新学期から私はこの不良グループに目をつけられ、ことあるごとにいちゃもんをつけられた。彼らは授業には殆ど出席せず、校内で遊んでいた。「勉強しないのなら学校に来なければいいのに」と思ったが、彼らはいつもグループを作って校内でたむろしていた。
生活指導の先生が授業に出るように捕まえ指導するが、誰もいうことを聞かない。逆切れして、先生の胸元をつかみ顔を叩いて押し返すということを繰り返していた。
女生徒も同じであった。この子らは何のために学校に来ているのか。彼らの行為が学校の印象を悪くしていると同時に授業は遅れ、三学期なのに教科書の半分程度しか進んでいないのである。クラスメイトに迷惑をかけながら平然と好き勝手な行為を繰り返すことに対して、生徒も一丸となって注意するのではなく、媚びへつらっている。
教師も彼らを恐れている。こんなことでいいのかと思った。結局私は不良グループに捕まり、屋上まで連れて行かれ、顔面を二~三発殴られたことがある。しかし、ひるまなかった。顔は見る見る晴れ上がり、翌日、目の回りは黒くなっていた。
翌日父が学校に出かけて抗議をした。生活指導の先生は二度と起きないように注意したいと、謝罪かなんかわからない弁解がましいことをいった。と同時に「君もあまり刺激しないようにしてほしい」と注意された。実はこの生活指導の教師は私が不良グループに屋上まで連れて行かれたことを目撃しており、一部始終を見ていたともいっていた。
「暴行行為をとめないで、見ていたとは教師の風上にも置けない人だ」と、父も私もあきれ返った。教師が放ったこの言葉に、「仲裁に入り私を助けるのが教師の役割だろう」と反論する気にもなれなかった。こんな人間が生活指導の教師をしている学校なんてろくでもないと思い、この事件以来教師を信じることができずついていけなくなったのである。
その後、ひるまなかったことが功を奏したのか、この事件以降このグループの番長と話をするようになっていた。
この学校は差別と平和・人権活動に力を注いでおり、社会的問題や、校内での差別行為などがあれば授業をつぶして、全校集会を連日開いていた。授業は進まず、その分授業は遅れ、各単課の課程はほとんどが達成できていなかった。
朝礼で校長先生の挨拶中でも、不良グループのある者は座り込み、ある者はうろうろと徘徊している。なぜ人権や平和や、差別などに力を置いている学校で礼儀のないこのような行為がまかり通るのか、なぜこれを是正できないでいるのか、わたしは生徒の甘えの構造にメスを入れることこそが必要といつも感じていた。連日の集会では誰一人も反省しないし、時間をむやみに消費しているに過ぎない本当に無意味な時間だと思った。
一年生の体育はマラソンばかり、連日走るだけだった。学校を出て付近の池を通り、食肉工場を回り、帰ってくるコースであった。毎日毎日走っていた。中には走らず遊んでいるものもいた。この学校はまじめに取り組むものが損をするような学校であった。差別や人権というところに限って逆のパターンに陥っている。ここには人権なんてものは存在しないと思った。来る日も来る日も学校集会で、集められた生徒はだらだらと無意味な時間を過ごしている。誰一人として、真剣に考えているものはいない。授業そっちのけである。ここはまともではないなと将来への不安が大きくなった。
二年生になると、柔道部の顧問の怖い先生が赴任してきた。朝礼のときに列を乱した不良にたいして、この顧問は足払いをして倒した。砂埃が舞い上がった。不良は「先こう、お前なにすんじゃ」といって起き上がったが、顧問は「列を乱すな、人の話をチャンと聞け、承知せんぞ、文句があるなら放課後体育館へ来い」と大声で注意した。その一撃で不良は撃沈、先生に謝り一件落着した。
「不良でも怖い先生に代わると神妙になるんだ」と思った。
やはり悪を懲らし身を守るためには力が必要なんだとつくづく感じた。
二年から学級委員長となり。忙しい日々を送った。不良も顧問がいないときといるときとでは一八〇度態度を変えた。授業にも毎回出ないので、委員長の私はいつも探しにいき連れ戻した。その間私が授業に出られないことになってしまった。損な役回りだ。
ある時連れ戻そうと腕をつかんで教室前に来たとき、社会の先生と遭遇した。これを見た不良が、「こないだの点のつけ方は何や」といって突然暴れだした。その先生の胸元をつかみ二~三発顔を殴ってしまったのだ。先生の鼻からは、血が滴り落ちていた。学生の校内暴力事件としてまた授業がストップ。翌日も全校生徒が集められ反省会を終日行ったのである。
以上の件がなければ居心地のよい学校であったと思うが、当時荒れた学校の一つとして市内でも有名であった。私としては一日も早く卒業したかった。
私の良き時代・昭和! 【全31回】 | 公開日 |
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(その1)はじめに── 特別連載『私の良き時代・昭和!』 | 2019年6月28日 |
(その2)人生の始まり──~不死身の幼児期~大阪の襤褸(ぼろ)長屋へ | 2019年7月17日 |
(その3)死への恐怖 | 2019年8月2日 |
(その4)長屋の生活 | 2019年9月6日 |
(その5)私の両親 | 2019年10月4日 |
(その6)昭和三〇年代・幼稚園時代 | 2019年11月1日 |
(その7)小学校時代 | 2019年12月6日 |
(その8)兄との思い出 | 2020年1月10日 |
(その9)小学校高学年 | 2020年2月7日 |
(その10)東京オリンピックと高校野球 | 2020年3月6日 |
(その11)苦慮した夏休みの課題 | 2020年4月3日 |
(その12)六年生への憧れと児童会 | 2020年5月1日 |
(その13)親戚との新年会と従兄弟の死 | 2020年5月29日 |
(その14)少年時代の淡い憧れ | 2020年6月30日 |
(その15)父が父兄参観に出席 | 2020年7月31日 |
(その16)スポーツ大会と学芸会 | 2020年8月31日 |
(その17)現地を訪れ思い出に浸る | 2020年9月30日 |
(その18)父の会社が倒産、広島県福山市へ | 2020年10月30日 |
(その19)父の愛情と兄の友達 | 2020年11月30日 |
(その20)名古屋の中学校へ転校 | 2020年12月28日 |
(その21)大阪へ引っ越し | 2021年1月29日 |
(その22)新しい中学での学校生活 | 2021年2月26日 |
(その23)流行った「ばび語会話」 | 2021年3月31日 |
(その24)万国博覧会 | 2021年4月30日 |
(その25)新校舎での生活 | 2021年5月28日 |
(その26)日本列島改造論と高校進学 | 2021年6月30日 |
(その27)高校生活、体育祭、体育の補講等 | 2021年7月30日 |
(その28)社会見学や文化祭など | 2021年8月31日 |
(その29)昭和四〇年代の世相 | 2021年9月30日 |
(その30)日本の文化について | 2021年10月29日 |
(その31)おわりに | 2021年11月30日 |