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シャンプー 〜 Barren love 不毛な恋たち(その7)

藤村綾

風俗嬢歴20年の風俗ライター。風俗媒体に記事を寄稿。趣味は人間観察と眠ること。風俗ジャパン内・俺の旅web『ピンクの小部屋』連載中。

シャンプー 〜 Barren love 不毛な恋たち(その7)

「ねぇ、お願いいつものいいかな?」
 ん?彼はテーブルの上にあるタバコに手を延ばした。タバコをくわえて火をつける。
 横にいる彼の顔がライターの火でぼんやりと浮かび上がる。消臭剤の匂いがきついし幽霊が出そうなくらいに薄暗く小汚いラブホテルの一室。
あたしと彼は場末のラブホテルでしかあうことは許されないのだから。
 くわえタバコのまますくっと立ち上がり、浴室にいき蛇口を捻る音がする。
普通の蛇口はきちんと設定温度が施されているのがあたりまえなのに、このホテルは古いのもあいまってお湯と水両方を捻り自分で適正温度を決めないといけない。
 なかなか彼は戻ってはこない。
きっとうまくいいあんばいでの温度調節が出来ないのだろう。
 あたしも立ち上がり、浴室を出歯亀のよう首を伸ばしてそうっとのぞき込む。彼は腕まくりをし、右の手で温度を確認しながら、左の手で赤いボタンの方の蛇口と青いボタンの蛇口を代わる代わる捻っていた。
 久しぶりにあった。
 もうあってはならないと決め込んでいたつもりだったのに。
つもりだったという言葉は本当につもりだったんだなと改めて自覚をする。
 別れたおとこだった。何度も別れている。何度も何度も。
 けれど、やっぱり求め合ってしまう。

受入れてしまう。あたしに新しいおとこができても彼は連絡をしてくるし、あたしを当たり前のよう抱く。
 あたしの方も抗えばいいのに、律義にその優しくて慣れ親しんだ懐についつい包まれてしまう。胸が痛い。
熱いものがどうしょうもなくこみ上げてくる。けれど。どうすることも出来ないあたしと彼。
 彼はすでに他人のものなのだから。
「ためてきたよ」
手をハンドタオルで拭いながらあたしの隣に座る。そして羽織っていた作業服を1枚脱いだ。ふわりと、彼の匂いがする。
「あのさ」
あたしは、なにもついていないテレビの方に目を向けつつ口だけ動かして声を発した。
「なに?」
「なにって、もう、メールをさ」
彼は遮るように、あたしのいうことを遮り、手を顔の前でひらひらとさせ、あ、もう、わかってる。いわなくてもいい、あー、と、わかったと、くどくどしくいいながら、あたしには話す権利を与えてはくれなかった。
「ずるいよ」

 巻いて来たマフラーを頭から被り、小さな声音で、忘れたいのに、もう、ずるいよぅ。と鼻をすすった。彼の体温は感じるのに、寡黙を貫き通そうとしている彼。なぜ、追えば逃げていくのに、あたし自らが身を引くような行動をとれば追ってくるのだろうか?
「逃げれば追うとか、そういう類いなんじゃないの……、かな……」
 今度ははっきりとした口調で顔を伏せ言葉にする。
 彼は今、どんな顔をしているのだろう。眉間にシワをよせながら、あたしの方に目を向けているのだろうか。マフラーで顔を隠していてよかったと、心底胸をなで下ろし、そうっと目だけマフラーから解放をした。目の端で彼を捉える。彼はあたしの方などはちっとも見てはいなく、ソファーの背もたれに頭を預け、うそくさく擬似的なシャンデリアの照明を見上げるよう天井に目を向けていた。シャンデリアなどという代物ではない。
昭和時代に出で来るちょっと豪華なお屋敷の電灯といった方が正解かもしれない。
「そうかも」

 小さな声で、そうかもと、つぶやいた彼はそのまま話を続けた。

「ぽっかりと穴が空いたんだ。あえなくなるとか考えたら。しゃべり相手がいなくなるとか、そういう感じ。うまくいえないけれど。ごめん、俺、言葉の使い方がわからないんだよね。ほら、鈍感だしな」
 彼は頭を掻きながら、いつになく多弁な口調になり、自分でも理解しがたいことをあたしに告げた。
 話し相手か……。

 確かに秀ちゃんとあたしは何でも話すし、話が途切れても全く違和感などはちっともなくて自然と互いを知り尽くしている感じがする。
 けれど、男友達とか、女友達とかそういう類いのものでもないような気がする。かといって、愛し合っているとか、もの凄く好き同士とかでもない。男の人でこんなにもあたしに近しい人は今まで居なかった。もしかしたら、あたしと秀ちゃんは似ているのかもしれない。似た者同士。だから互いを求め合ってしまう。なんでも話せる同胞なのだ。きっと。
「ふーん。そうなんだ」
 あたしは、マフラーを外して秀ちゃんの方に向き直った。秀ちゃんの背後にある、アヒルの形をした食卓電灯を背景にした彼の顔は逆光になり、輪郭がとても奇麗で切り取れそうだった。

 けれど、目だけは、至極はっきりと見え、好きな秀ちゃんの目にせつな困惑し、思わず、やだ、やだ、と顔を伏せてしまった。秀ちゃんは意味がわからない形相でけげんな口調であたしの顔をのぞき込む。
 時折見せる男の顔をした秀ちゃんの色気のある目がとても怖かった。その目をまた垣間見てしまったあたしは秀ちゃんのことをまだ吹っ切れてはいないと疑問符だったあやふやな気持ちが確信に変わる。苦しみたくないと思い別れを告げたはずなのに。また同じ過ちを自らおかそうとしている。
「たまったみたい。入ろ。」
 立ち上がり浴室に入っていった。
あたしもうなずき、秀ちゃんの後に倣う。

 急に寒くなり、最近はさ、秋がなくなったねと話していた。あまり熱くない湯船でも体は冷えているので、とても熱く感じた。
「あ、ついぃ」
 先に湯船につかっていた秀ちゃんが、ニタリとしながら、熱くないけどと顔を洗いつつあたしをたしなめる。
しばらくするとすっかり湯船の温度とあたしの体の体温がなじみ、やっと湯船の中に座ることが出来た。
 生温いお風呂につかっていると体がお湯と同化してゆく感覚にとらわれる。
人は誰でも生温い湯のような生活を望む。

誰も率先して熱湯の湯などにつかろうとは思わない。やけどをするしあるいは死ぬかもしれない。
 あたしと秀ちゃんは永遠に生温い湯などにつかることはこの先絶対にいや100%ない。
 先がないから。ねぇ。秀ちゃん。なんで、なんで、あたしをもう、解放して。秀ちゃんの湯から解放をして。お願い。心の中の悲鳴と切望は全く不毛なものだと確信している。けれど、肩を並べ湯船につかっている秀ちゃんは、いったい何を思い、何を望み、何を考えているのだろうか。
 秀ちゃんが湯船から出て、シャンプーするかね。いいながら、あたしの頭を浴槽にのせる。
 あたしは天井を見上げる形になる。逆さまになった秀ちゃんの顔がすぐ真上にある。あたしは耳を抑えて準備をし、いいよー、と間延びの呼応をした。
 何回目だろうか。
あたしは髪の毛が無駄に長く、シャンプーをするのが誠に難儀なため、つき合うおとこにシャンプーをさせる。
秀ちゃんもその口だ。「シャンプーをして」とゆえばしてくれる。

なげーな。なげーな。
手がふやけてじじいになるよなどと口をつきながらもとても綺麗に洗ってくれる。
大きな手に包まれながらあたしは至福の時間を過ごす。
死んでもいいよこのままと誇張し過ぎたせりふをはく。
 髪の毛がまだ乾いてもいないのにベッドに行き、ずぶぬれの子猫のようなあたしを秀ちゃんは抱いた。
髪の毛などぬれていても、いなくても彼はいつものようにどうもうにあたしを求めた。
上になり、下になりあたしと秀ちゃんは、ずぶぬれの中で声にはならないため息を何度も折重ね、食卓電灯のアヒルだけが灯された部屋で、恥美で非日常な時間をとてもだいじにあじわった。
秀ちゃんはあたしの首をいつもの癖でかんだ。
 あさってまでには消えるかななどと考えている間もない程、秀ちゃんはとても性急にあたしをかんだり、首を絞めたりした。どうかなりそうになった。
 終わり肩で息をしているあたしと秀ちゃんはやはりどうかなってしまっていた。

あたしのせいでどこもかしこもびちゃびちゃになっているし、髪の毛が擦れてしまい毛糸のよう固まっていて鳥の巣のように絡まっていた。
 ははっ。
 失笑をされ、あたしも苦笑いをきめる。
 裸のまま舞台からおり、洗面台に電気を灯しあたし自身を凝視する。
乱れきった毛糸のような髪の毛が変に嫌らしく妖艶で自分の姿に驚嘆をした。秀ちゃんは何も知らず黙ってソファーに戻りタバコを吸いだす。

 あさって。今の彼にあうまでに、歯形が消えていてほしいような、ほしくないようないややっぱり消えてほしくないようなでもなぁとわけのわからない心のやり場に困惑するあたしは、とりあえずドライヤーとくしを手にとり、いざ戦いに出陣した。
長い格闘になりそうだよ、秀ちゃんに強い口調で問いかけるも、秀ちゃんはなんのことだかさっぱりわからないという目を向け、鏡越しに目があい、目を細め笑っていた。こんな夜。寒い夜。
 明日からは師走になる。

Barren love 不毛な恋たち 【全12回】 公開日
(その1)あめのなかのたにん 2020年4月29日
(その2)とししたのおとこ 2020年5月29日
(その3)おかだくん 2020年6月19日
(その4)つよいおんな 2020年7月31日
(その5)舌下錠 2020年8月31日
(その6)サーモン 2020年9月30日
(その7)シャンプー 2020年10月30日
(その8)春の雨 2020年11月30日
(その10)ワニのマフラー 2021年1月29日
(その11)ヘルスとこい 2021年2月26日
(その12)オトコなんてみんなばか 2021年3月31日