幕間劇(16)「500マイルも離れて」
新緑が青嵐(あおあらし)に大きく揺れている。すると中ほどの枝が銀色に光った。目を凝らすと青大将である。青銀の蛇体がうまく新緑に溶け込んでいる。蛙でも飲み込もうと木登りをしているのだろうか。そして、その青大将の尻尾を掴み生け捕ろうとしている悪ガキがいる。あれは大きくなった寝小便小僧の芳幸(よしゆき)だ。今や九歳に成った立派な悪童である。
傍らには十一歳になった鼻たれ小僧の夏人(なっと)も立っている。同じく九歳に成った神童香那嬢が「ヨシユキ。馬鹿なこつぁ止めんね。咬まれるばい」と心配している。先輩夏人は「尻尾ば掴んだらブンブンぶん回せ。そしたら咬まれんばい」とアドバイスを送っている。
夏人の陰から不安そうな声がした。「ありゃ平口(マムシ)や無かと(ないのか)? 咬まれたら死ぬとや無かと?」その声の主は美少女の明美ちゃんである。美少女は、兄ちゃんの英(ひで)ちゃんと九歳離れているから七歳だ。ピカピカの小学一年生である。それに母親の明子さんに似て美人である。更に英ちゃんの妹だから頭も良い。きっと将来は祖母ちゃんのように学校の先生になるかも知れない。晴美先生の二代目である。
震える明美ちゃんをやさしく抱きよせ「心配無か。芳幸なら上手くやるばい。そいに、ありゃ平口(マムシ)や無か!! 青大将たい。青大将にゃ毒は無かけん。咬まれても死にゃせん。心配せんで良か。良か」とガキ大将は優しく背を撫でた。
夏人は、子供達には優しいが、評判の悪ガキである。だから毎日のように祖父ちゃんに叱られ殴られている。そこで、蛇を祖父ちゃんに投げつけて復讐しようという魂胆である。だから、芳幸から青大将の尻尾を受け取るとブンブンと回しながら家に向かって行く。子供達もどうなるだろうかと興味津々で付いて行く。
柿渋の臭いが鼻を突く。魚網が干された家の前まで来ると丁度祖父ちゃんは、芳幸の祖父ちゃんの伊太しゃんと竿の手入れをしていた。どうやら竹の乾燥具合を確かめているようである。傍らには竹を縛っていたのだろうか古い縄もある。
祖父ちゃんは、夏人達に背を向け板台に座っていた。夏人は「お~い糞ジジィ」と声を掛けた。そして、何じゃと振り返った祖父ちゃんに青大将を投げつけた。ところが、祖父ちゃんは驚きもせず、青大将を鷲掴みに掴むと「何んか。青大将やなかか。こりゃ美味もう無か」と、笹藪の中に青大将を投げ戻した。
それから「喰うなら、こっちの方がガバイ美味かけん。こいば捕まえてこんか」と、古縄を、ナット(夏人)に投げ返した。その古縄を掴んだ夏人が「ぎゃぁ~。こりゃ平口(マムシ)ばい」と悲鳴を上げた。すると「男がそげな情けん無か声ば出すな。くらすぞ(殴るぞ)。それにもう死んどる」と、祖父ちゃんが振り向きもせずに言った。
尚も震えながら夏人は「糞ジジィ~糞、糞、糞ジジィ~」と、地団太を踏んでいる。芳幸が「やっぱ、カガミん爺にゃ勝てんばい」と、ため息をついた。伊太しゃんが「おい芳幸。お前もナットの負けん気ば学べよ」と、大笑いしだした。女の子達もそのやり取りにクスクスと笑いだした。独り夏人だけが青嵐のように暴れていた。
高校に入学するとジョーは、柔道部では無く水泳部に入部した。竜(りゅう)ちゃんの指導の下、かなり達者な泳ぎ手に成っていたのだ。そして中学校でも、柔道部では無く水泳部だった。体が大きく腕力もあるジョーは、柔道部ならレギュラーに成れただろう。しかし、水泳部ではレギュラー選手にはなれなかった。この水泳部は、県大会で優勝する程の水泳巧者揃いだったのである。だから、ジョーの泳ぎではレギュラー選手になるのは無理だった。しかし、万年補欠だったとはいえ、ジョーの泳ぎもなかなかのモノになっていた。それに何よりも、ジョーは水の中の浮遊感が好きだったのだ。だから、今ではイルカのように泳げるのである。通学路のみっどし(水通し=用水路)で溺れかかっていた頃からすると立派なものである。その上、泳ぎなら剣道部に入ったひで(英)ちゃんや、柔道部に入った竜ちゃんより随分と上手くなっていた。
本当は、高校も英ちゃんや竜ちゃんと同じ学校に行きたかったが、それ以上にママと暮らしたかったのだ。もし、春日原の小学校に英ちゃんや竜ちゃんがいたなら、ジョーは、ず~っと春日原に住んでいただろうと思っている。でも、やっぱり、祖父ちゃんの村で育ったのが良かったのだとも思っている。あの珍しい生き物を見るような目線も、今では跳ね返せる力がついた。それに、香椎は神様の町である。だからどことなく、町の人々も穏やかな感じを受ける。
休みの日には、親子で香椎宮の境内に出かけた。ささやかなピクニックである。特に春は桜で満開の境内となった。ピクニックの食べ物はいつも香椎の商店街で買い求めた。そして、わざわざ香椎の駅から宇美行きの汽車に乗った。実は、香椎宮は家から歩いても近いのだが、わざわざ香椎の駅まで歩き、そして惣菜を買い求めると、宇美線に乗って香椎神宮駅まで行くのだ。もし、この香椎線を宇美行きとは反対の汽車に乗れば、パパが飛び立った雁ノ巣の飛行場に行くことが出来る。それから更に先に行くと、志賀島の手前の西戸崎の駅に着く。西戸崎の駅からは海が見え、夏は海水浴客で賑わう。
宇美には海は無い。宇美は、呼び方はウミだが山の中だ。ウミは産みのことらしい。神功皇后がそこで応神天皇を産んだのでウミ(宇美)というそうだ。神功皇后の夫が日本武尊の息子だといわれている仲哀天皇である。
そして、香椎宮は、その仲哀天皇と神功皇后を祀った神社だ。仲哀天皇は、身長180cmの美男子であったらしい。金髪だったかは定かではないが、どうやら今のジョーのような美男子だったようである。それに、日本武尊の息子だから、逞しく腕っぷしも強かったに違いない。
ただし、史実を紐解いていくと、日本武尊が亡くなった三十数年後に産まれたことになるので、息子だというのは信じがたい。だが、日本武尊一族の最後の大王だったとは考えられるだろう。何故なら、次代の応神天皇は、仲哀天皇が死んで十月十日を遥かに超えて産まれたらしいので、王朝交代が起こったのだという古代学者達が多いようである。まぁ、時代は女王卑弥呼の頃だから、正確なところは誰にも分からないだろう。だから、どうとでも言えるのである。
ともかく、今の香椎宮の境内からは、そんな血生臭い風は吹いてこない。福岡の東区には、もうひとつ神功皇后を祀る大社がある。箱崎宮である。箱崎宮は、京都の石清水八幡宮と、大分の宇佐八幡宮と共に並び称される三大八幡宮である。主祭神は、応神天皇だが母の神功皇后と共に玉依姫命が配祀神でおられる。玉依姫命は、応神天皇の皇后では無い。
でも何故か、玉依姫命も祀られているのである。玉依とは、魂依りのことだから巫女女王を祀っているのかも知れない。正月の祭事には、玉せせり(玉取祭)という鬼道を思わせるモノが行われる。そして、七月の頭には「お汐井取り」が行われ、博多山笠の幕が開ける。どうも、箱崎宮は、海人(うみんちゅう)の匂いが色濃くする神社だ。
その箱崎宮の浜から、ジョー達水泳部員は、ドボンと海に飛び込み志賀島まで泳いで渡る。不思議なことに、ジョーが通う高校には、水泳部はあってもプールが無いのだ。でも実は「プールもある」と、先輩の浅田さんに連れて行かれたが、どう見てもジョーには、それがプールには見えなかった。「これなら、みっどし(水通し=用水路)の方がよっぽどましばい(はるかに良い)」と、思ったのである。浅くて底に溜まった水は、アオコの養殖池である。だから、良くて防火用水である。その為、プールを持たない水泳部員は、近くの大学のプールを使わせてもらっていた。
しかし、初夏になれば、博多湾の方が気持ち良いのである。真っ黒い若松の洞海湾に比べたら、博多湾は南の島のオーシャンブルーにも負けない位に綺麗であった。内海の有明海よりも海水が澄んでいるのだ。それに、有明海の干潟と違い、周辺は白砂青松である。
浅田先輩は、春吉の生まれで、花街のお姉さん達に囲まれて育っているので粋である。海水パンツの間に小銭を忍ばせ西戸崎の浜に泳ぎ着くと、ジョー達後輩にアイスキャンディを奢ってくれた。それから、また箱崎の浜に泳ぎ戻ると、海水パンツのままで颯爽と水族館に入って行った。もちろんジョー達も付いて入った。それから、博多の若大将浅田先輩には、色々と教えてもらった。そんな日には、必ず、竜ちゃんと英ちゃんに電話をした。「良かねぇ。ばってんジョーだけ贅沢したらいかんばい。夏休みには、そっちに遊びに行くけん。オイと、ひでちゃんも、春吉橋ば渡らしてくれんね」と、竜ちゃんの弾んだ声が電話口に響いた。竜ちゃんは今、英ちゃんを誘ってバンドをやっているそうだ。あの英ちゃんまで、ブルーブルーと腰を振っているのだろうか。ジョーは電話口で笑いを堪えるのに苦労をした。
高校二年生になった年に、大学生の山本さんと知り合った。山本さんは、プールを使わせてもらっている大学の学生である。そして、高校の水泳部の先輩でもあった。去年までは、パリにいたそうだ。だから、プールで金髪のジョーを見かけると、フランス語で話しかけてきた。そこでフランス語で返事を返すと「やはり君はフランス人か」と親しげに肩を組んできた。「いえ、父方の一族がフランス人なのですが、僕は日本人とのアイノコです」と答えると「ほう、そうは見えんねぇ。君はどこからみてもパリッ子だよ。それにアンフォンダムール(愛の子)か。うらやましいなぁ。俺の両親なんか家同士で有無を言わさず一緒にさせられたらしいから、愛など無縁だったらしい。まぁ近頃は二十数年も連れ添っているから、少しは愛し合えているようだけどね。だから俺などは家縛りっ子だ」と言って笑った。だから「僕は、筑ッ後育ちの田舎もんです。パリには行ったことも有りません」と正直に答えた。すると「そうかぁ。じゃぁ近いうちに俺とふたりでパリに行こう」と爽快な笑顔で誘ってくれた。
それ以来、何かと親切にしてもらっている。水泳はもちろんだが勉強も良く教えてもらえるように成った。山本さんの家は西の早良の方らしいが、山本さん自身は香住ヶ丘で下宿生活をおくっていた。だから、自転車に乗って、良く下宿にもお邪魔した。山本さんの部屋は、壁一面が本で覆われていた。画集から哲学書まで様々な本があった。古いクラッシックギターが1本有り、勉強の合間には、ギターのコード進行も教えてもらった。
山本さんは、ジョーより五歳年上だった。ジョーは、まるで兄が出来たように嬉しかった。ジョーが最初に教えてもらった曲は500マイルというアメリカの民謡だった。この曲を練習曲にしたのは、コードが簡単だったからだ。この歌は、1961年にへディ・ウェストという女の人が楽譜に起こしたらしい。歌の内容は、貧しい放浪者(ホーボー)の旅の歌だ。それから、他にも放浪者(ホーボー)の歌を歌うウディ・ガスリーやピート・シーガーという人のことも教えてもらった。彼らの音楽は、フォークソングというらしい。アメリカは豊かな国だと思っていたが、貧しい人も大勢いるのだと知った。更に、公民権運動や黒人奴隷の歴史も教えてもらった。ジョーは、菊池先生と同じように山本さんを先生として尊敬した。ただし、菊池先生よりは随分と若いからやっぱり兄貴分であった。
ママが倒れて入院すると、山本さんが良く泊まりに来てくれた。ジョーのことを心配してということもあるが、山本さんは、ママのレコードにも興味があったのだ。山本さんとJAZZを聞きながら、黒人差別への憤りや、ホーボーの悲しみを知った。そして、翌年1965年の春、ママが死んだ。
ママの葬式の日、ジョーは、久しぶりに幼馴染と再会した。竜ちゃんや英ちゃんの顔も大人びてきて、民(たみ)ちゃんは更に美人に成っていた。福岡に帰る日、民ちゃんが、ジョーの高校の学園祭に行きたいと言い出した。どうやら民ちゃんは、福岡の街に憧れを抱いているようだ。ジョーは、博多駅まで迎えに行くと約束した。
1963年、民ちゃんは、大牟田の女子高に入学した。民ちゃんの祖母ちゃんは、タラという名でフランス人だった。だから、小さい時からジョーとマリーにやさしくしてくれた。実は、ジョーのフランス語もタラ祖母ちゃんに習っていたのだ。タラ祖母ちゃんは、ジョーとマリーに、アイデンティティーを持たせたかったのである。だから、パパの母国語を教えたのである。
言葉は、伝達の手段であるが文化でもある。私は何者だ?と悩んだ時に、母国語は、その文化と共に、一族の繋がりを実感させてくれる。故に言葉を奪われた民は悲壮である。それは、先祖を奪われたのと同じであり、先祖を否定されるのは、己も否定されたのと同じなのだ。侵略者に殺された人々は悲惨ではあるが、生きながらえながらアイデンティティーを奪われた人々は更に悲惨なのである。
そして、フランス人のタラ祖母ちゃんは、クリスチャンである。更に祖父ちゃんも生粋の筑ッ後人であるが、若い時にクリスチャンに成っていたのである。先祖代々浄土真宗だった曾祖父ちゃんは激怒したらしい。しかし、フランス人のお嫁さんまで連れて帰ってきたので諦めたらしい。
その悔しさも含めて、民ちゃんの父親である孫の兼人には物心がついた時から「帰命無量寿如来~南無不可思議光」と叩き込んだのである。なので今では兼人は「弥陀成仏のこのかたは~」と、立派な真宗門徒である。だから、祖父ちゃんとタラ祖母ちゃんは、今度は民ちゃんを、クリスチャンにしようと思っているのである。
幸い、曾祖父ちゃんは、数年前に帰らぬ命となっていた。民ちゃんの母親は、照代という名で八女美人である。そして由緒ある神社の娘である。だから、八女の祖父ちゃんは「かしこみ、かしこみまうす~」なのである。そういう事情なので福田家はいたって宗教色が豊かなのである。民ちゃんの弟の信夫は「俺はナ~ムア~メンでマウス~」とほぼ宗教には興味がない。八女の祖父ちゃんがいくら「神武このかたぁ~」と、日本の神様のことを教えようとしても糠に釘、豆腐にかすがい、暖簾に腕押し、馬の耳に念仏なのである。困ったものである。
竜ちゃんと英ちゃんの二人はバス通学だが、民ちゃんは電車通学である。大善寺の駅までは自転車である。中学校への通学は、下流に向かい六五朗橋を渡ったが、大善寺の駅へは、上流に向かい天建寺の橋を渡る。距離はあまり変わらない。だから、通学は苦手ではない。後は電車に揺られて駅を降りれば学校へは徒歩三分である。
入学して間もなく、朝起きたら軽い目眩に襲われた。それに、心持微熱もあるようだった。両親は学校を休むように言ったが、目眩さえ治まれば登校しようと思っていた。そこで、遅れて家を出ると、母さんに「少し遅れて登校します」と電話を入れてもらうことにした。「本当に大丈夫なの?」と、照代母さんは心配していたが「大丈夫。心配せんで良かよ」と、自転車をこぎ出した。本当は、少し頭がぼーっとしているのだが、入学早々に、学校を休みたくは無かった。
駅に降り立つと、遅刻ついでに少し道草をしようと思い立った。そこで、駅を出て学校とは反対の道を歩き踏切を越えた。いつも電車から見えている池に行ってみようと思ったのだ。春の陽気に池の香りが漂い心地よかった。池沿いのあぜ道を歩いていると、小さな赤い蛇がうずくまっていた。優美なお嬢様の雰囲気を漂わせている民ちゃんだが、本性は筑ッ後の百姓娘である。だから、この小さな蛇には毒は無いと直感した。確かにヒラクチ (平口=蝮)やヤマカガチ(山楝蛇)では無い。
民ちゃんは脱皮直後の青大将の青く光る蛇体が好きだった。真珠のネックレスより「私は青銀色の蛇体を首に這わせたい」と思っている位である。だから、この赤い小さな蛇が宝石のように輝いて見えた。そこで、やさしく掴むと制服のポケットに入れた。
一時間目には遅れたが最後の授業まで受講した。そして、急いで生物の先生の許に行くと、赤い小さな蛇を見せた。「先生、このクチナワ(朽縄=蛇)の名前を教えてください」と民ちゃんが言うと「おう、これは綺麗な蛇だなぁ」と初老の先生は言った。更に「う~む。どうやらこれはヒバカリ(熇尾蛇)の赤ちゃんだな。赤い蛇はジムグリ(地潜)が代表選手だが、これには市松模様が無い。だから、ジムグリではなさそうだ。まぁアカジムグリ(赤地潜)という奴もいるようだが、ここらには居らん。眼の後ろと腹が淡黄色をしているから、まずヒバカリで間違いあるまい」と言うと図鑑を広げて見せてくれた。
「しかし、お前良く捕まえたなぁ。この蛇は結構逃げ足が速いんだぞ。アハハハ蛇に逃げ足はおかしいなぁ。足ゃ無いからなぁ。でもまぁ良いか。ところで、お前。この蛇は、昔は猛毒を持っとったちゃぁ知らんようじゃな。何しろ噛まれたらその日に死ぬと怖れられていたからなぁ。ヒバカリという名の由来には『噛まれたら命はその日ばかり』というのもある位だからなぁ。ふむふむ………」と気難しい顔をして煙草の煙を揺すらせた。
「えっ!! このクチナワ、毒蛇なんですか?」と民ちゃんが聞くと「昔はそう思われとった。ふむふむ………」と白髪交じりの長髪をなでた。「が、どうやらそれは間違いだったようだ。可哀そうに誤解されとったんだなぁ。この可愛い蛇君は。ところで、名は何というのだ?」と先生は突拍子も無いことを聞いてきた。「えっ~クチナワ(蛇)に名前ですかぁ~?!」と民ちゃんが怪訝そうにいうと「名は無いのか。可哀そうに。では私が付けよう。ウ~ム。そうだカガチ姫にしよう」と先生は満足そうにうなずいた。「カガチ姫ですか~? 変な名前!!」と民ちゃんがいうと「えっ? 如何か。ホオズキの古名で可愛いと思うがなぁ」と、すっかり先生は、カガチ姫がお気に入りのようである。民ちゃんは「生物室で飼って良いですか」と、勢いづいて先生に聞いてみた。だが「そりゃ駄目だな」と、先生は薄情に答えた。「え~っ何して~、だって先生、名前まで付けたやなかですか。それなのに酷い」と民ちゃんがむくれると「いやぁ~すまん。すまん。でもなぁ。カガチ姫は、デリケートでなぁ。人が飼うのは難しいんだ。九分九厘飢え死にするだろうなぁ」と、先生は頭を掻いて謝った。
民ちゃんは膨れ面で「じゃぁ、カガチ姫は、何を食べるんですか?」と聞いた。「カエルや、オタマジャクシ。それにミミズかなぁ。メダカも好きかも知れんなぁ」と、先生は頼りなく答えた。そこで民ちゃんは「分かりました。じゃぁカガチ姫は、私が家に連れて帰って育てます」と、再びヒバカリ(熇尾蛇)を制服のポケットに仕舞った。そして、部屋を出ながら「あっ先生。困ったらまた聞きに来ます。だから先生もクチナワ(蛇)のことしっかり勉強しておいてくださいね」と、念を押してきた。
颯爽と廊下を歩き去る民ちゃんの後ろ姿を見ながら「気の強い美人ほど困った存在はおらんのう。さて、次に来た時に叱られんように、有鱗目を改めて学びなおすとするか」と、先生は図書館に向かった。
帰りの電車に、不良然とした男子グループが乗っていた。そして、女子高生をからかっている様子だった。「ねぇ、ねぇ彼女。俺と握手しよう」と、その中の番長風なのが女子高生を困らせている。制服が同じだから、民ちゃんと同じ高校の女子高生のようだ。「大丈夫、大丈夫。握手だけやけん。握手だけなら子供も出来んばい。ねぇ、ねぇ彼女」と、更にしつこくまとわり付いている。
少し離れた所に座っていた民ちゃんは、すっくと立ち上がると、番長風に迫り「私と握手しようか」と言った。美少女の登場に不良グループは、奇声をあげて沸いた。「おう、良かねぇ」と、番長風が手を差し出した。その手を民ちゃんがやんわりと掴んだ。番長風は、ニヤリと笑ったがギャーと叫ぶと、手を離して後ろに退いた。その手の平から、ポトリと、ヒバカリ(熇尾蛇)が落ちた。「な、何んばするとか」と、番長風が怒鳴った。「ヒラクチ(蝮)の子供位で、情けない声出さないでくれる」と、民ちゃんが睨み返した。不良グループが「ヒラクチ? おい!! そりゃヒラクチか?」と聞いてきた。「貴方達も欲しいの?」と、民ちゃんは左のポケットに手を入れた。不良グループは「待て、待て……」と言いながら隣の車両に消えていった。
それを見据えて民ちゃんは、床に落ちたカガチ姫を拾い上げ制服のポケットに仕舞った。そして、絡まれていた女子高生に「嘘。この蛇には毒は無いのよ」と、小声で囁きウインクして見せた。女子高生は、ほっと胸を撫で下ろした。その女子高生は、民ちゃんより二つ手前の駅で降りるそうだ。だから、中学校が違った。その娘の名前は、山口ユリカと言った。民ちゃんと同じ歳で、同級生だがクラスが違っていた。演劇部で部活の帰りだったそうである。民ちゃんは、部活をやってないので、いつもはもっと早い電車に乗って帰宅している。
ユリカちゃんは、民ちゃんの制服のポケットの中のカガチ姫をとても気にしていた。それを察した民ちゃんは「大丈夫よ。クチナワは、本当は、おとなしい生き物なのよ。自分から人を襲うことはないわ。ヒラクチやヤナカガチ(山楝蛇)のような毒蛇でさえ、自分から飛びかかることはないわ。クチナワが、人を咬むのは防衛手段なのよ。だって、人間ほど性質の悪い生き物はいないからね。特に、さっきの奴らなんか最低!!」と言った。
「本当にそうね」と、ユリカちゃんは、クスリと笑った。笑窪が可愛いその仕草に民ちゃんも安堵し「カガチ姫とは、今日出会ったばかりなの…」と、生物の先生とのやり取りまでを説明した。ユリカちゃんは「へぇ~」と感心し聞いていたが「もう一度カガチ姫を見せてくれる?」と、言い出した。だから、民ちゃんは、そっとカガチ姫を取り出し手の平に載せた。
「綺麗ねぇ」と、ユリカちゃんが囁いた。そして「触っても大丈夫?」と聞いてきた。「ううん。そっとね」と、民ちゃんが言うと、ユリカちゃんは、人差し指でそっと、蛇体を撫でた。「へぇ~思ったより滑らかな膚ねぇ」と、ユリカちゃんが言った。「先生の話ではね。他の蛇より鱗が小さいんだって」と、民ちゃんが説明した。
その日以来、民ちゃんとユリカちゃんは、すっかり仲良しになった。そして、民ちゃんも、演劇部に入部した。民ちゃんは演劇には興味は無かったのだが、ユリカちゃんが民ちゃんと一緒に下校したがったのだ。それから日を追うごとに民ちゃんの下校友達が増えていった。民ちゃん達が乗った車両の次の車両には、恨めしそうに民ちゃんを覗き見する不良グループが乗っていた。そして、「またカガジョ(蛇女)が乗っとるばい」と囁き合っていた。
ジョーは、山本さんと博多駅のホームに立っていた。民ちゃんと待ち合わせていたからである。卒業アルバムで民ちゃんの顔を覚えた山本さんが「人ごみで見失うといけないから、ふたりで探そう」と、言い出したのだ。ジョーは、山本さんの下心を感じていたが、確かに二人で見ていれば、見逃す確率が減ると思い同伴してきた。
山本さんは、香椎の駅を出る時も「民ちゃんは、本当にジョーの彼女じゃ無いんだな」と、念を押してきた。アルバムを見せて以来、もう何度めの確認だろう。間違いなく山本さんは、民ちゃんに一目惚れしているのだ。ジョーは、日頃はインテリ然とした山本さんが、民ちゃんの話になる度に、そわそわするものだから可笑しかった。
「ジョーこっち、こっち」と言う声に振り返ると数十メートル先で、民ちゃんが手を振っていた。赤に白のギンガムチェックのシャツ、クリーム色のフレアスカートの民ちゃんは、白いソックスを履いていた。でも何となく田舎娘風である。でも却ってその風情に久しぶりに肉親に会ったような親しみを感じた。
山本さんが袖を引いた。「早く紹介しろ」という催促である。その割には、いざ紹介すると山本さんはコチコチに成った。日頃は、俺、俺と、オレを連発しているが、今日は僕である。更に超丁寧語で話している。でも、民ちゃんも、山本さんのことを気に入ってくれたようだ。そして、民ちゃんは、美少女連を引き連れて来ていた。学校に行くと、水泳部は全員浮足立った。浅田先輩なんか、完全に立ち泳ぎをしているようである。
ユリカちゃんは、ずっとジョーを見つめている。浅田先輩が「あの髪の長い美少女が、お前の彼女か?」と聞いてきた。ジョーは「いや、あのショートカットの子が幼馴染で、その親友らしい。俺も今日紹介されたばかりですよ」と答えた。「そうか、そうか、そりゃ良かねぇ。ちゅうことは、俺にもまだ脈があるちゅうことやないか。おおおお~」と、ついに浅田先輩は立ち泳ぎから、バタフライに入りそうであった。
美少女連は山本さんと水泳部がしっかりガードしながら案内しているので、ジョーはやることも無かった。だから、昔はプール、今は防火池の縁に腰を下ろし500マイルを口ずさんでいた。ふと、ユリカちゃんが隣に腰を下しているのに気がついた。「あれ? 皆と行かなかったの?」と言うと「私もフォークソングが好きなんです」と言った。それから「タミちゃんから、貴方もフォークソングを歌っているって聞いていたから……」と口ごもりうつむいた。「山本さんに教えてもらったばかりさ。ギターもコード進行だけ。アルペジオや、スリーフィンガーは、まだやれないよ」とジョーは言った。「でも凄いですよ。ギターが弾けるだけでも。それに指が綺麗だからアルペジオやスリーフィンガーも直ぐに弾けるようになりますよ」と、ユリカちゃんはジョーの指を見つめた。そして、「さっきの歌は、どんなことを歌っているんですか?」と聞いてきた。だから、山本さんから教えてもらった話を聞かせた。
「へぇ。私は1、私は2、私は3、私は4、私は500マイルも離れてしまった。という歌詞が切ないですね。500マイルって確か800km位ですよね。放浪者の旅ならもう愛する人とも会えないかもしれない距離ですね」と、ユリカちゃんは、しんみりとした声で言った。でも、ジョーにとって500マイルは、絶望的な距離ではない。だから「そうだね。でも愛する人となら、500マイル離れたって繋がっていられるさ」と北の空を見上げた。今でも、500マイル彼方の北の空には、パパとママが仲良く飛んでいる筈である。そしていつかは僕も500マイル……。
青嵐(あおあらし) 恋しさ飛ばせ 500マイル
~ 涙雨の後には、幸の花が咲く ~
台風は、入道雲の親玉だ。加太の話では、台風はず~と南の暖かい海で生まれるらしい。だから、台風の母ぁ様は、南洋である。もしかしたら、そこがホオミ(火尾蛇)大将や、ヒムカ(日向)の母様の源郷の海かも知れない。
夏の終わりに、南洋で生まれた入道雲の親玉は、秋風に入道雲が押しやられ始めた頃に、筑紫島(つくしのしま)を目指すようだ。もしかしたら、気合いが緩んで来た筑紫島の入道雲達に、活を入れに来るのかも知れない。でも、もしかしたら、夏の日照りで痛めつけられた大地を南海の神様が癒しに来てくれているのかも知れない。いずれにしても、木々や、作物や、家までもなぎ倒す強風には困ってしまうが、雨は有難い。ウネ(雨音)の話では「農家は、この時期までに、いかに作物に根を張り巡らさせ茎を丈夫に育てるかに、神経を巡らせるのです。そうすれば、風に勝ち、雨水に、実りへの最後の活力を貰うことができます」ということだった。
夜明けには、東の風が強くなり始めた。夕方になると、雨脚が強まり、風は南から吹きつけてきた。どうやら、台風は、アタ(阿多)国の西を通り、北上して来たようだ。そして、次の明け方、風は西から吹いてくる。やがて夏の嵐は徐々に荒々しさを収め始めた。どうやら北の海上に抜けたようだ。だから今頃は、チュホ(州胡)が台風の真っただ中かも知れない。
チュホ(州胡)の海賊王会議で依頼された船は、まずバイ・チュウ(白秋)様の大型船が完成した。だからバイ・フー(白狐)様は、シャー(中華)に戻られた。優奈(ゆな)の悲報を聞いて半年が経ち、私の気鬱も和らいできた。ハイムル(吠武琉)は、狗奴(くど)国に帰り、ふたたびシュマリ(狐)女将と暮らしている。ポニサポの存在には驚き、そして喜んでいるそうだ。九歳違いのポニサポはニヌファ(丹濡花)と歳が近いので、ニヌファが遠くに離れている分、実の妹のように可愛がっているらしい。
そして、シュマリ女将には、もうひとつ驚くべきことが分かった。ハイムルの帰国祝いが、ハイグスク(南城)の王宮で開かれた時のことだ。卯伽耶(うがや)を育てる玉海に「お若いのにしっかりした母様ですね」と、労わりの声をかけた。すると玉海は「シュマリさんは、イズモにいたことがあると、ホオリ王に伺いました。王様も、イズモにいた時に、トヨミ姉様に会われました。だから、私達は、皆イズモで繋がりますね」と、言った。
だから、女将は、何気なしに「でも、父様や母様と遠く離れて寂しくは有りませんか」と、聞いた。だが玉海は、気丈にも「大丈夫です。それに、イズモを知るシュマリさんも近くに居てくれるので、寂しくはありません」と、答えた。
それから「私の母様も、イズモの海女だったそうです。磯に潜る母様の姿を見て、父様は年甲斐もなく恋情を抱いたそうです。そして、後妻に向かえ、トヨミ姉様の母様に成りました。母様は、母を亡くした幼子の姉様をとても可愛がりました。実は、母様も、幼い時に母を亡くしていました。だから、姉様の淋しさが良くわかったのです。
だから、トヨミ姉様も、本当の母様のように懐いていたそうです。そして私も、姉様に、とても可愛がられました。でも、私が七歳の時、突然母様は流行病で亡くなりました。それからは姉様が、私を母代わりで育ててくれたのです。姉様は十五歳でした。だから、私も十五歳になった今、ウガヤを、私が育てようと思ったのです。母の名は、ウカ(宇加)と言います。偶然かもしれませんが、日巫女様から付けていただいたこの子の名と縁があるのです」そう玉海姫は生い立ちを語った。
ウカ(宇加)という名に、女将のキツネ目が大きく見開かれた。そして、「ウカ、嗚呼、ウカゆるしておくれ」と、小さく呟くと、磯場に濡れる打上石(うかいし)のように、その目は涙に覆われた。そして、茫然とした眼で、元気に走り回る卯伽耶の姿を眺め、やおらトンコリを持ち出すと、切なさを含んだ歌声を響かせた。
♪山深き~、無骨岩より、剥がれ落ち、幾瀬転がり、来たか浜の打上石~♪
それから悩ましい出来事が二つ起こった。ひとつは、カメ(亀)爺から「ニヌファを、スサトの妻にくれないか」と相談されたことだ。須佐人は、私と同じ年なので丁度二十歳になった。だから妻を娶る歳である。そして須佐人は、秦(はた)家商人団の跡取りなので、次の跡取りを儲ける必要がある。ニヌファは儒理(ゆり)と同じ歳だから十三歳である。だから嫁に行く歳にはなった。でも私の可愛いニヌファを取り上げるとは、酷い相談である。私と香美妻(かみつ)は、頑として撥ねつけたいのだが、玉輝(たまき)叔母さんと、巨健(いたける)伯父さんからも、手を合わされ懇願されている。それに、あまり意固地になると“行かず後家達の嫉妬だ”という酷い噂も立ちかねない。だから、仕方なく、須佐人に恩を売ることにした。
婚礼は、来春となった。祝いの席は、始羅(しら)の港だと決まった。だから今、天海(あまみ)親方は、船宿を大改装中である。それに、お気に入りの須佐人が狗奴国の娘を妻にするということで、ホオリ(山幸)王は大喜びである。そして、自ら仲人を買って出られた。巨健伯父さんは、驚き恐縮しきっていた。私は早速リーシャンを始羅の港に派遣し、祝いの席の準備をさせている。
祝いの客は、優に千人を超えるはずだ。その日、私達の故郷の阿多の浜からは、人影と舟影が消えることだろう。それだけでも三百人を超える。各地の若衆組も押し寄せるだろうから、その数も三百を下るまい。河童衆や、各地の海人(うみんちゅう)も三百を下るまい。であれば、婿側だけでも千人を超えるではないか。
ニヌファの方は、ホオリ王が狗奴国を挙げての気の入れようである。そうすると、やっぱり二千から三千の祝い客に成るのか……ウムウム……大変そう。兎に角、料理長のリーシャンよ、頑張れ!!
もう一つの困りごとは、我が愚兄夏羽のことである。あのスイカ頭は、何とラビア姉様に手を出したのだ。そして、須佐人の祝言と前後して子が生まれるという。まだ、甥なのか姪なのか分からないが、兎に角、私は叔母さんになるのだ。困ったものである。
姉様と姻戚になり、姉妹になるのは嬉しい。だが、夏羽の女たらしだけは、直させなければならない。だから私は、愚兄に「以降、妻は姉様ひとりにすること、他の女には目もくれず、仕事にだけ精を出すこと」を、誓わせた。
そして、もし、この誓いを破れば、兄妹の縁を切ると、念を押しておいた。夏希義母ぁ様も、私の剣幕に笑いながら、保証人になってくれた。でも、当の姉様は、あまり夏羽の女たらしが直るとは、期待していないようである。父親のサラクマ(沙羅隈)親方の姿を見て育っているので、女たらしには慣れているのかも知れない。でも私は、許さない。
サラクマ親方は、同族が増えて大喜びである。ああいうのを「類は友を呼ぶ」と言うのだろう。すでにカメ(亀)爺と、狭山大将軍も誘って何度目かの懐妊祝いを開いたようだ。困ったものである。でも名降ろしだけは、私が行うつもりである。初めての甥か姪の名を人に付けさせる訳にはいかない。
香美妻とウネ(雨音)の仲も、うまく進んでいるようである。晩熟のウネも、香美妻の攻勢に、晩生(おくて)の稲ばかりを植えている場合では無くなったようだ。来年あたりには、香美妻もご懐妊かも知れない。でもそうなれば、ウネは、もうヤマァタイ(八海森)国の者だ。妻子を置いて帰国せよとは、ホオリ王も言い出せまい。それに香美妻は、ヤマァタイ国の実質的な女王である。そのこともホオリ王は、良くご存じの筈だ。でも時折は、ウネを狗奴国にも返さないといけないだろう。悩ましいところである。
香美妻は近頃益々女王代理が忙しいので、今の私の侍従長は、志茂妻(しもつ)である。狗奴国復興の件が評価されたのか、私は各国から声が掛っている。そこで志茂妻とニヌファを伴い、各国で祭事を行っている。先日も、姐奴(ソナ)国で流行病が広がり、それを治めて来たところである。だから、決してただ政務を、香美妻お姉ちゃまに押し付けている訳ではない。
姐奴国からは、直接ヤマァタイ国には戻らず西に向かい、邪海(ヤマァ)国の半島を通って、斯海(シマァ)国に渡ることにしている。鬼(キ)国から斯海国に渡った時に、スロ(首露)船長と眺めたあの半島である。姐奴国から船を出して貰ったので、今その船上である。今回の旅には、フク(福)爺が伴ってくれた。アチャ爺は、フー(狐)様と、シャー(中華)に渡った。チュウ(秋)様と旧交を温め、チュクム(秋琴)にも会って来るそうだ。だから、二年程は戻らない。もちろん、テル(照)お婆も同伴している。帰りは、天之玲来船(あまのれらふね)で、ジンメン(津門)の港まで迎えに行くことにしている。もちろん、私は行かせてもらえない。秦鞍耳(はたくらみみ)船長だけが迎えに行くのだ。だから今、天之玲来船は、口之津の造船所で補強中である。その視察も兼ねて、斯海国を回り、帰国するというのが、名目である。
でも本当は、夏希義母ぁ様に会いたいだけなのだ。天之玲来船の修理の進捗など、私に分る筈がない。それに説明が出来る表麻呂(おまろ)船長は、風之楓良船(ふうのふらふね)で、須佐人の交易を手伝っている。
風之楓良船には、もう一人新人を乗り込ませている。倭(やまと)という名の美少年だ。私やガオ・リャン(高涼)より一つ歳下だ。でも健(たける)にも負けない美形である。実は、倭も、徐(じょ)家の男である。健はフク(福)爺の孫で、須佐人は帛(はく)女王の孫だ。そして、倭は太布様の孫である。だから三人は、従兄弟なのだ。父様は、狭山大将軍である。狭山大将軍は、息子を鍛えようと、風之楓良船の見習船員として表麻呂船長に預けたのである。それに倭は、巨勢(こせ)様の孫だからワニ(鰐)族の血も引いている。だから、隼人(はいと)と同じように、海原に出ると、先祖の血が騒ぐようである。そして、隼人と同じように、食いしん坊である。でも狭山大将軍の息子なので、太らない質のようである。将来は、鞍耳、リャン(涼)に続いて、大型船の船長に据えるつもりである。私の海洋国造りの夢に、この三人は欠かせないのである。
私は、そろそろ天之玲来船より一回り大きい、海之冴良船 (あまのさらふね)の建造を始めようと考えている。天之玲来船は秦家商人団が乗り組み鯨海貿易で富を得ているので、海之冴良船は、黄海貿易に使おうと考えているのだ。そして鯨海貿易を須佐人が担っているように、黄海貿易は、リャン(涼)に担わせようと考えている。ガオ・ユェ(高月)様と、次期族長のガオ・ロン(高栄)様の了解も取り付けている。リャン(涼)もいずれは、ロン(栄)様の跡を継ぎ、チュホ(州胡)を支えていく人材になるのだ。その為にも外洋で育てようと、ロン(栄)様もお望みになったのだ。
そして、リャン(涼)を倭国で支えてくれるのは、末盧国の於保耳(おぼみみ)族長と琴海さんだ。私はこの経済政策について、私のお守役兼見張り役のフク(福)爺に意見を貰いながら、多島海の島影と美しい半島の山並みを、楽しんでいる。
そういえば、気になって気になって仕方なかった、あの「シューフー(徐福)の大航海の話」は、フク(福)爺が急用で伊都国から阿多国へ帰ってしまったので、伊都国からの帰り船では聞けなくなってしまっていた。そこで、私が催促すると筑紫海(つくしのうみ)が近づいて来た頃に話し始めてくれた。
《 フク(福)爺が語るシューフー(徐福)の大航海 後編 》
さて、この前はどこまで話したかのう。嗚呼~そうじゃったか、そうじゃったかのう、五千人の大航海の前まで話しておったか。やっぱり、ピミファは物覚えが良いのう。賢い、賢い。で、ピミファは、どうやって渡ったと思うかの? ピミファが建造しようと思っている海之冴良船程の大型船を使っても、人を運ぶだけでも二十五艘。水や食べ物や、着いた先での当面の衣食住を考えれば、もう二十五艘は必要じゃ。夏羽の尻が腫れ上がる程にピミファが叩いて急がせても、海之冴良船なら一年と半年は掛かるだろう。じゃであれば、口之津の造船所が七十五は必要じゃのう。いかにシャーが大国でも、新しい造船所をそんなにはいっぺんには建てられまい。
ではどうしようかのう。何々、今ある舟で大きな筏を造るとな。ほう、やっぱり、ピミファは賢いのう。この前のワシの話を、もう飲み込んでおったか。そうじゃ、そうじゃ巨大な革袋の筏のような物を作ったのじゃ。それなら、工程が短く済むでな。じゃが大量の革袋を新しく作っていたら何千頭もの豚か牛を殺すことになる。じゃで、革袋の筏ではなく今有る沙船を繋いだ連結船を造ったんじゃ。
この連結筏の幅は、風之楓良船の約二艘半あった。広いじゃろう。そして長さは、約四艘半じゃ。長いじゃろう。その広さを想像してみい。細長いちょっとした島だぞ。畑も作れるし、家だって何件も建つぞ。その大きな島筏を、三隻造った。
一隻の島筏を作るのに、八十一艘の沙船を使ったから全部で二百四十三艘の沙船が必要じゃった。その沙船は、呉越の氓(たみ)が提供した。そして、三千人の童男童女も、大半が呉越の子供達じゃ。呉越の亡民(氓)にとって、これはひそかな亡命の旅なのだ。じゃっで、優秀な子供達を選び、移民団とした。
この子供達が、呉越の氓の血を繋いでいくのじゃ。そのため皆挙って船団作りに協力したんじゃ。もちろん、これら呉越の氓を率いたのは、シャン・ブォ(項伯)とシャン・リャン(項梁)兄弟だ。項(こう)家の一族じゃな。
倭国に渡り開拓団となれば、大型船は不要じゃ。戻るつもりは無い旅じゃからのう。むしろ、筏を解けば、その資材は陸に立てる家の資材に使える。二百四十三艘の沙船は、川船として重宝するじゃろう。細かいことをいえば、島筏と島筏の連絡用に、連結していない沙船が三艘あったで、二百四十六艘の沙船じゃな。
沙船は、川や干潟には最適の舟じゃ。ピミファも、川舟や田舟に乗るから、その小舟の重宝さは良お分るじゃろう。じゃっで、海之冴良船の大きさの大型船は、旗艦として一隻だけを建造した。それに、島筏を引くために、風之楓良船程の中型船も三艘だけは造った。その数の船なら一年もあれば充分じゃからな。
実は、島筏にも、帆も櫓櫂も有ったで、自走も出来るんじゃが、何せ大きいので、舵を取るのが大変よ。そこで、中型船が先頭で引いて舵代りになったんじゃ。それで、中型船も建造したんじゃぁ。
さて、次はどう渡るかじゃの。船団の航路は、二つの選択肢があった。ひとつは、琅邪の港を船出したら、岸沿いに南下して、長江の沖に出て、東に流れる潮に乗り、一気に東海を突っ切るのじゃ。これなら、四~五日もあれば、値賀嶋(ちかのしま)が見えてくるじゃろ。じゃが、危険も大きい。島影も無いから、嵐が来ても、逃げ込む港も無いでなぁ。それに風の流れを考えると、航海をするのは、春から夏にかけてじゃ。この時期になると、ピミファの好きな台風も発生し始めるでなぁ。島筏は、あっと云う間に粉々よ。
で、もう一つの航路は、もっと南下し、夷洲(台湾)の近くまで行き、北向きの潮に乗る。風も春から夏にかけては、南西から吹いてくる日が多いで、倭国に向かい易いのよ。それも、南洋の島伝いに旅するで、嵐の時も逃げ込めるでな。じゃが、早くても、三十日程はかかるじゃろうなぁ。それも夜通し航海してじゃ。
で、我が始祖シューフー(徐福)は、どうしたかというと後の航路を選んだ。それも夜は航海せず。昼間だけ島から島へと渡ったんじゃ。じゃで半年ほどかけて渡ったそうじゃ。島々に立ち寄るので、水の心配はいらんでなぁ。そして、食料は島筏に、家畜も含めて、たんとと乗せているからのう「長旅も大丈夫」という訳さ。
筑紫島の島影が見えると、船団は三つの旅団に分かれた。我が始祖フー(福)は倭国に三つの拠点を置いて開拓をしようと考えておったのじゃが、その一つ目の拠点が、筑紫海(つくしのうみ)じゃ。二つ目は、中ノ海を通り茅渟海(ちぬのうみ)じゃ。そして三つ目は、東風茅海(あゆちのうみ)じゃ。じゃから、島筏も三隻造ったのさ。
じゃで、大型船と第一旅団は、枚聞(ひらきき)山の煙が見えた辺りで筑紫海に向かい、筑紫島の西側を北上した。後の二つの旅団は、東に向かい狗奴国の沖で別れた。
第二旅団は、吾田之津を経て、中ノ海から茅渟海に向かった。そして、第三旅団は、伊予島(いよのしま)の南を潮に乗って北上し、東風茅海に向かった。茅渟海の沿岸からも、東風茅海の沿岸からも、ヤマァタイ(八海森)国と同じ位の干潟と平野が広がっているのじゃ。更に、それぞれの航海中に、適地があれば開拓団の一隊を降ろしながら進んだのじゃ。やっで、アタ(吾田)之津で降りた開拓団は、ニシグスク(北城)辺りまで登ったようじゃのう。
じゃで、徐家の縁者は、倭国中にいるのじゃ。筑紫海に向かった本隊は、阿多の川港に立ち寄り、最初の開拓団を降ろし、一度布留奇魂(ふるくたま)村で台風を避けて、それから、躬臣(クシ)国の西岸を北上し、筑紫海に入ったそうじゃ。そこで筏を解き、中型船も解体し、数隊に別れて開拓地に向かったようじゃ。後の二つの旅団も、同じように島筏を解き、中型船を解体したんじゃが、旗艦の大型船だけは解体せんじゃった。桃源郷の目処が立ったら、始皇帝ヂョン(政)を迎えに再びシャーに行かんといけんでのう。始皇帝の館は、筑紫海の奥の山裾に建てる予定じゃった。始皇帝は、幼くして人質になり苦労をしてきた人だ。だから本人は、至って質実剛健の人だったらしい。じゃから「大きな王宮はいらん。なんなら住まいは轀輬車(おんりょうしゃ)でも良い」と言っておったらしい。じゃで、大型船は、その時に解体し館にする予定じゃった。
史書には、始皇帝ヂョン(政)は巡幸の途中で死んだと書かれている。じゃが一説には、桃源郷に行ったともいわれている。本当はどうだったのかは、ヂャォ・ガォ(趙高)と、我が始祖フー(福)と、始皇帝の三人しか知らん話じゃ。
じゃが、遺体を腐るまで放置しておいたというのは、何かひっかかる話じゃのう。もし死んだのであれば、防腐処理をした筈じゃ。王の遺骸を防腐処理する技は、何千年も昔からあるでな。始皇帝を、そこらの漁師が死んだのと同じに扱うとは思えんがのう。魚と一緒に、顔も分からんようになるまで腐らせるかのう。まぁ今と成っては、どうでも良い話じゃがの。
さて、次は誰が乗っていたかじゃの。童男童女が三千人居っても、直ぐに国造りの役にたつ訳じゃ有りもはんでなぁ。まずは、水夫を兼ねた兵士が、千五百人程乗っていた。それから農夫を兼ねた百工が、五百人程乗っていた。この百工は、シャン・リャン(項梁)の一族が多かったようじゃな。伊佐美王が筑紫島を統一した頃、項家の始祖シャン・ファイ(項淮)が会稽山から阿多国に渡ってきたのじゃが、この時に頼った倭国の項家一族が、この連中じゃ。
もう五百人が、童男童女の学問の師匠達や医術の老師達じゃ。老師とはいっても、皆若く、我が始祖フー(福)でさえ三十路半ばを数年超えた位じゃからのう。今のワシのような爺はひとりも乗っておらなんだ。わざわざ爺達を連れて行かんでも、爺達なら二十年も経てば仰山増えるでな。
倭国に着いたら、まずは子作りじゃ。三千人の童男童女が倭国の民に溶け込み子を生み増やせば、数十年後には、数万のやんちゃ坊子供が倭国中に溢れるでな。もちろん熊人(くまと)や隼人(はいと)のような悪童も居るぞ。それに、ピニファのようなお転婆娘や、サラ(冴良)や、フラ(楓良)に、レラ(玲来)のような、おしゃまな娘も居ったろう。そして、ニヌファのような、お淑やかな娘も居った筈じゃで、ホッホホホ………。賑やかじゃったろうなぁ。まぁワシは、まだ生まれておらんがな。
ここまでが、我が始祖フー(福)の大航海の話じゃ。この後にヤマァタイ国建国の話や、茅渟海や東風茅海に渡った旅団のその後の話が続くのじゃが、皆面白すぎて長い話になるで今日はここまでじゃ。
………………………………………………………………………………………………
と、今回も気を持たせてフク(福)爺の話は終わった。
まぁ~フク(福)爺は、髪も髭も真っ白だげど、今でも雲に乗って空を飛びまわるように元気だ。だから当分は、神様の許には帰るまい。だから、まだ時は残されている。また今度ゆっくり聞かせてもらおう。
ヤマァタイ国の昔話や茅渟海の話は少し知っているので、今度は、今日初めて聞いた東風茅海の話を聞こう。アユチ(東風)という位だから強くて温かい風が吹いている処かも知れない。海之冴良船が進水したら試験航海で行ってみようかなぁ。もちろん、船長は表麻呂だけど、倭(やまと)も私が鍛えてやろう。何しろ倭は、ヤマァタイ国の男である。だから女王の私は、遠慮する気遣いはいらないのである。温和で優しい表麻呂船長と違って、私は厳しいぞ。倭よ覚悟して乗り組んでこいよ。私がビシビシ扱くからね。でも、私はしっかり者の倭に、何を教えることがあるのだろう……? まっ良いか。表麻呂が何か注意したら、私がきつく叱れば良いのだ。
でもそんな楽しい想像をする前に、まずは夏希義母ぁ様と、建造計画を語り合わないといけない。そして少しだけ愚兄夏羽の意見も聞いてやろう。それに、私の可愛い甥か姪の名前は、私が降ろす!!と宣言しておかないといけない。夏希義母ぁ様や斯海国の組頭達が、自分が名づけ親になろうと思っていたら、がっかりさせることになる。私の可愛い甥か姪の名づけ親は、私以外にはいない。
剣の項荘、徒手の項佗、槍の項冠は、元気だろうか。三人は、今では斯海国の各首領に成り、それぞれ組頭を束ねている。早く項荘、項佗、項冠にも会いたいものだ。三人は愚兄夏羽の十倍も頼りになる兄貴達なのだ。さぁ高来之峰の神よ。早く私を斯海国に呼び寄せてくれ。
~ シマァ(斯海)国からの悲報 ~
去年の晩秋は楽しかった。項荘、項佗、項冠も皆元気だった。そしてアチャ爺を除いた踊り連の愉快な踊りも見せてもらった。アチャ翁がいないので、項荘、項佗、項冠は無理矢理に、フク(福)爺をアチャ翁の代わりに引っ張り出していた。もちろんフク(福)爺は、アチャ爺のようには上手く踊れない。それでも照れながら、たどたどしい足つきで踊り連に加わっていた。そして最後は、ニヌファの艶やかな巫女舞だ。私の可愛い妹ニヌファは、もうすぐ須佐人の妻になる。始羅の館の準備も順調だとリーシャンが知らせてきた。嗚呼やっぱり、須佐人の妻にするのは惜しくなってきた。でも、玉輝叔母さんの顔が浮かぶと断れない。それに、須佐人は頼もしい夫になるだろう。まぁ仕方ないか……。
香美妻お姉ちゃまも、近頃はすっかりウネ(雨音)にくっ付いて離れない。どうも、最後の攻勢を掛けているようである。あの勢いでは、吾蘇様がヒムカに攻略されたように、固物ウネも程なく落ちるだろう。私は、志茂妻に可愛い甥か姪の名降ろしを考えておくようにと告げている。香美妻がそんな様子なので、前にもまして、私は木簡と竹簡の山に押しつぶされている。嗚呼香美妻お姉ちゃま早く復帰して!!
白梅が綻び掛けた頃、斯海国から悲報が届いた。夏希義母ぁ様が亡くなったのだ。その知らせに、私の心は砕けた。私は夏希義母ぁ様の葬儀も知らない。梅の花が咲き誇ったことも知らない。洗骨の儀も知らない。桃の花が咲いたのも知らない。私はもう何も知りたくなかった。でも何故だか、ベニシジミ(紅小灰蝶)が春の陽光の中で沢山飛んでいたのだけを覚えている。あのベニシジミ(紅小灰蝶)達が、夏希義母ぁ様の魂を神様の許に返しに行ったのだろうか。田植唄が水の王国に鳴り響き、蝉時雨が初夏の熱風を運んでも、私の正気は戻らなかったようだ。だから、ニヌファの婚礼もまだ開かれていない。
夏希義母ぁ様は、冬の海に沈んだらしい。誤って、海に落ち流されていた子供を助けようとしたようだ。そして、夏希義母ぁ様とその子を浚ったのは、離岸流という潮だと知った。クマ族に浚われても、ヒムカと健は元気だった。サンベ(蒜辺)に浚われた儒理も戻ってきた。でも、離岸流に浚われた夏希義母ぁ様はもう戻ってこない。
夏希義母ぁ様の葬儀も、洗骨の儀も、私が執り行ったらしい。でも、覚えていない。覚えているのは、ベニシジミ(紅小灰蝶)が舞う姿だけ。忘我の私が少し気を取り戻したのは、猛暑の昼下がり。赤子の泣き声が元気に鳴り響き、私の腕には可愛い娘が抱かれていた。私は、その娘を希蝶と呼んだ。この娘は、夏希義母ぁ様の生まれ変わり。夏希義母ぁ様と同じ温もりを持っている。
夏の暑さが和らいだ頃、夏羽が「ヒラ(曹白魚)が獲れたけん煮付けにしたばい」と、やってきた。今、夏羽と、ラビア姉様と、希蝶は、米多原(めたばる)の館にいる。何故、斯海国や鬼国ではなくヤマァタイ国にいるかといえば、ラビア姉様の母ぁ様代理の玉輝叔母さんが米多原の館にいるからだ。だから、希蝶も、米多原の館で生まれた。
何故、玉輝叔母さんは、阿多国やカメ(亀)爺の館に居ないかというと、忘我の私が心配なのだ。そして、夏羽も、ラビア姉様も、やっぱり私を心配している。
ヒラ(曹白魚)は、筑紫海で良く獲れる。小骨が多いが、とても美味しい魚だ。だから、初夏に獲れるエツ(斉魚)と同じように、骨切りがしてある。千本切りともいわれるその骨切りは、細かく繊細な技である。そして切り身は、螺鈿のように輝き美しい。
エツは、梅雨から初夏にかけて千歳川を遡上してくる。そしてカメ(亀)爺の館の前で獲れるエツが、一番美味しい。その季節に成ると、リーシャンは千歳川の河原まで出かけ、獲れたばかりのエツをその場で下処理して持って帰る。
エツは、傷みが早いらしい。紫蘇の葉を細かく刻み、炒った胡麻を磨り潰し、蜂蜜を少し垂らし、ジャン(魚醤)と混ぜると、初夏に合った絶妙な付けダレが出来る。その付けダレに、千本切りしたエツの刺身を付けて食べる。それが、リーシャンのお勧めでアチャ爺の大好物である。もちろん、私もお気に入りだ。でも、煮つけも美味しいし、荏胡麻の油で揚げたものも美味しい。
どうも、先頃、私は「エツの煮付けが食べたい」と、言ったようだ。忘我でも美味しいものだけは忘れていないようである。我ながらまったく恥ずかしい話である。でも既に、エツの季節ではない。そこで妹思いの夏羽は、筑紫海まで行ってヒラを獲ってきてくれたらしい。可愛い希蝶を抱いて、美味しいものを食べているうちに、私は少しずつ我を取り戻し始めたようだ。
秋に入り、私は我に戻った。そこで早速夏羽を呼び「いつまでも、ここに居ないで、早く口之津に帰って、海之冴良船を完成させてよ」と言った。すると夏羽の目からは、大粒の涙が溢れ出し「治った。治ったばい」と、私を抱きしめ、それから館中を「治った。治ったばい。オイ(俺)のピミファが治ったば~い」と、走り回り皆に告げて回っていた。本当に困った愚兄である。
私は、希蝶を抱き「本当に子供みたいで困った父様ですね」と言った。すると希蝶もまるで「そうですね」と言わんばかりに笑顔を見せてくれた。
私が正気を取り戻したので、ニヌファと須佐人の婚礼が始羅の天海親方の館で行われるようになった。だから、私達は、始羅の港に向けて天之玲来船で航海している。この航海の帰路で、夏羽と、ラビア姉様と、希蝶は、斯海国に帰る。でも、希蝶との別れは淋しくない。希蝶と私の魂は繋がっている。
夏希義母ぁ様の後の斯海国族長は、ラビア姉様が継ぐことになった。項家軍属の軍属長である大番頭は、項良様だ。その前の大番頭がハク(伯)爺である。夏希義母ぁ様の父様である兄の項夏が族長だったので、兄弟で斯海国を支えていたのだ。そして、夏希義母ぁ様が族長に成ってからは、従姉弟の項良様が大番頭で支えていた。
項良様は、ハク(伯)爺の次男である。長男は項悍といい、熊人(くまと)の父様だ。ハク(伯)爺は、項家軍属の大番頭を引退すると、長男の項悍を伴い阿多国に戻り項本家を継いだ。そして次男の項良を大番頭とし、夏希義母ぁ様の右腕として斯海国に残した。だから今は、項良大番頭が斯海国の筆頭である。だから、項良様が族長に成ってもおかしくなかった。しかし、項良様は、自分が大番頭で支えるから、ラビア姉様に族長を継ぐようにと計らったのだ。
ラビア姉様は、商学に長けている。今は項良大番頭を支える番頭と成った剣の項荘、槍の項冠、徒手の項佗もラビア姉様の商学の生徒である。斯海国の経済を支えてきたのは項家軍属である。
そして今もう一つの柱に成っているのが造船所である。元々は項家軍属の小さな造船所だったものを、倭国の造船所として拡張した。元締めは夏羽だが、実際は、表麻呂が所長で造船所を率いている。補佐は、鞍耳で、技術畑の責任者はタタラ(翁之多田羅)だ。そして倭国中から、千人強の職人が集まっている。
当初は風之楓良船を建造する為に精鋭を集めたのだが、チュホ(州胡)の海賊王会議以来、他国からの建造依頼が増えている。だから今は、造船王国に成りつつある。その為、ラビア族長はその両方を取り仕切らなければいけない。そしてその力量は十分にある。と、項良大番頭は見ているのだ。
項家軍属は、実働部隊と経営部隊の二つの部署がある。経営部隊は、更に三つの部署に分かれている。そして、その責任者を番頭と呼んでいる。財務管理を担っている番頭は、剣の項荘だ。事業計画を担っている番頭は、槍の項冠だ。そして危機管理を担っている番頭は、徒手の項佗である。実働部隊には、情報部隊・資材部隊・輸送部隊・工作部隊が在り、その責任者は大頭と呼ばれている。そしてその大頭の筆頭は、項襄である。項良大番頭、項荘番頭、項冠番頭、項佗番頭、項襄筆頭の五人は、皆、夏希義母ぁ様が育てた逸材である。そして私の優れた兄様達である。実の兄夏羽だけが愚兄なのだが、造船所が大きくなるにつれ、夏羽も肩書きに見合ってしっかりしてきた。それに、ラビア姉様が手綱を締めているので、もうスイカ頭の助平夏羽には戻るまい。まぁ~大叔父のハク(伯)爺と同じように、陽気で踊り上手な処は良いけれど、大番頭でしっかり者だった血も引いて貰わないと困るのである。
阿多国の項家を率いていたハク(伯)爺の長男項悍は、ミヨン(美英)の亭主達と共に嵐の海で亡くなった。だから、熊人は、母親の美隈(みくま)の手だけで育てられた。美隈叔母さんは、オウ(横)爺の娘である。だから、熊人と隼人は、同じ歳の従兄弟である。そして二人とも、項家と田家の跡取りである。隼人は、阿多照叔父さんがいるので、もうしばらくは跡取りの責務を免れることが出来る。でも父を亡くした熊人は、一刻も早くハク(伯)爺から項家の当主を継がなければならない。その為、来春からは、斯海国に渡り項家軍属の見習いに出される。夏希義母ぁ様への哀情を乗り越えて若い水夫達は大海に漕ぎ出して行くだろう。熊人も頑張れ!!
~ 希蝶の羽音 ~
今朝も、希蝶の可愛い羽音で目を覚ました。今、希蝶は遠く離れた斯海国にいる。夏羽は、今日も愛しい希蝶の笑顔を見ながら、海之冴良船の建造に勤しんでいる筈だ。一方で夏羽は、口之津の港の拡張にも取り掛かった。高来之峰から沢山の溶岩を曳き降ろし、長い護岸堤防を造っている。これが出来上がれば、口之津の入り江には、大型船が幾艘も着岸出来るようになる。そしてカラムシ(苧麻)の栽培も軌道に乗ったそうだ。これで糸を積みアサ(大麻)のように布を織れば帆の材料になる。竹べらを布と張り合わせれば、大鷲の羽根のように、軽くて丈夫な帆が出来上がるのだ。
ラビア姉様は、鬼国の木綿葉川(ゆうばかわ)でも、帆作りを試作しているようだ。布は、山沿いに自生するコウゾ(楮)から糸を積んだユウ(木綿)である。私は、もっぱら、コウゾの甘酸っぱい赤い実を食べるだけしか、使い道を知らない。いずれにしても、布と竹べらの帆は、網代帆より軽いので、大型船でも使いやすい。ただし、耐久性は、竹を編んだだけの網代帆が勝るようである。
鉄の材料は、翁之多田羅が、高来之峰でも見つけたようだ。そうして、口之津は、徐々に造船大国としての立場を固めつつある。助べぇに力を割かなくなった夏羽は、やっと本来の力を発揮し始めたようだ。父様の血と、夏希義母ぁ様の血が流れているのだ。夏羽だって助べぇでおっちょこちょいが影を潜めれば、一国の王にだってなれる男である。頑張れ!! 私の愚兄よ。
今年もベニシジミ(紅小灰蝶)が舞い始めた。心を澄ませば、ベニシジミの羽音も聞こえてくる。更に心を澄ませば、希蝶の可愛い波動も感じる。さて、次は心を澄ませて、チュクム(秋琴)の元気な波動を聞きに行こう。春になれば、風はシャーから吹いてくる。だから、チュクム(秋琴)の元気な波動も捕まえやすい。
さて、と思っていたら「日巫女様、もう朝日も昇りつめましたよ。いつまでも床の中でモジモジしていたらあっという間にお昼ですよ。さぁさぁ起きてください」と、志茂妻に揺り起こされた。
嗚呼、今日も、竹簡と木簡の山に押し潰される~~~~う。夏羽よ。この竹簡と木簡の山も、護岸堤防に埋めてくれ。この難解な政務報告の山には、風神も、雷神も、台風の神様だって避けて通るだろう。この山を、容易く取り崩せる怪力女は、香美妻以外にはいない。でも、その香美妻は、ウネ(雨音)が一時帰郷したので、狗奴国に付いて行ったのだ。だから、私と志茂妻は、悪戦苦闘の毎日である。
ウネは、今年の狗奴国の田植えの時期や何やらを、打ち合わせに帰ったのだ。だからひと月もすると、ヤマァタイ国に戻ってくる。しかし、そのひと月の間は、香美妻も居ないのである。いっそのこと、私も、去年のニヌファの婚礼の後、そのまま始羅の港に留まって居れば良かった。
それにしても、ニヌファの婚礼は楽しかった。参列者は三千人を超えていただろうと、リーシャンが言っていた。だから始羅の港は、普段の三倍もの人で溢れたのだ。そして、ニヌファの白大衣姿も美しかった。
婚礼の儀は、媛巫女の神事夕神遊びと同じだ。ニヌファは、海で身を清め、髪を洗い、夕刻には祭場に入った。白大衣に身を包み、白鵜の羽冠を被り俯いたニヌファは、すでに人ではなかった。婚礼の儀は、お婆様に代わりヒムカが司った。近頃、お婆様は大事な神事を、ヒムカに引き継いでいるようだ。程なくヒムカが、南の大巫女様と呼ばれるように成るだろう。
ニヌファとヒムカが、神様の寝所で一夜を明かす間、港町では大宴会である。もちろんウズメさんの踊り連は大活躍である。サラ、フラ、レラも、とても可愛く踊っていた。これだけ可愛ければ、きっと私より先に嫁に行きそうだ。
神様の嫁になったニヌファは、朝日を浴び人に戻った。そして次の日は、須佐人との床入りである。この床入りの添い人は、メラ爺とフク(福)爺である。そして翌朝、フク(福)爺が、めでたく二人が和合したと皆に伝えると、三日目の大宴会である。そして二人は、一晩中若衆達に付き合わされる。
私はニヌファが、意外にも酒に強いのに驚いた。ヒムカは、婚礼の儀を行っていない。そして、私と香美妻も婚礼の儀は行わない。既に、私達は神様の嫁である。だから、巫女は婚礼の儀を行わない。巫女ではない娘達だけが、婚礼の儀を行い、一夜だけ神様の嫁になるのだ。そうしないと、神様から赤子に魂を授けてもらえない。ニヌファは、巫女の見習いで、まだ巫女ではなかった。
今、ニヌファは、カメ(亀)爺の館で暮らしている。須佐人の妻だから秦家商人団の若女将でもある。ニヌファがカメ爺の館にいるので、玉輝叔母さんは、巨健伯父さんと阿多国に戻った。
須佐人は、鞍耳船長の天之玲来船で、稜威母(いずも)から高志(こし)まで上っている。そして、もちろん私の土産は、太布様が選んでくれた。例えば、安曇様には、アサ(大麻)の着物だ。初夏になれば涼しくて良い筈だ。私は、飯蛸の煮付け、それも蜂蜜入りのと思っていたが、太布様からは「安曇様に届いた時は、腐っています」と言われた。確かに言われる通りである。
オクニ(尾六合)様には、檳榔の扇を土産に持たせた。檳榔は南洋の樹木だから、稜威母では手に入らない。だから、天海親方が取り寄せてくれたのだ。オクニ様は火の巫女でもあるが、風の巫女でもある。太布様も、風の巫女だから、檳榔の扇の持つ意味を良く知っているのだ。
ハハキ(蛇木)様は、黄泉の巫女で、月読の巫女だ。だから、ミズメザクラ(水目桜)で作った梓弓を贈ることにした。ミズメザクラは、支惟(しい)国の山奥から、メラ爺が選び切り出してくれた。だから材質がとても良い。きっと鳴弦の儀(めいげんのぎ)でも良い波動を生む筈だ。月明かりの中、梓弓の弦を鳴らせば、自ずと悪霊も鎮まるだろう。
今度の交易で、須佐人は、もっと北方まで足を伸ばそうと考えているようである。須佐人には、秦家の始祖磯猛 (いそたける)の血と玉輝叔母さんの尹(いん)家の血が流れている。そして、尹家の血には須佐能(すさのう)王の血が流れている。だから、須佐人は、須佐能王を超えて、更に北の世界まで足を踏み入れるつもりなのだろう。そして、須佐人と鞍耳船長は、天之玲来船の旗印をベニシジミにした。二人とも夏希義母ぁ様と旅をしているのだ。
父様と儒理は、まだ、夏希義母ぁ様の訃報を知らない。そして、夏希義母ぁ様の生まれ変わり可愛い希蝶の泣き声も聞いたことがない。
初夏、海之冴良船が進水した。船長はやっぱり表麻呂で、倭(やまと)も当分この船で見習い士官である。風之楓良船は、リャン(涼)が船長になった。しかし、船は今、口之津の造船所で補修中である。風之楓良船も、建造から七年目に入っているので、今回は大修理である。本当は、もう少し早く大修理をしたかったが、狗奴国の復興などに追われて、延び延びに成っていた。
海之冴良船も進水し、天之玲来船と二艘運用に成ったので、一年近くかけての大修理である。そして、リャン(涼)は、今回の大改修で新しく増設したい部分もあるようだ。今、口之津の造船所の実質的な責任者は、翁之多田羅である。だから今、リャン(涼)は、翁之多田羅との打ち合わせに忙しい。そして、ひと段落したら、チュホ(州胡)に一時帰省する予定である。私もいっしょに付いて行きたいのだが、「ちょっと、チュホ(州胡)のリャンヨン(梁燕)とフーヂェン(夫貞)に会ってきます」と言っても許して貰えないだろう。きっとリャン(涼)は、リャンヨンとフーヂェンとの旧交を温めて帰ってくる筈だ。
この春から、斯海国で項家軍属の見習いをしている熊人は、海之冴良船で船員見習をすることになっている。そして、ガンガンにシゴかれるのである。私が、そう表麻呂船長に頼んだのだ。倭にも「甘やかしたらいかん!!」と頼んでいる。熊人は、大きな身体に似ず愛嬌者なのだ。でも、項家の跡取りだから甘やかしてはいけない。それに、多少のシゴキならきっと「なぁ~んちゃ無い(平気さ)」と強がるはずである。そこがまた可愛いのだけど、やっぱり、心を鬼にしないといけない。でも、大丈夫。熊人ならやれる。
夏羽は、親子で父様と儒理に会いに行くことにした。もちろん、海之冴良船を使ってである。だから、熊人も、儒理に会える。隼人は、まだこのことを知らない。知ったらきっと悔しがるだろうから、阿多国に迎えを走らせた。
もちろん、隼人も船員見習でシゴかれるのだ。でも、陽気な隼人は、シゴキだと感じないかも知れない。甲板磨きも、鼻歌でニコニコとやるだろう。それに、熊人がいるので、甲板磨きの競い合いを始めるかも知れない。きっと、海之冴良船の甲板は、どの船よりピカピカに成るだろう。
海之冴良船は、風之楓良船より一回り大きい。表麻呂造船所長は「今の口之津の造船所の人と技術なら、風之楓良船の二倍の大きさの船も作れるでしょう。四十尋(ひろ)船ですね。客船なら五~六百人乗りに成ります」と言っていたが、やっぱり建造費も莫大に成るので、二十五尋船にした。それでも、風之楓良船が二十尋船だから随分大きい。何しろ、大男の夏羽が二十五人も寝そべった長さである。乗組員は四十二名だが、六百人までは乗れるそうだ。もちろん、何も積み荷を載せない場合である。
希蝶の誕生は、若い力の行方を試し始めた。新しい船を動かすのは、若い力なのだ。がんばれ、熊人よ。隼人よ。健よ。儒理よ。君達は、もう十五歳。りっぱな大人の仲間入りだ。人生の高波に揉まれて乗り出せ!! でも無理しないようにねっ。
~ チュクム(秋琴)の波動 ~
希蝶の小さな羽音が、大きなうねりとなり、私達を大海の渦に巻き込んでいく。そして、 チュクム(秋琴)の波乱の人生が始まったことを、私はまだこの時は知らなかった。
晩秋、アカタテハ(赤立羽蝶)が口之津の空を茜色に染めた頃、夏羽の旅団が、ジンハン国からシャーを回り帰ってきた。半年振りに見る希蝶は、益々可愛くなっていく。そして、ラビア姉様の顔を見ると、何だか心が穏やかになれる。
アチャ爺とテル(照)お婆の顔も、二年半振りに見られて、やっぱり嬉しい。それに、アチャ爺とテルお婆は、可愛い娘を伴っていた。アカタテハが運んで来てくれたような艶やかなその娘は、孫娘だそうだ。名前は照波(てるは)、十三歳である。明人叔父さんの娘だから、徐家の血を引き美人である。もしかしたら、テルお婆の娘時代はこんなだったのかも知れない。そして、香美妻を上回る美形である。
明人叔父さんには、もう一人息子もいるそうだ。照波の兄である。名を瑛(あきら)という。儒理と同じ十五歳だ。儒理の大親友らしい。明人叔父さんの奥さんは、リ(李)氏の一族だ。名をリ・ユミ(李柔美)といい明人叔父さんより十歳も若いそうだ。今の李氏の当主は、リ・アルタン(李閼丹)という。カロ(華老)様とは、学友で親しかったらしい。李氏は中道派だが、ややソク(昔)氏やキム(金)氏に同情的らしい。しかし、娘を明人叔父さんに嫁がせたことで、中道派を堅持しようとしているようである。
李氏は、ジンハン国六氏族の筆頭家である。李氏の始祖リ・アルピョン(李閼平)は、哲学的な人で、自らが王に成ることは無かった。そして、「天命を受けた徳の高い者を王にすべきだ」と、アルヒョク(卵赫)を王に据えた。そんな賢者の血を引く照波兄妹は、やはり賢そうである。だから、儒理と瑛は、「類は友を呼ぶ」というところだろう。
儒理は、可愛い姪っ子の誕生に、大喜びしたようだ。父様はもちろん、骨抜き状態である。政務も放り出し一日中希蝶を抱いてあやしていたそうだ。そして二人は、そうやって夏希義母ぁ様の訃報を和らげようとしているのだろう。
アチャ爺の話では、バイ・チュウ(白秋)様もカロ(華老)様もお元気なようである。そして四歳になったチュクム(秋琴)は、元気いっぱいらしい。でも、感情が激しく、怒りん坊のようだ。チュクムが怒ると「何で、何で」を、連発するらしい。「こんなに広いのに何で走っちゃいけないの? 何であの子を殴っちゃいけないの? あの子悪い子だよ。何でこれ食べちゃいけないの? 美味しそうだよ。何で高い所に登っちゃいけないの? 神様に会いに行きたいのに。何で、何で……」と、何で、何で攻撃をしてウェン(文)祖母ちゃんを困らせているようだ。
でも、カロ(華老)祖父ちゃんは、全部の何で?に丁寧に答えてあげるらしい。私のお祖父様と同じである。やっぱり、チュクム(秋琴)は私の分身である。チュクムの波動は、私を受け継いでいる。でも、戦さ場の巫女にだけは成って欲しくない。しかし、アチャ爺の話では、このところシャー(中華)は政変に揺れているようである。私は不安を募らせながらアチャ爺の話を聞いた。
《 アチャ爺が語るシャー(中華)の亀裂 》
バイ・フー(白狐)は、良い船乗りに成ったぞ。あれだけ上手く船を操れれば、バイ(白)交易団は益々盛況になるだろう。それに、海之冴良船で、フー(狐)と中継ぎ貿易をやれば、ピミファも大儲けが出来るぞ。
金に目がくらんではいかんが、金の有難味を知り大事にせん奴は尚更いかん。まぁ、それをワシに教えてくれたのはチュウ(秋)じゃがな。ワシも、シェンハイ(玄海)も、儲けることに夢中に成り過ぎるからな。儲けることが楽しくて、それが目的に成ってしまう。しかしチュウ(秋)は、金の使い方が上手い。
彼奴(あやつ)は、儲けた金を貧しい人達の為に、惜しみなく使う。まるで、川から苦労して引き揚げた水を、田畑に流すようにじゃ。良く散財することを「金を水に流すように」と言うて戒めるが、チュウ(秋)はそれをやる。彼奴は、蓄財に精を出す気が無い。じゃが、その豊かに実った田畑から、また儲ける。だから、チュウ(秋)は益々金を儲ける。偉いもんじゃよ。
まぁピミファも、ワシより賢く金を使いそうじゃで、しっかり儲けろよ。シャーには、チュウ(秋)のように民の豊かさの為に金儲けをする奴もいるが、そうじゃ無い奴の方が多いようじゃ。じゃで、国は滅びかけている。チュクム(秋琴)の父様ジァン・ジャオ(張角)は、そんな世を変えようと走り回っているようじゃわい。じゃっで、チュクムは、すっかり祖父さん祖母さん子じゃ。ピミファや儒理と同じじゃ。
ジャオ(張角)は、ピミファより二歳上じゃで二十四歳になる。小さい時は、酷い喘息持ちで死にかけたことも度々有ったそうじゃ。じゃで、カロ(華老)さんは、武術を習わせたようじゃな。それで、呼吸法を身に付け、少しは良くなったようじゃの。頭の良さは近隣でも評判で、高名な先生達に付いて儒学を修めたそうじゃ。そればかりでなく、祖母様からは鬼道も受け継いだようじゃのう。多才な男よ。
容姿も凛々しくてな。優奈が惚れるわけよ。じゃが、気位が高く、その上に侠気が強い。学友が乱暴者に虐められたりすると、独りで殴りこみ、傷だらけになって帰って来ていたそうじゃ。だから、人から慕われ大勢の仲間がいたようじゃ。
以前は、快活な性質で、良く大声で笑う男だったらしい。じゃが、愛する優奈を亡くしてからは、塞ぎ込み明るさが影を潜めたようじゃ。
チュウ(秋)の話では、漢の朝廷では、宦官供が専横を極め、殖財に余念がない。じゃで、貧しい民が増えているようじゃ。地方の官僚もそれに劣らずのようで、民百姓は益々苦しくなるばかりじゃ。「偉く成って金儲けがしたい」と、努力することは悪いことではない。その欲で精を出すのも一つの手段じゃ。特にワシのような怠け者は、旨い餌が無いと走ろうとせんからなぁ。
しかし、「偉く成って人の役に立ちたい」と思う奴は案外少ない。口ではそういう奴もいるが、心の中では「偉く成って楽な暮らしを送りたい」と思っていることが多い。それも、悪いことではない。多くの人が、そうやって懸命に働いておる。
じゃが、中に侠気が勝り、我が身を呈して「偉く成って人の役に立ちたい」と思う珍しい奴もおる。チュウ(秋)などもその一人じゃ。ワシしゃ平凡に「偉く成って楽な暮らしを送りたい」派よ。シェンハイ(玄海)だって、兄貴のカメ(亀)爺だってそうじゃぞ。商売人の大半はそうじゃ。そして多くの民はほぼそうじゃと、ピミファも心しとかんといかんぞ。民は、正義では動かん。損得で動くのじゃ。その損得とは「どちらの方が楽な暮らしを送れるやろうか」ということじゃ。だから、皆が正しい道を歩むとは限らん。
それに、正義や主義主張は、移ろうものじゃ。ワシにはワシの正義が、お前にはお前の正義が、奴には奴の正義がある。じゃで、正義や主義主張は、生き残る方便だという位に考えておいたが良い。たとえ民が、ピミファの正義に従おうとせん時でも、民を侮ってはいかんぞ。その時は、己の正義や主義主張を見直すのじゃ。「どうしたら、民は楽な暮らしを送れるやろうか」とな。
そうじゃろう。五年前のピミファと、今のピミファは、考え方が変わっておるじゃろ。いや、昨日のピミファと、今日のピミファでは、既に考え方が変わっておるかも知れん。それは進歩じゃ。悪いことではない。人は変わり、世は変わり、正義や主義主張も変わっていく。それが天命じゃでな。
政治(まつりごと)の根本は「民の暮らしを豊かにすること」じゃろ。その為には、お前の主義主張を時には変えることも必要さ。それを優柔不断と批判する者もおるが、気に留めることはない。政治とは、主義主張のひけらかし合いでは無いからのう。
じゃが、ジャオ(張角)には、まだそのことが理解出来ておらんようじゃ。今、ジャオは、革命に奔走しているようじゃ。三年前に、その革命派の頭目が何人か公職を追放されたようじゃ。その官職を罷免された者の中には、ジャオの先生達もいたそうじゃ。じゃで、ジャオは、その禁を解くべく仲間たちと奔走していたようじゃ。
一度は収まったかに見えた政変が、今年の夏に再び起こった。そして、ジャオは反逆者として獄に繋がれた。今、カロ(華老)さんやチュウ(秋)達、豪商連が高官達に働きかけて助命を図っている。無論、賄賂もたっぷりじゃ。それにウェン(文)さんの父上も高官の一人なので、孫の命を救おうと働いておるそうじゃ。じゃで、長くは無く保釈されるじゃろ。まぁ悪いのは、民の暮らしに目を向けず、己が蓄財ばかりに走っている奴らじゃがの。そんな腐った王朝でも、急激に倒そうとすれば戦さになるのは避けられん。そうなれば、民の暮らしは、ますます難儀なものになる。民を助けようと革命の嵐を呼び、戦禍に巻き込むとは、皮肉なものじゃが、はてさて困ったもんじゃのう。
………………………………………………………………………………………………
と、沈んだ声で、アチャ爺の話は終わった。
生きていこうとする欲が強ければ強い分だけ互いの波動はぶつかり、いくつもの波動がぶつかれば大きなうねりを生む。今、正にシャーでは、革命という大きなうねりが起き始めたようだ。私は、チュクム(秋琴)が戦さ場の巫女に目覚めないように、ただただ祈るしかなかった。
~ 儒理の初陣 ~
夜半に降り出した小雨も、昼過ぎには本格的な雨に変わった。そろそろ、田植えの季節である。そして、私はこの時期が一番心休まる。この時期には世の中から戦火が遠のく。田植えを止めてまで、戦さをしようとする者はいない。もし、この時期にあえて戦さを望む王や族長がいれば、彼らは、敵に遣られる前に、味方の百姓から追放されるだろう。戦さは、田植えや稲刈りが終わってからやるものだ。
それも、稲の出来が悪かった年にである。要は、皆で食べ物を奪い合うのだ。それを村単位でやるか、国を挙げてやるかである。そして、実りが豊かな年には、戦さは無い。王や族長が「戦うぞぉ~」と声を上げても、民は、お腹いっぱいなので、やる気が湧かないのだ。だから、国が富めば、戦さも減る。
ウネ(雨音)よ、須佐人よ、リャン(涼)よ、頑張ってくれ! ! とは言っても戦さ支度も国政には欠かせない。ヨンオ(延烏)様が言うように「来るなら来い。いつでも迎え撃ってやるぞ」という構えも、戦さを避けるには必要かも知れない。だから、狭山大将軍は、軍備の手配も抜かりない。
近頃は、百姓が仕事前に行う準備体操を考案したようだ。まずは、手足の柔軟体操をして、次には四股を踏む。それから、両足を開き、腰を膝の高さまで落とす。そして、両腕を天に突き上げながら「大豊作!!」と、叫んで飛び上がる。これが意外と皆に受けているらしい。誰彼無しに「田んぼ体操」と呼ぶようである。そう呼ばれると、それが軍事訓練のひとつだとは、皆は感じない。皆で四股を踏めば、土竜も驚いて、田畑から逃げ出すだろうし、天を突きあげれば、好天をもたらしてくれそうである。もちろん、五月女達もやるのだ。子供達は、尚更楽しみに参加している。戦さは体力勝負である。咳き込み病んでいては、勝ち目がない。だから、健康はいつでも大事なのだ。
倭国の軍装は軽微である。舟戦が多いので、重装備だと水に落ちた時に溺れてしまう。それに履物もいらない。靴など履いていたら、濡れた甲板で滑ってしまうし、泳ぎ難い。でも、シャーやジンハン国では、地上戦が多いので重装備になる。それも鉄板を付けて身を守るのだ。実際には、小さな鉄板を革紐で繋ぎ合わせて使う。昔は方形の鉄板を使っていたようだが、今は楕円形の鉄板を繋ぎ合わせる。その方が、見た目も美しいし動きやすい。
鎧を身に纏えるのは、高官や豪族の息子達だ。大半の兵士は、野良着のままである。中には、先祖伝来の古い甲冑を身に纏う百姓もいるが、見かけは良くない。でも裕福な青年将校は、見た目も気になるし金にも糸目をつけない。楕円形の鉄板を繋ぎ合わせた鎧は、美しい鱗模様になるので、その形から魚鱗甲と呼ばれている。私は儒理の元服祝いに、鱗模様の鎧を贈ることにした。せっかく贈るのだから、美しいものにしたい。そして、長く愛用してもらいたい。けど、倭国には腕の良い鎧師がいないので、シェンハイ(玄海)様に、シャーから鎧師を連れて来て貰った。その鎧師の話では、近頃シャーでは、更に胸板と背中に円状の鉄板を張り、防護性を高めた物が作られているそうだ。だから、私は、明光鎧と呼ばれる、その最新式の鎧を作って貰うことにした。
製作にあたっては、口之津の造船所の一角に製作所を設け、翁之多田羅を補佐に任じた。翁之多田羅が居れば、上質な鉄材には困らない筈だ。そして、胸当ては、黒漆に朱で筋を描き黒光鎧にすることにした。兜の額には、私の翡翠の勾玉を埋め込んだ。ヨンオ(朴延烏)様から頂いた大玉の翡翠である。
鎧師が、シャーでは馬にも鎧を着せるというので、馬鎧も作ってもらった。馬鎧は、飾りの要素が大きいようなので銀で作らせた。何しろ儒理への贈り物なのだ。私も、金に糸目を付ける訳にはいかない。それに金なら、須佐人が、儒理の為にしっかり稼いでくれるだろう。だから私が糸目をつける必要は無い。
私と須佐人が、ジンハン国では、誰も身に着けていない高価な甲冑を贈ったので、父様も、ツングース(東胡)族の商人から名馬を取り寄せてくれたようだ。この贈物の使いは、剣の項権に頼んだ。そして、名刀も、項権に選んでもらった。項権の報告では、夏希義母ぁ様が言っていたように、軍装に身を包んだ儒理は、惚れ惚れする男振りで、ジンハン国では大評判に成ったようだ。特に、ナリェ(奈礼)様は大喜びで、この男振りに見合う妃を探さねばと、奮闘されているそうだ。
でも私は、儒理には戦さ場に立って欲しくない。父様の血を引く儒理は、間違いなく歴戦の戦士になれるだろう。だけど私は、儒理に人を殺めて欲しくないのだ。きっと儒理が血刀を振るう度に、その波動はチュクム(秋琴)に伝わり、徐々に戦さ場の巫女に目覚めていく気がする。
秋、マハン国が、またジンハン国の国境を攻めてきた。マハン国のケル(蓋婁)王は三年前に亡くなり、今の王はチョゴ(肖古)王だ。王位について三年が経つので、国内での立場も固まったのだろう。そして、キドン(箕敦)の王位奪還の夢も潰えていないようだ。
更には、マハン国の食糧庫が厳しい事態になっているらしい。だから、ジンハン国の村々を襲い、食料も確保したかったようである。しかし、ジンハン国の都まで攻め入る気概は、無いようである。そこで父様は、儒理の初陣に防衛戦を任せた。
総大将は、ソル・ムントク(薛文徳)様で、ソル(薛)氏の九代目である。歳は、夏羽と同じなので、三十二歳である。父のソル・ホジン(薛虎珍)様に似て、小柄だが勇猛な方らしい。数万の大軍ならホジン様が総大将であろうが、今回の防衛隊は千名の部隊である。だから、ホジン様も、ムントク様に任せたらしい。
それから、儒理が初陣するので、アチャ爺の孫瑛(あきら)も初陣を果たすことになった。瑛も、アチャ爺に負けず劣らずの猛者のようである。だからこの戦いは、年寄達が跡取り達に与えた試練でもある。習わしでは、初陣はもっぱら見学で、戦さ場の風を感じ取ることが目的らしい。だから、防衛戦の責務は、皆ムントク様に掛っている。
しかし、儒理と瑛は、それでは満足しなかったようだ。二人は、ムントク様に三百の兵を借り、遊撃戦に出たらしい。儒理は風の強い日を選び、マハン国の国境の村を次々に襲撃し火を放った。その為に、ジンハン国の村の食料を奪う筈だったマハン国の攻撃軍は、その対応に追われてしまい襲撃どころでは無くなった。その機に乗じて、ムントク様は、本隊でマハン国軍の本陣を攻撃した。そして、儒理と瑛の遊撃戦に翻弄されていたマハン国軍は、一気に打ち崩され退却したようである。
その戦いの後、ムントク様は、焼け出された村人を自分の領地であるコヤ邑(高耶村)に連れ帰り、食料と家屋敷を与えたらしい。そのマハン国の難民は、開墾地を与えられ新しい村を作っているようだ。元々、マハンの辺境地にいた彼らは、ジンハン国の大半の民と同じように、シャーからの亡民(氓)の末裔である。だから、同じ漢人や倭人である。その為、ジンハンの領地に融け込めば、程なくしてジンハン人である。彼らに、国民としての帰属意識は薄い。どの国であろうと、楽に暮らせる土地が母国である。
手柄を立てた儒理と瑛には、褒美の代わりに、父様から雷が落ちたそうだ。蛮勇を諌めたのである。だから、恩賞はムントク(薛文徳)様とその配下だけだったらしい。ムントク様は、遊撃隊の三百人にも、自分の恩賞を分け与え労ったらしい。結局、儒理と瑛だけが何の益にも有り付けなかったのだが、二人は全く意に介していないようだ。二人は、今回の戦場で、これまで学んで来た兵法を試してみたかったようだ。そして、先の遊撃戦で試したのが、趁火打劫(ちんかだこう)という兵法らしい。「火につけこ(趁)んで、おしこみ(劫)を、はたらく(打)」という戦術らしい。早い話が、火事場泥棒である。あれだけ賢い二人が、火事場泥棒を働くとは、情けない話である。やっぱり、戦さとは、情けない行為である。でもその兵法の中には「戦さをしないで勝つのが最良の勝ちである」という教えがあるらしい。私も、それが上策だと思う。儒理よ、瑛よ。もっともっと学びなさい。そして、私も、もっともっと学ばないといけない。
~ 十五の春 ~
私の十五歳は、大海原の大波に揉まれるかのように、翻弄されていた。初春、スヂュン(子洵)の誕生に胸を暖かくしていたら、夏には、狗奴国を大きな不幸が襲った。秋には、チュホ(州胡)で人の温かさを噛みしめていたら、ジンハン国では、優奈と儒理が拉致されていた。まったく、何という波乱の十五歳だっただろう。
しかし、ニヌファの十五の春は、愛に満たされていた。そして、昨年十五歳に成ったポニサポは、ハイムル(吠武琉)の妻になった。今年の春、儒理の妃が決まった。キム・チヨン(金智妍)という名で、キム・ミョンス(金明朱)様とパク・ギュリ(朴奎利)様の娘だ。そして、私の義理の妹になるチヨンも十五歳である。皆、私の十五の春とはずいぶん違う。私はもう二十五歳である。嫁入り先の話は、まだない。同じ十五の春でも、神様のなさりようは、何故にこうも違うのだろうか。
シュマリ女将は今、ポニサポとハイムルの子を心待ちにしている。この秋には生まれるようだ。シュマリ女将の十五の春は、流転の始まりだった。でも、その時に断ち切られたサンベとの絆は、今、ポニサポが繋いでくれている。娘ウカ(宇加)との辛い離別は、玉海が繋いでくれている。
ハイムルは、生まれてくる子が男の子ならリュウジュウ(龍紐)、女の子ならロウラン(楼蘭)という名にするらしい。ハイムルにとって、西域への旅は、大切な、そして大きな出来ことだったのだ。リュウジュウという名前は、アルジュナ少年への思いを込めているのだろう。ロウランは、ラビア姉様への思いを秘めているのかも知れない。
それにしても、アルは元気にしているだろうか。アルも、ハイムルも、そして、須佐人も、リャン(涼)も、私と同じ歳だが、皆逞しくそして幸せに生きている。嗚呼それなのに、それなのに、私だけが、日々、竹簡と木簡の山に登らされ、未だに独り身である。香美妻お姉ちゃまは、今、産休中で居ない。志茂妻が懸命に手伝ってくれてはいるが、やっぱり香美妻お姉ちゃまには勝てない。私と志茂妻は、ひたすら、香美妻お姉ちゃまの復職を待ち望んでいる。
香美妻の子の名前は、菜螺津(ならつ)という。巻き毛の可愛い娘だ。父親はもちろんウネ(雨音)である。これでウネは、ほぼヤマァタイ国人だ。もうホオリ(山幸)王に返す気は私にはない。でも、ホオリ王も黙認してくれている。狗奴国の田畑より、ヤマァタイ国の田畑は遥かに大きい。そして、近隣には伊都国を始めウネが活躍する田畑が溢れている。だから、ウネは、隠居になるまで狗奴国には戻れないのだ。もちろん、里帰りは自由だし、狗奴国の田植えの時期には狗奴国に戻る。だから閉塞感は無いはずだ。春になったら狗奴国の田植えの準備を済ませ、徐々に北上しながら田植えの指導をして回り、初夏にはヤマァタイ国に戻り、それから周辺諸国の田植えの指導をして、秋口には、またヤマァタイ国に戻り、親子三人仲良く冬を過ごすのである。なんと羨ましい人生なんだろう。私も、何とか口実を見つけ、旅に出なければいけない。竹簡と木簡の山登りは、もういやだ。志茂妻よ。早く口実を作って、香美妻女王代理に政務を押し付けて、希望の帆に風を孕ませよう。
梅の実が膨らんだ頃、狗奴国から訃報が届いた。吾蘇様が惨殺されたのだ。詳細は定かでは無いが、下手人は呼邑(こや)国の者らしい。激怒したホオリ王は、大軍を呼邑国に向ける準備を始めた。初夏までには大軍をニシグスク(北城)に送り千尾の峰を超え、呼邑国に攻め入るようだ。
呼邑国は、一千戸、六千人程の小さな国だ。そこへ狗奴国の一千の兵が攻めて来るのだ。ホオリ王は呼邑国を根絶やしにするつもりらしい。それほど、親友で、妻の兄でもある吾蘇様を殺された怒りは、大きいようである。そして、嘗て呼邑国は、ホオリ王にも刺客を向けていたのである。だからホオリ王は、自分に向けた刃の罪は許しても、今回ばかりは許せなかったのだろう。それに、吾蘇様は騙し討ちに遭ったようなのだ。
事態を恐れた呼邑国の族長は、再び健に仲裁を求めたが、健がその討伐軍の総大将である。そこで、私に助けを求めて来たのである。吾蘇様は、ヒムカの夫である。そして、私が名付け親になった蘇津彦(そつひこ)と巳魁奴(みけぬ)の父様である。だから私も、ホオリ王と同じ位に怒りが込み上げている。しかし、高志 (たかし)大頭領からその怒りを鎮め、まず呼邑国族長の話を聞くように諭された。狭山大将軍の意見も同じなので、私は怒りを抑えて話を聞くことにした。
《 呼邑国族長が語る吾蘇様惨殺 》
お初にお目にかかります。私は、呼邑国族長の胡馬(こま)と申します。初めてお会いしたというのに、日巫女様に命乞いのお願いをするとは恥ずかしい限りです。いえいえ、私の命などは惜しくありません。いつでも、この首ホオリ(山幸)王に差し出すつもりです。ですが、呼邑国の民の命だけは、どうにか助けて頂きたいのです。虫の良いお願いだとは分かっておりますが、私の身体の中の虫が天帝に悪事を告げに行く前に、日巫女様にお助け願えないかと伺った次第です。
吾蘇様を殺めたのは、私の倅、気濡馬(けぬま)と、その悪童仲間です。ですが、その遠因は私が作ってしまいました。既にご承知のように、狗奴国内乱の折に、私は、対蘇 (つそ)国に隠れていたホオリ王に刺客を送り殺めようとしたのです。私は、ホオリ王に恨みは有りませんでした。しかし、ホデリ(海幸彦)王をお助けしたかったのです。
ホデリ王は、お優しい方でした。我が国が火の灰に覆われ、餓えに苦しんだ時も、ホデリ王が沢山の物資を贈られ、助けて頂きました。ですから、恩返しがしたかったのです。ですが、私の浅はかな行いが、遺恨を生んでしまいました。
かつて、対蘇国の鬼八族長が、山を掘り壊し、呼邑国の火山湖の水を対蘇国に引こうとしたのも、その遺恨からです。そして、その時の騒動が、わが国にも遺恨を生みました。わが国には、鵜野女(うのめ)という、火の山の神に仕える巫女がいました。それも大層な美人で、呼邑国の男供は、皆、鵜野女に恋い焦がれていました。
その鵜野女を、和睦の証として、鬼八族長に差し出したのです。実は、鵜野女は私の女房でした。そして、気濡馬の母です。女房まで差し出して助命をした私を、倅やその悪童仲間は、嘲っていました。心ある民は、そこまでして呼邑国の民の命を救ったのかと、私を労わってくれましたが、若衆は、鬼八族長への恨みが募っただけでした。
鬼八族長の娘の吾佐羅姫が成人すると、その美しさは評判を呼びました。そこで、呼邑国の若衆は、吾佐羅姫を呼邑国に貰い受けようではないかと息巻きました。しかし、ご承知のように、吾佐羅姫はホオリ王の妃に成られました。その恨みを、私の倅気濡馬とその悪童仲間は吾蘇様に向けたようです。
時が経つほどに、その恨みは募り、吾蘇様を誅殺しようという気運が高まったようです。そして「隣国どうしの親睦を深めよう」と、吾蘇様を誘い出し、酒に毒を盛ったようなのです。それから、毒で身体に痺れを起こした吾蘇様とその供を切り刻んだようです。そして、その災難から逃げ延びた供のひとりが、対蘇国にこの惨事を知らせたようです。
ホオリ王の大軍が押し寄せてくると知り、気濡馬とその悪童仲間は姿を消しました。今、呼邑国の民は、総力でその行方を捜しています。国を出る峠道は皆見張っているので、まだ呼邑国に留まっているだろうと思います。ですから、吾蘇様を惨殺した下手人は、程無く捕らえることが出来ると思います。しかし、ホオリ王の怒りは、それだけでは収まりますまい。この老い首はとっくに差し上げたつもりでいますが、民の命ばかりはお助け願えないかと、日巫女様からの助言が頂きたいので御座います。伏してお願いいたします。
………………………………………………………………………………………………
と、胡馬族長は、土下座をすると、弱弱しく泣き崩れた。私は困り果てて高志大頭領を見た。大頭領は頷くと「狭山が意見を持っていると思います」と言った。そこで、狭山大将軍を振り返ると「ヒムカ様におすがりしましょう」と、意外なことを言った。ヒムカは、愛する夫をだまし討ちに遭ったのである。恨みが最も大きいのは、ヒムカの筈である。そのヒムカに許しを求めようとは、私は思いも付かなかった。
でも、ヒムカならそうしてくれるかも知れない。狗奴国の復興で、ヒムカの片腕となり働いた狭山大将軍には、ヒムカの温情が良く伝わっていたのだろう。私は、早速狭山大将軍に、ヒムカへの使いを頼んだ。そして私は「項家二十四人衆」改め「近衛二十四人隊」だけを伴い、胡馬族長と、呼邑国に向かった。
~ 健の裁き ~
私達は、彌奴(みな)国を越えて、呼邑国に入ることにした。彌奴国は、ヤマァタイ国の東南に位置している。そして山国である。だが、豊富な山水に恵まれた水の国でもある。
国と呼ぶが、統一国家では無い。それぞれの山間に、それぞれの一族が寄って暮らす国である。だから、族長もいない。何か相談ごとや揉めごとの仲裁が必要になれば、村長会議が開かれそこで相談される。その村長会議の代表は、持ち回りで四年毎に替わる。村長会議で治め切れない騒動が持ち上がると、ヤマァタイ国の女王に仲裁を頼んでいたようである。以前、帛女王が米多原の館を不在にしていたのも、この仲裁に出かけていたらしい。だから、ヤマァタイ国との関係は良好である。
近衛二十四人隊の新しい女官立花も、この彌奴国の山娘である。だから、呼邑国への道案内も立花が先頭で行っている。梅雨の前ではあるが、そろそろ気温も上がってきた。しかし、この渓流沿いの山道は涼しい。立花の郷で一夜を過ごし、私達は、呼邑国の峰に立った。そして、そこは絶景だった。まるで高杯のような国である。私達は、今その高杯の縁に立ち、高杯の中を覗き込んでいる。冷えた朝には、この中に雲が湧き、まるで、天空から見下ろしたような景色が広がるそうだ。
峰を降りていくと、空の青さにも負けない色をした蝶が飛んでいた。胡馬族長の説明では、オオルリシジミ(大瑠璃小灰蝶)という名の蝶らしい。ベニシジミ(紅小灰蝶)の仲間らしいが、全く対照的な色である。この蝶は、クララ(眩草)という草を食べて大きくなるそうだ。そして、このクララという草は、名の通り、食べると目眩を起こすそうである。
胡馬族長は、吾蘇様に盛られた毒はこの野草を使ったのではないかと言っていた。ただ、噛むと目眩がする位に苦いので、誰も食べないそうだ。だが、甘い酒に混ぜ、猪肉等の脂が強い酒の肴を摂りながらであれば、気付き難かったのかも知れないと言っていた。
オオルリシジミは、梅雨が明ける頃には早々に土に潜り冬眠するらしい。だから、春の焼畑の頃は、まだ土の中だ。呼邑国には、火の山が造った洞穴がいくつもあるそうだ。そして、気濡馬とその悪童仲間は、その洞穴のひとつに潜んでいるのではないかと捜索をしているようである。
胡馬族長の屋敷は、盆地の中ほどにあった。南側には、火の山が煙を上げている。確かに、カゴンマ(火神島)に負けない迫力である。そして嬉しいことに、温泉も沢山あった。私と志茂妻は、温泉を楽しみながら、ホオリ王の大軍を待った。
二日ほど経ち、気濡馬とその悪童仲間が、洞穴のひとつで見つかった。皆やつれはて、自らが引き起こした悲壮の結末を、身体から滲ませていた。胡馬族長は、傷心のうちに、気濡馬とその悪童仲間を獄に繋いで裁きを待った。
それから五日後、ホオリ王の大軍が、千穂の峰を越えて呼邑国に入って来た。大軍を率いて来たのは健(たける)である。健は、まだ十八歳の少年とは思えないほどに威厳に満ちていた。私は、健に、ヒムカに使いを送ったことを話し、ヒムカの意向を待ってくれるように頼んだ。そして、健も、その方針を認めて待ってくれることになった。
その間、呼邑国の民は、現つ神(アキツカミ)と崇める健に祈った。数日後、ホオミ(火尾蛇)大将が、ヒムカの親書を携え呼邑国にやってきた。私は、ホオミ大将との再会を喜ぶ暇もなく、裁きの庭に立ち会った。ヒムカの意向は「極刑は望まず」であった。そして、裁きは健に委ねるということだった。
健は、一考し「胡馬様は隠居とします」と言った。胡馬族長は、一瞬えっ!と声を漏らし深く項垂れた。そして「呼邑国は、解体します」と言った。胡馬族長は、えっ!と顔を上げ健を見た。健は続けて「呼邑国の南部は、ツソ(対蘇)国の領土に組み入れます」と言った。胡馬族長は、嗚呼と言い、吾蘇殺害の対価を受け入れた。
更に健は「呼邑国の北部は、ニシグスクの監視下に置きます」と言った。これには、傍聴していた民からどよめきが湧いた。中には手を叩いて喜んでいる者もいる。皆、現つ神の許で生き延びることが出来るのである。
そして最後に「吾蘇様を殺めた者達は、サイトに連行します」と告げた。つまり、ヒムカに引き渡すのである。この沙汰に皆は静まり返った。民は、気濡馬とその悪童仲間がサイト(斎殿)で首を刎ねられると思ったのである。
翌日、気濡馬とその悪童仲間は、ホオミ大将に引きたてられサイトに連行された。私は、翌朝、健と対蘇国に向った。そして、吾蘇様の後継に蘇津彦を立て、私と健が後見人になることを対蘇国の民に告げた。幼い蘇津彦と三毛沼は、今は狗奴国のヒムカの許で暮らしている。しかし、蘇津彦が十六歳に成ったら、対蘇国に戻り、族長と成るのである。後継者が決まり、領土も広がった対蘇国の民には、安どの声が広がった。
私は、対蘇国で健と別れると、姐奴(そな)国を抜けて筑紫海に向かった。やはり、帰り道に口之津の様子を見ておきたかったのだ。もちろん、希蝶とは、たんと遊んで帰る予定である。
ヒムカは、気濡馬とその悪童仲間を、伊予島(いよのしま)に送ったようである。伊予島は、まだ災害復興の途上である。狗奴国を襲った災難は、伊予島の南岸では更に激しかったようだ。粗末な小屋暮らしの民もまだ多いそうである。だから、ヒムカは、気濡馬とその悪童仲間には、そこで罪を贖わせようと考えたようだ。首を刎ねても、吾蘇様は戻らない。それよりも、吾蘇様も望んでいた、伊予島の復興に役立てた方が喜ばれる筈だ。そして、気濡馬とその悪童仲間も、人を殺めることより、人を助け、喜ばれることの方が、どれだけ幸せか身にしみて知るだろう。その時にこそ、本当の懺悔の時が訪れる筈である。
やはり、悪い気なら焼き殺そうとする私とは違い、ヒムカの懐は深い。私は、ヒムカに、オオルリシジミの瑠璃色の大衣を贈ろうと思った。ヒムカの空は、清々しくどこまでも青い。私もそんな大空を舞う蝶に成りたいものだ。
希蝶の羽音は、私に自由の羽を与えてくれる気がしてきた。さぁ、私も織姫の修行をするぞ。でも、ヒムカに贈る瑠璃色の大衣は、太布様にお願いしよう。私の修業は、まずは、カラムシ(苧麻)の糸積みからだろう。さて、夏羽にカラムシの山に案内してもらおう。勿論、志茂妻も一緒にである。でも、志茂妻は織姫なので、私より十倍上手いだろうけど。
~ 儒理の立太子 ~
健の裁きの翌年、うれしい早春の便りが、ジンハン国より届いた。儒理が、正式にジンハン国の皇太子に決まったのだ。ナリェ(奈礼)王妃の強い望みだったそうである。だから、アマ(阿摩)王子擁立派だった者の大半も叛意を忘却の川に流し同意した。
それに、儒理の妃はキム・チヨン(金智妍)である。チヨン(智妍)の父は加羅国族長キム・ミョンス(金明朱)様で、母はネロ(奈老)様の遺児ギュリ(奎利)様である。だから、チヨンが儒理の子を産み、その子が王位を継げば、ソク(昔)氏とキム(金)氏の一族も、再び王位の血脈に繋がるのである。
それに、十九に成った儒理は、すでに、兄の夏羽より背が高いと聞いた。やはり、龍人の一族である。容姿は、ますます父様に似て来て、威厳が増したようである。だから、今のジンハン国には、儒理を凌げる男の子は居ない。儒理の立太子に伴い、瑛も正式に任官したそうである。きっと、明人小父さんが父様を支えているように、瑛も儒理を支えてくれるだろう。まだ会ったことはないけど、瑛よ頼んだよ!!
米多原の館の土手には、幾本かのナナカマド(七竈)の木が植えられてある。初雪が降り、ナナカマドの赤い実が熟した頃、ツグミ(鶇)が冬越しに渡ってくる。私は、ツグミが雪の白さに浮き上がり、赤い実を啄ばむのを見るのが好きである。幾時も見飽きることが無い。でも、いつまでもぼんやりとツグミと見つめ合ってもいられない。木簡と竹簡の山の向こうから、香美妻お姉ちゃまが睨んでいるのだ。だから、志茂妻と私は、竹簡の枝先に泊まり、ツグミとジョウビタキ(常鶲)に成り、ピ~ピ~ピ~ツンツンツンと鳴いている。
でも今は、初夏が近い。だから、私と志茂妻は、ピィ~ョピィ~ョと、 ヒヨドリゴエ(鵯越)を試みているが、そうそう容易く、木簡と竹簡の深い谷は、越えられない。そして、ナナカマドの木は、清らかな白い花を弾け咲かせている。
儒理の立太子の礼は、十日の後に開かれることになっている。私は、祝いの使者に夏羽と須佐人を立てた。使者の船は、海之冴良船を使うので、熊人と隼人も乗船している。きっと立太子の礼の後で、仲良し三人組は酒を酌み交わすことだろう。だから、お祖母様は花酒を送ってきた。遅くなったが、孫への成人の祝い酒である。
熊人と隼人は、成人の儀で既に花酒を飲んでいる。だから、これは余禄の喜びである。二人は花酒の徳利を、幾重にも乾し草で覆い、表麻呂の船長室に置かせてもらっている。薄情者の二人には、私が贈った祝いの宝物よりも大事らしい。確かに、花酒は、本来神様への捧げ物の酒なので粗末にしてはいけない。
私も、志茂妻と、伊都国まで見送りに出た。これ位の政務放棄ならどうにか香美妻お姉ちゃまも許してくれたのだ。何しろ、初春から初夏までは政務が溢れる季節である。それに、ウネ(雨音)の働きで、ヤマァタイ国が豊かになるにつれ政務の量も増えてきた。今年は、太布様に手伝ってもらっても、追いつかない量である。政務に追われる香美妻は、愛娘の面倒を見る暇すらない。三姉妹の母である産務処の主査ミヤメ(水八女)も、政務から手が離せない。ウネは養蚕にも改良を加え織産業も盛んに成ってきているのだ。だから、そのウネも今年は、単身赴任である。菜螺津の父様ウネは、狗奴国から独り身で北上中である。
そんな様子なので、可哀そうな菜螺津は、曾祖母ちゃん曾祖父ちゃんっ子である。でも、タマタレメ(玉垂女)様とイワイ(磐猪)様は、曾孫の世話が楽しそうである。だから、香美妻お姉ちゃまが、厳しくなるのも致し方ない。
この事態に今、淀女房頭は、大幅な女官の増員を図っている。そして、初夏には、二割の人員増で、体制強化が整うそうである。だから、この夏が、木簡と竹簡の山の峠道に成るだろう。もう少しの我慢だ。志茂妻よ。手を取り合って頑張ろう!!
海之冴良船は、私と近衛二十四人隊を伊都国で降ろすと、臼王とククウォル(菊月)姉様、そしてスヂュン(子洵)を乗船させる。臼王は、久しぶりに父様と再会できるのを楽しみにされている様子だ。スロ(首露)王も立太子の礼に参列するはずだから、ククウォル姉様も楽しい船旅になるだろう。
海之冴良船は、潮待ちの為、伊都国の港に二晩停泊することになった。だから、隼人は、熊人を伴い、伊都国を案内している。もちろん、隼人を兄貴と慕う伊都国の悪童連も一緒である。私は、陳商店街会長に、伊都国の美味巡りに連れて行ってもらった。近衛二十四人隊の輿に揺られて陳会長は、大喜びである。もちろん、私の料理番のリーシャンも、伊都国に来ているので、王宮では、料理大学が、開かれている。
夜、旅立ちの宴が開かれた。臼王は、熊人が伊都国の港町の賑わいを楽しんでいたと聞かれると「クマト殿、伊都国を充分楽しんでいただけましたか」と労われた。熊人は、透かさず「いやぁいっぺこっぺさるもしてしっただれもした」と答えた。臼王とククウォル王妃は、何を言われたのか分からずポカ~ンとされている。私は思わず「じゃいが」と相槌を打ってしまったが、ラビア姉様が笑いながら「今、熊人は『あちこちを見て回ったので、とても疲れました』と言いもした」と、わざと阿多国なまりで通訳をしてくれた。それから「ピミファ姫が言った『じゃいが』は同意をし、『そうね。大変だったね』と労わったことを意味しています」と付け加えてくれた。それを聞いた熊人は大きく「じゃっど。じゃっど」と頷いていた。
阿多国の土着的な言葉は、どちらかといえばピョンハン国やマハン国の土着の言葉に近い。だから、伊都国の言葉のようには、容易に漢の文字に書き表すことが出来ないのである。しかし、言葉は、その土地に根付いているものではなく、人々の移動で変わるものだ。だから今、私達が話している言葉も、数百年後の人には通じないかも知れない。そして、離れ離れに成り、異国人だと思っていた者達が、ある別れ際で「オサラバ~」と手を振り合い「あれ? 何故別れの言葉が同じなのだろうか?」と、互いの昔を振り向きあうのである。そうして、互いに遠い昔に分かれた種族であった。と、長い時間を取り戻すのだ。だから安易に異人種だと、いがみ合ってはいけないのである。
須佐人とニヌファの娘世織津(せおりつ)は、一歳に成った。兄のハラエド(胎穢土)は、三歳である。ハイムルとポニサポの息子リュウジュウ(龍紐)は、二歳に成った。香美妻とウネの娘菜螺津も、二歳である。私の可愛い姪達である希蝶は五歳で、チュクム(秋琴)は八歳に成った。ヒムカの長男蘇津彦もチュクムと同じ八歳であり、弟のミケヌは六歳である。皆、両親は忙しく、十分な親子の情には満たされていない。が、とにもかくにも元気に育っている。それに、祖父ちゃんや、祖母ちゃんや、大伯母さんや、大叔父さんや、兄弟達や、友達に囲まれて幸せに過ごしている。
私や、ラビア姉様や、ククウォル姉様や、ヒムカだって、親の顔を知らずに大きくなった。でも、皆元気である。時折深い心の病に陥ることもあるが、総じて楽しい人生である。だから、子供達にもそうあって欲しい。儒理の立太子の礼は、新しい時代の始まりに成るだろう。そして、その物語を紡ぎ繋いでいくのは、幼き子供達である。幼き子供達に幸あれ!! 明日はきっともっと明るい!! ねぇアチャ爺、そうでしょう。
~ アヘン(金芽杏)の楽しき人生 ~
愛犬チャピ(茶肥)が、朝未明(あさまだき)の薄霧の中で息絶えた。筑紫海の海が見渡せる前庭で、夏草の衾(ふすま)に身を横たえ眠るように逝った。人なら、もう七十歳を優に超えている。だから大往生である。いつも元気で明るく飛び回っていたチャピの人生は、楽しいものだったに違いない。いいえ、楽しき犬生か。どんな人生であっても、安らかに神様の許に逝ければ大往生である。
苦しみ悶えなくても、後悔の日々に打ちひしがれて逝くのは寂し過ぎる。だから私は、思い切り我儘に生きてみるつもりだ。たとえアルが言うように、生き物は何度も生まれ変わる存在だったとしても、この人生は一度限りである。それに、何度も生まれ変わり、何度も生きる苦しみに襲われるのなら、益々楽しい人生を送らないといけない。四苦八苦だって気の持ちようだ。寒い~、腹減った~と、苦苦に苛まれてもクククと笑っていれば何とかなる。何とも成らなければ一度死んで、またやり直す手だって残されている。だから人生は何でも有りである。
今日も入道雲の親方達が、威厳を弾かせて相撲を取っている。でも、雨にはならない。何故なら、入道雲の親方達は、機嫌が良さそうだからである。そして熱風は、頬をいっぱいに膨らませ政務所の中を吹き抜けていく。そうして、女官の中には、目眩を起こして倒れる者もいる。でも、私と志茂妻は、大丈夫。竹簡と木簡の山登りで吹き上がる汗に比べたら、これ位の熱風なんてへっちゃら(平気)である。クククと笑い飛ばしてやろう。
それに、西南の熱風は、チュクム(秋琴)の羽音も運んでくれる。そして、八歳に成ったチュクムの羽音は、益々激しい。きっと男の子でも、気に入らなければ引っ叩いているのだろう。何で、何で攻撃の精度は質を上げ、もう学識の高くない先生なら遣り込めているかも知れない。でも大丈夫。カロ(華老)様は博学な方である。そしてウェン(文)祖母ぁちゃんの一族には高名な学者も多いと聞いている。だから、祖母ぁちゃんも、なかなかの学者なのである。まだまだ幼いチュクム(秋琴)の何で、何で攻撃に打ち負かされる祖父ちゃんと祖母ちゃんではない。
チュクムの激しい羽音に比べると、希蝶の羽音は優しい。まるで、那加妻のようである。いずれの羽音も、私の元気の源だ。だから、真夏を十分に楽しんでいる。贅沢を言わして貰えるなら、七日に一度は、志茂妻と、自由に千歳川で川遊びをさせて貰えると嬉しい。でも、菜螺津(ならつ)を愛しむ時さえ惜しんで奮闘している香美妻お姉ちゃまの前では、決して言えない。
淀女房頭からは、もう七日頑張ってくれと言われている。そうしたら、遅い夏休みを頂けるそうだ。きっと、香美妻は、その期間で、菜螺津との時間を取り戻すだろう。それに、その頃にはウネも帰ってきている。だから、近衛二十四人隊の輿に乗せて親子三人を湯の里に送り出してやろう。そうだ。枚聞(ひらきき)山の砂の温泉がいいかもね。
まだ婿も、子もいない私と志茂妻は、のんびりと、千歳川で河童に成っていよう。でもカメ爺のような、てっぺん禿に成る気はない。アチャ爺とテルお婆は、孫娘の照波を伴って、阿多国に帰っている。北国育ちの照波は、まだ泳ぎが上手くないようだ。だから、阿多の磯で、海女達に交じって潜りを覚えたいようである。アチャ爺は、照波が十八に成ったら、熊人の嫁にしようと考えているようだ。そうなれば、項家の行く末も安泰である。親友のハク爺も、この算段に大喜びのようである。熊人よ。キバッヤセ(頑張れ)!!
夏の日差しが少し和らいだ頃、海之冴良船が、儒理の立太子の礼から帰国した。そして、その甲板に、琴海さんにも負けない勇壮な女戦士が立っていた。それはスロ(首露)船長の愛娘キム・アヘン(金芽杏)であった。アヘン(芽杏)は、まだ夏の終わりだというのに、真っ赤な毛皮を纏っていた。胡服仕立てである。それを黒い皮帯で巻き留めている。皮帯の中央には、黒くて四角い留め具が付いている。それは燃え石らしい。その燃え石に、火床かと思うほどの真っ赤な宝石が鏤められている。それから足元は黒い革の靴である。真っ赤な毛皮の奥には、薄金鎧が覗いている。黒い皮帯には大小の直刀が挿してある。きっと鉄剣であろう。左腕には丸い盾が結わえられている。これは、明らかに戦闘の装いである。アヘンの気性が、垣間見えるようである。
アヘンの肌は雪のように白く、頬は薄紅色である。髪は月の輝きを思わせるほどの銀髪である。そして瞳は灰色で狼の目のように鋭い。悪党供からは「鯨海の白い狼」と恐れられているそうだ。やっぱりスロ船長の娘である。私はアヘンのこの勇ましさが、とても素敵に思えた。
傍らには、凛々しい少年が寄り添っている。これはきっとゴドゥン(居登)だろう。スロ船長を彷彿させる。確か、ゴドゥンは十二歳の筈である。兄のクス(仇須)は十五歳で、今はジンハン国にいるそうだ。ジンハン人のキム・カヒ(金嘉希)様を母に持つクスの肌は白いそうだ。それに対して、天竺人のラクシュミー様を母に持つゴドゥンの肌は小麦色である。笑うと白い歯が印象的で、やっぱりアルにも似ている。先程ラクシュミー様がビダルバ国に帰国された折に、ゴドゥンも付き添ったそうなので、アルジュナ少年とも兄弟の契りを確認している筈である。しかし、アルは私と同じ歳なので、もう二十六歳である。だから、とっくに少年ではない。でも私の中では、別れたあの日のアルジュナ少年なので、やっぱり少年なのである。思えば、もう十年もアルには会ってないのだ。でも不思議といつもアルを近くに感じる。だからゴドゥンにも強い親しみを感じた。
昨年、父様は、十四歳のキム・クス(金仇須)を、イルギルチャン(一吉飡)に採りたてられたそうだ。 イルギルチャン(一吉飡)は、嘗てネロ(奈老)大将が担っておられた最高位のイボルチャン(伊伐飡)から七番目の高い官位である。その高官の中でも上位に位置する異例の抜擢だが、他の臣下達から異論は出ていないそうだ。何故なら、クスは、スロ王の息子で、キム・アルジ(金閼智)様の曾孫である。
アルジ(閼智)様のキム(金)本家は、息子のキム・セハン(金勢漢)様が跡を継がれた。セハン(勢漢)様には二男一女の子供があり、キム・カヒ(金嘉希)様は末の子である。兄はキム・アド(金阿道)様とキム・アト(金阿都)様という。七つ違いの兄弟だったそうだが、お二人とも同じ三十二歳でお亡くなりになったそうである。
アド(阿道)様がお亡くなりに成った時には、カヒ(嘉希)様十九歳。アト(阿都)様がお亡くなりに成った時には、二十六歳だったようである。カヒ様は、十二歳でスロ王に嫁がれたので、お二人の兄様の死の床には添えなかったそうである。
アド(阿道)様には、スリュ(首留)とチュポ(郁甫)という二人の跡取りが居られたが、お二人とも三十路を待たず先立たれたようだ。そこで今は、アト(阿都)様の息子であるキム・クド(金仇道)様が、アルジ(閼智)家の当主である。
クド(仇道)様とクス(仇須)は、十六歳違いの従兄になる。クド(仇道)様は、本家が絶えるのを惜しみ、アド(阿道)様の孫娘であるキム・チョンリョン(金青蓮)を、クス(仇須)の婿養子とし本家を継がせたようである。
父様は、クス(仇須)を任官させたのと時を同じくして、クド(仇道)様をパジンチャン(波珍飡)に引き上げたそうである。パジンチャンは、四位の重臣である。クド様は、私より五歳年上のようなので、この時三十歳である。だから、重臣の中でも格別に若いのである。他の重臣たちから見れば、クド様は息子と同じような若さである。しかし、若くても、アルジ(金閼智)家の当主なので、誰からも異論は出なかったようだ。
いずれにしても、クド様もアヘンの弟クスも、とても優秀なのだ。ふたりとも、アルジ(閼智)様の血筋である。不思議なことではない。だから、父様は、この若い二人の力を期待されているようである。
そして、スロ(首露)船長の跡取り五代目スロ王ソウジョ(倉舒)も、アルジ様の血を受け継いだ曾孫である。だから兄弟は、相当に賢い子達である。私は、アヘンの話を聞きながら、スロ船長と再開していたことを思い出した。あれは、夏希義母ぁ様を亡くし、私が忘我に陥っていた時のことだった。魂送りの儀が済んでも、私が呆然としていたので、スロ船長は心配で声をかけてくれたようだ。そして、少しでも私の心を弾ませようと、親バカ話を愉快に語ってくれたのだが、その時には私の心に入らなかった。でも今、徐々にその話を思い出してきたのだ。それはこうだった。
《 スロ(首露)船長が語る親バカ話 》
いや~、鳶が鷹を生むという喩えがあるが、俺のソウジョ(倉舒)とクス(仇須)がまさにそれだな。それに、俺様もなかなか優秀な男だからなぁ。もう、ソウジョとクスは、神様の領域に近い天才だな。カヒ(嘉希)の賢さをそのまま受け継いでいるからなぁ。まぁ~、男振りの良さは俺に似てもらいたいが、賢さはカヒ譲りが一番だ。いやいや、俺のお母ぁさん、ヘジン(恵珍)の血も引いているから益々賢いぞ。困ったなぁ。誰かに少し分けてやりたい位だなぁ。どうだい、ピミファも俺のソウジョとクスの賢さを、少し譲ってやろうか。
まぁピミファは大丈夫か。そうそう夏羽のバカメが居ったわい。あいつには十分俺のソウジョとクスの賢さを煎じて飲ませないといけないなぁ。なぁピミファもそう思うだろう。何しろソウジョとクスは賢いからなぁ。
どれくらい賢いかを少しだけ話すとなっ。ソウジョ(倉舒)が十一歳に成った時の話よ。その年はアヘン(金芽杏)が二十歳に成った時でも有った。それを祝ってラクシュミー王妃がな。天竺から象という珍しい生き物を取り寄せてくれた。お転婆アヘンにはぴったりの化け物のような生き物よ。
ラクシュミー王妃はこれをアヘンの乗り物にしようと考えたようだ。もちろんアヘンは大喜びよ。ピョンハン(弁韓)国は元より、ジンハン(辰韓)国にもマハン(馬韓)国にもあんな生き物は居ない。倭国にだってもちろん居ないさ。大昔には倭国にも古代象という化け物のような象がいたらしいが、今は絶滅してしまったようだ。だから象に跨っている奴なんて鯨海周辺には一人もいない。勝気なアヘンには、そこも嬉しかったようだなぁ。
そしてふと「この象という生き物は、人の何倍位の重さがあるの?」とアヘンが聞いてきた。ところが、象を運んできた象使いも「さぁ?」と答えに窮した。そこで俺は、ピョンハン国の百官を呼び「この象の重さを調べよ」と言ったが百官は「そんなに大きな秤はございません」と頭を抱えてしまった。
そこで俺は「では森の中から大木を切り出し、大岩の上に乗せよ。それから片側に大縄で象を吊るし、もう片側に皆がぶら下がれ」と言ってみたが百官は「それはあまりにも危険すぎます。どうかそんな乱暴な真似はお止めください」と止めるのさ。「それじゃどうする」と、俺が怒って迫ると、皆下を向いて顔を上げなくなった。
するとソウジョ(倉舒)が「父上、もう一度その象を船に乗せてください」と言い出した。そこで「で、どうすんだ?」と、俺がソウジョに聞き返すと「象が船に乗ったら、喫水線を舷側に刻んでください」と答えた。「ほうほう、それからどうするんだ」と聞き返すと、ソウジョは何と答えたと思う。
驚くぞぉ。十一歳だぞぉ。そこらの小僧供は、皆鼻垂れ悪ガキだぞぉ。寝小便野郎だっているかも知れないぞぉ。ともかくまだ十一歳の子供だ。それが何と答えたと思う。びっくりするぞぉ。賢いぞぉ。ダジャレじゃ無いぞぅ~。おいピミファよ。可笑しくは無いのか? びっくりするぞぅ~だぞ。まぁ良いか。気鬱が治ったら思い出して笑ってくれ。
で、ソウジョ(倉舒)の賢い答えじゃが「舷側の喫水線に印をつけたら、一旦象を船から降ろしてください。そして今度は人が船に一人ずつ乗り込みます。舷側の印の所まで船が沈んだら、それが象と同じ人の数です。その人達の重さを足し合わせれば象の重さも自ずと分かります」と答えたんだぞぅ~。そうか可笑しくないか。もう「んだぞぅ~」は止めるか。
しかし、百官は嘆息すると皆で「五代目スロ王様万歳。万歳。万歳」と歓喜して万歳三唱を始めた。中には「もうこれで乱暴者の四代目は引退しても良いぞぉ~」とドサクサに紛れて俺を引退に追い込む輩まで出おった。その様子を見ながらアヘンは、「ソウジョは本当に賢い子ね。どうしてそんなに賢くなれるの」とソウジョを抱きしめたもんさ。
そこからまたソウジョの答えは賢いぞ。ソウジョは照れながら「姉様の象を船乗りたちが船から下ろした時、喫水線が浮き上がったので、嗚呼これが象の重さだったのだと思ったのです」と答えたのさ。
アヘンは「へぇ~私は象に見とれていて、そんなこと何にも気付かなかったわ。やっぱり私のソウジョは偉い偉い」と、手放しで喜んでおったなぁ。ラクシュミー王妃も感心しきりで「アルには素晴らしい弟が出来ました」と喜んでおった。
どうだいピミファよ。アルジユナ少年との論戦がしてみたくなったら、代わりに弟のソウジョに挑んだら良いぞ。血は繋がらん兄弟だが、頭の良さは同じじゃ。
おい、ピミファよ。もっと元気を出せ。意地っ張りのお転婆娘はどこに行った。アルに負けない論戦の相手も見つかったんだぞ。まぁ、気鬱が治ったらソウジョをヤマァタイ国に寄越すから論戦の議題を考えておけ。それにクス(仇須)もソウジョとは違った賢さを見せる所がある。二人ともピミファの良き友に成るだろう。聞こえてはおらんかも知れんが、一応クスの賢さも話しておくぞ。
これは先月の話じゃ。我が家の宝の一つ、青龍の鏡が割れておった。鏡が割れるのは、昔から不吉の兆しだと言われている。だから、俺は「誰だ鏡を割ったのは」と、大声で怒鳴ったのさ。だから誰も「お許しください。私が割りました」と自首してこないのだ。
翌日、クスが朝餉の席で、不用意にも陶器の皿を割ってしまった。そして、昼餉の席では、ガラスの杯を落とし割ってしまった。夕餉では、とうとう羹(あつもの)が入った鍋ごと倒して割ってしまった。そして、ついにクスは大泣きをし「もう私の命は長くないのでしょう」と言い食事を取らなくなった。
次の日は、朝餉の席にも昼餉の席にも顔を出さなくなった。夕餉にも顔を出しそうに無いので、俺はクスの部屋に様子を見に行った。が、床に伏せたまま起き上がろうとしない。そして「三度物を割ると、四度目には自分が死にます」と云うのだ。
だから、器に手を出さないように、伏せって動かないようにしているそうなんだ。「誰がそんなバカなことをいうのだ」と言うと「昔からそう言われています。父上はご存じなかったのですか? 女官達は皆知っていますよ」と言って、女官達を見渡すと皆で頷いているではないか。
俺は呆れかえり「お前達はバカか。それは迷信だ。物は落とせば割れる。特に陶器や、ガラスならなおさら脆い。だから、割れたとて不思議なことではない。何でそんなことで人の命まで失われるものか!! これから、そんな迷信を吹聴するやつがいたら、俺がぶん殴ってやる」と、息巻いたのさ。
するとクスは「父上のお叱りに目が覚めました。お許しください」と言い、夕餉の席に向かったのさ。俺は、狐に抓まれた気がしたが、まぁクスが夕餉を取ったので良いか、と思い、その日は寝たのさ。
すると翌朝早くクスが、三人の女官を伴ってやってきた。そして、その真ん中の女官が、突然俺の足元にひれ伏し「王様、私を殺してください。王様の大事な鏡を割ってのは私です。どうか王様、私の首を刎ねてください」と、号泣するのだ。脇にいた二人の女官も「私達も同罪です。王様、この娘の首をお刎ねになるのなら、私達の首もお刎ねください」と、同じようにひれ伏してしまったのさ。
するとクスが「三人とも、父上に何という無礼を働くのです」と、怒り出したのだ。そして「お前達は、父上のお人柄が分かっていないようだな。物は壊れる。鏡なら落とせば割れる。お前は誤って鏡を落としたのであろう。それなのに何故、己が命と鏡とを引き換えにしようとするのだ。父上は、そんな考えが嫌いで有らされる」と言うのだ。
そう言われると俺も「その通りである。私が知りたいのは、どうして鏡が割れたかだ。家宝の鏡が割れたのだ。何故割れたかを知らなくては、先祖に申し開きが出来んだろう。さぁ怒りはせんから話しておくれ」と言うしかあるまい。なぁそうだろう。
鏡を割ったのは、良くある不注意だ。部屋を掃除していて誤って落としてしまったらしい。供の女官は、その時に一緒に部屋を片付けておった。それで年若いその娘だけに難儀を掛けまいと、自ら同罪を申し出たそうだ。だから不問にするしかあるまい。そして、自ら同罪を申し出た二人には、私が造った小鏡を与えたのさ。正直者への褒美だ。
この話をアヘンにすると、アヘンは大笑いし「本当にクスは賢い。頭に血が上ったおバカさんには、直接理を説いても耳に入らないことが多いからね。本人に思い当らせる方が賢いやり方よね。父上も、もう少しクスの賢さを真似ねたが良さそうね」と諭されたよ。子に諭される親ってぇのは情けないのかね。それとも幸せかい。なぁピミファはどう思う。
………………………………………………………………………………………………
と、優しく私に語りかけてくれていた、スロ(首露)船長の声を思い出した。
海之冴良船が帰還した夜、斯海国の口之津の館では、大宴会が開かれた。だから、私と志茂妻は、政務を香美妻お姉ちゃまに委ねて斯海国にいる。淀女房頭が女官を大幅に増やしてくれたので、今は政務もひと段落している。そして、香美妻も、夜は菜螺津のお母さんに戻れている。太布様も手伝っていてくれるので、私と志茂妻は、遅い夏休みを貰えたのだ。
とは言っても、私と志茂妻が羽目を外し過ぎてもいけないので、監視役に、アチャ爺とテルお婆も付いてきている。だからもちろん、リーシャンも連れてきた。海之冴良船は、この後十日ほど修理に入る。そして修理が終わったら、私達は、アヘン一行を倭国巡りの旅に連れて行くことにしている。狗奴国から伊依島(いよのしま)へ渡り、東岸で茅渟海(ちぬのうみ)に回り込み、中ノ海を航海して、投馬(とうまぁ)国に至る順路だ。そして、伊都国に戻り、カブラ(加布羅)船長の船を待って、アヘン一行は、ピョンハン国に戻るのである。だから、ひと月以上の長い船旅になる予定だ。
この航海が終わったら、海之冴良船は、末盧国の佐志之津を母港とすることになる。これで、洞海(くきのうみ)には天之玲来船を配備し、風之楓良船は口之津を母港とする三角配置が整う。天之玲来船では、鯨海貿易を。海之冴良船では、黄海貿易を。そして、風之楓良船では、東海貿易を行えば、倭国は豊かな海洋王国に成れる筈である。
豊かさは、戦さを遠のかせる特効薬だ。もちろん、それだけでは戦さは無くならないが、アチャ爺がいうように、お腹いっぱいに満たされていれば、民は戦いたがらない。戦さで命を無くすのは、大半が民なのだ。富国強兵は、他国を攻める為の手段であってはいけないのだ。
国を富ますのは、皆が飢えに苦しまない為。軍備を固めるのは、他国や賊どもから国を守るためである。欲からくる戦さは凌ぎ易いが、飢えから襲ってくる敵は凌ぎ難い。彼らは命がけなのだ。命を捨てた敵を相手にするのは、厄介なことである。だから、周辺国を豊かにしておくことも大事である。
チュウ(秋)様の商売は、豊かさが豊かさを呼ぶやり方である。鯨海の沿岸国が飢えに苦しまなくなれば、第二、第三の奴隷商人サンベ(蒜辺)は現れない。
須佐人は、サンベの盟友オハ村長の村も、貿易の拠点の一つにしている。オハ村長の村は、入り江の奥まった所に在るので、嵐を避ける港としても良港らしい。それから、須佐人は若い娘達には、毛織物と革細工を、教え込んだ。男の子達には、木彫りの技を磨かせ、刀の柄や鞘を始め、装飾性が高い木工品を作らせている。そうして出来た商品を、高志や稜威母の町々で、良い値をつけて売りさばいているようである。だからオハ村長の村も、今では、娘達や子供達を売り、飢えを凌ぐことは無くなった。
子供好きだったサンベは、神様の国からどんな思いで眺めていることだろう。でも、そのサンベの娘ポニサポも、今は狗奴国で幸せに暮らしている。ポニサポは、来年にはハイムル(吠武琉)の二人目の子を生むそうである。もし生きていれば、サンベも、二人の孫を持つ好々爺である。
二人の子持ちに成るハイムルも、狗奴国から、私達の旅に同行してくれることになっている。私は、久しぶりにシュマリ女将の顔を見て安心したら、その後ハイムルとポニサポの長男リュウジュウ(龍紐)に初対面し、抱っこするのを今から楽しみにしている。
夏羽一行の帰国祝いと、アヘン一行の歓迎祝いは賑やかに始まった。そして、私は、アヘン一行は皆アヘンの夫と妻だと聞かされ驚いた。アヘン一行は、五人の男達と一人の娘である。それに、アヘンとゴドゥンを加えた八人なのだが、弟のゴドゥンを除いてこの七人は夫婦らしい。つまり、アヘンには、五人の夫と年若い妻がいるのである。まだ一人の夫も持たぬ私には、アヘン夫婦の世界は、理解を超えていた。
アヘンに紹介された男達は、最も年若いのがハヤン(夏羊)という。まだ十八歳らしい。ハヤンは、フーナン(扶南)人である。フーナンは、ヂュヤー(朱崖)より更に南に位置する国らしい。ヂュヤーでさえ、スーちゃんの夷洲(台湾)から南にある、筑紫島の島と同じ位離れている。だから、夷洲への旅より、三倍ほど遠い所から来たのである。
五人の男の中に、ドキョン(東犬)と呼ばれる倭人がいた。歳は、五人の男の中では真ん中らしい。私やアヘンより十歳年上らしいので、夏羽より一つ上の三十六歳だ。だが、夏羽より随分と若く見える。体も夏羽のような熊男ではない。細身で軽やかな風体である。顔立ちも優しく理知的である。だから、同じ倭人でも夏羽とは、まったく別の部類である。男前なら儒理にも負けないだろう。そのドキョン(東犬)は、伊依島より東に位置するアユチ(東風茅)という処で生まれ育ったらしい。でも、もう身内は誰も居らず、天涯孤独な身らしい。だから、自由に、この世界を旅していたようだ。そして、ヂュヤー(朱崖)で、ハヤンに会ったそうである。
ハヤン(夏羊)は、物心がつくと、自分が好きになる人は皆男だと気付いたそうである。いわゆる同性に情愛を感じる人間である。それで、ドキョンの後を追いかけて来たそうである。でも、ハヤンには、女らしさは無い。浅黒い肌に、鋭い眼を持つ美少年だ。それに、やたらと喧嘩早いらしい。ドキョンに出会ったのも、大勢の悪党供を相手に大立ち回りをやらかしていた時のことらしい。見かねたドキョンが助けに入り、ふたりで悪党供を撃退したのだ。
ドキョン(東犬)は、女にしか興味がなく、ハヤンの恋心に手を焼いていたようだ。でも、ハヤンを、弟のようには可愛がっている。アヘンは、ハヤンに会うと、この美少年を押し倒し自分の夫にしたらしい。そして、ドキョンも我がものにしたそうである。ハヤンも、アヘンを介して、ドキョンと繋がっていられるので満足しているそうである。
次に若い男は、チク(智亀)といいウェイムォ(濊貊)の男である。ふっくらとした体形に細い眼が可愛らしい。歳は、私やアヘンと同じだ。だから二十六歳である。チクにも、親兄弟はいないそうである。やはり、幼い時に売られて、長い間奴隷暮しをしていたそうである。ある時に、理不尽な主人を殴り倒し、オハ村長やサンベと同じように逃亡奴隷に成ったそうだ。そして生き詰まり、海に身を投げようとしていた所をアヘンに拾われたそうである。
チク(智亀)は、男でも女でも愛せるらしい。それが生まれついての性なのか、幼い時に飼い主に仕込まれた為なのかは、自分でも分からないそうである。だから、アヘンの夫であるが、ハヤン(夏羊)とも夫婦関係にあるそうである。
アヘンの四番目の夫は、青い瞳を持つ大秦国(ローマ)人である。どことなく、加太に似ている気もする。名はペキェ(白鶏)という。四十三歳に成る自称大商人である。でも、どことなく悪党の臭いもする。そして、チクと同じように男でも女でも愛せるそうだ。本人は「俺は万人の愛人だ」と主張している。だからアヘンの夫婦連に加えてほしいと、押しかけ夫に成ったそうである。
一番年上の夫は、ファンウ(黄牛)というシャーの男だ。寡黙な男で、無愛想である。もう五十歳になるそうだ。その身のこなしから、相当な武人だとわかる。ファンウは、人間嫌いである。でも、時折御愛想笑いをすると、優しそうな目尻が現れる。だから元々は、人間嫌いでは無かったのかも知れない。ファンウも、アヘンに無理やりに夫にされたらしい。始めはこの関係を嫌がっていたそうだが、アヘンの勢いに負けたようである。そして今では、すっかりこのアヘンの夫婦連に溶け込んでいるようである。
私も男色の話は聞き知っていたが、このアヘンの夫婦連には驚かされた。更に眩暈がしそうな位驚いたのは、アヘンには妻もいるのだ。その娘は、ヂュシー(朱実)という名で、ハヤン(夏羊)と同じ十八歳である。ヂュヤー(朱崖)の娘らしいが、ハヤンとは違い肌の色は白い。どうやら、シャーの山深い所に暮らしていたシャー(夏)の民の末裔らしい。リーシャンが「あの娘は俺と同じ種族だ」と教えてくれた。だから、リーシャンとは、種族の言葉が同じである。リーシャンは、久しぶりに祖国の言葉が話せて嬉しそうだった。
リーシャンの話によれば、ヂュシーは酷い男嫌いらしい。いや男恐怖症といった方が正しいだろう。男が手を掴んだだけでも、恐怖に身を震わせ怯えるらしい。幸い、リーシャンには恐怖心を持たなかったようである。どうやらヂュシーは、男らしい男が苦手なようだ。でも私から見れば、リーシャンも五人の夫達も男らしい男である。しかし、ヂュシーのいう男らしい男とは違うようである。
私は、初め何が違うのか分からなかったが、ヂュシー(朱実)と直接話をする内に、少しだけ分かった気がした。ヂュシーの嫌いな男らしい男は、傲慢な男である。つまり、女を自分の下僕のように扱う男だ。そんな男は、女を人と思わず接している。だから、そんな男を夫にした女は寂しい。もちろん、年を重ねてその愚かしさに気づき、妻に詫び労わる男もいるが、そうでない男も多い。更に悪いことには、そんな男は、自分が女を卑しめても気付かない。きっと、ヂュシーは、そんな男に酷い仕打ちを受けた辛い過去を持っているのかも知れない。
それにしても、アヘンのこの自由奔放な夫婦連を、スロ船長はどう思っているのだろう。そうアヘンに聞いてみたら「呆れ果てて、理解不能に陥っている」そうである。しかし、アヘンが言うには「一人の男としか愛し合ってはいけないなんて、変な理屈よ」と言うことである。更に「私は子供に『お父さんと、お母さんのどっちが好き?』と、聞くのと同じ位、馬鹿げている質問だと思うわ。だって両方好きに決まっているじゃない」と言うことである。
更に、「一度に複数のことが出来る人は、意外と多い筈よ。食事の用意をしながら、明日の仕事の算段をするしね。食事の準備中は、仕事のことは考えるな。なんて変でしょう。愛することだってそうよ。一人の子供しか愛さない親は少ない。一人の兄弟しか愛さない人も変。だって、人は一度に大勢の人を愛することが出来る筈よ。だから、複数の男友達を愛することは、私には不思議なことではないわ。もちろん、互いの合意と、束縛し合わないという関係性は、必要だけどね」ということである。
最後に「きっと、私って自己中心主義で我儘なのよ。だから、自分を隠してまでは生きていたくないわ」ということである。私は潔いアヘンの生き方に、すっかり感心してしまった。
私は、アヘンの言う愛とは、仁の関係であろうと思った。仁とは人と人が、互いを認め合い、関係している姿だと加太に教わった。だから、仁の教えは、自分を認めない人を、認める心から始まるそうである。そうであれば、誰かが誰かを束縛することは無い。自由とはそういうものかも知れない。
きっと、メラ爺達山の民の暮らしがそうなのだ。末盧国の比羅夫大統領が夢見ていた自由海洋民の姿も、そうだったのかも知れない。私は、倭国自由連合の理念が少し理解できた気がした。でもそれは、富国強兵を目指す倭国統一同盟にとっては、危険思想でもある。私は倭国統一同盟の一翼を担う女王なのだ。……嗚呼~、困ったものである。
アヘンは、本当に情熱的な女である。そして、夏の嵐のような気性である。泣き笑い、怒り、大酒を飲み、大食い女である。だから、私は、益々アヘンが気に入った。でも、妻や夫に成る気はない。私は、アヘンのようには、器用に生きられない。ともかく、世間の常識の範囲内で、ひっそり生きていくつもりである。
悲しい話をひとつ聞かされた。五代目スロ王のソウジョ(倉舒)が、三年前に亡くなっていたそうである。流行病だったらしい。スロ船長の落胆は激しく、近頃まで政務放棄の状態だったようだ。だからその間は、ラクシュミー王妃とアヘンが政務をこなしていたようである。
今年に入り、やっとスロ船長がスロ王に復帰したので、アヘンはこの旅に出ることが叶ったそうである。そして嬉しいことに、アヘンは、ず~っと昔から私に会いたかったと言ってくれた。いつも、スロ船長が、私のことを話してくれていたので「絶対会いたい」と、思いが募っていったそうである。
私も、スロ船長の話を聞きながら、女海賊チュヨン(鄭朱燕)の生まれ変わりに「絶対会いたい」と思っていたのだ。そしてアヘンは、思い描いていたように素敵な女海賊だった。私は、天之玲来船をチュヨン船に戻し、アヘンに返そうと思っていた。きっと、琴海さんも許してくれる筈だ。それから塗箸も返そう。みなアヘンの母様の形見である。でも、須佐人から天之玲来船を取り上げる訳にもいかないから、二代目天之玲来船を建造しないといけない。そして、チュヨン船も、大修理しないといけない。頼んだよ夏羽兄さん。
⇒ ⇒ ⇒ 『第14部 ~ 中ノ海の秋映え ~』へ続く
卑弥呼 奇想伝 | 公開日 |
---|---|
(その1)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 | 2020年9月30日 |
(その2)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 | 2020年11月12日 |
(その3)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 | 2021年3月31日 |
(その4)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第4部 ~棚田の哲学少年~ | 2021年11月30日 |
(その5)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第5部 ~瑞穂の国の夢~ | 2022年3月31日 |
(その6)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第6部 ~イズモ(稜威母)へ~ | 2022年6月30日 |
(その7)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第7部 ~海ゆかば~ | 2022年10月31日 |
(その8)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第8部 ~蛇神と龍神~ | 2023年1月31日 |
(その9)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第9部 ~龍の涙~ | 2023年4月28日 |
(その10)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第10部 ~三海の海賊王~ | 2023年6月30日 |
(その11)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》 第11部 ~春の娘~ | 2023年8月31日 |
(その12)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第12部 ~初夏の海~ | 2023年10月31日 |
(その13)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第13部 ~夏の嵐~ | 2023年12月28日 |
(その14)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第14部 ~中ノ海の秋映え~ | 2024年2月29日 |
(その15)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第15部 ~女王国の黄昏~ | 2024年4月30日 |
(その16)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第16部 ~火球落ちる~ | 2024年9月30日 |