都島工業高校は特別体育が厳しく絶対といっていいほど休めない。休むと地獄の特訓が夏休み前や冬休み前に待っている。決して逃れることはできない。これは先輩らの申し送り事項であった。「体育は舐めたらあかんぞ」と。
六月になると地獄の水泳が始まる。この学校にはプールはなく実験用の水槽が当時プールとして活用されていた。
水深は二~二・五メートルを超える深いもので恐怖の水槽として恐れられた。一年のときは、先ず立ち泳ぎから始まる。課題は三分間の立ち泳ぎである。準備体操の後、「全員プールに入れ」といわれ、全員水槽に落とされ、今から泳げといって笛を吹き時計に目をやった。プールサイド近くで泳いでいると竿で中央に押されるのである。しかしはじめての生徒には三分も泳げるわけがない。水深が深く立つこともできない。恐怖のあまり結局プールサイドに摑まることになるが、今度は竹刀で手を叩かれる。おぼれかけた時にはじめて竿で助けてくれるという授業であった。とんでもない授業だ。これは授業ではなく生徒への虐待だ。一年の第一回目の水泳の授業がこんなに苦しい授業とは思ってもみなかった。「ここは海軍兵学校か」と思った。夏は始まったばかりだ、この先の水泳の授業が憂鬱でならなかった。
雨が降ると水泳は中止となり体育館で柔軟の授業となる。体育の日には雨になるように生徒全員で神に祈った。しかし、水泳の前日は雨でも当日にはカラッと晴れて、生徒の期待が裏切られることが多々あった。
一部の生徒は辛抱できずに水泳の授業をボイコットする事件が発生した。クラスの八人で体育を無断欠席したのである。私は加担しなかったが、その気持ちも十分理解できた。しかし、結局八人は放課後教師に呼ばれ「お前ら、ええ根性しとるやなか」といわれ、体育館で二~三時間しごかれたのだった。それ以来誰も水泳は欠席せず参加した。
この学校は体育祭も想像を超えたもので相当凄い。とにかくスケールが大きい。各科の対抗で優勝を競うのだが、そのための応援合戦がとても熱く凄い。一年~三年生全員が陣を引く応援席と舞台が作られ、バックパネルには各科が巨大な絵を描くのである。体育祭の一~二ヶ月前から応援の練習をする。バックの絵のほうも芸術家が描く本格的な絵で大変素晴らしいものである。運動会の前日からやぐらを組みスタンドを組み立てる。全て生徒が一丸となって取り組むのだ。一年の頃には「ここまでするか」と思い、すこし冷めて参加していたが、二~三年の真剣なまなざしをみてちょっと異様な感じもした。
しかし本番になるとその凄さに心酔してしまった。各科対抗なので気持ちが一つになるのだ。土木科で一年から三年で二四〇名がスタンドに上がり応援をする。各科独自の伝統がある応援合戦である。参加してみて、初めて理解できた。本当に心から熱くなるのである。自然に声も出るし手も叩き科全体が一つになる。これは参加しないとわからない一種独特の雰囲気がある。これこそが先輩たちが造ってきた伝統なんだな、とつくづく思った。今までに感じたことがないものであった。今も続いているのかどうかわからないが、必見の価値はある。機会があればもう一度参加してみたいものだ。
体育の話に戻るが、結局私は一学期に病欠で三時間ほど休んでしまった。そのため補習で単位を取得するようにと夏休み前に担任から呼び出しを受け、学校に行くことにした。すると体育課教員室の窓に貼り紙がしてあり、一時間当たり学校の外周を一五周、欠席三時間なので合計四五周を走ることとの掲示がされていた。一週ごとに教官室にカウントを報告することになっており、ごまかしはできないのだ(一周するごとに教官室のホワイトボードに正の字を書いていくことになっていた)。学校の外周は約八〇〇メートルはある。それを四五周、考えただけで気が遠くなる。簡単に計算しても三六キロを越える。何時間かかるのかと思ったし、走れるのかなとも思った。なんという無茶苦茶な補講なんだ、この学校は人間扱いしていないと思った。
朝から走り出し午後も夕暮れ頃まではかかったろうか。走り終わったときには肉刺は破れ、ふくらはぎはパンパンに腫れ、歩けない状況だった。靴は履けず、安物のぞうりを買い、足をひきずって家まで帰った。翌日は足が張って歩けず、湿布薬を足全体に貼って横になっていた。それでも痛い。しかし若いというのは特権で、二~三日で回復した。
えらい学校に来たものだな、先が思いやられる、軍隊の教練みたいだなと思った。それ以来、どんなことがあっても体育だけは出席しようと誓った。
私の良き時代・昭和! 【全31回】 | 公開日 |
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(その1)はじめに── 特別連載『私の良き時代・昭和!』 | 2019年6月28日 |
(その2)人生の始まり──~不死身の幼児期~大阪の襤褸(ぼろ)長屋へ | 2019年7月17日 |
(その3)死への恐怖 | 2019年8月2日 |
(その4)長屋の生活 | 2019年9月6日 |
(その5)私の両親 | 2019年10月4日 |
(その6)昭和三〇年代・幼稚園時代 | 2019年11月1日 |
(その7)小学校時代 | 2019年12月6日 |
(その8)兄との思い出 | 2020年1月10日 |
(その9)小学校高学年 | 2020年2月7日 |
(その10)東京オリンピックと高校野球 | 2020年3月6日 |
(その11)苦慮した夏休みの課題 | 2020年4月3日 |
(その12)六年生への憧れと児童会 | 2020年5月1日 |
(その13)親戚との新年会と従兄弟の死 | 2020年5月29日 |
(その14)少年時代の淡い憧れ | 2020年6月30日 |
(その15)父が父兄参観に出席 | 2020年7月31日 |
(その16)スポーツ大会と学芸会 | 2020年8月31日 |
(その17)現地を訪れ思い出に浸る | 2020年9月30日 |
(その18)父の会社が倒産、広島県福山市へ | 2020年10月30日 |
(その19)父の愛情と兄の友達 | 2020年11月30日 |
(その20)名古屋の中学校へ転校 | 2020年12月28日 |
(その21)大阪へ引っ越し | 2021年1月29日 |
(その22)新しい中学での学校生活 | 2021年2月26日 |
(その23)流行った「ばび語会話」 | 2021年3月31日 |
(その24)万国博覧会 | 2021年4月30日 |
(その25)新校舎での生活 | 2021年5月28日 |
(その26)日本列島改造論と高校進学 | 2021年6月30日 |
(その27)高校生活、体育祭、体育の補講等 | 2021年7月30日 |
(その28)社会見学や文化祭など | 2021年8月31日 |
(その29)昭和四〇年代の世相 | 2021年9月30日 |
(その30)日本の文化について | 2021年10月29日 |
(その31)おわりに | 2021年11月30日 |