いたようだ。そうなのだ。まずは生きなきゃ物語は始まらない。さぁお乳を飲ませなくっちゃ。青い川面に椿の花がポトリと落ちた。

幕間劇(19)「葦の河原に夢枯れて」

 その渡し船は轟音を轟かせ上流へと舳先を向けて進んでいる。しかし、流れに押し流され思い通りには上流へ進めない。そこで、更に耳をつんざく程にエンジン音を上げてやや上流に向かった。しかし、川の中ほどまで来ると船頭はエンジンの回転を落す。だから、剛直さを捨てた船は弧を描きながら横滑りで進んでいる。

 情けなく滑稽な姿であるがこれで丁度良いのだ。ここが船頭の腕の見せ所である。もし、意地を張り対岸の桟橋に真っ直ぐ舳先を向けて進めば、船は下流へ下流へと流され芦原に突撃である。だから、人生の機微に疎い新人の船頭は中々、うまく桟橋に接岸できない。流されるのも人生の楽しみである。流れ着く先を見定めれば無駄な苦労は少ない。

 初めて川の流れに乗り出した若い船頭は岸から離れそうになり、思い切りエンジンを吹かす。すると、渡し船は勢いよく桟橋の岩に乗り上げ、乗客の幾人かは川に放り出される。しかし、あまり慎重ではゴゴゴゴゴ……とスクリュー音だけ響かせて渡し船は中々岸に着かない。なかなか思い通りにはいかないので情けなくなり新人は身を細らせる。

 だから、船頭が新人だと分かると朝急いでいる中学生は自転車を抱えたまま、エイヤーっと桟橋に飛び移る。しかし、濡れた桟橋で足を滑らせてドボンと川に落ちる者もいる。自転車ごと川に落ちればもちろん遅刻である。しかし、遅刻はしても溺れたりする子はいない。この子等は皆水ガキ共である。だから、着衣水泳もお手の物なのだ。

 そのためドボンと水中に落ちてもしばらく動かない。身体が浮くのを待つのだ。水ガキ共は川底に潜る方が何倍も大変だと知っている。だから深く潜りたい時は大きな石を抱いて飛び込む。川底に着いて石を放すと身体は自然と川面に向かって浮き上がる。だから人の身体は浮きやすいのだと幼い時から身をもって知っている。

 浮き上がったらゆっくりと流れに乗って下流に泳ぎ対岸に上がる。横着な奴になるとシャツに空気を孕ませプカプカ気持よさそうに浮いている奴もいる。学校はもう遅刻なのである。いずれにしても渡し船の船頭は、乗客をイライラさせず、そして、コツンと静かに舳先を岩に着け接岸できるまでには年季がいる。

 川面に突き出した桟橋からヒョイと渡し船に飛び移ると竜ちゃんは操舵室の船頭に手を振った。それから「ヨシマツおっちゃん。元気そうやね」と声を掛けた。この船頭は竜ちゃんの近所の小父さんである。「リュウちゃんなぁ久しゅう見らん内に良か女子(おなご)に成ったなぁ」と、吉松船頭が揶揄(からかい)気味に声を返す。竜ちゃんの髪は胸まで延びていた。そして肩からはギターのソフトケースを下げている。どうやらフェンダー型のエレキギターのようだ。でも貧乏な大学生にフェンダーのギターが買えるとは思えないのできっとグレコのギターだろう。

 そしてズボンは派手なストライプ柄である。だから吉松船頭はもう一言「葬式の帰りかい」と声をかけた。確かにお寺に掛けられる五色の幕に似ていないこともない。吉松船頭は昔からしゃれの利いた人である。だから竜ちゃんも苦笑して受け流した。

 英ちゃんや石橋健三君とは別々の大学になったが、月丘流星君は同じ大学に入った。だから二人は新しいメンバーを募り本格的にロックバンドを始めた。今バンドはエリック・クラプトンのコピーに夢中である。だからフォークソングではなくブルースロックを演奏している。バンド名はフライングタイガースだ。

 渡し船は川砂の採取船の間を巧く潜り抜け桟橋に着岸した。船頭衆でも吉松船頭はベテラン中のベテランなので見事な着岸である。ゆっくり接岸すると直前で軽くスクリュウを逆回転させる。この逆回転のタイミングと力加減が実に上手いのである。竜ちゃんはこの着岸の感覚が懐かしく二~三回往復してみたい位の気持に襲われた。

 堤防に刳り抜かれた樋口を潜ると酒屋に立ち寄り一升瓶を1本買った。勿論父ちゃんの好きな粕取り焼酎である。竜ちゃんには苦手な味だがこれも親孝行である。休みでもないこの時期に竜ちゃんが帰郷したのは父ちゃんからの呼び出しだった。

 竜ちゃんの学費を稼ぎだしてくれているオート三輪の調子が悪いらしい。だから来年には買い替えなければいけないようだ。自動車はまだ高級品である。買い替えるに当たっては今後商売をどうするかを考えておく必要がある。都会ではすっかりスーパーマケットの時代に入った。だから個人商店の未来に明るい光は見えない。そこで、少し早いが商売をどうするか竜ちゃんと話し合っておきたかったようだ。つまり竜ちゃんが大学卒業後に店を継ぐかどうかである。今直ぐに決めろとは言わないがそろそろ考え始めて貰いたいようなのである。

 店に帰り着くと夕方の買い物客でいっぱいだった。「あら~リュウちゃんの髪は美しかねぇ。私の髪と換えて貰いたかごつ有る」と昔馴染みの小母さん達が声を掛けてきた。「そいが、今都会で流行りのズボンね。珍しかねぇ」とズボンを撫でまわす小母さんもいる。「リュウちゃんなぁ。昔からおしゃれやもんね」と、エレキギターを珍しそうに見る小母さんもいる。そして「そりゃ何?」と聞いてきた。「エレキギターたい。安物ばってんねぇ」と竜ちゃんが答えると「うわ~エレキげなばい。テケテケやろう。やっぱリュウちゃんなぁハイカラやね」と店内は大はしゃぎである。

 店の奥に入ると芳幸が勉強をしていた。寝小便小僧の芳幸も来年から中学生である。「近頃仙人さんはどげんしとらすか?」と聞くと「元気ばい」と芳幸は答えた。それから「兄ちゃんの髪も仙人さんのごつ成ってきたなぁ。兄ちゃん仙人さんに成ると?」と聞いてきた。だから竜ちゃんは「おう、ギターの仙人さんば目指しよるったい」と答えた。すると芳幸は「そんなら兄ちゃんな。霞ば食うて生きていけるごつ成らなぁなぁ」と言った。

 どうやら芳幸は吉松船頭からしゃれの利かし方を習っているようである。その夜は、美夏ちゃんの父ちゃん重人さんや、ブキチ(武吉)の父ちゃん守人さんも集まってくれた。そして遅れて民ちゃんの父ちゃん兼人さんも駆けつけた。そして、竜ちゃんのギターはブルースロックではなく夜霧のブルースや新宿ブルースに変わった。

 ずいぶん酔いが回った頃、竜ちゃんは兼人さんに、民ちゃんに恋人が出来たことを仄めかした。兼人さんは一瞬「何~っ」と熱り立ちそうになったが、酔った重人さんや父ちゃんから「おうおう、そりゃ目出度かばい。民ちゃん程の美人に惚れん奴が居らん方が珍しかばい」「ほうほう、相手は帝大生かい。こりゃ福田家の未来も安泰たい」と絡まれて兼人さんは複雑な表情をしていた。

 実は、民ちゃんが竜ちゃんにガス抜きをしておいてくれるように頼んでいたのだ。山本先輩と民ちゃんは既に半同棲中である。だから、民ちゃんのアパートを解約すればいずれは兼人さんに知れるのである。

 翌年の春、大学二年生になった竜ちゃんと月丘流星君のフライングタイガースはブレイクした。でも竜ちゃんと流星君以外のメンバーは激しく入れ替わった。流星君が厳しいのである。流星君は演奏に妥協を許さなかった。だからアマチュアレベルのメンバーはついて来られないのだ。

 竜ちゃんのギターは群を抜いていた。それを流星君のアレンジが更に際立たせていた。二人には上京しないかと盛んに誘いが舞い込んだ。流星君はそうしようと竜ちゃんを説得するのだが竜ちゃんは煮え切れなかった。そして福岡在住のまま一枚のシングルレコードを出した。曲は竜ちゃんがアコースティックギターで作った。それに流星君が詞をつけスローブルースにアレンジした。タイトルは「ノコ・ベイ・ブルース」といった。

 このレコードは東京でも注目を浴び上京の誘いは益々高まった。大学三年に成った夏、ついに流星君はひとり大学を中退し上京した。竜ちゃんにはファントム戦闘機が落ちたよりショックだった。

 竜ちゃんは、この春チャペルで知り合ったヤッコ(秦靖子)と西新のアパートで同棲を始めていた。出会いは二月の大雪の日だった。竜ちゃんの下宿は海岸の傍にあった。そして砂浜は雪に覆われていた。その大雪の波打ち際に一人の女の子が立っているのが部屋の窓から見えた。竜ちゃんは“こりゃ身投げばい”と慌てて下宿を飛び出し波打ち際に向かった。そして「おい早まるな」と後ろから抱きすくめた。

 女の子はびっくりして振り返り身を解くと「痴漢~んめっ」と叫ぶと竜ちゃんに平手打ちを喰らわした。“はぁ~?”と呆けている竜ちゃんに女の子は「何んばすっとね」と更に殴り掛かろうとした。竜ちゃんは慌てて「お前、死ぬんやなかとか?」と聞いた。女の子は「何、馬鹿なこつ言うと、何で私が死なないかんと」と言い返してきた。「何~や。死ぬとじゃなかつか」と竜ちゃんが溜息をつくと「何~やっ?! ちゃぁ何ね。若い乙女に抱きついとって、痴漢め謝れ!!」と捲し立てた。

 竜ちゃんは仕方なく「ごめん、おい(俺)はてっきり身投げかち思うて。早合点のごたったようだな。ごめん」と素直に謝った。それから二人は自己紹介をし同じ大学だと分かると女の子も許してくれた。それがヤッコである。ヤッコは博多っ子で海を見るのが好きなだけだったようである。それに玄界灘に面していても、こんなに浜が白銀の世界になるのは珍しい。だからその冬の浜を楽しんでいるだけだったのだ。

 ヤッコの実家は博多駅の先に在るらしいが、大学に入り一人西新でアパート暮しを始めたそうだ。アパート代も夜はスナックで働き自分で稼いでいるらしい。気丈な女の子のようである。ヤッコは竜ちゃんがフライングタイガースのギターマンだと分かると頻繁にライブに顔を出すようになった。それから二人はヤッコのアパートで暮らし始めたのだ。

 去年、遂に父ちゃんはオート三輪から軽四輪車のトラックに乗り換えた。美夏ちゃんの父ちゃんが転職したのがきっかけだった。だから、「隈自動車修理工場」の初の販売自動車である。父ちゃんは、竜ちゃんのバンドの噂も聞いており、「まぁ竜が駄目でも芳幸が居る」という腹積もりで買ったのだが、当の竜ちゃんは「やっぱり店継がなぁいかんやろうなぁ」と悩んでいた。それにヤッコを置いて独り上京もしたくなかった。だから流星君は諦めて独りで上京した。

 流星君が上京すると、何もかもがうまくいかなくなりだした。バンドは竜ちゃんの評判でどうにか維持していたが、竜ちゃん自身がのめり込めなく成っていた。流星君は何度も竜ちゃんに誘いの手紙を寄こした。酒に溺れ自棄に成っていく竜ちゃんにヤッコは「夢、あきらめちゃうの」と背中を押した。しかし、竜ちゃんの決心は鈍ったままだった。大学四年の夏、ジョーが死んだ。それから竜ちゃんは更に自棄になりついに二人は別れた。大学を卒業すると、竜ちゃんは地元のスーパーマケットに就職した。ヤッコは天神の外れでライブが出来る小さなスナックを始めた。でもそこで竜ちゃんが演奏することはなかった。竜ちゃんはバンドも解散しギターも手放した。

 就職をした夏、竜ちゃんは帰郷した。河原は背を覆うほどの高さに伸び青々とした葦の海原が広がっていた。渡し船に乗ると、今日も船頭は吉松さんだった。「おっちゃん。まだ生きとったかい」と竜ちゃんが吉松船頭に声を掛けると「ありゃ、リュウちゃんなぁ。女子(おなご)からまた男に戻ったかい。おうおう長生きはしてみるもんたい」と返してきた。竜ちゃんの髪は七三に変わっていた。そしてスーツに身を包んでいた。

 渡し船に乗りこんだところで芳幸達が自転車で駆け込んできた。芳幸も高校生である。「おう兄ちゃん。帰って来たかい。仙人さんにゃ成りそこねた格好やね」と言った。すかさず吉松船頭が「まぁ霞は旨かもんじゃなかけんなぁ」と相の手を入れた。それから吉松船頭と芳幸達の屈託のない笑い声が川面を走った。

 家に着くとまだ客はまばらで嵐の前の静けさのようだった。さっそく父ちゃんが奥から出てくると軽四輪のハイゼットを自慢した。それから芳幸は陸王の側車を引っ張り出すと「兄ちゃん。ドライブでもするかい」と誘ってきた。「今からどこ行くとや」と聞くと「日ノ隅山に行こうやないか。オイ(俺)はどうも仙人さんの話の女王さんは、日ノ隅山に眠っとらす気がするったい」と言った。

 竜ちゃんは車の免許も自動二輪の免許もまだ取っていなかった。だから陸王の側車に座った。堀からのむっとする熱気をかき乱しながら陸王は爆音を轟かせ小さな山を登った。夏の夕暮れは遅く筑後平野では夕餉の煙があちこちで立ち昇っていた。まるで爆撃でもされたのかと見紛う風景である。「兄ちゃん。女王さんの時代もこげな(こんな)景色やったろうなぁ」と芳幸が言った。「まぁ田舎で高いビルもなかし、そうかも知れんなぁ」と竜ちゃんも同意した。「そうやんのう。長い目で見たら人の人生も大してデコボコ道やないかも知れんばい。兄ちゃんの髪が長ごうなっても短こうなっても、あの夕餉の煙ほどもなかばい」と芳幸が言った。こいつは俺より処世術に長けとるばい。と竜ちゃんは可笑しく、そして何故だか少し心が軽くなった気がした。知らない間に竜ちゃんの心はすっかり老いていたようだ。翌日、竜ちゃんは沖底さんの祠を少し覗き込み渡し船に乗った。

夏枯れて 照るは川面の 波揺らぎ 速けきも在り 遅けきも在る

~ 北の防人 ~

 絹雲が突き抜ける青の世界に、真白き筋を描く。その筋は絹のような或いは白髪をすき流したかのように柔らかい。陽を覆うように蓬髪が広がれば、それは風神雷神の登場である。しかしその危惧は感じられない。北の山々は勇壮な姿で聳え立ち、良き旅を招くようである。

 カシケ(火斯気)は、夕べ飲み過ぎたようだ。宴の最後の方は、レラ(玲来)と、ミナモモ(水桃)親子が介抱しながら寝かせていた。さすがの荒ぶる神火斯気も月読みの巫女と森の妖精には気が許せたようである。

 船長のヤマト(倭)は、チヌノウミ(茅渟海)で待機している。しかし、玲来と水桃親子は私が連れてきた。だから水桃は私の遊び相手である。そして、チヨダ(智淀多)より数倍も私の気分を和らげてくれる。智淀多は、もっぱら私の散漫な怒りの矛先で突かれる藁束の人形の役である。水桃は、その愛らしい笑顔で私の陰鬱を包んでくれる光である。きっと水桃は、玲来と同じ森の妖精なのだろう。こんな可愛い森の妖精が一緒なら、どんな深山の森にだって分け入ることが出来る。

 今しも「ほらほら、ヒミコ様。ぽか~んと山並に見とれていると馬から落ちますよ」と、うるさい御者め!!……の智淀多がいらぬ世話を焼く。すると「チー様大丈夫。手綱は私がしっかり持っているから」と水桃が私の鞍の前で答えた。

 水桃は、智淀多をお気に入りである。智淀多は、父倭の従兄弟でもあるが、その関係以上に気が合うようである。私には、二人は対照的な気性の持ち主に見える。が、やっぱり何故だか気が合うのだろう。

 水桃は、三歳ながら気遣いが上手い。そしていつも皆に愛想が良い。智淀多は、十九歳にもなるのに人への気遣いが出来ない。いつも、いらぬお節介焼きである。でも言っていることは概ね正しい。だから尚更悔しい。

 水桃は、近頃歌と踊りを覚えた。だから毎夜その歌と踊りで皆を楽しませてくれる。それに乗馬にも今挑戦中である。それから料理にも興味を持ちだした。リーシャンも可愛い弟子が出来て嬉しそうだ。

 それに引き換え智淀多は、出来ないことは決してやらない。“どうせ上手になれないのだからやっても無駄”という訳である。だから武術はまったく出来ない。倭が随分と武術を教え込もうとしたらしいが駄目だったようである。確かに苦手なことより得意なことの方が上達も早いのだが、困った奴である。

 ルルム(流留無)からアイミ(藍実)までは二日の旅である。でも近衛二十四人隊だけなら一日でも着ける距離らしい。しかし、私には、そんなに早足に旅を続ける理由はない。だから、途中の村で一泊し藍実に向かうことにした。そしてアサマ(阿佐麻)様とは、ここで別れることにした。

 藍実までは、火斯気の配下が案内してくれるそうだ。三人の若衆は、近衛二十四人隊にも劣らない健脚のようである。私も張り合って歩こうかと思ったが、やっぱり水桃と馬の背に揺られている。まぁ水桃に乗馬を教えなけりゃいけないので仕方がない。

 アユチノウミ(東風茅乃海)から山裾の村までの風景は、ヤマァタイ(八海森)国と良く似ている。だから、こんなに遠くまで旅しているのだという実感が薄れた。翌朝は、のんびりと出発し、日暮前には藍実に到着した。

 藍実にも小さな温泉があるようだ。川沿いに湧き出しているという温泉は、旅の途中の楽しい話題に上がった。何でもハエポロ(栄幌)が見つけたらしい。だから得意げに話を弾ませていた。「昔、俺に惚れた猿がいてよ。そいつが教えてくれたんだ。もちろん雌猿よ。アハハノハハ…… で、雄猿の親分が怒ってよ。俺に決闘を挑んできやがった。そこで俺は腰に縄をつけて大楠の枝に掛けると、柿の木に登ったのさ。そして『ここまで来てみろダラブチが。真っ赤なお尻ぺんぺんしてやるぞぉ』とからかったのさ。すると猿の親分は顔を真っ赤にして柿木に登って来た。ところが柿の枝は折れやすい。俺と猿の親分が乗った枝はその重みでポッキリよ。下は激流だ。猿の親分はアップアップと溺れながら下流に流されていった。俺は腰に結んでいた縄で助かって大丈夫よ。その日から俺は山猿の親分よ。だから、毎日温泉三昧よ。アハハノハハ……」という具合である。

 智淀多は「嘘ですね。山猿が温泉に浸かるとは思えません。また、あの方のつまらない嘘の話です」と批判した。どうやら智淀多は、この手の気性の人間が嫌いなようである。私は結構楽しみながら聞いていたのに、まったく智淀多は冗談も理解できない男である。山猿だって温泉に入りたい日だってあるかも知れないではないか。ハエポロのように愉快な奴なら、猿だって鹿だって、イノシシも雌熊だって惚れるかも知れないではないか。智淀多よ。たまには常識の木柵をお前の頭の中から取り除け、そうすれば、お前ももう少し愉快な男になれる。認めたくはないが、流留無での卑猥な腰つきのお前の方が私は十倍好きだ。しかし、まだまだアチャ爺には及ばないがな。

 藍実のホニヒ(穂煮火)首長の館に入ると「よう、遠くまで来てくださった。さぁ、さぁ、上がってください」と大男の穂煮火首長が招き入れてくれた。そして「ヒミコ様のお噂は、この辺境の地までも届いています。お目にかかれて光栄です」と挨拶してくれた。

 私は「こちらこそ無礼にも押しかけて来てしまいお許しください。ドキョン(東犬)否チュプカセタ(東犬)に出会って、私はどうしても阿人の世界が知りたくなりました」と許しを乞うた。

 穂煮火首長は「ヒミコ様とチュプカセタの出会いは、カムイ・アドモフ(率賦)のお導きかも知れません。どうか良きにお計らいください」と返答された。クラミミ(秦鞍耳)が私の袖を引いた。そして小声で「我が一族です」と耳打ちした。そう言われると、穂煮火首長は秦鞍耳とも似て見えた。だから「クラミミ隊長。ホニヒ様にご挨拶を」と秦鞍耳の発言を促した。

 秦鞍耳は、穂煮火首長の前に頭を垂れると「伯父上、お初にお目にかかります。クキノウミ(洞海)の海女ツブラメの倅、クラミミと申します」と挨拶した。ツブラメ(螺裸女)の名を聞いた途端に穂煮火首長の目は大きく見開かれ、秦鞍耳に顔を上げさせるとまじまじと見つめた。そして「そうか。ツブラメは元気か?」と声を潤ませた。「ホピカ様にお仕えする為ツブラメと別れたのは、あの娘がまだ三つの時だった。ちょうどその娘と同じ年頃だ」と水桃を見やった。水桃は、にっこりと穂煮火首長に笑いかけた。そのまま水桃に笑顔を返して「もう、ツブラメはワシ(私)のことなど覚えて居るまい」と声を沈ませた。すると秦鞍耳は「いいえ伯父上、母はいつも『私の優しい兄さんが北の国で暮らしている』と聞かせてくれました」と力強く答えた。更に「母は『兄さんは北の国でずっと私達を守っていてくれている』と言っていました」と言葉を足した。穂煮火首長は「ワシは北の防人か」と言葉を詰まらせ目を閉じた。それから二人は夜遅くまで互いの近況を語り合ったようだ。

 穂卑河の伝説を胸に刻み、私達は更に阿人国の北を目指した。別れ際に、穂煮火首長は、娘を秦鞍耳に目合わせたようである。秦鞍耳の従兄妹だ。名をアワミ(沫美)というそうだ。生まれたばかりの娘が一人いるようである。だから秦鞍耳とフジトメ(藤戸女)の一人息子トミヒコ(秦冨彦)とは二歳違いのようである。

 藤戸女は、沫美と気が合ったようで、別れ際の短い時間の間に沢山おしゃべりを楽しんでいた。もちろん話題は互いの子供のことである。沫美の夫はマサオ(真男)という名で、今から会いに行くケマハ(毛馬伯)首長の長男だということである。だから、ピタ(斐太)への道案内は真男が行ってくれることに成った。道だけならハエポロも知っていたが、今日は強行軍である。早朝に出発しても到着は日暮れかもしれないらしい。だから、やっぱり地元っ子の真男が居れば心強い。

 一人っ子の秦鞍耳は、十歳も年が離れた妹が出来たようで嬉しそうである。しかし、長く一人っ子だった為にどう接して良いか戸惑っていた。そこで、真男と親しく接し色々と沫美と娘のことを聞きだしているようである。都合の良いことに道案内の真男と森のキャラバン隊の隊長秦鞍耳は共に先頭を歩いているのである。

 斐太への道は強行軍ではあったが、清々しい山歩きでもあった。涼やかな川風が額の汗を吹き流してくれ暑さも忘れた。この川はこの辺りでは藍実川と呼んでいるそうだ。千歳川の上流域を思わせふと懐かしさと軽い疲れに襲われた。でも大丈夫。私の前には可愛い水桃が笑みを湛え座っている。そう思えば馬の背の揺れも心地良い。

 斐太への小さい峠を越えると牧場(まきば)が広がった。真男の話ではこの牧場ではヨンオ(朴延烏)様の依頼で仔馬を育てているそうである。仔馬でも軍馬と農耕馬を兼ね添えた馬なので逞しいようだ。牧場長は、ツングース(東胡)族の老人だということである。もしかするとその仔馬は、アヘン(金芽杏)が東胡の地から運んで来るのかも知れない。

 真男がいうには、今私達が乗っている馬とは種類が違うそうである。私達が使っている馬は、チカノシマ(値賀嶋)が故郷である。だからシャー(中華)が原産地だ。それに大半がシューフー(徐福)の大航海で渡って来た種なので小型種である。それに比べるとヨンオ様のツングース馬は、大きく毛深い。

キムウンクル(山の民)ヌプクル(野の民)ニタイクル(森の民)
ルルム(流留無)アイミ(藍実)ピタ(斐太)
族長:カシケ(火斯気)族長:ホニヒ(穂煮火)族長:ケマハ(毛馬伯)
ホオリ(山幸)王と同年、倭人との抗戦派。ホピカ(穂卑河)を暗殺され倭人を恨む。 過激派元はホピカ(穂卑河)の小姓で投馬国の生まれ。今はアサマ(阿佐麻)の腹心。 中道派ハハキ(蛇木)と同年、ヨンオ(朴延烏)から馬の世話を委託されている。 穏健派

 斐太の首長毛馬伯とヨンオ様は近しい血族のようである。驚いたことに真男の祖父は丹場の族長ニハ(丹羽)であった。つまり、真男はセオ(細烏)様の従姉弟なのである。母は、マナ(真奈)様の妹でマオ(真央)というらしい。私は、早くヨンオ様とセオ様にお会いしたくなってきた。あれから十六年である。文でのやり取りはしているが直接お二人に会えるのは十六年ぶりである。娘のヘキ(蛇亀)はまだ生まれていなかった。

 ヘキは今十五歳の乙女盛りである。きっとセオ様に似て清楚な少女であろう。ククウォル(朴菊月)姉様が抱いて離さなかった二歳のアヒコ(阿彦)も十八歳の青年だ。おそらくネロ(朴奈老)大将やヨンオ様の血を引いて逞しい男振りであろう。今から会うのが楽しみである。

 牧場を横切り日暮前には毛馬伯の館に到着出来た。やはり真男がいて助かった。途中で少しでも道を迷えばこの時間には着けなかっただろう。琴海さんに似た入れ墨を施した娘が出迎えてくれ「兄さん。無事に到着されご苦労様でした」と言った。娘は真男の妹でピリカ(斐梨花)という名だった。

 ピリカは手伝いの者にてきぱきと指示を出し私達の旅の荷を解かせた。それから私達が一息つくと近くの温泉に案内した。川沿いに小さな湯船がいくつかありその中程の湯に浸った。そうして旅の疲れを癒すとピリカは大きな集会所に案内してくれた。ここが私達の今夜の宿泊地で有り今は宴席の準備が整っていた。

 奥に毛馬伯らしい初老の男が構えており私が入っていくと座して頭を下げた。そして「ケマハと申します。ヒミコ様にお目にかかり甚く喜び申しております。しかし、せっかく遠方よりお出で頂きましたが、何分にも山の中ですので大したおもてなしも出来ません。お許しください」と挨拶をした。

 毛馬伯は思慮深く無口な男のようである。その声は重く深淵になだれ込む嘆きのようにも聞こえた。私は「こちらこそ突然お邪魔をおかけし申しわけ御座いません。どうぞお気遣いを為さいませんようお願い申します」と挨拶を返した。

 翌朝、コシ(高志)のアリソウミ(有磯海)までは、真男に代わり三男のマサヤ(真弥)が道案内をしてくれることに成った。三男の真弥は、二十五歳になるらしいが、まだ独り身のようである。長男の真男は、穂煮火様の婿養子に成り、次男のマスミ(真純)は、祖父である丹羽の許で、高志丹場の部族長を継ぐ修業中らしい。そこで斐太の部族長は、毛馬伯から真弥が受け継ぐことになる。

 その為には、もう妻を娶っておかねばならないのだが、トンと縁談に興味を示さないらしいのだ。長男真男の話では、どうやら三男真弥は、妹のピリカに思いを寄せているようである。父の毛馬伯も、若い時にシララ(白螺)さんに思いを寄せていたが、添い遂げられなかった。だから、好きな人と添い遂げられない悲しさを、父の毛馬伯も知っていた。その為に、強引には縁談話を進めきれなかったようである。

 しかし、兄妹では添い遂げさせる訳にはいかない。そこで重い腰をあげ、ピリカを、チュプカチャペ(蛛怖禍茶辺)の長男ウホピ(宇穂卑)の後妻にしようと考えているようである。宇穂卑は、先頃妻を亡くし、幼い子供をかかえて難儀をしているそうである。そこで、メアンモシリ(寒国)の大首長蛛怖禍茶辺は「誰か良い女人はいないか。心当たりを探しておいてくれ」と盟友毛馬伯にも頼んでいた。宇穂卑は、二十八歳で十七歳のピリカとは年が離れてはいるが、将来はメアンモシリの大首長である。だから悪い話ではなかった。

 斐太から有磯海までは二日の旅である。しかし殆ど下り坂なのでのんびりとした旅を楽しめるようである。三男真弥は陽気な男である。だから、ハエポロの良き話し相手に成っている。ハエポロが「昔、メアンモシリのヨナパル(汰原)で聞いた話だけどな。火の山の麓に舌を切られた雀の屋敷があった。そこは宝の山でよ。正直者ならタ~ンと宝がもらえるらしいのよ。そこで正直者の俺は行ってみたのさ」と話し始めると「ほうほう、ところでその舌を切られた雀は美人だったのかい?」と三男真弥が聞く。

 ハエポロは「当り前さ。だから俺は行く気になったのさ。美人も美人よ」と答える。「でも舌を切られているんでしょう。どうやって話をするんだい?」と再び三男真弥が聞く、ハエポロは「大丈夫、大丈夫、雀だからチュチュンとは鳴けるのさ。だから俺もチュチュン、チュチュンよ」と答える。「なるほどチュチュン、チュチュンですか。便利ですね。チュチュン、チュチュン。ところで、どんな意味なんですか?」と聞く。

 「悲しい女の物語さ」とハエポロ。「そりゃそうでしょう。舌を切られていますからねぇ」と真弥。「添えぬ定めが、女の舌を抜かせたのさ。チュチュン、チュチュンよ」と周りには理解不能な会話である。

 ところが智淀多が「暗号のようですね」と言って話に割って入った。それから「ジンハン国の言葉で推測するとチュチュンは『酒の衆』とも考えられます。つまり酒飲みの集まりだから舌切雀のお屋敷は酒房かもしれませんねぇ」と言った。すると「なるほど確かにその舌を切られた雀の屋敷は酒房を兼ねていたなぁ」と、ハエポロがややこしいことを言い出した。

 それに乗じて三男真弥が「じゃぁシャー(中華)の言葉で読み解くと、どうなりますかね」と聞いてきた。智淀多は「う~む。『雛の群れ』ですかね」と答えた。「ほうほう。そう言えば売られてきた子供達がたくさん働いていたなぁ」と不可解さに拍車をかけるようなことをハエポロが言い出した。

 「酒房で人買いの屋敷ですか。そりぁや面白い。『チュチュン チュチュン 注いでおくれよ情けの酒を』ですかね」と三男真弥が鼻歌を歌いだした。その雀のお宿は、雀の母恋酒房だろうか。更に智淀多が「シャーの言葉でチュチュン(去春)春が去るとも考えられますね」というと「恋しい春が過ぎ去り、悲しみの秋を待つのか」と、まるで加太が言うみたいなことをハエポロが言った。ハエポロもまた悲愁に暮れる男なのだろうか。そして、チュチュン、チュチュンと三人は山道を下っていく。変な三人組である。

 智淀多が三男真弥と意気投合したのも面白いが、三男真弥が水桃に好かれたのもまた面白かった。確かにやや粗忽者っぽいが陽気な真弥は、水桃と同じ気性のようである。そしてついには水桃までもがチュチュン、チュチュンと声を合わせ始めた。そんな陽気な道中に私は秦鞍耳から聞かされた長男真男の話を思い出していた。それは昨夜、温泉に浸かりながら真男が秦鞍耳に聞かせてくれた話である。

長男真男が語る毛馬伯の青春

 親父殿は、寡黙な男だから昔のことはあまり語りたがらない。しかし、酒が入るとポツリポツリと俺達に聞かせる話がある。親父殿の父親は、高志丹場の部族長の息子でノミ(野見)という名の男だったそうだ。兄がいたが兄は部族長に成ることを嫌いピョンハン国で製鉄の修行をしていたらしい。だから俺達の祖父さん野見が部族長を継いだ。

 親父殿の母親は、斐太の山女でピリカキリ(斐梨花霧)という名だ。まだ元気で未だに俺達悪ガキ兄弟を叱り飛ばしている元気な祖母さんだ。何という特徴はない女だが足だけは細くて小鹿のように美しかった。野見祖父さんはそこに惚れたらしい。

 しかし、野見祖父さんは、三十路を待たずして亡くなった。胸を押さえて急に倒れこみそれきりだったらしい。ピリカキリ祖母さんは、まだ二十二歳の若さだ。そこでまだ五歳だった親父殿を連れて、故郷の斐太に戻った。

 翌年、ピリカキリ祖母さんは猟師のキムペ(木霧屁)と再婚した。俺達の義理の祖父さんキムペは、熊をも倒す豪の物だったが二人には優しかった。ある日キムペは、親父殿の遊び相手にと、小熊を捕まえて来たそうだ。それから親父殿の仲良しは、その熊が唯一のものと成ったそうだ。

 熊と戯れ遊ぶ親父殿は、斐太の怪童毛馬伯と、近隣に知れ渡ったらしい。それに賢くもあったので、斐太の神童毛馬伯とも呼ばれたそうだ。親父殿が七歳になった年、斐太の部族長は、沖田畷(おきたなわて)に開校した『学び舎エラムオカ(恵良霧丘)』に入学させたさせた。費用のすべては、斐太の公費から支払われたそうだ。つまり公費入学だ。それほど斐太の人々は、親父殿の将来に期待をかけたようだ。

 その年に異父妹のウララ(雨螺)も誕生したので、ピリカキリ祖母さんも寂しくはなかったようだ。「息子を手放す寂しさよりも、息子の将来への期待が大きくてねぇ」と、良くその時のことを、ピリカキリ祖母さんは俺達に語り聞かせたものさ。

 とにかく親父殿は、優秀な少年だったそうだ。『学び舎エラムオカ』では、ハチャム(羽茶霧)の弟達と呼ばれる先輩達に出会ったそうだ。そして今でも互いに盟友の誓いを交わしている。特に歳が近い火斯気首長とは仲が良く、共に死地も潜り抜けて来たらしい。そして今でも良く酒を酌み交わす仲だ。

 親父殿が十四歳に成った年、親父達が敬愛する穂卑河大将が暗殺された。そして多くの阿人が倭国軍に殺された。もちろん『学び舎エラムオカ』も閉鎖になった。そこで、親父殿も一旦故郷の斐太に戻った。

 翌年、倭国軍が阿人の国から撤退すると、阿佐麻様は、穂煮火首長に支えられながらポロモシリ(大国)の再興に奮闘した。そして更に翌年、『学び舎エラムオカ』も再開された。元の学童長穂煮火様は、ポロモシリの再興に手が離せないので理事長の羽茶霧様は親父殿を学童長として呼び寄せた。親父殿は十六歳になっていた。

 そもそも『学び舎エラムオカ』は、学童達の自主管理で運営されていた。「偉い人が一方的に教え込む学び舎ではなく、学ぼうとする者が何をどう誰から学びたいかを決める仕組みにしたい」と発起人の羽茶霧様は考えていたようだ。だから、親父殿は学童自治会の責任者だったようだ。

 翌年、その羽茶霧様が亡くなった。だから柱を失った『学び舎エラムオカ』は、再び閉じられた。阿佐麻様はポロモシリの再興を成し大首長を継いだ。火斯気も流留無の首長に成り東風茅乃海を栄えさせ始めた。それから、阿佐麻様の妹シララ(白螺)さんが木の国のコダマ(狐魂)に嫁いだ。

 親父殿はシララさんが好きだったので意気消沈したようだ。それから程なく伯父である高志丹場の丹羽は自分の娘を甥の妻にした。丹羽祖父さんも最愛の弟だった野見の息子のことが気がかりだったようだ。だから娘を嫁がせ行く行くは親父殿に部族長を譲る気持ちだったようだ。

 野見祖父さんがまだ生きていた頃、祖父さんは別れの辛さから立ち直れないでいた兄の丹羽が心配で成らなかった。キム・ダヘ(金多海)様との離別はそれほど丹羽の心を蝕んでいた。そして祖父さんは、それ以上にダヘ(金多海)様に良く似た姪のマナ(真奈)が不憫でならなかった。そこで、真奈が七歳に成った時、「男手ひとつで娘が育てられるものか」と兄を説得し半ば強引にカガサワ(蛇沢)の族長の娘オミナ(央美菜)を後妻に迎えさせた。

 族長と祖父さんは親友だったので拝み倒して後妻に貰ったそうだ。因縁だったのかその年に親父殿ケマハ(毛馬伯)が生まれた。丹羽の後妻に成った央美菜は二十歳だった。三年後に娘を産んだがそれが俺達の母マオ(真央)だ。だから姉の真奈とは十歳違いだ。

 真奈様はセオ(細烏)様の母だから、ヨンオ(朴延烏)様と俺達一族はそれで縁が繋がっている訳さ。なかなか込み入った血縁だがなぁ。だからアヒコ(阿彦)と俺達兄弟は血が繋がった一族なのさ。

 親父殿の伯父丹羽も次女が生まれ少しずつ気概が戻ってきたそうだ。妹の小守は姉の真奈が行うので大伯父夫婦はピョンハン(弁韓)国で学んだ鍛冶場を開いた。そして懸命に働き軌道に乗せた。その矢先に最愛の弟野見が亡くなった。そこで伯父丹羽が野見祖父さんの後を継ぎ族長に成った。後家に成ったピリカキリ祖母さんは、親父殿を連れて故郷のピタ(斐太)に帰ったということさ。

 親父殿の伯父丹羽は俺達にとっては祖父さんでもある。我が母真央の父親だからね。親父殿毛馬伯と母は、夫婦になった翌年に俺を産むと年子で俺達三兄弟を作った。一番喜んだのは丹羽祖父さんだ。これで跡取りの心配はないからね。そして、親父殿は俺を盟友穂煮火首長の婿養子に送り出すと、次男の真純を丹羽祖父さんの跡取りにするため高志丹場に帰らせた。

 丹羽祖父さんは十七歳になったばかりの次男真純を前に「これで、もう十年ばかり死ねんのう」と言ったそうだ。丹羽祖父さんは、もう六十三歳だった。十年どころか丹羽祖父さんには、二十年でも三十年でも長生きしてもらいたいもんだ。

 三男真弥が生まれて長女ピリカが生まれるまでの八年間は、親父殿と母にとって試練の年月だった。俺が四歳、次男真純が三歳、三男真弥が二歳の時にクド(狗奴)国で反乱が起こった。秦鞍耳様も良くご存じのように、狗奴国の反乱は、倭国統一連盟と倭国自由連合の代理戦争だった。だから親父殿は倭国自由連合のイズモ(稜威母)勢で参戦した。

 幼かった俺達は、親父殿の軍服に縋り付いて泣いた。親父殿と一緒に参戦した稜威母の戦友の一人が「唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして」という詩を詠み、涙をこらえていたそうだ。皆同じ気持ちだったと、後年親父殿が零していたよ。

 それから三年、今度は末盧国で内乱が起きた。末盧国の内乱は、鯨海の海人達の内乱でもあった。八十神系稜威母族アズミ(安曇)派と、木俣のカガミ(蛇海)系稜威母族カガメ(蛇目)派の内戦だ。それまでどうにか平穏を保っていた高志の南部でも、丹場を拠点とするカガメ派と、高志の緊張関係が再び高まった。

 そこで、高志南部の部族長の息子でもあった親父殿は、安曇派に加勢することになったようだ。だから、秦鞍耳様のトウマァ(投馬)国から、稜威母に転戦した。稜威母の内戦が終結すると狗奴国のホオリ(山幸)王は反攻に打って出た。この第二次狗奴国内乱に親父殿は再び稜威母から、狗奴国に転戦した。

 だから、俺達三兄弟はこの頃の親父殿の記憶が薄い。親父殿はある夜ふいに帰ってきたかと思うと翌朝はもう居なかった。だから、俺達の親父殿の記憶はいつも軍服姿だった。狗奴国内乱がホオリ王の勝利で終結すると、親父殿はやっと帰ってきた。長い長い出稼ぎ暮らしで親父殿はすっかり寡黙な男に変わってしまった。

 斐太の怪童は、溌剌としたその顔に深い陰影を刻んでいたのさ。しかし、親父殿も、翌年に長女ピリカが誕生すると笑顔を取り戻し、怪童の気概を取り戻していった。今にして思えば、あれは、きっと親父殿の心が闇に引き込まれそうな時だったのかもしれない。

 長い時間ピリカの寝顔を黙ってじ~っと見ていたんだ。あの頃の俺達は、ただ可愛くてじ~っと見てるんだと思っていたが、きっと親父殿は、ピリカの寝顔を見つめながら、地獄の深淵から這い上がろうとしていたんだ。と、近頃やっと気づいたよ。先に話したように、親父達がポロモシリに帰還すると、阿佐麻様は、火斯気様を流留無の首長に、穂煮火様を藍実の首長に、そして親父殿を斐太の首長に配置すると、更にポロモシリの再興に挑まれた。そして、今の俺達の平和がある。そう俺達は心に留めている。

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 と、長男真男は語り終えたようだ。私は、狗奴国と末盧国の内乱が阿人国の人々にまで及んでいたことに驚いた。しかし、遠因は私のご先祖達だ。私は私が気付き得なかった原罪の重さを知った。やはり私は戦さ場の巫女なのだろうか。どうやったら私はハク(帛)女王の功績を引き継ぐことができるのだろう。高志の彼方の空が荒ぶって見えた。でも頑張ろう。シュマリ(狐)女将もこの道を歩いてきたのだ。

~ ティンガーラからニヌファブシ ~

 その男は風変わりな身なりをしていた。胡服のような物を穿いているが布が粗く五色の縞模様なのだ。それに革の腰帯を付けているのだが奇妙な模様が沢山彫られている。上着は花柄で派手な裾の短い貫頭衣である。そして、あまりこの男の風貌には似合っていない。首からは三本足烏を模したのだろうか鉄製の首飾りを下げている。それに変な箱を大事そうに持っている。その箱からは丸いガラスを埋め込んだ筒が突き出ている。

 男は阿彦が伴っていた。ツングース族にしては、顔の彫りが深く、どちらかといえば健に良く似た顔立ちだ。まぁ南洋の海人(うみんちゅう)が、ティンガーラ(天の河)を渡りここまで北上して来ていても可笑しくはないが、身なりが倭人ではないのだ。

 有磯海までの道中は、真男が道案内してくれた。だから何の支障もなく無事に到着できた。既に、須佐人とアマノレラフネ(天之玲来船)は、港で待っていた。明日には北上し、須佐人の北の貿易拠点に向かう予定だ。私にとって、高志から先の旅は、初めての旅である。でも大丈夫、天之玲来船の船長は、ガオリャン(高涼)である。今やガオリャンは、東海一の船乗りである。だから、どんな大嵐の海でも乗り切って行ける筈である。

 先回、私とククウォル(朴菊月)姉様がヨンオ様とセオ様を訪ねた時には、お二人はカガサワ(蛇沢)のアワラ(阿原)の丘に住まわれていた。この地を、仮に高志南部と呼ぼう。その高志南部の南を占める丹場は、稜威母勢力との境である。丹場地方には、高志の勢力と稜威母の勢力が接している。稜威母の勢力は、木俣のカガミ(蛇海)の流れを汲むカガメ(蛇目)様の一族である。そして、高志の勢力は、丹場の丹羽の一族。つまりセオ様の母ぁ様や、毛馬伯の妻の故郷である。隣接する高志中部は、有磯海を中心とする地域である。そして、ヨンオ様の祖母ウォルトゥ(金月読)様を遡り、ヒョウ(瓢)の父高志の族長タジマ(多遅麻)に行き着く、ヨンオ様の源郷である。だから今、ヨンオ様は、遠祖多遅麻様の領域に落ち着かれている。高志中部から東北に向かうと、高志北部である。それから北はメアンモシリだ。高志北部は、宗潟を始祖とする一族が暮らしている。宗潟は、伊佐美王と、アグジン(阿具仁)様の妹ヌナカ(奴那珂)姫との息子である。だからその末裔は、倭国の一員ではあるが行き来が途絶えて久しい。だから、今では、倭国でも未開地扱いに成ってしまった。

 ヨンオ様とセオ様はご壮健だった。ヨンオ様は、五十路を超えられた。もう天命を悟られたのだろうか。セオ様は三十路半ばの女盛りである。だからすっかりカカア殿下の様相である。きっと、ここに菊月姉様がいたら笑い声を抑えてお腹を押さえることだろう。でも、きっとそれが幸せなのだ。

 阿彦は、十八歳の逞しい青年に成っていた。ネロ様やヨンオ様に似た大男に成り、そして、やっぱりギョロ目である。でもそのギョロ目が、愛嬌が有って可愛い。初めて会うヘキ(蛇亀)は十五歳である。ギョロ目の阿彦に比べて、一重で切れ長の眼をしたヘキには、アルジ(金閼智)様の野心が流れているようだ。

 まだ十五歳の小娘のヘキは、私を見据えると「ヒミコ様の野心は、この和の国をシャーの戦さ場に変えかねません」と言い放った。ヨンオ様とセオ様は慌てて「これこれ、何と無礼なことをヒミコ様にいうのだ」と窘められたが、私はこの一言で、すっかりヘキに魅せられてしまった。

 阿彦が「そうなったら、それはそれでシャーない」と、つまらぬダジャレを言ってヘキに睨まれた。阿彦は賢い男のようである。そして、それは智淀多とは真逆の業である。しかし、共に場の雰囲気を自らが馬鹿に成り和ます手口は一緒である。

 阿彦の従者は、有磯海の北岸の貧村で見つけて来たらしい。崖の下で気を失っていたようである。変な身なりをしていたので、興味を惹かれて阿彦の従者にしたそうである。最初は言葉が通じなかったようだが、賢い男のようで直ぐに言葉も覚えたようだ。但し、崖から落ちた時に、強く頭を打ち自分が何者か分からないようである。

 それでも、すっかりヘキは、この男がお気に入りに成ったようである。どうやら歳はヘキよりも十歳ほど上のようだ。だから、阿彦とも八歳前後違う。一番上の兄ちゃんと、末の弟の関係である。その為に、この男は、兄妹の遊び友達兼学問の師匠のような扱いで、ヨンオ様が面倒を看ているそうだ。

 そして、明日の旅立ちにも付いてくることに成った。というのは、阿彦とヘキも、私の北への旅に同行することに成ったのだ。これはヨンオ様からの達っての願いだったので断れなかった。ヨンオ様は、自分亡き後の高志の行く末をお考えのようである。ヨンオ様は、用意周到なお方である。災いは襲って来た時には、なかなか対応できない物である。

 ヨンオ様は「患いがない時にこそ患いへの備えをしておくべきだ」と言われている。シャーでは「居安思危 思則有備 有備無患」と言っているそうである。そして高志の危うきを思うとは、高志北部とメアンモシリの動きである。そのヨンオ様の危惧は、私の今回の旅の動機に成った危惧と重なった。だからヨンオ様の申し出は、私のヨンオ様への要請と重なった。

 翌朝、有磯海を出港した天之玲来船は、メアンモシリに有る秦家商人団の拠点を目指した。須佐人と、ガオリャン船長には手慣れた航路である。だから、天之玲来船にはのんびりとした退屈な時間が流れていた。そこで私は、皆を私の船楼に集め、ホオミ(火尾蛇)大将に習った綾取りで時を紛らわせることにした。

 私が声を掛けた皆とは、藤戸女とリーシャン、玲来と水桃の親子、そして阿彦とヘキにその従者である。水桃はもちろん、私の膝に抱かれているだけの私の守護神である。困ったことに、智淀多まで加わった。私は小煩い智淀多を呼んだつもりはなかったのだが、水桃が連れて来たのである。そして毛馬伯の三男真弥まで居る。

 三男真弥は、有磯海までの道案内をしたら、斐太に帰る予定だった。しかし、水桃が「いっしょに行こう」と誘ったそうである。三歳児の言葉など、まともに受けず斐太に帰れば良いのに、独り身で気楽な三男真弥は、三歳児水桃の誘いに付いてきたのである。「お前は阿呆か!!」と、私は言いたかったが、水桃からの頼りとあらば仕方がない。

 という状況で、戦力外の水桃を除くと、ここには、私以外に八人の対戦者がいる。良~しと意気込んで臨んだが、やっぱり私は一回戦で敗退してしまった。やはり私は、この手の勝負は苦手のようである。リーシャンと、藤戸女に、玲来は、大人の対応である。上手く子供達に勝ちを譲っている。本気で子供達に挑み負けた私はつくづく大人げない。悔しいことに智淀多が頑張っている。そして毛馬伯の三男真弥まで頑張っている。子供の遊びだというのに困った奴らである。

 そんな大人げない奴らを征したのは、十五歳のヘキである。ヘキは一番になると、勝った智淀多や真弥にではなく、最下位の私を睨みつけフンと鼻で笑った。ヘキは、私に負けない意地っ張りのようである。私は、ますますヘキが気に入った。それにヘキの気はすこぶる強い。きっとヘキは高志の日巫女になるのだろう。

 有磯海からメアンモシリまでは、昼夜航海しても二日の旅である。本当は、高志の北部の港で一泊したかったが、高志北部の状況が掴めないので船泊を選んだ。その間に、私は七度最下位となり、ヘキは七度勝ちを収めた。

 三日目の早朝、秦家商人団の拠点が見えてきた。湾からは、伊都国の伽耶山と同じように、左手に孤峰がある。但し、伽耶山やヒラキキ(枚聞)山のようにすらりとしたお山ではなく、ポテッとした福々しいお山である。でも時折カゴンマ(火神島)のように火炎を噴き出すらしい。ハエポロに依ると、阿人はメアンアシキピ(女庵芦奇碑)と呼んでいるそうだ。「寒い風が吹く小高いお山」という意味らしい。確かに、鯨海の冬の北風が吹きつければ寒そうである。

 その火の山メアンアシキピを風止めにして、須佐人の秦家商人団の拠点がある。阿人が、オガバル(牡鹿原)と呼んでいる丘である。狗奴国のヤマト(山門)と同じように、丘の麓は海辺である。牡鹿原の広さは、メタバル(米多原)と同じ位ある。だから数千人が暮らせる商都がつくれそうだ。しかし、今は五百人程度のようだ。

 牡鹿原の丘の下には、チオモイ(茅緒萌)という港町がある。同じく阿人の言葉で『私達の岬の陰の静かな海』という意味らしい。茅緒萌港は、今はまだ見えない。前方に見える牡鹿原の丘の岬と、右手の長い半島の間の瀬を渡ると、大きな内湖が有るようだ。アハウミ(淡海)程には大きくないようだが、琴之海に等しい広さがあるようだ。そして、琴之海と同じようにとても波静かな海らしい。女庵芦奇碑から北に延びる丘陵と、右手の長い半島に囲まれているため、冬の荒波からも守られるのである。だから、阿人の村々はこの内湖の周辺に点在しているようである。

 この静かな海は、チオカイ(茅緒海)というそうだ。その茅緒海の南端に茅緒萌港は在る為に、風待ち港でもある。牡鹿原岬と瀬を挟んで横たわる大きな半島は、オガヌマ(牡鹿沼)というらしい。しかし、その牡鹿沼半島には、人が暮らす村はないようである。ハエポロの話では、その半島は、大半が湿地帯だと言うことだ。

 その広大な牡鹿沼半島の中には、湿地帯を貫くように、阿人がユクル(鹿の通り道)と呼ぶ小道が在る。人が通ることはめったになく、呼び名のようにユク(鹿)が時折姿を見せる位らしい。ハエポロが探索した時も、数人の猟師に出会っただけだった。だから、茅緒海に暮らす阿人の村々は、女庵芦奇碑から北に延びる丘陵沿いに在る。鯨海から吹いてくる強い北風も、この丘陵が和らげてくれるようである。

 その中でも最も大きい町が、茅緒萌である。穏やかな海茅緒海を、阿人は小さな舟で、縦横無尽に行き交っている。そして、茅緒萌港では、毎日小さな朝市が立つ。更に、十日に一度大きな市が開く。だから、周辺の阿人は十日市とも呼ぶ。三日後に、その十日市が開かれ、その日は数千人の人々が集まるそうだ。そして、メアンモシリの阿人達だけでなく、ワニ族やオロチ族まで集まると聞いた。

 牡鹿原の丘には、三つの望楼が立っている。鯨海を見下ろす望楼と、茅緒海を見下ろす望楼。それに、牡鹿沼半島を見下ろす望楼だ。牡鹿沼半島を見下ろす望楼が立っている所が、牡鹿原岬である。だから、この三つの望楼によって、牡鹿原の防衛力はとても高い。だから、これは須佐人と秦家商人団の城である。しかし、牡鹿原の丘にも、茅緒萌港にも、米多原の館のような木柵や空堀はない。だから、いたって長閑な所である。

 須佐人の館は、牡鹿原の中程にあった。百人以上がゆったりと寝泊まりできる程の大きな長屋である。そして、商人宿を兼ねているそうである。だから北のキャラバンサライである。大きな屋敷の割に、須佐人の部屋自体は小さい。否、明らかに狭い。須佐人が言うのには、大半が船室暮しなので、これ位が丁度良いそうである。逆に、ゆったりと広い部屋だと、心が落ち着かないそうだ。

 今や、須佐人は、倭国一の大富豪である。しかし、その暮らし振りは、至って貧乏性である。まぁ良い。その余りある財貨は、私が上手に使ってやろう。勿論ニヌファ(丹濡花)も笑って私の金の使い方を見ていてくれるだろう。そして、何よりハラエド(胎穢土)や、セオリツ(世織津)に恥じない金の使い方をしないといけない。う~む、金を活かすとは案外難しそうである。やはり、一度バイチュウ(白秋)様に講義を受けておかないといけないようである。でもその前に、白秋様の姪であるラビア姉様に相談しよう。そして、きっと夏希義母ぁ様も見ていてくれる筈だ。

 牡鹿原に到着した翌日に、突然ドキョン(東犬)が訪ねてきた。それも今回は単身である。アヘン(金芽杏)の使いで、シュマリ女将の故郷辺りまで旅をして来たようである。そして、帰路はメアンモシリ沿いの航路を取ったようだ。ここで須佐人と落ち合い、共に稜威母まで南下した後、ピョンハン国に帰国する航路である。

 須佐人とドキョンは、すっかり盟友である。商人は、対立より協働を重んずるそうである。もちろん、これはラビア姉様からの受け売りである。瞬間的には商売に競り勝っても、長期的に見れば、利益を分配し協働関係を結んだ方が、得も多いそうである。そこで、特に大きな商いを営む商人は、決して独り勝ちはしない。そして、須佐人とドキョンもそんな間柄である。

 アヘンの商人団と秦家商人団が手を結んでいる為に、この商人連合を脅かす輩は鯨海には居ない。その為に、鯨海沿岸での物の値段は、アヘンの商人団と秦家商人団が握っている。アヘンは、ピョンハン国の王女である。だから、物の値段は、民の暮らしを考えながら決める。それは、須佐能王も同様であった。その為に、稜威母の民は、須佐能王を崇めた。

 須佐人は、きっと、須佐能王の生まれ変わりである。だから私欲が薄い。ちっちゃな時からそうだった。もちろんカメ(亀)爺の孫だから、物に不自由しなかったこともある。しかし、性根が物欲を求めないのだ。須佐人は偉い。私は欲深い。

 私や熊人や、食い意地の張った隼人とは、大違いである。ある日、皆のお八つの牡丹餅が異常に減っているので「誰が勝手に食べたの?!」と怒ると「おりゃ(俺)知らん。おりゃ(俺)知らんばい」と、口の周りを餡だらけにした熊人が見え透いた言い訳をした。私が「嘘っき腕白めっ」と拳を突き上げると「いいよ。いいよ。俺の分を食べたのさ」と、須佐人が庇った。すると熊人が「先っきの分は、スサトあん(兄)ちゃんの分ばい。だけん今度は、おい(俺)達の分を喰いもそ」と更に右手を伸ばした。だから、その手の甲を思い切りひっぱたくと「ピミファ姉しゃんな、えずかぁ(怖い)」と言いながら、それでも食い意地たくましく左手で牡丹餅を掴むと、隼人と一緒に逃げ出して行った。

 苦笑する須佐人に「本当に良いの。私の半分あげようか」というと「良か。良か。俺は牡丹餅の甘さより、熊人と、隼人の甘そうな笑顔の方が、十分美味しかったさ」と言った。牡丹餅の甘さは程なく忘れてしまう。でも、熊人と、隼人の甘そうな笑顔は、ずーっと消えない。だから、食べそこなった牡丹餅の甘さより、十倍良いのだという。須佐人は、そんな男である。

 民の暮らしに寄り添い常に目を向けるアヘンと、他人の喜びを我が喜びに変えることが出来る須佐人の寡占化により、鯨海からは飢えが影を潜めた。だから、もう人さらいのオロチ族は居ない。

 それでも天災で孤児になる子供達はいる。そんな子供達は、オハ村長がまとめてウェイムォ(濊貊)の村で面倒を見ている。そして、その資金は、アヘンと、須佐人から出ている。オハ村長は、その擁護施設を「サンベ(蒜辺)愛護園」と名付けたそうだ。その「サンベ愛護園」では、今、チク(智亀)と、ヂュシー(朱実)が働いているそうである。二人は、自らの孤独な生い立ちを、同じ境遇の子供達と過ごすことで埋めているようである。だから、ドキョンの話では、ヂュシーは、すっかり明るくなったそうである。そしてチクは、園長先生見習いのようである。オハ村長も頼もしい跡取りが出来て大喜びしているようだ。

 チオモイ(茅緒萌)港での十日市には、大勢の阿人とオロチ族が集まってきた。オロチ族は、沢山の毛皮と干し物を持ってきている。それを全て、須佐人とドキョン(東犬)が買い占めた。更に阿人は、黒曜石や翡翠など珍しい鉱物を持ち寄ってきた。それも、須佐人とドキョンが全て買い占めた。そして、須佐人とドキョンは、この周辺では手に入らない、珍しい南洋の貝や、青銅器、鉄器、土器等を、その対価として交換した。

 ドキョンのチュヨン(鄭朱燕)船と、須佐人の天之玲来船は、毛皮と干し物、それに黒曜石や翡翠などの鉱物でいっぱいになった。十日市は、商人達の商売だけの賑わいだけではない。沢山の屋台が立ち並び、茅緒海の幸を調理しているのである。勿論リーシャンは、ワクワクした表情で私達の前を歩いている。そして、美味しそうな物を見つけると「ヒミコ様、こっち、こっち」と手招きしてくれるのである。

 智淀多もリーシャンの傍らを付いて回っている。だから、水桃も一緒である。水桃は、ちゃっかりリーシャンの大きな首に跨り肩車である。ハエポロは、茅緒萌港に入った日から姿を消した。何でも、阿人の旧友を訪ねるそうである。私達は十日ほど牡鹿原に滞在する予定なので、それまでには戻ってくるそうである。

 阿彦とヘキ(蛇亀)の兄妹関係は、完全に力関係が逆転している。ヘキは、ぐんぐんと屋台街を歩き回り、気に入ったものが見つかると「兄上、こっちこっち」と阿彦を呼びつけ商談をさせている。阿彦が売人に言いくるめられそうになると、ヘキは、じろりと売人を睨む。十五の小娘でもヘキは、完璧な貴人である。このメアンモシリの地では、ヘキがヨンオ様の娘だと知る者はいないが、明らかにお姫様育ちなのである。その美しきお姫様に睨まれれば、売人は折れるしかない。今しも「いやぁ~姫様に、そんな目で睨まれちゃ嫌とは言えませんなぁ」とまた押し切られた可哀そうな売人が一人増えた。

 阿彦は、ひたすら売人に謝りながら商品を受け取っている。その商品で既に阿彦の従者の両の腕はいっぱいである。その阿彦の従者が、時折私をじっと見つめている時がある。悲しそうな、懐かしそうな、そして、侘びるような不思議な眼差しである。私には、その従者に面識はない。顔立ちは健に似ているが、歳は私と同じ位のようである。風変わりだった衣装は、今は阿彦と同じ格好をしているので完全に倭人である。しかし、相変わらず無口である。

 その阿彦の従者が、先ほども私を見ていた。すると、透かさずヘキが、従者の耳を引っ張り自分の方を向かせた。ヘキは、物欲が大盛だけではなく、独占欲も人一倍強いようだ。阿彦兄ちゃんも、気の強い妹を持って大変である。阿彦頑張れ!!……?……?……? もしかすると夏羽も大変なのだろうか。……しかたがない。夏羽も頑張れ!!

 私はヘキがすっかり気に入った。しかし、ヘキの方は、私に対抗意欲満々である。ヘキは、ぽっちゃり阿彦と違い細身である。しかし、ヨンオ様の血を引いているので、背は私と同じ位に高い。だから、倭人や阿人の中にあっては大女である。その上に、気が強く高慢なので、言い寄る男はいないようである。顔立ちは「夕月のように美しい」と讃えられるが、性根はカゴンマ(火神島)のように激しいのである。

 そのカゴンマ娘ヘキが、どうやら阿彦の従者に、恋心を抱いているようなのである。そして、それは初恋かも知れない。だが、恐らくこれは悲恋だろう。何故なら、阿彦の従者は翳りゆく者のようである。だからといって亡霊の類ではない。ただ生気が弱いのである。きっと、ヘキも気づいている筈である。だから、尚更、独占欲が強いヘキには、手放したくない存在なのであろう。

 阿彦は、別の意味で、この従者に惹かれているようである。男は、天竺辺りまで旅をした経験があるようだ。だから、どこかドキョンに似た孤独感がある。それは、若い男の子にしてみれば限りない憧れである。従者の三足烏の首飾りは、今、阿彦の首を飾っている。そして、従者の首には、阿彦の鯨の歯の首飾りが掛けられている。どうやら友情の証のようである。鯨の歯の首飾りの歯は、まだ乳白色の艶を帯び真新しい。阿彦が初めて仕留めた鯨の歯である。だから、これはワニ族の誇りを表わす首飾りである。従者の三足烏の首飾りには、どんな謂れが有るのだろう。

 ヘキは、花を愛で、歌を詠い、舞を舞う。そんな春の乙女である。そして、一寸だけ気が強い。その気の強さが夏の猛暑を耐え、秋の侘しさを耐えしのばないように、私は祈っている。つまり、私の二の舞は踏んで欲しくないのである。だから、ヤマァタイ(八海森)国に帰郷したら、ヘキの為に、菊枕を作り、贈ってやろうと目論んでいる。勿論、シモツ(志茂妻)にも手伝って貰おう。独りで千の野菊を摘むのは大変である。それから、布は父様が贈ってくれた錦を使おう。これならタフ(太布)様も贈り物として認めてくれるだろう。飯蛸の煮付けに比べたらりっぱな物である。それから、竹簡に詩をしたためて、菊枕にくくり贈ろう。「魂倉の 心静めよ 菊枕 そよ吹く風に 沙羅の微睡み」。良~し、これでカゴンマ娘ヘキも心穏やかな十五の乙女に成ることだろう。

 十日市が終わった翌朝、慌てた様子のハエポロが飛び込んできた。私達は朝餉を食べていたので、ハエポロにも一緒に食べないかと誘ったが、ハエポロはそれどころではないという様子であった。そして、秦鞍耳に何やら耳打ちすると出て行った。部屋の薄明かりの中でも、秦鞍耳の顔に緊張が走ったのが分かった。

 秦鞍耳は、須佐人を呼び険しい顔で相談を始めた。程なくハエポロが、ドキョンを伴って屋敷に入ってくると、土間に絵地図を描き、ひそひそと三人の意見を聴いている。それから四人は慌ただしく外に出て行った。私は、不安な気配に襲われたが、何をどう思案しようにも、手だてがなかった。そして玲来や水桃を怯えさせないように、再び綾取りで遊ぼうと呼びかけた。

 朝の光の中、広場で藤戸女と、リーシャン、玲来と水桃の親子。そして、阿彦とヘキに、その従者。加えて、小煩い智淀多に、毛馬伯の三男真弥の十人は、綾とりを始めた。やっぱり私は負け通しであったが悔しさを楽しむゆとりはなかった。

 一時ほど経ち秦鞍耳が私を呼びに来た。そして、牡鹿原岬の望楼に私を伴った。しかし、そこに居たのはハエポロだけである。須佐人とドキョンの姿は見えない。秦鞍耳は、牡鹿沼半島を指さすと「間もなく、あのユクル(鹿の通り道)を通って大軍が攻めてきます」と言った。「どこの大軍が何の為にここを攻めるの?」と聞いたら「ハエポロ、説明してくれ」と秦鞍耳がハエポロを振り返った。

 ハエポロは私の前に跪き首を垂れると「ヒミコ様、お許しください。私は遁甲(とんこう)です」と言った。私は「えっ!」としか声が出なかった。私の中の遁甲は寡黙で思慮深いシュマリ女将である。だからお喋りでやや粗忽なハエポロが遁甲だとは俄かには信じがたい。だというのにハエポロは更にややこしいことを言い出した。

 「私は、メアンモシリの大首長チュプカチャペが、倭国の情勢を探る為に、中ノ海に放った遁甲です。しかし、その前に、ヨンオ様がチュプカチャペとカシケの動向を探らせる為に、メアンモシリに放った遁甲でも有ります。私は、ヨンオ様に返し切れない程の恩が有ります。ですから、私はヨンオ様を主と仰ぐ二重の遁甲です。私はヨンオ様の命でヒミコ様をお守りするようにと、チュプカチャペの周辺を探っていました。周辺を探るといっても密かにでは有りません。何しろ私は、チュプカチャペの遁甲でも有りますから、チュプカチャペは、私に隠し立てをする気配が有りません。だから私は、チュプカチャペの本拠地シウニンタイ(緑の森)を隈なく見て回ることが出来ました。すると、各集落で矢を作っているのが気にかかりました。狩りに使うには多過ぎるのです。そこで、チュプカチャペに尋ねると『戦さをするのだ』というのです。そこで、『どこの誰と戦さをするのだ』と尋ねると『仇打ちだ。倭国の女王を倒す』というのです。やはりヨンオ様が危惧した通りでした。私が『倭国の軍船は巨大だぞ』と水を向けると『もとより海戦を挑む気はない。仕掛けるのは陸戦だ』と言いました。そして、『今、兵を集めている。二千近くの兵になる筈だ。いくら女王の兵が精鋭だとしても二百位だろう。独りで百人は倒せまい』と余裕の笑みを見せました。どうやら嘗てのホピ自由青年同盟に召集を掛けたようす。当時は若かった隊士も今では各部族の長です。だから二千という数も誇張だとは思えません。今、メアンモシリの東部は、息子のウホピ(宇穂卑)が駆け回っているようです。宇穂卑は二十八歳の意気盛んな戦士です。だから、若者を集めホピ自由青年同盟を再生させるでしょう。南部で動いているのは、ヒミコ様も御承知のカシケ(火斯気)です。『倭国女王来る。再起到来』の檄を飛ばしたのはカシケのようです」とハエポロは早口で報告した。

 すると背後から「やはり、カシケ伯父貴が動いたようですね」と声がした。振り返ると毛馬伯の三男真弥である。そして「やはり、親父殿の心配した通りだった。ヒミコ様、ご安心を。という数では有りませんが、三日離れた所にピタの兵を三百伏せています。同じように五日離れた所にアサマ様が五百の兵を進めています。率いているのはホニヒ様です」と報告した。

 やがて阿彦も現れ「私が、高志の兵五百を二日離れて率いて来ています」と報告した。更に、秦鞍耳が「ヒミコ様ご安心ください。援軍に、現在の我が手勢を加えると、五日後には千五百の軍勢に成ります。そして、二千と千五百の差なら充分勝算は有ります。今、スサト殿は、町の者を総動員し、ユクルの出口に木柵を築き防衛線を確保しています。三日あれば完成するそうです。そして、マサト殿が率いる三百のピタ兵がここを守備します。オガバル岬の斜面には、ドキョン殿が、チュヨン船の乗組員を総動員し、塹壕を造らせています。それから、オロチ族も加わってくれるようドキョン殿が説得しています。後は時との勝負です」と防衛策を説明した。

 七日目の朝未き、阿人の徹底抗戦派が動き始めた。蛛怖禍茶辺や火斯気は、奇襲を掛けていると思っている。まだ、秦鞍耳の手の内は知られていないようだ。牡鹿沼半島の沼地に潜ませたハエポロの手下が次々と情報を届け出した。先陣は宇穂卑のホピ自由青年同盟七百のようである、その後ろに火斯気の七百の兵が続いているようだ。ユクル(鹿の通り道)の入口付近は広い丘陵に成っており、蛛怖禍茶辺の本隊七百は、まだそこに控えているようである。千四百ほどの兵が狭いユクルを進んでいるので、ユクルは兵の帯のようである。

 夜が明けきった頃、宇穂卑軍の先頭が木柵に阻まれた。老将火斯気であれば、ここで奇襲が漏れたことを悟り一旦軍を止めたであろう。しかし、若く勇ましい将の宇穂卑は気に留めなかった。私は、その一部始終を牡鹿原岬の望楼から眺めていたが、ホピ自由青年同盟は、次から次へと木柵を越え出した。

 三百程のホピ自由青年同盟の若き兵が、木柵を越え浜に降り立つと、真弥の斐太兵三百は、小舟に乗って一斉に対岸に逃げ出した。その逃げ様を嘲笑い宇穂卑の七百の兵が浜で気勢を上げた。すると、牡鹿原岬と牡鹿沼半島の間の瀬を、チュヨン船と天之玲来船が塞ぐように進んできた。そして、宇穂卑の七百の兵に目がけて一斉に矢を放った。チュヨン船は、投擲機も二門積んでいたので、これで火球を飛ばした。宇穂卑軍は、堪らずに退却しようとしたが、木柵に阻まれた。退路を断たれた宇穂卑軍は、全滅した。宇穂卑自身も、火炎弾を受けて絶命した。

 宇穂卑軍が壊滅すると、真弥の斐太兵三百は、再び木柵の防衛線に戻った。木柵の外の異変に気付いた火斯気軍の先頭は、一旦退却をしようとしたが、狭いユクルに退路を断たれた。仕方なく木柵を超えた兵は、全て真弥の斐太兵に討ち取られた。

 先頭近くにいた火斯気も、異変に気付き全軍退却を命じたが、後方で蛛怖禍茶辺本隊の部族長が「命を惜しまず攻撃せよ」と叫んでいたようだ。大混乱に陥った火斯気軍の兵は、沼地に入り込み逃げ始めた。そこへ、穂煮火様に率いられたポロモシリ(大国)の五百の兵が、牡鹿沼半島の北の浜から矢を射かけた。沼地に足を取られた火斯気軍の兵は、次々に倒れた。

 日が天頂に昇った頃、死を覚悟した火斯気は、単身木柵を乗り越え真弥の斐太兵に切り込んだ。そして、数人を相手に奮戦したが遂に膝を折った。火斯気は、真弥を見出すと、首を項垂れ「頼む」と言った。そして真弥に首を打たれた。真弥は、自らの袖元から白布を引き出し裂くと、打ち取った火斯気の首を丁寧に包んだ。

 その頃、阿彦は、高志の兵五百を率いて蛛怖禍茶辺の本隊を背後から攻めたようである。兵力は蛛怖禍茶辺の方が勝っていたが、阿人の徹底抗戦派は既に半数以上を失くしていた。だから自ずと退却戦である。日が傾きかけた頃、蛛怖禍茶辺の兵は五百に減った。そして、蛛怖禍茶辺は、皆に戦闘停止を発した。

 私は、智淀多達とその様子を見届けると望楼を降り始めた。するとヒューンと三本の矢音が鳴った。一本が、望楼の柱に刺さった。そして、一本が、智淀多の腕を射抜いた。意外にも智淀多は、呻き声を発しなかった。そして「ヒミコ様、お怪我は有りませんか」と私を気遣った。背後で「うっ!」と呻き声が聞こえた。振り返ると阿彦の従者が三本目の矢を胸に受けていた。どうやら、私をかばったようである。従者はゆっくりと身体を捻りながら望楼から落ち更に岬の下に消えた。落ちる間際に「良かった。生きていていてくれて」という声が私の胸に届いた。

 群衆に紛れこみ矢を射た三人の弓兵は、自害していた。三人とも白髪交じりの男達だった。戦いの後、岬に消えた阿彦の従者を捜させたが見つからなかった。ヘキが私を睨みつけた。

 翌朝、戦況が明らかになった。阿人の徹底抗戦派は、戦死者三百余人。負傷者千二百余人であった。我が方は、戦死者五十余人。負傷者百余人であった。徹底抗戦派で生き残った将は、蛛怖禍茶辺独りである。実は、敗北宣言をした矢先に蛛怖禍茶辺は、ユクルの丘陵で自害を試みた。だから、私は蛛怖禍茶辺の心を縛り自害を許さなかった。

 ドキョンがユクルの丘陵に着いた時、私に呪縛された蛛怖禍茶辺は、止めどない涙を流していたそうだ。ドキョンは、生き残ったメアンモシリの首長達を集め、叔父の蛛怖禍茶辺を大首長から解任した。そして、自らが大首長を継ぐと宣言した。ドキョンは、チュプカセタ(東犬)に戻ったのだ。そして、蛛怖禍茶辺の本拠地シウニンタイに戻って行った。

 真弥は、火斯気の首を穂煮火様に渡した。穂煮火様は火斯気の顔を淋しそうに眺めながら「チュプカチャペとカシケは、ハチャム姉さんが病死すると、人目もはばからず号泣しました。そして、姉と義兄ホピカ大将を葬った倭国への復讐を、深く胸に刻んだんだと思います。その思いを、誰が止められるでしょう。でも、結局ハチャム姉さんが、この復讐戦を止めたんだと思います。カシケも今頃は、ハチャム姉さんの許で叱られていることでしょう。それから、チュプカセタの処置は、ハチャム姉さんの思いと重なっている気がします。きっとチュプカセタは、カムイ・アドモフが私達に遣わしてくれた男でしょう。あいつが居れば私達は迷わずに生きていける気がします」と独り言のように話された。きっと、火斯気は情の理に死んだのだ。そして、私は治世の理に生き続けている。だからきっと火斯気は言うのだろう。「だから倭人は信用ができぬ」と。

 茅緒海を発つ前夜、メアンモシリの夜空に無数の星が流れた。嗚呼~お祖母様が亡くなったようだ。玲来もアッと声を上げ「大巫女様がお発ちに成られましたねぇ」と私に囁いた。それを聞きつけたリーシャンが「それは大変だ。ヒミコ様、急いでアタ国に戻らなければ」と慌てて駆け寄ってきた。私は「ここからでは飛んでも帰れまい。それにアタ国には、ニヌファがいる。だから大丈夫」とリーシャンに答えた。傍らで須佐人も大きく頷いてくれた。

 すると智淀多が「大巫女様は、天の川の神様に戻られたのですね」と博識を披露した。天を流れる星の川は、命の源のひとつである。お祖母様は、ティンガーラ(天の河)に戻られたようだ。そして、この世の光を、ニヌファ(丹濡花)の星に繋がれた。ドキョンは、迷いの旅の末に、チュプカセタに戻った。そして、カムイ・アドモフ(率賦)に繋がっていく。だから、チュプカセタもまた、ニヌファブシ(北極星)なのであろう。

~ 狗奴国の内紛 ~

 ハエポロは、私とヤマァタイ(八海森)国に渡って来た。ヨンオ様が私の遁甲を務めるように命じたのだ。アワ(粟)国で、セト(勢斗)にその旨を伝えると、勢斗も喜んで同意してくれた。勢斗は、薄々ハエポロの正体に気づいていたようだ。私は帰国すると、ハエポロをシュマリ女将の許へ送った。遁甲の引き継ぎをさせる為である。

 シュマリ女将は、相変わらず美しく達者なようだが、もう六十三歳である。いつまでも遁甲の頭を続けさせる訳にもいかない。リュウジュウ(龍紐)も六歳に成り、ロウラン(楼蘭)も二歳に成った。そろそろ、龍紐と楼蘭に、祖母ちゃんを返してあげないといけない。

 私とヒムカも、いつの間にか三十路を越えた。だから、お爺やお婆達も、干支が一巡し還暦を迎え、そして、次の干支を踏んでいる。私のお祖母様イワトビメ(磐戸媛)は、六十七歳で神様の許に帰った。その後を追うかのように、メラ爺やアマミ(天海)親方も神様の許に帰ったようだ。

 お二人は私のお祖父様と同じ歳だったので七十九歳の大往生だった。三人を神様の許に送り届けたのは、ニヌファとヒムカである。南の大巫女様は、一旦、ヒムカが継承したが、ヒムカは、南洋民の復興の為に、東風茅乃海まで奔走している。その為に程なく南の大巫女様を、ニヌファに担わせた。だから今、ニヌファ親子は、阿多国に住まいを移している。

 更に、ハエポロだけでは無く、阿彦も私に付いてヤマァタイ(八海森)国にやって来た。ヨンオ様から「ヤマァタイ国の国政を学ばせたい」と頼まれたのだ。という訳で、阿彦は、智淀多と暮らしている。智淀多は十九歳、阿彦は十八歳だから年子の兄弟のようである。気難し屋の智淀多には、おっとりとした気性の阿彦は良き弟である。ヨド(淀)女房頭も、阿彦に会って喜んでいるようだ。それに、ネロ(朴奈老)大将の血を引く阿彦は、武人の才にも秀でている。だから、天之玲来船の甲板で良く倭と手合せをしていた。そして今は、近衛二十四人隊が稽古の相手である。

 冬支度を始めた頃に、ハエポロが便りを寄越した。何と玉海がウガヤ(卯伽耶)の娘を産んだそうだ。子の名前は、イナヒ(稲飯)姫というようである。この名は、南の大巫女様に成ったニヌファが降ろしたそうである。玉海は、二十七歳に成った。卯伽耶は、まだ十七歳である。異母兄の健が私に仁武を産ませたのは、二十一歳の時である。早熟さが兄弟の証しだろうか。そして、稲飯姫は仁武の従兄妹である。

 仁武は二歳になった。きっと可愛い盛りである。でも薄情な母親の私は、まだ会いに行っていない。唯ひとつ、黒曜石で作らせた鏡を土産に届けただけだ。年が明けたら、ニシグスク(北城)に戻ろう。それまでに、今後の倭国運営について香美妻女王やウス(臼)王と詰めて置かなければいけない。

 ミソノ(美曽野)女王は、まだ伏せっておいでのようである。帰国後もそんな様子で私は狗奴国へは行けない。そこで、智淀多と阿彦に狗奴国に行ってもらうことにした。だから、二人には「帰国は春で良い」と告げている。稲飯への祝いの品は、やっぱりタフ(太布)様にお願いした。ヘキに贈る菊枕は、妙案だと太布様にも褒めてもらったが、私の贈り物選びの才はそこまでだった。今はやっぱり飯蛸の煮付けや、エツ(斉魚)の煮付けしか思い浮かばない。その上、飯蛸もエツも旬は春から初夏にかけてである。アチャ爺もテルお婆も、今は阿多国に戻り隠居暮らしを楽しんでいるので、頼りは太布様だけである。香美妻女王と志茂妻女王代理は呆れて笑っている。私だって自分を笑いたいのだ。

 年が明けて寒い冬の朝、長く伏せっていた美曽野女王が亡くなった。志茂妻の診断では乳巌だったようだ。魂送りの儀は私が行った。ヒムカは、東風茅乃海に居て来られなかった。狗奴国からは、健がホオリ王の代理で来た。ホオリ王も、近頃体調が優れない日が多いようである。これまでの無理がたたり疲れが溜まっているのかも知れない。

 健とは久しぶりに会えたが、仁武は伴っていなかった。無理もない、仁武はまだ幼子である。健は七日をヤマァタイ国で私と過ごしてくれた。私はそのまま健と一緒に仁武の待つニシグスク(北城)に帰りたかった。しかし七日目の朝、私は倭国の女王に就いた。

 伊都国の臼王とヤマァタイ国の香美妻女王を筆頭に、倭国の全ての族長達が、私に倭国の女王に成ることを望んだのである。健も狗奴国を代表して静かに頷いた。私は当分、薄情な母親のままである。イタケル(巨健)伯父さんは帛女王のことをどう思っていたのだろう。帛女王もイタケル伯父さんにとっては薄情な母親だったのだろうか。イタケル伯父さんは早朝、須佐人と天之玲来船でジンハン国に旅立った。父様に私が倭国の女王に就いたことを知らせる為である。

 春、智淀多と阿彦が悲しい知らせを持って帰って来た。シュマリ女将がハイムル(吠武琉)とポニサポに看取られて神様の許に旅立ったのだ。魂送りの儀はニヌファが行った。ニヌファなら北の果ての空までもシュマリ女将の魂を送り届けることが出来ただろう。私は伊都国のサイト(斎殿)から、ニヌファブシを仰ぎ見た。きっと、シュマリ女将は、あの辺りに居る筈である。そして、サンベも近くに寄り添っていることだろう。モユク(狸)爺さんは、南の空から駆け付けただろうか。大丈夫、ティンガーラを渡り行けば着ける。頑張れモユク爺さん!!

 それから、智淀多と阿彦は不安な話も持ち帰った。ホオリ王が伏せられたようである。そこで健も、居をニシグスク(北城)からハイグスク(南城)に移したようだ。仁武は、薄情な母親だけでなく薄情な父親にも恵まれたようだ。

 晩秋、ホオリ王が亡くなった。まだ四十九歳の若さだった。魂送りの儀はニヌファが行ってくれた。洗骨の儀には、私もヒムカも同席できた。アサラ(吾佐羅)王妃の落胆は大きく、十三歳に成ったイナサガ(稲狭賀)と十歳になったミズヌマワケ(水沼別)に支えられるようにして立っておられた。

 玉海の産後の肥立ちは順調のようだ。稲飯姫も丸々とした赤子である。卯伽耶は、私との再会をとても喜んでいた。玉海に依ると名付け親の私を、卯伽耶は母だと思っていてくれているようだ。仁武も久しぶりに抱くことが出来た。三歳になった仁武には私が母だと分かっているようである。そのことが却って哀れである。このまま伊都国に連れて帰りたいが、健が狗奴国の王になれば仁武は世継ぎである。やはり私達は縁薄き親子なのかも知れない。仁武もスロ船長のように孤独を友として育つのだろうか。

 洗骨の儀が終わり王の就任式を控えて、突然健が王位継承を辞退すると言い出した。皆は大いに動揺し狗奴国は暗雲に覆われた。そして突如健が消えた。私とヒムカは、狗奴国の重臣を集めて事情を問いただした。ヒムカも長く狗奴国を離れていたので、近況が掴めていないようだった。

 重臣達を問いただすと、実は王位継承を巡り狗奴国の内部は三分しているようであった。そして、その原因は卯伽耶だった。卯伽耶は稜威母との縁が深い。祖父は、安曇磯良である安曇様である。しかし、安曇様もカガメ(蛇目)様も数年前にお亡くなりになっている。そして、今は安曇様の長男ウズ(烏頭)様と、次男ウカイ(鳥喙)様の時世に成っている。

 鳥喙様の妻はカガメ様の娘ハハキ(蛇木)様なので、木俣のカガミ(蛇海)系稜威母族の長は鳥喙様である。対して、烏頭様は八十神系稜威母族の長だ。烏頭様の妻は、陽気なオクニ(尾六合)様である。しかし、オクニ様の一族は、八十神系の急進派が多いようである。つまり倭国自由連合を支えた人々だ。嘗ては倭国自由連合の柱だった狗奴国も、今では共存派の様相が強くなっている。特に、臼王とホオリ王の関係がそのことを強くしていた。

 後継者筆頭の健は、倭国女王の夫である。だから健が王位に就けば狗奴国は明らかに倭国統一同盟の一翼を担う存在になる。その為に烏頭様が動き出した。

 烏頭様は卯伽耶の伯父である。だから、卯伽耶の後継者として名乗りを上げたのである。今の安曇磯良である烏頭様が、卯伽耶を王にと動き出せば、末盧国にも同調者が出る。ハイグスク周辺の民も卯伽耶を推すだろう。そうなると、健を神と仰ぐニシグスク周辺の民と、吾佐羅王妃の蘇族と、山の民も黙っていないだろう。つまり、狗奴国は三派に分かれての内戦になる危険があるのだ。

 当の卯伽耶や稲狭賀や水沼別は、異母兄の健を尊敬し慕っているので自分達が王位に就く野望は持っていない。しかし、王権に取りつく魔物達はそれを許してはくれない。そして、今その魔物の長に安曇磯良である烏頭様が立ち上がったのだ。だから、狗奴国の反乱と、末盧国の反乱が再燃することが危惧されていたのだ。

 その状況を悟って健は自ら姿を消したようである。健は武人ではない。戦さは好まない男である。だから私の父様達のように身内で殺しあうことは望まない。そういう意味では、健には王は向いていないのである。この事態を受けて私とヒムカは卯伽耶を狗奴国の王に就かせた。そして、吾佐羅王妃と水沼別は、ニシグスクへ。稲狭賀はヒムカのナカングスクへ移した。 だから、卯伽耶と玉海と稲飯は王都ハイグスクで暮らすことになった。仁武の処遇には心を痛めた。私が伊都国に連れ帰れば、卯伽耶擁立派には大いなる脅威に映る。ニヌファが「私が育てましょう」と言ってくれたが、阿多国で仁武が育てば、やはりハイグスクには脅威と映るだろう。その私の苦境を察してトウマァ(投馬)国が仁武養育の手を挙げてくれた。だから仁武は、サルメ(佐留女)とヒコミミ(日子耳)が育ててくれることになった。私も傍らに那加妻がいてくれるので胸をなでおろすことが出来た。ホオミ(火尾蛇)大将の存在があれば、安曇磯良である烏頭様でも異論は唱えられない。そして、私は、健と仁武との間に自らの手で深い夜の帷を下ろしてしまった。

~ チュクム(秋琴)の娘 ~

 春三月、ハエポロから訃報が届いた。昨年の冬、ヒムカの夫のウズヒコ(宇津彦)が、イヨノシマ(伊依島)で没した。復旧中の棚田の土砂が崩れ落ち宇津彦と七人の仲間が犠牲になったそうだ。宇津彦は、まだ三十四歳の若さだった。サルシ(佐留志)族長とウズメ(宇津女)さんの落胆は酷く、佐留志族長は寝込んでしまったようだ。佐留志族長も齢六十四である。老いの身には、期待が高かった長男の不幸はそうとうに堪えているようである。今は、気丈な宇津女さんが、サルタ(猿田)族を率いているようである。

 ヒムカは、まだ四歳のイツセ(伊襲狭)を、宇津女さんの許に戻した。伊襲狭が、次のサルタ族の族長である。ヒムカは、四歳の伊襲狭を佐留志族長の傍らに置くことで「お義父様、イツセは、まだ四歳です。まだまだ、お義父様が元気でいなければ、この子は困ります。どうぞお願いします」という思いを託したようである。

 三歳のサデヒコ(佐田彦)は、父の死よりもお兄ちゃんが居なくなったことの方が悲しいようである。その分も含めて八歳年上のミケヌ(巳魁奴)異父兄ちゃんから離れないようである。巳魁奴は今年で十二歳になる。だから、ヒムカの苦労も察し、とても物分かりの良い子に育っているようである。仁武はどうだろう。薄情な父と母を恨んでも良いが、人にやさしい子に育ってほしい。きっと那加妻と佐留女がそう育ててくれるだろう。

 それから程なくもう一つの訃報が届いた。高志のヨンオ様が亡くなったのだ。五十三歳であった。突然胸を押さえて倒れ、そのまま帰らぬ人に成られたようだ。私は須佐人と智淀多を名代に立てて、倭に天之玲来船で阿彦を送らせた。阿彦も二十歳に成ったばかりだが、高志の一族を率いていかなければ成らないのだ。私は、阿彦に文官五十人と武官五十人を伴わせた。この百官が居れば阿彦も助かるだろう。

 それから手土産に、アカアシエビの燻製と、ワラスボに海茸の干物、ワケンシンノスの味噌煮に飯蛸の煮付け、クッゾコ(舌平目)の煮付けも付けて更に、ヒラ(曹白魚)の刺身とエツ(斉魚)の刺身に煮付けに油揚げにし甘酢に浸けたもの、そして極めつけは蟹を喰って丸々と太った蟹喰い鰻の素焼きを持たせた。これだけお国自慢を押し付けておけば、阿彦も筑紫乃島のことを忘れまい。太布様は呆れておられたが、これは贈り物ではないので良いのだ。それに全部阿彦の好物である。勿論この味を阿彦に教えたのは、リーシャンと智淀多である。

 伊都国の港で阿彦を見送るリーシャンは号泣していた。高志に帰った阿彦には、もう生きて会うことはないだろう。リーシャンも、もうすぐ還暦なのだ。次の干支では、高志行きは叶わないだろう。それは私も同じである。倭国の女王になった今、昔のようには旅も叶わなくなった。

 私が倭国の女王に就任すると、臼王と香美妻女王は、倭国の国政を改め始めた。これまで、倭国は緩やかな共同体組織だった。ヤマァタイ国、狗奴国、末盧国などの強国が中心となり、更にそれを伊都国が束ね調整してきたのである。その国政をヤマァタイ国のように中央集権化させようとしているのである。

 国政の骨格は、ヤマァタイ国の国政を拡大したものである。そして、倭国の大頭領と大将軍には、タカシ(高志)大頭領とサヤマ(狭山)大将軍に兼務してもらうことにした。二人とも五十路を超えているので、そろそろ楽隠居を考えていたようだが「十年頑張って、十年後には楽隠居をさせるから」と私が口説き落とした。

 そして、本当に、これからの十年で世代交代を果たさなければ成らないのである。死の間際まで働かせるのは親不孝者共である。還暦が近くなったら、ヘリ(巴利)国の太刀魚の湯や、媛髪の湯。ヒラキキ(枚聞)山の砂の温泉に、脊振の峰に点在する温泉。ミツマ(巫津摩)の巫女司タマコ(玉呼)の里でもあるミタマ(三珠)族の郡都タマナキノムラ(玉杵名邑)の温泉。更には槍の項作が掘り当てた投馬国の高牟礼の湯。そしてやっぱり外せない高来之峰の温泉を巡り巡って楽隠居をさせてあげないといけないのである。

 その為には、私達がしっかりとしないといけない。須佐人と秦鞍耳は、何も案ずるところはない。愚兄夏羽も年を取るにつれ夏希義母ぁ様の血が滲みだしてきた。心配なのは智淀多と熊人である。しかし、一番の厄介者は、やっぱり私かも知れない。臼王にしっかり教授してもらわないといけないようだ。

 初夏、那加妻とホオミ(火尾蛇)大将の娘トヨツクメ(豊月女)が、キビ(黍)国のオンラ(鰛良)の長男アナミ(穴海)に嫁いだ。豊月女も、もう十六歳になったのだ。穴海は、二十二歳の逞しい男に成ったようだ。この縁談を決めたのは秦鞍耳である。豊月女は高木の神の巫女である。だから、那加妻の後は豊月女が継ぐことになる。そこで、投馬国としては何としても豊月女の婿探しが一大事である。

 穴海は今、義兄秦鞍耳の許で修行中である。そして、将来は秦鞍耳の右腕に成るだろう。秦鞍耳は、イホミ(伊穂美)王の五国をほぼ束ねつつある。秦鞍耳が中ノ海の覇権を握れば、倭国の平和は一層高まる。その為にも穴海の役割は大事である。秦鞍耳は、中ノ海を駆け回っているので、投馬国の筆頭族長は、高木神族のヒコミミ(日子耳)が担っている。サルタ族の族長候補伊襲狭は、まだ幼い。今、伊襲狭は五歳である。そして我が子仁武は四歳だ。母が居ない二人は、ヒコミミ(日子耳)と佐留女の許で、本当の兄弟のように育っているようだ。

 秋、須佐人が、高志から帰ってきた。智淀多は、どことなく元気がない。無理もない、唯一人の友が去ったのだ。だから、少しはやさしく接してやろう。夜、須佐人がそっと私を訪ねてきた。健と高志で会ったそうだ。元気にしていたらしい。ヨンオ様が「同じ隠者だ」と言って健を庇護して下さったようだ。ヨンオ様が亡くなり阿彦が帰って来たが、阿彦に高志の族長達を束ねる力量はまだない。そこで、セオ(細烏)様は、表に立たないという約束で、健に高志を束ねさせているようだ。阿彦も健に頼っているようである。稜威母との長年の確執を抱える高志の族長達も、健の身の上に同情的で有り、何よりも健の人柄に魅かれ、健の身を案じているようである。私は、もう健にも逢えなくなったようだ。

 初冬、ヒムカがウラト(宇羅人)を婿にした。本当にヒムカは逞しい。やはり黒潮の女王である。何があってもその力強い流れを止めることはない。ヒムカは宇羅人に、伊依乃島南岸のコウチ(河内)の開拓を託している。宇羅人は、マハン(馬韓)人ヨサミ(依佐見)の一族である。依佐見一族は、伊依乃島の南岸で稲作を始めた最初の集団である。その依佐見一族と南洋黒潮民が交り合い伊依乃島南岸の民が生まれた。だから、宇羅人にとって河内の開拓は天命である。そして、河内の前に広がる遠浅の海を人々は宇羅人乃海と呼んでいるそうだ。今、その宇羅人乃海の奥に作ったトサプ(杜沙府)を、河内の国都として拡大しているようである。宇津彦の偉業はしっかり宇羅人が引き継いでいるようだ。

 寒さが増した頃、カメ(亀)爺が神様の許に帰って行った。八十一歳の大往生である。そして、イタケル(巨健)伯父さんがコウラノシラ(高良磯良)と成った。海洋民は、ほっと胸を撫で下ろし、そして、須佐人が将来の高良磯良であることを確信した。アズミノシラ(安曇磯良)であるウズ(烏頭)様自身は、好戦的な方ではない。安曇様に似て温和な方である。しかし、妻のオクニ(尾六合)様の一族に八十神系の急進派が多いのが危惧される処である。海洋民に取って、高良磯良と安曇磯良の関係が良好であることは、とても大事なことである。そして、高良磯良が巨健伯父さんに引き継がれたことは、この安堵感を増したのである。安曇様と蛇目様の関係のように、烏頭様と巨健伯父さんなら上手く行く筈である。

 年が明けて、卯伽耶から「コウチの国都トサプが落成した」と便りがあった。私は卯伽耶に祝いの品を贈り、ヒムカの元に届けてくれるように頼んだ。卯伽耶は、便りの木簡と共に絵描きシバを一枚添えていた。そこには稲飯姫の手形が刻まれていた。可愛いモミジのような手である。稲飯姫は、そろそろ三歳である。母の玉海に似て、きっと福よかで優しい娘に育っていることだろう。

 名付け親の私を卯伽耶が母と慕っているのであれば、何と私はお祖母ちゃんである。三十路を過ぎたばかりだというのに、喜んで良いのやら、悲しむべきなのか困った事態である。初夏、卯伽耶が再び便りをくれた。今度は「ヒムカ姉様に娘誕生。名はウララ」と有った。父は宇羅人である。私は子を育てる術もないまま、既に孫まで出来たというのにヒムカは逞し。

 ウララ(翁蘭々)はどんな娘だろう。以前の私ならひょいと天之玲来船に乗ってウララに会いに行けたものを、今ではそれも叶わない。倭国の国政改革は着手してまだ二年である。いつまでも高志大頭領や、狭山大将軍、それに淀女房頭に頼っているばかりでは駄目なのである。

 晩夏、中ノ海からメアンモシリまでを視察させていたハエポロが帰ってきた。ドキョンは、チュプカチャペ(蛛怖禍茶辺)の娘二代目チノミシリ(茅野魅尻)を妻に迎えたそうだ。そして、息子と娘を授かったようである。だから、蛛怖禍茶辺も祖父ちゃんである。

 私が倭国の女王に就いた時、阿人国は阿佐麻様の長男アラハバキ(安良蛇木)を祝いの使者に送ってきた。安良蛇木は今年三十路に入り、阿佐麻様は五十路を超えられた。そこで、ポロモシリ(大国)の行く末を、安良蛇木の世代に譲ろうとされているようだ。そして阿人四国の筆頭族長にドキョン、否、今はチュプカセタを立てられたようである。

 高志では、ヘキが健の子を産んだようである。名をオキナメ(沖那女)というそうだ。稜威母では、やはり八十神系の急進派の動きが活発に成っているようである。冬、ハク(伯)爺が神様の許に帰って行った。七十八歳であった。熊人は二十六歳ながら項家の当主と成った。後見人にはナツハ(夏羽)が付いている。そして私は、徒手の項増を熊人の許に送りだした。項増を亜父と慕う熊人もこれで安心したようだ。苦労人の項増が付いていれば熊人も一族の舵取りを誤ることはない筈である。

 熊人は、娘のテルミ(項照美)を、項増の息子ククチ(菊智)に嫁がせた。菊智はもう十五歳だが、照美はまだ二歳である。本当に熊人は、いくつに成ってもせっかちな奴である。しかし、幼くして父を亡くした熊人が、亜父の項増との縁を確かなものにしたい気持ちは良く分かる。

 対して、ナツハ(夏羽)とラビア姉様の娘、私の可愛い姪の希蝶は十三歳である。早い娘ならもう良縁の申し込みが始まる年頃だ。しかし、希蝶の前途は多難である。何しろ鬼より怖い夏羽とサラクマ(沙羅隈)親方が「俺の希蝶に手出した奴ぁ~」と両脇で構えているのである。これでは希蝶に言い寄れる若い衆など見つかる希望はない。もう数年経ったら私が良い人を見つけてやろう。

 翌年春、ラビア姉様が、シャー(中華)の旅より帰って来た。白秋様のご一家も皆息災に過ごされているようだ。無病息災は、どんな富にも代えがたい人生の宝である。この旅の報告で私が一番楽しみにしていた話は、勿論チュクム(秋琴)の近況である。チュクムの父ジャオ(張角)が立ち上げた教団は、数十万に膨れ上がっているそうだ。その背景にはシャー(中華)の国の乱れが影響しているようである。

 チュクムは、十六歳の娘盛りである。そして、近頃好い人が出来たようだ。その男は県令らしい。しかし、まだ二十六歳の若さで、どうやら都の高官の息子のようである。馬鹿な息子でなければ良いが、まぁチュクムが好きに成った男なら大丈夫だろう。そして、チュクムは、我が家の血を引いて大女に育っているらしい。上背がある上に、筋肉質のしなやかな体に育ったようで、その上、もう女戦士以外に考えられないような面構えのようである。お父様が見たらきっとジンハン(辰韓)国の世継にはチュクムを選ぶだろう。と、ラビア姉様が笑って話してくれた。

 白秋様の情報網では、漢の王室はもう長く持つまいという様子らしい。スロ(首露)王が心配していたように、宦官の台頭が著しく、皇帝に民を思いやる心は失われているようだ。その為、既に民の心も王朝かられているようである。既に天命は去っているのかも知れない。天命が去れば新たな国が立つ。その革命の嵐にチュクムが巻き込まれないか。今はただそれだけが心配である。私とチュクムは、戦さ場の巫女の末裔なのだ。戦さの風が吹けば巻き込まれずにはいられない運命である。

 夏、豊月女が長男イサヒコ(伊佐彦)を産んだ。そして、ヒムカはサチヒコ(沙乳彦)を産んだ。冬、フク(福)爺が神様の許に帰った。七十九歳であった。私は、密かにハエポロを健への使者として高志へ旅立させた。徐家の当主は高志大頭領が継いでくれた。本来徐家の当主は、フク(福)爺から健、健から仁武と引き継がれる筈だったが、仁武はまだ六歳である。それに誰からも徐家の秘術を教えてもらっていない。薄情な父母をもった仁武はどんな人生を送るのだろう。いずれにせよ私に成す術はない。

 翌年春、佐留女がヒコミミ(日子耳)の娘アヒラ(吾比良)を産んだ。佐留女は二十七歳で、日子耳は二十八歳に成っていたので二人は子を成すことを諦め掛けていたようだ。しかし父と母以上に喜んだのは仁武のようである。仁武は七つ離れた妹の誕生に大喜びしているそうである。七歳に成った仁武は、今や日子耳と佐留女を実の父母だと慕っているようである。だから、吾比良は実の妹である。私は、日子耳と佐留女に感謝しても感謝しきれない思いを抱いた。

 冬、オウ(横)爺が、お祖父様の許に旅立った。七十九歳の大往生である。今頃は兄弟で酒を酌み交わしていることだろう。田家の当主に成ったアタテル(阿多照)叔父さんは五十三歳に成り、息子の隼人も二十八歳に成った。

 隼人は今年の夏に倭国海軍の旗艦天之玲来船の船長に成った。隼人と妻のフラ(楓良)には、アタウミ(阿多海)という息子と、ナギメ(凪女)という娘がいる。阿多海は七歳で、凪女は四歳だ。阿多海はオウ(横)爺にそっくりである。きっと、田家漁師団を担う男に育つだろう。

 冬が深まった頃、強いチュクムの波動が届いた。どうやら、子を産んだようである。そして娘のようである。名は分からない。しかし、娘の波動も私に届いた。賢い娘である。きっと、カロ(朴華老)様や、ウェン(張文)様の血を強く引いたに違いない。だが、尹家の巫女の波動が強い。この娘もまた戦さ場の巫女かも知れない。父は、若き県令なのだろうか。祖父ちゃんに成ったジャオの教団は、数百万に膨れ上がったようだ。そして、革命集団の様相を帯びて来たとバイフー(白狐)様からの便りが届いていた。今は、この娘が無事に育つことを祈るだけだ。

 翌年初夏、玲来が倭の次女を産んだ。九歳に成った水桃は、お母さん気取りで頑張っている。倭の長男ヤマセ(山勢)も五歳に成った。山勢は、だんだん狭山祖父ちゃんに似てきている。狭山祖父ちゃんも早く楽隠居の身に成り、水桃と山勢の孫守りを楽しみたいようだが、もう少し頑張ってもらわないといけない。

 次女の名はミツハ(水波)という。曾祖母の名を受け継いだ。曾祖母は投馬国の高木の巫女であった。だから水波も強い気を放っている。母の玲来は森の妖精だから、水波は、きっと湖畔の妖精だろう。私は、水桃にはもう一人妹が出来ると感じている。おしゃま娘三姉妹の再来である。

メラ爺=天太玉命の孫娘 おしゃま三姉妹 父:イツキ(猪月) 母:マンノ(万呼)
名前サラ(冴良)フラ(楓良)レラ(玲来)
妖精山の妖精風の妖精森の妖精
巫女黄泉の巫女風読の巫女月読の巫女
倭国海軍 船舶アマノサラフネ (海之冴良船)フウノフラフネ (風之楓良船)アマノレラフネ (天之玲来船)
ガオリャン(高涼)ハイト(隼人)ヤマト(徐倭)
子供達長男:ガオミ(高米)長男:アタウミ(阿多海)長女:ミナモモ(水桃)
長女:2代目ガオユェ(高月)長女:ナギメ(凪女)長男:ヤマセ(山勢)
 次男:デンオウ(田横)次女:2代目ミツハ(水波)
  三女:ミヅマ(水妻)

 長女サラ(冴良)は、ガオリャンとの間に九歳に成る長男ガオミ(高米)と、六歳に成る長女の二代目ガオユェ(高月)を儲けている。次女フラ(楓良)と隼人の子は、長男アタウミ(阿多海)八歳と、ナギメ(凪女)五歳である。そして、次男デンオウ(田横)が今年誕生した。だから、イツキ(猪月)親方とマンノ(万呼)さんは、八人の孫持ちである。そして、私の予感では、もうすぐ九人の孫持ちに成るだろう。山の民の元締めであるイツキ(猪月)親方も、まさかこんなに水の精霊達が生まれるとは思っていなかったに違いない。だから、メラ爺の一族は、今や山海の民である。

 マンノ(万呼)さんと同族の宇羅人は、ヒムカと別居し、マハン(馬韓)国に向かったようである。マハン国のチョゴ(肖古)王は、マハン国南部の倭人の締め付けを強めている。チョゴ王の倭人嫌いは、年を追う毎に酷くなっているようだ。だから、倭人や漢人が多いジンハン(辰韓)国に対しても、好戦的である。そのジンハン国との戦さに、マハン国南部の倭人、つまり稲作の民を駆り立てるそうだ。だから宇羅人は、同胞の窮状を見かねてマハン国に渡ったようである。

 それから程なく、サラクマ(沙羅隈)親方が妹のフーシャー(狐沙)さんに看取られて亡くなった。ラビア姉様は、シマァ(斯海)国の族長に成った時に、フーシャー親子をキ(鬼)国に呼び寄せ、酒房と沙羅隈親方の面倒を頼んでいた。それからフェァ・リュ(何律)、フェァ・ファン(何芳)、フェァ・リン(何玲)の三人の従姉妹を、シマァ(斯海)国に呼び寄せ剣の項荘、徒手の項佗、槍の項冠の妻にしていた。そして、沙羅隈親方が息を引き取ると、従姉弟フェァ・ジー(何鶏)に『鬼国の河童の大将』を襲名させた。

 この数年の間、フェァ・ジーはラビア姉様の希望で、ポーハイ(渤海)の海賊王ウーハイ(武海)様の許で鍛えられていた。だから、フェァ・ジーは、サラクマ(沙羅隈)親方を彷彿とさせる男に育っていた。そうして、新しい力が倭国に広がっていった。

 翌年、今度はフーシャーさんがラビア姉様に看取られて亡くなった。ラビア姉様は、育ての母との別れに憔悴していたが、前を見るように、フェァ・ジーに一人娘の希蝶を娶らせ一族の前途を繋げていった。

 その年の一月、テル(照)お婆が静かに静かに息を引き取った。そして冬、アチャ爺も後を追うように旅立った。二人は、孫娘のテルハ(照波)と熊人が看取った。六歳に成った曾孫のテルミ(照美)が二人に寄り添い離れようとしなかった。

 二月、チュクムの父ジャオ(張角)が遂に革命の狼煙を上げた。バイフー(白狐)様からの便りでは、シャー(中華)の各地に戦火が広がっているようだ。

 春三月、父様が亡くなった。そして、ナリェ(奈礼)王妃も父様の後を追ったようだ。秋、ジンハン国の王位争いに敗れたユリ(儒理)が倭国に戻ってきた。キドン(敦)が後継にソク(昔)氏のポルヒュ(昔伐休)を立てたのだ。その政変に乗じてマハン国のチョゴ王も倭人への締め付けを強めた。ツングース(東胡)族の出であるチョゴ(肖古)王は「倭人ごときが……盗人猛々しい」と稲作民の倭人を虐げ始めたのだ。だから、マハン国南部の倭人の多くが倭国やチュホ(州胡)に移り住んだ。宇羅人は、何とか同胞の窮状を救おうと奔走しているようだが難儀を強いられているようだ。

 秋、チュクムの父、ジャオが病死したようである。チュクムがどうなったかは、バイフー(白狐)様もまだ掴めていないようだ。しかし、チュクムからの波動は血の匂いに覆われている。ただ、チュクムの娘の波動は穏やかだ。不思議な娘である。

 ヒムカは、火斯気の長男イハチ(伊波智)を夫にし娘ミズハ(瑞波)を産んだ。今、ヒムカは東風茅乃海の流留無に居る。阿人と倭人は再び新しい交わりの時を迎えたようだ。ドキョンことチュプカセタと、ヒムカは、今新しい息吹へと倭国を導き始めたようである。

 チュクムの娘の羽音は、そこにどんな世界を持ち込むのだろう。バイフー(白狐)様とラビア姉様の道は西域から倭国への道だ。その道をチュクムの娘は、革命の風と成り駆け抜けるのかも知れない。しかし、その娘からは血風の匂いがしない。この娘は静かなる革命の児かも知れない。否そうあって欲しい。私はメタバル(米多原)の館の望楼に立ち、赤き陽の中に沈むタカキノミネ(高来之峰)に向かって祈りを捧げた。

~ 女王国の落日 ~

 「みゃぁ」と田の中より産まれたての子猫の鳴く声がした。鳴き声がした方に振り返ったが何も見えない。それでも、稲刈りが済んだ田を良く良く見ていると水溜りの上に一羽の黒い小鳥がいた。お腹の辺りが白いけど、カササギでは無さそうだ。頭の上にピョンと羽の冠をつけているのだ。「加太、あれは何ていう鳥なの?」と聞くと「雀か千鳥じゃないのかぁ」という。「違うよ。だって、りっぱな羽の冠が見えるよ」というと、加太はやっと起き上がり「どれどれ、どこのどいつだ」と田の中ほどを見やった。

 私が「ほらほら、あそこ。あの水溜りの辺りよ」と指さすと「どうれ」と立ち上がり遠眼鏡を取り出し目に当てた。そして「ほう~、これは遠来の客人だぞ。いやいや客鳥か」と楽しそうに言った。私も、加太から遠眼鏡を受け取るとその鳥をじっくりと観察してみた。

 遠眼鏡で良く見ると黒いだけの鳥ではなかった。翼の辺りは深い緑色の中に緋色の部分もあり虹色に見えるのだ。「ねぇ、遠来ってどれ位遠くから飛んできたの?」と改めて加太に尋ねると「あれは、タゲリ(田鳧)という渡り鳥だ。夏には西域の更に西にいたはずだ。ひと冬を倭国やシャー(中華)の南で過ごすと、また西に飛んでいくのだよ」と教えてくれた。それから再び目を閉じ寝そべった。

 私が「あんな小さな体で?」と驚くと加太は笑いながら「だから、今のうちにたっぷり餌を食べているのさ。ほら、地面を足でトントンと蹴ってはいないか?」と言った。私は更にじっと目を凝らしてタゲリ(田鳧)の様子を見続けた。すると、加太がいうようにトントンと蹴るような仕草を見せる。

 私が「本当だ。田を蹴っているわ。だから、田蹴りっていうの?」と聞くと「そういう説もある。が、違う説もある。兎に角、ああやって地を蹴って、虫やミミズを追い出して食べているのさ。賢い鳥だよ」と億劫そうに答える。

 私は「ねぇ、別の説っ何?」と食い下がった。すると加太は「タゲリ(田鳧)の足をよく見ると、踵に小さな棘のような物があるはずだ」と言った。私は遠眼鏡がぶれないようにしっかりと両手で押さえて、目を凝らした。すると、ちょんちょんと飛び跳ねた合間に小さな棘の付いた踵が見えた。私は何故か興奮して「有る。有る」と、はしゃいだ声を出してしまった。

 加太はやおら起き上がり「実はその棘は、4本目の指の跡だ。シャー(中華)では踵のことは、ヂョンやゲェンやケン等と言う」と床に白湯で跟という字を書いた。それから、叧という字も書きそろえた。「これは踵だ。これは別にと云う字だ。そしてこれで跟叧(ケンリン)と発音するのさ。つまり、踵に別の指が付いているということだな。それがつづまって、ケリ。で、田のケリ。と云う説もある。どうだ、なかなか面白いだろう」と加太は答えてくれた。

 私は「何だか分かったような。分からないような話だけど、シャー(中華)の文字が絡むと面白い話になるのは興味を魅かれたわ。じゃ、ケリはどう書くの?」と聞いてみた。加太は、床に鳧という字を書いた。そして「これは、フ・ブ・かも・けり等と読む」と言った。「あっ、けり。かもって、あの鴨? 水辺でバシャバシャでグェーグェーって賑やかなあの鴨」と私は鴨が飛び立つ仕草をして見せた。

 その仕草を見て加太は吹き出しながら「その鴨だ。その仕草は新しい祭りの舞に使ったら、皆喜ぶぞ」と言った。加太が茶化してそう言ったのは私にも分かった。でも私は案外良いかもと思った。で、手の動きをゆるりゆるりと羽ばたかせてみた。

 そうしていると加太が「これはなっ。鳥の下に人が付いた文字なんだぞ。つまり、人の霊が鳥に付いたのさ。だから、先祖の霊が鳥になった鳥型霊の文字なのさ西域の外れまで旅をする鳥だ。例え黄泉の国にだって行き来することも出来ないことはあるまい。ジンハン(辰韓)国やシャー(中華)の巫女は、鳥を使って死者の魂を呼ぶと聞いたことがある。その鳥は巫鳥(シトトリ)というそうだ」と翼を広げて見せた。

 シトト(一青)は森の色である。一青(シトト)は死人(シトト)に繋がるのを嫌い一青(ヒトト)と読んだ。これは、芦木(アシキ)が悪し気を招くのを嫌い善し気(ヨシキ)と呼び改め、後には吉木(ヨシキ)に変わるのと同じことだろう。だから吉塚は、元は芦塚という自然堤防だし、吉田は、元は葦原を開墾した芦田だったのだ。吉原はもちろん、昔は川辺に広がる葦の原っぱだったに違いない。ねぇ加太、じゃぁ……ねぇ加太……ねぇ加太……加太……加太……

 胸元が汗ばみ、軽いめまいに襲われて朝を迎えた。どうやら私は夢を見ていたようだ。それにしても加太は今頃どこに居るのやら。『ねぇ加太、チュクムはどうしているの。貴方が傍にいれば大丈夫だと思うけど、儒理はまだ元気がないの。貴方がここにいれば、楽しい話をたくさん聞かせてくれて、儒理も早く元気になるかも知れない』そう朝靄の彼方に囁いてみたけど、加太の返事は返ってこない。

 ジンハン国の王権の争いはまだ続いていた。そして、十四代目のホゴン(瓠公)キドン(敦)は、父様の崩御に乗じて動き始めた。キドンが王に推挙したポルヒュ(昔伐休)は、アルジ(金閼智)の孫である。つまり、キム(金)氏とソク(昔)氏が後ろ盾である。そして、昔伐休は、もう六十四歳である。王位に就くには高齢だったが、その生きた歳の数だけ人望も高くなっていた。だから、年若い儒理が政争に敗れても不思議ではない。

 儒理の庇護者だったナリェ(奈礼)王妃が健在であれば、キドンの野望も抑えられたかも知れない。しかし今やジンハン国の歴史から儒理は消された。儒理の妻子チヨン(金智妍)と、長子ネへ(奈解)はジンハン国に残っている。儒理はその理由を語らない。兎に角、儒理は独りで倭国に戻ってきた。

 金智妍は、キム(金)氏の出である。それに明人叔父さんの長男アキラ(瑛)が付いているので、金智妍親子の行く末に不安はない。キドンは、マハン国のチョゴ王と密かに通じている。チョゴ王は、儒理に辛酸を嘗めさせられたことを、未だに忘れていない。だから、マハン国が攻めているジンハン国は、パク(朴)氏のジンハン国だ。それをキドンは煽っている。

 儒理の帰国を一番喜んだのは須佐人である。須佐人は密かにジンハン国の東岸に鯨海の海賊衆を集めていた。そして、マハン国に対しては北からウェイムォ(濊貊)を迫らせていた。今や須佐人は、須佐能王に勝る力を付けている。須佐人が秦家の源郷蘇志摩利の地に立てば、ジンハン国は二分されたかも知れない。しかし、儒理はそれを望まなかったようである。

 儒理は、パク(朴)氏の血を引く武人である。ネロ(朴奈老)大将や父様にだって引けを取らない。しかし、儒理は武力より政治力を尊ぶ気性である。だから、同じ気性の臼王は、小さい時から儒理を好まれていた。そして、倭国に落ち延びた儒理は、ウス(臼)に庇護されている。

 儒理が伊都国に居てくれるので、私はヤマァタイ国に腰を据えている。春、臼王と菊月王妃は、スヂュン(子洵)を儒理に娶らせた。そして、臼王は、儒理を伊都国の世継ぎに立てた。儒理は、尹家の男である。だから、伊佐美王を始祖とする伊都国の王家に繋がることは不思議ではない。

 人は若い時には自分の足で立ち自分の力で人生を切り開いていると思っている。しかし、老い始めると、先祖達の力に押されて、今を歩んでいると気づかされる。道(タオ)は自分で切り開けば険しく自然のままに進めば緩やかである。だが青年は険しい道を進む。

 儒理の政治力と、須佐人の経済力は、倭国の力を徐々に大きくしている。秦鞍耳とヒムカは、阿人と和人の一体化を強めている。その様子を、周辺国が気付かない訳はない。アヘンが治めるピョンハン国は、同盟国なのでこの事態を好ましく思い、アヘンと須佐人の共存関係は益々強まっている。マハン国のチョゴ王は、大いなる危機意識に苛まれ、マハン国南部の倭人への締め付けを強めている。互いに道を譲り合う気はなく緊張が高まっている。

 これに対して須佐人と儒理は、宇羅人への全面支援を行っている。このぶつかり合う二つの道に二分されるのを恐れて、ジンハン国はパク(朴)氏への懐柔を行っている。だから追い出した儒理に対しても、ソク・ポルヒュ(昔伐休)王は、気遣いを絶やさず伊都国への使者を立て貢物をこと欠かない。

 シャー(中華)は、チュクムの父ジャオが起こした革命の火を消すのに追われている。ジャオは病死したが、革命軍はまだ各地で勢力を保っている。チュクムは今、青洲という地域に暮らしているようだ。バイフー(白狐)様からの情報では、青洲の革命軍は百三十万人を超えているそうである。その数は筑紫乃島の民の数の半分強である。つまりチュクムは、筑紫乃島の半分を率いている女王のような存在のようである。

 須佐人と儒理は、その青洲革命軍への支援も行っている。そして、ファンハイ(黄海)の海賊王バイフー(白狐)様、ポーハイ(渤海)の海賊王ウーハイ(武海)様、東海の海賊王シャンハイ(鄭山海)様が背後の海からそれを支えている。だから、漢の王朝は簡単には青洲革命軍を倒せないようである。

 そんな様子なので、漢の王朝も近頃は、私に刺客を放つゆとりもない。ウェイムォ(濊貊)は、既に須佐人が同盟国にしてしまった。だから、私個人は、近頃退屈な位に平和な暮らしを送っている。私の遊び相手ナラツ(菜螺津)も十四歳に成り、今年からミイト(巫依覩)で巫女修行に入った。私は手放したくなかったが、菜螺津は、香美妻の長女である。だから将来はヤマァタイ国の女王に成る可能性が高い。その為、巫女修行は欠かせない。

 そういうことで、今の私の唯一の遊び相手は、倭と玲来の娘水桃である。水桃は、まだ十一歳なので数年は私の遊び相手として大丈夫である。退屈しのぎは、智淀多を苛めることである。智淀多自身は、相変わらず私に苛められていると気付いていない。その悔しさがまた自虐的に快感である。そして、二十七歳にもなって智淀多は、まだ独り身である。但し私もこの点は攻めない。この点に触れると、智淀多から百倍返しをされそうである。しかし、智淀多が妻を娶り、子を成さないと、高志大頭領も淀女房頭も心が休まらない。仕方ない。水桃が十六歳に成ったら私が沙汰をしよう。女王からの命令なら智淀多も嫌と言えまい。

 明けて早春、玉海の訃報が卯伽耶から届いた。玉海はまだ三十六歳であった。どうやら美曽野女王と同じ病だったようだ。稲飯姫はまだ九歳である。私は七歳で母ぁ様を亡くした。稲飯姫には私と同じ寂しさを味わわせたくない。しかし、卯伽耶の落胆は大きいようで直ぐに後添いをとはいかないようである。卯伽耶にとって玉海は、妻で有り母で有ったのだ。唯一無二の存在を亡くした卯伽耶の悲しみの深淵はいかばかりだろう。私は卯伽耶にも菊枕を作って贈ろうと思っている。

 翌早春、今度は臼王が崩御された。王は、私の心の父で有った。だから私は、卯伽耶と同じ悲しみを味わった。

 初夏、チュホ(州胡)のガオロン(高栄)様が亡くなった。私は、ガオリャン(高涼)を州胡に帰した。そして、ガオリャンは、州胡に帰りガオ(高)一族の当主になった。倭国海軍の第二艦隊司令は、ガオリャンの親友リャンヨン(梁燕)を就任させた。そして、ガオリャンは、自分に変えて息子のガオミ(高米)十三歳を、倭国海軍に入れた。もちろん水夫から叩き上げる積りなのである。ガオミ(高米)よ。甲板磨きの楽しさなら隼人に尋ねるが良い。隼人ほど楽しそうに甲板磨きをしていた水夫を、私はまだ見たことがない。きっと隼人は、何世代もの前世から海人(うみんちゅう)だったのだ。

 秋、卯伽耶が、那加妻とホオミ(火尾蛇)大将の娘ミカヨリ(美火依)姫を妻に迎えた。美火依姫はまだ十七歳である。だから十歳に成った稲飯姫とは、七歳違いの姉様のような存在である。その沙汰は、ヒムカが行った。ヒムカからの命令であれば、卯伽耶も従うしかない。そのヒムカは、木の国のウケノ(上毛野)の娘ナチメ(那智女)を産んだ。本当にヒムカは逞しい女である。

 翌年、私は、高志大頭領と狭山大将軍との約束の十年目を迎えた。二人はもう六十四歳である。私は、約束通り二人を楽隠居にした。そして、秦鞍耳を大将軍に、剣の項権を大頭領に就任させた。それから倭を倭国海軍の海軍大将に、熊人を陸軍大将に就任させた。更に私は、これからの激動期に対応するため国政を整え直した。須佐人を倭国の大首長とし、伊都国王に成った儒理を倭国の総理とした。

 智淀多は項権大頭領を補佐する頭領に、そして女房頭はテルハ(照波)とした。倭を海軍大将にしガオリャンをチュホ(州胡)に帰したので倭国海軍の艦隊司令長官は隼人に託した。倭と隼人が倭国海軍を束ねていれば、倭国の海洋王国としての地位は盤石に成ろう。これで倭国軍は、自衛的な警防団から国軍に生まれ変わった。

 晩秋、マハン国に差し向けていたハエポロから悲しい知らせが届いた。宇羅人が、ジンハン国との戦さに駆り出され戦死したようである。宇羅人は、まだ三十四歳の若さであった。師匠のウネ(雨音)は、マハン国に渡り宇羅人の遺骸を見つけ出すと荼毘に付し遺骨を持ち帰った。そして美々津の丘に埋めた。

 初夏、美火依姫が卯伽耶の長男ヒミヒコ(火美日子)を産んだ。火美日子は、浅黒い肌を持ち誰が見ても南洋の海人(うみんちゅう)らしい。どうやら火尾蛇大将の血を強く受け継いだようだ。火尾蛇大将とヒコミミ(日子耳)は、イヤ(伊邪)国の開拓を始めた。

 伊邪国は、投馬国とヤマァタイ国の間に広がる山国だ。投馬国とヤマァタイ国の間には、小国が三国ある。投馬国の西に広がるのがクシ(都支)国だ。都支国の南は、コヤ(呼邑)国に接している。呼邑国には大きな火の山があるが、都支国も火の山と温泉の国だ。

 都支国の西が、イヤ(伊邪)国である。更に伊邪国の西にはイハシ(已百支)国が広がり、ヤマァタイ国に繋がっている。だから千歳川の源流は、伊邪国である。伊邪国の中心には、大きな湖がある。皆は、日鷹湖と呼んでいる。その西の峰を越えると、已百支国の平野が広がっている。

 已百支国は、ヤマァタイ国と同じように、徐家の一族が山の民と溶け合って出来た小集団国である。そして、ほとんどの民が稲作民である。日鷹湖の周辺は急峻な山国である。だから、稲作民は少ない。しかし、日鷹湖という豊富な水瓶を抱えている。そこで、火尾蛇大将と日子耳は、ウネ(雨音)を招いて、狗奴国の山の畑と同じような稲作を始めようとしているのだ。

 都支国の民も、伊邪国の民も、高木の神の信徒達である。だから、投馬国の支援を大いに期待しているようである。もし、この開拓が進めば、ヤマァタイ国から投馬国への陸路が栄える。既に倭国はその海洋力で、鯨海と中ノ海の海路を切り開いた。そこへ、この陸路が栄えれば倭国の繁栄に揺るぎが無くなる。

 実は私はまだ知らなかったが、そのことを喜ばない勢力がいた。それは、稜威母の八十神系急進派である。投馬国の繁栄は、彼らにとって脅威であった。何故なら投馬国には、仁武が居るのである。仁武は、本来狗奴国の王位継承者である。健が身を引いたことで影を潜めたが、今や、投馬国の筆頭族長日子耳の養子である。そして実の母は倭国女王の私である。だから、投馬国の周辺の繁栄は、八十神系急進派に取っては望ましくない事態である。将来、仁武が大きな力を付けて倭国王として立てば、八十神系急進派が切望している倭国自由連合の再興は難しくなる。だから、稜威母の空気は怪しくなっていると、ハエポロの遁甲組から知らせが入ってきた。

 晩秋、ヤマァタイ国を大きな地震が襲った。倒壊した家屋は数知れない。そして地震は幾日も続いた。ハエポロが、地震の原因は、コヤ(呼邑)国の大きな火の山が噴火を繰り返している為だと知らせてきた。晴れた日、望楼に上ると呼邑国の辺りから大きな黒い雲が、筑紫乃海に向かって流れていた。巨大な火山灰の雲である。呼邑国の西に位置する姐奴国、華奴蘇奴国、蘇奴国の村々は、多くがその火山灰に埋もれ消えたそうだ。

 夏羽からは、灰は斯海国まで降り注いでいると知らせてきた。風が東から吹いていたので、対蘇国やニシグスク(北城)や投馬国では、降灰の被害は少なかったようだ。しかし、今年は秋の長雨が続いていた。山は水に溢れていたのだ。そして、最悪の事態が生じた。日鷹湖の西の峠が崩壊したのだ。千歳川は、以前にも増して暴れ川に変貌した。長雨が止み安心していた千歳川の稲作民は濁流に呑まれた。そして、已百支国は消えた。

 数えきれない位の魂が晩秋の空を彷徨った。私はメタバル(米多原)の館を出て、ミイト(巫依覩)に居を移した。幸運にも千歳川の河原に打ち上げられ助かった已百支国の民が、巫依覩に溢れた。ヤマァタイ国の東の斎都巫依覩は、今や戦さ場であった。

 ヤマァタイ国の東南の斎都ミツマ(巫津摩)には香美妻女王が入った。巫津摩は、姐奴国など南からの難民で溢れていた。志茂妻は、北の斎都ミヤキ(巫谷鬼)で巫女達の行方を差配している。筑紫乃海の西岸ミフジ(巫浮耳)の巫女は全て、ミヤキ(巫谷鬼)に集め、巫依覩と巫津摩に派遣した。

 千歳川の濁流に揉まれた巫依覩の難民は、負傷者が多かった。だから、看護の上手い巫女を多く送り込んだ。巫津摩の難民は飢えていた。だから、家事が上手な巫女が多く送り込まれた。

 秦鞍耳は、中ノ海からの援軍を募った。須佐人は、支援物資を周辺国からも集め始めた。儒理は、倭国中に窮状を訴えた。熊人は、陸軍を総動員し被災地を駆け回った。隼人は、倭国海軍を、救援隊と沿岸警備隊に二分し、ことに当った。智淀多は、私と一緒に巫依覩の戦さ場に立っている。

 皆のひと月の奮戦で、どうにか冬を越す目処が立った。しかし、筑紫乃海の水底で冬を越す屍も数知れない。卯伽耶が、ハイムル(吠武琉)に沢山の資材を届けさせた。初雪が舞った日、私は南の大巫女様ニヌファ(丹濡花)を呼寄せ、魂送りの儀式を催した。そして、祭祀の中心を、ニヌファを中心に、豊月女、菜螺津、世織津と若い巫女達に担わせた。若い力がこの不幸を、明日の幸に変えていくことだろう。私と香美妻もそろそろ若い巫女達に委ねていく時が近づいている。魂送りの儀式の後、私達は皆で花酒を味わった。

 巫依覩の庭の栗の木に、カシドリ(橿鳥)が留まっていた。白い胸毛が可愛らしく、水色の模様が入った羽は美しい。なのに「ジェー、ジャー、ジェー」と、老婆の咳込み声のような鳴き声を響かせる。しかし、次には「ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ」と鳴いた。更に「ピョー、ピョー、ピョー」と鳴いた。そして「チェッ、チェッ、チェッ」と鳴き「ピーヒョロロロロ……」と鳴いた。多彩な鳥である。

 擬態をする生き物は多い。それは捕食者から身を守る為の技である。では、橿鳥の鳴き真似は、何の為だろう。鳴き真似で餌にする生き物を誘き寄せている風でもない。もしそうであれば虫の鳴き声を真似る筈だ。しかし「チンチロチリリン」と鳴く様子は見せない。もしかしたら、人が歌を歌うように、鳴き真似を楽しんでいるのだろうか。もしそうなら、楽しい時には楽しい明るい鳴き声で、悲しい時には沈んだ鳴き声を真似るのだろうか。不思議な鳥である。

 もう一度甲高く「ピーヒョロロロロ……」と鳴いた。しかし、鳴き声は天空からである。手をかざして見ると、トンビ(鳶)だった。その鳶を「ドカンカ~カァ・カァ……」と美声を響かせてカラス(鴉)が退かそうとしている。どうやら縄張り争いである。その空中戦に「ピッ ピィイー」と、ノスリ(野擦)が加わった。

 野擦は、農地の守り神である。だから、ノセ(農勢)とも呼ぶ。漆黒の女神と、天空の守り神に、農地の守り神が加わった三つ巴戦は、見事な戦いである。そして美しい天空の舞いでもあった。

 戦いとは、どこかで美しさを放つものかも知れない。そんなことをぼんやりと考えていたら、ヒヨ~ンと甲高い音がした。しかし、それは、橿鳥の鳴き真似ではなかった。二本の矢である。二本の矢は私の胸を射た。一本は呪いの矢であった。そして、もう一本は鏑矢だった。矢音を響かせたのはその鏑矢だ。被災の混乱に追われ防御が手薄に成った巫依覩に、いつの間にか、弓兵の一団がなだれ込んで居たようだ。

 香美妻の悲鳴が聞こえた。熊人と隼人が、血風を巻き上げ、私の許に駆け寄ろうとする。しかし、それよりも早く弓を捨てて、健が私を抱き上げた。隼人は、怒りの炎を瞳の奥に燃え盛らせ、健と身構えた。熊人の切っ先が、健の喉元を狙った。しかし、健は、悠然と私を抱き抱え立ち去ろうとした。

 熊人の剣が動いた。でも、その刃を儒理の掌が包んだ。儒理の血が刃紋と成って熊人の腕を止めた。儒理は、健に“行け”と目くばせした。健が、儒理の目を見返し“すまない”と目で言った。

 朝日を浴びた雪解けの飛沫が、きらきらと、儒理の目の中で揺れた。目の前に磯場が広がった。隼人が、松葉貝の貝殻と岩との隙間に、竹べらを差し込んで剥している。でも乱暴者の熊人は、上手く剥し獲れないでいる。健が、熊人の手を取って優しく教え始めた。嗚呼、そうだ。今日は、夕神遊びの日だった。夕刻の日差しの向こうでヒムカが手を振っている。さぁ、私は、このまま健に抱かれて、神様の許に帰るのだ。そして、橿鳥が舞い上がった青い空が、急速に狭まり、私の意識は、どんどんこの世から遠のいて行く…… そうだ。…… きっと…… そして、すべて良し。

~ 火球落ちる ~

 少年は、何やら大きな袋のような物を背負い、するすると老朽船の帆柱に登りあがった。そしてその袋を吊り下げてきた。とても薄い袋のようである。甲板には竈が置いてあり、竈の煙突の先は袋の下に挿し入れられている。

 そして竈の中で勢いよく火を焚き始めた。すると、見る見るうちにその袋が大きく膨らんできた。袋が大きく膨らんだ所で、加太がその下に大きな籠を吊るした。籠の四方には八個の皮袋が括り付けられている。「さぁ乗れ」と加太がチュクムを籠へと促した。チュクムが「えっ?」と小さく叫ぶ間に、頭からズボツと籠の中に放り込まれた。

 その後、大きな袋を背負った加太もヨッコラショと乗り込んできた。そして「ピリュ、もっと火を焚け」と叫んだ。ピリュ少年は「あいよ」とばかりに一気に竈に油を注ぎこんだ。ゴーっと竈が唸る。天灯は大きく膨らみ籠がふわりと浮き上がる。

 加太が再び「供綱を解け」と叫ぶ。籠に乗り込んだピリュ少年は「そんじゃ」と籠を老朽船に結び付けていた縄を解いた。その途端、チュクム達を乗せた籠は、勢いよく空に舞い上がった。「加太、大丈夫なの?」とチュクムが聞いた。

 加太は「何が? フムフム?! 俺の天灯のことか? 天灯は火と風の乗り物だ。大丈夫か? と聞きたいなら、俺じゃなく風に聞いてくれ」と答えた。チュクムは、呆れ驚くばかりで、その後の言葉が出てこず「アノ、アノ、アノ」を連発しているだけだ。

 そうこうしている内にも、下に見える老朽船は、どんどん小さくなり遠のいて行く。そうして目下には海しか見えなくなった。しばらくすると、チュクムと、加太と、ピリュ少年の乗った天灯が少しずつ海に向かって落ちて行った。

 チュクムが「嗚呼~、こんな死に方もあるのねぇ」と呟くと「俺は死ぬ気はない」と加太が飄々と答えた。そして、四方に吊るした皮袋の一つから管を引き出し、瓢箪の形をした金属に繋いだ。その金属の先で、ピリュ少年が火打ち石を打つと、勢いよく炎が立ち上った。少年は、その炎を袋の口にかざし、ニヤニヤと笑い立っている。本当に、この二人は変な奴らある。

 ニヤニヤ笑いで天灯は膨らみを取り戻し、チュクムの乗った空飛ぶ籠は、少しずつ浮き上がっていった。そして南東へと流されていく。しばらく風に吹かれ流されていると「お腹すいたぁ」とチュクムが言った。すると、加太が「その竹筒に、そこの米を三分の一まで詰めろ」と言った。チュクム(秋琴)は、袋からもち米を取り出し三分の一まで詰めた。「それからどうするの」と聞くと、「そこの液を三分の二まで詰めろ。そしたら竹の葉で蓋をしてこの火口へ並べろ」と言うので、チュクム(秋琴)は、言われるままに四本の竹筒を天灯の火口に並べた。

 炎を操るピリュ少年に「様子はどうだ」と加太が言うと、少年は「順調、順調」と言いながら笑っている。南から渡り鳥の群れが飛んでくる。一羽が籠の縁にとまり天灯をキョロキョロと見渡す。そして「変な奴ら」と一瞥をチュクムに投げると飛び去った。

 変な奴らの仲間入りをしたチュクムが、竹筒を見てみると、火口の熱で勢いよく葉の間から湯気が噴出している。「湯気が出なくなりそうな手前で、そいつを足元に放り出せ」と言われたので、チュクム(秋琴)は言う通りにした。

 しばらくして「どうだぁ~、手で触れそうか? 触れそうだったら葉っぱを取れ」と加太が言うので、触ると竹は冷えていた。葉っぱを取ると、食欲をそそる香ばしい匂いがした。「旨そう」とチュクムが涎を垂らしそうになっていたら、ピリュ少年が刀で竹を真っ二つに割った。

 中には飴色の餅が入っていた。加太は「竹は便利だなぁ。土器や鉄器だと、こんなに使い捨てにする訳にはいかない。でも竹なら使い捨てにしても、誰も文句は言うまい。次から次に生えて来るからなぁ」と言いながら旨そうに頬張っている。

 チュクムが「加太、あの液は何だったの? この餅の美味しさの秘密でしょう」と聞くと「ウ~ム、死んだ魚を塩水につけて、反吐が出るほど臭く……」と加太が言いかけたところで、チュクムは「ごめん、液の秘密は今度聞く。ところであの灯りは何」と加太の言葉を遮った。

 春霞の空に薄墨が流れ込み、西の水平線には茜色が沈んでいく。炎の明かりで天空は見えないが、海面は漆黒に染まった。その黒い海に星明かりが灯る。だが、その灯りは揺れている。だから星空の投影ではない。

 籠の中に座り込んで餅を食べていたピリュ少年が「何、何」と起き上って、チュクムが指差した灯りを見た。そして「おう漁火だ。加太先生。倭国は近いぞ」と言った。加太は「良~し、俺はひと寝入りするから後は、お前が火の加減をしてくれ。海が近くなりそうになったら火の勢いを上げるんだぞ。兎に角、北西の風に乗って南東に向かっていれば、それで良い。何んかあったら優しく起こしてくれ」と言って加太は、籠の中に座り込み寝てしまった。

 ピリュ少年は、天灯の火加減に気を配りながら、火振り漁の灯りをじ~っと見つめていた。一刻ほどそんな夜景を眺め楽しんでいたら、白みかけた東の空に綺麗な形をした山が見えて来た。その南には、山成りが壁のように並んでいる。「加太、起きて陸が見えた」と、チュクムが加太を蹴飛ばすと「いてぇ、優しく起こせと言ったろう。俺は寝起きが悪いんだ」と文句を言いながら、加太が籠の外を見た。「おう、伽耶山だなぁ。いつ見ても美しい。まるでおしとやかな貴婦人だ。誰かとは、ずいぶん違う。フムフム」と言いながら南の山並みを見た。

 加太は「良~し、もう一息だ。あの脊振りを超えたら、お前の伯母さんに逢えるぞ。俺はもうひと寝入りだ」と言ってまた寝てしまった。伽耶山の裾野には、広い平野が広がっていた。あちらこちらで、朝餉の煙が立ち上っている。豊かな国のようだ。その平野の隅からぐうっと脊振の山壁が迫ってきた。

 白い雲がチュクムの天灯と一緒に一生懸命山の峰を越えようとしていた。天灯の籠の底がぶつかりそうな位、山の頂が近づいて来た。右手に白い雪を頂いた山が見えた。「こんな南の島でも雪が降るのだ」とチュクムが驚いて見ていると、前方が一気に開け広大な平野が広がった。一面真っ平らな平野である。「ねぇ加太。山を越えたよ」とチュクムが、加太を蹴飛ばしたが「フムフム」と言いながら起きない。本当に寝起きが悪い奴だ。すると、一羽の鳥が籠の縁に止まった。黒い体に、羽とお腹の一部が真っ白の上品な鳥だ。「ねぇ鳥さん。ここは何ていう国なの?」とチュクムは無駄な質問をしてみた。そして、鳥はカチカチと甲高く鳴くと飛び去ってしまった。ピリュ少年が「カチカチガラス」と一言呟いた。それから「嗚呼~、シャー(中華)では、シーチュェ(喜鵲)と言い、倭人はカササギ(鵲)とも言う」と付け足した。

 山裾の先、左手前方下に大きな街が見えてきた。丘の上には、城のようなモノもある。もしかすると、ここが加太の言っていたピミファ伯母さんの国かも知れない。「ねぇ、着いたみたいだよ。さっさと起きないよ。赤鼻のおたんこなす」とチュクムが加太を蹴飛ばして起こそうとした矢先に、南から突風が吹きつけ天灯を大きく揺らした。その揺れで、火口の油がこぼれ、籠の中に火がばらまかれた。火の油を浴びた加太は、あっちっちと言いながら飛び起きたが、事態は加太の予想を超えているようだった。

 めずらしく加太があわてている。「何があったんだ。何をしていたんだ。何をすればいいんだ」と言っている間に、火の手は広がり、熱風を貯めている本体の袋にまで燃え広がりそうになって来た。「墜落するの? 死ぬの私達」と珍しく情けない声でチュクムが聞いた。やっと、ここまで生き延びてきたのに、最低の結末である。

 加太は「残念だが、お前は気持ちよく死ねても、俺は死ねない。めっちゃくちゃ痛い思いをするだけだ。嗚呼~こんな時には、お前ら人間共がうらやましい」と意味不明なことを叫んでいる。ピリュ少年が、咄嗟に焼かれ始めた籠の綱を切り払いながら本体の縄を掴んだ。「さぁ加太先生と、チュクム様も掴まって」と言って加太とチュクム(秋琴)に本体の縄を掴ませると最後の縄を切った。火に包まれた籠がゆっくり落ちて行った。そして、加太とチュクム(秋琴)とピリュ少年は、天灯の袋と一緒にゆっくりと下降していった。落ちていく下を見ると、大勢の人が集まり始めていた。そして「火の玉が落ちてきたぁ~」と口々に叫んでいる。

終 章

 女の子が「ねぇ、ねぇ仙人さん。女王様は死んじゃったの?」と聞いた。すると仙人さんは「うんにぁ(否)稜威母に行ったとよ」と答えた。「じゃぁ。また会えるたいね」と男の子が声を弾ませた。「う~ん。そりゃどうじゃろうかねぇ」と仙人さんは渋った声を出した。「なして(何で?)。稜威母ならアマノサラフネ(海之冴良船)で迎えに行けば、すぐじゃろもん。(直ぐだろう)」と男の子が粘った。

 仙人さんは「ばってん(しかし)女王さんなぁ。黄泉比良坂ば降らしたけんねぇ。すぐにやぁ戻れんばい」と答えた。「すぐにやぁ戻れんでん良かよ。私は待っとるけん」と女の子が言った。「待つちゅうたっちゃ。いつまで待てば良かとかろうか?」と男の子が元気なく呟いた。

 仙人さんは「まぁ。千年かのう? それとも二千年かのう? 三千年かも知れんしのう……」と取りとめがない返事を呟く。すると元気な女の子は「良かよ。私はいつまでん待っとるけん」と立ち上がり春の川辺に向い走って行った。

 その女の子の後姿を追うように数人の男の子が立ち上がった。「お~い。待てっちゃ。オイ(俺)達も蜆ば獲りに行くけん。お~い。待てっちゃ。マリー!!」と子供達の姿が沖底の宮から消える。

 すると「ホッホッホッ……やっぱり女王さんなぁいつの時代も元気ん良かなぁ」と仙人さんは沖底の宮に姿を晦ました。沈丁花の香りが祠を包み静けさが戻った。さてさて長い眠りに就くのだろうか。

 突如、川風がざざざっと葦を鳴らし、そして……。

 ♪ 春よ来い。君に預けし 我が心は 今でも返事を待っています。どれほど時が流れても ずっと ずっと 待っています ♪

 と天女の歌声を孕ませ吹き抜けた。葦がささやく昔話は声音を落とし、そして誰もいなくなった。

⇒ ⇒ ⇒ 第1巻の終わり。

第2巻『奇想 卑弥呼伝《自由の国》』に続く

卑弥呼 奇想伝 公開日
(その1)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 2020年9月30日
(その2)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 2020年11月12日
(その3)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 2021年3月31日
(その4)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第4部 ~棚田の哲学少年~ 2021年11月30日
(その5)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第5部 ~瑞穂の国の夢~ 2022年3月31日
(その6)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第6部 ~イズモ(稜威母)へ~ 2022年6月30日
(その7)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第7部 ~海ゆかば~ 2022年10月31日
(その8)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第8部 ~蛇神と龍神~ 2023年1月31日
(その9)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第9部 ~龍の涙~ 2023年4月28日
(その10)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第10部 ~三海の海賊王~ 2023年6月30日
(その11)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》 第11部 ~春の娘~ 2023年8月31日
(その12)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第12部 ~初夏の海~ 2023年10月31日
(その13)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第13部 ~夏の嵐~ 2023年12月28日
(その14)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第14部 ~中ノ海の秋映え~ 2024年2月29日
(その15)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第15部 ~女王国の黄昏~ 2024年4月30日
(その16)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第16部 ~火球落ちる~ 2024年9月30日