「地の文」の視点は一人称? 三人称? それぞれのメリットを解説
「小説を書いてみよう」──そう思い立ったとき、みなさんは何から考えはじめますか?
大まかな枠組みを決めたら、いきなり登場人物のセリフを考える方もいるのではないでしょうか。
確かに、会話文は主人公の性格や特徴が表れる重要な箇所で、考えるのも楽しいですよね。
しかし分量としては、文章全体に対する会話文の割合は微々たるものです。
むしろメインとなるのは「地の文」であり、これこそが小説作品を支える基礎の部分です。
地の文には、大きく分けて情景描写、心情描写、説明文としての三つの機能があります。
もちろん会話文でもこれらの機能を果たすことは可能ですが、説明口調になってしまったり、展開が平坦になってしまったりという危険性があります。
裏を返せば、地の文が上達することで、上記の三つの役割を果たしつつ、かつ物語に起伏を生むことができるのです。
地の文における視点の違い
地の文を書く際に苦戦しがちなのが、誰の目線で地の文を書くのかということです。
例えば「主人公の冬子が列車に遅れそうになり、ホームへの階段を必死に駆け上がるシーン」を書きたいときには、大きく分けて以下の二つの方法があります。
まずは一人称視点──主人公である冬子──で書く場合。
次に三人称視点──全てを見通す神の視点──で書く場合。
地の文の視点をどこに置くのかによって、作品の仕上がりは全く違ったものになります。
では実際に、先述の場面を一人称と三人称、それぞれの視点から書き分けたものを見てみましょう。
・一人称
もうだめだ、間に合わないかもしれない。私は必死に駅の階段を駆け上がる。足を踏み外さないように細心の注意を払いながら、左腕に巻いた腕時計に目をやる。あと30秒で電車は出発してしまう。のどが熱い。鉛のように重くなった足を気合いで動かして、私はラストスパートをかけた。
・三人称
「もうだめだ、間に合わないかもしれない」と思いながら、冬子は駅の階段を駆け上がっていく。電車の出発までは、残すところあとわずか30秒だった。サラリーマンたちは、冬子が横を慌ただしく行き過ぎるのを鬱陶しそうに半歩で避け、眉をしかめてその背中を見送っている。冬子は息を切らし、顔を赤くしてラストスパートをかけた。
書いている内容はほとんど同じでも、印象が随分と異なることがお分かりいただけたでしょうか。
一人称=主人公目線で地の文を書くことで、躍動感やスピード感、心情が読者に伝わりやすくなります。
「のどが熱い」「鉛のように重くなった足」など、身体と結びついた表現は一人称視点の十八番です。
ただし情景描写では、主人公に見えていない場所や人物を書くことはできません。
電車に乗り遅れそうで周りが見えていない冬子の視点からは、彼女の周囲にどのような人々がいたかという点には言及できないのです。
これに対して、三人称視点は情景描写を書きやすいことが特徴です。
一人称視点では見えなかったサラリーマンたちの姿が現れ、冬子の若々しさと対比が生まれています。
一方で、一人称視点の得意分野である身体的感覚については、例えば「のどが熱い」に対して「息を切らし」「顔を赤くして」など、外から観察可能な特徴に置き換える必要があります。
もちろん三人称視点でも、例えば「〇〇は『~~』と思った」などの方法で心情を表現することは可能です。
とはいえ、あまり使いすぎると冗長になってしまうので、やはり表現を工夫するなど注意が必要です。
今回ご紹介した文体の違いを意識して、作風に合った視点を選ぶことで、完成度は飛躍的に向上します。
なお、途中で視点を変えてしまうと読者の混乱を招くため、一度決めた視点は変えることなく文章を完成させましょう。
どうしても変えたい場合には、章ごとにするなどキリのいいところではっきり変えるのがおすすめです。
会話文ばかりの平坦な作品にならないよう、地の文を上手く使いこなしてみてください。