福島県で残っていた5町村に1泊2日で行ってきた。現役時代ならばこの程度は無理をしてでも日帰りで行ったものだが、残りが少なくなってくると早回りの楽しさや達成感よりも、行かねばならないところが減って来る侘しさのようなものを感じる。だから柄にもなくゆったりと行動した。また今回は、初めての経験だが、東日本大震災の影響で行くべきではないという村があり、自分なりに考えた代替策をとった。
元祖BRT白棚線
東北新幹線が新白河に着くと、新品スーツ姿の若い男女が各車両からどっと降りた。どこかの大手企業の新入社員研修なのだろうと思ったら、JR東日本の総合研修センターへ行くための一群だった。総勢300人はいただろうか、駅前からJRバス関東のバス3台、うち1台は連接バスがいずれも満員すずなりの社員を乗せて研修施設に向かって走って行った。後で知ったのだが、この施設とは南湖公園の近くの、700メートル四方くらいの広大な敷地のもので、研修用の建物だけでなく実習用の線路や車両もあり、更に千人以上が泊れる宿泊施設もあるというものだそうだ。JR各社は独自にこのような施設を持っているのだろうか。
一群が去った後、磐城棚倉行きのJRバスに乗った。途中一部にこのバス専用の道路があり、それはかつての鉄道線路跡である。関東鉄道鉾田線や日立電鉄の廃線跡、さらには東日本大震災で被害を受けた大船渡線や気仙沼線の一部を専用道路化してバスを走らせており、それらをBRT(Bus Rapid Transit、バス高速輸送システム)と称しているが、この白棚線こそ奈良県の五新線などとともにその元祖のような路線である。
実はこのバスには20年前の1995年にも乗っているが、当時に比べ専用道路部分が減っている。そのときに棚倉までのほぼ中間点にある表郷村(現白河市の一部)役場に行くために下車した磐城金山は、専用道路上のまるで鉄道駅のようなバス停だったが、今は一般道路の歩道にある普通のバス停に変わっていた。また磐城棚倉近くの最終区間は築堤で大きなカーブを描く、まさに鉄道路線そのもののような光景だったが、そこも期待に反して一般道経由に変わっていた。
専用道路の舗装状態は良好とは言えず、時速5~60キロ走行だとかなり揺れ、並行する一般道路を走るほうが余程快適そうだ。JRが単独で道路を維持管理するよりも無料の道路を走らせた方が企業経営の面から見れば合理的だし、殆どが一般道路と並行しているのだから、今後専用道路の劣化とともに一般道路への移行が進むのではないだろうか。
BRTは公共交通として今後大いに進めるべきもののひとつであると私は思う。しかし白棚線のようなところでは、並行道路が混雑しているわけでもないので、その効果というものが見出しにくい。それよりも市街地の混雑区間で、専用道路により定時運行を守らせ、郊外に出たら一般道路を走らせるのが正しい使い方であり、その意味からは鉾田線、日立電鉄線、大船渡線、気仙沼線などは理に叶っていると思う。また来春には実現すると聞く、道路の一部を専用レーン化する新潟市のBRT計画なども楽しみである。これなどはLRT(Light Rail Transit、軽量軌道交通)が本当に成り立つかどうかを事前に実験するプレLRTのような位置づけと考えたく、全国各地のLRT構想も、まずBRTから始めてみたらどうだろうか。
さらにBRTというと、専用道路とか連接バスなどとかくハード面で語られることが多いが、私は料金体系やダイヤやの面をもっと考えて鉄道路線を補完するようなソフト面を重視したものにしてほしいと思っている。今の法体系のもとでは、BRTもバスであるために一般乗合旅客自動車運送事業としての許可のもとでの運行になり、運賃もバス運賃として鉄道とは別体系のものになる。例えば鉄道災害時のバスによる代行輸送では、鉄道の運賃体系が適用されるのだから、BRTもそのような扱いにできないものか。またJR気仙沼線や大船渡線では増発しパターンダイヤ化されるなど利便性は向上したが、列車との接続は行っていないという。このあたりも改善し、利用者にとってまさにシームレスな移動ができるようにしてもらいたいものだ。
そんなことを考えながら乗った白棚線バスだったが、新白河発車時点には10名程度だった客も、南湖公園で半数が降り、さらに磐城金山でも残りの半数が降り、終点棚倉に着いた時の客は私を含め2名だった。連接バスは、研修センターへの送迎用でこの路線では使っていないということを運転手から聞いた。
新白河を発車すると間もなく、広い駐車場を持つ大型店が連なる巨大ショッピングセンターがあった。白河駅前から市役所に続く商店街で数年前に見た目を覆いたくなるような衰退ぶりも、これを見ると頷ける。そしてこれではますます車がなければ生活できないことを証明しているようで、公共交通派としてはもう戦いようがないのかと、諦めの心境になりそうである。
3度目の正直 水郡線
棚倉町役場は磐城棚倉駅から徒歩15分くらいのところにあるのだが、ここへは3度目でやっと来ることが出来た。1回目が前述の20年前だったが、バス到着後すぐに水郡線列車が来たので、ここは後日にすることにしたこと、2回目は5年前に同線沿線を完了させようと、水戸から来たのだが途中で信号故障に出会い常陸大宮で数時間足止めを食い断念した。そして今回でやっと目的を達したのだ。
そのときにもうひとつ断念したのが同じ線沿線の玉川村だった。役場のある泉郷までの35分間の乗車時間を昼食に充てる予定だったが、棚倉町役場と駅の間には弁当やパンを売るような店がなかった。列車はE231系2両固定編成のステンレス製軽量車両で、5年前に来た時に導入されたばかりでその時にも一部区間で乗車したが、JR九州のローカル気動車に匹敵するようなすばらしい車両だと思う。セミクロスシートだが片側が1人掛けなのは水戸近郊でのラッシュ対策のためだろうか。
玉川村の後は郡山まで行きたいのだが、水郡線の福島県側は列車本数が少なく、4時間近く待たねばならない。土曜日と一部特定日には1時間45分後にもう1本あるのだが、今日は走っていない。ここで長時間待っていてもすることがないので、役場近くのスーパーで弁当を買い、店前のベンチで食べてから東北本線の矢吹駅まで歩いた。9.5キロを一気に休まず101分で歩いたが、坂の上下が少なく疲れは感じなかった。
矢吹からの電車はほぼ1時間に1本あり、これに郡山まで乗った。しかし次に乗りたい磐越東線列車までは1時間半あり、駅構内のコーヒーショップで読書をしながら時間をつぶした。結局泉郷で4時間待つことと同じことだったのでわざわざ長距離を歩くことはなかったのだが、好天で良い運動になったことと、泉郷・郡山間500円を払わずに済み得をした気分になり満足した。切符はジパングクラブの割引を考え、都内から福島まで東北本線経由のものを買っておいたからだ。
磐越東線で忘れていた町へ
郡山16時50分発の磐越東線小野新町行はキハ110系の4連、郡山発車時点では下校中の高校生などで大変な混雑だった。しかし一駅ごとに客が減り40分ほど乗車して大越に着いた時には1ボックスに1人いるかどうかという閑散ぶりだった。大越町は平成の合併で近隣の4町村といっしょに田村市となり、旧役場は田村市大越行政局となった。その庁舎は手持ちの地図では駅の近くにあったが、駅前の市街図を見て移転したことを知った。新しい立派な庁舎だったが市街図での印象からは意外に遠く、予定していた37分後の帰りの列車に乗るのが厳しくなった。幸いこの時間帯は1時間後に列車があり、この後は福島に行って泊まるだけなので、今日1日歩き過ぎたという気分もあったので、ペースを落としてゆっくり駅に戻った。
実はこの大越町は、行き忘れていたところである。田村市となった他の4町村には1997年に来ており、2008年に小野町に来て、これで磐越東線の福島県側は完了したと思っていたのが、データを整理していたときにここだけが漏れていたことに気が付いたのである。先日の鹿児島県鶴田町と同じであるが、やはり3千を越すといろいろと見落としがあるものだ。
高速鉄道を目指した阿武隈急行
福島駅前のビジネスホテルに泊まり、阿武隈急行沿線でひとつ残っていた梁川に行った。福島駅の東端の仙台寄りに行き止まり式の島式ホームがあり、東側を福島交通飯坂線、西側を阿武急線が使用している。ちょうど朝の通勤通学時間帯で、双方の電車が着くたびに大勢の下車客があった。阿武急線の電車は発車後すぐに東北本線の線路に乗り入れ、駅のすぐ北にある信夫山を迂回するように4~5キロ走った後本線と分かれる。飯坂線は2キロくらい本線と並行してから本線上を高架で跨ぎ西方に向かう。新幹線は信夫山をトンネルで貫通し、直進しながら阿武急線との分岐点付近で本線の上を跨ぐ。
阿武急線内に入ると、単線ながら殆ど直線ロングレールで、しかも踏切は皆無である。もともとは東北本線のバイパスとして計画され、勾配を避けた高速線を作るつもりだったようだが、全線開通は1988年でありまだ30年も経っていない。もとは国鉄丸森線で、それが第三セクターになり、その後全線開業した。主要株主は福島宮城の両県が合わせて50%強のほか福島市など沿線市町村で20%強、民間では福島交通が20%とかなり公営鉄道に近い。
沿線は福島の郊外住宅地という感じで、車庫のある梁川までは日中1時間に2本程度は走っている。梁川駅前には旧梁川町役場、現伊達市役所梁川分庁舎・梁川総合支所の立派な庁舎が建っていた。駅近役場ベストテン入りは間違いない近さだ。駅舎と役場の両方を1枚の写真に納めることができたが、駅近役場といってもそのような写真が撮れるところはそう多くはない。
福島市の東北部に展開していた梁川町を含む5町が2005年に合併し伊達市となった。残りの4町には1997年にバスを乗り継いで行っている。1970年代の初め頃までは、この付近は福島交通の路面電車タイプの鉄道があったが、その廃線跡を代替するようなバスが多く、結構便利に回れた記憶がある。それでも時間が足りずにひとつだけ残ったのが梁川だった。
このあたりは仙台藩伊達氏の発祥の地だそうで、合併前は伊達郡だった。平成の合併で伊達市という名前の市になったが、その前から北海道に伊達市があったので、府中市と並ぶ同一名複数市である。北海道の方は旧伊達藩が入植してその名前になったそうで、本家がそう名乗るのを反対することは出来なかったのかも知れない。
続けて鉄道を楽しむ 福島交通飯坂線
福島駅の同一ホームから飯坂線電車が発着するのを見ていたらこれにも乗りたくなった。福島まで戻るのも面白くないので、梁川からの帰りは福島のひとつ手前の卸町という駅で降り、福島市の郊外環状線ともいうべき立派な道路を西の方向に、飯坂線の平野という駅まで歩いた。飯坂温泉行きの電車が出た直後だったので、さらに線路に沿った道を次駅の医王寺まで歩き、そこから飯坂温泉まで乗った。阿武急線に踏切が皆無だったのに対し、こちらは警報器のない踏切の連続で、元東急のステンレス車もゆっくりと走らざるを得ないようだ。LRTに転換しても良いのではないかと思う。
飯坂温泉には、まだ東北新幹線の始発が大宮だった30年以上前に会社の慰安旅行で来たことがあり、その時にこの線に乗った。私が幹事で何度も電車の乗り継ぎをさせ不評を買ったことを覚えているが、川に沿って駅があったこと以外はどんな電車だったかは覚えていない。あの頃は会社の旅行で電車の写真を撮るなど気が引ける雰囲気だったが、随分時代が変わったものだ。今は1本線路の両側に、乗車・降車専用のホームがあり、駅舎は純和風の落ち着いた雰囲気のもので、その一部を占めているセブン・イレブンの外装もそれに合わせたものになっていた。
飯坂温泉から福島までは運転席後部に立つ鉄チャンをした。そのおかげで、この線には元東急7000系の3両固定編成が2本、2両固定が4本あり、このうち日中は2両固定が2本のみ稼働していることがわかった。
行ってはならない飯館村
福島県最後のひとつは飯館村である。福島市の東部、阿武隈山地に広がる村だが、2011年3月11日の東京電力福島第一原子力発電所の事故で放出された放射性物質の汚染により、全域が計画的避難地区に指定され、村民が避難を強いられている。村は放射線量に応じて、帰還困難区域、居住制限区域、及び避難指示解除準備区域に分かれており、役場は居住制限区域内ある。福島・原町間の福島交通バスが今月1日より運行を再開し同村内を通るようだが、停車するのかどうかわからない。
同村のHPによると4月1日現在、全人口6701人のうち73人が村内に居住し、485人が県外、6214人が県内他地域に、うち3801人が福島市内に避難しているという。不明は2戸2人ということで、良くこんなにきちんと管理できているものだと感心する。
そういう状態なので、放射線が怖いからというのではなく、役場めぐりなどという道楽のために村内に入るなどということはしてはならないと思い、福島市内飯野にある仮役場に行くことにした。これは現在福島市飯野支所の庁舎の一部である。福島からで40分ほどの飯野終点の真ん前にある。庁舎の約半分が「飯館村飯野出張所」となっていた。
この庁舎には1997年に来ている。その時は東北本線松川からJRバスで行ったが、今は福島市と川俣町が運行する自治体バス(コミュニティバス)が朝夕に走っているだけだ。なお、このときに飯野から川俣、そして福島市東部の月舘町、霊山町、保原と、現伊達市を構成する町に行ったのである。飯野の庁舎前はかつての国鉄川俣線岩代飯野駅跡でSLC12も展示されていた。
ここから歩いて数分の、旧飯野小学校跡地に飯館村避難者用仮設住宅があった。前述の村HPによると31戸68人が居住しているとあったが、その他にもこの付近に仮設住宅が多くある。だからここに仮庁舎を置いたようだ。
仮設住宅に住む人々がいつ戻れるのか、戻っても元のような生活ができるのか、仕事があるのか私には全くわからない。原発事故という、全く降ってわいた災難に翻弄され気の毒という以外に何も言うことができない。原発の存否については簡単に判断できるものではないが、たとえ廃止にしたとしても残って溜っている放射性残存物の処理などがあるので原発の技術を絶対に絶やしてはならない。今のままだと原発に新たに関わろうとする若者がいなくなるのではという危惧があるが、原発の管理は今後も数世代にわたって続けなければならない。廃止後に管理がずさんになり、このように避難する人々がまた出てくるようなことが絶対にあってはならない。
一部の村民が居住しているところを見たこと、役場出張所の写真を撮ったこと、そして本庁舎へ行くにはバスもなく、歩いて行って村内パトロールをする人に余計な心配や迷惑をかけることがあってはならないことなどから、これで飯館村には訪問したことにすることにした。いつか誰にも迷惑をかけずに行けるようになったら必ず行くという条件付ということにして。
福島に戻り新幹線で帰った。これで福島県を完了したことになるが、このような終わり方をしたのは初めてでスッキリとしない。その他の震災で被害を蒙った市町村にはいずれも震災前に行っていた。これで累計3238、99.4%、残り21、県レベルでは1都4県となった。
2014年4月15日(火) | |||
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登戸 | 7:34 → 8:00 | 新宿 | 小田急 |
新宿 | 8:05 → 8:39 | 大宮 | 埼京線通勤快速 |
大宮 | 8:54 → 9:48 | 新白河 | なすの253号 |
新白河 | 10:10 → 10:52 | 磐城棚倉 | JRバス関東 3230棚倉町 |
磐城棚倉 | 11:25 → 12:00 | 泉郷 | 水郡線329D 3231玉川村 |
玉川村役場 | 12:40 → 14:21 | 矢吹 | 徒歩9.4Km |
矢吹 | 14:59 → 15:21 | 郡山 | 東北本線2141M |
郡山 | 16:50 → 17:27 | 大越 | 磐越東線738D 3232大越町(田村市) |
大越 | 18:59 → 19:36 | 郡山 | 磐越東線747D |
郡山 | 19:44 → 20:31 | 福島 | 東北本線2149M |
2014年4月16日(水) | |||
福島 | 7:32 → 8:03 | 梁川 | 阿武隈急行907M 3233梁川町(伊達市) |
梁川 | 8:45 → 9:07 | 卸町 | 阿武隈急行916M |
卸町 | 9:10 → 10:20 | 医王寺 | 徒歩4.8Km |
医王寺 | 10:48 → 10:52 | 飯坂温泉 | 福島交通飯坂線 |
飯坂温泉 | 11:20 → 11:43 | 福島 | 福島交通飯坂線 |
福島 | 12:40 → 13:15 | 飯野 | 福島交通バス 3234飯館村 |
飯野 | 14:20 → 15:01 | 福島 | 福島交通バス |
福島 | 15:16 → 15:57 | 宇都宮 | つばさ144号 |
宇都宮 | 16:36 → 17:56 | 赤羽 | 通勤快速3540M |
赤羽 | 18:00 → 18:15 | 新宿 | 埼京線 |
新宿 | 18:22 → 18:42 | 登戸 | 小田急 |