幕間劇(15)「君の待つ家へ帰れたら」
その踏切は、福岡市内でも名高い開かずの踏切だった。線路脇には、小春日和に照らされ、小さな花が咲いている。その雑草はムラサキカタバミである。時折、涼やかな風が可憐な花を揺らす。カタバミの仲間は、朝になると花が開き、夜になると花を閉じてしまう。しかし、たくましい雑草でどんな所にでも根を張ることが出来る。でも、意外にも日当たりが大好きで、曇りの日には花を開かない。ここに咲いている花は赤紫だが、黄色い花や、淡いピンクの花を咲かせるものもある。
そんな足元の小さな花などに目をやるゆとりは、今のジョーには無い。うっかりと、朝寝坊をしてしまったのだ。だから、少しでも早い電車に乗りたいのである。しかし目の前には、鹿児島本線の踏切が遮断機を降ろし、道を塞いでいる。ジョーは、祖父ちゃんに買って貰った入学祝いの腕時計を何度も見つめている。しかし上りと下りの汽車がすれ違うだけで、遮断機は一向に上がりそうに無い。中には、強引に遮断機をくぐりぬけるツワモノもいる。しかし、田舎育ちのジョーには、そんな芸当はできない。ただ、ただ、遮断機の岩戸が開くのを待つしか無い。
1963年の春、ジョーは、福岡の進学校に入学した。そして、数年ぶりに親子で暮らし始めた。ジョーが福岡の高校に進学すると言い出したので、母親の百合は、春日原の家を売り、香椎参道の脇に小さな家を買った。仲介してくれたのは、古くから香椎に暮らす祖父ちゃんの遠縁だった。
家のすぐ裏を線路が走っていた。宇美の町から香椎を経て、志賀島の手前まで走るローカル線だ。単線であり本数も多くないので、うるさいとは感じない。むしろ遠くを走る列車の音しか知らなかったジョーには、新鮮で都会的な音に聞こえた。それに深い森が多い香椎は、環境も良かった。
百合は今でも、中洲のキャバレーで歌っている。だから家にはJAZZのレコードが沢山ある。百合は良くダイナ・ワシントンのレコードを聴いていた。艶のある声と、ブルージーなシャウトを響かせる処は、百合の歌い方と似ていた。しかし、百合が何気なく鼻歌で口ずさむのは、ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥが多かった。中学校から英語を得意にしてきたジョーには、その歌詞の意味も分かってきた。だから、その歌はパパの歌だと思うようになっていた。そして、自分でも気づかないうちに口ずさんでいることがある。
その歌声を聴いた英語の先生が「さすがに上手いなぁ。パパに習ったのかい」と聞いた。するとジョーはぶっきら棒に「いえ、父は朝鮮戦争で戦死しました」と答えた。壮年のその先生は「すまん。いらんこと、聞いてしもうたな」と、素直に謝った。先生には唇と鼻の間に傷があった。まるで殴られて切ったような跡である。ジョーは「母がジャズ歌手なんで、いつの間にか覚えたんです」と、付け加えた。先生は少し笑顔になり「そうかジャズ歌手か良いなぁ」と言った。ジョーは「先生もジャズ好きなんですか?」と聞いた。先生は「学生時代になぁ。ちょっとだけどなぁ」と、サックスを吹く手真似をした。ジョーは更に「先生も戦争に行ったんですか?」と聞いた。「ああ二年ほどなぁ。まぁ私の世代は、戦争に行かなきゃ非国民だったからなぁ」と、あまり思い出したくない口調で言った。だからジョーもそれ以上は聞かなかった。
しかし、その日以来、ジョーと先生は良く話をするようになった。先生は、菊池という名字だった。菊池先生は、終戦後ソ連軍によりシベリアに抑留されていた。そして日本に帰れたのは、昭和二十四年だった。帰国したら、既に仏壇に位牌があった。妻子は、故郷の長崎で亡くなっていた。ジョーが生まれた時、菊池先生は、まだ極寒の地で凍て付いた青春を送っていたのだ。
菊池先生は、マイルス・ディビスが好きだった。だからジョーに良くマイルスのレコードを貸してくれた。その当時の英語の先生は、米兵と簡単な日常会話すら出来ない先生も意外と多かった。しかし、菊池先生の英語は本物だった。どうやら短期間らしいが留学経験もあるようだ。それも、ジャズ好きが高じてのことである。奥さんとは、そこで知り合ったらしい。
田舎育ちのジョーは、福岡という九州の大都会に出てきていささか気疲れしていた。西鉄電車の混雑や、市内電車の混雑もさることながら、言葉の問題にも突き当っていた。同じ九州弁でも、筑っ後弁と、博多弁とでは通じないことも多々あった。福岡生まれのジョーだったが、今やネイティブ筑っ後人である。だから同級生達にも、多少いらいらしていた。それに、久しぶりに見るあのアイノコを見る目。竜ちゃんが「良かなぁ。ジョーの髪は、全部金で出来とるばい。ジョーは銭にゃぁ困らんけん。良かなぁ」と、言いながら興味津々に、ジョーの金髪を撫でまわし、見つめていた目とは全然違う。ジョーのそのピリピリとした様子に、同級生達は、益々遠巻きになってしまった。
ある日、ジョーは菊池先生に「いつも英語で話しませんか」と言った。菊池先生は「そりゃおもしろいなぁ」と乗ってくれた。だから、廊下ですれ違う時も、登下校中も、先生に出会うと英語で会話した。同級生達からは益々浮いてしまったが、逆にジョーはさばさばした気持ちになっていた。「どうせ言葉は通じんし、友達なら久留米に帰れば、英ちゃんも、竜ちゃんもおる。ガールフレンドなら民ちゃんが居るし無理して都会っ子にならんでん良かばい」と開き直ったのだ。
母親の百合は、夕方国鉄で博多に出て行く。中州には、西鉄でも行けるのだが、百合は何故か国鉄を使う。そして、深夜にタクシーで帰ってくる。だから、カタバミの花が咲いているところなんか見たことがない。昼夜逆転した生活を送る百合とジョーは、親子水入らずの時間を過ごすことはあまり無い。だがジョーは、この生活が気に入っている。日暮近くに学校から帰ると、部屋はもう薄暗い。でも、百合の匂いがかすかに残っている。母犬の匂いを嗅いだ子犬が安心して眠るように、ジョーもまた安堵感に包まれていた。
マリーは迷っていた。後三年経つと、マリーも高校に進学する。成績が良いこの兄妹は、どこの学校にでも行けた。竜ちゃんと、英ちゃんは、久留米の進学校に通っている。同級生の美夏ちゃんは、一緒に久留米の女学校に行こうという。マリーの本心は、福岡の高校に進み、百合とジョーとの三人で暮らしたかった。でもそうすると、祖父ちゃんと、祖母ちゃんは、二人だけで暮らすことになる。だからやっぱり、久留米の女学校に行こうかと考えていた。
ジョーが高校二年生になった夏、百合が頻繁に身体の疲れをうったえるようになった。ジョーは、何度も病院に行くように言ったが、百合は、少し寝れば治るからと言って、病院には行こうとしなかった。ある朝、ジョーが目覚めると、百合は、大量の汗をかき息苦しそうに喘いでいた。ジョーは、病院に連れて行こうとしたが、やはり百合は「軽い夏風邪やけん。寝ときゃ治る」と言って病院に行こうとしなかった。
数日経つと熱も収まり百合は、また店に通いだした。だから百合は「夏休みは祖父ちゃんとこ(所)に帰って良かよ。マリーも待っとるやろ」と、ジョーを押し出すように里帰りさせた。毎年の盆相撲大会を、ジョーが楽しみにしていることを、百合は知っていた。それに、“孫を祖父ちゃん祖母ちゃんに会わせるのは、親不孝娘のささやかな親孝行だ”と、百合は思っていた。ジョーは夏休みを思いきり楽しみ帰ってきた。そしてその夜、震える声で祖父ちゃんに電話した。「母ちゃんが血ば吐いて倒れとる」と。
百合は祖父ちゃんの知人が佐賀の国立病院に入れてくれた。そして、病名は結核だと言われた。診察した先生は、更に「半年持つだろうか」と言った。ジョーは、高校を休学して百合の看病をすると粘ったが、日頃はお温和な祖父ちゃんが、頑としてそれを許さなかった。だから、学校が終わると、マリーが一時間以上かけて自転車で国立病院に通った。この時代、自転車はまだ高級品に近かった。でもマリーが中学に入る時、祖父ちゃんが最新の婦人用軽快車を買ってくれた。
中学に通うには、堤防をぐるりと遠回りして六五朗橋を渡るか、渡し船に乗り、直線的に近道するかの二者択一だった。学校からは六五朗橋で通学するようにいわれていたが、多くの生徒が、渡し船通学するようになっていた。
渡し船で通勤通学をする人が多くなると、自転車を抱えて渡し船に乗り込む人が、良く川に落ちた。ラッシュ時に電車に乗り込むのに比べると数倍難しいのである。ホームと電車の間が1mほど開き、更に自転車を抱えて乗り込む位の難易度である。加えて、渡し船はたえず揺れている。
だから祖父ちゃんは、世界で一番軽い自転車をマリーに持たせたのである。マリーは、学校から帰ると、最新の軽快車に乗って稲穂たなびく筑後平野を疾走した。そして早く病院に着いた日は、2kmほど先にある綾部神社まで足を延ばし、風の神様にママの全快を祈った。それから牡丹餅を4つ買った。ここの牡丹餅は、祖父ちゃんの大好物だった。だからいつも祖父ちゃんの分も、ちゃんと買ったのだ。
1964年10月、日本中が東京オリンピックに浮かれた。もう、日本は敗戦国では無くなったのだ。その一年前1963年10月には、ママが好きだったエディト・ピアフが死んだ。同年11月、ケネディ大統領が暗殺された。12月には、ジョーや、英ちゃんや、竜ちゃんが、大好きだった力道山が刺されて死んだ。そして力道山が刺された四日後、百合が一番好きだったダイナ・ワシントンが死んだ。死因は、酒と麻薬に溺れての末路だった。
百合は、ダイナ・ワシントンと同じ歳だった。離婚と結婚を繰り返したダイナ・ワシントンと、一途にジョルジュを愛し続けた百合とは、随分生き方が違うように思えた。しかし、その歌声と、産んだ子供の数と、死期だけが似ていた。全く『縁は異なるもの』である。ダイナ・ワシントンの死に、百合は自分の死期を重ねた。
マリーが、百合の枕元でリンゴをむいていると、百合は、いつも死んだ人の話ばかりした。でもマリーの一途な看病は、百合の命を春まで持ちこたえさせた。1965年4月14日火曜日の朝、百合は静かに息を引き取った。町は、農協ストアーの開店で賑わっていた。この田舎町にもスーパーマーケットが出来て、少しだけ都会の風が吹いてきたのだ。だから町中が陽気な春を楽しんでいた。
中学の窓からぼんやりと外を眺めていたマリーは、先生から職員室に呼び出された。そして、「すぐに帰りなさい。お母さんが亡くなったようだ」と告げられた。話を聞いた美夏ちゃんが、急ぎ帰り支度を整えてくれた。
それからマリーは、いつも乗る渡し船を避けて、六五朗橋を渡り、ひた走りに走った。渡し船の待ち時間が惜しかったのだ。六五朗橋は、朝鮮戦争が始まった年に完成した。そして翌年、パパが戦死した。学校からは、通学路は六五朗橋を使うようにと言われていたが、マリーは、あまりこの橋を渡りたがらなかった。渡し船に乗り遅れて遅刻しそうになると、同級生の美夏ちゃんは「六五朗橋で行こう」というのだがマリーは渡し舟を待った。でもその日は待てなかった。橋の両脇は、木の欄干だった。中央はトラスト橋という鉄の橋だった。
敗戦直後で、日本はまだ貧しく資材も不足していた。そこで鉄と木のハーフ&ハーフの珍しい橋である。高度経済成長を迎え日本が豊かになると、両側の木造部分も鉄の橋に変わった。しかし、この時期はまだハーフ&ハーフ橋である。
何故だかマリーは、青空を遮るかのような鉄の橋が嫌いだった。だからそこは更にスピードを上げて渡った。菜の花の香りが残る堤防では、風の神様がママを守れなかったお詫びにマリーの背を押してくれた。
息を切らせ家に着くと、すでにタクシーが待っていた。事態を知っている馴染みの運転手さんは、土埃りを巻き上げダットサンブルーバードを疾走させてくれた。その先は、あまりマリーの記憶にない。ただ、マリーの記憶には、白い真綿で顔を覆われていた百合の姿だけがいつまでも残された。
百合の葬儀は、祖父ちゃんの家で行われた。百合の遺体を火葬場に運ぶのは、オート三輪を持っている辰ちゃんが買って出てくれた。竜ちゃんの父ちゃんである。この頃には、辰ちゃんのオート三輪も、棒のハンドルから、丸い自動車のハンドルに変わっていた。春の土手を走りながらマリーが歌いだした。
♪ You’d be so nice to come home to You’d be so nice by the fire While the breeze on high sang a lullaby You’d be all that I could desire Under stars chilled by the winter Under an August moon burning above You’d be so nice, you’d be paradise To come home to and love~ ♪
運転しながら辰小父さんが「何の唄ね」と聞いた。ジョーは「オイ達のパパとママの唄たい」と答えた。辰小父さんは更に「何かえらい哀愁のある唄ばってん。どげな意味ね」と聞いた。ジョーは「君の待つ家へ帰れたら、どんなに素敵だろう。っいうような唄たい」と言った。すると辰小父さんは「ほう。そんならこれはアメリカさんの『かえり船』たいねぇ」と言った。戦争は、どこの国の家族だって引き離す。
ジョーは、菊池先生がサックスで「かえり船」を吹いたらジャズになりそうな気がした。そしてジョーは「熱い涙も 故国に着けば うれし涙と 変わるだろう」と呟いてみた。パパは、まだ朝鮮の空を飛んでいる。パパが帰れないのなら、きっとママが迎えに行ったのだろうと、ジョーは思った。
火葬からの帰り、ジョーとマリーは、村の沖底さんに寄った。すると昔と同じように仙人さんが、子供達に昔話を聞かせていた。今日の話は人さらいの話のようだ。ジョーとマリーは、子供達の後ろに座り、仙人さんの昔話に耳を傾けた。
かえり船 春の港に 君が待つ
~ 蒼龍を起こした春の娘 ~
私は夢を見ていた。春の木漏れ日、村の若者達の踊り、打ち鳴らされる太鼓の鼓動、水辺を飛び交う鳥の羽音、娘達は腰を振り、奇声を発しながら、軽快に飛び跳ねて舞う。中央には神様の嫁になる娘がいる。娘は何で泣いているの。それは悲しみの涙、それとも神様に召される歓喜の涙なの。娘の心は揺らぎ、一輪草の花のように頼りげない。けれど、その手足には、意外にも力がみなぎっている。あの娘は春の妖精だろうか。そして、あれは春の娘達の祭典だったのかしら。
新年の祝いを終えると、夏希義母ぁ様や、美曽野女王は、琴海さん親子の早船で帰国した。しかし、私と志茂妻は、春まで伊都国に留まることになった。カメ爺からの使者が、冬山を越えて臼王に伝言を届けに来たのだ。どうやら、アチャ爺と、テルお婆が、私のことを気遣ってくれたようだ。
私は、どうも冬になると、気鬱の病に罹かりやすいようだ。でも、ヒムカと、健がいなくなったあの冬に比べたら、今回は、可愛いスヂュン(子洵)が傍に居てくれる。私と志茂妻は、この決定にスヂュンを抱きしめて飛びまわり喜んだ。それに女王の職務は、香美妻お姉ちゃまがしっかりやっていてくれるので心配はいらない。きっと今頃はひっつめ頭に、サメ(沙魚)皮の鉢巻を巻いて頑張っていることだろう。だから、今回も、真珠を鏤めたようなサメ皮に劣らない、逸品を土産に探さないといけない。それともいっそ女王の席を土産に贈ろうか。今でも女王の責務は、実質的に香美妻お姉ちゃまが担っているではないか。私は香美妻お姉ちゃまの采配を、うんうんと頷いているだけである。やっぱり私には、政務は向かないようだ。その話を、臼王や、美曽野女王にすると、二人は腹を抱えて笑っておられた。
伊都国の冬は北風が強かった。それも晴れ渡った青空の下を、ビュ~ビュ~と唸りながら吹き抜けていくのだ。きっと、層々岐(そそぎ)岳や、磐羅(いわら)山に住むという山神様が、胸いっぱいに北の大地の息吹を吸い込んでいるのだろう。そして、寒風が運んだ雪を、脊振の山々に白く積もらせてくれるのだ。だから、ヤマァタイ(八海森)国は、冬でも暖かい。それから、寒風は、雪を溶かし寒水となり春を呼び田畑を潤してくれる。さぁ春よ来い。
……とは言っても、私は、積雪に白く覆われた、凍てつく冬の山海も大好きである。阿多(あた)国では、めったに見ることが出来ない白銀の世界である。熊人にもぜひ見せてやりたいものだ。きっと熊人なら大熊より大きい雪だるまを丸めることだろう。そして、きっというだろう。「今度は山より太か雪だるまば作ちゃるばい」と。嗚呼早く熊人や隼人に会いたい。そして、儒理と優奈の無事な顔も早く見たい。
ひと冬の間、私は志茂妻と一緒に、スヂュン(子洵)を抱きあやして過ごした。スヂュンは、二歳に成って可愛い盛りである。この娘は、南洋の風が遣わすマコト(誠)神スヂ(洵)の御霊が宿っているのだろう。物事の区別を、はっきりつけたがる質(たち)のようである。だから嫌なことは、頑として受け付けてくれない。別の言い方をすると、我がまま娘である。そして、頑固で意地っ張りである。
私が、臼王や、ククウォル姉様にそういうと、志茂妻が私を指さし笑っている。どうやら言葉には出さず、私に似ていると言っているようである。そして、臼王と、ククウォル姉様もうなずきながら笑っている。しかたない。どうやら私とスヂュンは、似た者同士のようである。
期待していた「意地っ張りを治す薬は作れていない」と、志茂妻は言った。それより加太は「そんな薬は不要だ」と言ったそうである。気鬱の病を抑える薬ならあるそうだ。きっとあの冬、加太が私に飲ませていた薬だろう。その作り方は、志茂妻も学んだそうである。でも意地っ張りは治す必要がないそうである。むしろ、意地っ張りは大事に鍛えた方が良いらしい。その方が厳しい世の中を乗り切れる力になるそうだ。それから意地っ張りになる子は、淋しがり屋が多いらしい。
だから、スヂュンがイヤイヤを言い出したら、やさしく抱きしめることにした。しばらくそうしているとスヂュンはご機嫌が良くなる。そして私の頼みを素直に聞いてくれる。きっと私を困らせまいと思ってくれているのだろう。
スヂュンは賢い娘なのだ。「お早う、こんにちわ、ありがとう」は、もちろんはっきり言うし、自分の名前だって言える。それに、お絵描きも上手だ、お日様や、入道雲も描けるし、大嵐の渦巻く風だって描ける。そして、お日様が、ククウォル母ぁ様で、入道雲は、臼王である。しかし、納得しがたいのは、私が大嵐なのだ。
志茂妻は、スヂュンの観察力に感心しているが、私には、とうてい納得がいかない。ただ、未だに私は、台風の夜が大好きではある。やっぱり、私の本性を見抜かれているのだろうか? 志茂妻は、「そうではなくて、思いついた時の勢いのよさが~~」と言うが、それは、やっぱり納得いかんプンプン!!
お転婆なスヂュンは、木登りが好きである。まだ大木には登れないが、小さな木の枝につかまらせると大喜びである。だから、“海が温るんできたら素潜りの技を教えよう”と、心待ちにしている。きっと機敏なスヂュンなら、直ぐに竜宮の亀より上手く泳げるようになるだろう。そうしたら阿多国の竜宮にも連れて行こう。きっとあの青い海中洞窟に、スヂュンは大喜びする筈だ。それから、スヂュンに合う真珠を取り出してやろう。それから、それから、あれも、これも…と、スヂュンの世話に明け暮れているうちに、もう桃の花が咲いた。待ちに待った春が来たのだ。
その日は、リーシャンが私と志茂妻と、そして、スヂュンの為に、スズシロ(清白)餅を作ってくれた。生地は、スズシロの根に米の粉を混ぜた物らしい。スズシロの根は、オオネ(於保根)といって花と同じ白い色の根っこである。
スヂュンは、菜物が大嫌いである。実は、志茂妻も菜物が嫌いである。そして、私は、やや嫌いである。葉物は苦いし、根物は筋っぽいので、大概の子供達は嫌いで当たり前である。でも、リーシャンのスズシロ餅は別である。葉物も根物もたくさん入っているのに、とても美味しい。私は、春の山菜の王様、土筆の甘辛煮を混ぜ込んだスズシロ餅が一番好きである。
スヂュンは、意外にも、菜花のおひたしを混ぜ込んだスズシロ餅が好きである。志茂妻は、白いままのスズシロ餅が好きである。それも蒸したてが一番好物らしい。私とスヂュンは蒸したても好きだが、やっぱり香ばしい焼きたてが好きである。
リーシャンの作るスズシロ餅は色んな種類がある。菜物だけではなく、エビやイカなどの魚介類や、シシ肉の腸詰などの肉類を混ぜ込んだものもある。そして、テルお婆が作る灰汁巻きにも負けないくらい美味しい。
リーシャンの故郷では、新年を迎える時に食べるらしい。そして、スズシロ餅の出来が良い年は、良いことが起きるそうだ。だからきっと、私にも良いことが起きる筈だ。だって、リーシャンのスズシロ餅は、上出来である。
三人でスズシロの昼餉を楽しんでいると、ククウォル姉様が興奮気味に駆け込んできた。そして、その後ろに儒理の姿が有った。私は、美味しいスズシロ餅が、涙に霞んで見えなくなった。
儒理は、シュマリ女将と、夏羽に守られて、須佐人と共に帰国した。そして、儒理は、見慣れぬ初老の夫婦を伴っていた。夫の名はソン(松)といい小柄だが俊敏そうな男である。妻はヨン(燕)といい色白で涼やかな女である。二人は、儒理の命の恩人だということであった。
シュマリ女将の話では、この夫婦が儒理を保護していてくれていた。二人は蜜蜂を飼う養蜂家だ。養蜂家は、花を追って各地を旅して回るそうである。暖かくなるとウェイムォ(濊貊)の国を北上し、秋風が吹く頃になると、今度は南下する。そして、蜂を冬眠させるため、マハン(馬韓)国で冬を過ごすらしい。
ソン(松)とヨン(燕)の夫婦は、子供に恵まれていなかった。そして初老に成りかけた年には、子を持つのは叶わぬ夢だと諦めていた。北風に追われ老いゆく二人は、ため息をつく日が多くなっていた。そんなある日、二人はマハン国の奴隷市場で、儒理と、優奈の二人が競りにかけられているのを見たようだ。
ヨン(燕)は、儒理を見止めると「あんた。有り金を全部だして」と、急かせて言った。だが、気品に満ちた儒理と、優美な優奈には既に高値が付いていた。しかし、ヨン(燕)は何としても儒理を我がものにしたかったらしい。そして、ふたりは、これまでこつこつと築き上げた全財産と引き換えに、儒理を買った。でも、全財産を亡くしても二人には笑みがこぼれていた。明日の暮らしがままならずとも、今は我が子を得た喜びの方が勝っていたのだ。
それから一年、三人は蜂と共に旅をした。儒理にとっても、それは蜜のような旅だったらしい。儒理は、母ぁ様の顔も知らない。父様の顔だって滅多に見ることはない。だから子がいない夫婦と、親を知らない子供は、やっと親子の情を味わっていたのだ。拉致や奴隷の売り買いはもちろん悪事である。でもその悪事の結果幸せな出会いが芽生えたのである。まさしく人生の縁とは異なものである。
善悪とは何なのだろう。アルジュナ少年なら「それも空(くう)です」と言うかも知れない。アル、あなたの悟りはもう目覚めたの? もう目覚めたのなら私に教えて「悪人もまた是なの?」……。でもアルなら「是非にあらず」と言うかも知れない。とにかく、儒理が無事だったことだけは、ほっとした。後は私のこの怒りをどこにぶつけるかである。私は是非も問わず心の中で刑刃を研いでいた。あれっ、やっぱり私って大嵐?
シュマリ女将は、儒理を送り届けると、再びジンハン(辰韓)国に戻った。弟のサンベ(蒜辺)を探すためである。そしてサンベから、優奈の行方を聞き出すのである。ソンとヨンの夫婦の話では、優奈は、上品な老夫婦に買われたそうだ。だが、二人は、その老夫婦の正体までは知らない。しかし、奴隷商人のサンベなら知っている筈だ。
儒理は、しばらく倭国に留まることになった。悪事はまだ解決していないのだ。だから、まだ儒理をジンハン国に戻すわけにはいかない。そして、ソンとヨンの夫婦も、倭国に留まることになった。二人は遊牧の民である。だから、そもそも祖国という概念がない。その為、倭国も異国ではない。蜂が繁殖出来れば、そこが祖国なのである。そして何よりも、二人は儒理と別れるのが辛かった。
そこで私は、ソンとヨンの夫婦を、儒理の後見役とし、ヤマァタイ(八海森)国の地に住まいを与えることにした。ソンの話では、ヤマァタイ国の気候は、蜂達のもっとも好む環境らしい。そしてほぼ一年中花が咲いている。春は、菜の花やスズシロ、夏には、オミナエシ(女郎花)にアザミ(薊)、秋には、キキョウ(桔梗)、そして冬には、梅の花が咲き乱れている。ソンに言われて、私はヤマァタイ国が、花の国なのだと改めて気付かされた。
中でも、シャー(中華)の初夏の田圃に咲く、ゲンゲ(紫雲英)の花から採れる蜂蜜は、格別らしい。そうならと私は、ゲンゲをカメ爺に頼んで取り寄せようと算段を始めている。それに、ウネ(雨音)の話では、田圃の肥料にも成るそうだ。
私が、ソンとヨンの夫婦を、ヤマァタイ国に連れ帰ると、テルお婆とリーシャンは、早速蜂蜜の使い分けを、ソンとヨンに伝授してもらい始めた。二人の住まいは、スズシロの野を開かせて建てた。
そこで、ここを於保(おぼ)の里と呼ぶことにした。程なく於保里(おぼり)には、養蜂を習おうという者達が集まり、村を成し始めた。倭国でも、村々で楽しみながら小さな蜜蜂の巣を造り、或いは、スズメバチの大きな巣を襲いに行くことはあった。しかし、専業として蜂を飼う者はいなかった。ところが、リーシャンが蜂蜜を使った料理を広めた為に、蜂蜜人気が急上昇したのだ。確かに、こんなに甘くて、美味しい食べ物は他に無い。どんな悪ガキ供でも「蜂蜜入りのお菓子を褒美にやるぞ」と言えば、何だって素直に聞くのである。だから、於保里は養蜂家の村になった。
儒理がいうには、蜂にも個性があるそうだ。気性の激しい蜂や、優しい蜂、それに陽気な蜂や、陰気な蜂までいるらしい。儒理は、すっかり虫博士になっている。もともと儒理には、凝り性なところがあった。だから十歳を超えた今は立派な学徒である。蜂に始まり、ウンカや、糞虫まで調べている。どうやらウネと同じように、農学に生かそうと考えているようだ。我が弟ながら感心させられる子である。私は七つも歳上なのだから、もう少ししっかりしないといけない。だけど、何をどう改めれば良いかは、分かっていない。とにかくまずは、少しだけ頑張ろう。
儒理が倭国に留まることになったので、夏羽は、一旦斯海(しまぁ)国に戻ることにした。やっと弟との名乗りが出来たのに、早々に別れることになり、夏羽は不満げである。しかし、夏羽は、斯海国の族長見習なのだ。それも、妹の私が見ていても、未だにどこか頼りない跡取りである。だから、そうそうヤマァタイ国で遊んでいる訳にはいかない。ということで、渋々斯海国に帰って行った。
別れ際に夏羽は、儒理の小さな肩を抱いて「また、兄(あん)しゃんと、あの高来之峰 (たかきのみね)に登ろうなぁ。なっ、なっ、約束だぞ」と、執拗に約束を取り付けていた。そういえば、高来之峰に咲く花々の蜜も美味しそうである。私も儒理を伴って、高来之峰に出かけよう。そして、ソンとヨンの夫婦に、蜂蜜採りを習うのだ。
蜂蜜を沢山集めたら、今度は、家族そろって高来之峰から、ヤマァタイ国を眺めよう。それに今度行く時は、香美妻と、志茂妻も連れて行かなきゃいけない。二人とも自分の故郷を天上から見下ろしたことは無い筈だ。磐羅山に比べたら、大変な登山だけど二十四人衆の輿に乗せれば大丈夫だ。でも私は、今度も夏希義母ぁ様から貰った革のサンダルを履いて自分の足で登るのだ。と素敵な妄想を巡らせた。
須佐人は、儒理の無事を確かめたので、安心して交易の勉強をしている。そして、今は、巨健(いたける)伯父さんの名代で、稜威母に出かけている。須佐人が、稜威母まで出かけることを聞いた私は、高志まで足を延ばし、ヨンオ(朴延烏)様へ使いをするように頼んだ。儒理の無事も知らせたかったが色々相談したいこともあったのだ。
天之玲来船 (あまのれらふね)には、土産を沢山積んで置いた。父の形見であるサメ(沙魚)の皮帯を「本当は、日巫女様にこの命を捧げたい。しかし、命を絶つわけにはいかないので、命の次に大事にしているこの皮帯を捧げたい」と言って手渡してくれたイマロ(猪馬)には、柄に真珠を埋め込んだ鉄剣を贈ることにした。イマロは、きっと立派な武将になる筈だ。だから、それにふさわしい剣である。
安曇様や、カガメ(蛇目)様の家族にも、それぞれそれにふさわしい土産を選んだ。でも、土産を選んでくれたのは、太布様である。世知に疎い私は、イマロの剣以外は、変な物ばかり選び出していた。だから見かねたカメ爺が、世知に長けた太布様に、品定めの指導を頼んだのだ。
例えば、私は、カガメ様に豚革で作らせたサンダルを贈ろうとしていた。ヨンオ様には、アカアシエビの干物を選び、セオ(細烏)様には、ティェン・シャン・ファ(天上華)の球根が良いかと思っていた。安曇様には、千歳川の砂鉄を袋にいっぱい詰めた。もちろん私が川原で集めたのである。どれも、これも、みな私の好きな物だから、きっと喜んでもらえると思っていた。
しかし、その土産の数々を見て、アチャ爺は、吹き出し笑い転げていたし、テルお婆は、困ったものだと頭を抱えていた。太布様の指導では「贈り物は、自分の好きな物ではなく、先様の好きな物を思い描いて贈るのです」ということだった。でも、先様の好きな物等どうしたら思い描けるのだろう……? どうやら、私はまだまだ未熟者のようだ。太布様、当分ご面倒をおかけます。
天之玲来船の船長は、秦鞍耳である。そして、須佐人と、鞍耳は一年ほど交易の旅を続けるのだ。天之玲来船が鯨海を旅している間、私の道行は、風之楓良船が担ってくれる。船長は、馴染み深い表麻呂である。
そして今、風之楓良船は、狗奴国を目指している。表麻呂船長も風之楓良船も、狗奴国再建の為に何度も行き来した航路だ。だから不安は無いのだが私はわくわくしている。何故なら、私は風之楓良船で長い航海をするのはこれが初めてなのだ。
風之楓良船は、縫合船なので船体に弾力が有り荒海に強いと聞いている。それなら一度位台風の荒波を航海したいものだ。だけど、まだ初夏だから台風の季節ではない。でも、風変りな台風が北上してくるかも知れない。そうしたら、どれ位の大波までなら乗り切れるのだろう。
だけど、もし縫合している縄が解けたらどうしよう。表麻呂は、手早く結びなおすのだろうか? などと、要らぬ心配をしながら船体を眺め回したがどこにも結び目が無い。たとえ撚りをかけながら縄を繋いでいったとしても、端は必ずある筈である。その端と、端の結び目は、どこにあるのだろう???……。
穏やかな波に揺られながら船楼に横たわり、その不思議を思い、私はなかなか寝付けなかった。よし!! 朝になったら、表麻呂を叩き起し聞き出してやろう。そう思って深夜にやっと眠りに就けた。
夜が明けた頃、阿多国の浜が見えてきた。既に、儒理は、舟縁に立ち、懐かしい故郷の海を眺めていた。私は、儒理の無事を皆に見せたくて、この旅を思い立ったのだ。女王代理は、また太布様にお願いした。迷惑の掛けついでである。アチャ爺と、テルお婆も、優奈の無事が確かめられていないので、ヤマァタイ国から動けなかった。
でもさすがに、今回は香美妻を置いて行くわけにはいかない。それにきっと、香美妻も、狗奴国の再興を確かめたい筈だ。だから、ニヌファ(丹濡花)の手を引いて香美妻も舟縁に腰を降ろしている。それから、志茂妻には、初めての南国の旅である。私は早くヒムカに、志茂妻を会わせたかった。これでヒムカも、徐(じょ)家の三姉妹を皆見知ることが出来るのだ。もちろん、チャピ(茶肥)も久しぶりの里帰りである。だから、船の揺れに負けない位、尻尾を振って上機嫌である。
阿多国の浜は、私達が国を出た時よりも大勢の人が出迎えてくれた。もちろん、隼人と、熊人は、大粒の涙を流しながら儒理に抱きついてきた。これに、健が加われば、仲良し四人組が揃うのだが残念である。
儒理の無事な姿を見て興奮気味に大暴れしていた熊人と隼人は、ニヌファを紹介すると、急におとなしくなった。ニヌファも、熊人達と同じ歳である。そして、阿多国の村々では見かけることがない優美な娘である。隼人が、儒理にそっと「お前のお妃候補か?」と囁いた。儒理が違うというと、隼人が熊人に耳打ちした。すると熊人は、カゴンマ(火神島)の爆発より大きな声でウォ~~と叫んだ。私は香美妻を見て苦笑するしかなかった。
あまりにも大勢の人が集まってくれたので、お祖母様の家には入りきれなかった。そこで白砂が広がる浜で、儒理の生還祝は開かれることになった。ここなら、お爺達の酒の肴にも事欠かない。そして、メラ爺も、アカアシエビの干物を手土産に駆けつけてくれた。
ヒムカが帰還して以来、今ではアマ族とクマ族は、膝を寄せ合い暮すようになった。だから、近隣のクマ族も大勢祝いに駆けつけてくれたのだ。日が落ち篝火が焚かれると、皆は儒理の「奈落巡りの話」に耳を傾けた。南洋の民にはウェイムォが住む北の大地は、あの世である。その世界を旅して生還した儒理は、既に英雄扱いである。
クマ族の間では、今や、現つ神(あきつかみ)の健と人気を二分しているらしい。私にしてみれば、儒理と健を誇りたいような、それでいて、迷惑な話でもあるような如何ともしがたい気持なのであるが……。しかし、皆は是非を問わず儒理の「奈落巡りの話」に心を奪われている。パチパチと、篝火が弾ける音を立てて、夜空に火の粉の星を散りばめた。そして、揺れる灯りに顔を染められた儒理が静かに語り始めた。
《 儒理が語る人買いサンベ(蒜辺)の物語 》
私は王妃様に呼ばれたので、東宮を出て後宮へ向かいました。この数日、アマ(阿摩)に会えていなかったので、弟に会うのがとても楽しみでした。アマは、今が一番可愛い盛りなのです。
ところが私は、東宮の門を潜った処で、何者かに襲われ袋に詰め込まれたのです。賊は数人でしたが、皆腕っ節が強く、お付きの者達は、あっという間もなく倒されました。武器は持っていなかったので当て身だったようです。
その時、不遇にも優奈姉様が、その場に現れました。優奈姉様は、私のことが気がかりになり会いに来たようです。数日前にいやな夢見をし、私に良くないことが起きる予見がしたのです。そして、その不安が抑えられなく成り訪ねて来たのです。
私達は、何度か食事を与えられ、用を足す度に袋から出されました。しかし、いつもそこは、薄暗い納屋の中でした。そんなことを繰り返しながら、やっと縄と猿轡を解かれて自由の身になれたのは、ウェイムォ(濊貊)が暮らす村でした。かなり北方にある村だったのでしょう。すでに、朝夕はかなり冷え込んでいました。
それから、村長はオハと呼ばれていました。どうやら、私達を浚った悪党と、オハ村長は知り合いのようでした。でも村人達は、悪党の仲間ではなく普通の北方の民のようでした。オハ村長は、大きな人で怖そうな顔をしていました。でも声だけはやさしく、いつも穏やかに話しかけてくれました。
オハ村長は、悪党の頭をサンベ(蒜辺)と呼んでいました。サンベは、厳つい顔をしていました。赤黒い皮膚に、深く切り立ったような頬骨、そして、その奥に、悲しみの深淵のような目がありました。でもその目は、殆ど閉じられていました。まるで何も見たくないのか、あるいは何かの情景をその瞼の裏に刻み忘れないようにしているのか。いずれにしても、とても悲しそうな顔をした男でした。
私達が村に到着して程なく、村の近くを流れる川に鮭が昇って来ました。この時からふた月ほど経つと、川が凍り始めるそうです。そして春が来るまで村は氷に閉ざされます。だから、ひと冬の食料は、この鮭に頼ることになるそうです。
鮭漁はとても楽しく、まるでお祭りのようでした、村人全員が、ワイワイとはしゃぎ、鉤棒や、網や、笊などで鮭を捕まえるのです。私と、優奈姉様も、村の子供達と一緒になって鮭を掴み捕りました。それで村の子供達とは、すっかり仲良しになりました。
鮭は干し、更に煙で燻して保存食にしていました。面白かったのは、川が凍る時期になると切り身にした鮭を凍らせるのです。その凍った鮭の切り身を、小刀で薄く削り取り食べるのですが、これがとても美味しいのです。確かスリアクと呼んでいました。
村が、雪と氷に閉ざされると、子供達は良く相撲を取って遊びました。この遊びが一番温まるので、女の子も一緒になって、相撲を取って遊ぶのです。優奈姉様は、年長なので小さな子供達は、一度に数人がかりで挑んでいました。そして気づいたのですが、この村では、小さな子供達は多いのに、優奈姉様位の年頃の子がとても少ないのです。どうやら、優奈姉様位の年頃になると、殆どの子供は売られて行くようでした。そして、子供達を売りに行くのも、サンベ(蒜辺)の仕事のようでした。
でも、意外にもそんな人買いサンベを、村人は有難がっているのです。それは、サンベが、良い買主を選んで、子供達を売るからだそうです。奴隷だったオハ村長と、サンベは、買主には恵まれていなかったようです。何度も売り渡され、その度に待遇が悪くなったそうです。だから、二人で逃げ出したのだと、オハ村長が話してくれました。でもそんな辛い話を、オハ村長は、楽しそうに面白おかしく話してくれるのです。だから、囲炉裏火を囲んで子供達は聞き入っていました。
オハ村長は、大きなお腹に、熊のような体つきなのですが、声の響きがやさしいのです。だから、子供達は、オハ村長が大好きでした。今にして思えば夏羽兄上に似ていましたね。歳も近いようでしたし、あの時夏羽兄上を見知っていれば、私は、もっとオハ村長に親しみを感じたかも知れません。
ある時、サンベの手下数人が、優奈姉様を乱暴しようとしました。私も必死に優奈姉様を守ろうとしましたが、手ひどく殴られ土間に転がされてしまいました。すると、その騒ぎを聞きつけオハ村長が小屋に入ってきました。そして、一緒に来たサンベを振り返ると「困ったのう。お前の手下を、殺める訳にもいかんしのう」と言いました。するとサンベは「困らんでも良いさ。お前の好きになようにせい」と吐き捨てるように言いました。
オハ村長の殺気に怖気ついた手下は「お頭!!そんな薄情な」と、サンベに助けを請いましたが「だから、ここに来る前に言って置いただろう。村長の気に触れることだけはするなよと。そして、こいつは、娘を手ごめにする奴が、殺したいくらい嫌いなんだよ。それに、好々爺の面をしているが、お前等より百倍恐ろしい男よ」と、突き放すように言いました。
サンベが、私と優奈姉様を外に連れ出すと、小屋の中からは熊に襲われたような叫び声が聞こえてきました。その日から、私と優奈姉様は、オハ村長の小屋で暮らすように成りました。オハ村長は、独り身でしたから、私と優奈姉様の最初の仕事は、部屋の中の大掃除でした。
村の男達は、夜が明けると集会所に集まり、狩りの準備をしました。あまり収穫は良くないようでしたが、子兎一匹でも冬の厳しい食糧事情の役には立ちました。そして、時より虎狩りに変わる時も有りました。虎は、普段はおとなしい生き物だそうです。でも、人に襲われそうになった時や、あるいは、死ぬほどの空腹になると、時には人を襲うこともあるそうです。だから、村の近くに虎が出ると、虎狩りを行うのです。でも虎狩りで命を失う男達も少なくないようです。その為、虎狩りの朝は、男達も気が立っていました。
そこで気を静める為なのか、妙な儀式を行うのです。まず、集会所の中央にある桶に向かって皆で小便をするのです。それから、その小便で顔を洗い始めるのです。顔を洗い終わるとふ~っと、白い息を吐き、皆引き締まった顔になりました。
暖かい時期には、川の水で顔を洗うそうですが、今は凍っているので水は汲めません。煮炊きや、飲み水のように、雪玉を火で融かせば良い気もするのですが、そんな手間をかけるより、小便の方が早いのだとオハ村長は言っていました。
どうやら、この儀式は、禊に近いもののようでした。それに小便で顔を洗うと、寒風にも耐えられるというのです。仕方がないので、私も同じように小便をして顔を洗いました。でも思ったほど、厭な匂いはしませんでした。小便だと知らなければ、少し黄ばんだ温かい水だと思えたでしょう。
ふと気がつくと、小さな女の子が、そっと麻の布を差し出してくれました。その麻の布で顔を拭きとると、男達が不思議な眼差しで私を見まわしていました。そして、オハ村長が「この子は、最後の五帝かもしれんなぁ」というと、皆が高らかに笑い出だしました。その日から私は、村の男達に「おい若大将」と声をかけられるようになりました。それに子供達も、以前にまして私を仲間扱いしてくれるように成りました。
後で加太先生に小便の件を話したら「周辺国では、ウェイムォ(濊貊)の民は糞尿で顔を洗う不潔な輩だといわれている。だが、世界中を見渡すと、顔も洗わず風呂にも入らん人間の方が多いのだぞ。それを、小便ででも顔を洗おうとするのは、逆に潔癖症ともいえるかも知れんぞ。それに、糞と尿は全くの別物だ。糞は食べカスの末路だが、尿は気の源の一つだ」と言われました。
尿は、血の仲間らしいのです。尿は、血から作られ、大半の尿は、また血に戻るそうです。そして、いらなくなった塩分と、水分を尿として体の外に出すのだそうです。砂漠の民は、水が無くなると駱駝の小便を飲んで喉の渇きを癒すそうです。大秦国では、肌艶が良くなると、小便で体を拭くそうです。
川の氷が解け始め、春の兆しが見えた頃、村では春の祭りが行われました。ある朝“アカゲラの鳴き声が聞こえてきた”と、思って目を覚ますと、村の娘が鳴らす奇声でした。どうやら春の娘の踊りが始まるようです。表に出て様子を見ていると、男達が太鼓を規則的に打ち鳴らし始めました。それから、丸い顔に、細い目の娘達は、皆愛らしい笑顔で鳥のように飛びはねて踊り出しました。
すると、どこからか淋しげな声が聞こえてきました。耳をすますと、それはピミファ姉様の声でした。でも「儒理、優奈大丈夫なの」と、声だけはするのですが、姿はどこにも見えません。「そうか、これは姉様の生口(いきくち)なのだな」と、気づき優奈姉様に「姉様、大丈夫だよ。私達は、ピミファ姉様の力に守られているよ」と、言いました。優奈姉様も「そうね。きっと、ピミファが私達を守ってくれているよね」と、頷きました。私達は、もうすぐこの村を出て売りに行かれるのだと薄々気づいていました。今楽しそうに歌い踊っている娘の大半も、私達と一緒に売られていくのです。だから、この春の祭りは別れの祭りでもありました。
私達が連れて行かれたのは、マハン(馬韓)国の海辺の町でした。暖かな風が吹き、春の花々が狂おしい程に咲き乱れていました。奴隷市場に着くとサンベは、優奈姉様を、宮殿で着ていた服に着替えさせました。でも私は、村の子供達と同じ恰好のままで、更には顔には煤を塗りつけ頭からは土埃を被せました。姫様の装いの優奈姉様には高値が付いていたようです。でも私は、このなりでは安値しか付かないでしょう。何故、サンベは、わざわざ私を安値で売ろうとしたのか、理解できませんでした。
でも今は、優奈姉様は、少しでも苦労のない先へ、私は多少の苦労はしても、いつでも逃亡できる、格式の高くない者に売ろうと考えたのだと思います。それは、オハ村長と、サンベ自身の体験でもあります。だから、オハ村長は、その逃亡の手口を何度も話してくれたのだと考えています。
私は、売られて行きながらオハ村長と、サンベの名をしっかりと心に刻みました。だから不思議な位に、私には悲壮感が有りませんでした。不幸な出来事も、楽しく語ればいつかは楽しい思い出になる。そう、オハ村長から教わった気がしています。そして、売られて私は幸せを掴みました。
薄汚れた私を買ってくれたソン(松)父さんとヨン(燕)母さんは、蜂を冬眠させるためマハン国で冬を過ごしていました。そして旅立ちの日に、何気なしに奴隷市場の傍を通りがかったのだそうです。
養蜂は定住しても行えますが、同じ処に巣箱を置くと色んな花の蜜が混じって採取されます。だから一つの花の蜜だけを集めたい時には、その花が咲く土地を巡って養蜂をします。その為一か所に留まるのは、せいぜい半月ほどです。まるで旅芸人のような暮らしですよね。でも旅芸人と違うのは、蜂を冬眠させ、そして女王蜂に新しい蜂の子達を産ませる為に、半年近くは一か所に留まるのです。
ソン父さんとヨン母さんの場合は、それがマハン国の海辺の町でした。だから家屋敷も、その町にあったのです。でも今は、私を買うために、その家屋敷を売ってしまいましたので一年中天幕での暮らしです。だからその冬は、とても寒い思いをしました。
私達は、初夏にマハン国を旅立ち、ピョンハン(弁韓)国から、ジンハン(辰韓)国を、北上し秋には再びウェイムォ(濊貊)の村の近くまで行きました。だから、ソン父さんとヨン母さんに頼んで、オハ村長にも会いに行きました。
オハ村長や、村の人々は、私の幸せそうな姿を見てとても安心したようでした。それから蜂蜜も沢山買ってくれました。お代はお金ではなく、毛皮や鮭の乾物です。鮭の乾物は、マハン国に帰ると高値で売れました。そして毛皮は、冬の天幕暮らしを凌がせてくれました。
サンベには残念ながら会えませんでした。きっと、どこかで悪事に精を出しているのでしょう。私は、シュマリ様が迎えに来るまで、誰にも身上を明かしませんでした。もし身上を明かせば、きっとソン父さんと、ヨン母さんは、私を王宮に送り届けたはずです。しかし、王宮には私の存在を喜ばない人達もいます。だから、身の安全が確かめられるまで、王宮には戻らない方が良いと思ったのです。そして何より、私はソン父さんと、ヨン母さんとの暮らしが楽しかったのです。
父上の後ろ姿を見ていると、王とはとても辛い職務のようでした。私は「このまま養蜂家になり、花を追って生きたいものだ」と、願い始めていました。それに蜂は、とても面白い生き物です。数万の働き蜂達は、皆女王蜂の子供なんですよ。人間だったら、どんな肝っ玉母さんだって、一人で産める子は、せいぜい十数人ですよね。それを女王蜂は、一匹で数万の蜂の子を産むんですよ。すごいですよね。そして生まれた数万の蜂は、次に産まれてくる弟や妹、或いは甥っ子や、姪っ子の為に、せっせと花の蜜を集めるのです。健気な生き方ですよね。自分の欲を満たすためだけに生きていくより、とても満たされた生き方だと思いませんか。私もそう生きたいものです。
私達が、マハン国の海辺の町で寒い冬を越していると、ソン父さんが、町でシュマリ様の一団がジンハン国の王子を探していると聞いてきました。その歳格好が、私に似ていたので、帰宅したソン父さんは、私の身上を訪ねました。シュマリ様を遣わしたのが、ピミファ姉様だということも分かりましたので、私は身上を明かしました。
それから、シュマリ様が現れ、私は王宮に戻りました。その時、シュマリ様は、ソン父さんと、ヨン母さんに「どうしますか? 付いてきますか?」と、尋ねました。もし、この町に残るなら、元の家屋敷に倍する土地を買い与えるとも言ってくれました。でも嬉しいことに、ソン父さんと、ヨン母さんは私を選んでくれました。
王宮に戻っても、私と優奈姉様を、拉致させた黒幕は明らかに成っていませんでした。そこで、父上は、シュマリ様に、私をしばらく倭国に匿うように頼みました。それから、私が帰国する前には、須佐人兄さんと、夏羽兄上を、蘇志摩利から呼び戻し、父上に目通りさせました。そこで、シュマリ様が、夏羽兄上が父上の子であることを明かしました。父上は、大そう驚かれましたが、私を抱き寄せると「儒理よ。良かったなぁ。お前に、こんな逞しい兄がいて」と、涙声で言われました。それから長い間、夏希義母ぁ様の今の様子をお尋ねでした。そして「うん、そうか。うん、そうか」と、相槌だけを打たれていました。きっと、切なくて今にも涙が溢れそうだったのかも知れません。最後に「ナツハ(夏羽)よ。今度は私の孫供を大勢連れて顔を見せに来てくれ」と、夏羽兄上の大きな肩をやさしく叩かれました。ここまでが、この二年余りの間で私が経験した出来事です。こんな話で、退屈では有りませんでしたか?
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と、儒理の冒険譚は語り終わった。
突然グワーングワーンと、項(コウ)家のハク(伯)爺が銅鑼を響かせた。そして、田家のオウ爺が、規則正しく太鼓を鳴り響かせた。それから、徐家のフク爺が、笛の音を流し始めると、ニヌファ(丹濡花)が静かに舞い始めた。その舞いに合わせて村人も静かに踊りの行列を作った。そして、儒理と、ソンと、ヨンの三人を囲み、踊りの行列は円になった。その祈りの円舞は、浜を照らす篝火が朝日に変わるまで悠々と続いた。
~ ヒムカの婿選び ~
翌日は、懐かしの我が家で、儒理も、私も、のんびりと過ごした。ニヌファと、香美妻、志茂妻の三人は、お祖母様と、村の巫女達に伴われ、森で一夜を明かした。だから、朝日を顔に浴びて森から戻ってきた三人は、神々しさを帯びていた。お祖母様は、きっと三人に、それぞれに合った秘儀を授けてくれたに違いない。
風之楓良船は、ゆっくりと、昼過ぎに出航した。阿多国から、狗奴国までは、一日で航海できるのだが、私は、枚聞(ひらきき)山の麓で停泊し、砂の温泉で一晩過ごすことにしたのだ。それに、野営は項家二十四人衆がいるので快適な筈である。そして、何よりも、この珍しい温泉で、ソンと、ヨンの夫婦を慰労したかったのだ。
今回は嵐も近づいていないので、カゴンマ(火神島)の海には入らず、外海から、ヒムカが暮らす、ナカングスク(中城)に直接行くことにしている。だから、始羅(しら)の港では無く、山門(やまと)の丘が見える河港の美々津を目指している。その為、野営地も知林島の浜では無く、枚聞山に夕日が沈む浜に設けることにした。
そして、そこにはウネ(雨音)が迎えに来ることになっている。私は久しぶりにウネと会えるので楽しみにしているのだが、香美妻は、私以上に上機嫌だ。それから、今回は隼人と、熊人も伴うことにした。既に、村の皆も、風之楓良船の安全性を信頼している。だから、今回は熊人の乗船を許したのだ。そして、熊人は、初めての長い船旅に興奮気味である。だから、珍しく無口である。もちろん、不機嫌な訳ではなく緊張しているのだ。
程なく仲良し三人は、船内を所狭しと走り回り始めた。もちろん、チャピ(茶肥)も仲間入りである。私は、ニシグスク(北城)で、仲良し四人組がはしゃぐ姿を、今から楽しみにしている。今回は、健も間違いなく待っていてくれるそうだ。メラ爺は、今回も船には乗らなかった。やっぱり、船板一枚は信用できないらしい。確かにメラ爺の足なら、山道の方が確かかも知れない。そして、ニシグスクで待つそうだ。だから、私はメラ爺に「くれぐれも健がどこにも行かないように見張っていてね」と頼んでおいた。
枚聞山の浜には、既にウネが天乃磐船で到着していた。そして天乃磐船には、ホオリ(山幸)王が沢山の海の幸、山の幸を持たせてくれていた。今回は、テルお婆がいないので、大きな塩釜料理は無い。でも代わりに、リーシャンが付いてきているので南洋料理である。それに“今回の日巫女様の巡幸には、倭国一の料理名人が同行している”と、いう噂が流れているので、周辺の村々から大勢の女将さん達が手伝いに押し掛けた。もちろん、噂を広めたのはメラ爺である。
それから男達は、秘蔵の焼酎をそれぞれ抱きかかえて集まってきた。だから浜は、まるで村祭りのようである。そして、もちろん、野営地を造り終えた項家二十四人衆が踊りの主役である。
砂の温泉にすっかり身も心も温まったソンと、ヨンの夫婦も踊り連に捕まっている。困ったことに、熊人と、隼人も踊り連の後継者に成っている。このまま行けば熊人は間違いなく、アチャ爺の後継者である。
でも熊人がお爺さんに成っても、相方の加太は、相変わらずの姿だろうか? 龍人の寿命は、数千年らしい。加太はもう何千年生きているのだろうか? それに龍人の血を引く私や儒理の寿命はどうなるのだろう。お祖父様のイルソン(逸聖)王は、百歳近くまで健在だった。やっぱり我が家は、長生きの家系なのだろうか。
嗚呼~嫌だ。嫌だ。私はその半分で構わない。皆と同じように四~五十年も生きれば十分だ。でも儒理はどう思うだろう。賢い儒理は、悲しみの人生も、うまく生き抜くかも知れない。今回だって北の奈落から這い上がってきたではないか。そう儒理なら大丈夫。
日頃おとなしい儒理も、熊人と、隼人に手をひかれ楽しそうに踊っている。本当に良かった。私は小躍りしたい気持ちを抑えて、志茂妻と静かに、リーシャンの南洋料理に舌鼓を打っている。でも香美妻は、料理どころでは無い。狗奴国復興で奮戦していた香美妻は、ウネとの距離もちゃっかり近づけていたようだ。やるなっ香美妻お姉ちゃま。
翌日の夕暮れ前には、山門の丘が見えて来た。チャピは故郷の浜が見えると、興奮気味に尻尾を振っている。でもヒムカの愛猫チャペは、あの災害の後から姿が見えなくなったそうだ。私は、ニヌファとふたりで、チヌー(知奴烏)小母さんの面影を胸に描いて、海に向い静かに手を合わせた。今頃はきっと、お祖父様とユイマル(結丸)親方に抱かれて、海の彼方で幸せに暮らしている筈だ。でも会えないのは、やっぱり辛い。私は、ニヌファをそっと抱き寄せた。
ヒムカは、ニヌファのことを思い、今回も歓迎の宴席を、天海(あまみ)親方の屋敷で開いてくれた。猪月(いつき)夫婦と「烏羽猿(うわざる)でぇ~す」「拿加猿(なかざる)でぇ~す。」「鼠子猿(そこざる)でぇ~す」「三人合わせて、イツキの山猿でぇ~す」のイツキの子の姿も見えた。今ではヒムカのお気に入りで、ヒムカへの使いで斎殿(さいと)へ登るのは、もっぱらこの三人らしい。
女将さんのマンノ(万呼)さんは、サラ(冴良)、フラ(楓良)、レラ(玲来)の三姉妹と、宇沙都(うさつ)にいるそうだ。昨年の秋に、那加妻は、無事ホオミ(火尾蛇)大将の子を産んだ。だから、親子の世話をマンノさんがやってくれている。
私と香美妻が、待ちに待っていたその子は娘である。ヒムカが名を降ろし、豊月女(とよつくめ)と呼ばれている。そして、月読の巫女になる筈だ。豊月女は、高木の神の娘であり、南洋の火の巫女チチカ(月華)姫の血も引いている。そして、ヒムカの母ぁ様チチカ姫は、月読の巫女でもあった。
豊月女は、よちよち歩きまではしていないだろう。だけど、私達の顔を見て嬉しそうに笑ってはくれる筈だ。香美妻と、志茂妻は、もう伯母さんと叔母さんに成ったのである。だから二人は、豊月女の為に沢山の土産を、風之楓良船に積んでいる。
ホオリ(山幸)王は、卯伽耶(うがや)を伴って待っておられた。卯伽耶も四歳に成り凛々しい顔つきに成ってきた。兄の健は、徐家の血を引き女神様と見紛うように美形だが、卯伽耶は、ワニ族(鰐)の血を引いているので男らしい面構えである。もう小さなフカ(鮫)なら、ひと突きにしてしまいそうに逞しい。
でもやっぱり四歳の幼子なので、香美妻の顔を見たら飛びついてきた。香美妻は、狗奴国にいた間に、卯伽耶ともすっかり仲良しになったようだ。玉海は、卯伽耶の母親代わりだが、まだ十四歳である。だから二人は、どう見ても歳の離れた姉弟である。ホオリ王の玉海への接し方も、まるで愛娘を愛でるようなので知らない人が見れば、三人はやっぱり親子である。
そして、ホオリ王は、新しい王妃を伴われていた。すらりと背が高い方である。須佐人の背の高さと変わらないかも知れない。表麻呂の物差しでは、九尺と一束(注釈:メートル法では約170㎝)という高さだ。私は、九尺(約162㎝)らしいから、ホオリ王とほぼ同じ背の高さだ。それでも、すでに周りの男達より背が高いので引け目を感じている。
なのに表麻呂は「日巫女様は、まだ成長期だから、九尺と一束は、ゆうに超えそうですね」と言っている。嗚呼~嫌だ。私はせめて、香美妻と同じ八尺と一束半(約156㎝)まで縮みたい。香美妻だって、倭人の中では背高美人である。きっと男の子達は、自分より背が高い大女は敬遠するはずだ。更に九尺と一束を超えたら、皆は私と話す時に見上げるようになる。毎日見上げる大女を妻にしようとする男は少ないだろう。嗚呼~私の婚期は、どんどん遠くに離れていくようだ。
だから、ホオリ王の新しい王妃に、私は強い連帯感を感じた。王妃の名は、吾佐羅 (あさら)と言われた。対蘇(つそ)国の方らしい。対蘇国は、健が治める狗奴国のニシグスク(北城) に接している山国だ。対蘇国の族長は、鬼八(きはち)という方で、吾佐羅様は、鬼八族長の娘だ。
鬼八族長は、鬼(き)国の出身で、やはりサラクマ(沙羅隈)親方と同じ種族だ。だから、吾佐羅様も大女に育ったのだ。私と似た出自である。更に、鬼八族長の妹吾蘇舞(あそぶ)様が、ラビア姉様の母ぁ様だった。だから、吾佐羅様と、ラビア姉様は従姉妹であり生まれた年も同じらしい。そう聞かされて、私はますます王妃に親近感を抱いた。
私が大女の悩みを打ち明けると、ホオリ王と、吾佐羅王妃は腹を抱えて笑われた。そして、王が「何をお悩みになるのです。すでに皆は、日巫女様のことを心の内で見上げ感謝しているのですよ。少なくとも、狗奴国の民で、日巫女様を見上げぬ者はおりませんぞ」と、おっしゃったが余り慰めにはならなかった。
鬼八族長の先祖は、山の民と、楚人が混じって生まれたらしい。楚の亡民は、倭国に逃れると、華奴蘇奴(かぬすの)国を造り、その華奴蘇奴国の民が山に分け入り、山の民と雑じり対蘇国を建てたそうである。華奴蘇奴国は、斯海国と同じ規模で一万戸・六万人程の大きな国だ。
対蘇国は、巴利(へり)国や、烏奴(うの)国と同じ位で、千戸・六千人程の小さな国である。地理的には、私の生まれ故郷である阿多国から北へ向い、英袮(あくね)の港があるのが烏奴国。波留(はる)お婆や、メラ爺と出会った温泉国が巴利国。
そしてラビア姉様の鬼国。更にその北には、蘇奴(そぬ)国が在り、更に更に北には、華奴蘇奴国がある。蘇奴国も、やはり楚の亡民が移り住んだ国らしく、規模も華奴蘇奴国と同じである。華奴蘇奴国と、蘇奴国は、楚の亡民なので倭人であり海人族である。だから、徐家との繋がりも強く倭国統一同盟に属している。
対蘇国は、山の民であるクマ族との共立で成り立っているので、中立派のようである。対蘇国の北には、カゴンマ(火神島)に負けない火の山がある。その火の山は、外輪山と呼ばれる山々に囲まれている。その山々に囲まれた所が、呼邑国である。健が、千尾の峰を越えて戻ってこなかった国だ。千尾の峰は、対蘇国の中にある。つまり、呼邑国は、対蘇国と屏風のような山を隔てて隣接しているのだ。
呼邑国は、金・銀・銅に鉄等の貴重な鉱石も豊富だが大きな火山湖もある。だから魚類にも恵まれている。そこで、鬼八族長は、屏風のような山を掘り壊し、火山湖の水を対蘇国に引きたかった。それで、対蘇国と、呼邑国との間にもめごとが発生したのである。
呼邑国は、クマ族の国なので狗奴国の支援を得ようと考えていたが、そうはいかなかった。鬼八族長には、吾蘇という跡取りがいた。吾佐羅様の兄上である。吾蘇様は、ホオリ王と同じ歳で親友らしい。ホオリ王が、狗奴国を追われ逃げ隠れていたのが、中立国の対蘇国である。その時に、同じ歳の二人は意気投合し親友になったそうだ。
加えて呼邑国には、バツが悪いことがあった。狗奴国内乱の折に、呼邑国は、ホデリ(海幸彦)王を支援し、ホオリ(山幸)王に刺客まで放ったらしいのだ。そして、その刺客からホオリ王を守ったのは吾蘇様だ。だから、同じクマ族の盟主である狗奴国の支援が得辛かったのである。
そこで、呼邑国は、健を現つ神(あきつかみ)と仰ぎ、狗奴国からの支援を取り付けようとしたようだ。結局その揉め事は、健が仲裁したようである。いかに小国どうしの争いとはいえ、まだ七歳の子供が国の争いを治めたのである。やはり、健は、尋常な子供ではない。呼邑国の民が現つ神と讃えても不思議は無いのである。
吾佐羅王妃は、大女なのでやっぱり婚期が遅れていたようだ。それに、なかなかの剣の達人でもある。だから益々婚期は遅れたようである。ホオリ王の最初の王妃チル(知流)様も、徐家の女らしく香美妻に良く似た背高美人だったと聞いている。そして、ホオミ(火尾蛇)大将も打ち負かす勢いの剣豪だったらしい。どうやらホオリ王は、気が強い女がお好きなようである。だから私にも優しいのかも知れない。
歓迎会は、今日も項家二十四人衆が大いに盛り上げてくれた。しかし、酒合戦になったら吾佐羅王妃が俄然目立ち始めた。ヒムカに劣らない酒豪なのだ。それに、ヒムカのように静かな酒では無く陽気なのだ。まるで、宇津女さんかと見紛う芸達者である。宇津女さんとは、宇沙都で再開することになっている。だから、この商都都萬(つま)の宴会場にはいないのだが、吾佐羅様が項家二十四人衆と演芸団を再結成されている。この御性分なら宇津女さんはもちろんアチャ爺も王妃様にぞっこん惚れ込みそうである。
吾佐羅様を円陣の中心に置き項家二十四人衆がまた皆を円陣に引き込み始めた。ホオリ王はすでに吾佐羅様に手をひかれ円陣の中である。ヒムカも項家の四人に手を引かれ円陣に加わった。その四人は、私がヒムカの輿係りにしていた項家の四天王である。だから、ヒムカも無碍に断れないのだ。
四人とは、剣の項権、徒手の項増、槍の項作に、もう一人項明である。項明は、項権の弟分で、やはり剣の達人である。項権には、豊呼を。項増には、玉呼を。そして、項作には仁呼を、それぞれ娶らせたので、近いうちに、項明の妻問いも進めないといけない。
私が兄と慕っている剣の項荘、徒手の項佗、槍の項冠は、今では、斯海国に欠かせない各首領になっている。項荘、項佗、項冠の三人が斯海国に帰った後、私はその補充に三人の海女を加えた。皆屈強な海女達である。そもそも海女は重労働である。だから、そこいらのナヨナヨとした男供よりも俊敏で勇ましいのである。それに武術の指導は、シュマリ女将にやってもらった。名を、小雪、立花、小鳥という。
その後、狭山大将軍からの要請で、章緒を国軍の徒手の教官に出し、栗冬を国軍の槍の教官にだした。そして工兵隊を設立するということで、勝寒を出し工兵隊の隊長に任官させた。だからその三人の補充にも夏風、秋風、冬月という海女を加えた。
そして、小雪、立花、小鳥、夏風、秋風、冬月の海女戦士六人は、私の世話をする近習でもある。これは淀女房頭の献策で決まった。その際に呼び名も「項家二十四人衆」から「近衛二十四人隊」に変わったのだが、私はまだ項家二十四人衆の言い方が抜けない。でも正式な部隊名は「近衛二十四人隊」なので、そろそろ慣れないといけない。
近衛二十四人隊の小雪、立花、小鳥、夏風、秋風、冬月の六人も、もちろん円陣に加わっている。そして六人とも踊り達者である。ますますアチャ爺には嬉しい光景である。加太も帰国したら大喜びすることだろう。私は卯伽耶を抱きかかえて踊り連に引き込まれないように身構えていた。
翌朝、私達は、ホオリ王や、吾佐羅王妃に見送られて、美々津の河湊を出港した。ヒムカは、健の住むニシグスク(北城)まで一緒に行くことになった。どうやら、ニシグスクで、吾佐羅様の兄上吾蘇様と会うらしい。ホオリ王が、何事か吾蘇様に頼み事をされるようである。だからその名代である。
ウネ(雨音)も、宇沙都まで同行するので、香美妻は上機嫌である。今回は、ホオリ王が、ホオミ(火尾蛇)大将に代わり、ウネに、私達の接待役を命じられたのだ。ウネの接待には、ホオミ様のようなワクワクする企画は無いが、農学の話だけは、しっかり学ばせてもらっている。いっそウネを、ヤマァタイ国に連れ帰れば、我が国は、更に豊かな国になるだろう。機会を見て、ホオリ王にお願いして見ようかと、狗奴国の浜を眺めながら潮風に吹かれている。
程無く、ウネや、マンノさんが育ったミジンガン(美津川)の河口が見えてきた。先回、今度来る時は、ミジン(美仁)の町に立ち寄ろうと思っていたが、残念なことに今回も叶わなかった。次こそは立ち寄るぞと思いながら豊かな森に抱かれたミジンの町を見送った。それから、ただただボーっと、狗奴国の浜辺を眺めているうちに、やっと五瀬川の河口が見えてきた。
吾田之津に、風之楓良船を停泊させると、早速今夜の宿である天海親方の船宿に入った。五瀬川の川登りは、明日の朝である。今夜は、天海親方の船宿でゆっくりするのだが、ニヌファは、やっぱり淋しそうである。あの陽気なモユク(狸)爺さんの声は、もう聞けないのだ。私は、心淋しく、ニヌファと手を繋ぎ合って一夜を過ごした。
少し早めに朝餉を済ますと、私達は、朝霧の中を川舟で遡上し始めた。大きな川を遡上するのが生れて初めての熊人と、隼人は、大はしゃぎである。浅瀬を引き上げる時などは、真っ先に川に飛び込み、生き生きと舟を引き上げている。
先回と同じ野営地では「オイ(俺)達は、もちょっと先まで行きもんで」と、勝手に上流へ上ろうとする二人である。でも「皆で一緒に行きましょう。だから今夜はここに泊まりましょう」と、ニヌファがいうと、二人は「はぁ~い」と素直に野営することにした。でも、チャピと、元気に河原を走り回っている。キャンキャン、ワンワン、ウォンウォンと、三匹は楽しそうである。
まだ日が高いので、私とヒムカも、川の深みを潜ってみることにした。そして、海中の揺れとは違う浮遊感を楽しんだ。川遊びに慣れていない私達の指導員は、お転婆娘の志茂妻である。志茂妻も、河童娘に戻り旅の疲れを癒したようだ。それに、リーシャンの鯉料理の美味しかったことといったらなかった。食いしん坊の隼人は「オイ(俺)がもう1匹捕まえて来るばい」と、日も暮れた川面に飛び込もうとする勢いである。
でも、やっぱりニヌファに「私の分を半分あげるからね。それで我慢して」と、諭されると「はぁ~い」と、素直に焚火の輪の中に戻ってきた。そして、熊人が不満そうな顔をしていると、儒理が「はい」と、自分の分を、半分熊人の高坏(たかつき)の上に載せてあげた。熊人は、にっこり笑うと、儒理の肩をぽんと叩き、高坏の上のご馳走を頬張り始めた。本当に困った二人である。でも、楽しそうで連れてきて良かった。
私は、四つの坏を持つ子持高坏の二つの料理を食べると、残りの二つを、ひとつずつ隼人と、熊人に分けてあげた。「ピミファ姉様は、お腹空いてないのか」と、一応は気遣いながら二人は、早速自分の坏に料理を移した。ヒムカは、もうゆたりと近衛二十四人隊を相手に酒杯(さかづき)を交わしている。私は、初夏の川風に吹かれて、いつの間にか眠り込んでしまった。
翌朝、目覚めると、儒理が、天幕に差し込む柔らかい光に包まれ私の傍らで寝ていた。私は、そっと儒理を抱きしめ、安堵をかみしめた。振り返ると、熊人と、隼人も、私の背の方で寝ている。私は、二人もそっと抱きしめた。
天幕の外で、ワンワンとチャピが吠えている。早く起きて遊ぼうと、三人を急かせているようである。その声に、儒理と、隼人と、熊人も起きだした。そして、朝飯前の大はしゃぎを始めた。何と、ニヌファまで加わって河原を駆け回っている。ニヌファよ。もっと、もっと元気になっておくれ。
朝餉を済ますと、私達は、また、五瀬川を遡り、まだ日が高い内に、ニシグスク(北城)に着くことが出来た。館の門を潜ると、健が、メラ爺と立って出迎えてくれた。そして、私が健を抱きしめるより先に、熊人と、隼人が、健に抱きついた。それから、健は、儒理に近寄りきつく抱き締めた。儒理は、少し照れながら両の手で健の背を愛おしそうに撫でた。
十歳に成った少年達は、旧交を確かめ合うと、早速熊人が「ピミファ姉様は、ヤマァタイ国の女王に成ったとばい」と、私を紹介した。すると、健は改まり「日巫女女王様、ようこそ我が館においでくださいました」と、深々と私にお辞儀をしてくれた。だから、私も「これは、これはご丁寧な挨拶を現つ神様から頂き光栄です」と、深々と健に頭を下げた。それから顔を上げると、二人とも噴き出して抱き合った。
ヒムカを振り返ると「姉様、やっと皆で会えましたね」と、健がヒムカに微笑んだ。「私達、皆に随分心配を掛けたみたいよ。ねぇ熊人」と、ヒムカが、熊人の背を抱きこむと「じゃいが。(そうだぞ) オイ(俺)は、心配で心配で随分痩せもした」と、熊人が言い「じゃっど、じゃっど。(そうそう)」と、隼人が笑いながら熊人の大きなお腹を撫ぜた。
メラ爺が「嬉しいのは分かるが、そんな所で立ち話をせんで、さぁさぁ中へ」と、皆を館の中に導いた。どうやらこの館は、メラ爺にとって我が家も同然のようである。きっとメラ爺は、健の傍で、私にとってのアチャ爺の役割を果たしているのだろう。良かったね健。
私達は、ニシグスクで最高に幸せな時を五日も過ごした。もちろん私は、健に「ほらほら、これがお前の母ぁ様だよ」と、香美妻を紹介した。健は感無量の表情で、香美妻を見つめ「私の母ぁ様……」と呟いていた。
「ホオリ王が、香美妻は、チル(知流)様に瓜二つだと仰ったから間違いないわ」と私がいうと、ヒムカも「ホオミ叔父様も、チル様が生きておられたと、思ったそうよ」と、念を押した。健が余りにも強い眼差しを向けているので香美妻も気まずそうに「私も徐家の娘ですから……それにチル様に似て気も強いようです」と言った。それを聞いて、私と、志茂妻が噴き出すと、ヒムカも袖で口元を押さえ、笑いを堪えた。そして、目を潤ませた健は、長い時間香美妻の手を握りしめていた。
それから、皆で対蘇国の吾蘇様にも会いに行った。千尾村を過ぎると、対蘇国は、本当にニシグスクに近かった。屏風のような千尾の峰を超えると、呼邑国だ。私は、呼邑国の火の山を見に行きたかったが、今回は時間が無く諦めることになった。でも、対蘇国からでもその噴煙は良く見えた。本当に、カゴンマ(火神島)のような迫力である。
対蘇国には、大きな火口湖は無かったが沢山の泉が湧き出していた。もちろん、温泉も豊富である。阿多照叔父さんでは無いが、私もこの温泉水を風之楓良船いっぱいに積んで持ち帰りたかった。
吾蘇様は、ラビア姉様の従兄妹なので、どことなく異国の人の面立ちだった。体格も、サラクマ(沙羅隈)親方と同じ位に大きい方である。健にとっても頼りがいのある存在のようで、二人はまるで親子のように接していた。鬼八族長は、昨年他界され今は、吾蘇様が対蘇国の族長である。そして今は、呼邑国との関係も健の存在で良好らしい。
そもそも私には、泉に恵まれた対蘇国が“呼邑国の火口湖の水を欲しがった”という話は合点がいかなかった。そして、吾蘇様の話では、どうやら狗奴国内乱時の因縁が絡んだ意地の張り合いだったようだ。意固地になった年寄り供の諍いを治めた健には、改めて感心させられた。さすがにハク(帛)女王の血筋である。
それよりも、私が対蘇国滞在時に気にかかったのは、ヒムカの吾蘇様への態度である。どうも、馴れ馴れしいのだ。親子ほども歳が離れているので、吾蘇様は、丁寧に接しておられる。だがヒムカの態度がおかしい。まるで、白猫チャペが憑依したのかと思う程である。帰りの舟の中でそのことをヒムカに問いただしたが「別に~」というだけである。香美妻も、ヒムカも、年頃なので恋をして誰かの妻になってもおかしくないが、私だけ置いてけぼりに成っているようで悔しいのである。
吾田之津まで戻ると、風之楓良船の側に、天乃磐船も停泊していた。ヒムカを迎えに来たのである。熊人と、隼人とも、ここでお別れである。熊人と、隼人は、天乃磐船で、ヒムカが、阿多国まで送り届けてくれることになっている。だから、仲良し四人組もここでお別れだが、淋しそうではない。今は四人とも、絆の強さを確信しているようである。だから“さらば友よ。また会おう”と、思っているようである。皆随分逞しくなったものだ。私は満ち足りた気持ちを胸に狗奴国を後にした。
~ 那加妻の幸せ ~
宇沙都で、豊月女(とよつくめ)の可愛い笑顔を、十分味わって、私達は、伊都国に立ち寄った。伊都国でも、スヂュン(子洵)を、しっかり抱きしめ、ヤマァタイ国に帰国した。それから、私と、香美妻は、政務に追われている。既に、新しい年も明け新春である。白梅が香れば、私もそろそろ十八歳になる。でもやっぱり、嫁入りの話はない。そろそろ「出遅れ」と呼ばれる歳だ。「巫女は、神様の妻だから未婚で良いのだ」と、言う人もいるが少しも慰めには成らない。神様の妻だけでは、赤子は出来ない。赤子を産まないと巫女の血筋は、私で絶えてしまう。
尹(いん)家は、巫女の家だから、代々女が家を成してきた。だから、夫を貰い、家を成して、初めて嫁になれるのだ。その夫も、昔は、伊氏の一族から選んでいたそうだ。尹家の男は、成人して家を成すと、伊氏を名乗る。臼王の姓も伊氏である。でも、お祖母様と母ぁ様は、伊氏から夫を選ばなかった。だから、尹家の一族の間では、私の夫は、何としても伊氏から探そうと婿探しを始めているそうだ。
そんな様子なので、私の夫の選択肢はますます狭く成っているのだ。それに、私が女王に成ったので“つり合いが大事じゃ”と妙な条件も出て、益々選択肢が狭いのである。女王の私につり合う伊氏の男は、今のところ臼王しかいないではないか。だから、一族が進めている私の婿探しは、ほぼ絶望的なのだ。
尹家に女子が産まれなかったら、伊氏の娘から、巫女を選び巫女の血筋を保つ。だから、もし、私か優奈が娘を産まないと、儒理がどうしても娘を作らないといけない。そして、その娘の母は、やっぱり伊氏から選ばなければならない。
巫女の力は、血筋で決まるようである。神様の領域に入れる者は限られている。いくら修行をしても、巫女の血筋が流れていないと、神様の領域には入れないのだ。嗚呼、早く優奈が娘を産んでくれないだろうか。そうしたら私は、家督を放棄して、医者か!? 農家か!? 商家か!? いやいや海賊か……??? とにかく色んな者に成るのだ。何でもその道を修めて、そう百家と呼ばれるようになろう。良~しと!! 真っ当な人が聞けば“そんな馬鹿馬鹿しい”と言われそうな話を、私は意味もなくただただ膨らませていた。
すると「日巫女様ぁ~陳情の竹簡は、もう御目を通されましたかぁ~」と声を張り上げて、香美妻が入ってきた。私は、堆く積み上げられた竹簡と、木簡の間から、香美妻を見つめ、“そうだ。香美妻もやっぱり未婚じゃないか”と、気がついた。その上に、香美妻は、二十歳を超えたから既に「行かず後家」の世界に足を踏み入れている。
“そうだ、クヨクヨすることはない。私の前には、香美妻お姉ちゃまが、がんばっているのだ”と、気を取り戻そうとしたが、同じ歳の那加妻には、既に子までいる。そして、日子耳(ひこみみ)を含めて二児の母親である。年若い那加妻は、まだまだこれから子を孕むだろう。嗚呼、やっぱり私は、置いていかれている。
那加妻は、私と、香美妻の期待通りホオミ(火尾蛇)大将との間に、豊月女という可愛い娘を儲けた。私達が訪れた時、妹が出来た日子耳は、大喜びで、毎日豊月女の子守りをしていた。そして、投馬国の族長達は、ホオミ大将以上に喜んでいた。これで次の高木の神の巫女の心配はいらないのだ。
でも、先の高木の神の巫女日弧女(ひこめ)様の惨劇を忘れていない族長達は、倭国の女王以上の警護体制を布いているようだ。各部族から三人ずつ気丈な女官を出し、日々、豊月女の世話と、警護をしている。何だか窮屈そうで、私なら勘弁してもらいたい状態である。でも、那加妻に取っては、きっと幸せな話だ。それでも気遣いも大変そうである。あ~あっ、嫁に行くのも大変そうである。まっ!当分このままでも良いか!! ねぇ~香美妻お姉ちゃま。
ヒムカは、吾蘇様の子を懐妊したそうだ。メラ爺の情報だと、夏には産まれるらしい。ヒムカの懐妊を知ったホオリ王は、吾蘇様がお相手だと知ると「さては、アソめ。ヒムカに籠絡されおったなぁ。情けない奴め。それでもお主は、ホオミ大将とも互角に渡り合える武人か。アハハハハ…」と嬉しそうに、吾蘇様をからかっておられたらしい。
しかし、そのホオリ王も吾佐羅王妃がご懐妊されたそうだ。臼王といい、ホオリ王といい、そして、吾蘇様も、ホオミ大将も、いつまでも元気な男の子(おのこ)でいらっしゃる。私も、スロ(首露)船長の四番目の愛人にでもなろうかしら…。
ラクシュミー様は、一昨年に、双子の兄弟をお産みに成ったそうだ。しかし、先頃、急使が届き、兄王が亡くなられたようで、近いうちにビダルバ国にお戻りになる。兄様とは七つ違いで、大層可愛がられていたのでラクシュミー様の悲しみは、とても深いそうである。
ビダルバ国の王位は、アルジュナ少年の従兄でもあるヤジャニヤ様が継承されたそうだ。アルは、ヤジャニヤ王の信頼が厚く、当分ピョンハン(弁韓)国には戻れそうに無い。いっそのこと、私がラクシュミー様のお伴をして、アルに会いに行きたいものである。でもその前に、やっぱり婿を取る算段をつけて置かないといけない。
もしヒムカが男の子を産めば、その子を婿にしようかとも考えた。ヒムカにも、伊氏の血が流れているから、私の一族も文句は言えまい。しかし、不安もある。その男の子が子を成せる一人前の男になるには、十五年は待たないといけないだろう。その時私は、もう三十三歳である。それまで、私は子が産める身体でいられるだろうか?……私はだんだん憂鬱な気分になってきた。まぁ世継のことは、優奈に任せよう。優奈の行方はどうなったのだろう。
儒理は、ジンハン(辰韓)国の世情が収まったので帰国した。私は淋しかったが、ジンハン国の太子をいつまでも倭国に留めておく訳にもいかない。儒理と共に、志茂妻も、また加太先生の許に返した。加太は、優奈の無事を確かめ、倭国に連れ戻すまで、ジンハン国に留まることにしている。だから、しばらく帰れないかも知れないのだ。二人の帰国に際しては、天之玲来船を使わせた。そして、須佐人と、鞍耳が警護の役も務めてくれた。その返り船で、シュマリ女将が帰ってくることになっている。どこまで優奈の行方が知れたかは、その時に分かるだろう。まずは無事でいてくれるだけで良い。無事であればいつか会える。
田植唄が聞こえてきた頃、シュマリ女将が帰国した。そして傍らに、キツネ目の可愛い娘を伴っていた。まさかシュマリ女将が娘を産んだとは思えないので、とても気になったが、まずは優奈の行方を聞かなければいけない。
《 シュマリ(狐)女将が語る優奈の行方 》
皆様が気にかかっておいでだと思いますので、まず、この娘の紹介からします。さぁポニサポ、皆さんに挨拶をしなさい。
この娘は、ポニサポといいます。私の一族の言葉で「小さい姉」という意味です。ポニサポ(小さい姉)という名でお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、サンベ(蒜辺)の娘です。八歳に成ります。
サンベは、この娘の母や手下供と一緒に殺されました。私達がサンベの居所を掴むと、キルソン(吉宣)は刺客の一団を放ったようです。ポニサポは、襲撃に気づいたサンベが、床穴に隠くし難を逃れました。私達がサンベの隠れ家に着いた時には、惨劇の中、ポニサポだけが放心状態で屈み込んでいました。
私達は、サンベ一家を襲撃した暗殺団を探し出しその中の一人を、どうにか生きたまま捕えました。暗殺団は、キルソン(吉宣)の遁甲(とんこう)でもあり、優奈様の行方も見張っていたようです。
捕らえた者の話では、優奈様を買ったのは、裕福な老夫婦だったそうです。老夫婦は、最初から誰も優奈様を買えない高値を付けたそうです。それまでして優奈様を手に入れたかったのは老婦人のようでした。老夫婦は、裕福なシャー(中華)の商人のようです。
私は、その老夫婦と優奈様を追ってシャーに渡るつもりです。ですがその前に、ポニサポを、狗奴国の天海親方の許に届けさせてください。私が帰るまで、親方に、ポニサポをお願いしようと思っているのです。私達姉弟の一族は、今では行方が分かりません。ですから、私が頼れるのは親方だけなのです。どうぞ私の我儘をお許しください。
それから、優奈様を買った老夫婦の名前と行方の当てだけは掴んでおります。老夫婦は、交易商人のようで各地を渡り歩いているようですが、拠点は、ファンハイ(黄海)の奥にある青洲のガオミー(高密)という所のようです。ただ西は、太秦国(ローマ)にまで足を延ばす交易商人のようですからガオミー(高密)に留まっているかどうかは行ってみないと分かりません。しかし、ファンハイ(黄海)のバイ・チュウ(白秋)といえば知らない者はいないそうですから容易く見つかると思います。
………………………………………………………………………………………………
と、シュマリ女将の報告は締めくくられた。
ファンハイ(黄海)のバイ・チュウ(白秋)という名が出た所で、アチャ爺は大きく膝を叩き「良し!!」と安堵の声を上げた。私もチュウ(秋)様が、優奈を保護していてくださると分かり抑えきれずにいた不安が遠のいた。
今、チュウ(秋)様の跡取りバイ・フー(白狐)様は、倭国で風之楓良船に乗り組み修行中だ。チュウ(秋)様が、夏希義母ぁ様に依頼された大型船も来春には出来上がる筈である。その大型船が進水したらフー(狐)様と、シャー(中華)に渡ろう。そして優奈の無事な顔を確かめよう。
那加妻の幸せが、私にも幸を呼んでくれたようである。良~し!シャーには、日子耳も連れて行こう。ニヌファにも、シャーの風を感じさせよう。そうなれば、サラ(冴良)、フラ(楓良)、レラ(玲来)のおしゃま娘も連れて行かないと膨れるだろう。もちろん儒理と、熊人と、隼人も連れて行こう。皆で幸せな優奈に会いに行くのだ。そして、帰り船では、ジンハン(辰韓)国にも立ち寄り、父様に優奈の無事な様子を話して聞かせよう。それに、まだ見ぬ弟アマ(阿摩)王子にも会わなきゃいけない。さぁ秋も、冬も、早く過ぎ去っておくれ。
~ 王妃の悲しみ ~
晩秋の冷たい風に肌を刺されながら、私は、望楼の三層階で物思いに耽っている。心はもう、シャー(中華)の優奈の許に飛んでいるのだ。だから、冷たい風に吹かれていても、へっちゃらである。
志茂妻は、今頃ジンハン(辰韓)国で、粉雪に吹かれているかも知れない。それに比べれば、ヤマァタイ(八海森)国の秋風は、まだまだ暖かい。それに、多少冷たくても、政務に疲れ果て、微熱を帯びた私の身体には、丁度良いのである。
この望楼を降りたら、下で香美妻お姉ちゃまが、ひっめ頭にフカ(鮫)皮の真珠の鉢巻を絞めて待ち構えている。先程も「日巫女様ぁ。ご休憩はまだですかぁ~」と、下から叫んでいた。「身体が凍えそうになる前には、降りてきまぁ~す」と、返事を投げ下ろすと「早くしてくださいね。おぉ~寒い」と、政務室に入って行った。
さぁもう一度優奈に夏羽を、「ほれほれ、これがお前の兄様だよ」と、紹介するところから思い返そう。ヒコミミと、ニヌファ(丹濡花)は、何と紹介しようか「これが恐ろしいクマ族の子供達だぞぉ」と言ったら優奈は、どんな顔をするだろう。優奈は、まだクマ族と、海人族が共に暮らし始めたことを知らない。優奈にとってクマ族はまだ恐ろしい蛮族なのだ。
でもサラ、フラ、レラのおしゃま娘はどうしよう。きっと、優奈は、三人娘がお気に入りになり帰さないと言い始めるかも知れない。それに、優奈なら、直ぐに三人娘の霊力に気づく筈だからますます返さないと、言い張るかも知れない。優奈と私は、姿形は違うけれど、意地っ張りなところは双子なのだ。そんな楽しい思いに耽っていると、階下から女官が「女王様ぁ~加太様がお戻りに成りましたぁ~」と、声を張り上げて来た。私は物思いを中断し飛び降りるかの勢いで梯子を降り館に駆け込んだ。
館に入ると、火鉢を囲んで、カメ爺や、アチャ爺が、加太と、何やら話し込んでいる。しかし、再会を喜び合っている様子ではない。それに、ミヨン(美英)や、シカ(志賀)の顔も見えない。加太は、私への挨拶を終え一同が揃ったところで報告を始めた。それにしても懐かしい加太の顔は、やつれて見え「あっちっちの夏がやってくるぞ~」の陽気な加太の面影が無い。私は、とても嫌な予感がしてきた。そして、加太の話は、こんな悲しい報告だった。
優奈と儒理に災いをもたらしたキルソン(吉宣)は、父様にその罪を不問にされても、まだ悪事をあきらめてはいなかった。そして、背景にはやはり、長い歴史を持つ政争が絡んでいた。ヒョウ(瓢)の時代まで遡るパク(朴)氏政権と、ソク(昔)氏、キム(金)氏政権の政争だ。パク・ネロ(朴奈老)の反乱に象徴される闘いである。だが、今のソク(昔)氏の当主は、ソク・ポルヒュ(昔伐休)様といわれ四十路半ばらしいが穏やかな方らしい。キム・アルジ(金閼智)の直系であるキム・アト(金阿道)様といわれる当主も、やはり穏やかな方らしい。そして、パク(朴)分家の当主は、パク・ヨンオ(朴延烏)様だし、ヒョウ(瓢)の血を引くピョンハン(弁韓)国のキム(金)氏はスロ(首露)船長ことキム・チョンヨン(金青龍)様が当主だ。だから、当主達ではなくその支族の中に、今回の黒幕が潜んでいるようである。そこでまずはジンハン(辰韓)国の政争をカメ爺がおさらいしてくれた。
《 カメ爺が語るジンハン(辰韓)国の政争 》
さて、どこから話そうかのう。以前、ピミファのパク(朴)一族の御先祖の話をしたよのう。その時、初代のヒョコセ(赫居世)王の名は、アルヒョク(卵赫)で、そのアルヒョクの父親は、ホゴン(瓠公)と呼ばれ、名はキジャ(箕恣)で、コジョソン(古朝鮮)の王族じゃったと話したよのう。キ(箕)氏は、始めマハン(馬韓)国に逃れ、キ(箕)氏のひとりキホロ(箕胡蘆)が、ジンハン国に渡りホゴンを名乗った。じゃで、パク(朴)氏はキ(箕)氏の分家だともいえるのう。
では、ソク(昔)氏のおさらいじゃが、ソク(昔)氏の始祖は、ジンハン(辰韓)国の四代目ソクタレ(脱解尼師今)王で、実の名をヒョウ(瓢)といい、高志(こし)の族長多遅麻(たじま)の息子だった。と、話したよのう。息子がソク・クチュ(昔仇鄒)と、アグジン(阿具仁)と、キム・チョンマン(金田萬)じゃ。そのアグジン(阿具仁)の息子が、アルジ(金閼智)で、パク(朴)氏と対立する訳じゃが、そのアルジ(金閼智)の後見人が、十一代目のホゴン(瓠公)キマン(箕望)で、キマン(箕望)が、キム(金)氏の黒幕だと話したよのう。
じゃで、どうもこの頃からキ(箕)氏は、反パク(朴)氏の気運が芽生えたようじゃのう。しかし、キ(箕)氏の家訓は狡兎三窟(こうとさんくつ)じゃで、今の当主キリャン(箕亮)は、アダラ(阿逹羅)王の信認も厚い。
だが、その息子キドン(箕敦)は、要注意人物じゃ。キドンは、ピミファより七歳年上のようじゃから、まだ若く頭の切れる男のようじゃでな。ワシ(私)が思うに、どうもキルソン(吉宣)と、キドンは通じているような気配があるのう。
キルソンは、どうやらヒョウ(瓢)の血をひく一族のようじゃからソク(昔)氏の一派よのう。じゃから、アマ王子擁立派の黒幕は、このキルソンと、キドンではないかと思えるのじゃ。
それから、もうひとつ注意して見ておかんといけんのが、マハン(馬韓)国の動きじゃ。マハン国も、ジンハン国と同じように、シャー(中華)の北部から渡ってきた漢人に、東海の沿岸に暮らす海の民の倭人、それに北から降りてきたツングース(東胡)族が入り混じって暮らしておる。
コジョソン(古朝鮮)の王族じゃったキ(箕)氏は、漢人の血が濃い。対して、今のマハン国のケル(蓋婁)王は、ツングース族の血が濃い。何せ、マハン王だったキチョン(箕貞)を追い出し、マハン(馬韓)国を奪ったのはツングース族のオンジョ(温祚)だからのう。
オンジョは、ツングースの一派プヨ(夫余)族の出じゃ。コグリョ(高句麗)は、このプヨ族の国だ。プヨ族と、ウェイムォ(濊貊)は、同じツングース族じゃが、どうも仲が良くないようじゃ。まぁ兄弟喧嘩のようなものじゃで、くっついたり、離れたりしておるようじゃがのう。
人が最初に闘う相手は、まず兄弟じゃ。まぁ兄弟がおらんなら親かも知れんがのう。ワシも幼い頃は、アチャと良く兄弟喧嘩をしたものじゃ。まぁたいがいワシの方が、アチャに殴られておったがのう。乱暴者の弟を持つと大変じゃぞ。でも今では、アチャ程頼りになる奴はおらんがのう。
じゃで、程無くウェイムォ(濊貊)の民も、コグリョ(高句麗)に加わるかも知れんがのう。対して、ジンハン国は、漢人や倭人の勢力が強いでのう。ウェイムォとは、いつも揉めておる。
じゃがマハン国は、やや複雑なお家事情なのじゃ。王族は、プヨ(夫余)族じゃが、何せ民の数は漢人や倭人の方が多いでな。それに漢人の多くは、コジョソン(古朝鮮)の末裔が多い。そして、コジョソンの末裔にとっては、今でもキ(箕)氏の存在は大きいのじゃ。それに最初にマハン国に住み着いたのは倭人じゃ。じゃで、マハン国の沿岸は倭人の村が多い。それでたとえ王族が同じツングース族でも、ウェイムォは大手を振っては歩けんのよ。まぁジンハン国ほど眼の敵にはされんがのう。
やっでな(だから)優奈と儒理を浚ったサンベとの繋がりも、マハン国に有ったと見て良かろう。と、成るとキ(箕)氏が動いた可能性が高いという訳じゃ。
マハン国のケル(蓋婁)王は、もう八十三歳の高齢じゃ。世継ぎは既に、三十三歳になっているらしい。じゃで、既に実権は、この世子に移っているようじゃ。この世子は、なかなかの男らしいが、どうもキ(箕)氏との関係修復も図っているらしいぞ。何しろパク(朴)氏は、歴代の王が武闘派だからのう。多民族で、まとまりが弱いマハン国としては、統率力に優れた王が、ジンハン国に立つのは困りものなんじゃ。
その点ソク(昔)氏の一族は、穏健派が多い。みなヒョウ(瓢)の気性を受け継いでいるからのう。じゃで、マハン国の王族としたら、パク(朴)氏より、ソク(昔)氏や、キム(金)氏から王が出て欲しいのじゃ。まぁ儒理の穏やかな気性を、直接みれば安堵するかも知れんが、アダラ(阿逹羅)王の子であれば、勇猛な武人だと思っていておかしくは無いじゃろ。それに今では、荒ぶる神と恐れられているスサノウ(須佐能)王の血も引いておるでなぁ。その状況証拠だけ見れば、儒理は恐るべき武王になる筈じゃ。良ぉ知っとるワシラから見れば、恐るべき武王は、儒理じゃのうて、ピミファじゃがのう。意地っ張りでお転婆娘だしの。
ただし、アマ王子擁立派が恐れているのは、儒理の賢さと、ピミファの存在じゃ。何せピミファは、戦さ場の巫女女王だからのう。恐ろしゅう無い者はおるまいよ。それに倭国は、ジンハン国より随分大きな国じゃでな。国力では到底勝てん。倭国の内乱を煽り、揉めてさせておったれば一安心じゃったが、ピミファが、倭国をまとめるとそうは安心出来んようになる。
だけん、何としても儒理を、ジンハン国の王にするのだけは避けたいのじゃよ。更に、漢の王朝も危機感を持っておる。儒理が、ジンハン国の王になり国をまとめ、ピミファが、倭国をまとめるとピョンハン国を含めた鯨海同盟が出来る可能性が高い。鯨海同盟が力を増せばシャー(中華)の東海沿岸の倭人が呼応し、東海共同体が生まれるだろう。これは、ただでさえ力が衰えている漢の王朝に取っては、恐れずにはおれまいよ。じゃで、ワシラの敵は、アマ王子擁立派だけでなく、マハン国にも、漢王朝にもおると思っておらんと如何ようじゃのう。まいった。まいったのう。
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と、カメ爺の話は終わった。
私が恐るべき戦さ場の巫女女王だというところだけは納得できないが、敵はマハン国にもシャー(中華)にもおるというのは、心しておかねばいけないようだ。私は加太の表情とその報告に不安が走った。
《 加太が語るジンハン(辰韓)国の悲劇 》
先に辛い話を報告しておこう。アマ(阿摩)王子が殺された。それも儒理を守ってなぁ。八歳に成ったアマ王子は、兄の儒理が大好きだったからなぁ…。儒理の身代りに成れて満足だったかも知れん。そうでも思わんと、やっておれん話だ。
アマ王子を殺めたのは、キルソン(吉宣)の刺客だ。まさか、その刺客にアマ王子が殺されようとは、アマ王子擁立派は、大きな誤算をしたものだ。刺客はキルソンの一派に殺されたが、キルソン自身も窮地に立った。
アマ王子擁立派の筆頭であるチェ・ウォルソン(崔月星)様は、激昂され、直ぐに、キルソンの屋敷を包囲された。ウォルソン(月星)様にとってアマ王子は、我が子より愛おしい存在だったからなぁ。しかし、アマ王子擁立派からの助けも得られないと気付いていたキルソンは、家族さえ捨てて既に独り逃走していた。
ウォルソン様は、アマ王子擁立派を召集し、キルソンの行方を追わせた。何としても、自らの手でキルソンの首を刎ねたかったようだ。
その日は、久しぶりに晩秋の梅雨空が晴れた。そこで、儒理と、アマ王子は、ナリェ(奈礼)王妃に伴われ、海辺の館に出かけていた。優奈の行方も知れずナリェ王妃は、気鬱の病にかかっておられた。自分が犯した過ちで、優奈の不幸を招いたのだ。だから、私の気鬱を抑える薬も効かん程の患いようだった。
心配したアダラ(阿逹羅)王が、何度も見舞われたが「私が、私が優奈の不幸を招いた。王様どうか私を殺してください」と、泣かれるばかりだったようだ。そこで儒理が、気晴らしにナリェ王妃を外に連れ出したようだ。館に籠って泣いてばかりおられたナリェ王妃も、儒理の頼みなので、重い腰を上げられたようだ。
王様も、王妃がご一緒なので、まさかアマ王子擁立派も、儒理に手を出すことはあるまいと、思い許可されたようだ。しかし、キルソンは、少しでも儒理に隙あらばと刺客をつけていた。
海辺の館は、岩場の丘に建っており、海風も心地よかった。そこで儒理と、アマ王子は、岩場で遊んでいたようだ。磯溜まりを見下ろすと、逃げ遅れた小魚がいた。その小魚を、磯遊びに熟れた儒理が、アマ王子に取ってやろうと、岩場を降り始めたようだ。そこを、刺客が襲ったのだ。
初冬の海に、儒理を突き落そうとしたようだ。だが、十一歳のまだ子供だとは言え、儒理は、アダラ王の血を引き大きい。だから、刺客と、格闘した。それにアチャ爺と、須佐人に鍛えられた儒理は、見かけより数段武術に長けておる。そこが刺客の誤算だった。
難なく突き落とせると思っていた刺客は、儒理に反撃されて手を焼いていた。その騒ぎを聞きつけアマ王子は、兄の助太刀をしようとしたようだ。だが、儒理と激闘する拍子に、刺客はアマ王子を冷たい海に突き落としてしまった。
異変に気づいた護衛の兵士達は、一斉に海に飛び込みアマ王子を救おうとした。だが波も荒く、冷たい初冬の海では、なかなかアマ王子の姿を見つけられなかった。いても立っても居られなかった王妃は、自ら冷たい海に飛び込み、何度も何度も海に潜った。
ついには、ナリェ王妃自身が溺れ、護衛の兵士達に救い出されたようだ。私の許に運び込まれた王妃は、既に奈落の淵に立っていた。何よりも生きる気力が失せていたのだ。王妃の魂は、ひたすらアマ王子の魂を探そうと、奈落の底で彷徨っていた。
ピミファが居れば、その魂を救いだせただろうが私の力ではどうにも出来なかった。だが、そのナリェ王妃を、儒理がひたすら看病した。夜は王妃の床に添い寝をして眠った。その儒理の看病で、王妃は、徐々に気を取り戻していった。儒理には少しだけピミファと同じ力があるのかも知れんなぁ。そして、その兆しを診たシカ(志賀)が、エイルの力を発揮し黄泉返えらせた。だが、奈落を彷徨った王妃は、もう子が産めない身体に成っておられた。
その王妃の容態に、ウォルソン(月星)様は、烈火の怒りを募らせ、キルソンが、マハン国に逃げ込んだことを突き止めると、手勢を曳いて単身マハン国に乗り込まれた。しかし、何故か、マハン国のケル(蓋婁)王は、キルソンを庇い、逆にウォルソン(月星)様を、マハン国から追放してしまった。その報を聞きジンハン国内は、マハン国への派兵熱が高まっている。おそらく春に成ればアダラ(阿逹羅)王は兵を起こすだろう。
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と、加太の悲報は終わった。
私は一度も会えなかった弟を想い、言葉が出なかった。私はウォルソン様より先に、キルソンの首を刎ねたい衝動を抑えることが出来なかった。そんな怒りに震える私を、香美妻がそっと抱き包んでくれた。
「アマ(阿摩)王子の不幸が、儒理を守ってくれるようじゃのう。これで、ジンハン国内では、儒理の身の危険は無くなった。じゃが、ナリェ(奈礼)様の心の内を察すると、嗚呼~辛いのう」と、カメ爺が吐息を漏らした。
そして、加太から儒理が「私は、王妃様を怨んではいませんよ。優奈姉様だってきっとそうです。人を怨んで生きるのは寂しい生き方です。だからご自分を責めるのは、もうよしてください。それに義母ぁ様は、大切なご自分の子を亡くし、私は可愛い弟を亡くしました。私と、義母ぁ様は、同じ悲しみを背負っています。そして私は、これからアマの分まで生きていかなければ成りません。だから、義母ぁ様も怨みに生きないでください。怨みでは、アマは浮かばれません。これからは、二人でアマの供養をしながら、共に安らかに生きていきましょう」と、王妃に言ったと聞かされた。本当に儒理は、賢い弟である。やっぱりパク(朴)氏の恐ろしい武王は、私の方である気がしてきた。儒理、教えてくれて有り難う。
~ 優奈の娘 ~
翌春、雪解けを待ちジンハン(辰韓)国は、マハン(馬韓)国を攻めた。ジンハン国軍の総大将は、ソル・ホジン(薛虎珍)様だった。しかし、チェ・ウォルソン(崔月星)様も、何としても従軍したいと、父様に申し入れ副大将で参戦したそうだ。
根っからの武人であるホジン(虎珍)様と違い、ウォルソン(月星)様は、儒理と同じ気性の学者肌で穏健派である。でもウォルソン様は、どうしても自分の手でキルソンを捕まえたかったようである。
しかし、マハン国側も良く籠城戦で耐え抜き、食料が尽きたジンハン国軍は、一旦兵を退いたようである。ホジン様は、マハン国に兵を進めると同時に、ソル(薛)氏二十八人衆を、シャー(中華)に派遣していた。もちろん、シュマリ女将が指揮官である。
田植えの水で、ヤマァタイ(八海森)国が水の王国に成った頃、そのシュマリ女将が帰国した。すでに、優奈は、バイ・チュウ(白秋)様に守られていると知っていたので私達は穏やかな気持ちでシュマリ女将の報告を聞いた。が、その報告に皆の歓喜が湧いた。
優奈は、子を産んでいたのだ。それも女の子である。これで尹家の巫女は、跡取りが出来た。だから、私は気楽に独り身を楽しめるのだ。私の跡取りは、チュクム(秋琴)というらしい。加太は早速ジンハン国に戻り、ミヨン(美英)と、シカ(志賀)を伴いシャー(中華)に向かった。
しかし、これが加太との長い別れに成るとは、この時には、まだ私は知らなかった。後で知ったのだが、加太は幼い私を見守っていてくれたように、この後チュクム(秋琴)を見守っていてくれることになる。きっと加太は、幼子の守り神なのだろう。子を産むことの無くなった龍人は、人間の小さな子が愛おしいのだ。さて、話をシュマリ女将の報告に戻そう。
《 シュマリ女将が語る優奈の幸せ 》
私は、ソル(薛)氏二十八人衆とシャー(中華)に渡ると、手分けをしてバイ・チュウ(白秋)様の行方を追いました。ジンハン(辰韓)国に渡る風之楓良船で、バイ・フー(白狐)様に色んな情報を頂いていたので、初夏には、チュウ(秋)様にお会いすることが出来ました。
そして、優奈様は、嫁がれていることを知りました。一昨年の春、チュウ様は、マハン国の海辺の町で、サンベから優奈様を買うと、娘として旅に伴われたそうです。チュウ(秋)様は、薄々優奈様の正体に気づいていたようですが、優奈様の身の危険を感じて、伏せておいでのようでした。
フー(狐)様の母上は、ユェチン(月琴)という名で、ラビア様と同じ西域人だと、フー(狐)様から聞いていました。バイ(白)夫人ユェチン様には、ユェファ(月華)という娘さんがいたらしいのですが、七歳の時に流行病で亡くなったそうです。フー(狐)様の二歳年上のお姉様です。
そこで優奈様の正体を隠した方が良いと思われたチュウ(秋)様に、ユェチン(月琴)様は「新しい名前はユェファ(月華)じゃダメかしら」とおっしゃったそうです。しかし、チュウ(秋)様は「死んだ娘の名などつけるものではない」と却下されたそうです。
ところが、優奈様の方から「はい、今日からユェファ(月華)と呼んでくれますか。お義母様」と申し出られたそうです。ユェファ(月華)と名を変えた優奈様は、それから二年余りを交易の旅の下で過ごされました。
風之楓良船に乗り込み、倭国で大型船の操船を勉強中だったフー(狐)様は、このことを知らなかったようです。きっと、フー(狐)様も手許を離れ、娘にも先立たれていたユェチン(月琴)様は、お寂しかったのでしょう。だから、優奈様を我が子以上に愛でられたようです。
ユェチン(月琴)様は、刺繍と料理が趣味の優しい方でした。だから、優奈様も、ユェチン(月琴)様に、母のぬくもりを求められたようです。返り船の風之楓良船で、フー(狐)様にこの話をしたら「俺も早くその可愛い妹に会いたいものだ」と、おっしゃっていました。
ユェチン(月琴)様の一族ユェ(月)氏は、天竺の北の西方に暮らしているそうです。ですから、優奈様は、西域までも旅されたようです。
翌年、ユェファ(月華)様こと優奈様は、冀州のジュルー(鉅鹿)という所で、ヂャン・ジャオ(張角)という青年に巡り合い、恋に落ちたそうです。驚いたことに、このジャオ(角)青年の父親は、カロ(華老)様でした。そうネロ(奈老)様の弟で、アダラ(阿逹羅)王の兄弟分だった方です。
カロ(華老)様は、巫女だった母と、シャー(中華)に逃れ、今はヂャン(張)氏を名乗っておられます。ヂャン(張)氏は、奥様の姓のようです。奥様は、ヂャン・ウェン(張文)といわれ身分の高い一族のようです。ウェン(文)様の父であるヂャン・チョン(張成)様は、江夏太守をされていた方のようです。だから、ウェン(文)様も才女のようでした。特に、詩の才能に恵まれて、その上に美形でしたが、男勝りで嫁に行きそびれていたようです。
そこで、ヂャン・チョン(張成)様は、カロ(華老)様の気品と、博識に目を留められ、娘の婿としヂャン(張)氏を名乗らせたようです。どうやらチョン(成)様は、ジンハン国の内乱をご存じのようでした。
程なくカロ(華老)様は、息子の妻になったユェファ(月華)様が、実は、アダラ(阿逹羅)王の娘優奈であると、知ったようです。兄ネロ(奈老)を倒したのが、アダラ王の本意では無かったと知ってはいても、兄を殺められた恨みは残っていました。
しかし、優奈様の波乱に満ちた生い立ちを知り「恩讐の彼方に月明かりを見つけよう」と、優奈様に話され、二人は本当の親子のように仲むずましくされていました。時折お二人は、ジンハン国の言葉で話されるので、ジャオ(角)様は、焼き餅を焼いたように膨れておられました。
私は、ソル(薛)氏二十八人衆を先に帰すと、優奈様の出産を見守り、ひと冬を、チュクム(秋琴)様をあやしながら過ごしました。それに、優奈様の産後の肥立ちがあまり良くなく心配だったのです。
しかし、春先になり、優奈様の容態も回復しましたので、日巫女様への報告に帰国したのです。チュクム(秋琴)様は、猛暑が激しい日に、朝日が昇るようにお生まれになりました。そして、まるで、火の巫女の生まれ変わりかと思わせるように、赤い髪が波打っていました。
祖母のウェン(文)様は驚き「この娘は朱雀の血を持っているのだろうか。朱雀は蛍星(火星)の精じゃから火徳じゃが…」と、心配されました。息子のジャオ(角)様の髪も栗色でしたが、それより明らかに赤い髪でした。だから、息子の赤毛を見慣れたウェン(文)様も驚かれたようです。
カロ(華老)様も「火徳は今の王朝だから、滅びゆく運命を背負うたのかの?」と、心配されていました。しかし、ジャオ(角)様は「いいえ父上、この娘は、新たな火徳を天が遣わしたのですよ」と、おっしゃいました。
そこでカロ(華老)様が「つまり、この娘は、革命の申し子か?」と更に心配されると、ジャオ(角)様は「でも大丈夫。心やさしい父上の血を引いているようですから、きっと優しい娘ですよ」と、おっしゃいました。
するとカロ(華老)様は、すこしおどけて「しかし、ウェン(文)の血も引いておるぞ」と、言われました。すかさず「貴方、何がおっしゃりたいのですか?」と、ウェン(文)様が語気を強められると「アハハハハ、張家の女傑のことを忘れていましたな」と、ジャオ(角)様も、母上ウェン(文)様をからかわれました。
そんな祝いの騒動がひと段落すると、カロ(華老)様が「さて、名を何としようかの?……ウム!!これでどうじゃ」と、秋琴と書かれた木版を皆に披露されました。ウェン(文)様が「チィゥチン(秋琴)ですか?」と、聞かれるとカロ(華老)様は「いや、チュクム(秋琴)と呼んでくれ」と、おっしゃいました。
ウェン(文)様が「それは、貴方の国の呼び方ですね」と、尋ねられると「そうじゃが、ユェファ(月華)の国でもある。ワシラは共に、もう国には帰れん身じゃ。せめて、この娘に祖国の香りを嗅いでおきたいのじゃ」と、カロ(華老)様はお答えになりました。
「それじゃ、チュクム(秋琴)と呼びましょう。でもまだ秋には早い季節ですよ」と、重ねてウェン(文)様が尋ねられると「直に、心地良い秋風が吹き始めるさ」と、カロ(華老)様はとぼけてお答えになりました。
すると、ユェチン(月琴)様が「琴は、私の名を付けていただいたのですか?」と、お尋ねになりました。そこで「まぁ、ユェチン様のようにお淑やかに育って欲しいものですなぁ」と、カロ(華老)様が笑ってお答えになると、ウェン(文)様が「まぁそれは私への当てつけですか?」とおっしゃり、続けて「あっ!! 秋は、チュウ(秋)様ですね」と、合点されたように頷かれました。
カロ(華老)様は「バイ・チュウ(白秋)様と、ユェチン(月琴)様がおられなければ、この娘は、生まれておるまいでのう。ちゅうことで、皆良いかのう」と、皆の同意を確認されました。
名も決まり皆様が安堵の笑みを交わされていると、カロ(華老)様の母上が突然「血の匂いがする」と、叫ばれました。カロ(華老)様が慌てて「母上!! このめでたい席で何を言い出すのです」と制されましたが「この娘からは、血の匂いがする。そして、恐ろしい程の気を放っている」と、恐れるような声で呟かれました。
実は、私も同じ気を感じていたのですが祝いの席なので黙っていました。しかし、カロ(華老)様の母上も巫女なので、皆様には感じることが出来ないものを感じておられたようです」更に「数年前に、倭国に新しい女王が立った。その女王は、尹家の巫女だそうな」と、おっしゃいました。
ユェチン(月琴)様が「尹家の巫女ですか?」と、お聞きになるとウェン(文)様が「シャー(中華)に伝わる伝説です。尹家の始祖は、殷の宰相伊尹(いいん)様です。大昔の話なので確かな話では無いのですが、伊尹様の母上が、大巫女様で、その力で大国シャー(夏)を滅ぼしたと言われています。ですから、シャー(中華)の歴代の王朝は、皆尹家の巫女を恐れています。でも私は、ただの迷信だと思いますよ」と、言われると「迷信などではない。大国シャー(夏)を滅ぼしたのは、尹家の巫女じゃ。尹家の巫女は、恐ろしい戦さ場の巫女なんじゃ。倭国の女王は、その再来だと言われているらしい。だから、王朝の中枢では、暗殺の命も出したようじゃ。私は、尹家の巫女には会ったことが無いが、もし会えばこの娘と同じ気を放っている筈じゃ」と、カロ(華老)様の母上は語気を強められました。
皆は困った年寄りだという顔をされていましたが、カロ(華老)様の母上の言葉は本当です。チュクム(秋琴)様は、日巫女様にも劣らない力を秘めています。カロ(華老)様は、優奈様が、パク(朴)氏であると共に、尹家の娘でもあるとご存じでした。ですから「ウェン(文)の気の強さは可愛げがあるが、戦さ場の巫女の力は恐ろしい。革命の陰には、常に戦さ場の巫女の姿がある」と、チュクム(秋琴)様の可愛い寝顔を見ながら大きな不安に包まれておいでのようでした。
一方、バイ・チュウ(白秋)様は、日巫女様に直接お会いになっているので「心配はいりません。私は倭国の日巫女様にお会いしましたが、恐ろしい方ではありません。他国の不幸を救おうと懸命になられる優しいお方です。今、我が息子のフー(狐)も、日巫女様の許で大型船の操船を修行中です。私にはあの可愛い日巫女様が、恐ろしい戦さ場の巫女の再来だとは到底思えませんでしたよ。チュクム(秋琴)が、日巫女様の姪であるのは喜ばしいことですよ」と、弁護されていました。
するとジャオ(角)様が「良いではありませんか祖母様。これからの不穏な世の中、それ位の強い力があった方が心強いですよ。それに、もし危険な力を発揮しそうになったら祖母様の力で止めてやってください」と、明るく言い放たれました。
その為、「お前がそういうなら、私も大人しくチュクム(秋琴)を見守ろうかのう」と、カロ(華老)様の母上も、チュクム(秋琴)様を抱き抱えられました。それから呪いの言葉を囁かれチュクム(秋琴)様の額に印を刻まれました。それは何者も殺めないという殺封の印でした。
その騒動を除けば、チュクム(秋琴)様は、本当に可愛く誰からも愛されて育つようでした。顔かたちは優奈様や、儒理様に似ておいででしたが、人を呼び集める力は日巫女様に似ています。いつの日か、チュクム(秋琴)様が、倭国にお戻りになり、日巫女様を継承されるように、私は願いながらシャー(中華)を後にしました。
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と、一抹の不安を残しながらではあるが、我が家の幸が得られたことを、シュマリ女将の報告で知った。それにしても、皆は私のことをそんなに恐い存在だと思っているのだと驚いた。ねぇ加太、私ってそんなに危険な存在なの? 今度帰ってきたらゆっくり聞かせて。でもその前に、私のチュクム(秋琴)が、戦さ場の巫女に目覚めないようにしっかり見守ってあげてね。天女の親子ミヨン(美英)とシカも頼んだよ。
~ キルソン(吉宣)の末路 ~
初夏、マハン(馬韓)国が、ジンハン(辰韓)国に侵攻して来たようだ。キルソン(吉宣)の身柄引き渡しを巡って、ジンハン国が、マハン国に侵攻して、一年後のことである。ジンハン国が、体勢を整え終わる前に、奇襲をかけたのかも知れない。夏、ジンハン国は、マハン国に大軍を送った。そして、父様自らが重騎兵を率いて出撃した。もちろん、チェ・ウォルソン(崔月星)様も従軍されていた。
沿岸には、盟友スロ(首露)王の大小の軍船が、マハン国軍の退路を断つかのように埋め尽くしていた。倭国からも、天之玲来船を始め、大小の軍船を送り出した。この大攻勢に、マハン国は恐れを無し、戦わずして降伏した。
そして、先の侵攻の際に捕虜にしたジンハン国の兵と民を変換し、和睦を求めた。その中には、無論キルソンの身柄引き渡しも含まれていた。そして、父様は、ウォルソン(月星)様に、キルソンの首を刎るよう命ぜられた。ウォルソン様は、キルソンの首を自らの手で刎ね仇を討つと「嗚呼~アマ様~。アマ様~」と、その場で人目をはばからず号泣された。
そして、きっと心の内で「アマ様。爺が仇を討ちましたぞ~」とアマ王子に報告されていたのだろう。それから程なくウォルソン様は、アマ王子の後を追うように他界された。やはり、恨みで生きる人の後ろ姿は寂し過ぎる。ウォルソン様の末路は、悲しみに追われたのだろうか。それとも安堵の吐息を吐いて逝かれたのだろうか。私は、闘うことの虚しさを、改めて知らされた思いがした。
もうひとりの黒幕と目されるキドン(箕敦)様は、沈黙を貫かれた。それにキ(箕)氏の当主は、御父上のキリャン(箕亮)様である。キリャン様は、父様が頼りにされている重鎮のおひとりである。だから誰もキ(箕)氏を咎めようとする気配は無かった。しかし、その日以来、キドン様は公の場からは姿を消された。
キルソンが打たれるとキルソンの家族は、倭国に渡った。キルソンの家族とその一族を引き取ったのは、高志(こし)のパク・ヨンオ(朴延烏)様である。キルソンの一族は、ソク(昔)氏の出である。だから、ヨンオ(延烏)様に縁が繋がる者も多い。そして父様は、これを黙認された。
その礼に報いるように、ヨンオ(延烏)様は、父様に見事な翡翠の勾玉を三玉贈られた。その一つは今私の手元にある。二つ目は、ナリェ(奈礼)王妃の胸に飾られ、三つ目は優奈の為に父様が持っておられる。
優奈の行方と、その経緯については、バイ・チュウ(白秋)様自らが、父様にお会いになり告げられている。だから今父様を悩ます事態は全て納まった。だから後は一刻も早く王妃様が、生きる気力を取り戻されるのを願うばかりだ。でもきっと王妃様なら大丈夫。ナリェ(奈礼)様は、こんな悲劇を何度も耐えて来られた。それに儒理も付いている。儒理は、一日として日を置かずナリェ王妃様の許に出向いているようだ。
私は、今年で二十歳に成った。七つ違いの儒理や、健や、隼人や、熊人は、十三歳だ。だから、隼人と、熊人は、もう若衆宿で暮らしている。ヒムカは、二十三歳に成った。そして、今年二人目の子を生む予定だ。最初の子には、私が蘇津彦(そつひこ)という名をつけた。二人目の子も、きっと男の子のようだから、巳魁奴(みけぬ)という名を考えている。ヒムカの子供達は、全部私が名付け親になると宣言している。そして私の子は、ヒムカが名付け親になることに成っている。でも当分ヒムカにその機会は来そうに無い。
ヒムカと同じ歳の香美妻は、私と一緒に「行かず後家」で粘っている。でもこの春ウネ(雨音)を狗奴国から呼び寄せたので、最近不穏な素振りを見せている。
私は、今年からヤマァタイ(八海森)国の農業を改革しようと思っている。少なくても、二割の反収増を目指しているのだ。ヤマァタイ国は、倭国最大の穀物庫である。だから、米の収穫高が増えれば、倭国で餓えるものは居なくなる筈だ。
そして、山裾での水田の開拓と、海辺での干拓も進めている。湿地を陸地に変える技術は、高志(たかし)大頭領が十分承知している。そこで、ホオリ(山幸)王にこの計画を相談し、ウネ(雨音)を派遣してもらうことに成った。だから、今年の田植えから、ヤマァタイ国の稲作は、ウネの指導の下に進めることにしている。しかし、香美妻のウネへの思惑は、私のそれとは違うようだ。まぁ頑張れ香美妻お姉ちゃま。
人はどうしてこんなにも必死に生きようとするのだろう。必死に生きようとするから欲が沸く。その欲が自制出来なくなる程に膨らむと、ついには人の道を踏み外してしまう。キルソンもまた、必死に生きようとしたのだろう。私は、また気鬱の病に侵されそうである。ねぇ加太教えて、必ず死が訪れると分かっているのに、人はどうして無謀なまでに生きることに執着するの? 死の淵なんか飛び越えられる筈ないのに、何故跳躍の助走をするように生き急ぐの?……アルジュナ少年ならこの無常観に、何と答えてくれるだろう。やっぱり、それも空(くう)です。というのだろうか。嗚呼、若き乙女の悩みは尽きない。ねぇ優奈、子を持つと生きる意味は変わって見えるの? ねぇ優奈……教えて。
~ 優奈の訃報 ~
今朝、変な夢を見た。私は、大きな球体の上に立っている。その球体は、大きな牡丹餅だ。牡丹餅の餡子の中に腰まで浸かって、私は夜空の月を眺めている。月は大きなスズシロ(清白)餅で出来ている。そのスズシロ餅の月の上で、サラクマ(沙羅隈)親方と夏羽が相撲を取っている。それを、お天道様の上で、ラビア姉様と、ヒムカが眺めている。お天道様はウコン色だ。お天道様は、どんどん傾きカリーの色に成っていく。カリー色に成ったお天道様を柄杓でかき混ぜ、アルジュナ少年が米の上に載せた。それを、サラクマ(沙羅隈)親方と、夏羽と、ラビア姉様と、ヒムカが、美味しそうに食べている。私の分が無いと、叫んだがアルジュナ少年は聞いていない。空腹感でいっぱいになった私は、牡丹餅を食べ始めた。どんどん食べたものだから、牡丹餅は小さくなり、私は夜空の星の海に落ちていく。どこまでも、どこまでも、星の海を落ちていくものだから、私は灰汁巻きを投げ込んだ。すると、灰汁巻きの笹の葉が開いて笹船になった。その笹船は、私を乗せて天の川を流れていく。ふと気づくと誰もいない。無性に腹が立ってきた私は「私をどこへ連れて行くのよ~ぉ~責任者でてこ~いぃぃ……」と、癇癪を回していたら、目が覚めた。
目を覚ますと、お腹が空いてきたので、昨夜の牡丹餅が一個残っていたぞっと、思い志茂妻に取りにやらせた。すると、志茂妻は、傘の上に牡丹餅を載せ、クルクルと回しながら持ってきた。変な運び方をするなぁと、思っていたら隼人が、その牡丹餅を槍で突き刺し、クルクル回し出した。そして熊人が「あっちっちの夏がくるぞ~。あっちっちの夏がくるぞ~」と、大きな団扇で扇いでいる。「こらっ~隼人に熊人!! 食べ物を玩具にするんじゃない!!」と、叱ろうとするが声が出ない。そして、「あれ? 何でここに隼人と熊人が居るの?」と、思ったら目が覚めた。まだ夢の続きだったのだ。
嗚呼~変な夢と思っていたら「日巫女様、この牡丹餅どうなさいます」と、香美妻が昨夜の牡丹餅を持って部屋に入ってきた。私はコ~ン、コ~ン、コ~ンと、三度鳴き、今度は夢ではなかろうと、呪いをかけると餡子を舐めてみた。「甘い!! 良しこれなら夢ではないぞ」と、思い牡丹餅を食べ始めたが、私は餡子の中に沈み込んでいく。キャー助けてぇ~と叫んだら「どうなさいました? 日巫女様。お加減でも悪いのですか?」と、ニヌファが、私を覗き込んでいる。そうか。やっぱり夢を見ていたのかと、起き上がると香美妻が「いつまでお休みですか。もうリーシャンの朝餉も覚めていますよ。早く朝餉をお召し上がりになり、さぁ政務を始めますよ」と、ひっつめ頭にサメ(沙魚)皮の鉢巻を巻いて仁王立ちで構えている。嗚呼やっぱりこれも夢だ。寝ようと、床衾(とこふすま)を頭から被り、寝直そうとしたら、香美妻は、床衾を剥がし取ると「駄目ですよ。日巫女様。さぁさぁ起きて。起きて」と、私の床衾を畳み女官に片付けさせた。そして、今私は、政務に追われている。嗚呼~これは全部夢だぁ~~~~。
庭先には、初夏の陽光に照らされて牡丹の花が咲いている。まるでラビア姉様の様に艶やかな花だ。これはシャー(中華)の花なので、優奈も同じ光景を見ているに違いない。あまりにも美しいので、カメ爺が、わざわざ取り寄せこの庭に植えたらしい。きっと帛 (はく)女王に見せたかったのだろう。確かに花に見惚れ政務の疲れも一時忘れさせてくれる。優奈も花に譬えれば牡丹かも知れない。ニヌファも大きくなれば牡丹のように艶やかに成るだろう。
志茂妻は、私の好きな白梅の花だろう。私は、菜花、それも賑やかな黄色の菜花。那加妻は、慎ましい白い菜花だ。庭を眺め、そんな物思いに耽っていると、香美妻がコホン・コホンと咳払いをした。私は仕方なく、また木簡と竹簡の束に目を落とした。昼餉を取り眠たさに瞼を擦りながら、木簡と竹簡の束に目を落としていると、テルお婆が、蜂蜜をたっぷり使ったお八つを持ってきてくれた。「さぁお八つを食べたら、もう一息で政務から解放されるぞ」と、味わっていると女官が「日巫女様。ラビア様が訪ねて参られました」と、告げに来た。私は「やった~ぁ!!」と、腕を突き上げたかったが、恐る恐る香美妻お姉ちゃまを見た。香美妻は、ひっつめ頭のサメ(沙魚)皮の鉢巻を解くと「ラビア様がお訪ね下さったのなら仕方ありません。本日の政務はこれまでとしましょう」と、立ち上がった。そして、奥に向かうと「さぁ皆で急いで宴席の準備を整えるのですよ」と、指示を出している。それから、ハイムル(吠武琉)も帰国している筈なので、ニヌファが私を見て嬉しそうに微笑んだ。そして、テルお婆は私を見て「困ったもんだ」とでも言いたそうに苦笑している。だから私は「やった~ぁ!!」と小さく囁いた。
《 ラビア姉様が語る優奈の最期 》
皆様、六年近くの間ご無沙汰していました。五日前にピョンハン(弁韓)国に戻り、ラクシュミー王妃に、無事アルジュナ様を送り届けた報告をして参りました。そして昨日、カブラ(加布羅)船長に、伊都国まで送っていただきました。伊都国からは、峠を越えましたので、こんな時間に戻ってまいりました。
では、早速ですが、まずは私達のキャラバンの報告から行いましょう。よろしいでしょうか? 皆様には聞きなれない地名も沢山出てきますが、聞き流しながらお聞きください。ご承知のように、五年前、私達は、カブラ船長に、ピョンハン国から直接、シャー(中華)のリンユー(臨楡)という港町まで送って頂きました。リンユーは、シェンハイ(玄海)様の生まれ故郷で、今でも拠点の一つにされている港町なのです。
シャーから、マハン国や、倭国に渡るには、幾つかの海路が有ります。でも、最も使われるのが、このリンユーという港町からの船出です。だから、リンユーは、とても活気がある港町です。そして、リンユーで、ウーハイ(武海)兄さんが、キャラバン隊を調えていてくれました。
そこでリンユーで、馬と馬車に荷を積み替え、カルガン(張家口)という町へ向かいました。それから、私達のキャラバン隊は、カルガンで大きな取引をすると、夏から秋にかけ、ウーファン(烏桓)の野営地や、漢人の街を交易して回りました。
そして、冬が来る前には、シャーの古都長安に入り、そこでひと冬を過ごしたのです。もちろん商売をしながらです。ハイムル(吠武琉)は、随分とシャーの言葉を話せるように成り、とても役立ってくれました。
町での商売は、殆どハイムルと、アル君が店先に立って呼び込みをしてくれました。ウーファン(烏桓)からは、沢山の毛皮や、干し肉を買っていましたからね。商品は豊富に有ります。その冬だけでも、私達は十分な商売をしました。その対価で今度は、シャーの特産品を沢山仕入れました。
そして春先に成ると長安を出て、私が育ったトルファン(吐魯番)地方に向かいました。この旅路は、西域とシャーを結ぶ貿易路なので、沢山のキャラバン隊が行き交い治安も悪くありません。だから、のんびりとした旅です。
初夏、トルファン地方に入ると、古都クロライナ(楼蘭)で、大きな取引を行いました。それから北に向かい、シィォンヌー(匈奴)の野営地や、集落で交易をして、晩秋には、ヤルホト(交河城)に戻って来ました。
先ほどお聞きしましたが、日巫女様がチュホ(州胡)であったバイ・チュウ(白秋)は、私の伯父です。そして、ヤルホトには、今でもチュウ(秋)伯父さんの館があるので、そこでひと冬を過ごすことにしました。
それにその館は、幼き日に私が育った館でもあります。今は一族の者二家族が住んでいて、キャラバンサライも兼ねています。キャラバンサライというのは、西域の交易商人の商人宿です。だから、チュウ(秋)伯父さんの館は、私達交易商人団の西域の拠点なのです。それに、私を育ててくれたフー・シュエ(狐雪)祖母ちゃんのお墓もあるのです。
それから、その二家族の一つは、フェァ・ユン(何雲)夫婦といいます。妻はフー・シャー(狐沙)といい、私の叔母さんです。シャー(沙)叔母さんは、チュウ(秋)伯父さんと、父さんの妹です。シャー(沙)叔母さんの夫のユン(雲)は、チュウ(秋)伯父さんの部下で、父さんより一つ歳上です。
チュウ(秋)伯父さんは、長女のユェファ(月華)が生まれた頃、シャーでの交易を広げる為、ガオミー(高密)に館を構えました。ガオミーには、シュエ(雪)祖母ちゃんの友達が嫁いでいて、肉屋を営んでいました。夫は、フェァ・ラン(何然)といい漢人ですが、若い時に羊の捌き方を習おうと、ヤルホトに来ていたそうです。その時に、シュエ(雪)祖母ちゃんの友達と知り合い、夫婦になるとガオミーに帰ったそうです。
チュウ(秋)伯父さんの妻ユェチン(月琴)伯母さんの一族は、家畜を捌く時に、血を大地に落としません。そして、血の一滴も、骨のひとかけらも無駄にしません。それが牧畜の民の掟らしいのです。生き物を屠る人は、聖なる心を持たなければいけないとされています。だから、肉屋のラン(然)は、その聖なる技を身につけたかったのだそうです。
フェァ・ラン(何然)の息子ユン(雲)は、悪童だったようです。その悪童ユン(雲)は、チュウ(秋)伯父さんに憧れ弟分に成りシャーでの交易を手伝いました。
それから、悪童ユン(雲)は、シャー(沙)叔母さんに恋をして、夫婦になり子を授かりました。でも可哀そうなことに、難産だった上にその子は死産だったそうです。シャー(沙)叔母さんは、気の病にかかり、悪童ユン(雲)の落ち込みようも、悪童仲間から哀れさをかう程に酷かったようです。
そこで、チュウ(秋)伯父さんは、悲嘆にくれる妹夫婦を、ヤルホト(交河城)の母の許に帰しました。そして、ヤルホトのキャラバンサライ運営と、西域の交易を、悪童ユン(雲)に任せたのです。それから二人は、慎ましく暮らしたのですが、長い間子供には恵まれませんでした。だから、生まれて間がない私は、実の娘と同様でした。私も乳飲み子で、両親の顔を知ら無かったから物心が付いた時は、ユン(雲)叔父さんと、シャー(沙)叔母さんを、本当の両親だと思っていました。だから今でも、二人を呼ぶ時は、ユン(雲)父さんに、シャー(沙)母さんです。
そういうことで、ヤルホトの館は、私には気が休まる所なのです。そしてこの時も、毎日のように一族が集まり、私を歓迎してくれました。
それから既に亡くなってはいましたが、シュエ(雪)祖母ちゃんは踊りの名人でした。だから、シュエ(雪)祖母ちゃんを偲んで、皆で踊りの輪を作ってくれました。そうやって、ユン(雲)父さんと、シャー(沙)母さんの許で楽しく冬を過ごしたので、春先にはすっかり旅の疲れも取れました。
私達は、春の気配が近づいた頃、ヤルホト(交河城)の館を出て、タリム(塔里木)盆地の南側を、ホータン(于闐)から、カシュガル(莎車)に向かいました。実は、父さんは、このタリム盆地のカシュガル生まれです。でもそれは、旅の途中での出来事だったので、ヤルホトのように、バイ(白)一族の館は在りません。だから、カシュガルには、長居はせずに峠に向かいました。
冬は雪に閉ざされてしまう峠ですが、初夏のこの時期には、野の花も咲き穏やかな青空が広がっています。ですから、大きな苦労もなく天竺への峠を越えることが出来ました。それから川沿いに南下し、天竺の西の港町から中央山間部に向かい、ビダルバ国を目指しました。途中の村々でも、交易を続けながら秋には無事に、ビダルバ国に到着しました。
しかし、残念なことにラクシュミー王妃のお兄様シヴァスカンダ王は、病の床に伏せられていました。そして春を待たずして他界されました。王位は、その世継ヤジャニヤ様が継承されていました。ヤジャニヤ王は、ラクシュミー王妃の甥に当たりますから、アルジュナ少年とは従兄弟になります。ヤジャニヤ王は、まだお若く私より一つ歳下だそうです。だから、王に成られても、とても心細かったようです。その為、聡明な従兄弟の、アルジュナ少年を、手放そうとはされませんでした。
私達は、ひと冬を、王宮で過ごしました。すぐに引き返しても峠についた時は、雪に閉ざされている筈です。だから私は、商学の手ほどきをしながら過ごしました。その間に、ハイムル(吠武琉)は、随分ヤジャニヤ王に鍛えてもらったようです。ヤジャニヤ王は、アル君だけでなく、ハイムルも、お気に入りでした。だから王は、アル君だけでなく、ハイムルも、傍に置いておきたかったようです。でもハイムルは、置いていく訳にもいきませんので、アル君だけが、そのままビバルダ国に留まっています。
ラクシュミー王妃は、既にヤジャニヤ王からの急使が届き、この事態をお知りに成っていました。ですから、私がピョンハン(弁韓)国に戻った時には兄シヴァスカンダ王を弔う為に、帰郷の準備をされていました。
この旅で、アル君とハイムルは、すっかり無二の友に成っていましたので別れが辛そうでした。ヤジャニヤ王は、ハイムルに、愛刀を贈りになり、別れを惜しまれました。そして、初春には、私達のキャラバン隊は、ビダルバ国の王宮を後にしました。
それから再び峠を越えて、夏の終わりに、カシュガルに戻りました。嗚呼そうそう、この旅の途中で風変わりな倭人に出会いました。ヤジャニヤ王の王宮を出て程なくのことです。ある村外れに差し掛かると、若い男が行き倒れていました。逞しい身体つきなので飢えで倒れたとは思えません。ハイムルが駆け寄り男の様子を見ていましたが高熱を発していました。だから、どうやら流行病で倒れていたようです。そんな生き倒れは、途中の道々にも沢山いたので、私達のキャラバン隊は、そのまま通り過ぎようとしました。
しかし、ハイムルが「連れて行きましょう」と言うので、一台の荷馬車に乗せました。馬遣いの頭は「こんなのを一々助けていたら一日も行かないうちに全部の荷馬車が生き倒れでいっぱいに成りますよ」と言って嫌がりましたが、ハイムルがどうしてもと頼むので「ひとりだけですよ」と馬遣いの頭も渋々引き受けてくれました。
その一帯は貧困と流行病に冒されていたようです。そして、その生き倒れは、どうやら倭人のようでした。ハイムルが倭人を抱きかかえると、倭人が「全て良し」と虫の息で呟いたそうです。何が良いのか分かりませんでしたが、倭人の言葉であるのは間違いなかったようです。
数日程経つと倭人は元気を取り戻しました。話を聞くと、どうやら千歳川の生まれだということでした。行くあてのない旅のようでしたから暫らく私達の旅に同行することにしました。男の名を聞くとウージーと名乗りました。倭人らしくない名なので本名かどうかは分かりません。まぁ本名が分かったところで私達にはあまり関係ないことなので、名はウージーで良いかと思っていましたが、ハイムル(吠武琉)が「どうせなら短くウージと呼ぼう」と言い出しました。
男も名等どうでも良い素振りなので、その倭人はウージと呼ばれることに成りました。ウージとは、ハイムル達南洋人の言葉で砂糖が取れる黍のことだそうです。サトウキビは、稲の仲間のようですが茎は稲のように細くなく、竹のように太い茎をしています。しかし、竹のように空洞では無く中に詰まった繊維の間には沢山の砂糖水が含まれています。その砂糖水を絞って乾燥させ砂糖にします。私達の商いでも塩と同じ位に大事な商品です。私は試してみたことは有りませんが、南洋人の子供達は、そのまま茎を齧るそうです。すると青臭くて甘い汁が口いっぱい広がるのだそうです。ハイムルも小さい時には、そのウージを齧るのが大好きだったそうです。
ウージは、ハイムルより少し年上のようでした。そして、とても賢く色んなことを知っていました。だから、ハイムルは兄のようにウージを慕いました。ある山道を旅している時、盗賊の一群に襲われました。盗賊団は、こちらの護衛部隊より多い数で私達は苦戦を強いられました。するとウージがあっという間に数人の盗賊を切り倒しました。そのウージの剣に盗賊団の腰が引け始めました。ウージの太刀筋は恐ろしく早いのです。ちぇーっと気合を発している間に、その剣は幾度も空を切り裂くのです。それでも幾人かの盗賊がウージに襲いかかると、ウージの剣は瞬く間に盗賊たちの鉄剣を打ち砕きました。その斬鉄剣に盗賊団は恐れをなし逃げ去って行きました。私達の旅団からは歓喜の声が湧き上がりましたが、ウージは、自分が切り倒した盗賊達の手当をしていました。
ウージは、盗賊達の手足を切りつけ命は奪っていなかったようなのです。でも手足の筋を切っているので治ってももう武器は使えず強盗には戻れないそうです。後でウージに「何故殺さなかったのか」と尋ねたところ「戦いでは命を奪うのは良策ではない」というのです。負傷させる方が、敵方はその手当に時を割かれ、また、負傷した敵は恐怖を敵方に伝染させるのでその方が得策なのだというのです。確かに私達の防衛力の高さがその一帯の盗賊団に伝わったのか襲撃を受けなくなりました。
ハイムルは益々ウージに親しみを感じ「もし将来、私に娘が授かったら是非あなたの妻にしてもらいたい」とまで言っていました。今度の帰路では、カシュガルから、タリム盆地の北側を通り、ヤルホトの館に戻ることにしました。この北路は、南路に比べると、厳しい旅になるのですが、ウージのように頼れる用心棒が居れば乗り切れるだろうと思ったのです。そして、その厳しい旅もハイムル(吠武琉)に体験させたかったのです。ところが、北路の終わりでウージは忽然と消えました。まるでタリム盆地の砂塵のように空に舞い上がったのです。ハイムルはとても悲しみましたが、神様のなさりように人の力は及びません。
北路を旅し、ヤルホト(交河城)の館に戻ると、再びユン(雲)父さんと、シャー(沙)母さんの許で、冬を越し、次の年の夏にはシャーの古都長安に入りました。だから、シャーでは、シュマリ女将とは、入れ違いになり会えていません。シュマリ女将が、私達のキャラバン隊に同行してくれれば心強かったのですが残念です。
私達は、帰路の船出を、リンユー(臨楡)では無く、ジンメン(津門)という港町から船に乗り、ピョンハン国に戻ることにしていました。これは帰路の船旅を手配してくれるウーハイ(武海)兄さんの判断です。古都長安からジンメンに向う旅筋に、イェ(鄴)という古都が在ります。チュウ(秋)伯父さんは、青洲のガオミー(高密)の館以外にも数か所の館を、シャーに築いています。そして、その冀州の古都イェにも館が在ります。
都合が良いことに、チュウ(秋)伯父さんは、私達が帰路に就いていたその頃は、イェ(鄴)の館で暮らしていました。イェの館は、キャラバンサライも兼ねています。だから、いつも大勢の旅人で賑わっていました。それに秋も近づいていましたので、天候次第では、ひと冬シャーに足止めです。その為チュウ(秋)伯父さんの館に立ち寄るのは、とても都合が良かったのです。
身勝手なようですが、チュウ(秋)伯父さんと、ユェチン(月琴)伯母さんには、遠慮はいらないのです。それに、何よりも、チュウ(秋)伯父さんと、ユェチン(月琴)叔母さんに久しぶりに逢い、四方八方話(よもやもばなし)がしたかったのです。
私が、チュウ(秋)伯父さんの許にいたのは、九歳の時までです。九歳になった私は、もう自立できると思い鬼(き)国に帰ったのです。それに、父さんのことも心配でした。十二歳だったフー(狐)兄さんは、号泣しながら私を見送っていました。その頼りないフー(狐)兄さんが、今は倭国で、船乗り修行をしていると聞かされて驚きました。
それと、ウーハイ(武海)兄さんは、私が六歳の時にチュウ(秋)伯父さんから、交易を学ぶ為に、ヤルホトの館に修行に来ました。その時、ウーハイ兄さんは十七歳でした。だから、ウーハイ兄さんには、それから四年近く良く遊んでもらいました。そして今でも、遠慮なく世話をかけています。だから帰りの船を、ジンメン(津門)で手配してくれるのもウーハイ兄さんです。
そんな話も含めて、チュウ(秋)伯父さんと、四方八方話(よもやもばなし)をしていると、ユェファ(月華)姉さんの名が出ました。ユェファ姉さんが亡くなった時には、私はまだ二歳だったので、ユェファ姉さんのことは良く覚えていません。でもシュエ(雪)祖母ちゃんが良く「ユェファが生きていれば」と、口にしていましたから、名前だけは覚えていました。
しかし、チュウ(秋)伯父さんの話に出てきたユェファ(月華)は、養女だということでした。マハン国の奴隷市場で売られていたのを買ったのだそうです。ユェチン(月琴)叔母さんがいうには、亡くなったユェファ姉さんの面影があったそうです。
その養女のユェファ(月華)さんは、既に嫁ぎ昨年の夏チュクム(秋琴)という名の娘を産んだということでした。そして、シュマリ女将が、チュクム(秋琴)ちゃんを採り上げてくれたと聞き驚きました。その話が進む内に、その養女のユェファ(月華)さんは、日巫女様の双子の妹優奈様だと分かりました。
チュウ(秋)伯父さんも、以前から薄々そうでは無いかと思っていたそうです。でも奴隷市場で売られている位ですから、優奈様だとしたら何かの陰謀に巻き込まれているに違いありません。だからその詳細を確かめるまでは、迂闊にことを明らかにする訳にはいけないと思っていたようです。
そして、へたにジンハン国に連れ帰っても、逆に身の危険にさらされるかも知れないと考えたそうです。私もまだその時には、キルソンの悪事を知りませんでした。だから、ユェファ(月華)さんの嫁ぎ先のジュルー(鉅鹿)を訪ねて、直接確かめようと思いました。
ジュルーは、イェ(鄴)の近くに在りチュウ(秋)伯父さんの館からは、二日余りの所でした。そこで、伯父さんと、伯母さんを伴い優奈様にお会いしてきました。シュマリ女将からも聞き及ばれたと思いますが、やはり優奈様は、産後の肥立ちが悪く臥せっておられました。
夫のジャオ(角)様や、舅のカロ(華老)様と、ウェン(文)様も懸命に看病されていましたが、容態は良くありませんでした。優奈様は、病床の中で、倭国の様子や、儒理様が無事にお過ごしの様子、そして何よりも、双子のピミファ姉様の話を知りたがりに成られました。そこで私は、カロ(華老)様と、ウェン(文)様のお許しを頂き、ジュルー(鉅鹿)の館にお邪魔することにしました。
それからしばらくの間、優奈様が、迎えに寄越されたジンハン船の話から、私と、ピミファ姉様が出会い、私が、姉になったこと等をお聞かせしました。だから優奈様も、私のことをラビア姉様と呼ばれるようになりました。
それから、お祖父が亡くなったこと、狗奴国を皆で旅したこと、日巫女様がヤマァタイ国の女王に成られたことなどをお話しすると、本当に楽しそうでした。特に、狗奴国の旅は、優奈様の関心を引き「私も、カゴンマを見てみたい」と、心を倭国に飛ばされているようでした。
パク・ククウォル(朴菊月)様の話には、カロ(華老)様が驚き、そして目を潤ませ喜んでおいででした。カロ(華老)様は、ククウォル(菊月)様という姪の存在を、ご存じでは無かったのです。
そんな楽しい時を過ごしながら、春を迎え、そして夏も過ぎ、晩秋の日暮れ時、優奈様は「嗚呼、阿多の海が見たい」と、囁かれると静かに息を引き取られました。傍らで、よちよち歩きのチュクム(秋琴)ちゃんが、元気に走りまわっていました。私もこんな風に、何にも分からず元気な姿で、母の死に立ち会っていたのだろうなぁと思うと、切なくて切なくて涙が止まりませんでした。
生前、病床に就いた優奈様に「やはり、ユェファ(月華)なんて名前で呼ぶんじゃなかったわ」と、ユェチン(月琴)叔母さんが謝られたそうです。すると優奈様は、強くユェチン(月琴)叔母さんの手を取って「いいえ、ユェファ(月華)は、とても幸せでしたよ。お母様」と、おっしゃったそうです。だから、私は、優奈様は、災難に会い波乱の人生を過ごされましたが、きっとお幸せだった筈だと思います。そして「ピミファ姉さんにあったら、私は幸せよ。と伝えてね」と、私に何度も何度もおっしゃいました。だから日巫女様に「優奈様は、お幸せなままお亡くなりに成りました」とお伝えします。
………………………………………………………………………………………………
と、ラビア姉様のキャラバンの報告は終わった。
ラビア姉様は、更にひと冬を、チュクム(秋琴)をあやしながら過ごし、この春の船で帰国したそうである。それから、久しぶりに会ったハイムルは、とても逞しくなっていた。旅が、ハイムルを鍛えてくれたのだろう。それにしても、アルジュナ少年は、無事祖国に戻れたようで本当に良かった。アルは、離別を悲しむハイムルに、別れ際「生まれた物には必ず死が訪れます。会った者どうしには必ず別れが訪れます。生者皆帰死(しょうじゃかいきし)そして会者定離(えしゃじょうり)は、人や生きる物の避けがたい定めです。だから、悲しまないでください。一期一会(いちごいちえ)の心で、今日はお別れしましょう」と言ったそうだ。常に一期一会の心で人に接すれば、悲しみは訪れないのかも知れない。
でも、でも、でも、でも… 私は狗奴国にいるシュマリ女将には、何と伝えようかと熱くなる目頭を押さえて瞼を閉じた。……嗚呼~ これは全部夢だぁ~~~~。
⇒ ⇒ ⇒ 『第12部 ~ 夏の嵐 ~』へ続く
卑弥呼 奇想伝 | 公開日 |
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(その1)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 | 2020年9月30日 |
(その2)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 | 2020年11月12日 |
(その3)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 | 2021年3月31日 |
(その4)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第4部 ~棚田の哲学少年~ | 2021年11月30日 |
(その5)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第5部 ~瑞穂の国の夢~ | 2022年3月31日 |
(その6)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第6部 ~イズモ(稜威母)へ~ | 2022年6月30日 |
(その7)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第7部 ~海ゆかば~ | 2022年10月31日 |
(その8)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第8部 ~蛇神と龍神~ | 2023年1月31日 |
(その9)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第9部 ~龍の涙~ | 2023年4月28日 |
(その10)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第10部 ~三海の海賊王~ | 2023年6月30日 |
(その11)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》 第11部 ~春の娘~ | 2023年8月31日 |
(その12)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第12部 ~初夏の海~ | 2023年10月31日 |
(その13)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第13部 ~夏の嵐~ | 2023年12月28日 |
(その14)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第14部 ~中ノ海の秋映え~ | 2024年2月29日 |
(その15)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第15部 ~女王国の黄昏~ | 2024年4月30日 |
(その16)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第16部 ~火球落ちる~ | 2024年9月30日 |