六月も中旬を過ぎると、雨の日ばかりが続く「梅雨(つゆ)」という季節がやってきた。
いつもは最寄り駅まで自転車で行くのだが、雨の日に大通りの車道の端を自転車で走行していると、車が横を通り抜けた時に水を跳ねられたら自転車ごと倒されてしまうので危ない。それで、雨の日はバスで最寄り駅に向かうのだが、バスも乗ってみるとなかなか楽しいものだ。
自転車よりもバスは時間がかかるので、いつもよりは少し早めに家を出る。自宅付近にある最寄りのバス停には、傘の花が咲いていた。赤や色の付いた柄物などが歩道に並んでいる。自分の傘は黒なので花ではない。足元も黒い長靴でファッションを語れるようなセンスなど皆無だ。傘が黒でワイシャツが白、ズボンが黒で長靴が黒。まったく色がない。これは通学のための学生服だから色がないのだ。でも普段着にもあまり色はなかった。俺には、ファッションセンスというものが存在しなかった。
バスが来て乗り込むと、雨なので混雑していた。車内の奥までは行けずに手前の方の吊り革につかまっていると、次のバス停で中学の同級生の女子が乗ってきた。山口茜(あかね)だ。
茜は頭の良い子で、今は女子高に通っている。中学の時はあまり話をしたことはなかったのだが、なぜかにこにこしながら俺の隣にやってきた。「おはよう」といって茜は、女子高の内情について話し始めた。「女子だけだから、あまり羞恥心がなくてね・・・」そそられる話だ。中学の時にはあまり話をしなかったとは思えないくらいの食いつきで、根掘り葉掘り聞いていたのだが、乗車時間が足りなかった。自分が降りるバス停に着いてしまったので降りるしかなかった。「またね」と言って茜と別れた。
「梅雨」時期で、バスに乗ることも多いので、茜に会うことも多いはずだから、また、会ったら女子高の内情について根掘り葉掘り聞こうと思ったが、なぜか茜には二度と会うことがなかった。女子高のすべてが霧の中になってしまった。
バスを降りて駅に向かう。この日は普段乗る電車よりすこし遅れて電車に乗ることになったのだが、改札口の前で西田に会った。西田の膝から下はずぶ濡れだった。どうやら駅まで歩いてきたようだ。
西田と一緒に電車に乗り、学校へと向かった。結局、西田のズボンが乾かないうちに学校の最寄り駅に着いた。ここから学校まで十五分歩かなくてはならないので、学校に着いた時には、俺も西田と同じように膝から下がずぶ濡れになっていた。
膝から下がずぶ濡れ状態で授業を受けることになったのだが、学校にいるすべての男子生徒が同じ状況だった。
一年生の校舎は、木造一階建てで普段から薄暗いのに、雨の日は特に薄暗い。
こんな日は、授業内容が頭に入ってくるわけがなかった。あれ、いつもかな。
一時限目の授業は英語だった。英語は世界で最も使われている言語なので、必須科目として中学から習っているのだが、授業内容に納得がいかなかった。「リーダー」と「グラマー」とは何だ。英語が世界で最も使われている言語ならば、英語を話す人と会話ができなければ意味がないのではないか。「リーダー」は読本で、英語の文章をひたすら読んで意味を解説しているだけだし、「グラマー」は難しい文法なのだが、こんな難しい文法など習っても使い道がない。
「それよりも英会話を教えろ」と思ったが、この先生たちは英会話が出来なかった。町で外国人を見かけたら、真っ先にどこかに隠れてしまい、声を掛けられないように頑張る人たちだった。外国人だからといって、すべての人が英語を話すとは限らないのだが、外国人恐怖症になっているみたいだ。
英語の教師になるには、大学などで専門の教職課程を習得して、教師の免許を取る必要はあっても、英会話は必須にはなっていないのだ。彼らは、英会話を生徒たちに教える先生ではなくて、教育委員会が定めた英語の授業内容を生徒たちに教えるという使命を持っている先生たちなのだ。その使命を持って教育委員会から雇われた教師ならば、それはそれで良いが、英会話の先生も別に雇ってほしい。
「英会話が覚えられない英語の授業なんてくだらない」と思ったら英語の授業など聞く気にもならなくなってしまったので、授業中はボーッとして過ごすしかなかった。結局、英語は常に赤点だった。
休み時間になると、相変わらず五、六人の女子が暇つぶしにやって来る。俺の髪の毛を触ったり、腕を触ったり、多いときは一○人ぐらいの女子に取り囲まれる時もある。
「俺って女子にもてる」と思ったら、単なる暇つぶしだったことが判明したので、会話にも力が入らない。適当に聞き流していると休み時間が終わった。
二時限目の授業は体育だった。
雨なので体育館で体力測定を行った。反復横跳びなど疲れるだけで何に必要なのか理解できない。俺は相変わらずの運動音痴で、垂直跳びや上体反らし、背筋力、握力などすべて平均値以下でまとめた。天上の世界にいる時は、いつもふわふわと飛んでいるので、運動などしたことがない。人間とは、異常に疲れるものだな。
二時限目ですっかり体力を使い果たしてしまったので、三時限目と四時限目は、ただそこに姿があっただけだった。
昼休みになり、弁当を食べたので、すこし体力が戻ってきた。昼休みは、女子も西田も近寄ってこないので、自分の席で十分な睡眠をとって、午後に備えることができた。
午後の授業は、五時限目が数学で、六時限目が物理で二科目とも好きな科目なので、時間の経つのも早かった。
そして終業のチャイムが鳴り、家路についた。「真っ先に帰宅部」は退部したので、割合ゆっくりとしたペースで帰宅準備をして、田中と青山といっしょに雨の中を駅へと向かった。電車の中を三人で楽しく談笑しながら過ごし、途中の駅で二人と別れ、やがて自分の降りる駅に着いた。
駅からは、雨が降っている歩道を、傘を差してバス停へと向かって歩く。自宅へ向かうバスの経路は、幼稚園から女子短大まであるマンモス学園が始発で、俺の乗る途中のバス停に寄り、そこから十分ぐらいにある電車のターミナル駅を経由して、さらに十分ぐらい走ると自宅付近のバス停に着く。バスに乗っている時間は約二十分間だ。
始発のマンモス学園から電車のターミナル駅には、五分間隔でバスが出ているのだが、ほとんどが駅止まりで、自宅付近のバス停へ向かうバスは、その中の三十分に一本だけだ。
ターミナル駅止まりのバスをやり過ごし、自宅の方へ向かうバスを待っているのだが、学校で終業のチャイムが鳴ってから、このバス停に来るまでに一時間程経っているので、やり過ごした駅止まりのバスも、すでに混雑は緩和されて、車内は空いているので安心してバスを待っていると、そこへ自宅方面に向かうバスがやって来た。
バスが停留所に停車してドアが開いたので、傘をたたみバスに乗り込むと、なぜだかわからないが、バスの中は女子高生ですこし混雑していた。見渡す限り男子はいない。
ドアからほぼ真っ直ぐに上がったところに、吊り革が一つ空いていたので、その吊り革につかまって、車窓の外の雨に煙る街並みを眺めていると、約十分でターミナル駅に着いた。
ターミナル駅に着くと、乗っていた女子高生たちはすべて降りてしまい、俺だけがひとりぽつんと残された。ターミナル駅からは数人の客が乗り込んできただけなので、俺もゆっくりと座席に座り、自宅へと向かうことができた。
帰りのバスに乗っていたのは、マンモス学園の女子高生たちだけで、速水由香も山口茜も乗ってはいなかった。少し期待をしていたので残念だった。依然として女子高の実態に迫ることはできなかった。
「梅雨」の時期は、毎日のように雨が降るので、バスを使用する頻度は上がったのだが、期待している二人に会うことはなかった。
ところが、帰りのバスには異変が生じ始めていた。毎日少しずつ、女子高生が増えているのだ。気が付くと乗車口のステップの所まで女子高生でいっぱいになっていた。一本前のターミナル駅止まりのバスは空いていたのに、俺の乗るバスだけ混雑している。それも女子高生だけでいっぱいになっている。男子は見当たらない。
「もはや乗れない」と諦めかけていると、女子高生の海が二つに割れて道が出来た。道の先にはぽつんと一つだけ吊り革が空いているではないか。記憶の奥底にこんな光景を見たような気がした。俺は天使とはいっても「神様」の小間使いにしかすぎず、海を割って道を作れるような能力などがあるわけもない。それでも目の前の女子高生の海が二つに割れて道ができたので、おもわずバスに乗ってしまった。このバスに乗らないと三十分待って次に来る自宅方面行きのバスに乗るか、バス代を二倍払って、次のターミナル駅止まりのバスで一度ターミナル駅まで行き、駅で自宅方面行きのバスに乗り換えるか。いずれにしてもかなりのロスなので、せっかく空けてくれた道なのでバスに乗り込んだ。
バスに乗って吊り革につかまると道が閉ざされた。女子高生で満員のバスの中にぽつんと一人という状況なのだが、女子高生に接触しているのは普段の休み時間もそうなので気にならなかった。ところが、ムシムシとしている「梅雨」時期なので、女子高生たちの汗のにおいがすごかった。息を止めたが駅までの十分間ずっと息を止めていることができず、息継ぎをした瞬間「死ぬ」と思いながら耐え、死の一歩手前で駅に着いた。途中のバス停で降りたくても降車ボタンにさえ手が届かないので、駅までは死に物狂いで耐えるしかなかった。
駅に着くと、乗っていた女子高生たちはすべて降りてしまい、自分だけがバスの中にひとりぽつんと残された。
「なんだよ、駅で降りるならひとつ前の空いているバスに分散して乗れば良いじゃないか」彼女たちの目的を全く理解できない鈍い自分がいた。
「梅雨」時期は次の日もまた雨で、帰りのバスは同じ状態だった。今度はバスに乗る勇気がわかず、次の空いているバスに乗りターミナル駅まで行き、三十分後のバスで家へ帰った。
案の定、三十分後のバスも駅までは女子高生であふれていた。うっすらとだが、彼女たちが求めている者がバスに乗っていることが想像できたのだが、その者が俺ではないことを祈るだけだった。空しい祈りだったような気がした。
次の日も雨だったが、合羽(かっぱ)を着て自転車で出かけることにした。
「雨が降っていて危ないから、バスで行きなさい」と事情を知らない母親に言われたが、説明はせずに、雨の中を合羽を着て自転車で出かけた。あんな恐ろしい体験は二度と味わいたくなかった。それからは、台風などの大雨の日以外は、雨が降ってもバスを利用することはなかった。