著者プロフィール                

       
死への恐怖 〜 私の良き時代・昭和!(その3)

森田 力

昭和31年 福岡県大牟田市生まれで大阪育ち。
平成29年 61歳で水産団体事務長を退職。
平成5年 産経新聞、私の正論(テーマ 皇太子殿下ご成婚に思う)で入選
平成22年 魚食普及功績者賞受賞(大日本水産会)
趣 味  読書、音楽鑑賞、ピアノ演奏、食文化探究、歴史・文化探究

死への恐怖 〜 私の良き時代・昭和!(その3)

死への恐怖

しかし、この時の体験が私を苦しめることになる。死の恐怖を目の当たりにしたことにより、常に私の脳裏に「死」という恐怖が付きまとうようになった。死への恐れから夜もオチオチ寝ることができなくなってしまった。寝床に入っても目をつぶるのが怖かった。「寝た後にちゃんと翌朝に目覚められるのか」と心配するだけで寝付けない。寝返りを打ちながら死の恐怖と戦いながら泣いているうちに寝てしまうという毎日であった。

本当に夜になるのが怖かった。毎日が「寝た後このまま死んでしまうのではないか」と不安で不安でたまらない。また、「あす祖母のように痩せこけて死ぬかもしれない」という恐怖感が私の心から離れなくなった。時には目をつぶると大きな目が見えるのである。そうなると目をつぶるのが怖い、寝るのが怖い。夜になるのが極度に怖くて涙が出た。その結果、寝不足が続き、学校では終始睡魔と戦った。子供ながらも大変苦しい日々を過ごした。

この苦しい体験は両親や先生、それに友達にも話すことはできなかった。小学生ながら自分で乗り越えるしかなかった。

小学校三年生の頃、私は風邪をこじらせ肺炎を患い、高熱と息苦しい咳の症状が連日続いたことから、より一層、死の恐怖が襲い掛かってきた。高熱で意識は朦朧となり、食べることもできない状況であった。体も日々細っていった。

「これで死んでしまうのか。僕が死んだら両親は悲しむだろうな」そんなことを考えながら高熱に耐えていた。しかし一方で、「こんな病気に負けてたまるか」という病に向き合う自分がいたのである。

しかし素晴らしい医者との出会いと献身的な家族の励ましを受けながら、肺炎という病気と戦うことでこの死の恐怖を克服することができたように思う。完治まで数ヶ月間学校を休むこととなった。

その後完治するまで抗生物質の治療を受けたが、それが原因となりアレルギー性皮膚炎を患った。

私の良き時代・昭和! 【全31回】 公開日
(その1)はじめに── 特別連載『私の良き時代・昭和!』 2019年6月28日
(その2)人生の始まり──~不死身の幼児期~大阪の襤褸(ぼろ)長屋へ 2019年7月17日
(その3)死への恐怖 2019年8月2日
(その4)長屋の生活 2019年9月6日
(その5)私の両親 2019年10月4日
(その6)昭和三〇年代・幼稚園時代 2019年11月1日
(その7)小学校時代 2019年12月6日
(その8)兄との思い出 2020年1月10日
(その9)小学校高学年 2020年2月7日
(その10)東京オリンピックと高校野球 2020年3月6日
(その11)苦慮した夏休みの課題 2020年4月3日
(その12)六年生への憧れと児童会 2020年5月1日
(その13)親戚との新年会と従兄弟の死 2020年5月29日
(その14)少年時代の淡い憧れ 2020年6月30日
(その15)父が父兄参観に出席 2020年7月31日
(その16)スポーツ大会と学芸会 2020年8月31日
(その17)現地を訪れ思い出に浸る 2020年9月30日
(その18)父の会社が倒産、広島県福山市へ 2020年10月30日
(その19)父の愛情と兄の友達 2020年11月30日
(その20)名古屋の中学校へ転校 2020年12月28日
(その21)大阪へ引っ越し 2021年1月29日
(その22)新しい中学での学校生活 2021年2月26日
(その23)流行った「ばび語会話」 2021年3月31日
(その24)万国博覧会 2021年4月30日
(その25)新校舎での生活 2021年5月28日
(その26)日本列島改造論と高校進学 2021年6月30日
(その27)高校生活、体育祭、体育の補講等 2021年7月30日
(その28)社会見学や文化祭など 2021年8月31日
(その29)昭和四〇年代の世相 2021年9月30日
(その30)日本の文化について 2021年10月29日
(その31)おわりに 2021年11月30日