花とおじさん 【全3回】 | 公開日 |
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(その1)花とおじさん | 2020年2月28日 |
(その2)花とおじさん | 2020年3月29日 |
(その3)花とおじさん | 2020年5月1日 |
帰路、無職となった高津は
「同情するなら金をくれ」
とつぶやいた。借金に追われている身分なので就職先を探さなければならない。年末なので年明けに就職するとして正月は何かのアルバイトで食いつなぐために食事付きのアルバイトを探そうと思ってデイリーアンを買った。すると、見開きにいきなり東京ディズニーランドの求人広告が大々的に出ていた。年齢制限で職種は皿洗いだけに限られていた。さっそく電話するとOKだった。
「29、30研修で31が夜7時から翌9時までのオールナイトで2、3万か。正月のため時給が割増の上、深夜手当つきだ。これはいいな。それにしても、4日しか働かないのに2日も研修があるとは、さすがにディズニーランドだな」
これで正月は食い繋ぐ事になったが、その後の事を考えるとどうしても思いつめてしまう。例え、仕事が見つかったとしても人間関係は大変だ。又、いつものように仕事も満足にできず、人間関係もうまくいかず、最後はいたたまれずに辞めるんだろうな。負け癖は直らない。もうこの年でこの腰だ。同じ事のくり返しだ。あと何回卒業すれば本当の自分にたどり着けるんだろう。いや、もう無理だ。どうするんだバカ津。自分の事を自分でバカ津と呼んだ。
「バカ津、これからどう生きる」
自問自答しても答えはない。寒さも手伝って腰が痛くてたまらなくなった。食い繋ぐためには、ストーブに入れる灯油を買っている場合ではない。ふとんに丸まった。あのつらい仕事を辞めた事で気楽になるはずだったが、この先の事を考えると、圧倒的な絶望感と自己嫌悪に襲われてきた。さらに、トイレに行こうと起き上がろうとすると、腰が激痛でやっとのことで立ち上がった。あの幸せな数日間に比べギャップがあまりにも大きすぎる。
♫さよなら大好きな人♪
高津は今夜も泣いた。この不安な夜を乗り越える為、結局、酒の力を借りなければならなかった。
高津は酔っ払った。絶望の淵の中で、酒の力なのか、花ちゃんの声が聞こえたような気がした。
「おじさん、頑張って。私の分まで幸せになってね。被害者意識を持っちゃだめよ」
そんな声に高津は何だか一人じゃないような気がして安心して眠った。
2日間の研修を終え、⒓月31日の皿洗いの仕事が始まった。東京ディズニーランドのコンセプトは徹底している。その一つに〝ゲスト(客)に日常を見せない〟事だ。ゲストは日常を忘れ、夢の国に来たという訳で、ゲストの目から厨房内や皿洗い等の日常を見られなくしている。従業員は、ディズニーランドの外壁の外から仕事場に入る。だから、高津の持ち場であるスモールワールドレストランの皿洗場から中の事は全くわからない。どこで働いているかもわからないようだ。高津は、流れ作業で洗い物をしている。仕事に集中している間は圧倒的絶望感をしばし忘れられる。怒鳴られもしないので気が楽だった。
しかし、この機械のような作業の中では、会話もなく、そのうち絶望感がじわじわ攻め寄せてきた。
たまたま、高津は、作業のローテーションで12月31日 23時30分から1月1日 0時30分が休憩時間に当たっていた。隣接した従業員食堂で夜食をとる事になっている。高津は痛い腰に手を当ててゆっくりテーブルに腰をかけて夜食を食べ始めた。絶望感が加速してきた。何かに集中していないと考えないようにと思っても、そのやり場がなくなるからだ。この仕事は、怒鳴られなくて気楽だ。短期のバイトだから人間関係のわずらわしさもない。でもこの先、どっちみちどこかに就職しなければならない。今までどこにいってもうまくいかなかったんだ。この先も結末は見えている。働きたくない、腰も良くならない。どこまでも哀愁の淵に落ちていく。もはや、夢も希望もない。
そのときだった。花火が鳴ったのは。いかに外壁の外とはいえ、空は続がっている。従業員食堂の扉を開け、高津は外に出てみた。
「今まで中にいて気づかなかったけど、何てにぎやかなんだろう」
ディズニーランド内の事はわからないが、空にはニューイヤーを祝う花火が夜空を色どり、花火の音と音楽と歓声で別世界のようなにぎやかさだった。花開くきらびやかな花火にしばし見とれながら、
「世間の人は楽しそうだな」
とポツリとつぶやいた。
さらに、拍車をかけるかのように、信じられない光景を高津は目のあたりにする事になった。外壁の扉が開いた。ディズニーランドのマーチの音響が一勢に大きくなった。パレードに参加していたキャストが続々と引き上げて来た。その中でひときわ目を引いたのが白雪姫と七人の小人達だ。この馬車に乗った白雪姫は、まさに東京ディズニーランドの世紀越えイベントの最大のヒロインだ。まさに光り輝いている。彼女自身も、パレードの興奮さめやらぬ様で、外に出て自分の任務が終わったにもかかわらず、従業員達にまで、
「ハッピーニューイヤー」
と手を振り続け、最大の笑顔をふりまいている。
高津は歓喜した。そして猛烈に感動した。ぶるぶると体の震えが止まらない。それ位すごい感動だ。
「あの白雪姫が俺みたいなダメなおじさんに向かって手を振ってくれている。しかも、ハッピーニューイヤー、おめでとう21世紀って言って祝ってくれている。あんな若い娘が一生懸命に祝ってくれている。俺にもニューイヤーが来たんだ。ハッピーニューイヤーが来たんだ。俺にだっておめでとう21世紀が来たんだ。ヤッホー!ありがとう…。ありがとう…。俺みたいな奴のために。いや、俺の為じゃなくて、大盛況のパレードに影響されてテンションがメータを振り切って悪乗りしているのかもしれない。でも、そんな事どうでもいい。ありがとう。ありがとう」
何度も高津は“ありがとう”を繰り返した。自然に涙があふれてきた。今までの悲しい涙ではなく感動の涙だ。
「花ちゃんだ! 花ちゃんの生まれかわりだ!」
「花ちゃんの言っていた、被害者意識を持っちゃいけないってこういう事だったのか…。ハッピーニューイヤー!おめでとう21世紀!」
少し照れながら、まだ手を振り続けている白雪姫にこう返した。素直すぎる程、感動の瞬間だった。
その朝、仕事を終え、帰路につく途中、すぐに帰ったのではもったいないので海を見に行く事にした。東の空を見ると、もう9時過ぎなので、初春の太陽は、すでに高く上がっていた。
「快晴だ。初日の出じゃないけど、新世紀、初めて見る太陽だ。なんてすがすがしいんだろう。花ちゃんに、そして白雪姫に俺は励まされたんだ。人の心は温かいものなんだ。もう、嫌な想い出ばかりの20世紀は終わったんだ。新世紀なんだ。希望を持って生きていくんだ。それでいいんだ」
21世紀の始まりを告げる太陽と東京湾の海はすがすがしかった。高津は、防波堤沿いに歩いた。元旦でにぎわうディズニーランドと違い人影はなかったが、テトラポットで釣りをやっている人が何人かいた。そのうちの一人に、珍らしく自分から声をかけてみた。
「何を釣っているんですか?」
その釣り人は、
「カレイだ」
と答えた。それだけの会話だった。高津は今までの自分とは違っていた。その光景を見て、
「人は目的を持って生きているんだ。花ちゃん、俺は強く生きていきます」
と誓った。そして、空に向かって、大声で歌った。
♫見渡す限りに拡がったあの空を見よー隣りの国まで拡がったあの空を見よー。ひとまずすべてを忘れてしまったー。正しい心で明日に向かった。僕は海と青空に誓ったー♪
静かな、穏やかな、そしてどこまでもすがすがしい新年の幕開けであった。
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