藤原氏の轍 -正史に埋もれた物語-

No,037

森田 力

NO.37 森田力

作品紹介

NO.37 森田力

藤原氏の轍 -正史に埋もれた物語-

森田 力

中臣鎌足から続く藤原家の歴史に“肉迫”

飛鳥時代から戦国時代まで、連綿と続く藤原氏千年の歴史。
そこには、歴史の教科書に載っている事実では語りきれない、何千何百の魂がこもっている。
藤原家の末裔である著者が、先祖と向き合った先に見つけた本当の物語とは何か。
日本史を俯瞰するだけではわからない、調べれば調べるほど浮き彫りになる無数の物語は、やがて一本の“線”につながっていく。
栄枯盛衰を繰り返す歴史のうねりを体感せよ。

プロフィール

NO.37 森田力

森田 力

昭和31年 福岡県大牟田市生まれで大阪育ち。
平成29年 61歳で水産団体事務長を退職。
平成5年 産経新聞、私の正論(テーマ 皇太子殿下ご成婚に思う)で入選
平成22年 魚食普及功績者賞受賞(大日本水産会)
趣 味  読書、音楽鑑賞、ピアノ演奏、食文化探究、歴史・文化探究

座右の銘

至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり

座右の銘を一つだけ選ぶとなると大変困ってしまいます。状況次第で色々な座右の銘が湧き出てくるからです。例えば「一期一会」「明目張胆」「一所懸命」「知るとは行うことである」「足るを知る」「武士道とは死ぬことと見つけたり」「感謝の言葉が人を育て、感謝の言葉が自分を育てる」「今日できること明日まで延ばすな」「自ら行動しない者に天は救いの手をさしのべない」等々。ただその中でも心に留めているのが、この吉田松陰の言葉です。言葉の原典は孟子といわれています。誠(真心)を尽くして行動すれば動かしえないものはこの世に存在しないという意味で、松陰は死に当たってもこの言葉を実践しました。30歳にも満たない若き松陰の死を超えた生き様(至誠)は門下生の心を動かし明治維新へと繋がることとなります。
しかし、いざ知的階層が幾重にもなり価値観が多様化した現実社会において、これを実践するとなるとなかなか難しいことです。私としてはどのような状況にあろうとも、少しでもこの気持ちを忘れず事に当たりたいと常に思っています。

書籍に込めた想い

最初の動機は母に見せられた家系図から自分のご先祖を辿っていきたいと思い、漠然と思うがままに執筆していました。しかし、家系図と真正面から向き合いじっくりと眺めていると、どのようにまとめるべきなのか、自分なりに見えてきたというわけです。取り敢えず中臣鎌足の先祖から取り組もうと思い、その後は系図に従いつつ時代を下って論じていこうと考えました。
しかし、藤原氏を取り巻く話は時代の中心的展開そのものといってよく、そうなると家系図以外の重要人物にも焦点を向け論じる必要が出てきました。
天皇家はもちろん蘇我氏や物部氏についても触れなければならない。特に古代の歴史上最大の功績を齎(もたら)した聖徳太子の内的外的の事跡については避けては通れない。太子を論じていく中で「天皇の地位とは」という点を私なりに明確にする必要があり、語っていくうちに現在の皇位継承の危機について私見をまとめたと言うわけです。大化の改新や崇峻(すしゅん)天皇、悲劇の親王についても触れました。
 藤原家の存続で敵対する重要人物も避けては通れません。長屋王や私の家系の祖である藤原真夏が失脚した原因(薬子の乱)や、菅原道真、第4章では道教について、また藤原四家の同族同士の敵対などにも触れています。
 私が河内に住んでいることもあり武家社会を築いた源氏(特に河内源氏)についても執筆しようと考え、取り組んだのですが、源氏を書くとなると平氏を書かないわけにはいかなくなったというわけです。
 藤原北家から日野家へと移りますが日野家の偉人の一人とされる親鸞については当初から書きたいと考えていました。参考文献にも恵まれ、人間親鸞の一面を味わえる面白い内容になっていると思います。また室町幕府において活躍した日野富子(日本の三大悪女の一人とされている)についても、本当に悪女なのかどうか私なりに検証しようと考えまとめてみました。また本能寺の変や秀吉の天下取りについて述べ、大津山家の歴史や肥後国国衆の動向についてまとめました。
 大津山家の敵である憎き安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)の事跡についても敢えて触れようと考えまとめてみました。佐々成政も調べるうちに不運の武者であるように感じました。執筆中は広範囲な出会いがあり、思うがままに正面からぶつかりつつ夢中で書いてきたと思っています。一先ず今回完成いたしましたが不十分な点もあると思いますので、機会があればまた補足した作品を書きたいと考えています。

インタビュー

刊行された今のお気持ちはいかがでしょうか。

自分の人生において初めてテーマを見出し、がむしゃら且つ真摯に執筆し、この度『藤原氏の轍』として発刊されることとなり今は感無量といったところです。この発刊には幻冬舎ルネッサンス新社の編集担当者のご協力なくしては出来なかったと心から感謝しています。校正や加筆修正など大変でしたが、作品と向き合い当時に生きた魂と語らいながら作業を進めてきました。
歴史には全くの素人である私が、ご先祖の家系を辿っていくというある意味無謀とも思われることに挑戦をしたわけですが、私なりの言葉で子孫へメッセージが残せたのではないかと思っています。辛い事よりご先祖と、一体になれたことが楽しい時間でありました。是非読んでいただき日本の歴史を精一杯歩んだ方々の思いを少しでも感じていただければと存じます。そして歴史に少しでも興味を抱いてくれればと願っています。

今回出版しようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

この本の「はじめに」でも触れていますように、母から見せられた数枚の家系図写真が切っ掛けとなりました。母の祖母が大津山家から嫁いできたということで女系となるのですが、その大津山家の家系図を見せられて大きな衝撃を受けたことを今でもはっきりと覚えています。この家系図との出合いがこの本を執筆する動機付けとなりました。
私にできるのか戸惑いもありましたが、私が自分の言葉でご先祖の足跡を辿っていこうと決心し、取り組んでいきました。藤原家から日野家、そして大津山家へ。また九州の大名や肥後の国人領主の動向など歴史の地層に埋もれた歴史を私なりに掘り返していこうと考えたのです。

どんな方に読んでほしいですか?

個人的な家系図が中心ですが、藤原氏の家系なので日本の歴史を見通せるものになっていると思います。学生を始め歴史の好きな方は是非お読みいただければと存じます。
第一章には聖徳太子の功績の話から世襲親王家と現皇室の後継危機についても触れています。また天皇家の系図については皇后や側室の名と親王の関係をチャートにし掲載していますので、また違った見え方がするのではないかと思います。私の勝手な判断で執筆しており、ある意味内容が広範囲にわたっておりますが、我慢して私についてきてほしいと思います(もちろん、興味のある章から読むことも一向に構いません)。

座右の一冊

私の個人主義

著:夏目漱石

これは夏目漱石の講演録であります。明治の末期から大正にかけて行われた講演5編(「道楽と職業」「現代日本の開化」「中味と形式」「文芸と道徳」「私の個人主義」)で構成されています。100年以上が経過した今日においても錆びつくことがなく、未だに光輝いているといってよい。そこには人間として膝を打つような至言が示されており、心に響く内容であると思います。まさに漱石文学の原点を見るようです。

ここが魅力

特に、私の個人主義には「自分の幸福のために自分の個性を発展していくと同時に、その自由を他にも与えなければ済まん事だと信じて疑わない(人格のない者が無暗に発展させようとすると人を妨害する)」「自己が所有する権力を使用するなら、それに付随する義務を心得なければならない(同じく権力を乱用しようとする)」「自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならない(同じく社会の腐敗をもたらす)」と述べ、ある程度の倫理的修養を積んだ人でなければ個性を発展させる価値、権力や金力を使う価値もないと漱石は主張しています。これらを使うためには「どうしても人格(教養)のある立派な人間になる必要がある」と結論付けるのです。漱石の自己本位は自分の意見だけを尊重する身勝手なものではないことがわかります。
この講演録には人としてどうあるべきかの珠玉の言葉がちりばめられています。

ヒストリー

HISTORY 01

昭和31年7月に福岡県で生を享けた私は両親とともに4歳か5歳で大阪の地に移り住んだのです。その後の経過については「連載 私の良き時代昭和」を読んでいただければと思います。 上の写真は昭和55年(23歳)、水産関係団体に採用された時に撮った写真です。  この時は長男も生まれており、生活のために必死になって働くことしか頭にありませんでした。当時は早朝出勤(事務職で6時出勤)ということもあり、毎日片道35キロを車通勤していました(当時第2次オイルショックの影響でレギュラーガソリンが1L180円程でしたので家計の負担が大きく、その後ディーゼル車に替えました)。業務の終わりが午後2時でしたので帰宅後は自由な時間もあり、読書(歴史や批評文学)をしたり水産についての勉強をしたりしていました。この頃に勉強したことが今回にも生かされたのではないかと思います。この当時細君の両親には本当にお世話になりました。両親は恩を売るようなことは一切ありません。いつも自然体で心から応援してくれました。私はこうした心静かな親の支えに現在も心底感謝しています。

HISTORY 02

水産関係団体に在職中(平成20年頃か?)、食育と魚食普及活動に取り組んでいた時に、大阪長居公園の自然史博物館にて流通の仕組みや、魚の旬、鮮度の見分け方そして魚クイズなどを行った時の写真です(説明しているのが筆者)。この時は夏休みということもあり屋外のテラスで「お魚教室」を開催しました。猛暑だったのですが沢山の子供たちが熱心に私の話を聞いてくれました。しかし消費者は魚の現状について全く知らないというのが実情であり、日本の和食文化の危機を感じていました。

HISTORY 03

平成22年度魚食普及功績者感謝状(大日本水産会 現総裁は秋篠宮様)を授与されました。赤坂の三会堂ビル9階の石垣記念ホールにて表彰式が行われ、その後屋上で記念撮影が行われました。この時の写真です。授賞理由は関西圏での魚食普及(特に鮭)と市場の買い出しツアーの展開、高校生以下を対象とした「お魚絵画コンクール」の開催、水産業と他業種との連携による魚食普及の功績ということでした。 この頃は周りの方々のご協力を得て毎日が充実していたと思います。

HISTORY 04

平成28年7月(59歳)に市民公開講座があり水産流通と現状と課題について解説をしたもので、これが水産の業界紙に取り上げられたというわけです。老若男女のかたが出席され興味深く熱心に聞かれていました。私が本を書いたというと「水産関係の本ですか」と聞かれるのですが、「歴史関係の本です」と答えると驚かれるのです。

人生を変えた出会い

仕事が早く終わるので時間も出来、読書が大変好きになり評論も読むようになりました。産経新聞の正論やミニ論説なども読んでいました。学生時代から小林秀雄は読んでいましたので、その関係で知ったのが岡潔氏(数学者)や福田恒存氏(劇作家、文芸評論家、翻訳家)そのお弟子さんである松原正氏(元早大名誉教授)、留守晴夫氏(元早大教授)でした。
小林秀雄と坂口安吾の対談(『小林秀雄対和集 伝統と反逆』講談社 昭和41年発行)は有名で、引用すると坂口が「小林の跡取りは福田恒存という奴だ。これは偉いよ」というと小林は「一度家に来たことがある。あんたは実に邪魔になる人だといっていた」。すると坂口が「あいつは立派だ。小林から脱出するのをもっぱら心掛けたようだ」。小林は「福田は痩せた鳥みたいな人でね、いい人相をしている。良心を持った鳥のような感じだ」。最後に坂口は「あの野郎一人だ、批評が生き方だという人は」で対談は終わっています。小林氏が福田氏のことを「良心を持った鳥のようだ」と言っていますが、その的確な印象描写は見事に言い当てていると私は思いました。
私は晩年の福田先生に手紙を送ったことがあり、福田先生からは50年前に訪問されたというミラノの少し黄ばんだ絵葉書に知的文学者として品位のある謙虚で丁寧な返事を書いて返送いただきました。その文面に感動したのを今でもはっきりと覚えています。
その後、個人的には松原先生にもお手紙を書き(平成3年頃)、以来25年間にわたってお付き合いいただきました。平成5年には産経新聞の「皇太子殿下御成婚に思う」というテーマで論文を応募したところ、運よく佳作入選しました。この論文審査には辻村明氏(元東大名誉教授)が選考委員の一人であり、私の論文に対して「若い世代でありながら、皇室と天皇についてしっかりとした考えをもった内容で驚いている。日本の将来が明るく思えた」との評価をいただいたと記憶しています。
書物については小林秀雄の他に、小泉信三、森信三、福田恒存、松原正氏の全集や渋沢栄一の論語講義などにも触れました。
私が水産流通に関係したこともあり、最近では鯨のスペシャリストである小松正之氏(元IWC・国際捕鯨委員会日本代表代理、現在東京財団上席研究員)とも親しくさせていただいています。小松氏の歯に衣着せぬ切っ先の鋭い刺激的な発言は論壇にはなくてはならない存在であると思います。私も先生にあやかりたいと思うのですが大変難しいことです。

未来へのメッセージ

<今後の希望>
私としては、以前から考えているテーマ(シベリア抑留者の苦悩と歴史)があり、これについて書き残したいと考えています。このシベリア抑留関係ではこれまで沢山出版されていますが、戦争についても大津山家の方が第137師団野砲連隊長であり、北朝鮮の三合理で終戦を迎えたことや、私の義父もシベリア抑留者であったことなどから、敗戦による邦人の苦悩を書いてみたいと思っていました。現在も模索状態ですが戦争原因などとともに書いてみたいと思っています。
<展望と若い方へのメッセージ>
 少子高齢化が進み益々年金医療など若い人たちの負担が大きくなっていきます。
将来を語る時には人口の推移を無視することは出来ません。人口問題研究所の統計では2065年には31%も人口が減少し約8700万人となり、100年後には2分の1になると予測されています。21世紀は日本の人口が大幅に減少する世紀であるといえます。また、戦後の核家族化が帰結するところは、家族もいない孤独な単身生活者を多く生んでしまうことだろうと考えます。全世帯に占める単身世帯の比率は2010年では30%を超え、2040年の将来は40%を超えるという数字が示されています。
 人口減少が齎(もたら)す負の要因(需要不足による経済危機、税収減による財政危機、年金破綻の危機、地方の危機等々)ばかりが将来の危機として声高に叫ばれていますが、これらは政治の取り組み次第で何とでも対応できるものです。しかし、単身世帯が増える中で歴史や文化面、また個人の道徳(常識や情緒)を継承していく問題となると、どうしても政治では解決しない領域がでてきます。日本の大宗をなす日本人としての心の伝統と文化を常に意識し学んでいただきたいと存じます。
そのためにも、日々過ごしている取り返しのきかない時間(現実)というものを無駄に過ごすのではなく、大切かつ誠実にじっくりと付き合いつつ生きていってほしいと思います。