著者プロフィール                

       
流行った「ばび語会話」 〜 私の良き時代・昭和!(その23)

森田 力

昭和31年 福岡県大牟田市生まれで大阪育ち。
平成29年 61歳で水産団体事務長を退職。
平成5年 産経新聞、私の正論(テーマ 皇太子殿下ご成婚に思う)で入選
平成22年 魚食普及功績者賞受賞(大日本水産会)
趣 味  読書、音楽鑑賞、ピアノ演奏、食文化探究、歴史・文化探究

流行った「ばび語会話」 〜 私の良き時代・昭和!(その23)

 この当時は話し言葉の「ばび語」会話が女子の間で流行った。最初聞いたときはびっくりした。言葉一音の間に「あ行は、い行は、う行は、え行は、お行はぼ、んの後は」を入れる簡単な会話なのであるが取り組むとなかなかできない。例えば「こんにちは」は「こ」ということになる。「ごはん」は「ご」、「ラーメン」は「らあめん」と置き換えて「ら」小さい「っ」(促音)は何もつけない。「バッター」なら「ばばったばあば」となる。小さい「ゃゅょ」(拗音)は母音を意識して入れる。「チャンス」は「ちゃ」となる。

 女の子たちはこの会話で日常を過ごしているのだ。また速さを競うものだから、何を言っているか全くわからない。このような会話は誰が持ちこんだものか、何処から広がったのか良く知らないが、その内「ばびぶべぼ」に対抗すべくそれ以外の置き換え会話もひろまり、大変な状況となったのである。勉強のできない女子が凄く流暢に話していたのには驚かされた。「こんなことを必死になるならもっと通常の勉強をすれば」と思ったが彼女らには勉強とは違う別ものということらしい。しかしこのブームも長続きはせず、いつの間にか下火となっていった。しかし、いろいろと考えるものだと感心するしかなかった。

私の良き時代・昭和! 【全31回】 公開日
(その1)はじめに── 特別連載『私の良き時代・昭和!』 2019年6月28日
(その2)人生の始まり──~不死身の幼児期~大阪の襤褸(ぼろ)長屋へ 2019年7月17日
(その3)死への恐怖 2019年8月2日
(その4)長屋の生活 2019年9月6日
(その5)私の両親 2019年10月4日
(その6)昭和三〇年代・幼稚園時代 2019年11月1日
(その7)小学校時代 2019年12月6日
(その8)兄との思い出 2020年1月10日
(その9)小学校高学年 2020年2月7日
(その10)東京オリンピックと高校野球 2020年3月6日
(その11)苦慮した夏休みの課題 2020年4月3日
(その12)六年生への憧れと児童会 2020年5月1日
(その13)親戚との新年会と従兄弟の死 2020年5月29日
(その14)少年時代の淡い憧れ 2020年6月30日
(その15)父が父兄参観に出席 2020年7月31日
(その16)スポーツ大会と学芸会 2020年8月31日
(その17)現地を訪れ思い出に浸る 2020年9月30日
(その18)父の会社が倒産、広島県福山市へ 2020年10月30日
(その19)父の愛情と兄の友達 2020年11月30日
(その20)名古屋の中学校へ転校 2020年12月28日
(その21)大阪へ引っ越し 2021年1月29日
(その22)新しい中学での学校生活 2021年2月26日
(その23)流行った「ばび語会話」 2021年3月31日
(その24)万国博覧会 2021年4月30日
(その25)新校舎での生活 2021年5月28日
(その26)日本列島改造論と高校進学 2021年6月30日
(その27)高校生活、体育祭、体育の補講等 2021年7月30日
(その28)社会見学や文化祭など 2021年8月31日
(その29)昭和四〇年代の世相 2021年9月30日
(その30)日本の文化について 2021年10月29日
(その31)おわりに 2021年11月30日