エントリーナンバー1四十円
p5著者名:中條 てい
帰り道、この小銭入れにあの四十円をいっそ納めてしまってはどうかと考えた。問題の解決は外からやってくるともいう。友人から呼び出しがあり、俺はたまたま欲しくもなかった小銭入れを買った。この偶然っていうのは、もしかするとそういう類の解決なんじゃないのか? 俺が見つけてからでもすでに十日がすぎた。女房が出発した頃からあったとすると、かれこれ二週間にはなるわけだ。通行人が黙って持ち去ってくれたら一番だが、あたら他人の家の前に置かれたものなど取り難かろう。だからって、賽銭じゃあるまいしいつまでもあんなふうに供えられていても気障りだし、そのうちタイルに痕が残ってしまうだろう。だったらこの際、もう十分待ったことだし、俺が回収するほかないのじゃないか、俺の家のことなのだし……。
家に戻ると、十円玉はやはりまだそこに積まれていた。俺は決心したとおりやってしまおうと手を伸ばす。が、掴もうとして目を疑った。
――ご、五枚?
一、二、三、と目で数え直したが、たしかに五枚ある。そんなまさか……。俺は狐につままれたような気になってそのまま家の中に入った。
まったく信じられない。毎日数えたわけでもないし、むろん触ってもいないが、最初は四枚だったのだ、まちがいなく。それがなぜ、いつ五枚に増えたのか。ともあれ、一つ確かなことは、これは忘れ去られた四十円ではなく、誰かは知らないが、ちゃんとこの金に気づいている奴がいるってことだ。
そうなると俺が回収して終わらせるわけにいかなくなった。ゴミ同然に放置されていると思えばこそ回収できるが、たった四十円、いや五十円のことでも見張られているかと思うと気分が悪い。もし他の誰かが拾っていったとしても、そいつが俺が盗ったと勘ぐるかと思うと……ああ、最悪だ。こうなれば、そいつがすっかり見放してしまうまで、どうかもうしばらくあの金が動きませんようにと俺は願った。
些細なことに振り回されないためには、見ないことだ。実際、家の中にいれば表のことはすっかり忘れてしまう。小銭入れは当分仕舞っておくことにして、週末はずっとテレビを見て過ごし、テレビに飽きると裏庭を眺めた。
びっしりついた山茶花の花芽がちょうど一輪が開いたところだった。これが次々咲くと小鳥が飛んできて花びらを啄んでいく。メジロ、ムクドリ、ヒヨドリ、去年はついにカラスまでが庭に降り立った。間近で見るとたとえガラス窓越しでも親分さんの威圧感はものすごく、歩き回る足音や羽のこすれる音さえ聞こえる気がしたものだ。
――今年はくるなよ、あの黒いやつ。
そう思った瞬間、不意にあの十円玉はカラスの仕業じゃないかという考えが頭をよぎった。習性で巣にいろんなものを持ち帰ると聞いている。ビー玉とかボタンとか光るものが好きらしいが、食い物でもないものを集める鳥ならステップに積まれた硬貨にも興味を示すのじゃないか。最初の四十円は人が忘れたものとして、そこにカラスの奴が目敏く十円玉を拾ってきて上に乗せた? まあ、そんなものが都合よくどこかに落ちていたらの話だが……。しかしイソップのカラスだって水瓶に一個ずつ小石を運んだのだし、あいつらの知能を侮ってはいけない。やれる、いや、やってほしいと思う。だって、カラスの悪戯ならむしろ笑えるじゃないか。