著者プロフィール                

       
スポーツ大会と学芸会 〜 私の良き時代・昭和!(その16)

森田 力

昭和31年 福岡県大牟田市生まれで大阪育ち。
平成29年 61歳で水産団体事務長を退職。
平成5年 産経新聞、私の正論(テーマ 皇太子殿下ご成婚に思う)で入選
平成22年 魚食普及功績者賞受賞(大日本水産会)
趣 味  読書、音楽鑑賞、ピアノ演奏、食文化探究、歴史・文化探究

スポーツ大会と学芸会 〜 私の良き時代・昭和!(その16)

スポーツ大会と学芸会

高学年になると市内の学校別対抗ソフトボール大会が毎年開催されていた。五、六年生になると選抜メンバーを選出するのだが、それに残れば結構人気者になれるということもあり、男子生徒は必死でがんばった。

私は六年生にはスラッガーとなり四番を任された。大会が始まる一ヶ月前から早朝練習と居残り練習があった。汗まみれ泥まみれで母も洗濯が大変だったに違いない。

私は練習試合の成績はよかった。ホームランも結構打った。ベースから五〇メートル以上離れた場所にプールと校舎があるが、いつもプールに、また校舎に直接当たる打球を飛ばしていた。絶好調であった。

しかし、本番ともなると状況は一変した。見物人の数が相当いたし、練習とは雰囲気がまるで違う。他の小学校から対戦する選手が来校した。またその小学校の関係者も多数参加した。バックネット裏から一塁側や三塁側は応援合戦ですごいことになっていた。

いよいよ試合開始。私は緊張のあまりガチガチになり、全く体が動かなくなった。こんな体験は初めてだった。三回か四回打席が回ってきたが、気負い負け、いや雰囲気に呑み込まれて全て内野のポップフライ、それも小学生とは思えないほど高く舞い上がった滞空時間の長いフライを打ち、全くいいところがなかった。

結局のところ、あっという間に試合は終わってしまった。今でもフライを打ったことだけしか覚えていない。四番の不甲斐なさで完敗してしまった責任を痛感した。しかし誰も僕に愚痴をいうものはいなかった。それだけが救いであった。

今までの辛い練習は何だったんだろう。何の為に早朝から辛い練習をして来たのだろう。

結果の伴わない自分に対して歯がゆい思いがした。結果が出なかった自分を歯がゆく思ったし、メンバーに対してもすまないという思いでいっぱいだった。人の自分に対する評価というか「あいつはたいしたことなかったな」と思われていないか気になった。このときだけは本当に悔しかった。しかし、今思えばいい体験となったと感じている。

練習と実践とは背負うものが違う。いやその練習が支えとなり実践に活かさなければならないのであるが、私は活かせなかった。メンタルがそこまでタフではなかったようだ。一所懸命した練習であったが何の効果もなかった。精神の強化ができていなかった。

常に平常心を維持することが如何に難しいか思い知らされたが、子供時代にはそんなことを考える余裕もなかった。人一倍負けず嫌いであったので悔しい思いだけがいつまでも心に残った。

六年生のときには学校から健康優良児の推薦を受け大会に出席した。賞の発表は私が広島県福山市に引っ越した後に行われたらしく、当時担任の渡辺先生から賞状と記念品を預かっているので、そのうちに渡しますとのお手紙をいただいた。あれから五〇年以上経過しているがいまだにもらえていない。低学年の時には病弱であった私は六年時には健康優良児となり、一番喜んだのは両親であったに違いない。

この小学校は毎年春になると学芸会が、秋には運動会が行われた。学芸会で思い出に残っているのが五年生の終わりに取り組んだ「バンナナと殿様」という劇だった。

私は百姓頭の役を演じたが衣装も自作でボロボロの服を身に(まと)い、せりふもオーバーないい回しで、私が出るなり会場は大爆笑となった。バンナナとはバナナのことである。

南の島から献上されたバナナの試食と百姓と殿さまとの対話、最後は武士と百姓との戦いとなり、百姓が仕掛けたバナナの皮で武士たちがスッテンコロリンとひっくり返るという喜劇であったと思う。しかし、私の役はいってみれば主役級の役だったようにも記憶している。セリフを覚えるのに一苦労した。

本番ではセリフを忘れてしまう子もいて、わたしが傍でセリフを教えたこともあった。遠くにいた殿さまの奥方役の女の子もセリフを忘れたようで、バナナを食べようとする殿さまに「殿 食べてはいけませぬ」といわねばならないのにセリフを忘れて何もいわない。困りきった殿さまはバナナを食べてしまった。結局止められても食べることになっていたのでそのまま劇は進んだのである。しかし、会場が大爆笑の渦になったことだけが強い印象となって残っているだけで、詳しいストーリなどは殆ど覚えていない。

私の良き時代・昭和! 【全31回】 公開日
(その1)はじめに── 特別連載『私の良き時代・昭和!』 2019年6月28日
(その2)人生の始まり──~不死身の幼児期~大阪の襤褸(ぼろ)長屋へ 2019年7月17日
(その3)死への恐怖 2019年8月2日
(その4)長屋の生活 2019年9月6日
(その5)私の両親 2019年10月4日
(その6)昭和三〇年代・幼稚園時代 2019年11月1日
(その7)小学校時代 2019年12月6日
(その8)兄との思い出 2020年1月10日
(その9)小学校高学年 2020年2月7日
(その10)東京オリンピックと高校野球 2020年3月6日
(その11)苦慮した夏休みの課題 2020年4月3日
(その12)六年生への憧れと児童会 2020年5月1日
(その13)親戚との新年会と従兄弟の死 2020年5月29日
(その14)少年時代の淡い憧れ 2020年6月30日
(その15)父が父兄参観に出席 2020年7月31日
(その16)スポーツ大会と学芸会 2020年8月31日
(その17)現地を訪れ思い出に浸る 2020年9月30日
(その18)父の会社が倒産、広島県福山市へ 2020年10月30日
(その19)父の愛情と兄の友達 2020年11月30日
(その20)名古屋の中学校へ転校 2020年12月28日
(その21)大阪へ引っ越し 2021年1月29日
(その22)新しい中学での学校生活 2021年2月26日
(その23)流行った「ばび語会話」 2021年3月31日
(その24)万国博覧会 2021年4月30日
(その25)新校舎での生活 2021年5月28日
(その26)日本列島改造論と高校進学 2021年6月30日
(その27)高校生活、体育祭、体育の補講等 2021年7月30日
(その28)社会見学や文化祭など 2021年8月31日
(その29)昭和四〇年代の世相 2021年9月30日
(その30)日本の文化について 2021年10月29日
(その31)おわりに 2021年11月30日