著者プロフィール                

       
第九話「異変」 〜 泥沼の底から光の射す大空へ(その9)

さくら

三重県出身、1976年生まれ。
子供の頃から本が好きで、小説、漫画、アニメなどあらゆるジャンルの作品を見ます。

第九話「異変」 〜 泥沼の底から光の射す大空へ(その9)

 空は2年生になってから、学校へ行かない日がだんだん増えました。

私は何とかして行かせようとし、空とけんかしました。

 大好きなとても大事な空を嫌いだとも思いました。

もうどうしていいのか分からずにとても悩みました。

普通ならこんな時は夫に相談するものですが、空が学校に行っていないなんて言ったらどうなるか、考えただけでも恐ろしくて言えませんでした。

 空が休んで家にいると、仕事に出て行ったはずの夫が突然帰ってきたり、大ピンチだったと後から空に聞いたりしました。

 空はもう、こんな家は嫌だと言います。私も本当に嫌でした。

空に言い聞かせて、きちんと学校へ行って、ちゃんと高校へ行ける様にしないといけない。とても遠い寮のある高校へ行けば父ちゃんと会わずに暮らせるのではとか、私にとって、それは一番の生きがいである空と離れて暮らさなければならない事で、夫と二人きりになったら何も楽しみが無くなってしまう様な気がして、本当はとても嫌な事だったのですが、空の為だと思い話し合いました。

空とは時間があれば何度も高校をどうするかについて話し合いました。

本当に色々な候補が出ましたが、クラブ活動で毎日遅くまで練習していれば、あまり父ちゃんと会わずに済むんじゃないかという事で決定しました。

これも良かったのかどうか、今となっては何とも言えないのですが、空も中学三年生ではちゃんと学校へ行く様になり、考えていた高校に無事に入る事ができました。

空は中学二年生の時に引きこもっていた分、出席日数やら、勉強もしていなかったから成績が良く無かったやらで、私立高校にしか行けないという事で、やはりその事を夫にくどくど言われていました。

 私は仕事でだんだんと手を痛めていたらしく、しびれて痛みがひどくなってきて、病院へ行きました。

何かのスジが外れていて神経に当たって痛みやらしびれが出るのだと言われ、日常生活で特別困らなかったら、手術もしなくてもいいでしょうと言う事でした。

そのままにしましたが今の仕事はちょっと続けられそうにないと思い、別の仕事を探す事にしました。

 新しく始めた仕事は最初は良かったのですが、だんだんとその会社の本質が分かってきました。

本当のブラック企業だったのです。

取っていないはずなのに休憩時間として時給を引かれていたり、残業が付かなかったり、休日に会議に出ても無給だったりしました。

給料もいいので仕方ないかなと思っていたけど、もう限界だと思い夫にもさすがに相談してみると、夫も毎日私の帰りが遅い事をおかしいとよく話していたので、夫が会社へ怒って電話をしました。

上司がすぐに家まで謝りに来ましたが、夫は家へ入れませんでした。

労働基準監督署へ訴えてもいいんだと言うと上司は私に何とか考え直して働いてほしいとか、何度も話し合いました。

私は辞めると言ったのでいわゆる口止め料をもらい、これ以上文句を言いませんという誓約書を書いて辞める事になりました。

夫はぶつぶつ言っていましたが、「もういいよ。何度も話すのも疲れたよ。」との私の言葉にそれ以上は言いませんでした。

 そしてまた仕事探しです。

 今度は職業安定所で手続きをしてもっといい所を探そうと私は考えました。

するとなかなかこれだという仕事が見付からず、面接に行って話しを聞くと、何か違うとか、なかなか見つかりません。

今回は仕事探しに苦戦しましたが、ようやく見つけて働く事になりました。

 空も高校生になると彼女ができました。

同じ部活の先輩で、彼女の家も少し大変そうで二人は悩みを言い合える様子で、空も父親の事を色々と彼女に言って、少し心が楽になるのかなと、私も少し案心していました。

 私は新しい仕事に早く慣れようとがんばりました。

前より職場も近くなり、時間的には少し余裕もできました。

新しい会社では色々とイベントもあり、従業員旅行もありました。

私も入ったばかりでしたが参加しました。

家での事を忘れて楽しめて、いい気分転換になりました。

 とてもたくさんの人がいて、仕事も色々覚える事がたくさんあり大変でした。中にはとても信じられない様な人もいました。

入ってすぐに辞めてしまおうかと思った事もありましたが、何とか辞めてもだめだと思い耐えました。

 新しい会社にも慣れて、一年ほど経った頃足が痛くなったり、違和感があるので事があるが何だろうなと思っていました。

ある朝、いつもの様に起きるとベッドから降りて踏み出せないのです。

何かがおかしいと思いながら少し歩くと急に痛み出しました。

私はこれはおかしいだめなやつだと思い夫に言いました。

「ちょっと歩けないかも。」と。

夫の弁当を作らないといけないし、とりあえず一緒に一階に行こうと階段を下りるのですが、足に激痛があり、思うように歩けません。

とりあえず私は仕事に行けないから休むけど夫の弁当をどうするか夫に聞くと、夫もすぐに下りてきて、「お前そんなんやったら病院へも行けへんやろ。おれも休んで病院へ連れてくから。」と言いました。

私を座らせて自分で朝ご飯の用意をして、空にも自分で用意する様に言っていました。

 空はとても心配していましたが、病院に行ってくるから空は心配せずに学校へ行く様に言い、空は学校へ行きました。

 私はもう痛くて痛くて仕方がありません。

 立っても座っても、寝ていても痛いのです。

朝起きてこんな事になるなんて思いもしませんでした。何かにつかまって、やっとの思いで立ち上がるといった状態です。

 病院に行くと、レントゲンを撮ってもらい股関節が左右でとても違うと言われました。そもそもお椀形をしているはずのものが、左側だけがお皿の様になっているという事で、これが痛みの原因であると言われました。

 とにかく痛みを止めるために痛み止めを飲んで、湿布を貼りました。

あまり運動したりせずに長く付き合っていかねばならないよと言われました痛みが出たら薬を飲んで、もっと年をとったら手術を受けた方が良くなるかも知れないよとも言われて、少し恐くなりました。

一瞬何かの病気で、もう歩けなくなるのかと思い私は焦りましたが、そうではなさそうなので少し案心しました。

 しかし、いつになったら良くなるのか分からず、会社には、しばらく休むと言いました。

毎食後に痛み止めを飲んで2日が経ちましたが全く痛みが治まらないので夫はイライラしてきました。

「病院に電話して聞いてみろ!」となぜか私に怒ってきます。

私が痛がっているのが気に入らなかったのでしょうが、本当に痛いんだから仕方ないです。

私はしぶしぶ病院に電話すると、「その痛みはそんなすぐに治るものではありませんから、薬を飲む様に。」と言われました。

夫にそう言うと、「何でもいいからお前暇やろ、なにかいいサプリでもないかネットで探しとけ。」と言ってきました。

私は何で怒られないといけないのだろうと思いながらも、探しておかないとまた怒ってくるので、寝ころんだり座ったりしながら、もう必死にスマホでサプリを探しました。

 夫が帰ってくると、今度は本当にそれでいいのかとか色々聞いてきます。自分でも見てみてはどうかと言っても見たりはしません。そのサプリを注文して、ちょっと安心しました。

 3日ぐらい経つと少し痛みもましになってきましたが、今度は痛み止めを止めるタイミングが分かりません。止めてしまうと痛いのではと思うとなかなか止められず、一週間ほどで仕事には行き始めたのですが、痛み止めを止めるのには10日ほどかかりました。

 仕事に行き始めるまでは、車にも乗れずに買い物にも一人で行けず、とても大変でした。家の電話が鳴っても、出ようとしてもなかなか立てずに切れてしまったりで、自分の週りにスマホ、電話の子機、テレビのリモコン等飲み物や本等ずらりと並べていました。

 あんな思いは二度としたくないと思います。

それからはなるべく走ったり飛んだりはしない様に気を付けて、左足を庇う様にしています。

すると右足が痛くなったりして、またどう立とうかと考えながら毎日生活しています。 しかし私には色々あるものです。

足が良くなって安心していると、何だか生理の時の出血がひどくなっている事に気が付きました。

会社での休けい時間までナプキンが持たなくなっていました。夜用のロングサイズをしていてもあふれてくるのです。製服に血が付いていて、下着も血だらけで早退した事もあり、産婦人科に行くと子宮筋腫だと言われました。

しかも何個かあるのと、ある場所が良くないからこんな事になるのだと言われました。

 今度は子宮筋腫か、足が良くなったと思ったら次から次へと思い少し腹が立ってきました。「何で私だけこんな目に合わなきゃならないのか」と叫びたくなりました。海にでも行って「わー」とか「バカヤロー」とか叫びたかった。しなかったけど。

 とにかく出血量を抑える薬をもらい、少しはましになりました。先生は、もう子供を作らないのなら、子宮を取ってしまうという手もあるから考えてみるといいよと言っていましたがそんな事は考えてもみませんでした。

 しばらくすると、また出血量が多くなってきました。

会社へ出勤しただけで、トイレに行くと下着がやばい事になっていて、これでは仕事できないとそのまま帰った事もありました。

決定的だったのはリビングでカーペットに座っていたら、飼い犬のチワワが私のそばでペロペロしてはなれないので、抱き上げると、私が座っている所が血だらけで、チワワがペロペロとなめていたのです。

私は慌ててカーペットをはがして洗濯して、自分の着ていた物も取り変えて、すぐに洗濯しました。そして決心したのです。もう一度産婦人科に行って、子宮を取る手術を受けようと。

 仕事もできないし、家で座っていてもこの状態ではもう、決断するしかないと考えました。夫に言うと、やはり心配はしてくれても怒るんですよね。

私には理解できません。意味が分からないです。

 とにかく私は入院する事になりました。

これがまた大変だったんです。

入院中は暇だからと、マンガ本を持って行った事でまた夫は怒ってくるし、とにかく手術が恐ろしかった。

麻酔は気持ち悪いし、恐ろしくて、声も出せない体も動かない、早く終ってほしいとガチガチになっていました。

 手術が終わると私は病室に運ばれて行きました。

体に力が入れられずに意識もぼんやりとしていました。

しばらくすると寒気が私に襲いかかってきました。

夫が大丈夫かと見に来てくれましたが、とても話せるような状態ではありませんでした。体は寒くて震えが止まらず歯をガチガチさせていました。

夫に寒い寒いと言うと夫は「この部屋暑いぞ」と言っていましたが、私は毛布を掛けてもらっても全々寒気が止まらず、一体これは何なんだろういつまで続くのか、かんべんしてほしいと、ガチガチ震えながら考えていました。

 ものすごく長い時間が経った様に思いましたが、恐ろしく寒かったのも治まり、夫も帰って行きました。その後はお腹がピリピリ痛くて看護士さんに「痛いのはがまんせんでもいいよ」と言われ、痛み止めをもらって飲みました。

私にとって恐ろしく長かった一日は終りました。

 3日ほどで退院できました。帰りはタクシーで家まで帰る事になったのですが、私はふと、家のカギを持っていない事に気が付き夫に電話して、夫の仕事場までカギを取りに行って家に帰りましたが、タクシーの運転手さんは私を妊婦さんだと思っていました。そうじゃないんだけどと思いながらも説明するのもめんどうだしまあいいかと、そういう事にしておきました。

 私は何かとそんなに休んでいられないもので、2、3日自宅で休んだ後、仕事に行く事にしました。本当はもう少しゆっくり休んでいたかった。

前に比べると何だかお腹に力が入らない様な気がします。

もう生理も無いので気分もすっきりしました。

生理がなくなって、いつでも気にせず私は大好きな温泉に入れるようになったのです。

 これからはあの生理のたびにやってくる憂うつな思いをしなくても済むんだと、前向きな気持ちに切り変える事にしました。

 しかし私は色んな物が出来やすい体なんだなあと感じました。

胃にはポリープがあります。

子宮には筋腫も出来ました。

若い頃には手にイボが出来て取ってもらったり、足には魚の目が出来て何度も病院で取ってもらったり、自分で取ったりしました。

とりあえず今は治まっていますが、色々と困った体だなあと改めて考えさせられました。

まあ普通に生活できているしいいのかなあと、気にしていても仕方無いので今をとにかく生きるしかないんです。

 自分の体はとにかく、家庭がやはり大問題なのです。