高校生活最大の危機も無事に乗り切って、待望の夏休みがやって来た。この高校では、「夏休みの宿題」などといったくだらないものはないので、約四十日間が自由に使える。そこで前半はアルバイトで稼ぎ、後半に稼いだ金で旅に出ることにした。
なぜだかわからないが、あまり仲良くしていなかった渡辺篤がこの話に乗ってきた。渡辺は、夏休みの前半にバイクの免許を取得して、後半は俺と一緒にバイクで旅をするというのだ。渡辺は生まれた日が早いので、もう十六歳になっていて、バイクの免許が取得できるのだ。
俺はまだ十五歳でバイクの免許を取れないので、どうやって一緒に旅をするのかと思っていたら、俺は電車で移動して、渡辺はバイクで移動し、目的地付近の駅で合流するというのだ。
一日目の宿泊先は、渡辺の伯母さんが、海の近くに住んでいて、結構広い家らしく、そこに泊めてもらうことになった。夕食は、伯母さんの家で豪華なディナーを頂けるということなので、渡辺と一緒に旅に出ることにした。渡辺は素晴らしい友人だ。
二日目は、伯母さんの家からはかなり離れた場所にあるユースホステルに泊まることになった。「ユース」とは高校生世代を表す言葉で、ユースホステルは一般客も利用できるが、主に高校生を対象にした安価な宿泊施設となっている。これで旅の宿泊費も食事代も抑えることができて、高校生にとっては良い旅になりそうだ。
とりあえず、旅のプランは決まったので、アルバイトを探すことにした。自宅から自転車で十分の所にある工場で、夏休みやお盆休みを取る従業員の補充が必要となり、臨時工員を募集していた。工場にアルバイトを申し込んだら雇ってもらえたので、お盆明けまでここでアルバイトをさせてもらうことになった。
工場でのアルバイトの内容は、ベルトコンベアーの横に座り、たたんである箱を開いて、流れてくる商品を箱詰めするという単純作業なのだが、なかなか面白い。この作業が俺に合っているのか、集中して作業することができる。
お昼になると、ほとんどの人が朝のうちに注文した仕出し弁当を、食堂で並んで食べている。手作りの弁当を持ってくる人は少数派だ。
この仕出し弁当が意外にうまい値段も安いし、工場の食堂でみんなと並んで、給茶機から無料で飲めるお茶を用意して、お茶を飲みながら、弁当を食べるのは楽しい。給茶機はお茶だけではなくて、お湯も出るので、インスタントのみそ汁を飲んでいる人もいる。
俺は、本当は味がないほうが好きなので、お湯だけで良いのだが、お湯だけを飲んでいる人が見当たらないので、我慢してお茶にした。
「この仕事って俺に向いているな。将来工場で働くのも悪くないな」とこの時は思った。
工場で働く工員たちは女性が多く、特に年配のお姉さま方は、若い男子高生の俺には良くしてくれ、食事中に、家で作った煮物や漬物などをサービスしてくれるし、食後にデザートの果物や、お菓子などを分けてくれる。年配のお姉さま方は話好きで、昼休みは暇を持て余すこともなく、あっという間に時間が過ぎて午後の仕事に取り掛かることができた。学校で授業を受けている時よりも充実した時間を過ごしていると思ったし、時間の経つのも早い。「大人は、こうやって歳を取っていくのか」と思った。
工場で働いている人たちの中には、若い女性もいるのだが、年配のお姉さま方が「かわいい男子高校生」を手離すわけもなく、若い綺麗なお姉さま方とはお話すらできなかった。
楽しい工場生活を送っていたら、あっという間に予定の三週間が経ってしまった。せっかく自分向きの楽しい仕事が見つかったのに、三週間で辞めなければならないのは残念だったが、事務所で給料袋を手渡された時は、幸せで天にも舞い上がる気分だった。あっ、俺って天上の世界で暮らしていたんだった。
これで予定通りに渡辺と旅ができるので、連絡を取り、旅のプラン通りの時刻に、予定していた駅で待ち合わせることになった。
旅の一日目に目的の駅に着いたのは、午前十一時だった。改札を通り抜け表に出ると、渡辺はすでに到着していて、駅前のロータリーの片隅で俺を待っていた。
「早いな」
「いや、五分前に着いたんだよ」
「高一で、バイクが買えるなんてすごいな」
「中古だよ。親に借金したんだ。伯母さん家はここから近いから、後ろに乗れよ」
「え、このバイク、二人乗りできるの」
「一応、中型だからな。さすがに二人乗りで遠出するのは無理だが、近場ならば大丈夫だよ」
ということで渡辺のバイクの後ろに乗って、伯母さんの家に向かった。伯母さんの家はほんとに近く、駅から五分で着いた。海の近くだと聞いていたのに、海がどこにあるのか、家からは海はまったく見えない。伯母さんの家は、幹線道路から住宅街へ入って、数十メートルの所にあって、豪邸というほどでもないが、やや大きな家だった。
伯母さんに挨拶をして、家の中に入ると、「昼食は、出前でも取ろう」と伯母さんが言ってくれた。豪華ディナー付きは聞いていたのだが、昼食までごちそうになれるとは、幸せだ。渡辺も俺も、ご飯大盛りのかつ丼を頼んだ。うまかった。
かつ丼を食べ終わって、お茶を飲みながら三人で色々な話をした。
伯母さんはまず、甥である渡辺篤家の現状などを一通り聞き、それから俺の素性や家柄のことなどを聞いてから、伯母さんの家の現状を話しはじめた。ご主人は、仕事に出かけていて夕方には家に戻ってくること、子供は男の子が二人いるが、二人とも就職して家を出ていること、そして、確かに海は近く、歩いて五分で着くことなどだ。
現在はご主人と二人暮らしなので、たまに来たお客である、元気な高校一年生の渡辺と俺を歓迎してくれたのだ。
昼食休憩も終わったので、渡辺と二人で、歩いて五分の所にある海を目指して行くことにした。海までは歩いて十分かかった。海岸沿いは、砂浜ではなく、コンクリートブロックで護岸が整備され、遊歩道などを設けた公園になっていた。伯母さんの家からは、途中、幹線道路の信号で待たされるし、海岸を整備した時に、埋め立てなどをして、海岸線が昔より少し前にずれているのかもしれないので、余分に時間がかかったのだろう。
公園から海を眺めていると「海は素晴らしい」と感動した。いつまで眺めていても飽きが来ない。「ザザー」というサウンドも心地良いし、きらきらとした水面もきれいだし、遠くには木々に覆われた小島も見えるし、白っぽい鳥も飛んでいるし、海に見入ってしまっていた。
「おい翔太、もう行くぞ」と渡辺に声を掛けられて、海から町の方へ向かうことにした。なぜこんなに海が好きなのか、多分、今住んでいるところは海から遠く、普段この海の魅力を味わえないからだろう。
まだ夕方まで、たっぷりと時間があるので、初めて出会った街を散策することにした。渡辺も伯母さんのいるこの街へは、子供のころに何度か親に連れてきてもらっただけなので、街を散策したことがないそうで、二人できょろきょろしながら散策した。
散策しながら気づいたことは、街というところは、どこでもあまり代わり映えしないということだった。大型商店やコンビニなどは、どこにでもあるし、街並みも住宅も走っている車も、みんな自分の住んでいる街と同じようだった。同じ日本の中なので当たり前かもしれない。
漁港もあるらしいので、魚市場にも行ってみたかったが、どこにあるのかわからず、諦めた。夕飯にはまだちょっと早かったが、伯母さんの家に戻ってくつろぐことにした。
豪華ディナーをただでご馳走になるのは申し訳ないので、風呂の湯船を洗ってお湯を入れたりしてお手伝いし、いい子ぶった。いい子ぶったのに、風呂には伯父さんが帰ってくる前に先に入ってしまった。
夕方になり、伯父さんが帰って来たので、いよいよ待ちに待った豪華ディナーの始まりだ。伯母さんが夕飯の用意をしている間に、伯父さんは風呂に入り、伯父さんが風呂から出てきたところで、夕飯の支度が出来上がった。この時間の配分は、長年の夫婦の阿吽の呼吸なのだろう。
伯父さんが会社帰りに、魚市場に寄って新鮮な魚介類を仕入れてきてくれて、その仕入れた魚介類がおいしそうな刺身盛りになって出てきた。普段自宅で食べている刺身の色彩とは違って、何だかつやつやしていた。伯父さんと伯母さんとで交互に刺身の種類を説明してくれたが、魚の名前は覚えられなかった。その中で「アワビ」だけがわかったので、さっそくいただくことにした。どうやら渡辺も「アワビ」の刺身を食べるのは初めてらしく、俺より先に手を出したので、俺も手を出しやすくなった。
渡辺が「アワビ」の刺身を口に入れて食べ始めたが、「噛みきれない」と言って奮闘していると、伯父さんが笑いながら「新鮮なアワビは、上の歯と下の歯で擦るようにして食べると、触感がこりこりしておいしいんだよ」と言って、やって見せてくれた。
渡辺も伯父さんの真似をして、上の歯と下の歯で擦るように食べ始めた。俺も真似してやってみると、確かにこりこりとした触感だ。触感だけはわかったのだが、「アワビ」の味まではわからなかった。十五歳の小僧には、アワビの刺身はまだ早かった。
魚の名前は覚えられなかったが、その他の刺身はうまかった。他にも天ぷらや煮物などを出してくれたので、俺も渡辺も茶碗で四杯も飯を食った。おかげで伯父さんと伯母さんの飯がほとんどなくなっていた。二人は飯の代わりに、お酒で自分の胃袋をごまかしているようだった。
翌朝は大量の米を炊いてくれたようだが、渡辺も俺も三杯ずつしか食べず、かなりの飯が余ったみたいだ。実は俺は、四杯目をお願いしようかと思っていたら、隣で渡辺が大きな声で「ごちそうさまでした」と言って、茶碗と箸を置いたので、自分も一緒に置くしかなかったのだ。やはり俺は大食漢だ。
伯父さんが仕事に出かけてしまうので、お礼を言って、自分たちは泊まっていた部屋に戻り、二日目の旅の準備をした。
部屋に散らかした荷物を整理して、リュックに詰め、二日目のスケジュールを確認すると、ユースホステルに泊まること以外何も決まっていないことに気づいた。しかし、二人の足と言えば渡辺のバイクだけなので、寄り道は無理ということになり、俺は電車で、渡辺はバイクでそれぞれが移動して、ユースホステルの最寄り駅で合流することになった。
ユースホステルの最寄り駅に着いたのは、午前十一時だった。やはり渡辺の方が早く駅に着いたらしく、改札口を出たところの広場の横で待っていた。
最寄り駅からユースホステルまでは二キロぐらいで、渡辺のバイクに二人乗りをして向かうと約十分で着くのだが、ユースホステルのチェックイン時間が十六時なので、五時間の待ち時間となってしまう。
そこで、駅前で昼飯を食べながら五時間の有効利用について作戦会議をすることになった。駅前に蕎麦屋があったのだが、二人の目には入らず通り過ぎた。渡辺はバイクを押しながら歩いているので、二人の進むスピードは遅かった。次に見つけたのはラーメン屋だったが、ここも見向きもしないで通り過ぎた。二人は作戦会議には、蕎麦屋やラーメン屋は不向きと決めつけて、喫茶店を探しているのだ。
駅に無料の街の地図が置いてあったので、それを見ながら探していると、喫茶店を見つけた。店の端の方にバイクを止めて中に入ると、ちょうどお昼時だったので、二人ともランチを注文して、作戦会議に入った。
店の人に聞いてみると、街には寺や神社はあるが、その他には、特にお勧めするような場所はないという。高校一年の二人には、残念なお知らせだった。とりあえずランチをゆっくり食べてみたのだが、一時間しか持たなかった。仕方なく喫茶店から歩いて十分の所にある神社に向かうことにした。
またバイクを押しながら歩いて行って、神社の敷地内にあった駐車場にバイクを止めて、神社で時間を稼ごうと参拝した。神社は結構敷地が広く、敷地内に池などもあるのだが、やはり一時間も持たなかった。そこで、バイクを駐車場に残して、街を散策することにして、二人で街を歩いたが、やはりどこの街もあまり代わり映えはしなかった。
結局、午後二時にはやることがなくなって、ユースホステルに向かうことになった。ユースホステルには渡辺のバイクに二人乗りをして十分で着いたので、チェックインまで約二時間の休憩タイムを過ごすことになった。
ユースホステルは丘の上にあり、ユースホステルの入口は東側の道路からつながっていて、南側は芝生や花壇などで開けていて、西側と北側は林になっていた。駐車場にバイクを止めて、ユースホステルの周りを散策するのに荷物をどうするか二人で話していると、ユースホステルの中から一人の男性が出てきた。
「今日、泊まるのかい。チェックインは四時からだよ」
「早く着きすぎちゃったので、このあたりを散策しようと思っているんですが、荷物をどうしようかと思って」
「荷物ならチェックインするまで受付で預かってあげるよ」と言ってもらえたので荷物を預けて、散策することになったのだが、行く当てが無いので聞いてみた。
答えは「神社がある」だった。この国には神様がたくさんいるんだな。一度も下界の神様にはお会いしていないが神社だらけだ。神社ごとにそれぞれ別々の神様がいるのか、それともいくつかの神社を掛け持ちしているのかは、定かではないが神社だらけだ。
もう神社には行く気になれない二人なので、南側の芝生と花壇を散歩して、花壇を通り過ぎて林に入った。さらに林を通り過ぎると視界が開けた。
そこにはやや小さめの川が流れていて、川の向こう岸には畑が広がっていた。遠いところに民家が点在していた。ここから先には、高校生二人が楽しめる場所がないことを確信して、ユースホステルに引き返すことにした。
ユースホステルに戻ってきた二人だったが、まだチェックインまで一時間ぐらい時間があった。先程の男性に声を掛けると、「談話室で待っていても良いよ」と言われたので助かった。
男性にどんな立場なのか聞いてみたら「この施設のペアレントだ」と言われたが、「ペアレント」が何だかわからないので聞き直してみると、「施設を管理するマネージャーをユースホステルではペアレントと呼ぶんだよ」という答えだった。
「ペアレント」は、ここに来たお客さんたちを家族のように暖かく迎え入れる役目があるらしいのだが、英語が良くわからなかった。英語の授業をバカにして、授業中は何も聞いていなかったのですっかり英語が苦手になってしまった。英語をまじめに勉強しないとだめだな、とこの時は思ったが、結局、三年間英語をまじめに勉強することはなかった。
とにかく暖かく迎え入れてもらってよかった。さすがはペアレントだ。
一時間近く談話室でマンガを読みながら待っていると、チェックインの時間が来た。もう少し早く暖かく迎え入れてもらっていたら、このマンガを読み終えられたのにと思いながらチェックインをすませ、部屋へと向かった。
部屋のドアを開けると、左右に二段ベッドが置かれていて、ベッドの横に荷物が収まるように棚がそれぞれ置いてあった。ここには四人が泊まれるので、我々の他にお客が来るということみたいだ。
夕食は六時からなので、荷物を部屋に置き、談話室でマンガの続きを読んでいると、今夜同室に泊まる二人が到着し、ペアレントの方が談話室まで連れてきて紹介してくれた。二人は僕らと同じ高校一年生だった。気を遣わなくて良さそうだ。
彼らも夕食まで、まだ一時間以上あるので、荷物を部屋に置いて談話室に現れた。話をしていると、そのうちの一人が将棋一級だという。将棋なら俺も少しは自信があるので、勝負しようということになり、将棋盤に向かうと、他の二人もマンガを読むのをやめて、二人の棋士の勝負の行方を見守った。
序盤は、五分五分に思えたが、徐々に勝負師緑川翔太が実力を発揮し始めた。将棋一級を追いこんでゆく。「行け翔太」と叫んでいる渡辺の声が心の中で聞こえた。ところが詰まない。俺の攻撃をうまく合駒などでかわされているうちに、だんだん形勢がおかしくなってきた。守り抜かれて、攻守入れ替えとなった。今度は、将棋一級が攻める番となってしまった。攻め始めたら強かった。あっという間に詰んでしまった。俺は将棋も弱かった。
将棋が弱いことがわかったところで、夕食の時間となった。悔しい思いを抱えたまま夕食を食べることになってしまい、ご飯を四杯おかわりした。ペアレントの方は頬をひきつらせながら暖かく四杯目のご飯をよそってくれた。
食べ終わった食器は、自分たちで洗い場まで運び、運んだ食器はユースホステルのスタッフの方が洗ってくれた。ここでは布団も自分たちで敷いて、自分たちでたたみ、自分たちが使ったシーツや枕カバーは、布団からはがして指定の場所に運ぶ。セルフサービスが多い分、スタッフの人数が減らせるので値段が安いのだ。
夕食がすむと、風呂タイムがあり、その後、午後八時から談話室で、今日宿泊している人たちを集めて、この地域の観光施設などの説明や、宿泊者たちの情報交換や、ゲームなどをした。俺は、将棋に負けて落ち込んでいるのに、「楽しくゲームなんかできるかよ」と思ったが、はしゃいでしまった。おかげで夜はぐっすり眠れた。
すがすがしい気分で翌朝目が覚めた。朝ご飯を食べて、出発の準備をし、ユースホステルのペアレントやスタッフの方、同室だった仲間に挨拶をして、渡辺のバイクに二人乗りをし、昨夜、説明された観光施設などには目もくれず、最寄りの駅へと向かった。
駅で渡辺と別れて、一人電車で自宅へと向かった。自宅へ向かう帰りの電車の車窓も楽しみながら、今回の旅は有意義だったなと思った。
二学期が始まってから旅の感想を渡辺に聞いてみると、バイク旅で膝ががくがくになって、帰ったその日と、次の日は動けなかったらしい。俺は電車旅で幸せだったと改めて思った。