著者プロフィール                

       
〜 北海の大地にて女のロマンを追え(その6)

高津典昭

昭和32年1月7日、広島県三原市生まれ63歳。
昭和54年陸上自衛隊入隊。その後、職を転々として現在故郷の三原に帰り産業廃棄物の分別の仕事に従事。
平成13年2級土木施工管理技士取得。
平成15年2級舗装施工管理技士取得。
執筆活動は土木作業員の頃から。
本作は「伊東きよ子」のヒット曲「花とおじさん」が私の体験によく似ていると気づき、創作意欲が湧いた。

〜 北海の大地にて女のロマンを追え(その6)


 この日、さらに敦子に根も葉もない証拠がでっち上げられた。北一硝子の、落下したシャンデリアを固定するための金具から、敦子の指紋が発見されたというのだ。この指紋監識決果により、警察は確信し、敦子を真犯人として決め打ちした。

 取調べはこの日も朝8時に始まり延々と続く。
敦子は〝正義は勝つ〟と信じ、絶対に国家権力に屈してなるかと徹底抗戦のかまえだ。それにしても、昨日のうそ発見機といい、指紋といい、警察はうそばっかりだ。

警察に対して不信感と怒りで、はらわたが煮えくり返った。確かに指紋の監識は、絶対の信頼性があると言われている。
12点交会法という、任意の12点を照合させるのだが、結局、うそ発見機と同じで犯人作り上げの手段なのだ。
だから、指紋の照合結果など敦子に教える訳がない。
「なんで、さわってもいない物に私の指紋がつくの?」
 もう、信じられない事ばかりだ。

 殺していないし何も知らない。だから、どんな質問されても、それしか答えようがない。どう考えてもあたりまえの事だが、実は、あたりまえと考えるのは本人だけなのだ。現場の目撃者がいないから証明できない。110番されたメールには、〝敦子〟の名前が現実にある。不利な事だらけだ。そして、このような状況におかれた経験のある人にはわかるだろうが、人間、長く生きていれば、警察に知られたくないような、うしろめたい事が、大、小にかかわらず一つぐらい持っていたりする。そういう時に限って。敦子は、普段良識人で、人に迷惑をかける事を嫌う、人の心の痛みを知る女性だ。しかし、このツアーで、不倫といううしろめたい秘密を作っただけに、そして、高須の名誉を守りたいという思いやりが逆にあだになったのだ。
 だから、実況見分の時、「たまたまテレビ塔の方に散歩してたら、高須さんがナイフで刺されて死んでるのを発見した。」
 説明してしまった事が取調べ中、捜査官の質問でつじつまが合わなくなったり、不自然であったりと、さらに疑いが深まっていったのだ。「もう、かばいだて不用。全部、100%、本当の事を話そう。そうすれば、私の無実が証明される。早くこの部屋から出たい。みんなと会いたい。川崎に帰りたい…」
 そして、捜査官に不倫についても語った。
「たまたまではなく、4時にテレビ塔の下で高須さんと待ち合わせしたんです。でも、110番通報のメールは高須さんからじゃない。高須さんを殺した殺人者が、高須さんの携帯の着信履歴を見て、私に罪をかぶせるためにでっち上げたんです」
 その言葉は逆効果だった。警察は、

「また、うそをついた。ころころころころ話が変わるということは、何かを隠しているからだ。うそ発見機でも指紋でもメールでも握っていたナイフでも、これだけの証拠があがってるんだ。前日の余罪も含めて。おまえがやったんだ。我々は知ってるんだ」

 一度、決めつけたら、もう後に戻る事はしない。さらに取調べがきつくなった。4人も5人も入れ変わり立ち変わり捜査官が来て、同じような質問ばかりくり返す。目の前で、調書をとる時の刑事が万年筆を、何回も振られていらいらする。
「そんなに出が悪いんならボールペンにしろ」

と言いたいくらい頻繁にくり返す。これも作戦だろうか。こんな捜査官の行動の一つ一つが、さらに敦子の精神を食い破っていくのだ。イラ立つ、同じ質問、何人も入れかわって同じ質問。全然前に進まない。それどころか、殺人者として形が作られてきた。

ふと考えてみると、誰も見ていないのだ。親・子・兄弟・親友と言えど、

「絶対やっていない」

と言うだろうが、現場は知らないのだ。

 ひょっとしてというのは、心の奥底のどこかにあるかもしれない。信じられるのは自分だけだ。自分だけが不当に苦しんでいるのだ。孤独だ。そう考えると、夜、拘置所の密室に閉じ込められ頭がおかしくなりそうだ。
眠れない。耳鳴りが止まらない。止まらないどころかうるさい。どこからか声が聞こえる。少しうとうとしたかと思うと恐い夢を見てとび起きる。密室は恐怖の部屋と化した。初めの強気な息込みが急速に衰えてきた。

「ここから出してくれー」

 敦子の心が悲鳴をあげていた。それでも、負けないように

 ♫時計台の下で逢ってー。私の恋はー、始まりましたー。黙ってあなたにー。連れてくだけでー私はとても幸せだったー。夢のようなー恋の始めー。忘れはしないー恋の街サッポロ♪

「高っちゃん、どうして死んじゃったのー。あなたの無念を晴らしたい」

と自らを勇気づけた。

 ところで、田中さんを想って札幌に残った健さんの事だが、実は、高須に恨みを持っていたのだ。健さんは、田中さんの彼氏としてたびたび話に登場したが、いまいちわからないキャラクターだった。ただ、聖美ちゃんは怪しいと見抜いていた。そうです。ラフティング落水事件、北一硝子のシャンデリア落下事件、この2つは健さんが関与していたのだ。てゆうか、健さんの単独犯行だったのだ。しかし、この2作戦は、共に失敗に終わった。
「もう、失敗は許されない」

 そう心に決めた健さんは、ツアー最終日の自由行動の時、高須に、

「一人で来てるので、一緒に連れてって下さい」

と近づき、殺害する計画を立てていたのだ。
もうこそくな手を使わず、なぐり殺すつもりだったのだ。それが何者かによって殺されてしまったので、

「いい気味だ」

と思う反面、自らの手で殺せなかった事が残念でいた。
 では、なぜ高須に恨みを持っていたのだろう。それは話せば長くなる。高須は健さんを知らなかったようだ。いや、知っているのだが、実際、顔を合わせた事がなかった。健さんは高須の顔は知っていた。そして、高須に人生を台無しにされた過去があったのだ。高須は建築設計事務所を経営していた。業績を伸ばしたい。大手ゼネコンの設計の仕事をしたいと常に思っていた。そこにたまたま阪神大震災が起こった。すぐに、各業者は復興にとりかかり、公共工事をはじめ、ビルや民家にいたるまで、多くの業者が耐震補強工事を始めた。高須は一級建築士として地震診断士に役所からその資格をもらい、ある耐震補強装置を意匠登録したばかりのメーカーと組み、自分の会社の設計した建物に使用した。その後、高須の設計した建物が破損する事故が起きた。販売後の事で施主は裁判沙汰にし、この建物の設計者の責任が追及された。原因を追究していくうち、設計ミスが暴露されたからだ。明らかに設計ミスだ。裁判が進展しないうちに、誰かに責任転嫁したいと考えた高須はゼネコンと組み、この建築物の元請会社と現場監督に全責任を押しつけた。この時の現場監督が健さんだった。設計会社は、構築中、設計書に記入されてある材料を図面どおりに使用されているかを何回か点検する必要があるのだが、ほとんど社員任せで、高須は一度足を運んだだけだ。普段は、接待だのネゴシエーションだの、そんな事ばかりに多額の金と時間をかけていた。さらに、高須は、ニセの納品書を作り、使ってもいない建築材料を架空に私用でとり寄せた設定で、現場監督である健さんに業務上横領という背任行為に見せつけ、健さんを退職に追いやった。健さんは刑事責任を問われ、懲役刑となった。服役中、健さんが我が身を挺して守ったはずの建築会社は、業界内はおろか社会的にも信用を失い、銀行の融資が受けられなくなり倒産した。社長は心労で倒れ、寝たきりとなった。健さんが出所してこの事実を知らされ、がく然とした。

 健さんは、若い頃〝広島騎兵〟という暴走族の特攻隊長だった。その度量が、広島最大のやくざ組織である。反山中組勢力の剛政会の幹部に見込まれ、剛政会傘下の伊山組の組員になっていた。その頃は、粗暴な行動が目にあまり、組長、伊山京三の紹介で、札幌すすきのに根を張る伝景田組に旅で出された。ちょうど、その昭和55年6月、山中組が北海道侵攻作戦を開始し、大挙、千歳空港に降り立った。この山中組の動きを事前に察知した道警は、北海道の主だった暴力団が大同団結した反山中組勢力と組み、山中組をルスツリゾートホテルに釘づけにして、結局撤退させるという事件があったが、それは、主力の話で、末端組織になると、各地で局地戦が展開された。小樽市の歓楽街花園で、山中組系の下部組織の組長襲撃事件の鉄砲玉は、実は、健さんなのだ。その後、自首した健さんは、網走刑務所で刑期を終え、堅気となってこの倒産した元請会社の社長の世話で、建築現場の型枠大工として働いた。めきめき仕事の腕を上げ、職人から一転、晴れて、たたき上げの現場監督となった。そして、その最初の仕事がこの現場だった。

 不正は絶対に許せない健さんは高須の卑劣な手段を許せない。自分のミスを業者になすりつけ、のうのうと生きている。自分は、会社を守るため自分の判断で捨て石となった。
しかし、自分が守ったつもりの会社が倒産し、寝たきりで口もきけない社長の事を考えると恨みは増大する。そして、高須の身辺を探り、今回のツアーに参加するという情報を収集した時は、健さんは、ついに憤怒の河を渡ったのだ。
「人間のカス、あの野郎、たたき斬ってやる」

 そして、幸か不幸か、このツアー中、他人の手によって高須は殺された。

「俺の手で奴を殺したかった」

無念であった。〝親不孝したい時に親はいない〟のことわざのように

「殺したい時に奴はいない」

とつぶやいた。それにしても、札幌に残ったのは、ひとえに田中さんを想う気持ちからだったが、その大切な女、田中さんの親友が容疑をかけられている。

 このツアーで初めて会ったので、敦子がどういう女か知らないが、自分の惚れた女の親友だ。自分の惚れた女が、

「敦っちゃんはやっていない」

と言うのだからまちがいないと思った。なんとか田中さんのため、この美女3人組の力になりたいと思うようになった。そんな時、警察から〝小樽シャンデリア落下事件〟のシャンデリアの止め金具に付着していた指紋が敦子の指紋と一致したという情報が伝えられた。
「ばかな…」

 健さんは決断した。

「俺のせいで、敦子さんが犯人にされようとしている。警察の取調べは地獄だ。それに耐えられなくなってウソの自白をしてしまう前に出頭しなくては」

 セクシー田中さんに未練が大ありなのだが、それよりも、美女3人組の堅い友情に答える方が優先だ。
「自分だけ助かろうなんて…。それじゃあ高須のカスと同じじゃないか」

 目がさめた思いの健さんは、田中さんに事実を話した。

 田中さんは、自分の大切な男が犯罪者だと知り錯乱した。
「いやー。それが本当でも警察に行っちゃだめー。私を置いていかないでー。一人にしないでー」

と健さんの厚い胸元に飛び込んで泣いた。健さんは、

「もう、これ以上、いい人になっちゃいけないんだ。俺は、高須を殺害するため、わざといい人をよそおい、あんたに近づいただけなんだ」

と突き放すように言った。恋を取るか、友情を取るか。まさに、超一級の究極の選択が、健さんの胸の中にいる田中さんにせまられていた。しかし、田中さんには健さんの真意が読めたのだ。健さんには2度と会えないかもしれないけど、健さんの気持ちを大切にしようと思い、

「敦っちゃんを助けてください。さようなら」

と最後に告げた。健さんは涙がこみ上げていた。できればこのひとときを、ずっとこれからも続けたかった。残念でならない。涙を悟られないように、すばやく田中さんの腕を振り払い、背を向けて立ち去った。健さんは、小声で

♫義理と人情を、はかりにかけりゃ、義理が重たい男の世界―♪

と歌った。その歌声は小さすぎて田中さんには伝わらなかったが、

「健さんの背中が震えてる…」

 健さんの小刻みに震える男の背中を見て、

「健さんもつらいんだ」

と理解できたのは唯一の救いだ。

 その後、健さんは、敦子の監禁されている道警本部に行き、犯行を自供した。即ちに健さんは逮捕され、手錠をかけられた。


JASRAC許諾第9024335001Y38029号