幕間劇(17)「若き荀子の悩み」
昭和三十八年、ジョーと、英ちゃんと、竜ちゃんの三人は高校に入学した。そして、ジョーはママと暮らすために福岡の高校に進学した。英ちゃんと、竜ちゃんは、久留米市内の高校に入学した。地元にも高校はあったが、ふたりともバス通学がしたかったのである。
高校に入ると、英ちゃんと竜ちゃんには、石橋健三君と、月丘流星君という友人が出来た。そして、気が合った四人は学園祭を目ざしてバンドを始めた。発案者の竜ちゃんがギターとボーカルだった。石橋君がドラムで、サイドギターは流星君だった。英ちゃんは余り乗り気では無かったが、竜ちゃんに付き合ってベースを担当した。
名前は「ザ・ムーンストーンズ」にした。「ニュームーン(新月)」や「フォレストストーンズ(林石)」「ニューウッズ(新林)」など色々メンバーの苗字一字を組み合わせてみたが「ムーンストーンズ」が一番久留米のバンドらしいだろうということに収まったのだ。
そして、このバンドは、ひたすらビートルズのコピーバンドだった。竜ちゃんの危うい英語力でも「ラヴ ラヴミードゥ ユーノウ アイラヴユー」位ならなんとかいけた。それに、この時には日本でビートルズを知っている人は限られていた。だから、多少おかしくても大丈夫なのである。少なくても筑ッ後地方では、まだ、誰もジョンやポールの歌声を知らない筈である。
日本で「Love Me Do」が売り出されるのは翌年の昭和三十九年である。更にビートルズ人気が火を噴くのは三年後の昭和四十一年に初来日してからである。ところが、石橋健三君は既にビートルズのレコードを持っていたのである。
石橋君には知子というお姉さんがいた。その知子姉さんはイギリスのリヴァプールという港町で建築を学んでいたのである。健三君も高校を卒業したら知子姉さんと同じ大学に進むつもりだ。石橋家は建築家の一族である。
でも、知子姉さんは、今はもっぱらビートルズにはまっているらしい。そして、レコードを手に入れると直ぐに健三君にも送ってくれるのである。竜ちゃんは健三君に初めてビートルズを聞かされて衝撃を受けた。
アメリカのロックンロールには無いセンスを感じたのだ。そして、そのセンスは日本人の気質に合っていた。特に、ジョンとポールのハーモニーに魅惑された。早速、サイドギターの流星君と、ジョンとポールのハーモニーをコピーした。リーダーは自ずと健三君になった。健三君は音楽の知識だけではなく音感も優れていた。
当初乗り気では無かった英ちゃんも、健三君に感化されて、だんだん興味を持ちだしてきた。そして、リーダー健三君は、英ちゃんの英語力を大いに頼りにした。やっぱり歌詞に込められた思いを知らないと完全コピーにはならないのである。
健三君と流星君は裕福な家の子だったので新品の楽器を買いそろえた。竜ちゃんのエレキギターは当初自作だったが、夏休みにアルバイトをして中古のエレキギターを買った。英ちゃんは幸運なことに、屋台の常連客にバンドマンがいて使わなくなったベースギターをプレゼントしてくれたそうだ。
同じ年の三月。日本中を揺るがした誘拐事件が発生した。誘拐された子供の名前は吉展(よしのぶ)ちゃんといった。まだ四歳だった。吉展ちゃんの特徴は頭に十円玉位の禿があると報道されていた。だから全国のよしのぶちゃんは「おい、十円禿は無いか」と良く、いじめっ子から髪の毛をぐちゃぐちゃにされてからかわれた。
竜ちゃんの弟の芳幸(よしゆき)も良く同じように「お前の本当の名は、よしのぶだろう。さぁ禿を見せてみろ」と、髪の毛をぐちゃぐちゃにされ、からかわれたようだ。芳幸は九歳になっていたが、いじめの対象に正確な年齢照合など必要では無い。
そして二ヶ月ほどたった五月四日に強姦殺人事件が発生した。被害にあった女子高生の名は善枝(よしえ)さんといった。漢字は違うが竜ちゃんの母ちゃん芳江(よしえ)さんと同じ名だ。竜ちゃんは行き場のない怒りに襲われた。そして「何て卑劣な奴がいるのだ。どうすれば、犯罪者をこの世の中からなくせるのだろうか」と思考を巡らせた。
だから、学園祭では「犯罪防止の為のコンサート」を行うことにした。そして、海外に目を移すとベトナムの戦火が広がろうとしていた。「ラヴ ラヴミードゥ ユーノウ アイラヴユー」という歌詞が悲壮感を帯びだしてくる時代だった。
コンサートでのバンドの最初の曲は、予想に反してプレスリーの「監獄ロック」だった。何しろ「犯罪防止の為のコンサート」である。犯罪の末路は監獄であるというノリである。大意は無い。とにかく竜ちゃんはプレスリーに負けない位に腰を振って歌った。初老の担任の先生は困った顔で聞いていた。若い保健の女先生は、くすっと笑いながら聞いてくれた。集まった生徒達は一曲目からノリノリである。
一曲目が終わると、竜ちゃんは、「嘘つきは本当に泥棒の始まりだと思うかい?」と変わった進行を始めた。普通は曲の紹介やバンドの紹介である。でもこれは「犯罪防止の為のコンサート」なのである。聴衆も心得たもので、竜ちゃんの進行に乗ってくれた。
誰かが、「嘘つきが、みんな泥棒になるなら、世の中はみんな泥棒だらけだ。だって嘘をつかない人間なんかいないだろう」と言った。幾人かが「異議無ぁ~し」と同意の声を上げた。すると、別の誰かが「泥棒にだって、正直な奴もいるかも知れないしなぁ」と笑いながら言った。「でも、人を偽る心が犯罪を生むってことじゃないの?」と賢そうな女の子が言った。「じゃぁ自らの心を偽る奴は、自らに犯罪の刃を向けるのか?」と、また別の誰かが言った。そして、議論は取り留めもなく誰がまとめるでも無く進んだ。
頃合いを見計らった処でバンドは「Please Please Me」を演奏しだした。皆は、乗りの良いリズムに体を揺すらせながら、流星君と竜ちゃんのハーモニーに聞き入った。曲が終わると竜ちゃんは「最初のプリーズは、お願いっていう意味だよね。でも二度目のプリーズは楽しませてくれっていう意味なんだ。皆は楽しめたかい」と、英ちゃんからの受け売り英語で次の進行を始めた。
それから「同じ音でも意味の違う言葉を繰り返すと言葉遊びになるよね。一休さんの『この橋渡るべからず』のとんち話にも通じる遊びだよね。橋と端ね。例えばこんな狂歌はどうだい『ぐうたらは、箸の端持ち橋の上』なんてね。あんまり良い出来じゃないけど面白いでしょう」と言った。
すると、「じゃぁ『誘拐愉快とYOU言うかい』っていうダジャレはどう」と乗ってくれた同級生がいた。「ウ~ム世相を反映したブラックジョークだね」と誰かが言った。「俺、ヨシノブって名だけど、近頃『十円禿はないか』ってからかう奴多いんだよね。それって二次犯罪じゃないかって思うんだ。まぁ軽犯罪だろうけどね」と某ヨシノブ君が告発した。「ウム~悪意はないんだろうけどね。悪質なジョークに分類できそうだね」と誰かが反応した。「お前のような柔道の猛者に向かって『十円禿はないか』っていうのは虐めじゃなくて、行き過ぎた親愛の表現だろう。でも、下級生やひ弱な同級生にそう言えば虐めだな」と某ヨシノブ君の友人が発言した。「確かに、そう言ったのは日頃から俺を可愛がってくれている先輩だったなぁ」と某ヨシノブ君が言うと「でも虐めって、受け止めた側の問題じゃない。差別と一緒よ。差別する側は悪意を自覚しないまま人を差別するのよ。だから、加害者に意見を求めても意味は無いわ。被害者が、虐められた。差別されたと言ったら、そこに虐めや差別が存在しているのよ」と三年生の女子が発言した。彼女は生徒会の役員でもある。「被害妄想ってことは無いかなぁ」と内気そうな男の子が自問自答しているかのように発言した。「心理学的にはそんな状態もあるかも知れないわね。でも、きっかけがあったはずよ。きっと心無い言葉とかがね。それに、差別の構造は単純じゃないわ。身分差別を受けている人達が、人種差別をする。人種差別をされている人達が女性差別をする。差別され虐げられた女性が職業差別をする。みたいに、差別は人々を分断するのよ」と先ほどの賢い生徒会役員の女生徒が発言した。その発言に会場は「ウ~ム。難しいなぁ。」と重い空気に囚われた。
そこで、竜ちゃんは、三曲目に、「Love Me Do」を演奏した。会場には再びノリノリの空気が戻った。そして、演奏が終わるとまた「Love, love me do You know I love youって、愛して、僕を愛してくれ。分かっているだろう。僕は君を愛しているんだって、歌っているんだけど、皆も愛し合ってるか~い」と、竜ちゃんが叫んだ。「私も愛している~」と生徒会役員の女生徒が竜ちゃんに投げキッスを贈った。竜ちゃんは少し照れながら「でも、日本人には愛しているって恥ずかしくて言えないよね。やっぱりI love youが似合うのは欧米人だよね。何しろキリスト教は愛の宗教だからね」と、竜ちゃんは頭を掻きながら言った。それから「でも何でその愛の戦士たちが、ベトナム人を殺すのだろう。変だよね」っと、議論の課題を投げかけた。
「人の本質は『愛し合っているかい』じゃなくて『殺し合っているかい』じゃないの?」とニヒルな笑顔で男子生徒が発言した。「まぁ動物は他の命を奪って自分の命を繋ぐ宿命だからなぁ」と誰かが言った。「でも、助け合う心も持っているわ。それに許す心だって」と女の子が言った。「『情けは人のためらなず』という教えに通じる心ね」と賢そうなのが言った。「えっ? それって無意味な情けなどかけずに容赦なくぶっ殺せってことじゃなかったの?」と某ヨシノブ君が言った。「違うわ。真逆だよ」と、生徒会役員の女生徒が教えた。そして、議論は徐々に漂流し始めた。
そこで、四曲目は曲調を変えて『花はどこへ行った』を演奏し始めた。この選曲は英ちゃんである。英ちゃんは中学校に入ると武吉の勧めで剣道部に入った。そして、高校でも剣道部に入部した。剣道部で知り合った坂井先輩はアメリカの音楽に詳しかった。従兄弟がタイヤメーカーの商社マンでアメリカにいるらしい。だから、土産にと、良くLPレコードを買ってきてくれるそうだ。但し、竜ちゃんの好きな「ブルーブルーブルー系」では無く。西部劇映画で流れる系の音楽だ。カントリーやフォークソングというらしい。その中からピート・シーガーという人のLPを英ちゃんに貸してくれた。
実は、坂井先輩は、屋台のラーメンが大好きだった。久留米市内に住む先輩は、良く一家で父ちゃんの屋台に顔を出してくれた。そんな縁で、英ちゃんは坂井先輩から懇意にしてもらうようになった。試合前で部活が遅くなると先輩の家に泊めてもらうこともあった。そして、そんな日の夕食は父ちゃんの屋台ラーメンだ。もちろん、父ちゃんは代金を取らない。だから、坂井先輩も英ちゃんが泊まりに来るのを楽しみにしていた。
ピート・シーガーやウッディ・ガスリーという人の音楽は、英ちゃんの心に響いた。そして、何故か父ちゃんの背中が浮かんだ。演奏が終わると今度は竜ちゃんに代わって、英ちゃんが進行を務めた。そして、「人間は生まれながらにして善であるという孟子の言葉に共感する人は、右側に。いや、人間の本質は悪であるから、教育や法で導かないといけない。という荀子派の人は左に寄ってくれ。それから、人間の本質は善でも悪でもない。流れる時がその時流で善悪を決めているのだ。というアナーキーな考えの人は中央に集まってくれ」とワークショップ形式で進行し始めた。そうして、何だか面白そうと各百人位の学生が三つのグループに分かれた。
皆が別れると英ちゃんは「君達は、みな正直なお役人です。さてある村で飢饉が発生しました。三百人の村人がここに避難しています。ところが、国が送ってきたのは、二百人が三日生き延びる量の食料です。次の食料がいつ届くかは分かりません。どうしましょうか? お偉いお役人様?」と言い出した。皆は何を言い出すのだろう。ふざけているのか? と思いブーイングを鳴らす者もいた。誰かが「おい、もう少しまともなテーマはないのか?」と憤慨した声で言った。すると「良いじゃない。面白いわ。誰が正直者か議論しましょうよ」と強気な女の子が言った。先ほどの生徒会役員の女の子である。
幾人かが「あほらしい」と言って会場から出て行った。でも大半の生徒は「遊びなんだから」と気楽に構えて討論に参加し始めた。「俺は、公平に分け合うなぁ」と誰かが口火を切った。「で、皆で飢え死にするのか?」と誰かが言った。すると「後ろめたい思いをして死ぬよりは良いだろう」と答えた。「なるほど、でも子供達を優先して生き延びさせた方が良くはないか?」と誰かが言いだした。「じゃぁ年寄りには先に死んでもらう?」と誰かが皮肉めいて言った。更に「短絡的な判断じゃなしに、もう少し状況把握が必要じゃないか?」と言い出す者がいた。竜ちゃんもそうだったが、英ちゃんも最初の投げかけをしただけで議論のまとめ役には成らない。
そして、議論に行き詰るとバンドは次に「我が心のジョージア」を演奏した。これは、流星君の選曲である。月丘流星君はロマンティストであった。それに、バンドでは一番の美少年である。だから、この会場には流星君目当ての女の子も多い。竜ちゃんのジョージア~という渋い声に、流星君がジョージア~と甘い声を被せる。「リューセー」と幾人かの黄色い声が響く。健三君が苦笑いをしながら、英ちゃんを見た。英ちゃんは「仕方ないさ」というように健三君に笑顔を返した。
そして、英ちゃんはマリーと美夏ちゃんが会場に来ていることに気がついた。でも、今日のマリーは何だか機嫌が悪そうだ。美夏ちゃんはそんなマリーを気遣ってしっかりと腕を絡ませている。でもマリーは、マリーの赤毛を珍しそうに見た男の子を睨み返している。とても中学1年生の女の子が取る態度ではない。しかしマリーは背も高かったので、睨まれた高校生の男の子はシュンと頭を垂れた。
英ちゃんは、マリーがジョーと離れて暮らすように成ってから少し変だと感じている。中一のマリーは反抗期の筈である。でも両親がいないジョーとマリーには反抗を受け止めてくれる人がいない。だから、結果的に良い子にしているしかない。マリーは反抗を受け止めてくれるジョーがいなくなったので、少し変に成っているのだろうと、英ちゃんは思っていた。
演奏が終わると、流星君が「この曲は、愛郷心を歌っているんだけど、きっと開拓者や移民や放浪者が故郷を思って歌ったんだと思うんだ。僕は愛国心より愛郷心の方が大事だと思うけど皆はどう思う」と投げかけた。
ジョーやマリーや、竜ちゃんや、英ちゃんや、健三君や、流星君は直接戦争を知らない。でも、多くの大人達は戦争の傷を引きずっていた。だから、過度の愛国心を強いられた無念は深い。特に先生達は「二度と子供達を戦場へ送ってはいけない」という思いが強かった。それは主義主張や政治信条に関係なく先生達共通の願いだった。だから、愛国心という言葉には敏感になっていた。「確かに、国という概念は外から押し付けられたようなものだけど、故郷という概念はそれぞれの人が自分の中に持っているものだからナチュラルな感情だね」と再び賢そうなのが議論を引き継いだ。どうやら、この賢そうな奴は偽客(さくら)かもしれない。竜ちゃんの意を受けて「犯罪防止の為のコンサート」を煽動しているようにも思える。まぁそれはさて置き「それは国家幻想論なの?」と生徒会役員の女の子が話を引き継いだ。「幻想って何さ。国は幻想なの? じゃぁ俺達は幻想の中で生きているの?」と、ニヒルな男の子が疑問を呈した。「まぁ愛国心のない奴らはそういう理屈を持ち出すのさ」と、愛国心の塊が発言した。すると、「国って何なの? 愛国心って何なの?」とマリーが噛みついた。美夏ちゃんはマリーの腕に回した右腕に力を入れた。しかし、愛国心の塊は一瞬驚きながら「えっ、お前。髪の毛までアカなの」とお粗末なジョークで対抗しようとした。マリーは美夏ちゃんの腕を振りほどくと愛国心の塊に向かって突進し胸倉を掴んだ。マリーの背丈は愛国心の塊より大きかった。「あんた。『敗軍の将、兵を語らず』ってことわざを知らないようだね。だから、あんたの国は戦争に負けたんだよ」と凄んだ。よせば良いのに愛国心の塊は「ああ、悪かったよ。アメリカさん」と言ってしまった。マリーの拳が愛国心の塊の鼻っ面を狙った。しかし、その腕を生徒会役員の女の子が掴み止めた。そして「貴方、言葉が過ぎてるよ。さぁこの娘に謝って」と言った。愛国心の塊は気まずそうに「ごめん。言葉を誤ってしまった」と、マリーに頭を下げた。誰かが「おい、これって『犯罪防止の為のコンサート』じゃ無いのか。それって暴力だろう。暴力反対!!」と言った。「暴力は体だけじゃなく、言葉の暴力もあるのよ。だから、正当防衛。もう水天宮さんに水に流してもらおう」と生徒会役員の女の子がマリーの背をなでた。マリーはうなだれて愛国心の胸倉から手を離した。竜ちゃんが「じゃぁ、最後の曲です」と「Twist and Shout」を演奏し始めた。竜ちゃんがシャウトする度に会場はノリノリを取り戻していった。
「面白かった?」「変なコンサートだったけどまぁまぁじゃない」「アクシデントもあったけどなぁ」「それもまたドラマじゃない」と観客はそれぞれに引揚げていった。そして、マリーは号泣し始めた。生徒会役員の女の子が歩み寄りやさしく抱きしめた。「真理子先輩。ありがとうございました」と竜ちゃんが、生徒会役員の女の子にペコリと頭をさげた。
「この娘が、君達のマドンナなのね。ジャンヌダルクにも負けない位に勇ましい娘ね」と真理子先輩は笑った。「さぁ、マリーも跡かたづけを手伝ってくれ」と竜ちゃんはマリーの手を引いてステージに戻った。英ちゃんが「あいつ、近頃変なんです。兄貴と離れて暮らし始めたのが原因かなぁ」と真理子先輩に訪ねた。真理子先輩は、「きっと、あの娘。今、生理なのよ」と答えた。「えっ?!」と英ちゃんが反応すると「女の子はね。初潮を迎えた頃が一番不安定なの。それに第二次反抗期も重なるしね」と真理子先輩は言い出した。「成長期は、どうしても体の成長のスピードに心の成長が追い付けないのよ。だから、心が不安定になる。『私はどうなっているの?』ってね。それにあの娘はハーフだから『私は何者?』ってアイディンティの葛藤も大きいと思うわ。だから、先っきのような言葉によるストレスが掛かると、一気に感情が爆発したんだと思うわ」と解説してくれた。
真理子先輩は医者の一家で、自分も医学部に進学するつもりである。だから基礎知識は豊富である。「ところで君は、誘拐や性犯罪、身分差別や人種差別などの犯罪は、学問によって悪を修正し善へと向かわせることができる。と考えているの?」と今度は真理子先輩が、英ちゃんに質問した。「分かりませんが、『孟子も楽観的に性善説を説いたのでは無い』ということは理解しています」と英ちゃんが答えると「大変ね。哲学者さんは」と真理子先輩が笑った。
帰りのバスの中で、「ごめんね。大事な竜ちゃんと英ちゃんのコンサート台無しにして」とマリーが謝った。「何んちゃ無か(平気さ)。それにしてんマリーは格好良かったばい」と、竜ちゃんが言った。そして「オイ達ちゃ。マリー以上に楽しんどったよ」と、英ちゃんも言った。バスは、悠々と流れる筑ッ後川に沿って下流へ下流へと走っている。もうどれ位走れば自由の海にたどりつけることだろう。「本当に御免。竜ちゃん、英ちゃん」と、川面を見つめながらマリーが呟いた。
木枯らしが吹き始めた頃、英ちゃんは、父ちゃんに代わりラーメン屋台で汗を流していた。もちろんラーメンは母ちゃんが作るので、酒の燗をつけたり焼き鳥を焼いたりの手伝いである。坂井先輩も面白そうだと手伝ってくれている。
父ちゃんは通夜に出かけていた。大牟田の炭鉱で大きな事故が起きたのだ。大勢の抗夫が亡くなったようだ。そして、その中には父ちゃんの仲間も何人かいたのである。父ちゃんは昭和十三年に朝鮮から日本に渡ってきた。
しかし、当時すでに朝鮮という国は無かった。国が滅びたことで両班から収奪されることは無くなった。しかし、身分制度が無くなっても貧民が直ぐに金持ちに成れるわけではない。まして、日本は朝鮮の貧民を救うために併合したわけではない。身分差別の後には、民族差別が待ち受けており、朝鮮の貧民は貧民のままだった。唯一の救いは、貧しくても教育を受けることが出来るように成り日本語と文字は書けるように成ったこと位だ。だから、日本に行っても働けるように成った。
日本の軍隊にも入隊できるように成ったので、父ちゃんの友達は日本の軍隊に入る者も多かった。日本軍の兵士になれば多少とも日本人として扱われたし実入りも良かった。でも父ちゃんは、朝鮮という国も、日本という国も、頼りにはしていなかった。“貧民を救う国など無い。むしろ国が貧民を生み出すのだ”と思っていた。だから、高収入の道を探して抗夫になった。頼りになるのはこの腕一つであると思っていたのだ。だから同じ考えの仲間数人と朝鮮を捨てた。戻るつもりは無かった。否、戻れる国など無かったのだ。
父ちゃんにとっての朝鮮は、両親とそして幼い弟や妹に金を送ってやる処である。だから、稼がなければ成らなかった。父ちゃんにとって、朝鮮海峡は訣別の国境線だったのだ。その訣別の国境線を共に越えた仲間が異国の坑道の中で生き絶えた。
知らせを聞いた父ちゃんは、筑ッ後川の河原に独り立ち慟哭した。父ちゃんの仲間達は、屋台にも良く顔を出してくれていた。日本語教育を受けて育っているので皆は、筑ッ後人より流暢な日本語で話をしていた。中には「あんた達ゃ、東京んもん(者)かい?」と聞いてくる酔客もいる位だった。でも、酔いが回ってくると仲間達は、朝鮮の民謡を歌った。愛国心が湧くわけでは無い。望郷心が歌わせるのだ。
終戦後、父ちゃんは母ちゃんと出会い、英ちゃんが生まれた。だから、父ちゃんは日本に帰化し新井美弥と名乗った。それから程無く父ちゃんは胸を患った。炭塵が胸に溜ったのである。幸い母ちゃんが早く異変に気づき重症には至らなかった。しかしその肺では、もう抗夫には戻れなかった。そこで、親子三人で母ちゃんの実家に戻り、やがてラーメン屋台で生計を立てるように成ったのだ。
祖父ちゃんと祖母ちゃんの家には樒(シキミ)の生垣が有り、春には細長い淡黄色の花が目を楽しませてくれる。家を建てた時に祖父ちゃんが仏さん用にと植えたそうだ。シキミの花は青蓮華という花に似ているそうだ。そして細く青みがかった青蓮華の花は菩薩の目と呼ばれているそうである。葬式が終わると、父ちゃんは欠かさず屋台の棚の上にシキミの枝を供えるように成った。そして、開店前には手を合わせ仲間の供養をするようになった。仲間達はもう朝鮮の空に戻ったのだろうか。そして、父ちゃんの心は、今夜も訣別の国境線を越えて仲間達の処と戻っていく。
花樒(はなしきみ) 生垣こえて 玄き海
~ 伊依島(いよのしま)の南 ~
玄鳥が南の国に帰って行く。古老の話では夷州やヂュヤー(朱崖)まで飛んで帰るそうだ。うらやましい限りである。ヂュヂュジュリジュリジュルルル………や、チュピチュピチュピリィ………、そしてツピーツピーツピーは煩いかぎりだった。でも、聞こえなくなると思うと少し淋しくもある。いっそ私も夷州(台湾)のスーちゃんに会いに行こうかしら。
夷州や朱崖(海南島)への長旅は許されないが、私と志茂妻は、やっと木簡の山登りから解放され遅い夏休みを貰った。そこで、アヘン(金芽杏)一行と倭国巡りの船旅に出た。まずは阿多国に立ち寄りそれから狗奴国のナカングスク(中城)に向う。そこで阿多国に立ち寄り、お祖母様の様子を見ることにした。今年で六十四歳という高齢になったが、まだすこぶる元気だ。それなのに、もう神様の許に帰る準備をするという。お祖母様によれば「人は五十で人生の終幕が始まる。だから六十も過ぎれば、もう充分に幕引きの準備を整えておかんといけん」ということである。
そこで、来年の春には、ニヌファ(丹濡花)を、阿多国に戻す算段を付けておいてくれと言われた。どうやら、お祖母様は、ニヌファを南の大巫女様の候補の一人として育てる心算のようである。
巫女の力としてはヒムカ(日向)に勝る者はいない。だから、もし、お祖母様が亡くなれば、南の大巫女様はヒムカであると誰もが思っている。しかし、狗奴国でのヒムカへの期待はそれ以上である。ヒムカは、南洋民をまとめて、狗奴国を黒潮大国に押し上げるだろう。だから南洋民の女王である。そうなれば、南の大巫女様の役割は担えなくなる。そこでお祖母様は、ニヌファに白羽の矢を立てたようである。
ニヌファは、香美妻の許で巫女修行をしていたが、まだ巫女ではない。しかし、ニヌファが巫女としての大きな力を秘めているのは、私も香美妻も感じている。今は秦家商人団の家事を取り仕切っているが、それは玉輝叔母さんが再び担えば良い。
玉輝叔母さんも、ニヌファの巫女としての力を感じ取っているので、そう望んでいるそうだ。だから、既に、巨健(いたける)叔父さんの了解も取り付けているそうである。更にまだ一歳になったばかりの世織津は、既に巫女としての大きな気を発している。玉輝叔母さんの話では、私と似ているそうだ。世織津も尹家の血を引く娘である。だから不思議な話ではない。しかし、同じ尹家の血を引く娘でも、チュクム(秋琴)とは、また違う波動を発している。チュクムのような激しさではなく、人に寄り添うような気雲が立ち上っている。きっと帛女王の血がそうさせているのかも知れない。だから、将来世織津が南の大巫女様に立てば、南海には穏やかな雲気が流れるかもしれない。
シュマリ(狐)女将は、還暦を前にしているというのに、ますます若々しく成っている。だから祖母ちゃんには見えない。初めて会ったリュウジュウ(龍紐)は、まだ、二歳だが賢そうな顔をしている。神童アルの名を貰っても、恥ずかしくない面構えである。それに、ハイムル(吠武琉)の息子だから、アルのような変人にはなるまい。むしろ、天海(あまみ)親方にも負けない南洋商人団の統領に成りそうな気概を発している。でも、今はすっかり祖母ちゃん子である。それで良いのだ。祖母ちゃん子に悪い子はいない。その点は、私が保証できる。儒理だって、ラビア姉様だって、それに私だって祖母ちゃん子である。だから大丈夫。リュウジュウは、南洋商人団の期待の星になるのだ。
ポニサポのお腹は膨らみ始めている。だから、来春にはハイムルも二児の父である。シュマリ女将の見立てでは、娘ではないかということである。そうであれば、名はロウラン(楼蘭)と決まっている。天海商人団は、ハリユン(晴熊)親方が跡目を取り仕切っている。チヌー(知奴烏)小母さんが、海に浚われて、もう十一年が過ぎた。その間、皆がハリユン親方に後妻を取るように勧めたらしいが、ハリユン親方は未だに独り身である。家事方は、カナ(花南)様とシュマリ女将が押さえていてくれるので、不自由は無いそうだ。チヌー小母さんは、竜宮からどんな思いで見つめているだろう。
天海親方は、すっかり隠居暮らしを楽しんでおられた。アチャ爺とは、早速「もし、ロウランがお転婆娘であった時にはどう育てるか?」について話が盛り上がっていた。きっと、アチャ爺の孫娘照波は、お転婆娘なのだろう。香美妻に似た徐家の女だからそうに違いない。お転婆娘で、意地っぱり娘を嫁にしたら熊人(くまと)も大変である。
その照波も阿多国から乗船してきた。泳ぎは随分達者に成ったそうである。だから、伊依島に着いたら磯遊びに連れて行くつもりだ。久しぶりにヒムカとも磯遊びをしよう。熊人と隼人(はいと)は、船員見習いなので、その間も甲板磨きである。十九歳になった熊人は、益々大男になり夏羽(なつは)に似てきた。項家の男だから仕方ない。でも、夏羽のような助べぇに成ったら私が許さない。
熊人の嫁には、アチャ爺が、照波を嫁がせると決めている。だから、照波一人で十分である。それに、照波は、香美妻に負けない美人だが、香美妻のようにお転婆娘で意地っぱり娘では無いようだ。きっと母方の血がそうさせているのであろう。
照波と、アキラ(瑛)の母リ・ユミ(李柔美)様は、李氏の娘である。李氏の遠祖リ・アルピョン(李閼平)は、私の遠祖アルヒョク(卵赫)を王位に就け、ジンハン国を開いた賢者である。そのアルヒョク(卵赫)が、ヒョコセと呼ばれたパク(朴)氏の始祖である。そして、始母リ・アルヨン(李閼英)王妃は、リ・アルピョン(李閼平)の娘である。だから、李氏はジンハン国の筆頭家である。しかし、決して権力に溺れない家筋である。つまり、賢く慎ましいしいのである。そして、照波はそれを態で表している娘である。だから、そんな娘を妻に迎える熊人も助べぇで有ってはいけないのである。
では???……アチャ爺が話しているお転婆娘とは誰のことだろう。……? ウム~ン考えても私には思いつかない……まぁ良いか!!
伊依島の南岸の岬が見えてきた。伊依島は、筑紫之島の半分より、少し小さいらしい。南岸は、南洋からの温かい黒潮が東に向かって流れているので、冬でも暖かいようだ。そして、北岸は、中ノ海に面しているので、四季を通して穏やかな日が多いそうだ。
中ノ海は、筑紫之海を、細長くしたと思えば良いらしい。そして、両岸を高い山地に囲まれている。その為、雨の日が少なく、ヤマァタイ(八海森)国と同じで、お日様に恵まれた所だということだ。でも、千歳川のような大河が無いので、稲作には厳しい土地のようである。水田を開こうと思えば、まず溜池を作らないと水不足に悩まされるようだ。
北岸と南岸の間は、険しい山地が遮っているので両岸の民の行き来は少ないようである。北岸は、伊佐美王の同母弟である伊穂耳王の末裔が移り住んだところである。須佐能王の血を引く伊穂耳王の末裔は、三つに別れた。ひとつは、投馬(とうまぁ)国から南に南下し、狗奴国を開いたホオリ(山幸)王の一族だ。そして、投馬国に留まった秦鞍耳の一族がいる。
秦鞍耳の一族からは、中ノ海沿岸に広がった一族が生まれた。とりあえずその一族を伊穂耳族と呼ぼう。伊穂耳族は、秦鞍耳の秦氏とは同族なので、秦鞍耳は、この海と民にも詳しい。そして、中ノ海の伊穂耳族は、今でも、ジンハン(辰韓)国や、ピョンハン(弁韓)国との繋がりも持っているようだ。
対して、南岸には、依佐見(よさみ)族が多く暮らしている。依佐見族は、狗奴国のミジンガン(美津川)から、伊依島に渡り、稲作を始めたマハン(馬韓)人である。当時の族長は、依佐見といったそうである。だから依佐見族は、ウネ(雨音)や、マンノ(万呼)さんに繋がる一族だ。もしかすると、サラクマ(沙羅隈)親方の縁者もいたかも知れない。
北岸の稲作民と、南岸の稲作民は、田畑の作り方にも違いがある。北岸の田畑は、ヤマァタイ(八海森)国と同じように、低地に水田を開くことが多い。一方、南岸は、雨には困らないので、狗奴国の田畑のように高地に開くことが多いようだ。だから、先の大災害でも、稲作民の依佐見族は助かった者が多い。
しかし、海岸に暮らしていた南洋の海人(うみんちゅう)達は、壊滅的な災害を被ったようだ。そして、助かったとはいえ、海の幸を断たれた稲作民の依佐見族も、餓えに苦しんだ。依佐見族は、海人と共存していたのだ。伊依島には、ヤマァタイ国のような大平野はない。だから稲作だけでは生きていけないのである。私の阿多国のように、半農半漁が生きる手段なのだ。
だから、依佐見族と海人は、伴に助け合って暮らし、夫婦になる者も多かったようだ。そして、依佐見族も、深い悲しみと、飢餓に襲われたのだ。更に、食を断たれた地域は、治安も悪化する。狗奴国の治安も一時乱れたが、筑紫島が一丸となりそれを防いだ。だが、あれから十年たった伊依島南岸は、ホオリ王やムカの支援の努力も虚しく完全に魔窟と化したようだ。
吾蘇(あそ)様を殺めた気濡馬(けぬま)と、悪童仲間は、そんな島に送られたのである。気濡馬は、武器と食料を与えられ伊依島南岸に降ろされると、ヒムカに向い「もし、この武器で、この島に悪党の国を作っても良いのか」と、うそぶいたそうである。それに対してヒムカは「それも貴方の生き方なら仕方ありません。でも、人を殺めながら生きていくよりも、人を助ける生き方の方が良いと、私は貴方に知ってもらいたいのです」と、送り出したそうだ。
そして、ひと月後、気濡馬から、「芦津留(あしつる)岬の根元の胆振(いぶり)に、橋頭堡を確保した」と、連絡が入ったそうである。ヒムカに連絡をもたらした気濡馬の悪童仲間は、満身創痍であったらしい。そこでヒムカは、三百の兵と大量の食糧を持たせて伊依島に送り出したようだ。
それから一年。芦津留岬一帯の治安は回復したようである。今、私の目の前に広がる岬が、その芦津留岬である。ヒムカは、気濡馬が確保した胆振に、港を整備し市を開いていた。気濡馬と、悪童仲間と、更に増員した五百の兵は、河内(こうち)という平野まで東征しているそうである。河内は、伊依島南岸の中ほどに当たるようだ。だから、ここを抑えれば伊依島南岸の治安は、大幅に改善するそうである。
しかし、報告では、河内の賊は、難民ばかりではなく、他国からの悪党共も多いようである。そして、餓え弱った難民集団の賊とは違い、この他国の賊徒は、体力も武器も揃っており難儀をしているようである。苦戦する戦さ場の中で、気濡馬は、悪童仲間に「どこにでも俺達のような屑がいるもんだなぁ。あいつらを見ていると、俺は俺が厭になってくるよ」と、自嘲していたらしい。
どうやら、気濡馬にも、恩讐の彼方に在る洞門の明かりが射してきているのかも知れない。人を殺めた者は、人の命を救うことでしか、呪縛の絆を断ち切ることが出来ないのかも知れない。吾蘇様は、この裁きを神様の許から見られていることだろう。そして、気濡馬と悪童仲間は、失われそうな命をひとつひとつ灯し続けながら前に進むしかない。これはきっと、気濡馬と悪童仲間に取っての長い巡礼の旅である。
芦津留岬の先端近くに、小高く平たい野原があり、そこに、ヒムカはウタキ(御嶽)を設けたそうだ。ダバウタキ(駄場御嶽)と呼ばれている。そのサイト(斎殿)に、仮の宮があるので、私達は数日をそこで過ごすことにした。その間に、気濡馬から、この先の情報がもたらされることに成っている。
その数日を使い、私は照波を磯遊びに連れて行くつもりだ。キム・アヘン(金芽杏)の夫婦連も一緒に行くことに成っている。しかし残念なことに、ヒムカには海女に戻る時間は無い。ヒムカが伊依島に渡ってくると聞いた難民や病人が、大勢押し寄せてきたのだ。だから、ヒムカと狗奴国の巫女達は、駄場御嶽に籠っている。
そもそも駄場御嶽は、遠い昔から南洋民のウタキ跡だったようである。この高地からは、南の海が照りかえり輝いて見える。きっと、あの彼方に南洋民の神様の国があるのだろう。私達が磯場遊びをしている間も、熊人と隼人は甲板磨きである。膨れ面の熊人に比べ、隼人は甲板磨きも楽しそうである。さすがに、田(でん)家の跡取りだけあって海の男である。
倭(やまと)は、表麻呂船長から船舶学の大特訓中である。今、ガオ・リャン(高涼)は、風之楓良船(ふうのふらふね)で船長をしている。そして、風之楓良船には、鬼国の河童衆を乗り込ませ黄海貿易を始めている。バイ・フー(白狐)様との中継ぎ貿易である。サラクマ(沙羅隈)親方の河童衆は、シャーから黄海を超えて鬼国に移り住んだ集団なので、黄海貿易には慣れている。リャン(涼)が船長になったので、チュホ(州胡)の海人からも船員を募った。そしてチュホを、中継ぎ港にしている。
リャン(涼)は私と同じ二十六歳なので、表麻呂が倭国海軍の総括に追われ始めれば、この大型船海之冴良船(あまのさらふね)の船長はリャン(涼)に任される。そうなれば、風之楓良船の船長は、倭に担わせようと考えている。だから、表麻呂船長も、今は倭に厳しい。
天之玲来船(あまのれらふね)の船長を務めている秦鞍耳も、三十一歳である。だから十年程経てば、船長を解任し、投馬国の族長に戻さないといけない。天之玲来船は、倭国海軍の主力艦である。二番艦を建造する際は、表麻呂が言っていた「風之楓良船の二倍の大きさの四十尋(ひろ)船」にしようと考えている。それまでには、三艦体制での貿易の収益も上がっているだろう。
四十尋の天之玲来船の船長になるには、相当の修練が必要だ。だから、倭は、まず風之楓良船で、船長経験を積ませないといけない。その為にも、表麻呂は倭を鍛える積りである。父の狭山大将軍も、異議は無い。
これまで倭国は、沫裸党やワニ族(鰐)の水軍に守られてきた。しかし、これからは「倭国として海軍を持つべきだ」と、狭山大将軍は考えている。倭国が海運王国として勢いをつければ、海軍力も欠かせない。そうなれば、私も海賊女王と呼ばれるようになるのかしら。ちょっと私好みの響きである。
鯨海の白い狼、女海賊のアヘン(芽杏)は、磯遊びに来ても肌を表わさない。私や照波はセイジひとつだし、裸に成るのを恥ずかしがっている志茂妻だって半襦袢ひとつである。南洋民のハヤン(夏羊)は、素っ裸で海に飛び込んでいる。つられるように、キム・ゴドゥン(金居登)も、裸で飛び込んだ。同じく南洋民のヂュシー(朱実)も、短い腰巻ひとつである。
ドキョン(東犬)と、ペキェ(白鶏)と、ファンウ(黄牛)の小父さん三人組は、まるで湯船に浸かるように、暖かい南洋の海を楽しんでいる。チク(智亀)は、しっかりした褌を締め、岩場の上で仁王立ちである。相撲の装いらしい。でも、相撲の相手は誰だろう。ハエ(南風)かな……?
兎に角、皆磯遊びの装いなのだが、アヘンだけが場違いに真っ赤な長衣に長袖で、しっかり身を包んでいる。恐れを知らぬ女海賊が、裸を恥ずかしがる筈は無いだろうと不思議に思っていると、ヂュシーが訳を教えてくれた。
アヘンは、日差しがとても苦手らしい。長く日の光を浴びていると、その雪のように白い肌が真っ赤に焼けるそうである。ということは、アヘンは南海の女海賊には成れないことになる。「良~し、それなら南海の女海賊には私が成ろう。アヘンは北海の女海賊だから仲良く二人で縄張りを分けよう」と私がアヘンに働きかけると、アヘンは大笑いして同意してくれた。私はアヘンの為に、タコや磯海老を沢山捕らえた。これで、アヘンの今夜の酒の肴も大丈夫である。
七日後、気濡馬から、河内(こうち)をほぼ占拠したと連絡が入った。そして、賊徒が排除されたと知った難民が、大勢河内に集まって来ているようだ。その知らせに、ヒムカは、狗奴国から沢山の物資を積んだ船を五艘呼び寄せた。その五艘の物資船を護衛する形で、私達も河内に向かうことにした。
早朝に胆振の津を出航し、日が傾きかけた頃のことである。佐嘉(さか)岬と呼ばれている岬の手前で十数艘の小舟が押し寄せてきた。銅鑼を掻き鳴らし、威嚇しながら近づいてくるその舟団は、どうやら賊徒のようである。やはり危惧したように、荷役船を襲って来たようだ。佐嘉岬は、河内との中程にあるそうだ。あれほどの舟団が組めるとは、やはり他国からの賊徒であろう。
表麻呂船長は、海之冴良船を素早く賊徒舟団と荷役船の間に廻し込んだ。そして、私の近衛二十四人隊が大量の矢を放った。その為、賊徒舟団は一旦進路を断たれたが、何しろ数が多い。だから半数程は、海之冴良船からの攻撃を避け、荷役船に襲いかかった。そこで、海之冴良船からも早舟を降ろし、荷役船の援軍に出た。アヘンの夫婦連も、それぞれ手分けをして荷役船に乗り移った。
アヘンは、荷役船の一艘に飛び移ると、迫りくる敵を一刀の元に切り伏せた。だから、誰もアヘンが立つ荷役船に襲いかかろうとする賊徒はいなくなった。別の荷役船では、ドキョン(東犬)が和剣を奮っていた。その剣は、雲龍刀というらしい。波の波紋がまるで雲龍のようなその剣は、まぎれも無い宝刀であった。一国の王が持つにふさわしい剣である。とても、天涯孤独な孤児が持つ剣とは思えない。
しかし、ドキョンは、どうやら喧嘩犬である。幾多の修羅場を乗り越えて来たのだろうか。会ったことは無いが、きっと、サンベやオハ村長と同じ手合いだろう。だから、その生き抜く太さに、切られる危惧は感じられない。雲龍刀は、まさに、迫りくる荒波を切り裂くかのように、血飛沫を走らせている。
チク(智亀)も、荷役船の一艘に飛び移ると、舳先に仁王立ちで構えている。だから、チクの荷役船を襲おうとする賊徒はいない。ペキェ(白鶏)は、楽しそうに、この闘いを私の前で観戦している。でもきっと、アヘンに言われて、私を守っているのである。ペキェは「アハハハハ。ヒミコ様。これは楽勝ですなぁ。奴らは、何を血迷ったのでしょうなぁ」と笑っている。そんな大男の異人に、挑みかかる賊徒はいない。だから私は、ペキェに守られてとりあえず無事である。
ヒムカは、ハイムルに守られている。しかし、本当にハイムルは、天竺への旅で大きな男に変わった。それに、シュマリ女将仕込みの徒手も随分と上達したようだ。シュマリ女将は「もう、アマミ親方より、ハイムルの方が強いでしょう」と、目を細めて話してくれた程である。だから、その気を感じて、ハイムルに挑みかかろうとする賊徒もいない。それに、ハイムルの右手には、ヤジャニヤ王の愛刀が鈍い光を放って凄んでいる。
ハヤン(夏羊)は、海之冴良船の前に対峙している賊徒舟に立ち向かっている。そして、あの舟にいたと思ったらこの舟。この舟にいたなと思ったら、その舟と飛び回っている。あれを、八艘飛びというのだろう。本当に喧嘩早い少年である。
アチャ爺は、海之冴良船に乗り込んできた賊徒を、一瞬にして五人倒した。やっぱり、歳は取っても東海一の暴れ者である。アチャ爺の噂を知らなかった若い賊徒を憐れむしかない。
陽が沈み始め、これ以上闘っても不利だと悟った賊徒の舟団は、岸に向かって退却を始めた。それを追うファンウ(黄牛)は、五十路と思えぬ身のこなしで、賊徒船を次々に飛び越し敵を倒していく。人の技とは思えぬ殺人剣である。きっと、ファンウは、幾多の人を殺めて来たのだろう。その剣は、悲愁の剣である。やはり、ファンウは、唯者では無かった。シュマリ女将と同じ殺気を漂わせている男である。だから、人を愛する訳にはいかない男である。
アヘンは、そのことを感じ無理矢理にファンウを抱き寄せたのだろう。ファンウの剣は、そのままでは自らを切る剣である。シュマリ女将は、その剣を、メラ爺の温かさと天海親方の温情で活生剣に変えた。きっとファンウは、アヘンに抱かれて、その殺人剣を活生剣に変えたのであろう。やはりアヘンは、スロ(首露)船長の娘である。
陸地を襲った一群が沿岸の村を攻め、その中の数人が村の娘を人質に取ろうと襲いかかっていた。ヂュシー(朱実)は、それまで怯えたように傍観していたが、それを見定めると、海中に飛び込み浜を目指した。そして岸辺に這い上がると、目にも止まらぬ早業で躊躇なく賊徒の首を刎ねた。その豹変した姿に、私はヂュシーの男嫌いの訳を知った。
闘いがひと段落すると、荷役船の一艘が奪われたことが分かった。更に、テルお婆の姿が見えない。リーシャンの話では、夕餉の食材を取りに荷役船に行ったということだった。どうやら、その荷役船が奪われたようである。
しかし、知らない土地での夜戦は危険なので、その夜は沖合で待機し夜明けに奪還することにした。ところが、夜が明けきらぬ間に、荷役船が戻って来た。そしてその舳先で、テルお婆が手を振っている。更に、その傍らに賊徒の頭と思われる男が、縄を掛けられ膝をつき屈みこんでいる。どうやら、テルお婆がひとりで賊徒を平げたようだ。
アチャ爺が驚いて「テルよ。お前がひとりで平らげたのか?」と、聞くとテルお婆は「アハハハ……粥でね」と笑った。荷役船の船頭が補足して言うには、テルお婆は、拉致されても騒がず驚かず、日が落ちる前に、荷役船の食材で得も云えぬ粥を作ったそうだ。そして、その粥を食べた賊徒は、テルお婆を母神様と仰ぎ、翌朝には降伏することにしたそうである。そこで、賊徒の頭は、自ら縄を打ち恭順の意を示しているのである。
やっぱり、スロ船長と同じで、賊徒も「お袋の味」に飢えていたのだろうか? 武闘派のアチャ爺は「いや~、やっぱりテルには敵わんわい。俺はこれからもテルの尻に敷かれていそうじゃわい。アハハハハ心地良いのう」と笑っていた。やっぱりアチャ爺の教えのように、空腹が戦さの源である。お腹一杯の民に、何で戦う理由があるものか。
ヒムカは、賊徒の頭に顔を上げるように言った。ヒムカに顔をあげた賊徒の頭は、驚き大きく眼を開いた。そして、その瞳を見る見る涙が濡らした。「嗚呼~チチカ(月華)様、チチカ様、チチカ様」と嗚咽を漏らすと、賊徒の頭は、ヒムカの足元に平伏し、泣き崩れた。その賊徒の頭の様子を見ながら、ヒムカは「イチミよ。達者だったようですね」と声をかけ、イチミ(壱未)の手を取り引き起こした。どうやら、イチミは、ヒムカの母様チチカ姫の使い人だったようである。イチミは、十九年前の狗奴国の反乱を生き延び、伊依島に逃げ延びていた。
イチミの話では、賊徒の村の半数が同じように、狗奴国の反乱を生き延びた者達らしい。ヒムカに手を取られたイチミは、落着きを取り戻し「ヒムカ姫も、お元気そうで良かった。シュマリが連れ去ったので大丈夫だとは思っていましたが、こうしてお目にかかれて、嗚呼~生き延びて良かったぁ~」と、再びイチミの目から大粒の涙がこぼれた。
ヒムカも目を潤ませ「イチミよ。私を皆の元に案内しておくれ」と言った。そして、ヒムカを先頭に、私達は賊徒の村の浜に降り立った。ヒムカが浜に降り立つと、大勢の村人がヒムカに平伏した。年寄りの中には、イチミと同じように「嗚呼~チチカ様、チチカ様、チチカ様」と、嗚咽を漏らしている者も大勢いた。
そんな中、他国の賊徒がこの光景をぼ~っと突っ立ち眺めている。すると、年寄りの数人が「おいこら!! 頭が高い」と、他国の賊徒を跪かせている。言われるまま跪いた他国の賊徒のひとりが「で誰? あの美人!!」と聞くと「無礼者!! 我らが女王様だ」と、年寄りのひとりが他国の賊徒の頭をひっぱたいた。
浜には三百人ほどの村人が集まっていた。もう二百人程が、まだ山の中で山仕事をしているそうだ。だからこの村は、五百人程の規模らしい。沿岸からは気付かなかったが、この佐嘉岬の村の前は、長い砂洲が広がり内側には広い湾と成っていた。だから、天然の良港である。湾には百艘程の小舟が繋がれている。大半は南洋民の漁舟らしい。それに、二十数人乗りの小型船十数艘が、他国の賊徒船のようだ。
この村も、ウェイムォ(濊貊)のオハ村長の村と同じように、悪党と共存していたようである。他国の賊徒も、元は貧しい漁村や、農村の次男坊や三男坊である。皆では食べていけないので、泥棒で出稼ぎ仕事である。早い話が口減らしである。水子に流されなかっただけ幸せであったかも知れない。という手合いである。だから、四男坊に、五男坊、中には十何男坊という貧乏の子沢山を体現して見せている者もいる。だから、性根からの悪党ではない。ジリ貧の人生には、悪党としての道しか開かれていなかったのである。そんな塞がれた人生の果てで、この村に流れ着いたのだ。そこでイチミ村長の人柄に救われたようである。
皆は、イチミ村長のことをイチミ親方と呼んでいる。そう聞かされると、確かに天海親方に似た威厳が感じられる。イチミは、チチカ姫の使い人だったらしいので、元は狗奴国の高官である。だから、天海親方に似た威厳があっても不思議ではない。きっと、ホオミ(火尾蛇)大将とも旧知の仲であろう。
ヒムカは、その場でイチミ親方を伊依島復興団の団長に任命した。だから、イチミ親方は、狗奴国の高官に復職したのである。山から数人の女達が降りてきた。その中の初老の女が泣きながら駆けてくる。そしてヒムカの前で倒れこみ「ヒムカ様ぁ~」と号泣した。ヒムカも、またその初老の女を起こし抱き合った。そして「ソイラ(粗衣螺)、本当にソイラなのね」と、言葉を詰まらせ咽び泣いていた。どうやら、そのソイラという初老の女は、ヒムカの乳母だったようだ。だから、やはり狗奴国反乱の折りに生き別れに成っていたのだ。
私は、ヒムカが落ち着くのを待って「ヒムカ、そろそろ出航の時間よ」と告げた。今日中に河内(こうち)に着くには、そろそろ出航しないといけないのである。ヒムカは、落ち着きを取り戻すと「イチミは、これからホオミ大将の元に出向いてください。それから、王様に会い、私がイチミを復興団の団長に任命したことを報告してください。そうすれば、ホオミ大将が、貴方にふさわしい兵の数と物資を揃えてくれる筈です」と、イチミ親方に告げた。
それから「ソイラにもお願いがあるの。荷役船の一艘を、この村に置いて行くから、貴方が管理してね。あれだけあれば、この冬は寒さや餓えに泣くことはないわ。そんな賄い仕事は、ソイラにはお手の物でしょう。よろしく頼んだわよ」と言うとソイラは、目にいっぱい涙を溜めた笑顔で「はい、ヒムカ様の温情を、この村に行き渡らせます」と、大きく頷いた。ヒムカは「冬が来る前に私は戻ってくるから、その時に、互いの話はゆっくりしましょう。それまで待っていてね」と、ソイラに手を振り乗船した。
賊徒の村は、一朝にして、狗奴国の災害支援基地に変わった。だから、賊徒の舟団も狗奴国の水軍になった。悪党共も一朝にして、狗奴国の正規兵に変わった。しかし、他国の賊徒は、この栄転がまだ飲み込めずぽか~んとしている者もいる。中に賢いのがいて「おぉ~、飯が腹いっぱい喰えるぞぉ~、盗賊家業から正規兵に栄転したぞぉ~、もう追われて逃げ回る必要も無いぞぉ~」と、はしゃぎ始めた。そこで、一朝にして、閉ざされた人生が開けたことに気づいた悪党共は「ヒムカ女王万歳~ヒムカ女王万歳~」と、浜で小躍りし始めた。その歓喜の風を帆に孕ませ私達の船団は河内に舳先を向けた。
~ アワ(粟)国のシララ(白螺) ~
河内(こうち)の入り江に入った時には、日が落ちてしまった。初めての湾に入り込むには、危険が増すので、入り江の入り口に投錨し、一夜を明かした。
明け方、小舟を先頭に側鉛を投げ込みながら進み始めた。綱の先に、鉛のおもりを付けて、海底の深さを探りながら進むものだから、とても船足が遅い。だから、入り江の奥に着くまでに、丸一日を要した。
浜から小舟も何艘か漕ぎ寄せてきた。しかし、これまで、中型船や大型船がこの湾に入ることは無かった為、誰にも、水深が分からないのである。八艘の小舟で、扇開の形になり進んだので、結果的に、この湾の水深図が描けた。兎に角、浅瀬が多い湾である。筑紫海と同じで、干潮時には干潟が広がった。だから、海之冴良船は、湾の中央付近で停泊させ投錨した。それ以上岸に近づくと、満潮時に走錨し、干潟に乗り上げそうである。
夕方、荷役船だけは、入り江の奥の村に着岸させた。気濡馬と悪童仲間は、もうこの村にもおらず、更に東に進んだようだ。既に仲間の半数近くが、賊徒の刃に倒れているそうだ。彼らは、賊徒が絶えるまで、前に進む心算のようである。
私達は、河内の浜で二晩を過ごし、四艘の荷役船と小舟を残し更に先に進んだ。津呂(つろ)の岬を過ぎると、伊依島はすっかり山国の装いに変わった。海之冴良船が寄港できそうな入江も無いので、夜間も航海を続けながら進んだ。潮に押されているので船足は速い。
夜が明けると、船先に数頭のイルカ(海豚)が波に乗り戯れている。それを見止めた隼人が、そわそわしている。だから、私は「ハイト今は駄目よ。船員見習いでしょう」と諌めた。ヒムカも、隼人のその様子を見て、クスっと笑っている。そんな私達のやり取りに、ヂュシー(朱実)が「何で可笑しいんですか?」と聞いてきた。だから私は「ハイトはね。本当はイサナ(勇魚)漁師なの。だから、イサナの群れを見ると、銛を打ち込みたくてウズウズしだすのよ」と説明した。するとヂュシーは「えっ?! あんな可愛い生き物を捕まえて食べるんですかぁ~信じられないわ。ハイトさんは、残虐な人だったんですね」と言い出した。
隼人は「えっ?」と反論しようとしたが、横から熊人が「そうばい。ハイトは、残虐な奴ばい。その点オイ(俺)は、やさしかよ」とヂュシーに言い寄ってきた。だから私は、熊人の頭を引っ叩き「ナツハみたいな助平には成るなと言ったでしょう」と、お仕置きをした。
そして「私達の村では、イサナを取って食べないと生きていけないのよ」と、ヂュシーに説明した。「だから、私達の村ではハイトは働き者なのよ。ハイト達イサナ漁師がいなかったら、子供達もみんな餓えて死んでしまうのよ。だから、可哀そうだけどイサナは、私達には食べ物なのよ。ヂュシーは、肉を食べないの?」と、聞いてみた。「えぇ。私、肉は苦手なんです。でも私達の村でも、鶏肉は良く食べます。ニワトリは獰猛だから、可愛いと思ったことは有りませんけどね。あっ?! そうか。私、卵は大好きです。卵も生き物ですよね。それに、雛なら可愛いですからね。ハイトさん御免なさい。私、酷いことを言いました。ハイトさんは、子供達の為にイサナを獲るんですよね」と、ヂュシーは、素直に隼人に謝った。
隼人は「いやぁ~」と照れていたが、また熊人が「良か。良か。ヂュシーちゃんは、何も悪るぅは無かばい。そいに、ハイトは気にしとらんけん。ハイトは、こん海原んごつ心が広かけん。良か。良か」と、しゃしゃり出てきた。私が「こらクマト!!」と怒ると「やっぱ、ピミファ姉しゃんな。えずか~(怖い)もんねぇ。婿に成るには、てぇげ(相当に)勇気がいるばいね。なぁハイト。あっ!! オイ(俺)達ゃ。まだ、艫(とも)の甲板磨きが残っとったな。早よ行こう。行こう。ここにいったら、またピミファ姉しゃんに、くらさっる(叩かれる)ばい」と、熊人は、隼人をひっぱって、船尾に逃げて行った。
その後ろ姿を「困ったもんだ」と見送りながら私はふと思い付き「ねぇヒムカ。デン家の男達をここに連れてこよう」と言った。ヒムカは「そうね。そうしたらイサナ漁が再開出来るわね。伊依島のイサナ漁師団が復活すれば、餓えの恐れが無くなるわね」と同意してくれた。そして、「帰ったら、早速イチミ親方を、オウ(横)爺に引き合わせるわね」と言った。私も、この旅から帰ったら、隼人を阿多国に帰そうと考えていた。伊依島のイサナ漁を復活させるのは、アタテル(阿多照)叔父さんの仕事になるだろう。そうなったら、隼人は、阿多の漁労団に欠かせなくなる。私はヒムカと、諸々の打ち合わせを始めた。
前方に、高い山と深い森を持つ大きな陸地が近づいてきた。アヘンが、この海域はドキョン(東犬)が詳しいと、表麻呂船長に教えてくれた。だから今は、ドキョンが船を進めている。目の前の大きな陸地を右の回り込むと、ドキョンが生まれ育った東風茅(あゆち)の海があるそうだ。しかし、私達は、左に舵を取り茅渟海(ちぬのうみ)に向かう。
私は、東風茅の海に未練心を飛ばしながら、北への航路に身を委ねた。ドキョンに、前に見える大きな陸地の名を聞いたが、名は無いという。奥地には、人の気配が無いので、名付ける必要が無いそうである。
しかし私は、メラ爺の縁者が住んでいる。否、渡りをしている気がした。が、地元民が名を付けていないのなら仕方ない。私は、とりあえず木の国と呼ぶことにした。後で分かったことだが、伊依島の民は、やっぱり木の国と呼んでいたらしい。あの壮大な森を見れば皆そう呼んでも不思議ではない。そして、木の国の中にそびえる山々は、奥の山々というそうだ。狗奴国の奥の山々と雰囲気が似ているので、良質の木材が切り出せそうである。
表麻呂にそう言うと、表麻呂も同じように考えていたそうだ。一度夏羽を派遣しなければいけない。その前に、メラ爺に縁者が渡りをしていないか確かめておこう。もし、誤って神の木を切り倒してはいけない。神の木を切り倒せば森は死ぬ。森が死ねば、海の命もまた絶たれる。だから私達アマ(海人)族は、太古から森の神を敬っている。
木の国と伊依島に挟まれた海、木伊海(きいのうみ)を、半日ほど北上すると、淡島 (あわのしま)が近づいて来た。淡島の右端を通れば、茅渟海(ちぬのうみ)だ。左が中ノ海である。両岸とも、英袮(あくね)から不知火(しらぬい)海へ出る黒之瀬戸と同じように、難所らしい。潮流は早く、複雑に渦を巻き、地元の船乗りでないと渡れないようだ。そこで、淡島で案内してくれる漁師を探すことにした。
ドキョンの話では、淡島 (あわのしま)の南端に、由良の津と呼ばれる少し大きな港町があるそうだ。そこは、木伊海から茅渟海への瀬戸を渡る潮待ち港らしい。私は茅渟海へも渡ってみたいが、中ノ海に入るには西の瀬戸を渡る方が近いらしい。それに、茅渟海に入ると、淡島の北端で、また急流が渦巻く、瀬戸を渡らなければならないようだ。
由良の津には、粟(あわ)国の水軍の頭で、木の国のコダマ(狐魂)と呼ばれる頭領がいるそうだ。歳は、五十路半ばらしいので、スロ船長より二~三歳程若いようだ。その木の国のコダマは、ドキョンの知り合いらしい。そこで、木の国のコダマに、西の瀬戸を渡してくれる漁師を紹介してもらおうという算段である。
由良の津の入口には、まるで門柱のように二つの島が横たわっていた。門柱であれば「ごめんください」と、その真ん中を入っていくのだが、この島と島の間は、浅瀬らしく、うっかり入り込めば座礁するそうだ。これだから、多島海は注意が必要である。しかし、そのおかげで、由良の津は、波静かな港である。その浅瀬は、大潮の日には顔を覗かせ、島と島を繋ぐそうだ。その為、先の大災害時も被害が少なかったようである。
それでも、二つの島を洗うほどの高波だったようなので、その津波の大きさに驚かされた。その為、淡島の南岸は大半が壊滅し、今でも多くの被災民が難儀をしているようである。木伊海から押し寄せた大津波は、一瞬にして粟国の沿岸を襲ったそうだ。だから、チヌー小母さんや、モユク(狸)爺さんや、豊海王姫のように、帰らぬ人も大勢いたのだ。
木の国のコダマ(狐魂)は、ホオミ大将に似た容貌である。だから、南洋民であろう。小柄だが、日に焼けた顔は精悍である。由良の津のコダマ頭領の屋敷では、大勢の若者や子供達が働いていた。皆、被災民の子や孤児らしい。久しぶりの再会に、コダマ頭領は、ドキョン(東犬)を力いっぱい抱きしめていた。その光景は、愛しい息子を抱きしめる父親のようであった。
ドキョンが東風茅海を出た時に、最初に世話になったのが木の国のコダマだった。その折りコダマ頭領は、ドキョンの男振りにすっかり惚れ込み、養子にしたかったようである。それにコダマ頭領は、母と妻と四人の娘に囲まれた男独りぼっちの女家族である。だから、まだ幼かった娘達をドキョンに添わせて息子にしたがった。しかし、自由奔放に生きたかったドキョンは、ある日、この国を出たのである。
その時には、幼かった娘達も、今は色薫る乙女である。上の娘は、ヒバリ(雲雀)という名で二十二歳である。次女は、シラハエ(白南風)という名で二十歳である。三女は、ナライ(倣風)で十八歳。末娘が、アナジ(乾風)で十六歳である。末娘のアナジだけがまだ嫁に行ってないようだ。だから、コダマ頭領は、アナジをドキョンの妻にして、ドキョンに粟国水軍を継がせたい様子であった。
ヒバリ(雲雀)の夫は、セト(勢斗)という名の漁師で、中ノ海の瀬戸に精通しているらしい。そこで、コダマ頭領は、投馬国の沖まで、セトを水先案内人として付けてくれると申し出てくれた。そして、この粟国から中ノ海一帯は、伊穂美王の末裔が多いそうだ。どうやらセトも、ヒムカと同じく伊穂美王の末裔のようである。頭領は、そのことを承知している素振りであった。早速、頭領は、セトに使いを走らせてくれた。そして、その知らせを待つ間数日を、私達は、頭領の屋敷で過ごさせてもらった。
由良の津の真裏に、鷹熊(たかくま)山と呼ばれる小高い山がある。米多原(めたばる)の西にある日隈山程の高さである。日隈山は、狼煙台が在り筑紫海まで見渡せる。鷹熊山からも、木伊海が見渡せて絶景らしい。それに、高来之峰のように、息切らせて登る山でもないので皆で登ることにした。
近衛二十四人隊の六つの輿には、テルお婆とヒムカだけを乗せて、あとの四つの輿には、沢山の食べ物と寝屋の材料を乗せた。山頂から朝日を眺める趣向である。熊人と隼人も、特別に表麻呂船長の計らいで、登山隊に加わることに成り大喜びである。可哀そうなことに、倭(やまと)は、その間も船長見習いの大特訓中である。
この趣向には、コダマ(狐魂)頭領と四人の娘と孫達も付いてくることになった。そして、道案内には、頭領の妻であるシララ(白螺)さんが付いてきた。シララさんは、毎朝この鷹熊山に登っているらしい。実はこの山頂は、高木の神の神籬(ひもろぎ)である。そして、シララさんは、高木の神の巫女であった。だから、志茂妻は、いたくシララさんに親近感を覚えたようだ。
シララさんは、玉輝叔母さんと歳が近いようだ。それに、玉輝叔母さんと一緒で、頼りがいが有りそうだ。だから私も、すっかり甘える気持に成った。コダマ頭領は、ドキョン(東犬)と同じ位にハイムル(吠武琉)に惚れ込んだようだ。これでヒムカの商人団は、木の国の手前まで販路を広げたようである。
シララさんの傍には、寄り添うように、まだ幼さが残る少女が付いて回っている。ズーツァイ(紫菜)という名で、ラビア姉様にどことなく似ている。どうも、西域人のようである。ペキェ(白鶏)も「私と同じ大秦国(ローマ)国人かも知れない」と言っていた。しかし、ズーツァイは、自分の生い立ちを知らない。先の大災害の後、小舟で流されていた赤子を、シララさんが拾って育てていたのだ。
そして、今は、海女をやっているそうだ。それに、高木の神の巫女見習らしい。コダマ頭領と、シララさんの末娘アナジ(乾風)も、本当の妹のように可愛がっている。ゴドゥン(金居登)は、ズーツァイが近くにやってくると、とても緊張している。ゴドゥンも思春期を迎えているのだ。その様子に気づいた私とアヘンは、目を合わせて微笑みあった。
山頂からの眺めは、高来之峰に劣らず素晴らしかった。きっと、高木の神は絶景好きなのであろう。そして、ズーツァイ達粟国の海女達の海の幸も花を添えた。リーシャンとテルお婆は腕をふるい、照波も手伝っている。熊人が「ピミファ姉しゃんと、ヒムカ姉しゃんは、手伝わんで良かけん」と、私とヒムカの自尊心を逆なでする言い方をした。慌てて隼人が「いやぁ。ふたりとも女王さんやけん。女王さんが料理に手を出したら、料理長のリーシャンの立つ瀬が無かけんね」と弁解したが、ふたりとも、余ほどあの灰汁巻きの味が忘れられないのだろう。やっぱり、健(たける)も連れて来るべきだった。
日が落ち篝火が焚かれると、涼やかに海風が吹いてきた。今夜は、久しぶりに汗ばまずに眠れそうである。私は、アチャ爺の踊り連が主役の座を奪う前に「粟国の昔話を聞かせて欲しい」と、シララさんに頼んだ。そして、志茂妻も「クマ族の国でも高木の神が祀られているのは何故ですか?」と聞いた。するとドキョンが「俺達は自分達のことをクマ族とは言わない。クマ族という呼び名には、別の意味がある。俺達は、自分達のことを阿人という。志茂妻さん達が、倭人と云うのと同じだ」と言った。そこで、アヘンが「倭人と阿人は、何が違うの? 私には同じ倭国人としか見えないけど」と聞いた。そして、シララさんが語り始めた。
《 シララさんが語る高木の神と阿人の物語 》
ヒミコ様や志茂妻様が、自らの種族を倭人と呼ぶように、私やドキョン達は、私達の種族を阿人と呼びます。そして、阿人の集団には、大きく三つの地域名が有ります。倭人が倭国や、シャー(中華)の東岸や、マハン(馬韓)国や、ピョンハン(弁韓)国に分かれて暮らしているようにです。私達は、その種族の固まりをウタリ(衆族)と呼びます。そして、それぞれの地域に、それぞれのウタリの一群がいます。
秋津島(あきつのしま)の北方に多いのが、ニタイクル(森の民)というウタリです。ニタイクルは、遊牧の民です。家畜を遊牧し、狩猟採集をしながら暮らしているので、一ヶ所には長く定住しません。ハイムル(吠武琉)さんを育ててくれたシュマリさんも、きっと、ニタイクルです。
次に、秋津島の中央部に多いのが、ヌプクル(野の民)です。しかし、このヌプクルというウタリは、元々筑紫島から渡ってきた南方民です。だから、ヌプクルは、三つのウタリの中では、最後に生まれたウタリです。
そして、秋津島で一番大きなウタリは、キムウンクル(山の民)です。キムウンクルは、秋津島のかなり広い範囲に居住しています。メラ頭領も、我が夫コダマも、キムウンクルです。そして、古い時代には、高木の神は、キムウンクルが崇める神様でした。だから、高木の神は、山頂の巨木を依り代になさいます。
キムウンクルは、メラ頭領のように、山の民でも有りますが、我が夫コダマ(狐魂)のように、海人でも有ります。だから、高木の神が坐わす霊峰は、海を渡る時の山当てでも有ります。ですから、高木の神は、海の道を指し示す神でも有ります。人が集まる大集落では、高木の神が坐わす霊峰に向けて道を造ります。だから、倭人にとっても、阿人にとっても有り難い神様です。そして、今では、ニタイクル(森の民)にとっても、ヌプクル(野の民)にとっても高木の神が、同じように崇める神様に成っています。
次は、阿人のご先祖が、どうやって渡来してきたかをお話ししましょう。最初に秋津島に渡って来たのは、北の大地にいた阿人の一群でした。シュマリさんのご先祖です。その阿人達は、元の道を戻れば、チク(智亀)さんのご先祖とも繋がるでしょう。そして、当時は、今よりも狭くなっていた北の海峡を、舟や筏で渡ったのです。長老様の話では、およそ四万年前の話だそうです。気が遠くなるような、大昔の話です。その長い時を超えて、私達のご先祖は、歌と踊りとで悠久の時を語り継いできました。
その物語によると、彼らは狩人でした。今はいなくなった古代の大きな象や大鹿を獲物にしていたのです。その頃の秋津島は、今よりも、もっと寒く、草原が広がっていたそうです。だから、大きな象や鹿の餌になる草が多かったのです。
しかし、今から二万年ほど前位から、だんだん暖かくなってきたようです。そして、草原は森に変わりました。今の私達にとっては、豊かで有難い森ですが、古代の大きな象や大鹿にとっては、住み辛い所に変わったのです。だから、大きな古代の象や大鹿はいなくなり、私達のご先祖様は暮らし方を変えることになりました。森に適応して生きたのです。家畜を飼い、トナカイの遊牧をし、森の恵みを宝としました。だから、 その阿人達は、自分達のことをニタイクル(森の民)と呼ぶように成りました。
同じ頃、南方からイサナを追って、海の狩人が渡ってきます。海の狩人は、陸地では川を遡り、漁をしました。そこで、北方の狩人と南方の狩人は、交わりながら半分定着し、キムウンクル(山の民)と成っていきます。
遊牧の民であるニタイクルと、半定着の民であるキムウンクルの間には、争いも起きませんでした。それから1万年程経った頃、シャーから大勢の倭人が渡ってきます。ヒミコ様のご先祖に滅ぼされたシャー(中華)の国の人々です。彼等は、マハンやピョンハン、そして筑紫島を新天地としました。
そのシャーの倭人とキムウンクルが交り合い、ヌプクル(野の民)が生まれます。ですから、ヌプクルの神様も高木の神です。しかし、ヌプクルの神様は、シャーの神様と交りましたので、大蛇の姿で人前に現れるよう になりました。大蛇の姿で現れる高木の神様は、ハハキ(蛇木)様と呼ばれます。普段は、深山の根の国に坐わすようです。
そして、シャーのすぐれた技法を身につけたヌプクルは、漁法と農法に長けていました。だから、定着し、大きな家と村を作りました。その大きな家は宿場となり、大きな宿場をもった村は交易の場に成りました。そこで、ニタイクルと、キムウンクルと、ヌプクルは、交り合い阿人の国を作っていきます。しかし、王がいるわけでは有りません。今のメラ頭領の山の民と同じです。自由の国なのです。
ヒミコ様に理を説くのは、おこがましいのですが、私のいう自由とは、他の人の自由を奪わない自由な心の持ち方です。物は分け合い、心は他の人の自由を奪わないように、心がければ争いの無い世になるとは思いませんか。昔、徐家の始祖シューフー(徐福)様が、そう言われたそうです。
だから、私達阿人族は、徐家の人々をピリカ族と呼びます。美しい人達という意味です。山の民が健(たける)様を現人神と慕うのも、健様がピリカ族の王だからです。ピリカ族以外にも、渡来した民を呼ぶ呼び名があります。例えば、ハヤン(夏羊)さんは、クマ族です。クマ族とは、黒い人達という意味です。ハヤンさん達のような南洋民は、 黒くて美しい肌をしているでしょう。だから、見た目のままにクマ族と呼んだのです。
チク(智亀)さんは、レタラ族です。チクさんは、白いお餅のような美味しそうな肌をしているでしょう。だから、白い人です。ペキェ(白鶏)さんは、フレ族です。白い肌が赤みを帯びているでしょう。だから、赤い人だと呼ぶのです。それから、ズーツァイも、きっとフレ族です。シャーからの渡来人の血を引くヌプクルの中には、フレ族も少数ですがいます。だから、亡くなったズーツァイの両親も、ヌプクルのフレ族だったかも知れません。
しかし、ペキェさんと同じ大秦国(ローマ)の商人だったかも知れません。以前、私も茅渟海の奥で大秦国の商人の一団を見かけたことがあります。そして、ファンウ(黄牛)さんのようなシャー人は、シウニン族です。黄色い人という意味です。だからヌプクルはシウニン族が大勢います。
どのウタリ(衆族)にも、様々な族が交っていますが、ウタリの生まれ方や生息地によって交り方の割合に特徴がでます。例えば、ニタイクルなら、チクさんのようなレタラ族がとても多いのです。ドキョン(東犬)は、標準的な阿人族ですね。阿人族の大半がキムウンクルです。ペキェさんのようなフレ族は、どのウタリでも少数です。でも、その血を引いたものは、思いのほかいますよ。
因みに、ヒミコ様の尹家の人達は、イム族と呼びます。憑依する人達という意味です。それから、熊人さんの項家は、アシリ族です。最後に渡来した人達なので、新しい人達という意味です。隼人さんの田家は、ルシカ族です。意味は怒っている人達です。田家の始祖大山津見命は、父を騙し討ちにあい倭国に逃れて来たと伝わっているからです。
そして、私達阿人族がもっとも恐れているのは、ロンヌ族です。意味は殺し屋です。ロンヌ族とは、秦家と稜威母の人々です。須佐能王の末裔ですね。ロンヌ族には、大勢のキムウンクルが殺されました。私達にとって須佐能王は、荒ぶる神です。鯨海を渡りやってきたロンヌ族は、戦さ神でした。
ニタイクルは北方に逃れ難を避けましたが、キムウンクルの殆どの民は、征服され虐げられました。一部の者は山奥に逃れましたが、その生き残りがメラ頭領達です。それから、ロンヌ族がコシ(高志)の輩と呼ぶのは、キムウンクルのことです。須佐能王が戦死すると、キムウンクルとニタイクルは、力を合わせて反撃に出ました。しかし、伊佐美王に再び征服され大勢が殺されました。
ヌプクルが大勢暮らしていた中ノ海も、伊穂美王に侵略されました。そして、服従した者以外は、茅渟海の奥深くに逃れました。それでも須佐能王や伊佐美王の征服軍に比べると、伊穂美王の征服軍は、残虐では無かったようです。
伊穂美王は本来歌舞音曲が好きな方だったようで、伊穂美王の征服軍は、軍楽隊を先頭に、中ノ海を進んだそうです。そして帰順する者には、危害を加えませんでした。ですから、ニタイクルやキムウンクルの中からも、伊穂美軍の将軍が出るようになります。
中ノ海に暮らすキムウンクルの族長キピル(鬼蒜)は、帰順する証に娘の海女エヒメ(笑媛)を、伊穂美王に嫁がせました。エヒメには、アドモフ(率賦)という弟がいました。後に、アドモフは、逃げ延びたニタイクルやキムウンクルを率いてポロモシリ(大国)の族長に成ります。その服わぬ者アドモフが私のご先祖です。だから、私の祖国は、ポロモシリと言います。
伊穂美王と、キムウンクルの族長キピル(鬼蒜)の娘エヒメ(笑媛)の間には、伊佐迫(いさせり)という息子が生まれます。伊佐迫は、ホオリ王のご先祖忍穂(おしほ)様の異母弟です。忍穂様は伊穂美王のやさしい面を受け継がれたようですが、伊佐迫は激しい面を受け継ぎました。そして成人すると、忍穂様を筑紫島へ追い返し、東に向かっては、私のご先祖アドモフを打ちました。アドモフは、血を分けた実の叔父だったにも関わらず、伊佐迫は非情でした。
そんな非情な先祖を持つのが、黍(きび)国のオンラ(鰛良)です。伊佐迫の妻は、サヌキ(沙濡亀)というエヒメ様と同じキムウンクルの海女です。サヌキ様は、陽気でやさしい方だったようです。オンラにもその血が流れていると良いのですが、今のところオンラはどうしようもない悪党の頭です。きっとこの先、中ノ海の黍国でオンラにも会われるでしょうが、決して気を許してはいけませんよ。
ニタイクルの若者に、梁蟇(はりま)の国の巌男(いわお)という青年がいました。元は、淡島の族長の息子です。巌男は、快活な若き伊穂美王に憧れ、自ら帰順しました。そして、伊穂美王と共に、高志に進軍しました。その北征で大きな手柄を立てると、伊穂美軍の将軍になります。後に伊穂美王の次女伊南美(いなび)姫を妻に迎え、梁蟇国を任されます。この粟国は、淡島の南岸から伊依島の東側に広がる国です。そして、木伊海から茅渟海までが、我が夫コダマ達粟国の海人が活躍する海です。
梁蟇国は、その西に有ります。ですから、淡島の西の瀬戸を渡れば、梁蟇の海です。梁蟇国の今の族長は、稲波(いなみ)という女族長です。巌男と伊南美姫の末裔です。だから、ヒムカ様の同族でも有ります。
でも今は、狗奴国との交流は有りません。稲波族長は、大変お綺麗な方です。しかし、今は高志に出かけられており御不在です。伊穂美王の次女伊南美姫の母様は、高志の方です。名をハハナミ(媽七海)と言われたそうです。そして、やはりハハキ(蛇木)様のお一人です。
その御祖父様は、高志の族長タジマ(多遅麻)です。ヒミコ様ならご存知の名前でしょう。そうです。ヒョウ(瓢)様の父上です。ですから、ヒョウ様こと、ソクタレ(昔脱解)王を先祖に持つヨンオ(朴延烏)様とは、同族なのです。ハハナミ様とアグジン(阿具仁)様は、従兄妹ですから、伊穂美王にハハナミ様を嫁がせたのは、アグジン様のようです。
ハハナミ様は、もう一人男の子を儲けられます。伊南美姫の同母兄に当たる方です。名をヒコナ(蛭児那)と言います。ヒコナ様は、どうもお強い方では無かったようです。ですから、伊穂美王は、ヒコナ様には期待をかけられなかったようです。でも皮肉なことに、異母兄の伊佐迫からは、可愛がられたようです。先ほど申し上げたように、伊佐迫は、ヒムカ様のご先祖の兄忍穂様を筑紫島に追いやりましたが、ヒコナ様だけは、手元に置きました。病弱な弟が愛おしかったのかも知れません。しかし、ヒコナ様には、常人に無い力が有りました。霊力がひとしきり強かったのです。男の子ながら、尹家の巫女の血が、強く出たのかも知れません。そんな処も、伊佐迫がヒコナ様を大事にした理由かも知れません。
伊佐迫は、我が始祖服わぬ者アドモフ(率賦)を打つと、ポロモシリの民を淡海(あはうみ)まで追いやり、茅渟海を我が物にしました。そして、ヒコナ(蛭児那)様に、粟国を与えたのです。そして、イソラ(五十螺)という南洋の逞しい海女を添わせました。
きっと、伊佐迫は、ひ弱な弟ヒコナに強い子供達を持たせたかったのでしょう。その子孫が、私の娘婿セト(勢斗)です。だから私とセトは仇の間柄です。でも今は、私も、セトを仇の一族だとは思っていませんよ。セトの方は、私達ポロモシリの者達に、負い目を感じているようですけどね。
でもいずれは、セトも、粟国の族長にならなければいけない身です。なので、セトは、ヒムカ様の同族なのです。これは、身びいきでは有りませんが、セトは、信頼に足りる男です。それに、伊穂美王の歌舞音曲好きの血を引いたらしく、中々の芸達者です。特に、伊依島の石を使った楽器が奏でる音楽は、癒されます。シャーではビィェンチン(編磬)と呼ばれる楽器のようですから、ヒミコ様もご存じかもしれません。特に、セトが自ら「朝日」と名付けた音曲は、本当に中ノ海の朝の光景にぴったりの曲です。
悪党の頭、オンラ(鰛良)の黍国の西に広がるのは、周訪(すわ)国です。この国の始祖は、忍穂様の同母姉イチキ(斎稚気)様です。投馬国の高木神族の娘フヨウ(峯鷹)様を母に持つイチキ様も、また高木の神の巫女です。
イチキ様は、阿岐(あき)の海周辺に暮らしていたヌプクルの長タマル(多麻流)を婿に迎えます。そして、タギリ(滾里)という娘と、タギツ(滾津)という孫娘を儲けます。その三世代三女神が、阿岐の海を照らす守護神と成り、周訪国は大変栄えました。
そのタギツ姫が、今の周訪国の女族長です。イチキ様の夫、ヌプクルの長タマルは、シャーの優れた漁法を身につけていたので、海人族の父と呼ばれました。我が夫コダマの中にも、その血が流れています。
タマルの海人族は、沫裸党が鯨海に広がっていったように、中ノ海から木伊海、そして東風茅海へと広がって行きました。茅渟海からは、アハウミ(淡海)を遡り、私の祖国ポロモシリにまで広がっています。
木伊海から東風茅海に広がったのは、文字通り海人族ですが、私の祖国ポロモシリにやってきたのは、陸に上がった川漁師達です。コウラノシラ(高良磯良)であるカメ様の一族、川筋者達と同じように、河童とも呼ばれます。
今の河童の頭は、イホタ(鮪捕多)という男です。そのイホタが、周訪国の女族長タギツ姫の夫です。二人は、シラギ(白魏)の泊に屋敷を構えていますので、ヒミコ様も、お会いに成られると思います。ヒムカ様とは忍穂様につながる同族なので、ヒムカ様にお会いすれば、更に喜ばれるでしょう。
投馬国の高牟礼 (たかむれ)様や倉耳(くらじ)様とは、今でも交流が有るようです。倉耳様の妻ツブラメ(螺裸女)様も、周訪国の海女でした。そして、イホタの一族です。跡取りは、確か秦鞍耳と言われましたよね。今は、ヒミコ様の大事な臣下のお一人のようですね。もし、中ノ海の伊穂美軍が再建されるとしたら、その長は投馬国の秦鞍耳様だろうと、中ノ海の民達は噂しているようです。伊穂美王の最後の五国は投馬国ですが、投馬国の話は、ヒミコ様にもヒムカ様にも不要でしょうから、私の話はここで終わらせていただきます。
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と、シララさんの話は終えた。志茂妻は、大きく息を吐くと「ありがとうございました。高木の神のことをここまで知ったのは初めてです。高木の神の巫女としては恥ずかしい話ですよね」と、照れ笑いをしながらシララさんに大きく頭を垂れた。
私は、倭国大乱の元凶が垣間見えた気がした。きっと、ヒムカも同じ思いだろう。翌朝、セト(勢斗)から、ムヤノト(牟夜戸)で待つと連絡が入ったようだ。私と志茂妻は、シララさんとの別れが惜しかったが、いつまでも由良の津に留まっている訳にもいかない。
ヒムカは、伊依島南岸の様子と狗奴国からの支援物資の件を、出港寸前まで、コダマ頭領と打ち合わせしていた。そして、粟国水軍が、賊徒を平定出来るだけの援助を申し出ていた。気濡馬の賊徒討伐隊も伊依島南岸を東征しているが、粟国水軍が南下して賊徒を打てば、伊依島の平安も早く訪れることになろう。コダマ頭領もそのことに異論は無い筈である。だから、狗奴国と粟国は協力して伊依島の復興を進めることになった。
~ 中ノ海のスナメリ(砂滑) ~
ミズナギ(水薙)が、水面を切るように飛んだ。魚の群れを見つけたのだろうか。それにしても、良くあの細長い翼で、あんなに長く飛んでいられるものだ。もうすぐ秋が訪れる。そうすれば、夏鳥達は、南の島に向けて大航海の旅に出るのだ。私達は、とりあえず中ノ海に向かい、西に向おうとしている。そして今、目の前には、ムヤノト(牟夜戸)の入り江が見えてきた。
右手に見えるのが、淡島との間に横たわる大瀬戸である。潮流が激しくなると、ゴゥーゴゥーと、音を立てて潮が渦巻くらしい。海之冴良船ならその大渦も乗り越えられるだろうが、座礁の危険を顧みず、そんな無謀な操船をする船長はいない。だから今夜は、ムヤノト(牟夜戸)の入り江で、潮待ちをすることになった。
海之冴良船には、ズーツァイ(紫菜)が乗り込んでいる。シララさんから、ズーツァイを伴って欲しいと頼まれたのだ。どうやら、シララさんは、私達と一緒に旅をすれば、ズーツァイの両親の消息が掴める気がしたようだ。
確かに、ペキェ(白鶏)だけでなく、海之冴良船には色んな人間が乗り込んでいる。伊都国に着いた後は、アヘンに付いて行けば、更に多くの人に会えるかもしれない。たとえ、アヘンと共にピョンハン国に渡らなくても、斯海国でラビア姉様の元にいれば、西域への旅が叶うかも知れない。いずれにしても、粟国にいるよりは、ズーツァイの出自の謎に近づくことが出来るだろうと、シララさんは考えたようである。
私達も、どれだけズーツァイの役に立てるか分からなかったが、どの道ズーツァイは、天涯孤独な身である。だから、粟国を出ても、失うものはない。そうであれば、前に進ませるしかない。
アヘンも同意してくれたので、ズーツァイは、今、海之冴良船の船上にいるのである。ズーツァイの面倒は、ヂュシー(朱実)が見てくれることになった。ヂュシーも、七歳年下の妹が出来て嬉しそうである。そして、天涯孤独な二人は、本当の姉妹のように仲が良い。
海之冴良船には、もうひと組の家族が増えた。セト(勢斗)の妻ヒバリ(雲雀)と、二人の子供である。お姉ちゃんがスズメ(海雀)で、五歳である。五歳でも既に潜りの達人らしい。腕白そうな弟は、アヤト(彪人)四歳である。アヤトは、どうやらお姉ちゃん子のようである。いつもスズメ(海雀)のそばにいて離れようとしない。この三人も、シララさんから頼まれて乗船させた。なかなか家に帰って来ないセトなので、この機会に、親子四人の旅をさせたかったようだ。
ムヤノト(牟夜戸)の船宿には、すでにセト(勢斗)が到着し待っていてくれた。そこで、私と、ヒムカと、表麻呂船長とは、ヒバリ親子と共に船宿に向かい、ここで一夜を明かすことにした。もちろん、近衛二十四人隊も、私の警護で下船する。だから、アチャ爺以下私の見張り役はいなくても大丈夫だろうと判断したのだ。事実ムヤノトの治安は、とても良かった。しかし、海之冴良船の乗員が皆、宿泊できる大きさの港町では無かった。
ムヤノトを河口にして、西へ向かって大きな川が流れていた。この川は、千歳川に負けない位の大河のようだ。源流は、伊依島の山奥深くまで遡らないといけないらしい。大きな川なので、各地での呼び名があるようだが、ここ河口付近では、芦野(あしの)川と呼ぶようだ。
千歳川と同じように、芦の野が緑の海原のように広がっている。そして、この広大な芦野川の河口を少しばかり遡ると、南岸に古くて大きな町が有るそうだ。そこでは、鉄製品や朱等を製造する工房も多く有ったらしい。しかし、先の大災害の大津波は芦野川も遡り、工房は壊滅した。一部は再開し始めたようだが、まだ手つかずの所も多いようである。ヒムカは、その話を船宿の亭主から熱心に聴きとっていた。難儀をしているのは、皆、ヒムカの同族達である。ヒムカは、その町へも行きたいようだったが、今回は時間がない。投馬国から狗奴国に帰りついたら、新たな人材と物資を持って、再び伊依島に渡ることだろう。
翌朝、海之冴良船は、セト(勢斗)の案内で、中ノ海に渡った。セトは、淡島の西の怒涛渦巻く大瀬戸ではなく、波静かな小さな瀬戸へと、海之冴良船を導いた。その為、平穏な航海で中ノ海に出たのだが、私は少し残念であった。
中ノ海は筑紫海より幅も狭く、その海原には沢山の島影が見えたので、一層波静かな海である。これなら台風の日でも、ハラハラドキドキしないで航海出来そうである。でも、私は、やっぱり浪荒い鯨海の船旅の方が楽しかった。
対岸や島々には、多くの漁村が点在していた。ここは海んちゅうの楽園のようである。大昔、ヒムカのご先祖達は、台風に乗って伊依島に渡ってきた。そして、中ノ海を発見した時には、きっとここは神様の国かと思ったことだろう。セト(勢斗)の話では、魚介類も豊富なようである。美食家のハク(伯)爺が知ったら、間違いなく移住したがるだろう。
私達の村は貧しい漁村なので、獲れたものは何でも食べるのである。でもここなら、美味しいものだけを捕まえれば良い。ハク爺ならずとも、やっぱり羨ましい話である。それに、中ノ海全体が、布留奇魂(ふるくたま)村の風待ちの港、南風泊(はえどまり)の入江のようである。
であれば畜養の海として使えるではないか。布留奇魂村の漁師達が、イルカ(海豚)を南風泊の入江に囲い込んでいるようにである。陸で家畜を飼うように、海で魚介類を畜養出来れば、倭国の食糧事情は更に良くなる気がしてきた。ヤマァタイ国を倭国の穀物庫のするように、中ノ海を海の幸の食糧庫に出来れば素敵なことである。その為には、何が課題になるか、私は表麻呂と相談を始めようと思った。
今夜は、梁蟇国の伊刀(いと)島に、錨を下ろすことに成っている。セト(勢斗)の話では、そこで、黍国のオンラ(鰛良)から、いつどこで会うかの連絡が入ることに成っているそうだ。オンラは、案外用心深い男らしい。
しかし、オンラと話がつかないと、この先の航海が厄介な事態になる。それに、オンラの方は、私を随分警戒しているそうだ。きっと、私の噂は鬼の女王とでも伝わっているのだろう。
オンラは、黍国の瀬戸を通る船や旅人から否応なしに物品を取り上げるそうである。その代わりに、黍国の怒涛渦巻く瀬戸を無事に渡らせてやる。ともかく、強引な水先案内人達であるようだ。
それに、伊依島を荒らしている賊徒共とは、どうやらオンラに繋がる者が多いようだ。つまり、オンラは、賊徒の頭でもあるのだ。そんな悪党のオンラから見れば、私は強大な軍船に乗って攻めてきた鬼の女王なのだ。確かに、キムウンクルのオンラにとって、私は、須佐能王の末裔ロンヌ族である。更に、軍神と恐れられた父様の血も引いているし、何より戦さ場の巫女だとも噂されている。だから、オンラが警戒をするのも、無理は無いかも知れない。
兎に角、伊刀島で待つしかない。伊刀島が近づくと、ひとつの島ではなく、大小合わせて四十余りの島嶼だと分かった。だから正確には、伊刀諸島である。海之冴良船は、その中で一番大きな恵島に停泊することになった。
梁蟇国の女族長稲波は高志に出かけており不在のようだが、セト(勢斗)は稲波族長の従姉弟のようである。だから、恵島の海人頭も、セトと親しかった。幾日待てば良いか分からないので、恵島の丘の上に仮屋を建てて、そこで待つことにした。「数日を過ごすだけの仮屋なので、粗末なもので良い」と近衛隊長の項権には伝えておいたので、近衛二十四人隊は、わずか一日で今回の旅団約九十名が一度に過ごすことが出来る仮屋を建終えた。名は変わってもやっぱり、中身は項家二十四人衆である。
特に近衛隊長の項権は、項家軍属の資材部隊で剣の項荘に腕を磨かれた男である。だから、資材の見分けと、その資材での設計に長けている。もちろん、近衛二十四人隊の中には、元は工作部隊も多いので、仮屋造りは造作もない仕事である。
そして、項権が設計した仮屋は、チュホ(州胡)の大型住いのように横に長い建物である。チュホの大型住いのようには頑丈な建物では無いので、これだと建てるのも解体するのも早く済みそうである。それに、船内にも交替で乗員を残すので、広さとしては十分である。
恵島の丘からの眺望は素晴らしかった。私は海を見渡す家で育ったので、こんな風景は心を穏やかにしてくれる。だから、幾日でもここでのんびりと、オンラからの返事を待とうという気になっていた。ところが、翌日の昼過ぎに、オンラ自らが数人の手下を従えただけでやって来たのだ。そして、翌朝から中ノ海を先導させていただきます。と、申し出たのである。
賊徒の頭オンラは、思い描いていた悪党面ではなかった。何となくモユク(狸)爺さん似なのである。つまり、姿形は好々爺である。ニヌファがいたら、きっと喜んで飛びつくかも知れない。しかし、悪党の頭なので、好々爺の中にも、メラ爺のような威厳もある。不思議な男である。でも、やっぱりシララさんが注意してくれたように気を許してはいけないのかも知れない。
賊徒の頭オンラは、仮屋にやって来ると、私やヒムカに向かってではなく、アチャ爺の前で額突いた。その最敬礼に、アチャ爺は驚き「おい、何でワシに頭を下げるんじゃ。ワシャただの隠居ぞ。ヒミコ様はこちらじゃ」とオンラを引き起こそうとしたが、オンラは、更に恐れ入るように「いえいえ、私は東海一の勇者と謳われた、アチャ様にお目通り頂き感謝しているのです。アチャ様の武勇伝は、中ノ海のアマ(海人)族で知らぬ者はおりません。そんな豪傑にお目にかかれるとは、夢のようでございます。この先の海道では、アチャ様を一目見ようと、中ノ海の海人共は大騒ぎでございます。そこで私が、アチャ様を道案内させていただこうと、参上したのでございます。どうかよろしくお願い申し上げます」と、手下一同と共に、更にアチャ爺の前で額突いたのである。
アチャ爺はすっかり困りはて「おいおい、お前はヒミコ様を知らないのか?」と、オンラに問うと、オンラは「嗚呼、アチャ様がお育てになった娘っ子ですな。ほうほう、そこの娘っ子が、ヒミコとやら呼ばれている娘っ子ですなぁ。嗚呼、やっぱりアチャ様が鍛え上げられたようで、なかなかの面構えでございますなぁ。よろしくヒミコさんや」と、ニコニコと愛想笑いを私に向けて、小さく手を振った。
このオンラの人を喰ったような態度に、項権が剣の柄に手をかけ威嚇した。そして、近衛二十四人隊も皆、攻撃の構えをオンラに向けた。しかし、オンラは、動じること無くニコニコと近衛二十四人隊にも手を振っている。やはり、シララさんが言っていたように、一筋縄ではいかない悪党のようである。
でも私は、この狸親爺がすっかり好きになってしまった。まるで、モユク(狸)爺さんの愛嬌良さに、海賊王達の度胸を加えたような男である。更に「あれまぁ~そこの別嬪さんは、わが一族の分家の娘っ子じゃあんみゃぁか(じゃぁないかな?)よろしくなぁ。分家の娘っ子!!」と、ヒムカにも、ニコニコと愛想笑いを向けて小さく手を振っている。ヒムカは、苦笑し私を見た。
そこで私は、「賊徒の頭のオンラさん。こちらこそよろしく。ところで、向こうの色白の美人は、誰かご存じなの?」と聞いてみた。「おうおう。あれが鯨海の女海賊さんかい。噂に違わぬ別嬪じゃのう。何か今日は得した気分ばいね。それにしても、やっぱりアチャ様は噂通り美人がお好きなようですなぁ。アハハハハ……」と、高笑いを始めた。
すると「おい、オンラ。悪態はそれ位でやめておけ。お前の悪い癖だぞ」と言いながら、ドキョン(東犬)が甲板に上がってきた。オンラは驚き「おお~ドキョンじゃねぇか。久しぶりだなぁ。会いたかったぞ。お前には大きな借りが有るでなぁ。それにしても相変わらずの男振りだなぁ。さすがに阿人の王になっても可笑しくない男振りよのう。なのに、女海賊の尻に敷かれて安穏と暮らしているとは困った奴じゃわい。メアンモシリ(寒国)のチュプカチャペ(蛛怖禍茶辺)族長も、アチュイモシリ(海国)のシウクオロ(飼鵜苦嗚呂)族長も、ポッケモシリ(暖国)のケシエト(芥子江兎)族長も、そしてポロモシリのアサマ(阿佐麻)族長も、皆お前のことを案じているのだぞ。族長達だけで無い。阿人は、皆、お前を偉大なる服わぬ者アドモフ(率賦)の再来だと期待しているのに困ったものよ。まぁそのアドモフ(率賦)族長を葬ったのは、他ならぬワシのご先祖じゃがなぁ。あれは、わが一族最大の過ちだった。おかげで、今ではこの体たらくよ」と、頭を掻いて恥じ入る様子を見せた。どうやら、オンラは、ただの悪党では無さそうである。
それから、ドキョンの謎の姿も、一部が垣間見えた。やはり、ドキョンも、平穏な人生を歩んで来たようでは無さそうである。その夜は、アチャ爺とオンラとの交流会の様相に成った。そして、オンラも、アチャ爺に負けない芸達者であった。宴会の終りに、セト(勢斗)が、シララさんに聞いていた石の楽器ビィェンチン(編磬)を奏で「朝日」という音曲を聴かせてくれた。時は深夜であったが、ビィェンチンの澄んだ音が中ノ海を流れゆき、安らかな憩いに酔わせてくれた。そして、この朝日とは、闇間の途切れる朝未明の海の情景だと感じ入った。
早朝、海之冴良船は、オンラの舟団に誘われて、中ノ海を西に進んだ。オンラだけは、海之冴良船に乗り込み、表麻呂船長の水先案内人を務めている。船が梁蟇国の領域に入った頃、「おお~妙なイサナが泳いどるばい。おい、見っどハイト!!」と、熊人が大きな声で叫んだ。
イサナ漁師の隼人は、急いで舳先に走り寄ると「嗚呼~イサナにしちゃ~背びれが無かねぇ。それに、口先も尖っとらんばい。頭も、満丸禿頭んごたるし可愛(ええ)らしかね」と、目を細めている。
そんな隼人の様子に、熊人が「なら、ハイトは、あのイサナを獲って食おうとは思わんのか?」と聞いた。それに対して隼人は「可愛(ええ)らしかね。そいにイサナにしちゃ~こまか(小さい)けんねぇ……」と、曖昧に答えた。
するとオンラが「ワシ達もナミソ(滑魚)は、普段は食べんなぁ。時折獲れて食べるが旨くはない。味だけをいえば、食べるならフカ(鮫)の方が旨いのう」と、言い出した。だから私は「へぇ~あのイサナは、ナミソっていうの?」と、オンラに聞き返した。
ところが、志茂妻が「えっ?! ヒミコ様は知らなかったんですか? 筑紫海にも沢山いますよ。ヤマァタイ国周辺ではナミノウ(滑魚)と言いますけどね」と言った。
アヘンが「浅い海にしかいないのよ。ピョンハン国の湾にも沢山いるよ。沿岸民は食糧にもしているようだけど、オンラさんが言ったように、味は今一つらしくて積極的に獲る漁師はいないようね」と補足した。
ドキョンも「俺の国東風茅海(あゆちにうみ)では、スナメリ(砂滑)やスザメ(砂鮫)と呼ぶよ。でも食料にするならハイトさんじゃないが、沖の大きなイサナを狙うさ。スザメは、泳ぎが上手くて捕まえるには一苦労さ。どうせ苦労するなら、沖の大きなイサナの方が良いだろう。なぁハイトさん」と、隼人の肩を叩いて言った。そう言われて「じゃっど、じゃっど。(そう、そう)」と、隼人は目を細めて可愛らしいイサナのスナメリを眺めている。
今夜は、オンラの館がある穂牟田(ほむた)の津に寄港することに成っている。早朝に伊刀諸島を出たので、潮と風に押されて、日が傾き始めた頃には、穂牟田の津に入港出来た。この港も小高い山に囲まれた良港で、オンラの館は小高い丘の上にあった。
夕日が鮮やかに中ノ海の浪間と島々に映え、素晴らしい眺望である。私は、セト(勢斗)が奏でる石の楽器ビィェンチンを聴きながら、この眺めをいつまでも眺めていたい気分だったが、そうもいくまい。
オンラは、すっかりアチャ爺に魅せられている。本当に、アチャ爺は、荒くれ共に慕われる男である。まぁ東海一の暴れ者として名を馳せた男なので、仕方ないのだろう。それにしても、テルお婆は良くもアチャ爺と添い遂げて来たものである。テルお婆ほどの美人なら、もっと生真面目な男でも、賢い男でも、いくらでも選べた筈である。
しかし、兄様のフク(福)爺の話では、テルお婆の方が惚れたのである。男と女の関係は不思議な綾である。やっぱり、未だに独り身の私には理解できない世界である。そして今夜の宴会も、アチャ爺を中心に始まった。宴会が一息ついた処で、オンラが深く溜息をつくと独り言のように語り始めた。
オンラが語る伊穂美の末裔
やっぱり、あれは我が一族の大失態だったわい。我が始祖伊穂美の本音は、阿人との共存じゃった。じゃが、我が祖父殿伊佐迫(いさせり)は、気性が激しすぎた。兄の忍穂(おしほ)様であれば、阿人との共存を図ったであろうが、我が祖父殿伊佐迫は、忍穂様を筑紫島に追い返すと、中ノ海を力で治めようとした。
とはいっても、先人の阿人を隷属させようと考えたわけではない。伊佐迫の母エヒメ(笑媛)はキムウンクル(山の民)の娘じゃから、伊佐迫も半分は阿人じゃ。それに妻のサヌキ(沙濡亀)も、キムウンクルの娘じゃ。
エヒメやサヌキは、巫女じゃったが、ヒミコさんのようなシャーの巫女や、志茂妻さんのような高木の神の巫女では無い。そして、ヒムカさんのような南洋の巫女でも無い。シャマン(呪術師)といったが正しかろう。
だから、中ノ海の巫女の世界は、ひとつは、投馬国の、フヨウ(峯鷹)様の筑紫島の巫女の系譜。もうひとつは、高志の、タジマの孫娘であるハハナミ(媽七海)様の稜威母の巫女の系譜。そして、我が始母エヒメの阿人の巫女の系譜があった。
伊佐迫祖父様は、中ノ海を、筑紫島勢力や稜威母・高志勢力と対抗できるだけの勢力にしようと、目論んでおった。その為にまずは、穏健派の兄忍穂を筑紫島に追い返した訳じゃ。それに、忍穂様が中ノ海の覇者になれば、中ノ海は筑紫島の勢力になるからのう。
ホオリ王やヒムカ様のご先祖である忍穂様は、戦さを好まれん人だったらしいので、弟と争わんように、素直に筑紫島に身を潜めたようじゃ。
それから、伊佐迫祖父様は、筑紫島の勢力との緩衝に、忍穂様の同母姉で、伊佐迫祖父様にとっては異母姉である、イチキ(斎稚気)様を頼った。イチキ様は、周訪国の巫女女王であったので、我が黍国に取っては、頼りがいのある、筑紫島勢力からの盾というわけじゃ。
イチキ様の夫は、ヌプクルの長タマル(多麻流)だ。タマルは、阿岐の海を縄張りとする阿人族の大頭目で、勇敢な水軍の総大将であった。そして、伊佐迫祖父様とは刎頸の友であった。だから、中ノ海の西方の守りは鉄壁じゃった。
黍国の東には服(まつろ)わぬ阿人の勢力があった。須佐能王を殺めたキムウンクルとニタイクル(森の民)の残党も、そこに逃げ込んでおった。その勢力を、阿人達はポロモシリ(大国)と呼んでいた。それでも我が始祖伊穂美は、父を殺めたポロモシリのキムウンクルやニタイクルと和解を図ろうとしていた。
そこで、キムウンクルの族長キピル(鬼蒜)は、娘の海女エヒメ(笑媛)を伊穂美王に嫁がせ和睦を図った。そして、伊佐迫祖父様が生まれたわけじゃが、我が始祖伊穂美が亡くなると、伊佐迫祖父様は兄の忍穂様を追い出し、自分が中ノ海の覇者になった。そして、服わぬ者は容赦なく攻め滅ぼした。どうも、伊佐迫祖父様は、自分の父親より祖父様の須佐能王を見習いたかったようじゃなぁ。そして、須佐能王を殺めたキムウンクルとニタイクルの残党を、討伐しようと意気込んだ。
そんな伊佐迫祖父様を、叔父で母エヒメの弟アドモフ(率賦)は、何とか諌めようとしたが、頑固者の伊佐迫祖父様は聞かんようじゃった。それどころか、ポロモシリの族長である叔父のアドモフに、須佐能王を殺めたキムウンクルとニタイクルの残党を差し出せと迫った。だが、ポロモシリの族長であるアドモフに、そんなことが出来る訳は無い。だから、伊佐迫祖父様は、ついに、叔父のアドモフをも攻めて亡きものにしてしまった。そして、アドモフに率いられていたキムウンクルやニタイクルは、茅渟海深くに逃げ込み、未だに敵対勢力として勢いは衰えていない。
本来なら、伊佐迫祖父様は、アドモフを後盾として、倭人勢力と阿人勢力との仲介勢力になるべきだった。そうすれば、筑紫島勢と稜威母勢と並んで、三つ目の勢力として均衡を図れたはずじゃ。
それにワシ等は、阿人と倭人の混血じゃ。じゃからまぁ、阿倭人とでも呼ぼう。きっと、我が始祖伊穂美は、中ノ海に阿倭人の国を造り、阿人倭人が共に暮らす、平和な世界を夢見ていた気がするんじゃ。阿人国と倭人国の間に阿倭人の国が立ち「和して同ぜず」の姿勢を貫けば、戦は治まるじゃろうという訳じゃのう。しかし、その夢を、伊佐迫祖父様が絶ってしまった。それで今では、ロンヌ族の成り上り共が、ワシらを脅すようになった。嗚呼~嘆かわしいことじゃわい。
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と、オンラは呟き寝入ってしまった。晩夏の夜風がオンラの長い髭を揺らし寝息が震えた。アチャ爺が狐の皮衣をオンラの寝姿にそっと掛けた。
~ シラギ(白魏)の泊 ~
翌朝、私達は、夜明け前に穂牟田の津を出港した。オンラ(鰛良)の話では、伊依島の北岸の瀬戸を渡るそうだ。その瀬戸を渡れば、イチキ(斎稚気)姫様がサイト(斎殿)を設けられていた海域に入るそうだ。だから、中の海の海人達は、イチキナダ(斎灘)と呼んでいるそうだ。
そこに渡る瀬戸も、粟国西岸の瀬戸に負けない怒涛渦巻く急流域らしい。だが、残念なことに、その怒涛渦巻く急流を渡る訳ではない。急流が収まった時間帯に渡るのである。考えてみれば、それが良識ある海人の判断である。台風の海に漕ぎ出したり、転覆寸前まで帆に風を孕ませたりするのは、異常人である。
私が「ねぇオンラ。急流渦巻く潮の上に舟を浮かべたらどうなるの?」と聞いてみたら、オンラは、摩訶不思議な生き物でも見るような眼で、私を一瞥した。そして仕方なさそうに「もし、誤って渦の中に入ったら、渦の流れに逆らわず。それ以上の速さで舟を漕ぐのさ。うまくすれば、渦の外に弾き飛ばされる」と言った。
ドキョンと表麻呂船長が、その様子を見て苦笑している。するとアチャ爺が「忙しい時に変なこと聞いてすまんのう。どうも我が姫様は昔からお転婆でのう。危ういことが大好きなんじゃ。いや~すまんすまん」とオンラに謝っている。
オンラも「危ない姫様じゃのう」と、祟り神を嫌うように手を振った。やっぱり、天海親方とアチャ爺が盛り上がっていた「お転婆娘の育て方」の主役は、私だったようだ。私も、うすうす嫌な予感はしていたが、やっぱりそうだったようである。
で、その怒涛渦巻く急流が治まり、安全に瀬戸を渡るのが、この時だったのである。もう少し、穂牟田の津を出るのが遅かったら、次の潮待ちに時間がかかり、今日中にはシラギ(白魏)の泊に着けないそうである。私の中の天の邪鬼が「もう少し朝寝坊をしておけば良かった」と囁かせた。
穏やかで怒涛渦巻かない瀬戸を渡り、イチキ様の海に抱かれていると、突然アヤト(彪人)が、船縁に頭をぶつけ始めた。慌てて、姉のスズメ(海雀)が駆け寄り、アヤトの額を手で覆った。それでも、アヤトは船縁に頭をぶつけることを止めず、スズメの手の甲は真っ赤になり、血が滲みだしてきた。騒ぎに気づいたヒバリさんが、アヤトを抱きすくめると、アヤトは静かになった。
セト(勢斗)が、娘のスズメの裂けた手を包み込み、顔を曇らせた。アヤトのその様子は、どこか、フカ(鮫)族の少年イマロ(猪馬)と似た症状である。でも……。違うようでもある。イマロは突然暴れだしたが、アヤトは、人に襲いかかる気配はない。ただ自傷行為を繰り返しているように見えた。
「私が忙しくて構ってやれないからでしょうか」と、セトが誰に問うでも無く呟いた。すると、アヘンが「そんなことは無いわ。変人は愛情で決まるものでは無いんだから。貴方のせいでは無い」と、断定的に言い寄った。それから「それに変人だって良いじゃない。何で、皆と同じでなくちゃいけないの? そんなの、つまらないわ。神様だって、同じ人間ばかり創っていたら、つまらないでしょう。この世には、色んな生き物がいるわ。皆、神様が創ったのよ。だから、きっと神様は、皆ひとりひとり違った生き物として創ったはずよ。だから、ちょっとばかり周りの子と違っていても、心配することは無いじゃない」と皆を見渡していった。
それから、再びセトに向き合うと「私を見て。ヒバリさんとは随分違って見えるでしょう。でも大丈夫よ。私は、何も困ってはいない。ただ、お日様はちょっと苦手。見えているものも、ドキョン達とは、ちょっと違っているみたい。でも大丈夫。私は、何も困っていない。だからアヤトも大丈夫よ。きっと、皆と一緒に生きていける。周りの人が、アヤトは、私とはちょっと違う。と思って見ていてくれればね。もちろん心無い人にも沢山出会うだろうけど、私はへっちゃら(平気)だった。私は私、たった独りの特別な私。そう思えれば十分よ。だから、アヤトはアヤト、たった独りの特別なアヤト。ねぇそうでしょう」とセトに詰め寄った。
ヒバリさんが、アヘンを眩しそうに見た。更に「大丈夫よ。アヤトは、貴方を責めたりはしていないわ。私だって、父さんを責めたことはない。だから、そんな顔アヤトには向けないで」とセトを諭した。
セトは、少し重荷が取れたような顔に成り、ヒバリさんと目を合わせた。ヒバリさんは、コックリと頷いた。それから「アヤトの変わったところは、大きくなれば治まるのでしょうか?」と思い詰めた様子は薄らぎながら、アヘンに訪ねた。
「私は、医術師でも、シャマン(呪術師)でも無いから分からないわ。でも、そのままの可能性の方が高いかも知れないわ。私の肌は、ハヤンみたいにお日様を大好きになれるようには成らない。ドキョンのように、飛燕の妙技を見据える目には成れない。ペキェの赤い鼻と、チクの白いぽってりお腹には成ろうと思わないけど、でも、ファンウのようには強くなれたわ。だから、アヤトがどうなるかは、私には分からない。でも急がないで。私も一夜にしてファンウのように強くなれたわけじゃない。幼い時は、館を出るのが厭だった。宮女達は、私を腫れものに触るかのように見たわ。でも、カヒ(嘉希)母ぁ様は、私が館に籠るのを許さなかったの。海原に溶け込むような青い大衣を、すっぽりと頭から覆わせると、父様の船に乗せ鯨海の風に当てさせたのよ。お日様に焼かれるのは怖かったけど、鯨海の風は肌に心地良かった。アヤトにも、アヤトにやさしい生き方もある筈よ。だから大事なのは、セトさんが焦らないこと。出来ないことは、出来ない。そうでしょう。セトさんの肌は、私の肌より随分と暑さに強いだろうけど、火の中に飛び込んでも平気でいられる訳じゃない。ドキョンの目だって水平線の彼方で跳ねた小魚が見える訳じゃない」とアヘンは答えた。
セトは「判りました。どうやら、病人は、私のようだったみたいです」と、アヘンにこくりと頭を下げて礼を言うと、アヤトとスズメを深く抱き寄せた。それから「スナメリを見よう」と三人は舳先に向かった。その後ろ姿を見送りながら「セトは、自分の中に流れる血に怯えていたのです。だから、子供達を見るのが怖かったのでしょう。特にアヤトは……」とヒバリさんが言った。
その言葉を受けるようにアヘンが「この前、シララさんからセトさんのご先祖の話を聞きました。ヒコナ(蛭児那)様のことです。あの時、シララさんは、病弱な方だったとしか話されなかったけど、セトさんの家では『雪のような白い肌をして、白い蛭子のようだった』と言い伝えられていませんか。きっと、ヒコナ様は私に似ていたのでしょうね。だから、シララさんが非情な男と言い捨てたイサセリ(伊佐迫)様も、そんな弟が愛おしかったのでは無いでしょうか。先ほど、スズメちゃんがアヤトを守ろうとしていたように、きっと、イサセリ様も弟を守りたかったんだと思いますよ。だから、ヒコナ様の家は、絶えることなくセトさんがいる」と言った。
するとオンラが「そうか。そういう物の見方もあるのか。ワシ(私)はまだ人間が出来とらんのう。それとも、恨みつらみが、目を曇らせるのかのう。考えてみれば、イサセリ祖父様も、案外、阿人との共存を夢見ていたかも知れんのう。妻のサヌキ祖母さんも、息子の妻ワシの母サタメ(佐多女)も皆、阿人じゃからのう。阿人を隷属させるつもりなら、跡取りの妻には迎えん筈じゃからのう。ワシ(私)の父系は倭人じゃが、母系は皆阿人じゃ。そのことから思い起こせば、イサセリ祖父様の別の思いも見えてくる気がした。鯨海の女王さんや、礼をいうぞ。いや~ドキョンといい、アヘンさんといい、ワシしゃ若い者に良く諭される奴じゃわい。アハハハハ……」とオンラは、モユク(狸)爺さんと同じような、ぽっこりお腹を揺すらせて清々しそうに笑った。
やっぱり、アヘンはすごい。だから、アヘンを育てたカヒ(嘉希)様はすごい人だったのだ。アヘンの自慢の弟ソウジョ(倉舒)とクス(仇須)が賢かった筈である。私は、益々アヘンに惹かれた。でも妻になる気は無い。
シラギ(白魏)の泊には、オンラの見込み通り、日暮前には入港出来た。館では、周訪国の女族長タギツ(滾津)様と、中ノ海水軍の総大将イホタ(鮪捕多)様が待っておられた。お二人は、私とヒムカに向かい深々と頭を垂れて「ヒミコ様とヒムカ様のお二人にお目にかかれるとは、恭悦至極に存じます」と挨拶された。
阿岐の海の三女神のおひとりであるタギツ様に最上の礼を頂き、未熟な巫女の私とヒムカは、慌ててタギツ様の前に座して頭を下げ「こちらこそ、未熟な身で中ノ海の大巫女様に、このような丁重な挨拶を頂き恐悦至極でございます」と顔を伏せた。
すると、オンラが「ワシの時とは、随分態度が違うのう。まぁタギツ姉様の前に出て礼を示せねば、ワシの方が呆れるがのう」と言った。すると「ほう、オンラにも礼が分かるのかぁ。これは意外!! 意外!!」とドキョンがからかった。「ワシだって、出るところに出れば案外礼儀正しいんだぞ。のう、イホタの兄貴。ドキョンめに、どれだけワシが礼儀正しいかを教えてやってくれ」とイホタ(鮪捕多)総大将の横にどっかりと腰を下ろした。
イホタ総大将は、苦笑しながら「どうぞ、ヒミコ様とヒムカ様に、こ奴がご無礼を働きましたらお許しください。こ奴は、根は良いのですが、どうも躾(しつけ)が出来てませんでなぁ」と、私とヒムカに詫びられた。
突然アチャ爺が高笑いし「躾はなかなか難しいでのう」とオンラの肩を叩いた。そこで、オンラは「アチャ殿までワシをからかわんでくれ」とアチャ爺の膝を叩いた。その様子を見て「これは、これは、アチャ様にお目通りいただき恭悦至極でございます。これを機に是非ともアチャ様のご指南を賜りますようお頼み申します」と、イホタ総大将がアチャ爺に頭を下げられた。
アチャ爺は、跋が悪そうに頭を掻いて照れた。そして「昔、黄帝という偉大な帝が、指南車という機械を作ったそうじゃ。その機械を使えば濃霧でも夜中でも方角を指すことが出来た。つまり軍を動かし奇襲攻撃が出来るちゅうわけよ。そうして敵の蚩尤(しゆう)を打ち負かしたといわれている。いやぁ~ワシしゃそんな立派なもんじゃ無いけんのう。あっちにちょろちょろ、こっちにちょろちょろで、とても当てになど出来ん悪童の成れの果てよ。そう持ち上げんでくれんかのう。どうも居心地が悪くていけんわい」と言った。それを聞いて「悪童の成れの果ては良いなぁ。ワシも同じじゃけんのう。アハハハハ……」と愉快そうにオンラが笑った。そして、夜も更けると、イホタ総大将も加わったアチャ爺の踊り連が阿岐の海に気勢を轟かせた。
夜が明け、オンラとはシラギの泊で別れることになった。この先は、投馬国のキクツ(企救津)まで、イホタ総大将が送ってくれることになっている。キクツには、ホオミ大将がヒムカ達を迎えに来ている筈である。
昨夜の宴で、私とヒムカは、二つの話を約束した。ひとつは、オンラの娘藤戸女(ふじとめ)と、跡取りの穴海(あなみ)のことである。藤戸女は、タギツ様の許で巫女修行をしていた。オンラには似てないすらりとした美人である。オンラの妻阿蘇女(あそめ)さんには会えていないが、きっと、阿蘇女さん似なのだろう。
阿蘇女さんは、長男の穴海と、投馬国に行っていたのである。阿蘇女さんの郷は、投馬国なのだ。そして佐留志族長の妹さんだった。だから、メラ爺の娘宇津女(うずめ)さんとは義姉妹になる。そして、藤戸女と宇津彦とは従兄妹である。
藤戸女は、今年十九になるそうだ。だが、ミフジ(巫浮耳)の巫女司豊呼と同じで「私は神様に嫁いだのだから」と言って婿を取ろうとしないらしい。だから、オンラは心配でたまらない。いわゆる適齢期を過ぎているのである。無神経なオンラは、私と志茂妻を前にして「このままでは、『行かず後家』に成ってしまう」と嘆くのである。
私と志茂妻は言い交わした男もいなければ、夫になる筈だった男に先立たれた訳でも無い。だから、後家では無い。正しく言えば「行かず乙女」である。しかし、あまりにもオンラが嘆くものだから仕方なく「行かず乙女」藤戸女の夫を探してやると約束してしまったのである。
まぁ当てはある。秦鞍耳である。鞍耳は、三十一歳になるがまだ独り身である。剣の項権と同じで男色では無いが、項権は剣に、鞍耳は船に魅せられて、女には目もくれる暇が無いのである。まったく、夏羽の爪の垢を煎じて飲ませる必要がある男達である。
だから、武骨者の秦鞍耳には「フジトメを妻に迎えるように」と沙汰すれば「はい」と一言武骨に答えるであろう。そして何よりも、倉耳族長とツブラメ(螺裸女)さんは、大喜びする筈である。そうオンラに告げると「それは有り難い。有り難い」とアチャ爺の膝を打って喜んだ。
するとアチャ爺が「アナミも、クラミミに預けたらどうじゃ」と言い出した。どうやら、穴海は内気な男の子らしい。今年十六に成るのだが、覇気に欠けるらしいのだ。それがオンラのもう一つの悩みだった。アチャ爺が不意に「ピミファや、良いよのぉ」と私に聞いたので、私も思わず頷いた。
するとオンラは「せ~がえ~が(そりゃ良い) せ~がえ~が。せ~がえ~が」と喜びの余り踊りだし始めた。それに釣られてアチャ爺の踊り連とイホタ総大将も「せ~がえ~が。 せ~がえ~が。せ~がえ~が」と囃し立て踊りだした。後はいつもの大宴会である。
その大宴会が始まる前に、ヒムカは、黍国のオンラと水軍の総大将イホタに、五百名あまりの中ノ海海人を集め伊依島南岸の復興を手伝ってくれる約束を取り付けていた。そして、来春早々には、宇沙都に集結し、伊依島西岸から南下しながら復興に当たる予定である。
すっかり夜も更け床に就いたら、秋の虫の音が聞こえてきた。その鈴音に混じって大宴会の興奮さめららぬアチャ爺の「歌にでもすれば『枯れの野に はじける笑い 昔語り』のようじゃったのう」という戯言が聞こえてきた。するとテルお婆が「では私が『若気の至り、老いて恥と化す』とでも言い添えましょうか」と言ったものだから、私とヒムカは手を握り合って笑いを堪えた。いずれにしても、アチャ爺は隠れも出来ぬ東海一の暴れ者なのである。いつまでも暴れ者のまま元気でいて欲しい。
~ 投馬国の晩秋 ~
母屋の蔀(しとみ)は跳ねあげられており、ゆらりと頭を起こすと外の景色が見えた。ここはどこだろう。座敷の三方は土壁だが、前方は格子の板蔀に成っている。それを開けてあるので縁側の先に庭が見えるのだ。庭は、山を借景にしている。だから、すがすがしい山の気が木霊を風に含ませ香り立っている。
風情のある造りになった館だ。誰の館だろう。外の明りに目が慣れてくると庭は雪景色であった。その雪明りを背に娘が私を覗き込んでいる。私は今まで床に就いていたようだ。真綿に膨らんだ衾(ふすま)が暖かい。娘の話では初雪らしい。晩秋の雪の気は冷たい。まだ身体が夏の暑さを忘れていないのだろう。娘の吐く息も白く、言葉を発するたびに冬の訪れを感じさせる。でも娘の声は心地良く母の温もりを感じるほどに温かい。娘は今日十歳に成ったそうである。
十歳の娘と言えばと思い「お前はトヨツクメか?」と尋ねてみた。すると娘は「はい、ヒミコ様。お元気になられて良かったです」と答えた。やっぱりこの娘は高木の神の化身なのだ。私は高木の神のお顔を見たくて身を起こした。「嗚呼、まだ無理をなさいますな」と、豊月女が私を抱き支えた。すると雪明りが豊月女の顔を横から映し出した。
白くて柔らかい肌は那加妻に瓜二つである。でも二重の瞳は南洋の巫女の明るく力強い輝きに満ちている。十年前は私が抱いてあやしていたのに今は私が豊月女に抱き支えられている。時とは面白いものだ。やがて私が神様の許に戻る時、命は何事も無かったかのように次の世代へと受け継がれていく。
きっとヒムカの命は豊月女が受け継ぐのだろう。豊月女の名を降ろしたのはヒムカなのだ。名を降ろすのは命の新たな糸を降ろすのである。豊月女の糸の結び目はヒムカに繋がっている。その先にはチチカ様がおられ南洋の火の巫女の縦糸が降りている。その縦糸に高木の神の糸が縁り込まれ撚り糸は更に強さを増したようである。この撚り糸を縦糸とし男達は横糸を編み込んで行くだろう。そして、私の糸の結び目は、チュクムと希蝶に繋がっている。よ~し元気になってチュクムと希蝶を抱きに行かなくっちゃ。私は初雪の縁側にふらふらと立ちあがった。
私は、企救津に着くと、どうやら不思議な病に罹り寝込んでしまったようだ。そこで、ホオミ大将が天乃磐船に乗せ換えて宇沙都まで運んでくれたそうである。そして二月程、那加妻と豊月女に看病してもらっていたのである。
アチャ爺やテルお婆は、「ナカツが付いておれば大丈夫」と、そのまま海之冴良船でヤマァタイ国に帰ったそうである。それに近衛二十四人隊が私の警護をしているのだから何も心配は無いのである。だから、アヘン一行のお供は志茂妻が私の代わりを務め、伊都国で迎えの船を待っているそうだ。
ヒムカとハイムルも今時はナカングスク(中城)に帰り着き、伊依島復興の準備をしているようである。阿多国で海女修行中の照波は、ヒムカが阿多国に送り届けてくれたようだ。どうやら私の病は命が危ぶまれるような代物では無かったようだ。
那加妻の話では、どうやら私に高木の神が宿ったようである。奇妙な言葉を話し奇妙な舞を舞っていたらしい。私が病に罹った時には、まだ周訪国のイホタ総大将が居合わせていた。そのイホタ総大将が言うには「どうも、阿人の古い言葉を話されているようだ」ということらしかった。更に「阿人でもニタイクルの言葉に近い」と言っていたらしい。イホタ総大将はヌプクルの末裔なので、私の神憑った言葉の意味が分からなかったそうである。「ハリマ(梁蟇)国の巫女女王イナミ(稲波)様なら分かるかも知れない」と言っていたそうだが、稲波様は稜威母にいられる。だから誰も何故私に高木の神が宿ったのか判らなかったようである。そこで、命に別条は無いようなので、このまましばらく様子を見ようということに成ったそうである。
私の記憶がしっかりしているのは、企救津で出迎えてくれた倉耳族長とツブラメ(螺裸女)さんに藤戸女を紹介し「この娘を秦鞍耳の妻にしようと連れてきましたが、いかがでしょうか?」と言ったあたりまでだ。予想通り倉耳族長とツブラメさんは大喜びして藤戸女の手を引いて館に招き入れていた。その辺りから、私はもやっとしてきて、その後の記憶がない。気がついたら豊月女が目の前にいたのだ。やっぱり豊月女が高木の神の本性のようである。初雪が舞ったあの日、高木の神は私の中から豊月女の中に戻ったようだ。
私の気が戻ると日子耳が挨拶に来た。日子耳も十九歳の立派な青年になっていた。頼りなかったあの頃の面影は鳴りを潜め、すっかりホオミ大将と同じ顔つきである。傍らで高牟礼祖父様が安堵の笑顔でたたずんでいられる。
投馬国は三族の連合体である。そして今や北部のクラジ族には鞍耳がおり、南部のサルタ族には宇津彦がいる。そして、高木神族を日子耳がしっかりと引き継げば投馬国は安泰である。高牟礼族長の顔が綻ぶのは当然である。
黍国のオンラの妻阿蘇女さんは、サルタ族である。だからその娘の藤戸女にもサルタ族の血が流れている。そして、藤戸女は宇津彦の従兄妹である。だから、ジンハン系の鞍耳とマハン系の宇津彦の縁は強まり、中ノ海の勢力と投馬国の絆も断ちがたくなった。だからこの海から戦さの匂いは消えたようである。そして、ここはきっと豊かな海になるだろう。
中ノ海は穏やかな海に変わったというのに十歳の豊月女の心の海は大波に揉まれているようだ。今、豊月女は悩める乙女なのである。豊月女の中で大嵐の原因になっているのは日子耳の存在である。そのことを豊月女は、私と二人だけの時にこっそり打ち明けてくれた。その心配事は「ヒコミミ兄ちゃんは、母ぁ様に恋している」というものである。
もちろん当人の日子耳がどう思っているかは分からない。しかし、豊月女が心配するように、那加妻と日子耳は七歳しか歳が違わないので、七歳年上のお姉さんに日子耳が恋心を抱いても不思議ではない。それに親子とは言っても血の繋がりは無い。
確かに豊月女が心配する要因は無いわけでは無い。でも那加妻を良く知る私には“きっと日子耳は、那加妻の母性に恋しているのだ”と思える。母の無い子だった日子耳にとって那加妻は愛しい母なのだ。それは何物にも代えがたいし変わりようが無い筈である。だから、豊月女の心配は私から見れば的外れのように思えるが、心配なものはやはり本人にとってはとても心配なのである。
どうやら豊月女は、お兄ちゃんに恋しているようである。悩める十歳の乙女は、恋する乙女なのだ。そして、日子耳はそれにふさわしい男振りに成っている。那加妻の話では投馬国のみならず狗奴国の年頃の乙女達が大勢日子耳にときめいているそうだ。
加えて高牟礼族長が言うには、今、乙女達は日子耳派と健(たける)派に二分されているそうだ。そう言われれば、日子耳と健は同じ年である。ふと私は、「ではここにユリ(儒理)が加われば乙女達のあこがれの君は三分割されるのだろうか?」と可笑しく思った。
そして、儒理は今頃どうしているだろうかと心をジンハン国に飛ばした。儒理の妻となったチヨン(智妍)を私はまだ見たことがない。でも須佐人の話では慎ましい女の子であったらしい。そのチヨンも今や十六歳である。そろそろ子を儲ける年頃だ。父様もナリェ(奈礼)王妃も世継ぎの誕生を心待ちにしていることだろう。私の身勝手な望みとしては男の子であって欲しい。すでに姪はチュクムと希蝶がいてくれる。だから次は甥っ子が欲しいのである。
そう那加妻に言うと「何て我が儘なおっしゃりようでしょう。駄目ですよ。子は母が神様から預かるものです。だから自分の好みで選ぶものでは有りません」と叱られてしまった。確かに那加妻の言う通りである。でも子を授かる見込みが薄い私は我が儘放題が言いたいのである。そう言って駄々をこねても仕方ないので、私はこのひと冬を那加妻の幸せを分けてもらいながら共に過ごすことにした。
~ ヒムカの波紋 ~
年が明けて、シトシトと冬にしては暖かい雨が降り続いていた。まるで梅雨空のようである。豊月女が教えてくれるには、投馬国の冬は、鈍よりとした曇り空の日は多くても雨は少ないそうだ。そしてこんなに雨が降るのは豊月女の物心がついてからは初めての出来事らしい。だから、この雨は恵みの雨なのか不安定な天候の前兆なのか、心配しているようだ。
南国育ちの私には冬の雨も不思議では無かったが、中ノ海では珍しいと高牟礼族長も不安そうである。阿多国では西から吹く風は潤んでいる。東海の水の精をいっぱい吸い込んでいるのだ。それに冷たい北西の風が吹き込むと大雪に成ることもある。私は一度も経験は無いが、アチャ爺の話では何度か大雪が村を覆ったこともあるそうだ。そう米多原(めたばる)の館が雪に閉ざされた日に教えてくれた。
ヤマァタイ国の冬は温暖だが、南西の風が雪雲を運んでくると高志に負けない位の雪国になることがある。そんな日にはひたすら炉に薪をくべながら、ヨンオ(朴延烏)様とセオ(細烏)様のことを思い浮かべていた。あの時はまだ二歳だった阿彦(あひこ)も、今や十四歳である。生意気盛りに成ってきた卯伽耶(うがや)より一歳お兄ちゃんだから、阿彦も生意気盛りだろう。そしてククウォル(朴菊月)姉様がネロ(朴奈老)様に瓜二つだと言っていたので、逞しい青年に成っていることだろう。
私達が高志を訪れた翌年、ヨンオ様とセオ様は、ヘキ(蛇亀)という名の娘を授かっていた。ククウォル姉様がスヂュン(子洵)を儲けた年と同じなので、二人とも今年で十歳になる。だから、ヘキもスヂュンに負けない十歳のおしゃまな娘であろう。しかし、ヨンオ様からの便りでは、ヘキは巫女の力が強いようである。皆も曾祖母である高志の大巫女様の生まれ変わりだろうと噂しているそうである。
今の高志の大巫女様はセオ様である。そして、セオ様は月読巫女である。鯨海には火の巫女であるオクニ(尾六合)様と、黄泉巫女であるハハキ(蛇木)様がいられるので、ヘキは風の巫女か日の巫女であるかもしれない。セオ様の祖母様は、日巫女だったそうである。そして阿人の巫女女王でもあったようだ。だから、鯨海沿岸の民はヘキに日巫女が降りるのを心待ちにしているようである。
数日前より、ホオミ大将と那加妻は、ナカングスク(中城)に出かけている。何でもヒムカから大事な相談を持ちかけられているそうだ。だから、代わりにと宇津女さんが私の面倒を見ている。私はもう走り回れる位に元気なのだが、周りはまだ心配で放っておけないようだ。
宇津女さんには娘の佐留女(さるめ)も付いてきた。佐留女は、シュマリ女将の姪でハイムル(吠武琉)の妻ポニサポと同じ十九歳のようだ。ポニサポは初夏にはハイムルの二人目の子供を儲ける。でも佐留女にはまだ夫もいないようだ。夫がいないことに私がとやかく言える身ではないが、もう娘としては夫を持ち、子を産む年頃である。だから、そろそろ私や志茂妻と同じ行き遅れの領域に差し掛かっている。何も、夫を持ち、子を産むことだけが女の務めだとは思わないが、年寄達にはやはり心配の種である。
佐留女は香美妻のような美人では無い。でも那加妻以上に愛嬌がある。だから男達が放っておくわけは無い。それに器量は当座の花である。男と女が逢瀬を重ねるには器量より相性である。佐留女には、愛嬌の花が咲き綻び香り立っている。だから、誰からも好かれる性質である。とにかく明るい。オキャン(御侠)とも言えなくはないが、南洋の娘らしくてそこもまた良い。ただ、オキャンとお転婆娘とは紙一重である。その為、嫁に行きそこなう危険性も秘めている。でも、大丈夫。香美妻のように、自分から好きな男をがっしりと掴み取りに行けば良いのだ。それに香美妻に掴み取られたウネ(雨音)も幸せそうである。
オキャンな佐留女にも思い人はいるようだ。でも誰にも明かしていない。佐留女の思い人はきっと物静かな男に思える。だって熊人のような“はしゃぎ男”だったら騒がしい夫婦になってしまうだろう。だから熊人には照波が似合うのだ。じゃぁ物静かでおしとやかな私には“大はしゃぎ男”がお似合いなのかしら……?と言えば、きっと、志茂妻からは縦横家のような冷めた声で「いえ、物静かな方です」と言われるかも知れない。
佐留女がシシ肉の鍋料理を作ると食材を持って私の座敷に入ってきた。私が逗留している座敷には炉が切ってあった。だから、煮炊きも出来るのである。この座敷は、以前は板の間に真菰(まこも)で編んだ莚(むしろ)が敷き詰められていた。そこに近衛二十四人隊が座敷炉を切ってくれたのだ。だから私が臥せっていたこの座敷は火の座になっていた。南国育ちの私には鯨海から吹き付けてくる冬の風は冷たかろうと思ってのことらしい。それに炉の灯明りがあれば夜半にでも私の異変に気づけるとの思いもあったようだ。
私が回復し旅立てば、この火の座は、高牟礼様の隠居部屋に成るようである。その為、高牟礼様ばかりか、倉耳様と佐留志様も、早く私がこの座敷から立ち去ることを心待ちにされているそうだ。「だから、ヒミコ様は、そんな長老達の思いを汲み取り、一刻も早くお元気に成り、ヤマァタイ国にお帰りくださいませ」と、宇津女さんが笑いながら教えてくれた。
つまり私は投馬国の三長老にとっては厄介者なのである。そして私が厄介をかけなくなれば、この火の座は三長老会議の場に変わるのである。とは言っても投馬国の祭り事(政治)は既に、鞍耳と、宇津彦と、日子耳の跡取り三人組に委ねられ始めている。だから三長老会議の議題はもっぱらその年の海の幸と山の幸の取れ高の様子についてだろう。もちろん、美酒付きである。
ヤマァタイ国でも、時折カメ爺とアチャ爺の兄弟を筆頭に各軍団長達が集まり、長老会議を開いている。議題は「今時の若い者についての指導的考察とその諸課題」であるらしいが、リーシャンからの情報ではもっぱら踊りの練習らしい。それもリーシャンの料理に今年醸し出された美酒を伴ってのことである。「困ったもんだ」と、ため息をつきながらもテルお婆は黙認し、それを巨健(いたける)伯父さんと玉輝叔母さんも笑って見ている。私はヤマァタイ国に戻ったら、脊振の山里に温泉を掘り長老会議の館を造ろうと思い立った。もちろん二十人以上が座し、更に踊れる広さを持った火の座を正面に据えるつもりである。その話を剣の項権にすると、項権は手を叩いて笑いながら賛同してくれた。
剣の項権はミフジ(巫浮耳)の巫女の司豊呼との間に八十柏(やそかし)という長男を授かっている。もうすぐ十三歳になる。だから後三年経てば成人である。柏の葉には芳香があり、更に翌年に新芽が出るまで古い葉が落ちないことから“代が途切れない”とされ、子孫繁栄の願いが込められている。命名したのは於美奈(おみな)軍団長だ。そして、今の於美奈族の軍団長は項権が担っている。ただし、軍団長という役割自体は解体されたので、軍団長という呼び名は各氏族の頭のことである。
於美奈軍団長と妻の八十女(やそめ)族長との間には男子を授からなかった為、項権を婿養子に迎えたのである。ヤマァタイ国では各氏族の統領である族長は女が担う。だから皆女族長である。これは母系制の名残のようだ。
だがシューフー(徐福)の末裔でもある十二支族は父系制であり各家の長は男である。もし、男子に恵まれなければ項権のように婿養子を迎え男の子の誕生を待つ。実は於美奈軍団長も婿養子である。於美奈族の血を受け継いでいるのは八十女族長なのである。於美奈軍団長の本名は芳献(ほうけん)というのだが、婿養子に入った時に族名に名を改めたのである。だから、八十柏の名には芳香の意味が隠されている。
一族の念願だった男子を無事に産み終えた豊呼は、三年後に娘を産んだ。名は豊美菜(ほみな)と言い豊呼に似た福よかな娘である。今はミフジ(巫浮耳)で巫女見習をしている。私が、ヤマァタイ国に戻れば、ニヌファ(丹濡花)の代わりに豊美菜が私の身の回りの世話を見てくれることになっている。
長男の八十柏は、項権の血を引き、既に群を抜いた剣士である。だから、於美奈軍団長と妻の八十女族長は、安堵の隠居暮らしなのである。もし、脊振の山里の館が完成すれば、二人とも入り浸りに成ることだろう。その為にも項権は、ぜひ私の夢を実現させたいのだ。この湯の里造りは、項権にとってもささやかな親孝行なのである。
年寄りが笑って暮らしている所が豊かな国なのだ。ヨンオ(朴延烏)様が私に教えてくれたのは「年寄り子供が笑って暮らしている所が豊かな国。年寄りが嘆き、子供が泣き暮らしている所が亡びの国」ということだった。そして、私はこの教えをしっかり守っていかねば成らないと心に決めている。
項権はそもそも対海(どいまぁ)国が本貫の地である。だから寒い国の生活も良く知っている。更に面白いことに項権自身は、チュヨン(鄭朱燕)姫と同じ夷洲国(台湾)の生まれ育ちなのである。だから、暑い国の暮らし方にも詳しい。
項権の父は項家三兄弟の長男シャン・イェン(項燕)の末裔である。ちなみに、項家三兄弟の次男シャン・シュン(項熊)の末裔が夏希義母ぁ様であり夏羽である。そして、三男シャン・マオ(項茅)の末裔がハク(伯)爺であり熊人である。
項家の始祖シャン・ファイ(項淮)が妻のアラン(亜南)と会稽山から阿多国に渡来して来た後、長男イェン(項燕)は対海国とチュホ(州胡)の項家を起こし、次男シュン(熊)は斯海国の項家を起こしたのである。そして三男マオ(項茅)が、阿多国で項家の本家を守っていた。
項権の父は若い時に、チュヨン(鄭朱燕)姫の父ジェン・チーロン(鄭赤龍)に憧れて夷洲国に渡っていたようである。そこでチーロン(鄭赤龍)の一族の娘で海女のアミ(阿密)を妻に迎えた。つまり項権の母ぁ様のことである。その後、項権の父は夏希義母ぁ様の父である項夏大頭領に呼び戻され、項家軍属の重責を担うように成った。だから、私や須佐人やヒムカが須佐能王の血に繋がるように、項家二十四人衆と夏羽と熊人は、シャン・ファイ(項淮)の血に繋がるのである。いやもっと遡れば、項羽将軍に繋がる一族である。
この座敷に切られた炉はヒダキ(比多岐)というらしい。昔から各住いの中に作られている炉はジカロ(地火炉)という。そもそも住いの起源は屋根の有る焚き火場だ。だから、炉は地面の上に直接ある。その炉を中心に、土壁を作り屋根を葺いたのが住いである。その為、倉庫にしか使わない小屋以外は、猟の仮屋でも炉がある。
炉の火は、人が人らしく暮らすために欠かせないモノなのだ。暖を取り、煮炊きをし、夜は火明かりを灯し、住いを乾燥させ虫食いから材を守ってもくれる。そして、何よりも家族や一族の温もりを生み出してくれる。だから家から火を絶やすことは出来ない。
火は神様が人に与えて下さった最高の恵みである。その為に、火を司る巫女もいる。項権の説明では「ヒダキは床板を一段切り下げ、その床板が炉の火で燃えないように底石を敷き更に木灰を敷き重ねている」そうである。
「底板の下は通風性が保たれており、土間にそのまま設けたジカロと違い、湿気も吸い上げないので、湿気による火の衰えが無い」そうである。確かに大雨の後などはジカロの火の燃え具合が悪い。あれは地面の湿気が原因だったのかと、項権の博識に今更のように感心した。やっぱり項家軍属上りの近衛二十四人隊は頼りがいがある護衛隊である。これは夏希義母ぁ様からの何にも代えがたい私への恵みである。
更に項権の話では、「炉の底石には軽石を敷き詰めた」そうだ。「軽石は無数の穴があるので保温性が高い」らしい。「だから炉の底板を焼き焦がさないばかりか床下からの寒風も遮り座敷は更に温まる」そうである。更に「この軽石は火の山が作り出した物である」ということだ。そしてこの軽石は健(たける)が運んできてくれたらしい。健はもう何度も私を見舞ってくれているそうだ。なのに私は良く覚えていない。やっぱり私は薄情な女なのかも知れない。
それから、レラ(玲来)フラ(楓良)サラ(冴良)の三人とは良く「秋の海の幸」と題して楽しく舞っていたらしい。しかし、それも覚えていない。どうやらその時の私と今の私は別の私のようである。
豊月女の話では、健といる時の私はまるで健の妻のようであったらしい。私と健は七歳違いである。だからその様子を見た豊月女は、那加妻と日子耳のことが気になったのである。その時の私は健の妻のようだったかもしれない……が、今の私に取っての健は、儒理と同じ歳の可愛い弟でしかない。もしかすると健の妻は高木の神だったのかも知れない。でも健の妻が高木の神なら何故志茂妻に宿らなかったのだろう。それとも神様が私と志茂妻を間違えたのかしら……? いずれにしても不思議な話である。
佐留女が持ってきたシシ肉は、メラ爺からの病気見舞いであった。精をつけて早く正気を取り戻すようにとの心使いである。シシ鍋は佐留女が作ってくれた。だから私の料理番リーシャンは、今回は佐留女の助手である。佐留女はメラ爺の孫娘なのでシシ肉の調理は手慣れたものである。リーシャンも感心してその手さばきを見ている。
母親の宇津女さんは早朝から所用でメラ爺の許に戻っていた。しかし、シシ肉の料理は既に宇津女さんより佐留女の方が上手らしい。そう言いながら「宇津女には内緒ですぞ」と佐留志族長がそっと教えてくれた。
メラ爺はこのところ、宇目(うめ)という山里で暮らしているらしい。そもそも一か所にじっと暮らしていることが苦手なメラ爺にしては珍しいことだ。佐留志族長が言うには「舅殿の話では、『シシはウメのシシが一番じゃ』ということらしくてのう。それに、舅殿は『シシを仕留めたら直ぐに喉元を切り、しばらく沢水に晒して置く』そうたい。それから『皮を剥ぎ肉の塊に切り分けたら岩穴の中で旨くなるのを待つ』らしかったいね。じゃけん、その間は岩穴の入口で暮らしとらすとたい。そいで『そろそろ旨もうなったけん』ちゅうて、ヒミコ様にこのシシ肉を届けたくれた。ちゅう訳ですたい」ということである。
宇目はサルタ族が縄張りとする投馬国の南部の村らしい。海から上がって川をどんどん遡って行った山の中だということである。そもそも投馬国の南部は狗奴国に面した地であるが、宇目は健が暮らしているニシグスク(北城)にとても近い。ニシグスクも山深かかったが、宇目は更に山国のようだ。そして、寒暖差も激しい。でもそのおかげで栗が美味しい。佐留女の話では「ウメはドングリの国なのです」ということである。だから、メラ爺のお気に入りの場所でもある。
更に佐留女の話では「ウメのシシはその美味しいドングリだけを食べて育つのです。だから肉に臭みがありません」ということである。「それに、お祖父様は、獲った猪を直ぐに沢水の中に浸けて血抜きをします。それから、岩穴の冷気に曝して肉を軟らかくするのです」ということである。そう聞かされれば、いちいち美味しそうな話である。
でもこの「岩穴の冷気に曝して肉を軟らかくする」というのが難しい技であり、佐留志族長には真似できない技らしい。それに、佐留女も小さい時に技を習う為メラ爺の供をしたらしいが、岩穴の中は寒くて寒くて凍え死にしそうであった。そう聞かされれば、益々美味しそうな話である。
ふと見ると、既に高牟礼様と倉耳様の口元からは涎が落ち始めている。何故お二人がこの座敷にいるかといえば、「今夜はシシ肉が届いた」と聞きつけた高牟礼様が緊急に長老会議を招集したのである。
ところが長老会議だというのに何故だか倉耳様は酒の入った大きな甕を抱えて嬉しそうに入ってこられた。更に佐留志族長は大きな海の幸を肩に担いでやって来られたし、議題は投馬国の祭り事についてでは無いようである。高牟礼様が言われるには、今日の議題は「私の『快気祝い』について」らしい。
どうやら、私に代って病気見舞いのお礼を取り仕切ってくれるようである。誰が見舞いに来てくれたかも分からない私では「快気祝い」の宴席を開くにしても主催者としては心もとないのであろう。そして私もそう思う。いっそ、そんな古臭い儀式など止めてしまおうかとも思うのだが、年寄達には断じてそんな無礼は許され無いのである。
テルお婆か太布様がいれば私に代って返礼の品々やお礼の宴席を考えてくれるだろうが、私では無理である。だから、投馬国の長老会議に私の「快気祝い」を委ねることにした。でも、やっぱりどう見ても美味しい酒の肴を囲んでの飲み会である。
だから、私は踊り連の要員にと項権も席に着かせた。もちろんシシ肉を前に項権は大喜びである。シシ肉は一頭分届いたらしいので別室で近衛二十四人隊もお相伴出来るようである。これは高牟礼様からの火の座造りのお礼でもあるようだ。
私は、踊り連に引き込まれないようにゆるりゆるりと盃を進めながら佐留女からサルタ族の物語を聞き始めた。佐留女は月琴を抱き根雪をも溶かすような温かみのある陽気な声で歌い語り始めた。私は春の消雪が早まる思いに包まれた。
⇒ ⇒ ⇒ 『第15部 ~ 女王国の黄昏 ~』へ続く
卑弥呼 奇想伝 | 公開日 |
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(その1)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 | 2020年9月30日 |
(その2)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 | 2020年11月12日 |
(その3)卑弥呼 奇想伝 | 第1巻《女王国》 | 2021年3月31日 |
(その4)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第4部 ~棚田の哲学少年~ | 2021年11月30日 |
(その5)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第5部 ~瑞穂の国の夢~ | 2022年3月31日 |
(その6)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第6部 ~イズモ(稜威母)へ~ | 2022年6月30日 |
(その7)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第7部 ~海ゆかば~ | 2022年10月31日 |
(その8)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第8部 ~蛇神と龍神~ | 2023年1月31日 |
(その9)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第9部 ~龍の涙~ | 2023年4月28日 |
(その10)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第10部 ~三海の海賊王~ | 2023年6月30日 |
(その11)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》 第11部 ~春の娘~ | 2023年8月31日 |
(その12)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第12部 ~初夏の海~ | 2023年10月31日 |
(その13)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第13部 ~夏の嵐~ | 2023年12月28日 |
(その14)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第14部 ~中ノ海の秋映え~ | 2024年2月29日 |
(その15)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第15部 ~女王国の黄昏~ | 2024年4月30日 |
(その16)卑弥呼 奇想伝|第1巻《女王国》第16部 ~火球落ちる~ | 2024年9月30日 |
(その17)卑弥呼 奇想伝|第2巻《自由の国》第1部 ~革命児~ | 2024年11月29日 |