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第4章:零の話 〜 儂のWhat is anything! (その4)

田中ケルン

1986年に愛知県田原市で生まれる。6才でピアノを始める。10才でトランペットに出会い、13才で違う管楽器に転向。田原中学校卒、最終学歴は高校卒。
高校卒業後は東三河にある某吹奏楽団員として活動中。
そして、2児の母でもあり、33才で教祖になる。
※まだ宗教団体は作ってないです。教えだけです。

第4章:零の話 〜 儂のWhat is anything! (その4)

 「人間死んだら皆んな二十歳になれる」と丹波哲郎は言っていた。では教祖の儂の回答はというと「人間死んだら皆んな霊になる」と答える。ある人はそれは当たり前と答えるかもしれない。そしてまたある人は魂は不滅だから霊にはならないと答えるかもしれない。しかし、3度死にかけた儂の経験から死んだら人間は霊になるのだ。

 考えてみてほしい。
 人間は死んだら火葬、水葬、樹木葬、どれを選んだとしても肉体は消え去ってしまう。むしろ腐らないロザリア・ロンバルドが異常なのである。死んで3代も経てば人々の記憶から生きていたことなど消えてしまい、よっぽどの偉業を成し遂げた人か極悪人くらいしか歴史に名を残すことができない。残ったところで記録には残るが記憶にはない。歴史の大きな流れからみれば、人の一生は儚いものだ。
 生きている人に死んだ者の記憶を何代も語り継がせることはザルに流水を流すことに似ている。むしろ水滴がザルに残ることが稀である。儂は、ザルから流れてしまった水流にむかってこの文章を書いている。そう、そこにただよっている霊にむかって。

 霊になるとはどういう事か?
 結論から言うと人は死んだ後、肉体が消え、霊になる。その後、選択が待っている。しかも選択は天国、地獄の2択ではない。無数に散らばった星屑のように無限の可能性があるのだ。

 死んで、ハイ、終わりではないので、生きている今のうちから心を研ぎ澄まして、自らの選択する力をつけなければ、死してなお、霊となって、地上に居続け生きている者にチョッカイを出し続ける厄介な存在になり下がるのだ。中には菅原道真のように神として崇められている霊もいるが。

 だが儂は教祖なので生きている人しか救えないから、死んだ者のその後まで世話は焼けぬ。なので霊能者の皆様におまかせしたい。

 そして儂はよく霊をよく見る。なぜなら精神病だからだ。だが儂のよく見る霊は幻覚だと分かっているので、お薬を飲んで休めば、悪霊退散なのである。

 こんなポンコツ教祖でも本物の霊に出会ったことがある。よく、人が見ることができる領域では天使や妖精や幽霊は見ることができないと言われてるが、儂も霊とのチャンネルがラジオの周波数が合うようにカチリと合うときがある。特に夜、眠っているとき、奴らはやってくる。

 たまに夢を見ているとき奴らは儂の尻のあたりを舐め回すように触れてくる。もしかしたら本当に舌で舐められているのかもしれない。しかし儂には霊が見えないから本当のところは分からない。
 そういえば旧約聖書のイザヤ書に夜の妖怪という一句があり、この句がユダヤ人の想像を刺激して、リリス伝説が生まれたそうだ。さらにリリスの子供たちにスクブスとインクブスがいる。彼らは夢の中でハレンチな誘惑をする夢魔であり、2体合わせてナイトメアと呼ばれている。儂の尻に触れている奴らがもしナイトメアだったら、もう、めちゃくちゃにしてほしい。儂も女、一度くらいアヴァンチュールしてみたいのじゃ。
 ちなみに悪魔という存在はキリスト教ができる以前に存在した土着の神と捉えることができるのでけして悪い者ではないと思う。暗闇に目を凝らすと何か出てきそうで恐ろしく感じるが、正体を知ってしまえば案外平気に思えてくるものだ。

 他にも不思議に思った霊に関する話をしよう。
 儂が1度目の入院をした時、家族や医師に向かってこの世の仕組みを3という数字と三角形を用いて説明するというむちゃくちゃな行動を取ったことがある。なぜこの世の仕組みが分かったのかというと、自分ではない何者かが儂の意識に入り込み、未来の出来事やら人類の最期などが頭の中に流れ混んできたことがあったからだ。
 その出来事はまるで霊に取り憑かれたような感覚であった。そして霊に取り憑かれていた間、記憶が3日ほど抜け落ちている。ちなみに医師にはこの症状は妄想だと言われたが、妄想にしては、はなはだ不思議な出来事だった。

 霊とは一体何であろうか?時に肉眼で見えたり、人に憑依したり、写真に写ったりと、実に忙しい者達だ。

 霊について思い出したのだが、儂が霊に憑依されたとき、ものすごく気持ちがよかった。どう気持ちがよかったのかというといわゆる女の絶頂もあったが、本当の絶頂は脳の中にあった。たぶん、薬物中毒になるか躁状態になることは憑依状態にかなり近いものと思われる。そして気持ち良いという感情の中には幸せという感覚があるが、いくら気持ち良いからといって皆、薬物に走ってはダメである。
 一度立ち止まって心に問いかけてみよう。自分の好きなものは何かと。人間、好きなものを追っかけている間、幸せを感じるものである。しかし、何をやっても楽しくない、人生にそんな辛い日がやってくるかもしれぬ。その時は楽しかったことをやり続けること。そしたら明日楽しくなるかもしれない。明日がダメなら、1週間後。1週間後ダメなら一ヶ月、半年後、1年後、続けてほしい。1日でも長く続ければ点だったものが線になり、線はやがて道になるだろう。それが自信に繋がり再び立ち上がることができるはずだ。
 自己の幸せを追い求めることは霊になる練習のようなものなので、どんどん追求しよう。

 死は恐ろしくないのだ。儂が最も恐れる最大の恐怖は皆が儂のことを忘れ去ることだ。なぜなら儂は寂しがりやなのだから。なので、同級生の皆、儂を同窓会に誘ってほしい。同級生が教祖で精神病で3児の母だったら皆、どんな顔をするだろうか?ドン引く者、感心する者、無視する者、いろんな目で儂を見るだろう。だけど儂は同級生が33歳になってどんな人生を歩んだのか、本のページをめくるように、聞きたいのである。
 これが今の儂のささやかな望みである。

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アセンションはもう始まってます。皆さん、心(ハート)を開いて5感を研ぎ澄まして下さい。儂はどうやら触覚は敏感でしたがあなたはどこが感じますか?