高校二年になり、学校生活にもだいぶ慣れてきた。天上の世界に帰れば必要のない学校生活に慣れてしまった。修学旅行も楽しく終わり、気候も暖かくなり外にいても気持ちの良い季節となった。高校一年の時は、ずっと「帰宅部」で通していたのだが、高校生活にも慣れ、季節もだいぶ暖かくなり、日が沈むのも遅くなってきたので、「すぐに家に帰らなくてもいいか」と思ってしまったのが間違いだった。放課後になっても、日が暮れるまでには、まだたっぷりと時間があるので、広い校庭を散策するようになっていた。グラウンドでは、それぞれの運動部に所属している生徒たちが、真剣に練習に取り組んでいる。
それを横目に見ながら、校庭のあちこちを散策しているのだが、誰かに声を掛けられることはなかった。校庭の一番南側には、グラウンドの境界ぞいに桜の木が並んで立っていて、この季節にはすっかりと葉桜になっている。その下にあるベンチは、日陰で風通しも良く気持ちが良いので、一人そのベンチに座って、汗を流している運動部員たちを眺めていると、なぜか自分が運動しているわけでもないのに、すがすがしい気分になってくる。もちろん運動音痴で有名な俺が、運動部に誘われることはなかった。しばらくは、そんな状態が続いていたのだが、ある日、いつものように、桜の木の下でグラウンドを眺めていると、陸上部の長田が声を掛けてきた。「最近、翔太がそのベンチに座ってグラウンドを眺めている姿を良く見かけるな」「うん、だいぶ暖かくなったので、外のベンチは気持ちがいいんだよ」「みんなが運動しているのを眺めているだけじゃつまらないだろう。走り高跳びでも一緒にやらないか」「長田は俺が運動音痴だって知っているじゃないか。それに、陸上部の他の部員たちに迷惑だろう」「それが、陸上部で練習しているのは、俺一人なんだよ」グラウンドを見渡してみると、俺の座っているベンチの近くで、バドミントンをしている生徒が二人いて、四○○メートルトラックの中のサッカーグラウンドでは、十数人のサッカー部員が練習している。隣の野球場からは、何人いるかまではわからないが、野球部員たちが練習をしている声がする。東側にあるテニスコートでも数人が練習しているのが見える。しかし、陸上部が練習しているはずの四○○メートルトラックや、その外側にある槍投げや、走り高跳びのスペースには誰もいなかった。本当に陸上部で練習しているのは長田一人だった。
長田に理由を聞いてみると、「陸上競技を本気でやっている人は、みんな有名私立高校へ行ってしまうので、うちのような公立高校には、部活で陸上を本気でやる人はいない」という答えだった。公立の高校では、運動部に監督やコーチがいないので、人気のあるスポーツには部員が集まっても、陸上競技のような個人競技には、人が集まりづらいのだ。一学年上の三年生に、一人だけ槍投げをやっている部員がいるそうだが、三年になってからは、ほとんど姿を現さないそうだ。一年生の勧誘も長田一人では、やる気が起きなくて、結局、陸上部は長田一人になってしまったようだった。そこで長田は、放課後に一人で外のベンチに座ってグラウンドを眺めている俺を、陸上部に誘おうと思ったらしいのだ。陸上部の練習といっても、顧問の先生が出てきて指導するわけではないので、今は長田が好きな種目を好きな時にやっているだけだそうだ。陸上競技の用具が部室にあるので、天日干しを兼ねて、表に出して、用具の手入れをして、今日やりたいと思った種目の用具だけを利用して練習をし、疲れたら用具を部室にしまって、今日の練習は終わりということにするそうだ。長田と俺の二人だけなら、楽しくできると思い、体操着に着替えて参加することにした。着替え終わってグラウンドに戻ると、長田は「部室から走り高跳びの用具を出して準備をしよう」と言ってきた。
走り高跳びの用具は、直径が三センチぐらいで、長さが四メートルぐらいのバーが一本と、そのバーを載せるための支柱が二本、そしてマットが一枚だ。バーと支柱は簡単に所定の位置まで運べたのだが、マットが重かった。マットは幅が六メートルで奥行きが三メートルあり、高さが五○センチぐらいある。空気が入っていてふかふかしているのだが、大きいし重いので、とても一人で運ぶには難しい代物だった。長田は、中学校の時にも陸上部に所属していたみたいで、陸上競技のことには詳しかった。長田としては、走り高跳びがしたかったのだが、マットが一人で運べないので、放課後に一人で暇そうにしている「緑川」は格好の獲物だったようだ。
まんまと長田餌え食じきになってしまった俺だった。走り高跳びの準備ができて、いざ跳ぶことになったのだが、走り高跳びには、正面跳び、はさみ跳び、ベリーロール、背面跳びなどがあるそうで、正面跳びは、バーの正面からハードルを跳び越えるように跳躍するのだそうだが、今はあまり使われていないそうだ。はさみ跳びは、バーの斜め横から走って行って、片足ずつ上げて、お尻でバーを落とさないようにする跳び方で、あまり高くまでは跳べないのだが、この跳び方は、中学の時に習ったような気がした。
ベリーロールは、斜め横から走ってきて、跳ぶ時に体を上下に半回転させて、バーをお腹で越していく跳び方で、はさみ跳びよりは高く跳べる。背面跳びは、やはり斜め横から走ってきて、バーを跳び越す時に、バーに背を向けて踏み切り、バーを背中から越していく跳び方で、この跳び方が一番高く跳べるらしい。長田が俺に走り高跳びの跳び方を指導してくれることになり、はさみ跳びからやってみることになった。二人の身長が一メートル六○センチぐらいなので、バーの高さを一メートル一〇センチにセットした。最初に跳んだ長田は、軽々とバーを越して行ったが、続いて俺が長田の跳び方を真似してやってみると、バーを蹴飛ばすことに成功してしまった。
長田に大笑いされながら、もう一度跳んでみたが、やっぱり、バーを蹴飛ばした。ゆっくりとした動きの時は、背中に羽があって、ふわふわとした感覚があるのだが、速い動きになると、そういう感覚はない。長田は、今度は真剣な顔になって、走って来るときのスピードや、足を踏み切るタイミング、足の上げ方などを、ていねいに俺に教えてくれた。そして、バーを一メートルまで下げて、「もう一度、跳んでみろ」と言った。俺は、長田の言うとおりに足を踏み切るところまでを、何度か繰り返し練習して、タイミングが少しつかめたところで、一〇センチ下げてもらったバーを、もう一度跳んでみた。今度は、見事にバーを越した。バーを一〇センチ下げたので跳べたのはあきらかだったが、うれしかった。
長田はうれしそうな俺の顔を見て「今度は、ベリーロールを教える」と言った。長田は俺に「うれしさ」という餌を与えて、たった一人のさびしい陸上部から「さよなら」を告げることに成功したのだった。しかし、ベリーロールは難しかった。バーが一メートルでも跳ぶことができなかった。そのうちに、日が傾いてきたので、長田が「今日はもうこのくらいにして、用具を部室にしまって帰ろう」と言い、二人で用具を片付けて、帰路に着いた。夕日を見ながら、長田と一緒に駅まで歩き、長田の家は、俺の家とは反対方向なので、駅で別れて一人で電車に乗り、家に帰った。家に帰って、いつものように先に風呂に入り、それから夕食を食べた。どんぶりで三杯も食ってしまった。運動したので腹が減ったのだ。何となくこの日は充実感があった。「自分は運動なんかには向いていない」と思っていたのだが、走り高跳びのバーを跳び越すことに成功したのだ。
「明日もまた長田と陸上部で遊ぼう」と思ってしまった。次の日も天気が良く、また放課後に長田と遊んだ。長田はよほど走り高跳びがやりかったみたいで、この日も走り高跳びの準備をしたのだが、やはりマットは重たくて、二人で運ぶのがやっとだった。この日は、バーの高さを一メートル一〇センチにして、ベリーロールから始めた。長田は軽々とバーを越していくのだが、俺はバーをお腹で越すどころか、身体の横で体当たりして、バーを弾き飛ばした。長田は、ていねいに助走のスピードや、踏み切りのタイミングなどを教えてくれるのだが、俺は何度やっても、身体がバーを越えていくことはなかった。俺にベリーロールの才能がないことを悟った長田は、「背面跳びを教える」と無謀なことを言い出した。
ベリーロールの才能がない俺に、さらに難しい跳び方の背面跳びなどできるわけがない。長田は、一旦、バーを外して、バーのない支柱に向かって走り込み、支柱の所で踏み切って背面跳びでマットに向かって跳びこんだ。何度か自分一人で練習していたが、タイミングがつかめたのか、バーの高さを一メートル四○センチまで上げて、背面跳びで跳んだのだが、さすがに高度な跳び方なので、二回失敗した。しかし三回目には、見事にバーを跳び越した。そして俺の所に来て「もう少し練習すれば、自分の身長ぐらいの高さは跳べるようになるよ」と言った。長田にはできるかもしれないが俺には無理だった。長田はもう一度バーを外して、俺に背面跳びの練習をするように促したので、やってみたが、人間は後ろに向かって跳ぶのは難しいものだ。何しろ跳ぶ先が見えない。落ちる場所もわからない。結局、一回目は尻もちをついただけだった。長田はもう一度バーを一メートル四○センチにセットして、跳ぶ見本を見せてくれた。バーに向かって斜め横から走り込み、バーの手前で踏み切り、背中から流れるようにバーを越えていった。見事なフォームだった。またバーを外して俺がやってみたが、全然、形にならなかった。何回やっても尻もちをつくだけだった。それから四、五回ほど尻もちをついて、いったん休憩していると、長田はバーを一メートル四五センチに上げて跳んだ。一回で跳び越したので、今度は、バーの高さを一メートル五○センチに上げて、また跳んだ。さすがに、高さ一メートル五○センチのバーは一回では跳び越せず、三回失敗して、四度目に跳び越した。
長田は、高さ一メートル五○センチのバーを跳び越して満足そうだった。この日の練習は、長田が満足したので終わりになった。俺は尻もちの練習をしただけだった。次の日は土曜日で、午前中で授業が終わったので、陸上部には寄らずに家に帰った。久しぶりに「帰宅部」の復活だった。平和な週末の休日を過ごして、週明けになって学校に登校すると、また陸上部が恋しくなってしまった。月曜日の良く晴れた放課後に、陸上部に行ってみると、長田がうれしそうに待っていた。「よし、翔太また今日も走り高跳びをやろう」「今日は、別の競技をやってみたいな。何かないのか」長田は少し考えてから「それならば、槍投げか、円盤投げはどうだ」長田は、せっかく乗ってきた背面跳びを続けてやりたかったのだが、やっとの思いで捕まえた獲物を逃がすわけにもいかず、俺に譲ってくれたのだ。俺は、陸上競技を真剣にやりたいわけではなく、暖かい季節の放課後に楽しく遊んでいるだけなので、尻もちしかできない背面跳びは、もうやりたくなかった。もっと違った遊びをやりたかったのだ。まずは槍投げをやってみることになって、槍を一本ずつ持ちグラウンドの端に行き準備を始めた。槍投げをするスペースは、敷地の角地からフェンスにそって一○メートルぐらいの幅で、長さが一〇〇メートルぐらいのところで行う事になった。ここはグラウンドの隅で、他の生徒たちは近づかないし、敷地の外には民家などがなく雑木林になっているので、もし槍や円盤が飛び出しても支障がない。安全性を考慮して、この場所が槍投げや、円盤投げを行う場所になっているらしい。
長田は、敷地の境界から八○メートルぐらい離れた場所に、拾った棒で地面に踏み切り線を引いた。本来は、ライン引きを持ってきて、ラインを引くのが正式なのかもしれないが、長田と俺の二人だけしかいないので簡略したのだ。線を引いた場所は、地面が露出しているのだが、敷地の境界に向かってだんだんと雑草が生えていき、四○メートルぐらいから先は、地面が低い雑草で覆われていた。「一回、見本を見せる」と長田が言って、槍を持ち、線に向かって二、三歩助走して、槍を投げると、槍は弧を描くように飛んで一〇数メートル先に刺さった。「槍投げは、手首のスナップを使って投げるんだ。小指の方からはずしていって、槍を投げる瞬間は、親指と人差し指の間に槍を乗せるようにして離すとうまく飛ぶんだよ」と教えてくれた。俺は、「槍を手から一気に離すのかと思っていたよ」と長田に言うと、試してみろと言われたのでやってみた。槍は空中で弧を描かず、水平に飛んで地面に落ちた。長田は中学から陸上をやっているだけあって、槍投げに関しても知識があった。俺には最初から遠投は無理なので、長田に教えてもらった投げ方で、二、三歩助走して、近場に槍を投げてみた。投げた槍が少しは弧を描くようにはなったのだが、地面に刺さるまでには至らなかった。
「槍が地面に刺さらなかったら、失格なんでしょ」「いや、投げた槍が倒れても、最初に刺さった場所が特定できれば、その位置で距離が測定できるんだ」長田は、遠投をするからと言って、俺を後ろに避難させて、踏み切り線から一〇メートルぐらい下がって、十分な助走を取って槍を思いっきり投げた。槍は空中できれいな弧を描いて飛び、四○メートル以上飛んだ所で一旦刺さったが、雑草が生えているので深くは刺さらずに、一回転して前に倒れた。刺さった場所が特定できれば、距離が記録として残るので、二人で刺さったと思われる場所に小走りで行ってみたのだが、残念ながら、雑草だらけでどこだかわからなかった。高校生の大記録は、雑草の中に消えてしまった。
俺も高校生の大記録を打ち立てるために遠投を試みたが、槍が弧を描くようには上がらずに低く跳んで地面に刺さることはなく、草の上にビタンと打ちつけられて、そのまま滑って行った。槍が弧を描くように上げようとすると、力が入らず二○メートルぐらいしか槍が飛ばない。槍はそのまま地面に刺さることはなく、手前に倒れる。今日槍投げを始めたばかりの男には、記録を作るどころか、まともな槍投げができるわけもなく、弱々しく手前に飛んで、一旦は地面に刺さってもすぐに手前に倒れるか、遠くへ飛んで、地面には刺さらず落ちて、滑って行くかの繰り返しだった。長田も遠投を繰り返していたが、雑草が邪魔をして、地面に刺さったのは数回で、記録は五○メートルテープで測れる距離だった。次の日も槍投げから始めたのだが、長田も俺も昨日と結果が同じだったので、気分を変えることになり、円盤投げに切り替えた。円盤投げは、槍投げと違って真っ直ぐ助走するのではなく、直径二・五メートルの円の中でぐるぐると体を回転させて、その遠心力を利用して円盤を投げるので、目標とする方向に円盤を飛ばすことが難しい。円盤の重さは一・五キロでそれほど重くないので、円盤を手から離す瞬間に目標の方向に体が向いていないとうまく円盤が飛ばない。円盤がどこへ飛んで行くかわからないので、初心者は、体を一度だけ回転させるぐらいで、投げる練習を何度もしないとまともに投げることができない。
俺は、円盤の投げ方を長田に聞くこともなく、長田が地面に描いた直径二・五メートルの円の中に入り、ぐるぐると回って円盤を投げた。案の定、投げた円盤は学校との敷地の境界にあるフェンスを越えて隣の敷地に飛んで行ってしまった。急いでフェンスに駆け寄って、中を覗いたが、隣の敷地は雑木林になっていて、あまり下草が生えていなかったので、円盤はすぐに見つかった。フェンスをのぼって取りに行きたかったが、他の生徒たちもグラウンドにいるので、それもできず、仕方なく、正門まで行って、道路に出て円盤を取りに行った。道路と隣の敷地の間には、杭がよれよれになって立っていて、杭と杭は三本の針金で結んであった。「すみません。円盤を取らせてください」と誰もいない雑木林に向かって、声をかけてから針金の隙間をくぐって敷地に入り、無事に円盤をゲットしてグラウンドに戻る事ができた。グラウンドに戻ると、楽しそうににこにこしている長田がいた。
長田は、俺に円盤の投げ方を教えてくれた。円盤も槍投げと同じように、手を離す瞬間に小指から離していき、最後は人差し指に引っ掛けるようにして投げる。右利きの場合は、右手に円盤を持って、左回りに助走して、円盤は助走とは逆に右回り、つまり時計回りのように回転させて投げる。長田が円盤投げの見本を見せてくれた。直径二・五メートルの円の中で、体を二回転させてから、方向を定めて軽く円盤を投げた。円盤は、シュート回転で二○メートルほど飛んで地面に落ちた。円盤投げの計測も槍投げと同じで、円盤が最初に地面に落ちた場所なので、二人で円盤の落ちた場所を確認に行った。円盤の落ちた場所が二○メートルほど先なので、まだ草があまり生えていないところで、地面に跡が残っていて、すぐに特定することができた。俺も長田の真似をして、直径二・五メートルの円の中で、体を二回転させてから方向を定めて軽く円盤を投げてみた。円盤が飛んだ位置はグラウンドの中に収まったのだが、距離は長田の半分ぐらいで、一〇メートルしか飛ばなかった。すぐそこだ。助走などしなくても届きそうな距離だった。やはり才能はなさそうだ。しかし、槍投げよりは面白かった。
なぜならば、槍投げは槍が刺さらなければ記録にならないが、円盤投げは、円盤が地面に落ちれば記録になるからだ。陸上部で楽しく遊んでいたのだが、だんだんと寒い季節になり、陸上部を卒業することにした。長田に「寒くなってきたので、もう辞めるよ」とだけ言って、放課後にグラウンドに出ることを止めた。そして「帰宅部」に戻る事にした。ところが、いつの間にか陸上部の顧問の先生が持っている名簿に、俺の名前が入っていた。まさかの「運動部への入部」だった。
著者プロフィール
由木 輪
1956年、東京都出身
ごく普通の家庭に生まれ育ち、大学を卒業後、東京に本社がある会社に就職しました。自分の意に添わず、幾つかの会社に転職することになりましたが、60歳になり会社員で定年を迎えました。定年しても年金がもらえるわけではなく、生活のために別の会社で働くことになりました。定年後の職場では、時間的にも精神的にも余裕が出来て、以前から書きたかった小説を書き始めました。みなさんに面白いと思っていただけるとうれしいです。