三月の初め、高校三年生の私は、そのとき付き合っていた高木圭介と一緒に、私が受験した大学の合格発表を見に行った。受験番号を調べる。ボードに記載された番号を何度も見返した。合格した。私の横で、圭介が「薫、あったぞ。合格だ! おめでとう」と大きな声で叫んでいた。横にいた私は、大声を出して恥ずかしいなあと思ったけど、「ありがとう、圭介。よかった、嬉しい!」と言う私の声も気がつけば大きくなっていた。自然と私は自分の顔が明るく輝いていると感じていた。大学合格も嬉しいけれど、これで、この先も圭介と一緒に楽しい大学生活を送れると思っていたからだ。だけど……。
三月三一日。その日はいつもより風が強く吹いていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。ねえ、どうして? どうしていきなり別れようなんて言うの?」
私がそう尋ねると、圭介からの返事はひどく簡潔な答えだった。
「うるさいなあ。理由なんて、何でもいいだろ? しいて言うなら、他に好きなやつができたんだよ」
中学一年生のとき、初めて同じクラスになった圭介のことをずっと片思いで見ていた私。学年が上がり二年生の一学期に思い切って私から告白したら、
「実は俺も前から気になってたんだ。付き合おっか」
と返事をくれて恋人同士になってからも、圭介のことがずっと好きだった。
それなのに、ずっと好きだった人に、
「他に好きなやつができた」
なんて言われて私は思わず涙を流していた。私が泣いていることに気付いたのか圭介は私を抱きしめてくれた。
「永遠の別れじゃないんだから、泣くなよ……」
その一言で私は、涙を拭って改めて圭介に向き合おうと思った。そして笑顔で、
「ありがとう。さようなら」
別れを告げると圭介も私にならって笑顔で、
「ありがとう。さようなら」
と言った。こうして、私たちは四年間の交際に終止符を打った。
このときの私は、まさか彼の元気な姿を見るのがこれで最後になるなんて思いもしていなかった。
圭介と別れてから二年が経った。私は二〇歳になり、春から大学三回生となる。
大学の授業はいろいろ知らないことが知れて新鮮だし、大学の友達やバイト仲間、サークル仲間とも仲良くやっていけて毎日がすごく充実した生活を送っていると思うぐらい。
でも時折、ふとした瞬間に圭介のことを思い出す。今頃、圭介はどこで何をしているのかなって。けれど、それもすぐに消えちゃう。だって、圭介はもうここにはいないのだから。
圭介は私に別れを切り出した一カ月後、交通事故に遭って還らぬ人となった。
私がその知らせを聞いたのは大学の講義が終わったあと、母からの電話だった。
「薫、こんなときに言うのもなんだけど……実は高木さんところの圭介君が交通事故に遭ったらしくって……」
知らせを聞いてすぐに、私は圭介が運び込まれた病院に向かって走り出していた。
(どうか、嘘であってほしい)
そう願いながら。
病院に着いた私は、圭介の家族に付き添われて個室に入り、そこで変わり果てた圭介の姿を目にした。
ベッドに歩み寄り私は圭介に声をかけた。
「嘘でしょう……。ねえ、嘘よね? ドッキリか何かよね? ねえ……何か言ってよ! 圭介……目を開けてよ。ねえってば!」
声をかけても返事も反応もないのに、私は何度も、何度も声をかけた。そんな私の様子を見て、圭介の家族もまた涙を流していた。
諦め切れない私は圭介の体を抱きしめた。
そして、冷たくなっている体に触れ、ようやく亡くなっていることを実感した。
(圭介は本当にいなくなってしまったんだ。本当なんだ……)
圭介の死を実感した私は、自分でも気付かないうちに泣き叫んでいた。
「圭介、圭介……いやあー」
辺りには私の悲痛な叫び声が響いていた。
圭介が亡くなった翌日、私は一人暮らしをしているマンションの屋上で自殺しようとした。それほど私の中では圭介の存在は大きくて、別れたあとでも変わらず好きだった。
フェンスを乗り越え、いざ飛び降りようと決心したときに屋上の扉が開き、人が入ってきた。
「君、こんな時間にこんな場所で何してるの?」
そう聞かれて私は思わず口ごもる。
「何って……別に……ただ夜風にあたっていただけで……」
私がそう言うと彼は笑顔で、
「自殺しようとしてるのかな?」
いきなり私が言えずにいたことを聞いてきた。反射的に、
「どうしてわかったの?」
と尋ね返してしまった。
彼は、
「簡単なことさ。まずフェンスを乗り越えている時点で自殺志願者か、もしくは何か大事なものをフェンスの向こう側に落としてしまったかと判断できる。次に、君はさっきからずっと地上の方ばかり見ている。ということは、前者である可能性が高い。それに、こんな時間に誰かがここにいるのは珍しいからね」
笑いながら言う彼。
彼の笑顔を見ているとなぜだかわからないけれど死ぬ気が失せてしまっていた。
もう一度フェンスを越え、私が落ち着いたところで彼はおもむろに話をしだした。
「自殺ってさ、自分勝手と思うんだよ」
「えっ?」
「だって、そうだろ? 何か嫌なことがあった、悲しいことが起こった。もうこんな現実、生活は嫌だ。楽になりたいって。そういう気持ちが強まって自殺する。亡くなった人はそれでいいかもしれないけど、残される家族や周りの人たちのことを考えたら死のうなんて思えないはずだ。君が亡くなったことで周りの人たちが喜ぶのか? 違う。悲しむんだ。
どうして、あのとき、声をかけなかったんだろう……どうして、もっと強く引き止めなかったんだろう……って、ずっと後悔したままなんだ。もし君が家族や周りの人たちにそれを望んでいるのならそれで構わない。けど、そうでないのなら簡単に命を投げ出そうとするな」
「…………」
「それに、いつまでも悲しみにとらわれるな。悲しみにとらわれるんじゃなく、その悲しみを乗り越えて前に進まないといけないんだ。じゃないと何も変わらないし、何も始まらないんだ」
彼の言い分は至極まともなことだった。同時に私は自分の行動の愚かさを思い知った。
(圭介が亡くなった。その悲しいって気持ちだけで、私は自殺しようとしていた。残される家族のことや周りの人たちのことを何も考えていなかった。……最低だ、私)
自分のしようとしていたことを反省していると、不意に涙があふれてきた。
両手で涙を拭っていると、彼からハンカチを差し出された。
私が戸惑っていると、使えと言っているかのようにハンカチを揺らされた。
「あの、ありがとう」
礼を言い、ありがたく使わせてもらうことにする。私が借りたハンカチで涙を拭いているとき、彼はずっと私に背中を向けていた。
しばらくして落ち着いた私に彼が謝ってきた。
「その……泣かせて、悪かったな」
「いえ、私の方こそ急に泣いてしまってごめんなさい。それから、ハンカチまで貸してくださってありがとうございます。今度ちゃんとお返しします」
「そんなにかしこまらなくてもいい。俺が泣かせたみたいなもんだからハンカチも気にするな」
「でも……」
「ところで、今更で悪いんだけど……君はここに住んでいるのかな?」
「あっ、はい。フフッ、本当にすごく今更ですよね」
「ハハッ、そうだな」
二人して今更な会話をしていることに気付き、思わず互いに笑ってしまった。
「部外者じゃなくてよかった。住みだしたのは、いつから?」
「一カ月前から」
「へえ? じゃあ、一番新しい入居者なんだ」
「そう、なるのかな」
私が返事をすると、彼は、
「そっかあ。一カ月前に住み始めたとこか。どおりで見かけない顔だと思ったんだよな」
まるで独り言のように言いだした。
「あの、あなたもここに住んでいるの?」
「俺? 俺は去年からここに住んでいるけど?」
「そうなんだ。ちなみに、どの階に住んでるの?」
私から尋ねると彼は苦笑しながら教えてくれた。
「女の子の方から聞く? 普通、逆だろ? まあ、いいけど。俺は三階の302号室に住んでる」
「302号室? ホントに?」
「そうだけど。どうした?」
「私、隣の301号室に住んでるの」
「マジで?」
「うん。マジで」
「そっかあ、隣に住んでいるんだ。それなら自己紹介しないとな」
「あっ、じゃあ私から。私は黒崎薫。大学生で、年齢は一八歳」
「次は俺だね。俺は高城優。職業は秘密ってことで。年齢は、二五歳。よろしく」
そう言い彼は私に手を差し出してきた
私も「よろしく」と言い握手をした。
物語と現実 【全12回】 | 公開日 |
---|---|
(その1)物語と現実 | 2019年4月11日 |
(その2)物語と現実 | 2019年5月10日 |
(その3)物語と現実 | 2019年6月26日 |
(その4)物語と現実 | 2019年7月3日 |
(その5)物語と現実 | 2019年8月26日 |
(その6)物語と現実 | 2019年9月6日 |
(その7)物語と現実 | 2019年10月4日 |
(その8)物語と現実 | 2019年11月1日 |
(その9)物語と現実 | 2019年12月6日 |
(その10)物語と現実 | 2020年1月10日 |
(その11)物語と現実 | 2020年2月7日 |
(その12)物語と現実 | 2020年3月6日 |