昼休みも終わり、五時限目は書道の授業なので、コンクリート三階建ての工作室へ移動する。お腹がいっぱいで眠たい時間帯なので、工作机の上の書道用紙に向かって立って習字を書くのはありがたい。
書道の先生は担任の真元和尚なので、真剣に書道用紙に立ち向かわなくてはならない。書道用紙の大きさは、横一尺ちょっと、縦が四・五尺(約35㎝×約136㎝)で半切(はんせつ)という種類のものを使っている。一番小さい半紙ではない。
授業の初めに、和尚は書道の心得について、一通り説明をした。
「書道とは、『技』だけを磨いても上達はしない。『心』と『体』を整えながら、精神を統一し、墨を磨り、書くときは背筋を伸ばして、真っ直ぐな気持ちと真っ直ぐな姿勢で臨むこと」
何かわかったような、わからなかったような。いやわからなくてはいけない、と強く心に決めた。
生徒たちに書道の心得が伝わったことを確信した和尚は、目の前の机で、半切(はんせつ)に何やら書き出した。漢字ばかりが五つ並んでいる。中国の漢詩らしい。これを、正面にある黒板の左側に貼り付けた。漢字の一字が大きく堂々としていて素晴らしい。
そして、また半切に向かって何かを書き、それを、黒板の真ん中に貼り付けた。今度は、漢字とひらがなが混じった日本の文だ。さらに、また半切に向かって何かを書き、黒板の右側に貼り付けた。「しつこい、ちょっとやりすぎだろう」と思ったが、今度は、ひらがなだけのことわざが書いてある。生徒たちに一つのものを押し付けるのではなく、三つの違った要素から、自由に選ばせたのである。
「ふ~む、やるな、和尚」
和尚は、習字だけを教えるのではなく、精神修行も習わせようとしているのだろう。さらに、三つの違った要素を生徒たちに自由に選ばせることで、その生徒の個性や性格も読み取ろうというのだ。
俺はあまり深く考えずに「ひらがなだけのことわざ」を書くことにした。なぜならば、漢字は難しそうだからだ。これ以外の選択肢は考えられない。
半切を机の上に置き、文鎮を乗せて、静かに紙を眺めながら墨を磨る。レイアウトは、和尚の見本通りに書けば満点だ。集中して墨を磨っているのだが、墨が濃くならない。「これほんとに墨なのかな。学校の購買部で売っていた安物だからな」などと考えながら磨るが、濃くならない。密かに墨汁を硯の中へと投入する。理想的な墨の濃さになった。やはり俺って天才だ。
周りを見渡すと、みんなはまだ、墨を磨っている。あの購買部で買った安物の墨なので、なかなか濃くならないのだ。「ふふふ凡人たちめ、お先に失礼するぞ」と思い、筆を取る。
俺は、誰よりも早く筆を取り、硯の「海(うみ)」に毛先の半分ほどをゆっくりと浸す。そして、硯の「陸(おか)」で毛先についた余分な墨を落として、おもむろに半切に筆を立て、一行目をすらすらと書いた。もう一度、筆の毛先を硯の「海」へ浸して、「陸」で余分な墨を落として毛先を整え、二行目を一段落として、すらすらと書き上げた。クラスで一番早かった。見事というしかない。
書き上げた時間だけは見事だったのだが、中身がひどすぎた。「なんだ、この字は、ミミズがのた打ち回ったような字じゃないか。あまりにひどすぎて読めない」
和尚は、見本を書くときに筆を鉛筆のように持つのではなく、親指と他の指で筆を立てるように持って書いたので、真似して筆を立てて書いてみたのだが、あまりにも技術の差がありすぎた。
字が下手なだけではない。伸びたり縮んだり、斜めになっていたりと、すべてが悪すぎる。書いてみると、ひらがなだけというのは難しいことに気づいた。漢字にしとけばよかったと思ったが、後の祭りだ。早く丸めて証拠を隠滅しないといけない。
ところが、和尚に文鎮を外され、持って行かれた。一人だけ、すらすらと書き始めたので後ろに立って一部始終を見ていたのだ。後ろでじっと見ていた和尚に気づかないとは最悪だ。和尚は、俺の最悪の作品を持って、前の黒板の所に行き、自分の書いた見本の間に貼り付けた。これで、クラス全員に、字が恐ろしく下手なことがばれてしまった。
和尚は、この最悪な作品をしばらくの間眺めていたが、口を開いた。
「みんな、この緑川の作品をどう思うかね」
そんなことを「みんな」に聞くな、答えは聞かなくてもわかるだろう。
案の定、みんなの意見は良くなかった。「字が下手過ぎて読めない」、「字が曲がっている」、 「長かったり、短かったり」ほら見ろ。
ところが、和尚の意見は違った。
「確かに、一見すると字が曲がったりしているが、私は意外とこの字が好きだ。字に流れがあるし、迷いなく一気に書き上げていて勢いがある」
確かに迷うことなく一気に書き上げたのだが、今は、少しだけ迷えば良かったと反省している。褒められているのにうれしくないのはなぜだろう。和尚も、あまりにもひどすぎる字に、判別がつかなくなっているのだろう。下手なのも度を超すと芸術になるのかな。とにかく、俺には書道の才能はなさそうだ。
このあと、和尚は数人の作品を前の黒板に持っていき、貼り付けて「みんな」の意見を聞いたのだが、どの作品もそれなりに字が上手かった。俺はこの後、漢字などに挑戦したのだが二度と和尚に相手にされることはなかった。
書道の才能がないことがわかったところで、五時限目の授業が終わった。
本日、最後の六時限目の授業は、社会科の授業だった。つまらない。頭に入ってこなかった。俺にとっては人間界の社会などどうでもよかった。やっと一日の授業が終わった。
長い一日だった。「さあ、家に帰るぞ」急いで鞄を持って教室の外へ飛び出した。誰もついてこなかったので、最寄り駅まで早足で歩き始める。駅に着いたのは、十五分後だった。
駅までは結構遠いのだが、田舎道で信号などもあまりなく、車もあまり走っていないので、周りの畑を眺めながら行けば、天気の良い日などには、気持ちの良い道中でもあった。
駅には、もちろん一番先に着いたのだが、電車が行ったばかりで十五分も来ないことが判明した。結局、田中と青山に追いつかれたが、電車の中を一人で過ごすよりは、ずっと楽しい帰路になった。
途中の駅で、田中と青山に別れを告げて、一人になり、自分の降りる駅にたどり着いた。
自転車に乗り、家へと向かった。ペダルをこぎながら、今日を振り返ってみたのだが、色々あったようで、大して何も起きていないことに気づいた。
結局、今日一日でわかったことは、自分には書道の才能がないということぐらいだった。
「明日もこんな一日が続くのかな」
そんなことを考えていたら、家に着いた。
風呂に入り、夕飯を食べた。どんぶりで二杯食ったが、少し足りない感じだった。やっぱり大食漢だ。
なぜなのかわからないが、腹をすかして帰って来るのに、飯を食う前に風呂に入る。腹がいっぱいになると、何もしたくなくなるので、そうしているのかもしれない。
単なる習慣なのかもしれない。あまり考えるのはよそう。先に風呂に入っておけば、飯を食って腹いっぱいになって、眠たくなったら寝ればいい。ということで寝た。
著者プロフィール
由木 輪
1956年、東京都出身
ごく普通の家庭に生まれ育ち、大学を卒業後、東京に本社がある会社に就職しました。自分の意に添わず、幾つかの会社に転職することになりましたが、60歳になり会社員で定年を迎えました。定年しても年金がもらえるわけではなく、生活のために別の会社で働くことになりました。定年後の職場では、時間的にも精神的にも余裕が出来て、以前から書きたかった小説を書き始めました。みなさんに面白いと思っていただけるとうれしいです。