ヨーロッパ各地の美術館を訪れると、細密画や装丁も美々しい書籍が展示されていることが多々あります。中世ヨーロッパでは庶民の識字率が低かった時代が長く、こうした書物を所有できることは富裕であると同時にインテリであることも意味していました。装丁や挿絵を見れば一目瞭然ですが、当時の書物は大変に高価であったことも社会層の上下と関連していたといえるでしょう。しかし、お金にあかせて書物を漁るだけではなく、病的なまでに書籍の所有に固執する「ビブロフィリア」というカテゴリーがあることをご存知でしょうか。これは、「蔵書マニア」とも訳すことができるかもしれません。歴史家によれば、そのビブロフィリアの最たる例が文学者のペトラルカなのです。本をめぐる彼のライフスタイルが、欧州のエリートたちの理想形となった経緯も見てみましょう。
ペトラルカはイタリアを代表する文学者として知られる14世紀の人です。
ペトラルカには、書物にまつわるこんな伝説が残っています。公証人の息子に生まれたペトラルカは、父の職業を継ぐべくモンペリエ大学に通っていました。ところが学業はまったく思わしくなく、憤ったペトラルカの父は学業とは関係のないラテン語の書物を火に投げ込んでしまうのです。まるで幼児のように泣き出したペトラルカを見て父は、火の中から焼け残った書籍を取り出し息子に手渡しました。
「このヴェルギリウスとキケロは、勉強の合間に読みなさい」。
ペトラルカは結局、公証人にはならずに文学者となりました。しかし、ペトラルカの功績は文学の分野にとどまらなかったのです。彼は、各地の修道院の片隅で朽ちるのを待っていた貴重な書籍を、どん欲なまでの情熱で探し出し世に送り出す役割も果たしました。それは、当時のヨーロッパでは一般的であった宗教書ではなく、暗黒の中世のあいだに日の目を見なかった古代ギリシアやローマの古典であったのです。ペトラルカの存在なくして、われわれは古代ギリシアやローマの古典を学ぶことはできなかったかもしれません。
ペトラルカ自身の言によれば、この「書物への渇仰」は手に入れても手に入れても際限がなく、ありとあらゆる修道院に赴き書物を手に入れ、サフラン色に変色したページから文字を追い続けた、となります。
「自分のこの貪欲さと折り合いがつかない」「書物を次々に手に入れても、満足感を感じることができない」、とペトラルカはその病的な症状を告白しています。
ペトラルカはとくに、古代ローマの雄弁家として高名なキケロの作品の入手に執念を燃やしていました。
1345年、ペトラルカはヴェローナでキケロの書簡集を発見します。狂喜乱舞したペトラルカは、この書簡集を大枚はたいて美々しく装丁し、書庫にもしまわず部屋の片隅において眺めていたそうです。これまた伝説によれば、高く積んだこの書籍群はよく倒れてきてペトラルカの左足を直撃し、化膿が悪化して切断の危険もあったとさえいわれています。
まったく病的としかいいようがないペトラルカの書物への執着ですが、彼がこよなく愛したこれらの古典が、ルネサンス文化を生み出したエリートたちの必読の書となったのです。つまり、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロを生み出したルネサンスの文化の土壌ともなったのが、ペトラルカが執念で探し出した書籍の数々であったのです。
紙の書籍を愛する人にとって、騒音のない静かな環境で読書にいそしむことは至福の時間といってよいでしょう。そんな時間にはやはり、電子書籍もいいけれど、やはり紙の書籍がいい、というのが本好きたちの本音ではないでしょうか。晴れた日には鳥のさえずりの中に、そして雨の日には雨音の中にとけこむ書物のインクの香り、ページをめくるさやけき音…。
ビブロフィリアの元祖ペトラルカも、そんな時間をこよなく愛していました。どんなに報酬のいい仕事でも、長期にわたって田舎での生活を妨げるものは断ったというエピソードもあります。
古代ローマに傾倒していたペトラルカは、「閑暇」と「書物」は切り離せないものと考えていました。これは、悪名高きネロ帝の家庭教師であった哲学者セネカの受け売りであったようです。セネカは、「書のない閑暇は死と同じ」というほど書物を愛した人でした。ペトラルカをはじめとするルネサンスの人々は、このスタイルに憧憬を抱いてたのです。自然の懐深く書物だけを抱えて籠り、たまさかに訪れる心許した友人と語り合う。これが、ルネサンス時代のエリート層の「理想的な閑暇」となったのです。
ペトラルカが生きた時代は、フィレンツェをはじめとする都市国家群の経済成長期とかぶります。そのため、彼に続くビブロフィリアたちは、貴族や法王の意を受けて中東から北欧にいたるまで、古い書籍がありそうなあらゆるところに赴き、何世紀もの間眠っていた書物に光を当てることに成功しました。強力な経済力がバックにあったからこそ、可能になった事象です。
ペトラルカと同じく人文主義者として有名なボッカッチョ、法王庁から命を受けて書物を探し続けたポッジョ・ブラッチョリーニ、ラテン語のみならずギリシア語の書籍にも注目したジョヴァンニ・アウリスパなどなど、枚挙にいとまがありません。
また、高邁な志によってではなく、商業ベースに乗って修道院から持ち出された書籍も少なくありませんでした。しかしそれも、「販売すれば売れる」からこそ成り立った商売であり、本を欲する人が富裕層に多かった証拠といえるでしょう。
蔵書マニアの1人であったギリシア人の枢機卿バシレイオス・ベッサリオンは、所有していた482点の書籍をヴェネツィア共和国に寄贈するにあたり、ヴェネツィアの元首にこう書き送っています。
「書物は命を失わず、私たちに問いかけ、私たちに薫陶を与え、大きな慰めとなってくれる。過去の人々の尊厳や品格が、書物の中には詰まっている。書物がなかったら、歴史を学ぶこともなく、われわれは粗野で無知な生き物のままであったことだろう。なぜならば、人が死に棺におさまるとき、その人の記憶も忘却の彼方に去ることになるからだ」。
1374年7月19日、ルネサンスの先達として書物をこよなく愛したペトラルカは亡くなりました。言い伝えによると、ペトラルカはヴェルギリウス作『アエネイス』の書籍にもたれたまま、静かに息を引き取ったそうです。
本好きとしては見習いたいような、理想的な死ですね。
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