朝のホームルームの時間になり、担任の先生が教室に入ってきた。担任は、寺の和尚で、書道を教えている。
名前は、山田真元。真元和尚だ。体格がよく、柔道三段で、柔道部の顧問でもある。
和尚だけあって、性格は真っ直ぐでやさしい。俗に言う、気は優しくて、力持ちというタイプだ。なるほど、神様がこの学校に俺を送り込んだわけがわかった。
一年生の授業は必須科目の他に、選択科目があり、音楽、美術、書道から選ぶことになっているが、もちろん俺は書道を選択した。この三科目に関しては、それぞれの授業を音楽室と美術室、そして、工作室で行うのだが、それぞれの教室が狭いので、クラスの半数ずつに分かれて二科目の授業を行うことになっている。この時は、音楽と書道だった。
俺が書道を選択することは、多分、下界に下りたときの決まりだろう。まあ、音楽よりは、ましかも。
朝のホームルームの時間が終わると、一時限目の授業が始まった。退屈だ。なぜ、天使の俺がこんなことをしなくてはならないのか。人間には、それぞれ目的があるから、勉強する事が大切なのかもしれないが、俺は天使だ。神様の怒りが解ければ、天上の世界に帰るわけで、ここでまじめに授業を受けなければならない理由がない。でも、多分、神様は、見ているのだろうな。多少は、まじめにやっているふりをしないと、いつまでたっても帰れないから、そこら辺はうまくやろう。
一時限目は、数学だった。意外と数学は好きだな。なぜだろう。天使なのに。
それにしても、この先生は、メガネをかけ、痩せていて体は弱そうで、お勉強馬鹿といった風情だな。三十代半ばの男性の先生なのだが、あだ名は「点取り虫」ということにしよう。体は弱そうにしか見えないのだが、数式や公式などの説明のテンポが良く授業がスムーズに進んでいく。授業内容は教科書通りに進めているだけで、そこから広がりを見せるわけでもなかった。本日のノルマを果たすぞといった感じだ。無事にノルマのページまで到達して五十分の授業が終わり、十分間の休憩となった。
休憩時間となったとたんに、五、六人の女の子たちが俺を取り囲んできた。こいつら、俺が天使だと知っているのかと思ったら、そうでもない。くだらない人間界の話をしてくる。適当に相槌をうちながら、俺って結構もてるのかなと思った。神様も容姿だけは変えなかったから、人間界でいえば、アイドルチックに見えるのだろう。
でも、もてても意味がない。神様の怒りが解けたら天上の世界に戻るのだから、そのときは、出会った人間たちから俺の記憶がすべて消されるはずだ。ついこの前は、休み時間にわざわざ、他のクラスから見に来たやつがいた。気楽なものだな。まあ、こうなった以上こっちも気楽にいくか。
二時限目は、古文の授業だった。先生は女性で、年齢は三十代半ば、容姿は普通だな。やたらに「タラチネ」という言葉が好きで、最初の授業のときに図解付きでじっくりと説明していた。
「垂乳根(たらちね)」とは、万葉集の短歌などで「母親」を表す枕詞(まくらことば)として使われている。たとえば万葉集にこんな短歌がある。
「たらちねの 母が手離れ かくばかり すべなきことは いまだせなくに」
たらちねと母しかわからなかった。あとは日本語じゃないみたいじゃないか。
「生みの母の手を離れて以来こんなにどうしようもない思いは、いまだかつてしたことがなかった」という意味なのだそうだが、こんな意味のわからない思いをしたことは、今までなかった。
古文は中国の漢文や、日本の古き時代の史書や物語で、漢字だけの文や漢字とひらがなが混ざった文なのだが、はたして古文を学んで現代の何に役に立つのか疑問だ。『返り点』なんだそれ。『レ点、一点、二点』一度先を読んでからまた前に戻って読むんだそうだ。
こんなことが現代の何に役立つというのだ。
それとも「温故知新(おんこちしん)」故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知るということなのか。それなら古文の読み方や意味だけを説明しているのではなくて、現代に生かせることも教えてほしい。でも俺にはあまり必要がなかった。
それから毎回授業の中で「垂乳根」という言葉が出てくるわけではないのに、なぜかどこかで一回は「タラチネ」という。こいつのあだ名は「タラチネ」だな。大体「タラチネ」なんて今では死語だ。どうせなら『現代の死語特集』でもやればいいのに。クラス中が盛り上がること間違いなしなんだけどな。
二時限目の授業が終わると腹が減った。やはり大食漢かな。考えてみると十五歳だ。人間で言えば成長期にあるわけだから、腹が減るのは当たり前なのだろう。弁当を食べてしまうわけにもいかず学食に向かう。あまり金を持っていないので、アンパンをひとつ買って、あとは大量の水道水で何とか腹を満たした。一日が長く感じる。まだ十時半だ。
三時限目の国語現代文、四時限目の英語と続いて、退屈とそして空腹と闘いながらがんばり、昼になった。何とか生き残ることができた。
昼休みになり、母親が作ってくれた弁当を食べて自分の席でのんびりしていると、西田伸一が現れた。こいつは三組なのだが、毎日同じ駅から電車に乗って通学しているうちに仲良くなった。こっちはあまり歓迎しているわけではないのだが、あっちは俺を好んでいるみたいで毎日のように昼休みになるとやってくる。
以前、こいつの家に遊びに行ったことがある。あれ、俺は今朝、天から下界に下ろされたはずなのに、なぜこんな記憶があるのだろう。不思議だ。とにかく以前、西田の家に遊びに行ったことがあった。西田の家は、外観も玄関を開けた感じもごく普通の家だった記憶がある。
玄関から家に入り、彼の部屋のドアを開けて中に入ると、いきなり灯(あか)りが点いた。それも普通の灯りではない。ピンクやブルー、グリーンといった色のスポットライトみたいなものが、あちこちから部屋の中を照らしている。気持ちが悪くなってきそうな雰囲気だ。
どうやら入口の所にレーザーセンサーが取り付けてあって、部屋に入るとセンサーが反応して灯りが点くようになっているらしい。べつに「スイッチ・パチ」で普通の電気が点けばそれでいいような気がするのだが。西田は、にやにやしながら、「どうだ、すごいだろ」と、さも自慢気な顔つきだ。
部屋の中を見渡すと、何やらぐるりと骨組みがある。この骨組みのあちこちに、スポットライトが取り付けてあって、部屋の入口を入るとセンサーに反応して、灯りが点く仕掛けになっているようだ。楽しいとも思えない。その他にも、色々と仕掛けがあるらしく、説明を二時間ぐらい聞かされたが、内容はまったく覚えていない。
この部屋の隅にベッドが置いてあって、「ここで毎日寝ているのか、西田も相当な変わり者だな」と思った。「俺は、こんなところで寝るのは無理だな」と思ったが、ベッドの横に布団を敷いて一晩泊まってしまった。俺も相当な変わり者だった。
こんな事を鮮やかに覚えている自分は、本当に天使なのだろうか。「高校一年で十五歳の人間である自分が本当で、天使が夢なのかもしれない」とか思ったりしていると、昼休みが終わるチャイムが鳴った。
昼休みが終わり、変わり者西田は、自分のクラスに戻った。結局、西田の話は何も聞いていなかった。
著者プロフィール
由木 輪
1956年、東京都出身
ごく普通の家庭に生まれ育ち、大学を卒業後、東京に本社がある会社に就職しました。自分の意に添わず、幾つかの会社に転職することになりましたが、60歳になり会社員で定年を迎えました。定年しても年金がもらえるわけではなく、生活のために別の会社で働くことになりました。定年後の職場では、時間的にも精神的にも余裕が出来て、以前から書きたかった小説を書き始めました。みなさんに面白いと思っていただけるとうれしいです。