著者プロフィール                

       
〜 北海の大地にて女のロマンを追え(その1)

高津典昭

昭和32年1月7日、広島県三原市生まれ63歳。
昭和54年陸上自衛隊入隊。その後、職を転々として現在故郷の三原に帰り産業廃棄物の分別の仕事に従事。
平成13年2級土木施工管理技士取得。
平成15年2級舗装施工管理技士取得。
執筆活動は土木作業員の頃から。
本作は「伊東きよ子」のヒット曲「花とおじさん」が私の体験によく似ていると気づき、創作意欲が湧いた。

〜 北海の大地にて女のロマンを追え(その1)

 美女3人を乗せた全日空機は羽田空港を飛び立った。待ちに待った美女3人北海道旅行の始まりだ。

 去年は〝青森ねぶた湯けむりみちのく旅行に行ってきた美女3人だ。この楽しかった旅の想い出が今年の旅に繋がった。去年はマイカーの旅だったが、このところの旅行業界のダンピングにより、旅行代理店のツアーの方が格安なので、近畿キッズツーリストの道央3泊4日プランに申し込んだ。

 6月、それは、北の大地、北海道にとって長かった冬が終わり、自然が最も美しい時期である。北海道は春が短い。梅雨がなくすぐに夏が来る。北海道は広いので一概には言えないが、道央では東京のゴールデンウィークと同じ頃の気候であると思われる。桜は散ったばかりだが、大地には、ハマナス・スズラン・エゾカンゾウなどの野生の花たちがいっせいに咲きはじめ、山々は新緑に覆われる。まさに、話が世の春とばかりに自然が最も美しい時期なのだ。

 機内ではこのめくるめく北海道の大自然へのいざないに美女3人は酔っていた。さらに、

「わずらわしい日常よ、しばし、さらば」

とビールで乾杯して酔っ払った。日常から解き放たれ、今から始まる旅への期待で夢見心地の美女3人であった。

 その大自然の上、温泉・グルメをはじめ、あきらかに内地とは異なる景観を待つ北海道はもうすぐそこに…。

 その時、キャーという歓声。その声の主は聖美ちゃんだ。トイレから戻る途中、窓から北海道が見えたのだ。

 聖美ちゃんの、

「北海道よー」

の声の後、美女3人はいっせいに、

「ウオー」

と雄たけびを上げた。

「北海道だ、北海道だ、バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ」

と何度も、ばんざいを繰り返すこの美女3人組の歓声が全機内に轟いたのであろう。偶然にも同じ便に居合わせた早稲田大学ばんざい同盟のメンバーが駆けつけた。彼らはめでたい事があるとかけつけ、皆でばんざいをする事を目的とした非営利集団だ。営利を目的としない。胴上げ同好会とはライバル関係にある。このたびは北海道で合宿し、新しい技を開発するそうだ。

「ばんざーい、北海道だ、バンザーイ、バンザーイ」

 この一連のさわぎに、寝ていたビジネスマンも家族連れも自衛官もスターも皆、このめでたさを祝った。ある者は〝めでたさも 中くらいなる おらが春〟と俳句を読んでいる。あちこちで祝杯があがる。まるでコロンブスが大西洋航路でインドを発見した時のような、マゼランがマゼラン海峡を発見した時のような騒ぎだ。

♫島が見える、見える。楽しいなー。みんな元気で――♪

 美女3人組の最年長の敦子がとっさに作曲して歌った。

 ふだん見慣れているはずの客室乗務員達もかっさいを浴びせ、機内の食品類を全部かき集め、飲めや歌えやの大宴会になった。

 そして偶然は重なるものでたまたま居合わせた松島千春が、アカペラで『大空と大地の中で』を歌い始めた。

 ♫果てしない大空と、広い大地のその中で、いつの日か幸せを、自分の腕でつかむよう♪

 願ってもないシチュエーションだ。全員で大合唱になった。

「アンコール、アンコール、アンコール…」

松島千春はノリのいいアーチストなので、ファンサービスとして、

「朝までやるよー」

と叫んだ。大歓声の中、頭の中は常にクールな聖美ちゃんは、

「朝までやるって、この飛行機、いったいどこまで飛ぶんだよ」

とつっ込みを入れた。松島氏は痛いところをつかれ、

「つっ込みの俺としたことが」

と照れ笑いした。

 この騒ぎはコックピットの機長にも報告された。この機長も、こういう体育会系の盛り上がりが大好きでしかも、日頃のストレスを発散させたかった。閉ざされた狭い密室で長時間、大勢の人命と高価な機械を預かるストレスは大変なものだ。

「ハイジャックに比べれば、こういうのは大賛成!」

と言い残し、後の事は副操縦士に任せ、客室に登場した。

 乗客達は、この機長の乱入を歓迎し、

「機長!機長!」

と大歓声のコールが続く。このシュプレヒコールの中、感極まった機長はアントニオ猪木のものまねで客達を挑発し、

「1、2の3、ダー」

で興奮は最高潮に達した。最後にはだか踊りで盛り下げてしめくくりコックピットに消えて行った。

するとどうだろう。一気に静寂な時間が機内に訪れた。今までの盛り上がりがうそのようだ。あまりにもテンションを上げすぎて、その反動がきたようだ。しかし、美女3人組のテンションはそんなものではすまない。聖美ちゃんは、早く北海の大地を踏みしめたくてしかたない。だが、国内便と言えど、タラップの少なくなっている時代である。大地を踏みしめるにはこの空港ビルから出るまでしばしの時間が必要だった。

 荷物を取り、券を渡し、コンコースに出ると、いろんな旅行業者の旗がふられている。近畿キッズツーリストを発見しツアー客がぞろぞろ集まった。添乗員が自己紹介した後、点呼をとり、バックタッグを渡されバッヂを上着につけた。ここからが、この添乗員の仕切りのようだ。この30才位の女性添乗員は社員ではなく近ツリと契約しているフリーの旅行添乗員だそうだ。

 添乗員の旗を目印に、いざ出発。ついに空港ビルから出る瞬間がきた。

機長のこぎたない生尻を見らされた乗客達は、一瞬にして我に帰り、機内に再び静寂が戻った。

「ふー」

とため息をつき、聖美ちゃんは集団心理とはおそろしいものだと思った。それと同時に、

「私達、美女3人組の〝北海道バンザイ〟から始まったんだ」

と北海道の偉大さを改めて認識していた。

 そうこうしているうちにシートベルト着用のアナウンスが入った。このアナウンスをした客室乗務員の声は枯れていた。先程、さわぎすぎたようだ。その後うがいしていた。

 飛行機が降下を始めた。耳がツーンとしてくる。窓の外は北海の大地だ。広い大地が、グングンせまってくる。まもなく新千歳空港だ。

 美女3人組の夢を乗せた飛行機は、“キィウィ”と音を立てて滑走路に着陸した。飛行機は減速をはじめ、シートベルトのサインが消えた。飛行機が停止すると乗客は一斉に立ち上がり我先にと出口に向かいはじめた。

美女3人組はいっせいに北の大地に足をふみおろした。この美女3人組は、あらかじめ寒水粉を袋に入れて持って来ていた。靴の裏に水で解かした寒水粉をつけて、第一歩をしるしたのだ。最年長の敦子はサンダル、フェロモン系の田中さんはハイヒール、聖美ちゃんは元気にスニーカーのそれぞれ足型を記念につけた。私達の一歩は小さいがと美女3人組は、それぞれ胸のすく思いだった。

 そして、敦子はリーダーは私よと言わんばかりに、

「北海道の大地にて、女のロマンを追え!」

と一喝。全員で雄叫びを上げ、チームワークの良さを強調した。

 ハイテンション美女3人組である。ツアーの一行も、つられて何人か歌っていた。

 降り立った最初の北海道の印象は思ったより日差しが強かった。しかし、平原であるため風が強く、涼しく感じる。天気が良い。快晴だ。天も、美女3人の旅を祝ってくれている。空の色が違う。青く透き通っている。空気もおいしく感じる。その、北海道のおいしい空気を普通に吸っていてはもったいないので、深呼吸して聖美ちゃんは歌った。

 ♫見渡す限りに拡がった、あの空を見よー。ひとまず、すべてを忘れてしまったー。正しい心を忘れてなかったー♪

 美しい歌声だ。この歌姫の歌に周りの人も聞き惚れていた。

 この時はまだこの旅で大事件にまきこまれるとは、全く予想もしない美女3人組であった。

 このツアーの名称は〝近ツリでっかいどーろ3泊4日の旅〟である。そのツアー名の記された道央観光バスに乗り込んだ。知らない人ばかりだが、東京から来た人達は同じ飛行機だったので、美女3人組はすでに有名人になっている。大阪からの客は知らない。

添乗員がバスガイドを紹介してからはバスガイドの世界だ。

「私がこのツアーのガイドを務めさせていただく山田花子です」

 パチパチ拍手で湧きかえった。敦子は、

「何でそんな古くさい名前なのー」

とヤジをあびせたが、それも歓声に聞こえたバスガイドは、気を良くしてピースサインを送った。ただ、心の奥では、

「今だけ、今だけ、そのうちガイドしていても、寝たり、隣どおりでしゃべったりで聞いてくれなくなるんだ」

なんて思っていた。

 その後運転手が紹介された。ただ客に背を向けたままで、バスガイドのようなリアクションも期待できないにもかかわらず、ツアー客は、運転手にも同様の拍手を送った。すると、何を考えたかこの運転手、立ち上がって、客の方を向き、ピースサインを送っているではないか。客は、危ないなこの運転手と思った。実は、この運転手は常日頃、観光バスの運転手のありかたに疑問を抱いていたのだ。いかに、ツアー客の人命を預かるとはいえ、お客さんから拍手をいただいたら、何かしらポーズで答えたい、エンターテイメント運転手でありたいと思っていたからだ。しかし考えは浅はかだった。サービスのつもりが裏目に出た。ピースで答えすぎて、出発してすぐ前の車に追突してしまった。拍手がブーイングに変わった。

 このような運輸関係の会社は事故マニュアルがきっちりしているので対応は早かったが、時間はロスした。このときこのツアーで何かが起きると不安がる客もいた。有珠山が大噴火するのではという噂がまことしやかに流れた。バスの運転手の哀愁を帯びた背中にそれを連想させていた。美女3人組は、そんな噂話などおかまいなしで相変わらず盛り上がっていた。

 バスは、新千歳空港を出発し、支笏湖に向けて走っていた。その道すがらに、

「わー。なーに。あの屋根、あの煙突、アンデルセン童話みたーい」

 千歳市郊外の住宅地を走っている。マッチ箱を並べたようだ。瓦が全くない。重い積雪に耐えられるよう、屋根は軽くしてある。カラフルな色の金属瓦や、コロニアル・カラーベストといった屋根材が主流だ。そして屋根にはヨーロッパの童話に出てくるような大きな煙突が必ずついている。といっても、暖炉用は極わずかで、ほとんどがポット式ストーブ用である。そして、その背後は、道東・道北のような地平線ではないが、はるかに広がる大地だ。今まで、絵に描いていた景色が現実のものとなった。

 道央の旅である。しばらく走ると山が近づいてきた。そして峠を越えると大きな湖が眼下に広がる。本日、最初の目的地の支笏湖だ。支笏湖温泉街の駐車場に到着した。ツアー一行は、支笏湖観光船に乗り込み、雄大な自然に包まれた湖水の旅をのんびり味わった。最大水深363m国内第2位の深さ、透明度は第3位だ。どこまでも水底が見える。水没した大木を見ていると、すい込まれそうだ。湖の南には樽前山が広い裾野を見せながらそびえる。その頂上に、高さ130m・直径450mの溶岩ドームがのっかっている。大きなまんじゅうのようだ。

 一行は支笏湖を満喫し、バスに乗り込んだ。次の目的地はアイヌ文化伝承の里、白老だ。ポロト湖に面した園内にコタン(部落)の姿を再現したアイヌ博物館に入った。アイヌ民族の専門博物館としては日本最大規模だ。21世紀の日本にまだこんな人たちが…。と思わせるほどのカルチャーショックだ。もちろん、彼らは仕事でやっている事で、現在は日本人の生活と同じだ。もっとも、日本人と書くことが差別なのだが、純血のアイヌ人の人口が1万人を切ったのは、20年以上前なので、今ではもっと激減しているんだろう。北の先住民アイヌの人々が育んだロマン溢れる伝統文化と歴史にふれた一行はバスに乗り込んだ。そろそろ陽が沈みかけてきた。バスは、本日の宿泊地、登別温泉を目指した。

 登別温泉の第一滝本館にチェックインした一行は、それぞれの部屋に入り一息ついた。この第一滝本館は登別温泉の草分けだ。160年以上前、江戸幕府の募集に応じて北海道へ渡った滝本金蔵が湯宿を建てたのが始まりだ。このホテルは温泉のデパートと呼ばれ、1500坪の大浴場や露天風呂、檜風呂、気泡風呂、蒸気風呂など30もの風呂と、7種類の源泉を楽しめる。部屋からは、明日の目的地、地獄谷が眺められる。ただし、ツアーなので夕食は大広間でバイキング形式だ。ホテルのパンフレットで見るメニューには、ほど遠い感じがするが、

「まあ、カニが食べられたからカニンしましょう」

と敦子がオヤジギャグをとばした。たまに、聖美ちゃん達をオヤジギャグで困らせる。さらに、

「オヤジギャグとオヤジギャルをかけてるのよ。わかる?」

とわざわざ説明するあたり、さらにオヤジっぽい。こうして、楽しい夕食の時は過ぎていった。

 食事の後はもちろん温泉だ。先述した各種の源泉と風呂をはしごしてまわった。露天風呂では、お盆に熱かんととっくりを置いて浮かべて乾杯した。

「あー。いいこんころもちだー」

「あっ、そのフレーズ聞いたことあるよ」

 誰からともなく

 ♫ばばんばばんばんばん♪

と歌が始まると、すかさず、

「はーびばのんのん」

とあいの手が入る。   

 ♫いい湯だな、いい湯だな。湯気が天井からぽたりと背中に、冷てえな、冷てえな。ここは北国、登別の湯♪

 楽しい夜はふけていった。


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