エントリーナンバー1四十円
p6著者名:中條 てい
日没すぎて、また女房からスカイプがあった。向こうはまだ昼前で、これからいよいよ最終目的地へ出発するのだと声を弾ませていた。巡礼の旅が終われば、あとはまっすぐ帰国の途につく。
「こっちに着いたら連絡してこいよ。荷物あるだろうから駅まで迎えにいってやるよ」
「そんなのいいって。持ちきれなきゃ空港から宅配で送るけど、家に辿り着くまでがさ、旅なんだから」
こういうところがいかにも女房らしい。仕事帰りの急な雨で迎えを呼ぶことはあるけれど、遊びは他人の手を煩わせずに終えるのが極意とわきまえているらしく、いつのときもこんなふうだ。
「待っててよー、ダーリン。アスタマニアーナ」
「え? 明日なに? 」
開放的な空の下、おどけた投げキッスなんかしやがった。そのせいで急に恋しくなったわけでもないけれど、スペインとも繋がっている空を眺めようと表に出ると、明るい月が上り、辺りを白く照らしていた。ついその気もなく目を遣ると、例の物は相変わらずの場所にやけに鈍い影を落として居座っていた。
次の日は、そろそろずぼらの痕跡を消しておかねばと部屋の掃除に勤しんだ。古くなった食材を捨て、冷凍庫のおかずも残さず食っておかなければいけない。そんなわけで俺はこの日も家に籠りっぱなしだった。
翌日は明け方に弱い雨が降り、すぐに上がった。ゴミを出しにいくころには日陰がほんの打ち水をしたくらい湿っているばかりだった。日当たりのよいステップはすっかり乾ききっていたが、見ると十円玉の上にだけ水が溜まっている。輪染みがついたら困るな。俺は水気をきっておこうと、見つけた日以来はじめて硬貨を手に取った。
「うそだろ……」
俺は思わず声をもらした。硬貨は五枚だが、二枚、二枚の十円玉の真ん中に挟まっているのは、古びた色をした五円玉だった。
――そんな馬鹿な……。
呆然となって立ちすくむ俺を見下ろし、隣の屋根で嘲るようにカラスが鳴いた。いくらあいつが利口でも硬貨の種類まで見分けられるもんか。いくら器用に嘴を使ったとしても、間に挟んで隠すなんて、そんな芸当はできっこない。だろ?
下水管の取り替え工事はいまだ本格的には動かず、今はずっと先のところで管渠を埋める工事をやっている。俺はいよいよ確信した。やはりあの作業員の誰かか、それともこの路地を日常的に通る誰かか、とにかく俺以外にこの金を見ているのがいて、そいつもまた俺同様自分では持ち去ることもせず、さらに言えば俺よりもずっと性質悪く人の反応をこっそり楽しんでいるのだ。