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隠岐からたたらの道へ 島根県100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その44)

児井正臣


昭和20年1月19日
横浜市で生まれる。

昭和38年3月
東京都立両国高校を卒業

昭和43年3月
慶応義塾大学商学部を卒業(ゼミは交通経済学)

昭和43年4月
日本アイ・ビー・エム株式会社に入社

平成 3年12月
一般旅行業務取扱主任者の資格を独学で取得
 
平成16年12月
日本アイ・ビー・エム株式会社を定年退職その後6年間同社の社員研修講師を非常勤で勤める

平成17年3月
近代文芸社より「地理が面白い-公共交通機関による全国市町村役所・役場めぐり」出版

平成22年4月
幻冬舎ルネッサンス新書「ヨーロッパ各停列車で行くハイドンの旅」出版

令和3年2月
幻冬舎ルネッサンス新書「自然災害と大移住──前代未聞の防災プラン」出版


現在所属している団体
地理の会
海外鉄道研究会
離島研究クラブ


過去に所属していた団体
川崎市多摩区まちづくり協議会
麻生フィルハーモニー管弦楽団 (オーボエ、イングリッシュホルン奏者)
長尾台コミュニティバス利用者協議会
稲田郷土史会

隠岐からたたらの道へ 島根県100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 〜 公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅(その44)

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日
(その22)和歌山・三重|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年4月6日
(その23)トカラ列島と奄美群島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年5月10日
(その24)北海道東部の旅 |公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月12日
(その25)「大人の休日倶楽部会員パス」による秋田県北部の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月27日
(その26)能登・砺波の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年7月9日
(その27)路線バスを乗り継いだ大分県と福岡県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年12月5日
(その28)JR四国誕生日切符を使っての四国3県の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年1月19日
(その29)沖縄県宮古八重山地方|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年5月16日
(その30)北海道宗谷・網走・上川支庁|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年7月12日
(その31)広島県・愛媛県境の瀬戸内海の島々|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年8月6日
(その32)北九州から山陰本線に沿って石見銀山へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年5月13日
(その33)北海道渡島半島から後志にかけて|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年6月27日
(その34)佐賀県100達成・長崎県は残り1つに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年10月9日
(その35)石川県の100%を達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年11月7日
(その36)徳島・高知県に行き四国100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年1月28日
(その37)三重県の伊勢湾岸から奈良県の山岳地帯へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月2日
(その38)沖縄県久米島と渡名喜島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月24日
(その39)会津へ 思い込みと勘違い|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年5月20日
(その40)岩手県大船渡線と北上線|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年6月17日
(その41)北海道十勝から日高へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年7月6日
(その42)東京の3つの離島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年8月17日
(その44)隠岐からたたらの道へ 島根県100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年11月20日


 島根県の市役所・町村役場めぐり100%を達成した。17県目である。しかし今回は旅行日程が直前までなかなか決められず、切符や宿の手配にも十分な時間がとれず、意外に費用がかかってしまった。無料航空券がもらえるマイレージの残マイル数が減ってきたことと、以前から一度乗りたいと思っていた寝台特急サンライズに乗る最後のチャンスかも知れないこともあり、今回は往復JRで行くことにした。ただしジパングクラブの3割引が適用されるのは運賃と特急券のみで寝台料金は対象外だ。だから話の種に、片道は個室寝台、片道は特急券だけで乗れる「のびのび座席」を買おうとしたのだが、1週間前に緑の窓口に行くとすでに「のびのび」の方は残席がなく、帰路は個室のなかでもさらに1グレード高いものしか空いておらず、ここでも高くついてしまった。

サンライズ出雲

 98年より走りはじめた電車寝台特急285系は気に入った。1階2階の組み合わせが実にうまくできているし、室内のレイアウトも良い。また全体に木目調の内装は上品であり経年を感じさせない。往きが「B寝台1人用個室ソロ」、復路が「B寝台1人用個室シングル」で、寝台料金は前者が6300円、後者が7350円だ。違いは小さなテーブルの有無くらいで、部屋の広さやベッドサイズに違いがあるようには思えなかった。とくに往路のソロは上段だったこともあり、天井裏部分をうまく利用した物置場があるので、リュックやスーツケースが置け、私にはかえって便利で快適に思えた。

 細かいことを言えば、ソロの方は電動車なので通常の車両高での2段ベッド構造だ。だから室内の天井が低い。それに対して付随車であるシングルの方は低床式ダブルデッカーなので、天井が高く室内で立つことができる。しかしソロも階段部分に立てば頭が天井につかえることもなく、着替えなどにも不自由しなかった。浴衣もどちらにもある。またソロの車端部はラウンジになっており窓に向かった簡単なテーブルに合計8人分の椅子がある。その横には飲物類の自販機もある。しかし終点までの14時間、食堂車も車販もない。ラウンジの一隅に売店ぐらいあっても良いのではないか、利用者も結構多かっただけに今後の課題だろう。

 横浜から乗車したときには、ほぼ満席に近かったようだ。14両編成の前半分、すなわち岡山よりの7両が高松行き、後7両が出雲市行きで岡山で分割する。上りは岡山で併結するがこのときは前後が逆になり東京寄り7両が高松発、岡山寄りが出雲市発となるところが面白い。下りの東京発は大阪までの新幹線終了後の22時だが、熱海、沼津、富士、静岡、浜松に停車した後は姫路までノンストップ、姫路着5:25、岡山着6:27、両駅でかなりの下車客があったので京浜地区から山陽地区に行く客にとっては結構便利な列車かも知れない。上りも岡山発22:33、東京着が7:08だから同様だ。

 伊豆諸島に行く東海汽船の寝台に比べると、かなり揺れるし音もうるさい。船のようなゆったりしたものではなく、周期が短い揺れだったが、それでも4~5時間は眠れたと思う。岡山で夜明けを向かえ伯備線に入った。総社、備中高梁と役場めぐりで利用した駅を通過、新見では数名の下車があった。鳥取県に入ってからはラウンジに座り窓外を見ながら、根雨・江尾間の7.4キロ、伯耆溝口・岸本間の5.8キロなど、かつて線路に沿って歩いたことを思い出した。米子、安来でかなりの下車客を見送ったのち、松江で下車。ほとんどの客が降り、列車は回送同然で出雲市に向かって走り去った。

大根島

 役場めぐりを目的に松江に来たのは4度目である。最初は99年に家内との山陰旅行で、観光の傍ら境港、米子、安来のほか隠岐の島前3島の役所・役場に行った。2度目は05年、島根県だけを目的に4泊5日で24市町村、3度目は昨年5月山口県の下関から山陰本線を東進し、島根県内14市町村を回った。そして今回、隠岐島後4町村を含む16町村に行き島根県の8市41町10村計59市町村を完了させた。なお平成の合併後は8市12町1村で合計21、三分の一近くになっている。

 2度目に来たときに、米子空港から松江駅前に向かうリムジンバスに乗ると、中の海に浮かぶ大根島の中を走るのだが、八束町役場前は停まらずに通過した。空港と松江市内中心部を最短時間で結ぶために途中の役場前などはパスしていた。役場に所用のある航空客だってあると思うがそれはともかく、役場巡りをゲーム感覚で行っているような観光客のことなど一顧もしていないようだ。だから今回はまずその旧八束町役場、今は松江市の八束支所に行くことにした。旧八束町は大根島と隣の江島とからなる。大根島は東西3キロ、南北2キロ、周囲約12キロの平坦な島で、江島はこれよりもはるかに小さい。松江市街とは干拓用護岸道路で結ばれており、また境港とは04年に江島を経由する江島大橋(全長1446メートル)が開通し、これにより米子空港と松江市街を最短で結ぶ経路ができた。

 今回は松江駅前から松江市営バスの八束行きに乗った。終点のひとつ手前の八束支所前で下車し、すぐに折り返してきた同じ運転手の同じバスで市内に戻った。中海の干拓と淡水化事業は1963年に事業が開始されたが、曲折を経て2000年に入ってから中止になった。造られた堤防は、一部は解体されたが、前述の松江市街と結ぶ部分は残されており、堤防の片側が往復2車線の道路になっている。これが直線で1キロくらい続いているところは8年前に見たオランダの大堤防を思い出させた。新田開発と農業用水確保を目的にはじめた事業だが、その後の減反政策による畑地造成への変更や、水質汚染や環境破壊、さらにはシジミ漁業への影響を懸念する反対運動などが起き、2000年に入ってからの全国的な公共事業見直し機運などから事業そのものが中止となった。

 手許の分県地図は10年以上前のもので、そこに示されている堤防のなかにはすでになくなっているものがある。一度造ったものを解体したのだろう。オランダの大堤防は、外海と東京湾くらいの広さのゾイデル海とを隔てる延々32キロのものだが、干拓そのものは中止した。建設途中で当面新しい陸地は不要ということになったのだが、将来また土地が必要になるかも知れないということで、堤防だけは完成させておいた。必要なときには何時でも干拓できるようにしているという。日本の農業の将来などまだまだ不明なことが多い、だから取り壊しまですることもなく、オランダのようにしておいても良かったのではないだろうか。


 次は平成の合併で、松江市になった日本海に面する鹿島、島根、美保関3町のうち、まだ行っていない美保関に行くために、旧松江市街地の県民会館前まで戻り、一畑バスに乗り換えた。終点の万原バスターミナルというところで美保関町民バスに乗換え支所前に行った。これも市営のバスということになるのだが、松江市の交通局とは異なり、旧町が運行するコミュニティバスである。中型から乗合まで、多くの車両を擁し、このバスターミナルからの路線数も3、いずれも1時間に1本、松江市街地からやって来る一畑バスに接続し、3方面へ同時発車する、なかなかサービスの良いコミュニティバスだ。支所はこのバスセンターから2キロほどだったので、帰りは支所からバスセンターへは歩いて、同町内の七類港まで別の路線に乗った。

隠岐へ

 20分後に出港する高速船「レインボー2」で隠岐に向かった。98年より就航しているウォータージェット推進の水中翼船だ。高速航行中は時速60キロを出しているそうだが、途中鯨が目撃されたときは減速するとの船内放送があった。乗客定員は312人と書いてあったが、客は50人くらいだった。西郷港には16時32分に着岸、西日本なのでまだかなり明るいのではと期待していたが、曇天だったこともあり薄暗く、港周辺はひときわ寂しかった。ネットで探したホテルは港のターミナルビルに隣接した、まだ開業後日の浅い高級なものだった。1階が観光協会とバス乗り場、2階が隠岐自然館、3階から5階までがホテルでロビーは3階にある。ツインの部屋ばかりで、シングルユースの料金ではあったが素泊まりで7350円だった。今回は時間をかけて民宿か安宿を探す余裕もなかった。

 チェクイン後街に出た。17時台なのに人通りはほとんどない。商店といってもほとんどが閉じており、それと民家が延々と2キロくらい続き、その先に警察署と役場があった。ひときわ明るいショッピングセンターがあり、ここは20時まで営業している。地下の食品売り場で明日の朝食用にサンドウィチなどを買っておいた。夕食は何の変哲もない食堂という感じの店で済ませた。

 隠岐は西ノ島、中ノ島、知夫里島からなる島前と、西郷のある島後に大きく分かれている。99年に行った島前知夫里島の小山の上から眺めたときに、大きな火山の外輪山が部分的に海面上に突き出ているのがこの3島であるという感じがした。あたかも芦ノ湖を囲む箱根の外輪山がそのまま水没したら,このような風景になるのかと思った。その3島は平成の合併後もそれぞれが独立した町村のままである。それに対し島後にあった4町村は合併し隠岐の島町となった。面積242平方キロ、周囲211キロ、面積は沖縄と北方領土を除くとわが国第11位で徳之島と石垣島の間だ。人口は約15千人である。北西約150キロにある竹島は隠岐の島町に属しており、日本領土であるという旗や幟を役場や支庁舎をはじめいたるところで目にした。

 合併前の4つの庁舎に路線バスで行くには、周回するような路線はなく、すべて西郷を拠点に行っては戻るということを繰り返さなければならない。バス料金も結構な額になる。観光案内所でフリー切符のようなものがあるかと聞くと、あるがそれには事前に、10月中にネットで予約をした客のみに販売しているという。島前島後の全バス路線と島前道後間の船、島前相互間の船などすべてに乗れ3000円だそうだ。4つの庁舎に行って戻るバス代だけでも5千円以上かかりそうだったので、なんとか例外的に売ってもらえないかと頼んでみたがダメだった。観光協会のサイトを丹念に見ていればわかったはずだが、ここでも準備不足は否めなかった。

 路線バスは、東部の旧布施村、北西部の旧五箇村、南西部の旧都万村に行くものが西郷を起点に、それぞれ日に4~6往復運行されており、いずれも終点では5~10分で折り返すものばかりだ。いずれの庁舎も終点か、ひとつ手前にあり、現地での滞在はほんの数分というところばかりだったが、途中の車窓から風景を見ることで隠岐を知ったということにした。ダイヤを調べると布施、五箇、都万と東から順に回るのが最も効率良く、これだと14時前までに、すなわちほぼ半日ですべての庁舎に行けることがわかった。

 島の中央を南北に貫く幹線道路は、国道316号線で五箇に行くバスで通ったが、この道は山奥を走りトンネルも多く、離島にいることを忘れさせる。逆に東西の海岸沿いの道は絶景ポイントが続いていた。特に南西海岸を走る都万へのバスは、途中複雑に入り組む岬や入り江にある漁村にたんねんに寄っては戻るということを繰り返していた。そして意外な近さに島前の諸島が見え楽しかった。利用者も延14~5人はあったと思う。

隠岐国分寺

 朝はすばらしい晴天だったが、五箇村についたときは雹まじりの雨となり、その後は青空が見えたと思うとまた雨に会うなどの繰り返しとなった。帰りのフェリーの出港する15時10分までには時間があったので、かなり手前で降り、激しい雨だったが隠岐国分寺に行ってみた。天平年間(729年-749年)に聖武天皇の詔勅により建立されたこと、元弘2年(1332年)から3年間後醍醐天皇が隠岐島に流されたときの行在所だったという説明板があった。しかし本当にここが国分寺だったのかどうかについてはいまだ確認されておらず、また後醍醐天皇の行在所も西ノ島にある黒木御所跡だったとする説もある。

 帰るときに気がついたのだが、山門横に入山料200円と書かれたチケット売場があった。しかし人の気配は全くなかったのでそのまま失礼させてもらった。また本堂再建のための寄付のお願いの掲示もあった。それはつい3年前の07年に消失した本堂を再建するもので、それも消失したのは建立後5~60年だそうだ。天平とか元弘まではともかく、もう少し古いものの再建ではないことがわかった。雨の中を港まで歩いたが意外に時間がかかった。後日地図ソフトで調べると4.2キロだった。

 高速船では1時間12分だった西郷・七類間は、「フェリーくにが」では2時間25分、ちょうど2倍だった。料金はそれぞれ5,600円と2,840円とこちらはほぼ半額、時間と料金のバランスを上手くとっている。本土側は七類でも境港でも同一料金だから、航行距離・時間とも短い七類のほうが、隠岐汽船にとっては有利なはずだ。隠岐へは島前まわり島後まわりを含めこの季節はフェリー3便、高速船が1便の計4便が運行されている。このうちフェリーの1便のみが境港発着で、その他はすべて七類港発着である。航行距離も時間も七類の方が短く、かつ松江市街地までの時間や距離も七類の方が短いのだから、境港や米子の人にとっては不便かも知れないが、隠岐が島根県に属している以上自然の流れなのかも知れない。

 一畑のシャトルバスで松江駅前に戻り、近くのホテルに泊まった。

木次線

 松江を早朝6時43分発の列車に乗った。3日目は木次線から芸備線に乗り三次まで行く。横浜から三次までの通しの切符をジパングクラブの割引で買っておいた。松江市の支所となった旧宍道町役場は宍道湖の湖畔を走る国道9号に面していたが、ちょうど湖の西端のあたりで、1キロくらい先に国道と並行して湖の中に出雲空港の滑走路が伸びているのが見えた。列車が宍道駅に到着する直前にはそこからJAL機が離陸するところが見えた。それにしてもこの空港、あまりにも米子空港に近すぎる。鳥取県に負けまいと、島根県が無理やり作ったのでないだろうか。私は鳥取、出雲空港は廃止して米子空港に一本化すべきだと考えている。大型機が離発着できる米子便を増やし、JR境港線を米子空港ターミナル前まで乗り入れ鳥取や出雲市に高速シャトル列車を走らせたほうが全体の利便性が向上し、かつ赤字で悩む地方空港の問題も解消されると思う。誰か勇気を出してそのような提案をしてくれないものか。

 そんなことを考えていると、両方合わせても人口130万人という鳥取県と島根県は、道州制など待つことなく早く合併したほうが良いと思う。随分細長い県になるが、チリに比べればたいしたことはない。すでに地銀は両県をカバーする山陰合同銀行があり、やれないことではないと思う。

 

 宍道駅で木次線に乗換え、木次に着いた。平成の合併で周辺6町村による雲南市ができ、その中心となったところで、駅前にはレストランなども入っている大きなショッピングセンターもある。駅ではトロッコ列車である「奥出雲おろち号」が出発の準備をしていた。週末の他紅葉シーズンである10月15日から11月23日までは毎日運転される。ディーゼル機関車DE12と12系客車、それに13系客車の側面窓を取り払い吹きさらしとしたトロッコ車からなり、トロッコ車先頭には運転台がありプッシュプル運転を行う。この列車のことは松江に来てから知ったが、これに出雲三成まで乗れば後述するような稲妻方式を取る必要はない。しかし逆に雲南市の市役所となった木次の町役場が駅から遠いので行けなくなる。寒いし、指定席料金の510円まで払ってまで乗ることはないと思い見送った。後刻出雲三成駅で帰りのこの列車を見たときには、数名の乗客はいずれも客車の方に乗っていてトロッコのほうには誰も乗っていなかった。

 

 木次から先、備後落合まで行く列車は1日に3本しかなく、途中の出雲横田まではこれに3本が加わる。従ってこの間の仁多町、横田町にはまず先に横田に行き、仁多に戻り、さらに備後落合に向かうという稲妻方式をとることにした。ゆったりした時間の中だったので「稲妻」というよりは「ジグザグ」と言う方が似合っている。なおこのふたつの町は05年に合併し奥出雲町となっている。

 木次から乗った列車は小型キハ120系の2連で、運転手も2人になった。斐伊川につかず離れずに出雲の奥地にどんどん入って行くのだが、地形の関係か何度か直角にまがることがあり、遠回りしながら長い距離を辿っている。また線路の保守状態が悪いのかところどころに制限速度30キロがあり、非常に時間をかけて走っているという感がした。トロッコ列車はさらに遅いのか。

 出雲横田に着くと、後部1両を切り離し宍道行きとなり、運転手が2人乗っていたのはこのためだということがわかった。到着が12:49で切り離された宍道行きの発車が13:02、もともとの備後落合行きは13:07発車で、18分のロング停車である。旧横田町役場は駅から3分もしないところにあり、宍道行きの列車には余裕をもって乗ることができた。それよりも停車時間の長い備後落合行きにも十分乗ることができるが、同一列車の停車時間帯への役場行きはできないことに決めている。出雲三成に戻り旧仁多町役場に行ったが次の列車まで2時間以上あった。役場近くで昼食をとった後は、コンビニと地産商品を売る店などと併設された、出来てから3年という新しい駅舎の待合室に居た。

 横田は広い盆地だった。出雲の横田荘というのは中世からの荘園だそうで、古くから農耕が行われていたらしい。また古くから「たたら」製鉄で栄え、今でも日本刀の原料となる「玉鋼」を生産しているそうだ。司馬遼太郎の「街道を行く(砂鉄のみち)」によると、この盆地の南方にひときわ高く聳える船通山では、今でも砂鉄の採取が続いており、そこで得た砂鉄を安来にある日立金属安来工場で鋼にしている、それをアメリカのジレット社が買い剃刀の刃に使っているとあった。尤もその「街道を行く」の初版は1975年1月なので35年後の現在でもそうなのか、機会があれば調べてみたいものだ。

スイッチバックとループ

 出雲三成から乗った列車はキハの単行で乗客も3人、その人たちが皆出雲横田で降りてしまい、この先の客は自分ひとりだけかと思っていたら発車直前に1人乗ってきた。単行キハは相変わらず随所に速度制限があるなかをゆっくりと、少しずつ高度を上げて行く。谷がだんだんと狭まくなり、両側の紅葉が迫ってくる。寒くなければトロッコ列車は楽しいだろう。そろそろ谷も終わり、前方をふさぐように山が迫ると出雲坂根駅だ。三段スイッチバックで鉄道ファンには有名なところだ。いやに新しい丸太づくりのような駅舎は今年4月に竣工したばかりとか。1日平均の乗車人員はたった2人だそうだ。

 スイッチバックの二段目へはバック運転をするのかと思っていたら、運転手は運行版など必要なものをすべて携えて後部運転台に行き、数百メートを登り、三段目になるとまたもとの運転台に戻った。ワンマンだからそうせざるを得ないのか。スイッチバックが終わると、今来た出雲坂根駅周辺の平地を取り囲むような大きなオメガループを進む。一瞬見えた出雲坂根駅が随分下にあった。並行する国道182号線もここでは二重ループになっている。曲率半径が大きく雄大に見える。「奥出雲おろちループ」という名前があるそうだが、大蛇がとぐろを巻いている姿に見えるからということらしい。

 そのようにして上った先は高原状となり、冬は中国地方有数のスキー場だそうだ。これだけ大規模な峠だったので、てっきり日本海と瀬戸内海との大分水嶺かと思ったら、そうではなく日本海に注ぐ江川の支流との分水嶺だった。江川というのは中国山脈の奥深く、支流をあちこちに伸ばし、広島郊外の可部から乗ったバスが、すぐに登った崖の上がもう江川の水域だったことを思い出した。

 備後落合に着いたときはすっかり暗くなっていた。4分の接続で三次行きの単行キハが待っており、私ともう1人の客が乗換え、もとから乗っていた1人を含め3人の客を乗せ暗い谷間を走った。途中の備後西城で下車することも考えてはいたが、暗闇では役場の写真は撮れない。そのまま三次まで乗り続けた。

たたらのみち

 広島と松江、または出雲市を結ぶ長距離バスはJR、一畑、広電の3社共同運行で平均すれば1時間に1本程度の高頻度で走っている。国道54号線沿いに連なる町村には比較的容易に、効率よく行ける。まず三次駅前から地場のバス会社である備北バスのローカル便で平成の合併により三次市となった旧布野村に行った。そして広島からやってきた広電バスで赤名へ、県境の長さ600メートルの赤名トンネルは、工事のために片側通行となっており、これのために長いときは5分くらい手前で待たされる。このような箇所がほかにもあり、どのバスも大体10分くらい遅れて走っていた。

 赤名、頓原と途中下車しながら掛合に着き、道の駅で昼食を取り、さらに支流の谷に入り旧吉田村に行くバスに乗った。2004年に木次周辺の6町村が合併し人口46千人の雲南市ができたが、旧吉田村もそれに加わり、地名は雲南市吉田町となった。そして雲南市民バスというコミュニティバスが新市内をくまなくカバーしている。この吉田地区だけは、国道54号線に面していないので、この市民バスでしか行けない。

「街道を行く」の表現を借りると、「やがて地形が迫になってくる。吉田村である。もし桃の花が開いていれば桃源郷というにふさわしく、掛合あたりからみれば奥地というよりも、隠れ里といったほうがふさわしい」、今でもその表現がぴったりの里だ。そして石畳の道と町並みがきれいに整備されており、何かとてもリッチな感じがした。ここもかつての鉄の里だ。そしてその事業を一手に行っていた田部家の城下村でもあった。

 昔の「たたら製鉄」は、一回で得られる大塊を2トンとすれば、砂鉄は24トン、木炭は28トン必要で、その木炭のためには薪は100トン要ったという。だから鉄づくりのためには広大な山林が必要で、田部家は全国一の山林王だった。旧村役場だった雲南市吉田総合センターに行った後、鉄の歴史博物館に入った。通りからの外観はちょっと大きめの民家風だったが奥が深く、「たたら製鉄」の技法などを説明した1号館と、鍛冶集団の生活や田部家の鉱山経営を説明した2号館のどちらも展示物は充実していた。また昭和40年頃に「たたら」の復活操業をしたときのVTRが40分ほどのものだったが、これが大変面白く最後まで見てしまった。さすがにここまで来る観光客は少ないと見え、博物館を独り占めしたので入館料500円は随分安いと思った。

 吉田村では帰りのバスまで2時間以上あった。今でも「たたら」の現場、当時の製鉄所の建物である高殿というのが残されており見てみたかったが、そこまでは歩いて1時間ほどかかると言われ断念した。博物館周辺は鉄の歴史村としてふるい街並が残されており周辺を散策した。田部家の土蔵群の奥に田部家の屋敷があったがそれほど豪華なものではなく、ここも鉄の歴史博物館と同じような、ちょっと大き目の民家という感じだった。バスを待つ間に入った店で「ぜんざい」を食べたが、そこのおばあさんは三成から嫁に来たという。大回りをしてきたが地図を見ると山ひとつ越えた隣同士、どちらも斐伊川水系だし、砂鉄のとりもつ縁とでも言えようか。

  前述の市民バスを三刀屋まで乗った。バス料金は、ふたつの旧町村間までは200円、1町村越えるごとに200円ずつ加算される。旧吉田村から旧掛合町を通り旧三刀屋町まで、3町村をまたがってきたので、帰りの料金は400円だった。往きは掛合から吉田までだったので200円だった。なお尾道・松江自動車道というのが建設中で、掛合と吉田の中間あたりの谷間にICができる。それができると吉田には随分行き易くなるが、そうなるとせっかくの静かな里が俗化してしまうのではないかという、一抹の不安に絡まれた。

 三刀屋のバスターミナルは古い家並みが続く旧道に面していたが、広島からの長距離バスは旧道から100メートルくらい離れて並行するバイパス上に停まる。暗い中屋根もないバス停で出雲市行きのJRバスを待った。バスは発車すると間もなく大型ショッピングセンターやロードサイド店、外食店などが並ぶ明るく賑やかなところを走った。新しい雲南市の市役所は木次にあり、鉄道のある木次が新市の中心かと思っていたが、国道バイパス上のこのあたりのほうが経済や文化の中心になっているのかも知れない。

 高架になった出雲市駅前のコンビニで弁当、おでん、日本酒などを買い、始発のサンライズ出雲の個室で列車が走り出す前から夕食を食べはじめた。岡山までは本を読んだりして起きていたが、旅の疲れかその後は静岡まで熟睡した。小田原からは貨物線を走ったので、横浜ではどうなるのかと思っていると茅ヶ崎・辻堂間で速度を落とし渡り線に乗って電車線に転線した。

 今回は島根県16町村、広島県1村の計17で累計2938、残は321となった。

公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅 【全100回】 公開日
(その1)総集編|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2020年1月31日
(その2)福島県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その3)青森県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年6月1日
(その4)東京都・埼玉県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年4月1日
(その5)新島と御蔵島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2014年7月1日
(その6)奄美諸島と座間味島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年4月1日
(その7)中国山地の山奥に行きいよいよ残りひとつに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年5月1日
(その8)小笠原で100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2015年9月16日
(その9)合併レースに追つけ追い越せ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年2月1日
(その10)格安切符の上手な使い方 三重県|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年3月20日
(その11)四国誕生月紀行|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年1月26日
(その12)歴史の宝庫は地理の宝庫(岡山県備中・美作地方)|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年5月31日
(その13)青春18きっぷで合併の進む上越地方へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年8月20日
(その14)公共交通の終焉近し 島根県過疎地の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年10月15日
(その15)熊本県の合併前後の市町村へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年11月7日
(その16)悪天候で予定通りには行かなかった大分県の市町村役場めぐり|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2005年12月19日
(その17)2006年沖縄離島めぐりの旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年3月8日
(その18)2006年青ヶ島訪問記|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年5月8日
(その19)2006年6月14日 一日でまわった東京23区|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月14日
(その20)2006年 道南から津軽・下北へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年6月26日
(その21)2006年11月西彼杵半島と島原半島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2006年11月20日
(その22)和歌山・三重|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年4月6日
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(その24)北海道東部の旅 |公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月12日
(その25)「大人の休日倶楽部会員パス」による秋田県北部の旅|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2007年6月27日
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(その29)沖縄県宮古八重山地方|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2008年5月16日
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(その34)佐賀県100達成・長崎県は残り1つに|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年10月9日
(その35)石川県の100%を達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2009年11月7日
(その36)徳島・高知県に行き四国100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年1月28日
(その37)三重県の伊勢湾岸から奈良県の山岳地帯へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月2日
(その38)沖縄県久米島と渡名喜島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年4月24日
(その39)会津へ 思い込みと勘違い|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年5月20日
(その40)岩手県大船渡線と北上線|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年6月17日
(その41)北海道十勝から日高へ|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年7月6日
(その42)東京の3つの離島|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年8月17日
(その44)隠岐からたたらの道へ 島根県100%達成|公共交通による市町村役所・役場めぐりの旅|公開日は(旅行日(済)) 2010年11月20日