富山大空襲を語り継ぐ会事務局長 柴田恵美子氏推薦
今、伝えたい「平和のありがたさ」
『富山大空襲』1945年8月2日未明 富山市街 全滅
富山の市街地が焼夷弾により焼け野原となったのは、たった80年ほど前のこと。
この悲惨な出来事を風化させてはならぬと、語り部として人々へ訴え続けた一ノ瀬文子。
病に冒された文子が、孫の華音やその教え子たちに、最後に伝えたかった本当の思いとは。
【富山大空襲を語り継ぐ会事務局長 柴田恵美子氏推薦】
軍靴の音が聞こえてくる。
いつも犠牲になるのは、お互いの国民なのに。愚かな為政者達。
戦争は最大・最悪の環境破壊。
78年前、富山大空襲で無念の死を遂げたあの世の犠牲者と
戦後も心を痛めてきた体験者達の叫び「二度と繰り返さないで!」
その声を平和しか知らない私達は今こそ他人事ではなく聞く時だ。
蠟燭の灯が消えないうちに……。
ロシアのウクライナ侵攻を含め、世界各地で戦争・紛争が起きています。「人類の歴史は戦争の歴史である」と言った識者がいました。全くその通りだと思います。ですが、「なぜ地球上から戦争がなくならないのでしょうか?」。私なりに考えた結果、『富山大空襲』の事実をもとに、世の人たちに「平和のありがたさ」を訴え、他人事では済まされないという現状認識を持っていただくことで、少しでも戦争がなくなればと思い、出版に踏み切った次第です。
―執筆中に大変だったことはありましたか?私自身、戦争の経験がなく、主人公の心の葛藤をどのように表現するか、想像で書くしかありませんでした。ヒントになったのは、従姉妹と実母の会話です。従姉妹の母が空襲で亡きあと、私の母を実母のように慕っていたのを幼心にわかっていました。従姉妹も、そのことをいつも私に公言していましたので、「母だったらこんな風に姪の従姉妹の心情に想いを寄せていたんだろう……」と斟酌し、筆を進めていきました。しかし、そのことを本当に従姉妹は望んでいるんだろうか? それとも、真逆ではないのか?と悩み続けました。刊行後、従姉妹に本を送ったところ、「私の気持ち、人生を振り返ってみると、ここに表現されていることが、あたかも自分の心根を吐露しているような気がします」と返信があり、ホッとしました。
―制作中によかったと思えたことはどんなことですか?執筆中に生まれ育った富山市、作品の舞台となった高岡市を取材で訪れ、新聞記事や雑誌の引用ではなく、直接、学芸員や地元の方に建物や碑の由来を聞き、参考になったことです。
一例ですが、「流れ着いた漂着遺体」の碑がある場所に行き、「空襲後、仲の良い姉と弟が手を縛ってここに流れ着いたに違いない」との解説している碑文を見つけました。偶然通りかかった地元の方に聞いたところ、「毎年、この碑の前で8月法要を行っており、お坊さんがその話を必ずする」とのことでした。あの碑文に出会わなければ、本書『第8章 流れ着いた遺体と人間の性』の発想は思いつかなかったと思います。取材は大事であると同時に、発想の源であると感じました。
―完成した本をどんな方に読んでほしいですか?次代を担う若者たちに読んでほしいと願っています。
戦争は繰り返し起きています。事実を語り継ぐことは大切です。広島や長崎の原爆、沖縄の地上戦、東京、大阪、愛知など大都市圏の空襲、今回取り上げた富山、長岡などの地方における空襲。これらは、全て戦争というキーワードで結びつきます。「戦争を起こさない、起こさせない、巻き込まれない」この3原則は、普遍だと思っています。もちろん、理想論だと言われるかもしれませんが、今やこの大原則の一角が崩れるような気がしています。それには、本書が若い人たちの平和教育の必要性の糸口になればと思っています。
戦後約80年、日本は曲がりなりにも平和を享受してきました。だからといって、将来にわたって続くと保証できないことも事実です。持続的な平和への願いを一人ひとりが持ち続け、行動することが求められております。「戦争と平和」は紙一重です。降って湧いてくるものではないと感じています。このことを、本書では一番訴えたいです。
―これから出版を考えている人へのメッセージをお願いします。自分の主張を堂々と述べるべきだと思っています。最近の傾向として、うけを狙って読者におもねる風潮があるように感じますが、私は、そればかりだと長くは続かないと思っています。無論、読者にとって持論を導くための手法としてのレトリックは必要だと思いますが、そればかりでは飽きてしまうのではないでしょうか。これからは、時代に流されず、立ち止まって熟慮断行することも必要だと考えています。これから出版をされる方の参考になれば幸いです。
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