東京の23区も基礎的自治体であり市町村役所・役場めぐりの対象である。公共交通の稠密なネットワークが張りめぐらされている東京では1日で全部をまわることができるはずだと以前から思っていた。いつかこれを実証したいと思っていたが、明るいうちに行うとなるとどうしても日の長い時期,すなわち夏至の前後がいい。しかし梅雨の季節で雨が多いので、早めに予定を立てなければならないサラリーマン時代にはなかなか決心がつかなかった。退職後の今は、天気予報を見ながら直前に実行日を決めることができた。
私が1日でまわろうとしたのには理由がある。ひとつは行政上存在しない東京市というものをひとつの単位として歩いて見たかったこと、もうひとつは「東京フリーきっぷ」という23区内のJR、地下鉄、都営交通に一日乗り放題という切符を使ってみたかったからである。
まず計画を立てた。私の家が川崎市の北部にあることから1番目は大田区とし23番目は世田谷区、始発電車の時間帯からはこれしか考えられなかった。その間を効率よくまわる方法として、都心から放射状に出ては戻るというスター型(星型)、周回しながらどんどん中心に向かいまた郊外に出て行くという渦巻き型などを考えたが、その折衷型とした。また乗換はなるべく少ないほうが良く、少々距離が伸びても同じ路線に乗り続ける方がいいと考えたが、やってみると全くその通りだった。また後から開業した地下鉄ほど、ホームから地上に出るまでの時間や乗換に要する時間が予想以上にかかることも実感としてわかった。さらにバスよりはなるべく軌道系を使うようにした。区役所前まで行くバス路線も結構あるが、道路の渋滞も予想されるので確実と思われる方をなるべく取ることにした。
区役所の正面玄関の写真を撮るだけというのはいつもの役所・役場めぐりのルールと同じである。1日で23件カウントできれば、先日5日間で青ヶ島村、八丈町、三宅村と3件しか回れなかった同じ東京都での低生産性を挽回出来る。インターネットで鉄道やバスのダイヤを調べ、歩く時間を推定し、若干の余裕時間を含めると、自宅から徒歩15分の南武線久地駅を4時44分の川崎行き一番電車に乗ることから始めれば、最後の世田谷区役所の正面玄関に19時に着くという計画を立てることができた。今の時期であれば明るい内にまわるというルールもクリアーできる。ということで3時台に起床し、朝食を食べ、4時半少し前に家を出た。
1. 駅構内だった区役所 大田区
南武線の一番電車は役所・役場めぐりではもう何度も利用している、私にとって馴染みの電車である。夜明け前に乗ることが多いが、夏至直近のこの時期なのですでに明るくなっているのが嬉しい。川崎で京浜東北線に乗換え次の蒲田で下車。大田区役所の正面玄関に着いたのは電車を降りた2分後だった。近いはずでもともと旧国鉄時代の貨物ヤードの跡地に民間の不動産会社がビルを建て、その会社が業績不振となり区が買い取ったもので、1998年(平成10年)より新庁舎として使用している。大田の「大」が「太」でないのはこの区が大森区と蒲田区との合併で誕生したからで、大蒲区とか蒲森区となるよりはスッキリしていて良かったと思う。
2.地理が面白い区役所 品川区
蒲田駅で「東京フリーきっぷ」を買いここから使いたかったが、窓口が7時にならないと開かない。仕方がないから次の大井町までスイカで乗ったが、「早起きは三文の得」とは限らないようだ。品川区役所の最寄り駅は品川ではなく大井町で、駅前には区役所は600メートル先という表示があった。品川駅というのは品川区内にはなく隣の港区にある。しかしもともと東海道五十三次の品川宿があったのは当区内で、京浜急行の北品川駅のあたりである。その北品川駅が品川駅の南にあるのも地理が面白いところだ。なおその代わりというか、目黒駅が目黒区内ではなくこの品川区内にある。このように市町村の名前を冠した駅がその自治体の外にあるというのは意外に多く、神奈川県の厚木や福岡県の合併前の柳川などに見られる。
3.港から遠くなった区役所 港区
港区の区役所へは浜松町駅から歩いた。大井町の有人窓口もまだ開いておらずまたスイカでの乗車だったし、区役所の周囲に何人かのホームレスが寝ていたので写真を撮る場所を探すのに苦労した。ますます「早起きは三文の損」である。かつては港を中心とした区だったのだろうが、東京湾の埋め立てが進んだ今では江東、品川、大田区などのほうが本当の港区かも知れない。区役所に最も近い鉄道駅は都営地下鉄三田線の御成門駅だが、前後の行程を考え浜松町下車、都営浅草線大門乗車とした。大門駅でやっと「東京フリーきっぷ」を買うことができた。この切符を使うのは初めてなので知らなかったが、スクラッチ・カードになっており使用する月日の部分を剥がせばよかったので、前もって買っておけば余計な電車賃を払わずに済んだことになる。
4.再開発で人口急増区の区役所 中央区
中央区の区役所は東京メトロ有楽町線新富町駅の真上にあるが、今回は浅草線の東銀座から歩いた。一番近い出口から出ようと最前部の車両に乗っていたのだがその出口はまだ7時前で閉鎖中、後部まで歩くという遠回りをさせられた。結局ここまでは早起きをして得をすることは何もなく損ばかりだったが、この時間帯から動かないととても一日ではまわれない。我ながら変なことに挑戦しているなと思うと早くも疲れが出てきて今日一日持つかなと心配になってくる。この区の人口は95千人と23区の中では下から二番目の少なさだが、ここ10年で2万人近く増え増加率も25%と都内随一である。佃島や月島の再開発による高層マンション群による都心回帰によるものだろう。地下鉄には新富町の次に近いメトロ日比谷線築地駅から乗った。
5.海面下の区役所 江東区
少しずつ朝の通勤ラッシュの光景となる中、茅場町で東西線に乗換え東陽町へ、江東区役所に行った。庁舎の前に「荒川水位表示塔」というポールが立って、現在の水位は私の身長くらいのところにあり、ここの海抜はマイナス1.484メートルと書いてあった。東京23区の中で最も低地にある区役所だろう。三重県の、今は桑名市の一部になった長島町の町役場も海面下で平均潮位を示すポールが立っていたがどちらが低いのだろうか。東京湾の埋め立てが進むにつれ面積が増え続けている区のひとつだが、埋立地上の他区との境界線で係争中とのこと。領土争いを続けているところからも区が独立した地方自治体であることに間違いない。錦糸町までは都バスに乗った。マンションなどが多く停車するたびに大勢の通勤客が乗ってくるが道路の渋滞は思ったほどではなく10分少々で錦糸町駅前に着いた。
6.海面下の区役所 江東区
江戸川区役所は新小岩駅から1キロ少々なので歩いて行けないこともなかったがバスを利用した。区役所前というバス停の目の前が正面玄関なので所要0分だ。私にとっては本籍のある故郷だが、用があるときはいつも小岩支所に行く。だからこの本庁に来たのは41年前の成人式以来だが、建物は当時のままのような気がする。私が小岩に住んでいた子供の頃は、江戸川区というと23番目の区で人が多いのは総武線沿いの平井と小岩だけ、他は農村で東京の中で最も田舎風の区だった。鉄道も京成電車と総武線だけが北部をかすめるように走っていたが、その後都営新宿線、メトロ東西線、京葉線と区役所の南側に3本の新線が出来き、この10年間でも6万人という23区随一の人口増があり、その重心も南の方にシフトした。だから最初からこの地に区役所を置いたのは先見の明があったということかも知れない。なお江戸川という駅名は京成電車の江戸川鉄橋の西詰にあり、区役所とは全く関係ない。
[作戦タイム]
計画作成時ここから先が思案のしどころだった。荒川の東部にある江戸川区から葛飾区、更に足立区へはわざわざ都心に戻ることなく環状道路を走るバスを乗り継いで行ける。葛飾と足立は区役所そのものがバス・ターミナルになっているから歩かなくて済む。バスにせよ電車にせよ私鉄はフリー切符が使えないので料金もあまり違わない。ただし道路の混み具合が心配だ。
これに対し、いったん都心に戻り再び郊外に出るという方法は距離的には大回りになるが時間的には確実だし、工夫次第で都心の区に寄って行くこともできる。ということで都心に戻るコースをとることにした。
7.一枚の写真には入らない豪華区役所 墨田区
バスで新小岩に戻り浅草橋まで総武線に乗ろうとしたら幕張での信号故障でダイヤが乱れているという。ラッシュのピーク時でホームは大勢の客で溢れており、仕事に行く人達といっしょに混んだ電車に無理に乗り込んだ。こういうときは遠慮をしなければいけないのだが、悪いと思いながら遠い昔の高校時代の殺人ラッシュを思い出した。浅草橋で配っていた遅延証明書を記念にもらい、都営浅草線に本所吾妻橋まで乗って墨田区役所に行った。地下鉄や東武の浅草駅の方が近かったかも知れないが、次に行く葛飾区との関係でこのようにした。墨田川沿いのそれほど広くはない土地に立つ高層の庁舎は大きすぎて、川を渡った対岸からならば良かったのかも知れないが、全景を写せる場所を見つけることができなかった。豪華庁舎のひとつである。
8.非常に広域名区の区役所 葛飾区
都営地下鉄浅草線は東京で初めて私鉄との相互乗り入れを行った線で、もう45年になる。開業当初に比べダイヤ面では成田や羽田の空港に直行する電車も走り随分便利になったが、料金面では多少の割引があるものの相変わらず会社をまたがると初乗り料金が二重に取られ、利用者にとってまだまだ利用しやすいものとは言えない。押上・立石間の京成線内はフリー切符が使えず別料金を払った。葛飾区役所は一番近い立石駅からでも徒歩10分で、庁舎前がバス・ターミナルになっており、墨田区を後にしても新小岩からのバスの方が早かったかも知れない。「男はつらいよ」で全国的に有名となった柴又のある区だが、葛飾という名称は旧下総国のかなり広い地域を指し、千葉県には東葛飾郡がかつてあったし、今でも埼玉県には北葛飾郡がある。京成電車の葛飾駅が船橋市内にあったが20年ほど前に京成西船駅と改名した。柴又に行く人が間違えるからだと聞いたことがある。
9.東京一の金持区かと思わせる区役所 足立区
足立区役所も荒川を渡った先の国道4号線(日光街道)沿いにあるが、ここに移転したのは10年ほど前で、それまでは北千住駅近くにあった。私が子供の頃の足立区というのは江戸川区同様田舎風の区で、広大な面積のわずか南の北千住付近にだけに人口が集中していた。だから区役所がここにあってもおかしくなかったが、その後荒川を渡った先の開発が急激に進み、人口重心も北上し区役所も移転した。京成電車と東武電車を乗継ぎ、梅島から歩いたが15分近くかかってしまった。ここもバスの方が早かったかも知れない。新しい庁舎は高層巨大、他県の県庁舎並みで23区の中で一二を競うものだろう。これだけのものを維持するための費用も膨大なはずだが、一方で所得の低い家庭に対し学校給食費や学用品費等の費用の一部を援助する制度である就学援助の額も都内一多いのが足立区だそうである。
10.下町文化の中心地の区役所 台東区
朝食をしっかり食べて来たのに腹がすいてきた。梅島駅前の立ち食いそば屋に寄り、日比谷線に直通する電車で上野に向かった。ラッシュのピークは過ぎていたが座席は空いておらず、ずっと立っていたのでまた疲れを感じてきた。区役所は上野駅近くにあるが、日比谷線の北千住寄り出口からが最も近く、山手線で来るよりも5分くらいは短縮できただろう。こういうことまで考えて計画を立てる必要があった。区役所正面玄関の横からは「めぐりん」という名の循環バスが発着していた。レトロ調の車両で1乗車100円、3系統の路線がそれぞれ15分間隔で走り利用者も多かった。自治体主導のコミュニティ・バスは全国で多く見られるが順調なところばかりとは限らない。人口が多く、上野や浅草など下町文化の名所が多いので上手く行っているのだろう。
11.ウィーンの公園を思わす区役所 荒川区
もう一度日比谷線を三ノ輪まで戻り荒川区役所に向かった。上野区役所に行ってからにしたというのは我ながら良い計画だったと思う。荒川区というと全く起伏の無い、中小の工場や下水処理場などのある殺伐とした風景ばかりが続く区ではないのかと想像していたが、区役所に関しては木立と噴水をもつ荒川公園が前面に広がり、ベンチに暫し腰掛けているとウィーンのリンク内の緑地にいるような気分にさせるものがあった。区役所前がこのような公園になっているのは他にもあったが、荒川区のものが群を抜いて広かった。都電荒川線に荒川区役所前という電停があったが、もうひとつ王子寄りの荒川二丁目の方が区役所には近い。なお荒川駅というのは京成押上線の八広駅が1994年まで名乗っていた名前だが、これは墨田区内にある。
12.城か砦の場所に立つ区役所 北区
その荒川二丁目から都電に乗る。駅や車内には昨日起きた回送電車との追突事故のお詫びの貼紙があった。この線は大半が専用軌道ということもありスムーズに走っていたが、乗客もかなり多く、王子までの20分間は立ったままだった。連接車を走らせてもいいくらいの利用があると思う。北区役所はJR王子駅の西側、飛鳥山から続く台地が石神井川によって切り取られ崖のようになった所にあり、昔ならば城とか砦などが造られたような場所だろう。他の区役所はすべて平地にあったと思うので、めずらしいケースだ。都電を降りてからすぐの歩道橋を渡れば良かったのだが、その先には道路を横断できるところがなく、結局飛鳥山の歩道橋まで行くという大変な大回りをしてしまった。途中都電が道路中央を走る部分では歩道脇に普通の電柱の他に都電の架線を吊るための電柱、更には照明塔と三本の柱がそれぞれ50センチの間隔も空けずに立っており都市景観を雑然としたものにしていた。
13.区役所の表示がみつからない区役所 文京区
北区と隣の板橋区の区役所とは直線距離では2キロ少々で歩いても30分はかからないが、ここでも頭を使った。いったん地下鉄南北線で後楽園に行き文京区役所に行った後、都営三田線で板橋区役所前まで行くというもので、どちらも駅の真上が区役所である。しかし南北線は新しい地下鉄なのでホームの位置が地下深く、また案内図がわかりにくかったこともあり地上に出るのに5分も要してしまった。文京区の庁舎も足立区、墨田区と競う超高層のものだが、コンサートホールなどと一体となったシビック・センターという表示があるのみで区役所という看板がどこにも見つからない。そういう例はここだけだった。同じところにある駅でも都営地下鉄の方は春日という別名で慣れていないと解りにくい。文京区役所前とでいう名前にでも統合したらいいと思うのだが。三田線には春日から乗った。
14.最もお隣に近い区役所 板橋区
板橋区役所前駅は1本だけの地下鉄なのですぐに地上に出ることができた。しかしこの庁舎は中山道に山手通りが斜めに交差する地点の、3本の交通量の多い道路に挟まれた島のような位置にあるので方向感覚を失い易い。埼京線の板橋駅よりも東武東上線大山駅の方が近いが、何度も地図を見ながら歩いた。100円ショップで買った東京23区携帯マップというものだが結構役に立った。なお23区の区役所同士で直線距離の最短のものを地図ソフトで調べたところ1位が台東区と墨田区で1.8Km、2位が板橋区と豊島区で2.16Km、3位が板橋区と北区で2.18Kmだった。ただしこれは地図上の区役所のマークの中心間を結んだもので、正面玄関の間ということになるとわからない。1位の両区は間に墨田川があるので実質上はもっと離れており、2,3位間は誤差の範囲、だから板橋区役所が最もお隣に近い区役所と言えるだろう。
15.古さを誇る区役所 豊島区
その豊島区役所までもバスがあるが、中仙道の混雑などを予想して東武東上線大山駅まで10分ほど歩き池袋駅からまた歩くことにした。繁華街の一角にある庁舎は一世代も二世代も前の、昭和30年代と言った感じのするもので、23区の中で最も古くて小さいのではないだろうか。そしてその区役所の裏手にある豊島公会堂というのがこれに輪をかけたようなレトロ調で、私が小学校の頃学芸会に使ったような建物だった。この一帯だけが現在から取り残されたようだったが、表通りからこの公会堂を見ると、真後ろにサンシャイン60の超高層ビルが見え、その対照が面白い。豪華さを競う庁舎が多いなかでこれぞ地方自治の原点と拍手をしたくなった
16.巨大で高級感のある区役所 練馬区
池袋から練馬までは西武池袋線の鈍行電車に乗ったのだが途中の江古田で特急に抜かれた。メトロの有楽町線の方が早かったかも知れないし、フリー切符が使えたはずだと思ったときは遅かった。練馬区の区役所は駅に近く、交通の激しい目白通りに面している。しかし道路を渡るための、デパートで言えば本館と別館を結ぶ空中廊下のような立派な歩道橋があり、そのまま庁舎の2階に入れる。それらを含めてここも巨大で、かつ円柱などを巧みに組み合わせた高級感のする、西洋のどこかの宮殿をまねた新興大学の建物といった感じである。足立、文京、墨田と合わせ豪華カルテットとでも言えようか。最上階の20階には展望レストランなどもあったようだ。
17.最も行きやすい区役所 中野区
都営大江戸線が出来たので練馬から中野へ行くのに助かった。しかし大江戸線の東中野駅は明治通りの地下深く、JR中央線に乗り換えるのに11分も要してしまった。中野区役所は中野駅北口のサンプラザの隣にあり電車を降りてから丁度5分だった。庁舎は駅のホームからも見え、区名と同じ中野駅で降りれば誰でも簡単に行ける。23区中最も行きやすい区役所ではないだろうか。それに比べると新宿や渋谷などは同名の駅で降りても簡単には行けないし、京成江戸川などで降りたらとんでもないことになるし、ましてや品川や目黒などは隣の区である。玄関前には小さな池と木陰があったが、荒川区ほどのものではなかった。へんな時間に立ちそばを食べて以来空腹を感じたので駅構内のカレーショップで10分間で本日2度目の食事を取った。短時間で空腹を満たすというのも早まわり技術の内だ。
18.欅並木の先の区役所 杉並区
中央線の中野駅からふたつ先の阿佐ヶ谷まで乗る。中野駅は構造上3つのホームから発車するので表示板を見て最も早い電車を探さなければならない。もう40年も昔になるが中央線複々線の開業時には随分不便で解りにくいと思ったが乗客は慣れてしまったのだろう。杉並区役所は阿佐ヶ谷駅前から見事な杉ではなく欅並木の続く中杉通りを南に900メートルほど歩き、甲州街道にぶつかる交差点の角にあった。杉の並木というのは区内のどこかにあるのだろうか。東京メトロ丸の内線南阿佐ヶ谷駅は区役所の真下である。ここにも「すぎ丸」という区内を南北に走る小型バスが台東区と同じように15分間隔で走っていた。
19.典型的なダウンタウンの区役所 新宿区
新宿区役所は歌舞伎町の繁華街の入口ともいうべき所にあり、新宿駅からもたいした距離ではないが、あの雑踏の中を歩きたくない。だから地下鉄丸の内線を新宿駅ではなく新宿三丁目駅で降りた。正面玄関が東側、すなわち明治通りに近い方の通りに向いているので、微妙なところだが三丁目駅の方が近いようだった。庁舎の裏側が繁華街で喧騒が激しいが、表側の方は閑散としていた。それでもあまり風体の良くない男が何人か入口付近に立っていたのでカメラを構えるのがなかなかむずかしかった。ダウンタウンの典型的な役所ということか。
20.金持ちなのに目立たない区役所 千代田区
ここからも又、自分言うのもなんだが、実に上手いことを考えた。渋谷へ千代田区役所経由で行ったのである。つまり都営地下鉄新宿線を新宿三丁目から九段下まで乗り、半蔵門線で渋谷に行った。なんとなくイメージ的には千代田区というのは港区とか中央区のグループに入るが発想の転換が必要で、東京の地図をじっと見つめながら思い立ったのである。千代田区の人口は42千人と23区中最小だが昼間の就業人口は60万人とも聞く。区民の所得も高く、企業からの税収も多くおそらく日本一裕福な自治体だと思うが、区役所は隣接するビルの光景に溶け込んでおり、気がつかなければ通り過ぎてしまいそうな目立たないもので、足立区との大いなる違いを感じたものだった。
21.民から官になりオープンになった区役所 目黒区
疲れが増してきて歩く距離を減らそうと、半蔵門線の表参道で同一ホーム反対側に来る銀座線に乗り換え、渋谷から東急東横線で中目黒に行った。東横線に乗り換えるのに銀座線からならば階段を降りるだけで良い、「地下鉄の達人」になった気分である。目黒区の庁舎は以前某生命保険会社の本社だったところで、その会社が経営不振になり本社を区に売却した。私も現役時代何度か仕事で訪れたことがある建物で、当時はセキュリティに厳しく入館時にはいつも守衛のところで出向かえを待たされたように覚えている。区役所となり、駅に近い方の出入口もでき、見違えるようにオープンになったが、当時仕事上の悩みなどいろいろな思いで歩いた長い廊下はそのまま残っていた。
22.坂の上の区役所 渋谷区
さていよいよ残り二つ。東横線の渋谷からNHKホール近くの渋谷区役所までは900メートルくらいあり、さらに公園通りのだらだらとした上り坂を行かなければならない。夕方の人混みの歩くペースに合わせていると疲れがどっと出てきて区役所に着いたときは疲労困憊の極みだった。NHKホールのコンサートにも何度か来ているが、仕事で疲れた体で音楽を聴きに来るのとは全く異質の疲れ方だ。渋谷の産院で生まれた子供の出生届けに来たのがこの区役所で、日曜日で休日窓口で受け付けてもらったように記憶している。当時は新築でモダンな区役所だったと思ったが、あれから30年も経っている。
23.住宅街に囲まれた区役所 世田谷区
とうとう最後までやり抜くことができた。東急新玉川線の三軒茶屋で世田谷線に乗換え松蔭神社で下車、5分ほど歩いて23番目の世田谷区役所の正面に着いた。80万人という人口は23区中最大だが区役所は意外に大きくない。しかしいくつかの別棟が広く分散しており、全部を合わせればかなりの床面積にはなるのだろう。最寄駅は松蔭神社駅で、駅にも世田谷区役所下車駅と表示があったが、棟によっては次の世田谷駅からの方が近いものもありそうだ。区内には三軒茶屋、二子玉川、下北沢、成城学園前などいくつもの盛り場があるが区役所周辺はダウンタウンの雰囲気の全くない静かな住宅街で、とても政令都市並みの自治体の行政の中心地とは思えなかった。
世田谷区役所正面玄関に着いたのは17時41分、計画段階では19時だったから1時間19分計画よりも短縮できた。1番目の大田区役所から12時間22分、一ヶ所平均30分強かけてまわったということになる。計画よりも早くできたのは、余裕時間を十分に見ていたこともあるが、やはり東京圏の公共交通の稠密さによるものと言えるだろう。
利用した交通機関はJRが京浜東北線、総武線、中央線で東京メトロは東西線、日比谷線、南北線、丸の内線、半蔵門線、銀座線、都営地下鉄は浅草線、三田線、大江戸線、新宿線と全線に乗り、更に都電荒川線、都バスにも乗った。私鉄は京成、東武、東急、小田急と東京を走る公共交通の大半を利用したことになる。特に東京都交通局については地下鉄全線のほかバス、都電と傘下の全交通機関を利用した。やはり区役所というのは都の交通局になじみ易いのだろうか。
「東京フリーきっぷ」は私鉄以外すべての公共交通機関で使え大変役に立った。これを使わずにその都度切符を買っていたら4000円近く払っていたものが半分以下の1580円で済んだ。私は欧米の多くの大都市圏では一般的な、1枚の切符でどの交通機関にも一定の範囲・時間内は乗り降り自由というメトロゾーン制に関心があり、日本でもこれができないものかとずっと思い続けていた。「東京フリーきっぷ」は、私鉄では使えないという不完全なものであるがそれに近いものだった。
首都圏では数年後には私鉄系の「パスネット」やバス各社の「バス共通カード」がJR系のICカードである「スイカ」の規格に合わせることになったそうだ。そうなれば一元化されたICカード対応インフラのもとで、現在のフリー切符では必ずしも明確とは言えない各交通企業間での売上の按分もより合理的なものになるだろう。そうなれば例えば山手線内部だけならば1000円とか、2時間以内ならば500円とかいったいろいろなバリエーションのものが現れることを期待したい。
また外国人から見ても、日本は英語が通じないとかホテルをはじめ物価が高いことなどの他、特に個人旅行をする者にとっては乗物が非常にわかりにくいという。JRや私鉄、地下鉄にも東京メトロと都営があり、私たちが欧米の街中を自由に歩き回れるのに比べると実に難しいし高くつく。こういうことは口コミで伝わるから、一度日本に来て不便な思いをした彼らが帰国してそんな体験を語ればますます日本に来る人が減る。だから新しいフリー切符を大々的に売り出せば、外国人観光客も呼び戻すことが出来ると思う。
このような新しい切符が出てくれば利用者は目的に合ったものを選好すればよく、車をやめて電車やバスを利用する人も増えるはずだ。バスが意外にスムーズに走っていたのは道路交通法の改正直後で違法駐車が減ったことによるのかも知れないが、更によりスムーズな都市内交通が実現するだろう。公共交通利用が促進され、自家用車による市街地の混雑が減れば、環境問題や資源エネルギー問題の解決につながる。
もうひとつ、私は自治体としての東京都というものに興味があった。というのは行政上東京市というものは存在せず、強いて言うならば東京市というのは23の市の集合体である。だから東京都というのはドイツのベルリンやハンブルグのような州と同格の、あるいは中国の北京や上海のような省と同格の、他の道府県と同格の特別市のようなものであり、例外的に三多摩の市町村や島嶼も組み入れた大きな市ではないのかと考えるが、国際比較で東京の人口を指す場合にはどの部分を指すのかなど問題が残っている。
区役所の英語表記はいずれもCity OfficeとかCity House、区議会はCity Assemblyとなっていたので、少なくとも区長以下役所の職員は市という認識でいるようだし、埋立地での領土争いがなかなか収まらないところなどからも、今後ますます独立した市の性格が増して行くように思えた。しかし行政側はそうだとしても、区民(都民)から見れば区の違いなどどこまで意識しているだろうか。区にもその区独自の経済や文化活動の中心といったようなものは見られず、東京23区全体としてのものならばそのようなものがいくつかあった。官はますます個別の分散化を志向し、民は東京23区をひとつのものとして生活し行動している。どこかで齟齬が生じなければいいがと思う次第である。
最後にこれはゲームとしても面白い。あまり長距離を歩いたつもりはないが、それでも帰宅時に万歩計は45000歩を指していたのでかなり運動にもなった。首都圏に住んでいれば誰でも簡単にできるし、費用もかからない。そして何よりも謎解きのような計画作成が面白い。
ゲームである以上最小限のルールが必要だが、必ず公共交通機関を利用すること、走らないこと、役場の正面玄関に行き最低5分そこに留まることなどでいい。走ってもいいことにすると、足の速い人ならば北区、豊島区、板橋区の間などは乗物を使わずに走ってしまうかも知れない。最低5分留まることは、今回私も途中の葛飾区から決めたことで、その前はもっと早くそこを去ったりしたので、私のものも参考記録である。しかしもっといいルートがあると思うし、是非どなたかそれを見つけ私の記録を破ってほしい。