午前中最後の四時限目の授業は、体育だった。「腹が減っているのに、この時間に体育はないよな」と思っていたら、走らされた。しかし、満腹では走れない。やはり、空腹時が正解なのかもしれない。俺の体形は、身長が一五五センチで、体重は四七キロなので、細身で、やや小さいイメージではあるが、まだ、高校一年の十五歳なので、このくらいが当たり前なのかもしれない。こんなに細身なのに、足は遅かった。自分の体重による重力はあまり影響しないし、身体にうける風の抵抗も弱いはずなのに足が遅い。
頭の中では、すごいスピードで走っているのだが、タイムは平均以下だった。なぜ、足が遅いのかは、良くわからない。頭の中では速いのだが体は反応していない。スローモーションで走っているようで足が前に進まない。とにかく、走るのは遅かった。良く考えてみると、自分は天使なので、普段は飛んでいる。走るどころか歩きもしない。だから、走るのが遅いのだろうと納得することにした。
この体形で、この足の遅さなので、運動部から誘われることはなかった。運動部は正しい判断をしている。役に立ちそうもない。
腹が減っているのを克服するために、体育の授業が始まる前と、終わった時に、水道の水をたらふく飲んで、何とか生き延びることに成功した。昼飯の弁当はうまかったが、足りなかった。毎朝、母親が作ってくれている弁当で、母親は、自分が大食漢であることを良く知っているので、周りのみんなよりは、一回り大きい弁当なのだが、足りなかった。
こんなに食っているのに太らないのはなぜなのだろう。今は成長期で毎年身長が伸びているから、縦に伸びるのに必要な栄養なのだろう。
足りない分を水道水で補って、昼休みをのんびり過ごしていると、そこへ、西田伸一が現れた。にやにやしながら、何かを手に持ってやってきた。
「翔太、すごいものを作ったぞ」と言って、手の平を広げると、横五センチ、縦、一〇センチ、厚みが二センチ程度の箱のようなものが、手の平に乗っていた。これが、西田の言う「すごいもの」なのか。変わり者西田が作ったのだから、相当「すごいもの」なのだろうが、何だかわからない。
西田は、俺の耳元で、周りに聞こえないようにつぶやいた。「これは、爆弾だ」
何を言っているのかわからない。相変わらずの変わり者だ。とても付き合いきれない。大体、俺はそんなに暇ではない。「ん、今は、昼休みで、他にすることもなく暇か」それならば、西田が作った「すごい爆弾」も面白そうだ。俺も変わり者だった。
西田は、「爆弾」を窓から外の花壇に投げると言い出した。幸いにも自分の席は窓際だったので、そこから南にある花壇に向かって「すごい爆弾を投げる」と言っているのだ。
一年生の教室は、一番北側にあって、真ん中に南北に延びる通路がある。通路から東側に一組から三組までの教室が並んでいて、西側に四組から六組までの教室がある。この木造一階建ての古い校舎の真ん中から、南に向かって通路が延びている。一年生の校舎から、南に七、八メートル行ったところの通路西側に、一階建ての共同トイレ棟がある。このトイレ棟の南側数メートルの所に、木造二階建ての二年生の校舎があり、通路を挟んで東側には、職員室などがある鉄筋コンクリート三階建ての建物がある。
一年生の校舎から、共同トイレまでの七、八メートルの空間に、花壇があって、ここへ、西田は「爆弾」なるものを、投げ込もうとしているのだ。
「よし、いくぞ、地面に着く瞬間に耳をふさぐんだぞ」と言いながら、「爆弾」を花壇に向かって投げた。投げつけたのではなくて、下から上に向かって、そっと、投げ入れた。
西田は、慌てて両手で耳をふさぎ、目をつむって、床にかがみこんだ。
「おいおい、地面に着く瞬間に耳をふさぐなんて、こんな小さなものが、そんなに、大きな爆発を起こすわけがないだろう」と思って、椅子にのんびりと座り、外を眺めていた。
ところが、「こんな小さなもの」がすごかった。地面に着くやいなや、「ドカーン」というものすごい爆音とともに、噴煙が上がったのだ。
あまりのすごさに、クラスどころか、一年生の校舎、二年生の校舎、職員室まで騒然となってしまった。俺も驚いた。座っていた椅子から転げ落ちて、尻を床に打ち付けてしまった。西田を甘く見ていた。こいつは、変人なのだから、凡人が想像すらできない物を簡単に作ってしまうことがあるということを忘れていた。西田の言うことを素直に聞いて身構えておくべきだった。何てことだ。尻が痛い。
噴煙が収まって花壇に目をやると、直径五○センチぐらいの穴が開いていた。この騒動に先生たちが黙っているわけもなく、教頭先生をはじめ、十数名の先生たちが、南北の通路に飛び出してきた。状況を把握すべく、周りを見渡していると、一年五組の窓から、一人の生徒が身を乗り出して、穴を見つめてにやにやしているではないか。「西田、危ない、見つかるぞ、ひっこめ」と心の中で思ったが、言葉にはならなかった。
「こら~、そこにいるお前、そこから動くな」真元和尚の声だった。
「危ない、ここから逃げなきゃ」と心の中では思ったが、椅子から転げて尻を打っているので動けなかった。クラスのみんなは、俺と西田の周りから遠ざかって、冷たい目で二人を見ていた。
そこに、真元和尚が飛び込んできた。
「そこの二人、立て、おまえらいったい何をやらかしたんだ。説明しろ」かなりの荒い口調だった。この怒り口調は、とても活字では、表現できない。俺は何もしていないのに西田と一緒に立たされた。尻が痛いのに。
この騒ぎを起こした張本人の西田は、真元和尚の迫力に、俯き(うつむき)加減で、言葉はしどろもどろだった。さっきまではにやにやしていたのに、まるで蛇に睨まれたカエルみたいになっている。俺は関係ないと言いたかったが、和尚の迫力に負けて何も言えなかった。
「二人とも悪ふざけが過ぎるんだ」
「おや、これどっかで聞いたセリフだな」と思ったが、すぐに和尚のセリフが追いかけてきた。「歯を食いしばれ」これってやばい状況じゃないかな。西田が頭突きで飛ばされた。西田は、後ろ一メートルの所に窓があったので、そこまで飛んだ。
「今度は俺の番だな。でもちょっと待てよ、俺は頭突きは強い。さあ来い」と思っていたら、平手で殴られた。「ふ~む、やるな、和尚」横から来たので教室の中にるものもなく三メートルは飛ばされた。尻が痛いのに頬まで痛い。
結局、午後の授業のことは記憶にない。
この事件の後、西田は、南北の通路の西側の四組、五組、六組への立ち入りが禁止となった。それから五組の教室で西田に会うことはなくなったが、授業が終わり、駅へと向かうと、その駅でしっかりと俺を待っていた。
「こんな事件を起こして、もう西田とは二度と付き合わない」などとは思うこともなく、この後も二、三度、西田の家に泊まりに行ってしまった。俺も西田と同じような変わり者だった。なんとなく馬が合うのだ。