表現者の肖像 秋冴斗志
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高校時代のエピソード

エリートのクラスメイトと会話が合わなくて苦労しました。
勿論、本はそれなりによく読みました。

小さい時に、真っ暗闇の中で、「昨日の自分と今日の自分、繋ぎ留めている確かなものは、記憶だけなのだなぁ」とか、「昨日も同じ場所、同じ時間に今日と全く同じことを考えていたのは、確かな現実なのだろうか」とか、ぼんやり考えていたことを、古い昔に理論化して、結論を導き出していた思想家がいたということを知って、ちょっとした感銘のようなものを覚えたのを記憶しています。

日本の作家さんでは、反自然主義作家さんや新思潮派、新感覚派の作家さんの作品が好きでした。描写の綺麗な作家さんが多いので、気に入って今でもよく読みます。
僕は、芥川龍之介、谷崎潤一郎、若山牧水先生の作品が好きです。
芥川の作品でもストーリー性のない物もありますが、小説家の仕事が人に感銘を与える作品を提供することならば、ストーリーは必ずしも必須ではないのかなぁ、というような気がします。
小説において、ストーリーの組み立てが重要な作業であることは言うまでもないことですが、ストーリー性にそれほどこだわりのない芥川の作品も、何となく心に感銘を与えてくれます。

僕は、人間の内面、人の考えてきたこと、思ったことを学ぶのに、読書に優るものはない、と思っています。
人間の考えることや、思うことは、今も昔も、どこへ行っても、何となく似ていて、現代人の方が昔の人よりも感性が豊かになったかと言えば、そうでもないかも知れない。
大人なった今でも、我々と同じように永遠を思慕していた昔の思想家の本を読んでいると、忙しく日々を送る我々の方が薄っぺらいのではないか、という不安すら覚えることがあります。
世の中の前提が変わる。読書の前の自分と、読書後の自分を変えてしまう。
世の中の見方とか、前提すら変えてしまう。そういう作家さんは、やっぱり素晴らしいな、と僕は思います。人間の心、社会がどうあるべきか、というのは、どんなに世の中が便利で豊かになっても、人間の社会、伝統、文化が終焉しない限り、永遠のテーマだと思うので、複雑で変わりやすい現代社会を生きるのに我々が迷った時、“人間とは何か”という問いを、生涯を通じて考え続けた古い思想家に機智を借りるということも、時として必要なのかも知れません。

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