──どんな言葉で書くのかということでいえば、『キッチン』を初めて手にとった時の衝撃は今でもよく覚えています。新宿の紀伊國屋書店のエスカレーターをあがったところに新刊コーナーがあって、あの頃はすぐそばにレコードショップがあって、奇しくもブルーハーツが大音量で流れていた。読み始めてすぐ「自分たちと同じ言葉で話す作家が現れた」という感じがしました。それまで小説を読む時に感じていた余計な構えが要らない。ブルーハーツもそういう言葉で歌っていたので、ふたつが結びついて、新しい時代の始まりの記憶として刻まれたのかもしれません。あとになって、ばななさんが「小説よりも漫画や映画、音楽から影響を受けてきた」と知った時に、ああ、だからなのかと。へんな言い方ですが、自分たちと同じ国の言葉を話す人が現れたという感じがしたんです。
吉本:よくわかります。小説って、小説のオタクが喜ぶポイントと一般の人が喜ぶポイントって圧倒的に違っているので、自分は常に一般の人の方を向いていたい。小説のオタクにも出来ればうなってほしいけれど、一般の人が読めないほど難しくなりたくないなというのが最初からありました。
──デビューしてすぐ出す作品、出す作品、ベストセラーになって、吉本ばななブームと言われたりしたわけですが、作家としてはサバイバルの始まりでもあった。
吉本:そうですね。もともとビジネスモデルとして思い描いていたのは新井素子さんだったんですよ。自分もあんなふうに知る人ぞ知る感じでコツコツ書き続けていきたいと思っていたのに、状況がまるで変わってしまった。やわらかい言い方、厳しい言い方、いろんな言い方をされましたけど、そういう中でその都度、自分が譲れないことを譲らずにいるのは簡単ではなかった。それこそ『TUGUMI』の担当編集者だった安原顕さんなんて赤を入れるどころか、勝手に書き直してきましたからね。ケンカするわけじゃないけど、ブレずに根気よく戦うしかないみたいなことがいっぱいあって、よほど確信がないとあそこでつぶれていたと思います。中上健次さんにはいきなりバーンと叩かれたし、道端で(笑)。「オース!」って言うんだけど「オース!」っていう強さじゃないんですよ。「一緒にカラオケに行こう!」って言われて、こっちは新人だし気が重かったんですけど、「君は飲み屋のおばさんに好かれるところが本当にいいよ!」って褒められました。「そういう人じゃないと結局大きくならないんだ」って。中上先生とはそういう素敵な思い出がいっぱいあります。
──中上健次さんはそれこそ純文学のど真ん中にいた人ですけど「小説のオタクより一般の人に届くものを書きたい」というばななさんの志が伝わっていたのかもしれませんね。
吉本:たぶんそうだと思います。中上先生とはそこでわかりあえていた気がしますね。この間、村上春樹先生の翻訳作品を読みたいなと思って、ジョン・チーヴァーを読んだんです。そうしたら、やっぱり文章を書く人にしかわからないツボみたいなのがあって、村上春樹先生はここでこの言葉とこの言葉を組み合わせちゃうところに萌えるんだろうなって。わかるんだけど、私は昔から純文学を好きな人の萌えポイントって、自分とはちょっと違うなって思っていて、私は部屋で読んでいるみたいな感じじゃなくて、もっと街で感じているようなことが書きたい。もっとナマじゃないと。そこが純文学の世界とは最後の最後まで寄り添えなかった理由だなと思います。