著者プロフィール                

       
水上の天使|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 〜(その9)

由木 輪

1956年、東京都出身
ごく普通の家庭に生まれ育ち、大学を卒業後、東京に本社がある会社に就職しました。自分の意に添わず、幾つかの会社に転職することになりましたが、60歳になり会社員で定年を迎えました。定年しても年金がもらえるわけではなく、生活のために別の会社で働くことになりました。定年後の職場では、時間的にも精神的にも余裕が出来て、以前から書きたかった小説を書き始めました。みなさんに面白いと思っていただけるとうれしいです。

水上の天使|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 〜(その9)

梅雨が明けて毎日が厳しい暑さとなった。
 梅雨以降の季節であれば、水泳の授業があっても楽しむことができるのだが、七月からは水泳の授業が組まれていて、梅雨空で気温も低いのに唇を紫にし、ぶるぶる震えながらプールに入るのはいかがなものかと思われる。融通の利かない先生たちしかいない。

 水泳の授業は、男子と女子では別の日に行われているので、女子の水着姿を間近に見ることはなかった。学校はこんなことだけ融通が利くのだ。
 もうすぐ夏休みになるのだが、その前に高校生活最大の危機に出会ってしまった。まだ一年生なのに高校生活最大の危機なのだ。学年別の水泳大会だ。期末テストは適当に鉛筆を転がしておけば良いが、水泳大会はそうはいかない。俺は運動音痴だ。体力測定でも、短距離走でも平均値以下なのだ。水泳などしたら溺れてしまうだけだ。

 男子の種目は、自由形、平泳ぎ、背泳ぎの三種目で行うことが決まった。プールは長さが二五メートルで、横幅は六レーンあるので、ちょうど、各クラスが一人ずつで、計六人で競泳ができる。
自由形と平泳ぎは各クラス二名ずつで二回に分けて泳ぎ、上位三名が決勝進出と決まった。背泳ぎは、各クラス一名で、いきなり決勝ということになった。自由形と平泳ぎは立候補する生徒がいて、すぐに四名の選手が決まったが、背泳ぎは誰も手を挙げなかったので、くじ引きとなった。

 なんと、このくじ引きに俺みたいな運動音痴が当たってしまった。高校一年生で背泳ぎに自信のある生徒は誰一人いなかったのだ。「運動音痴の俺は溺れて、救急車で病院に運ばれる」と思ったが、見様見真似で練習してみると、なぜだかわからないが背泳ぎが泳げる。自由形や平泳ぎなどは、二~三メートルぐらいしか進まず、たっぷりと水を飲んで溺れる前に立ち上がってしまうのがやっとなのだが、背泳ぎは泳げるのだ。背中に翼があって、ふわふわと水に浮いているような感覚がして、なぜだかわからないが泳げるのだ。

誰にも俺の背中に生えている翼は見えないのだが、実は、翼は存在していて、空を飛ぶことは出来なくても、水には浮くのかもしれない。水にさえ浮けば、背泳ぎがなんとか泳げそうだった。
 水泳大会のための授業は、男子と女子とでは別々の授業時間に行っていたのだが、水泳大会は、晴れた日の午後に二時間ほど、一年生の男女合同で行われた。

プールサイドには二○○人以上も人がいるので、通勤時の電車のホームみたいにごった返しているのだが、やはり女子は女子で一方のプールサイドに固まっていて、男子は反対側に固まっている。もちろん俺は、女子の水着姿しか見ていない。

男子など見たくもないのだが、近くにいるので目に入ってきてしまう。男子も運動部に所属している生徒は、なかなか良い筋肉をしていて、中には腹筋が割れている奴もいる。俺自身は筋肉など皆無で、もやしみたいにきれいで細くしなやかだ。

女子は全員が濃紺のワンピースのスクール水着なのだが、体形は様々だった。十五歳から十六歳の女子のほとんどは、あまり凹凸のない子供体形なのだが、中にはセクシーな体形の女子もいる。ピンポイントでじろじろ見ていると捕まってしまうので、いつものちら見で楽しんでいると、自分の出番がやって来てしまった。何かに集中しているときは時間が経つのが早いものだ。

 自由形の予選二レースと、平泳ぎの予選二レースが終わったので、次が背泳ぎの決勝となったのだ。俺は五組なので、五レーンに向かってプールサイドを歩き出すと、いつも休み時間に暇つぶしに集まっている女子から声援を受けた。軽く手を振って、声のする方を見てみると全員が子供体形だった。「少しは膨らめよ」と思いながらプールに入り、背泳ぎのスタート体勢を取った。

 スタートの合図が鳴って泳ぎだすと、ふわふわと浮きながら何となく前に進んで行く。背泳ぎなので、前というのが正しいのか後ろへ向かって泳いでいると言うべきなのか不明だが、とにかく進んでいる。プールの半分辺りまで進んでくると、後ろが見えたので見てみると、後ろはひどかった。

 バチャバチャと水音だけを立てている奴や、泳ぐのを諦めて立ってしまっている奴、溺れている奴と散々だ。結局、一番早くゴールに着いた。俺自身の泳ぎも、あまりかっこ良くも、速くもないのだが、他のメンバーの泳ぎがひどかった。

 この学校には、水泳部がないので、専門的に水泳を習っている人はいない。だから、みんな水泳の授業や、市民プールなどで泳ぎ方を覚えるのだが、大体の人は、自由形や平泳ぎを上達しようと努力しているわけで、バタフライや背泳ぎを一生懸命練習して上達しようとする人は見たことがない。
 だから水泳大会で背泳ぎに立候補する人がいなかったわけで、この学校の一年生は、みんな背泳ぎが下手だったのだ。

そこに一人だけふわふわと浮かんで前に進んで行ったので「背泳ぎの部優勝」の栄光を勝ち取ることができた。くじ引きで当たってしまったときは、「何てついてないんだ」と思ったが、ラッキイボーイだった。
 優勝したのに賞状もなく、ただ「おめでとう」と担当の先生が言って、握手をしてくれただけだった。何のために頑張ったのかわからない。あまり努力はしていないが。
この「背泳ぎの部優勝」で運動能力の才能が認められるわけもなく、運動部からのお誘いは無かった。運動部の判断は正しい。

女子の競泳は、男子の大会が終了してから、男子をプールから追い出して行われたので、何を行ったかわからない。ひょっとすると競泳を行ったふりだけして、プールで水遊びしただけで終わったのかもしれない。

「背泳ぎの部優勝」という俺にとって輝かしい記録は、みんなの記憶からはすぐに消えてなくなり、話題にもならなかった。次の日どころか、プールから離れた瞬間にみんなの記憶からなくなってしまったようだった。

 女子たちの話題はもっぱら、運動部員の筋肉だった。「俺の細くてしなやかな体も話題にしてくれ」と思ったが、女子たちの記憶には存在していなかったようだ。

翼がないのにふわふわ浮いて 【全22回】 公開日
(その1)舞い降りた天使|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年8月7日
(その2)タラチネ|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年10月2日
(その3)天使も筆の誤り|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年10月31日
(その4)ミトコンド~リア|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年11月29日
(その5)爆発だ|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2019年12月26日
(その6)お昼の散策|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年1月31日
(その7)バスの中にぽつんと一人|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年2月28日
(その8)マドンナ|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年3月27日
(その9)水上の天使|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年4月29日
(その10)旅に出る|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年5月29日
(その11)取り上げられた楽しみ|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年6月30日
(その12)マラソン大会|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年7月31日
(その13)修学旅行|「翼がないのにふわふわ浮いて」(青春篇) 2020年8月31日
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