著者プロフィール                

       
長谷川 漣の何処吹く風 〜(その7)

長谷川漣

本来なら著者の写真を載せるべきですが、同居する両親が「写真は賞をとるなり何なりしてからにしなさい」と言うため今回は控えさせていただきます。
1976年生まれ。本とマンガをこよなく愛す。
大学卒業後、高校教師を5年間務めた後、会社員生活を経て現在は学童保育に勤務。その傍ら執筆活動にいそしむ。
自称「芸術にその身をささげた元社会科教師」。もしくは「北関東のトム・クルーズ」。

長谷川 漣の何処吹く風 〜(その7)

渾沌

 他者と自分を比べずに生きられたら、ありのままの自分を肯定できたら、私もそんな風に感じていた時期がありました。今だってそうかもしれません。その頃の自分を振りかえって書いた文章です。読んでください。

 二千年以上昔の中国に次のような話がある。「昔『渾沌』という目も耳も鼻も口もない化け物がいた。この『渾沌』、ある時人助けをした御礼に目と耳と鼻と口を作ってもらった。ところがそのとたんに死んでしまった。」初めて読んだ当時高校生だった私は衝撃を受けた。なぜ『渾沌』は死んでしまったのか? 
目、耳、鼻、口、これらはすべて感覚器官である。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、それぞれが我々に多様な《情報》を伝えてくれる。ではそもそも《情報》とは何か?背が高い人がいる。我々は何をもとに「背が高い」という《情報》を得ているのだろう。仮に世界中の人がみな同じ身長だったとする。
その際「背が高い」という《情報》は成り立つだろうか?否、みな同じ身長では高いも低いもない。その人より背が低い人が全体の過半数以上いて初めて「背が高い」と判断しうる。
つまりそこに比べるべき対象があって初めて情報は《情報》たり得る。この考えを突き詰めれば《情報》とはすなわち「比較」であり「差」であるといえる。時としてそこには痛みが伴う。
「比較」とは優劣を明らかにすることでもあるからだ。『渾沌』が死んでしまったのはきっと《この痛み》に耐え切れなかったためだろう。私はそんな風に理解した。同時に《この痛み》から逃れるすべはないものか?そんな疑問を持った。大学に入り寺の息子とつるむようになった。
一度、彼の実家で、住職の親父さんと三人で飲んだことがある。親父さんにこの話をしてみた。「比較という考え方からは逃れられないのですか?」「答えになっているかわからんが、お釈迦さま知っているか?自分の妻子ほったらかしにして修行に出た困った人なんだけどさ。この人はどういうこと言ったかというと、とにかく欲から逃れたいって言ったんだ。あらゆる欲からさ。
でも考えたら贅沢な話だろ。すべての欲から逃れたいなんてさ。それ自体が一番の欲だっての。」 目から鱗だった。お坊さんとは偉いなあと感服した。このとき壁を超えたような気がした。その壁は人生の要所、要所で現れる、そういうたぐいの壁だ。苦も無くそれを乗り越える人もいれば、私のように時間のかかる者もいる。だが、いずれは自力で乗り越えねばならない。
でないと『渾沌』のような結末になってしまうからだ。上手に乗り越えられない人は、この文章をテコにしてほしい。役に立てれば幸いだ。後に友人から聞いたのだが、ありがたい言葉をくださった親父さん、財テクに余念がないそうだ。これだから面白い。