昼休みとは、昼食後から午後の授業の始まるまでの時間を言うのだが、俺は、早食いなので、三十分以上の時間があった。
時間は三十分以上あるのだが、運動の苦手な俺は、グラウンドや体育館には行かず、ほとんど教室の中で、居眠りをしていたり、クラスメイトと談笑していたりと、行動範囲が狭いのが日常だった。
ごく稀に、グラウンドを見に行ったり、体育館を覗いたりするのだが、運動している生徒たちを見ると、「昼飯食ってお腹いっぱいなのに、良くあんなに動けるよな」と感心するだけで、俺自身があの中に加わろうとは、思わなかった。
夏休みも終わり、「天高く馬肥ゆる秋」になると、空も青く澄んで空気もおいしく、昼休みに教室の中でくすぶっているのも、何か物足りなくなってくる。
この季節には、運動が苦手な俺でも、時間の長い昼休みには、教室を出てグラウンドや体育館のある方に足が向いて行く。俺にとっては、食後の散歩なのだ。
この時期の昼休みに、体を動かしている生徒たちは、そのほとんどが、一年生と二年生で、三年生は、すでに部活を卒業しているので、昼休みは、受験勉強などもせずに、のんびりと過ごしている人が多い。
俺は、運動部に所属していなかったので、昼休みは、一年からずっとのんびり過ごしてきた。一度だけ、運動部に関わっていたような気もするが、忘れることにしよう。
そんな秋の日の、のんびりした昼休みに、一人で体育館の近くを歩いていたら、声をかけてきた女の子がいた。クラスメイトで、卓球部に所属している桜井京子だった。もちろん三年生なので、卓球部の練習には、今は参加していない。容姿は、やせ形でかわいい女の子だった。
「翔太君、暇そうね。体育館の二階に卓球台が置いてあるから、卓球して遊ばない」
「卓球か、面白そうだな。いいよ。やろうよ」
実は、京子が卓球部だとは言っても、かわいい女の子なので、腕前を見くびっていたのだ。「軽く相手してやるか」ぐらいに、思っていたのだ。
二人で、体育館の二階に行くと、京子が、卓球部の部室から二人分のラケットとボールを一個持ってきた。体育館の二階は、約一年前の学園祭の時に炎に包まれたのだが、今は修復が終わっていて、卓球台も常時置かれている。
「いくよ」と京子が言って、サーブしてボールを俺のコートに打ってきた。京子は、自分が卓球部で、俺は卓球素人の運動音痴だと思っているので、打ち返せるように、下から軽くサーブしてきた。
しかし、現状は俺の方が有利だった。昼休みなので、京子はスカートをはいていて、素早く動くことなどできそうもない。俺は、温泉旅館のスリッパラケット卓球で鍛えているので、俺を甘く見ると大変なことになることを、京子は知らなかったのだ。
最初は、卓球が下手なふりをして、徐々に、京子を追い詰めていくことにした。京子が下から軽く打ったサーブを、同じように下から軽く打って相手のコートに打ち返した。これで俺の卓球のレベルが、小学生並みだと思わせたのだ。
そして、京子がまた、軽く打ち返してきたところを見計らって、今度は、踏み込んでスマッシュをしてやった。ところが、卓球のラケットとスリッパラケットでは、ボールのはじき方が違って、ボールは卓球台に収まることはなく、勢いよく台の外へ飛び出して行ってしまった。
「スリッパラケットの方が衝撃を吸収して打ちやすいな」などと思いながら、後ろに弾き飛ばされたボールを拾いに行っている京子の後ろ姿を眺めていた。
京子は、ボールを拾ってきて、今度は、ラケットを横から振って、普通にサーブをしてきたのだが、まだ、あまり強いサーブではなく、俺が打ち返しやすいように、卓球台のほぼ真ん中に打ってきた。
俺も、普通にラケットを横から振ってボールを打ち返すと、そのまま、しばらくラリーが続いた。ラリーが続いたといっても、小学生レベルのボールのスピードなのだが、二人で互いに何回も打ち返し合っているのは、楽しい。
卓球台の前に立って、二人が相対してボールを打ち合い、身体を動かしているうちに、段々と、手足が動くようになってきた。二人のラリーも、小学生レベルから中学生レベルへと上がってきた。
実は、レベルが上がってきたのは俺だけで、京子は高校の卓球部所属なので、「軽く相手してやるか」は、俺のセリフではなくて、京子のセリフだった。
俺は、京子がスカートをはいたかわいい女の子だったので、見かけだけで判断していて、卓球の実力など考えてもいなかったのだ。
俺が段々卓球に慣れてきたことを確認した京子は、いよいよ本気モードで動き出した。変化球サーブなどを打ってこられても、俺には拾えるはずもなく、京子は、それを眺めながら思いっきり笑っていた。
それから、京子は所々で、スマッシュも打ち出してきたのだが、もちろん、俺の出したラケットには、ボールは当たることもなく、後ろにボールを拾いに行く時間が増えていった。そのころになって「京子って卓球がうまいな」などと思っている俺がいた。気づくのが遅い、間抜けな俺だった。
もう昼休みの時間も残り少なくなってきたときに、京子の狙っていたスマッシュが飛び出した。
初めから、このスマッシュで決めるつもりだったのか、それともラリーをしていて、俺の卓球の腕が少し上達してきたので、思いついたのかは、定かではないが、見事に決められてしまった。
その瞬間は、突然訪れた。サーブは中学生レベルで始まったのだが、少しだけラリーが続いてから、突然、京子が一歩前に踏み込んで、スマッシュを打ってきた。打ったボールは、卓球台の上には落ちずに、真っ直ぐ俺の額に向かって飛んできた。
打ったボールのスピードが速く、俺は避けられずに、まともに額の真ん中で、京子のスマッシュを受けてしまった。たかが、卓球の軽いボールだと思っていたら、かなり痛かった。額にボールの跡が、赤くついてしまった。
京子は大喜びで、笑い転げていた。俺が運動音痴なのは知っていたはずなので、初めからこのスマッシュを狙っていたような気がする。
結局、俺は、昼休みに京子に軽く遊ばれてしまった。俺のスリッパラケット卓球は、スカートをはいた卓球部のかわいい女の子には通用しなかった。